JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.02.15
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カテゴリ: 国内旅行

葉山マリーナから県道207号・森戸海岸線を進み右に曲がると森戸神社に到着。

駐車場に車を駐め散策開始。

右手に「総霊社」。

英霊、祖霊をはじめ水子の霊など、この社には多くの霊がまつられていると。 

こちらは「畜霊社」。

かつて、多くの家畜が疫病にかかった時、この社にお参りしお願いすると病から免れることが

できたと云われ、以来家畜(ペット)の守護神として篤い信仰があると。

左手に手水舎。

「水天宮」。

「まいられよ 子宝の福 さづかりに」と俳句に詠まれるほど古来より安産・子宝の篤い信仰が

あると。現在でも安産や子宝を願い、日本全国から多くの参拝者が訪れ、御神徳を仰いでいると。

「おせき稲荷社」。

古来より「せきが止まらない人」、「喉を使う職業の人」たちの、篤い信仰があるのだと。

森戸神社(森戸大明神) 本殿

森戸大明神は、源頼朝が源氏再興の祈願をした三嶋大社の分霊を勧請して創建。

『吾妻鏡』には、頼朝が別邸を建て、流鏑馬、笠懸などの武事を行ったことが記されていると。

三代将軍源実朝や四代将軍藤原(九条)頼経の来遊の記録も遺されていると。

三浦氏、北条氏、足利氏などからも崇敬され、1591年(天正19年)には、徳川家康より

社領7石が寄進されたとのこと。この社殿は葉山町の指定重要文化財。

祭神は

大山祗命(おおやまずみのみこと)と 事代主命(ことしろぬしのみこと)。

朱塗りの橋が見えた。

神奈川の名橋百選の「みそぎ橋」。

吾妻鏡によると、この森戸の海浜は鎌倉時代に七瀬祓の霊所と定められ、事あるごとに、

お祓いやみそぎが行われた事が記されているのだと。こうした故事により、この海辺で

「みぞぎ」がさかんに行われ、神社から海辺に通ずる橋を「みぞぎ橋」と言い伝えられていると。

「みぞぎ」とは、重大な祭事の前に海水を浴び、罪懺を祓いのけ、身を洗い清めること。 

神社裏の森戸海岸からの絶景。

相模湾、富士山、丹沢表尾根そして江の島の共演。

江の島をズームで。ヨットの姿も。

富士山をズームで。

山頂に淡き雲が姿を現していた。

富士山をバックに立つ石原裕次郎記念碑。

神社裏手の海岸入り口には、湘南で青春を過ごし、この地をこよなく愛した俳優、

故石原裕次郎の ブロンズ像と兄の石原慎太郎自筆の詩が刻まれていた。

『夢はとおく 白い帆に のって 消えていく 消えていく 水のかなたに

 太陽の季節に 実る 狂った果実たちの 先達 石原裕次郎を 偲んで』 

平成元年7月17日 石原慎太郎 と。

森戸神社裏からの逗子、葉山方面。

カワセミの雄を発見。

雌(♀) は下のクチバシが黄色い、しかし雄(♂)は上下とも黒いのだと鳥撮りの名人の旅友から。

こちらにも。海面に突っ込み小魚を捕る姿も。

しかし私にはその瞬間の姿の撮影は・・・・無理。 

マルチーノ公使ベルツ博士記念碑。

ドイツ帝国 医師 で、明治時代に 日本 に招かれた お雇い外国人 のひとり。

27年にわたって 医学 を教え、医学界の発展に尽くした。滞日は29年に及ぶ人物と。 

彼は葉山が黒潮の影響で冬は暖かく夏は涼しい温暖の地で、 風光明媚であるということに注目し

「葉山」が保養の地として最適であると皇室に進言し、 明治27年に葉山御用邸が

造営されたのだと。その功績を称えてこの場所にこの記念碑が建てられたと。

昭和天皇御即位五十年記念碑。

詩人 堀口大学 詩碑。 

「花はいろ 人はこころ」

昭和25年6月、葉山の温暖な土地柄を愛して移り、多くの業績を残して昭和56年3月15日、

89歳で死去。葉山町名誉町民(昭50)。

町制50周年を記念して建てられたと。

DSC03173_R.JPG

明治天皇御製・照憲皇太后御歌碑。

明治天皇 海辺雪 

「波のうへに 富士のね見えて くれ竹の 葉山の浦の 雪はれにけり」

照憲皇太后 里神楽 

「くれ竹の 葉山の宮に きこゆるや 森戸あたりの かぐらなるらむ」

高橋是清歌碑。

「堪忍の 股よりのぞけ 富士の山」

2・26事件で暗殺された高橋是清の別邸跡が「葉山交流館」になっていると。

大正天皇即位の御大典記念碑。

源頼朝公別墅(べっしょ)跡 。

源頼朝公がこの地に別邸を建て、笠懸を催したり、三代将軍 源実朝や四代将軍 藤原頼経なども

来遊した記録が「吾妻鏡」に残されているのだと。 

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DSC03177_R.JPG

裕次郎灯台と朱の鳥居。

葉山を愛してやまなかった 裕次郎の3回忌を記念して、

平成元年 「葉山灯台」=通称「裕次郎灯台」 が建てられたと。

灯台のプレートには「海の男 裕次郎に捧ぐ 葉山灯台」と刻まれていると。

DSC03148_R.JPG

朱の鳥居がある島の名は名島(菜島)。

森戸神社裏手の磯辺より沖合い700mに浮かぶ小さな島。

この鳥居には龍神が祀られていると言われているのだと。 

DSC03151_R.JPG

岩場には海鳥が羽を休めていた。

鳥居をくぐって小さな丘に向かって 石段を上る。

森戸神社裏の岩の上に立つ千貫松。

源頼朝が衣笠城に向かう途中、森戸の浜で休憩した際、岩上の松を見て「如何にも珍しき松」と

褒めたところ、出迎えの和田義盛は「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」と

答えたと言い伝えられていると。

森戸大明神のビャクシン(柏槙)。 和名:イブキ(ヒノキ科)。

源頼朝がこの地に伊豆の三島神社を勧請した際、そこの若木が飛来し

岸壁に根付いたものといわれていると。古木が海上にのり出した姿は珍しいと。

樹高:15m、 胸高周囲、4m。樹齢:約800年(推定)とのこと。

かながわの名木100選。葉山町指定重要文化財天然記念物。昭和43年2月29日指定。

一般に飛柏槇とかかれ間違いないが、神社としては槇ではなく杉を使って

下の写真の如く「飛柏杉(びびゃくしん)」と表現して欲しいと。

DSC03183_R.JPG

飛柏杉(びびゃくしん) の近くには日吉社が祀られていた。 

社務所。

御朱印を頂きました。

車に戻り、朱の鳥居を潜り森戸海岸線に再び出て、次の訪問場所に向かう。

              ・・・つづく・・・ 






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Last updated  2018.02.15 00:05:10
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