JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.03.21
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カテゴリ: 海外旅行

絨毯屋にバスで向かう。

横断報道ではない場所をのんびりと横断する人々の姿に驚く。

高層マンションが林立している地域を通過。

西安、中国の伝統的な中華門が見えた。

大雁塔の姿も。

大雁塔北広場の巨大な花のモニュメントが対で。

大通りを右折し、未舗装の道を進み右手にあった絨毯屋に案内される。
「国营西安市良心堂福祉手織絨毯厂」。の文字が。厂は「 」(工場)の簡体字。

店の壁には様々な見事な絨毯が展示されていた。

平山郁夫の絵画『シルクロードを行くキャラバン』を想い出す。

シルクロード絨毯の主な産地を説明してくれた。

ペルシア絨毯がシルクロードを通って中国に渡り、それが日本に入ったとの説明受け。

絨毯の品質を裏付ける最も重要な要素は、目の細かさを表現する「ノット密度」なのだと。

一般的に、テレビやパソコンのモニターの解像度が高ければ高いほど、画像をより鮮明に

表現出来る。ペルシャ絨毯も同じように、目が細かければ細かいほど、より繊細な絵柄が

表現できて、美しく仕上がるのだと。


多くの品物がシルクロードで駱駝により運ばれ、至る場所で市が開かれたのだ。

「ノット密度」の高い 仏の姿。

こちらは「十三佛」。ノット密度は1400段とのこと。
中国絨毯のノット密度「段」とは幅30.48cm(1フィート)の経糸(たていと)の本数を表すのだと。そして基本的に経糸・ 緯糸(よりいと)の本数は同じであると。 

若き旅友2人がターゲット?に。

その先にはシルクのスカーフ売り場でも他の旅友が同様に。

絨毯屋を出て昼食のレストランに向かう。

途中、木々の間に電線のカオスの世界を発見。

西安歴史博物館の前を通過。

博物館は改修工事中であった。

博物館の手前には中国国旗がはためいていた。

中華人民共和国の国旗は、赤地に5つの黄色い五芒星を配したもので、「五星紅旗」と呼ばれる。

赤色は革命を、黄色は光明を表す。また、大星は中国共産党の指導力を、4つの小星はそれぞれ

労働者、農民、小資産階級・愛国的資本家、知識人の4つの階級を表すのだと。

そして昼食のホテルのレストランに到着。

入口正面には金箔を用いたかが如き大きな絵画が。

そして、手前の造花のアレンジにも金箔?が豊富に。

この日の昼食は四川料理。

四川料理は、一般には 唐辛子 花椒 などの 香辛料 を効かせる辛い 中華料理 として知られるが

麻婆豆腐もあまり辛くなかった。


そしてこの後、小雁塔(しょうがんとう)の扁額がかかる薦福寺(せんぷくじ)の山門に到着。

薦福寺は唐の第四代皇帝・中宗(657 - 710)が父高宗を供養するために文明元(684)年に

創建した寺。

高僧の義浄(635 - 713)がペルシャの商船でインドネシアやインドを回り、

唐の証聖元年(695)に四百余りのサンスクリット語の経典を携えて帰国し、

この薦福寺で翻訳作業を行ったのだと。 


小雁塔 配置案内図。

ズームで。 

0716_R.jpg

この後に行く西安博物館も案内されていた。

西安博物館のある場所も薦福寺の境内であるとのこと

石塔。

小雁塔の最上部には手摺りのような構造物が確認出来た。 

石塔の先に慈氏閣。


小雁塔とは、中国唐代に長安城内の大薦福寺境内に、景龍中(707年 - 710年)に建立された

煉瓦でできた塔である。大雁塔に比べて小さいから小雁塔。

高僧の義浄が天竺から持ち帰った仏教の経典、仏図などを保存するために建てられた塔。

大雁塔は玄奘三蔵が天竺から持ち帰った仏教の経典、仏図などを保存するために建てられた塔

であるので謂れは同様。寺の名前は薦福寺で、684年、則天武后が高宗の崩御百日忌に、

その冥福を祈るために、創建した寺。

唐の中宗が、父・高宗の追善のために薦福寺を造営した時、宮人たちに銭を募って建てられた。

全て磚でつくられ、15層88mの優美な形をしていた。薦福寺に住した三蔵・義浄が仏舎利や

経典、仏像を安置するのに使用したと考えられる。

北宋の時に修復されたが、明代の地震などによって崩壊し、高さは、現状で13層43mと

なっていると。

宋代以降、しばしば地震等で被災しており、数次の重修を経て今日の姿となっている。

その中でも著名なのは、明の嘉靖34年(1555年)に記された塔下層に残る題記に見える、

地震の被害と復旧にまつわる逸話である。それによれば、地震によって塔が二つに裂けたが、

再度の地震によって元の姿に戻った、という。成化末年(1487年)に起こった地震で、

塔に反対側が見える程の亀裂が走ったが、正徳末年(1521年)の地震により、

ひと晩で塔が復旧した、と記されている。大薦福寺は中華民国時期に廃寺となったが、

小雁塔は文化大革命直前の1964年から2年間で塔の大修復が行われ、

2つに裂けていた塔の本体は現在のように修復された のだと。

DSC05941_R.JPG

大雄宝殿。 

DSC05943_R.JPG

北側から。 

DSC06031_R.JPG

小雁塔は一番上まで登ることができるが、2016年9月現在30元の入場券が必要となる。

入場券は西安博物館の入場券発行所の隣か、小雁塔に隣接する建物内の売店で購入できる。

ただし65歳以上の老人?は禁止であると。中国では65歳以上は老人。

境内。 

DSC05950_R.JPG

ランタンが実った柿の実の如し。

最上階である13階は地震で崩れたため現在屋根がなくなっており、屋上のようになっていると。

塔の一面には細かい模様が、そして各層の屋根の四方は当初から凹んだ状態に。 

小雁塔に上る階段。 

DSC06034_R.JPG

鼓楼。 

DSC06026_R.JPG

慈氏閣を小雁塔側から。

重檐歇山式屋頂様式の两層高台式磚木建築。上閣には回廊があり観光客の姿が。 

その奥に南山門も見えた。 

DSC06029_R.JPG

识(識)礼堂。

DSC06032_R.JPG

そして西安博物院に歩いて行く途中の公園の地面が一面の黄色になっていった。  

よく見ると銀杏の黄葉の造花ならぬ造葉を落葉している樹木に取り付け中。

まだ本格的な春の到来前であるが既に秋の黄葉の姿を造りだそうとしていたのであった。

理解出来ない行動であると感じたのは私だけであろうか? 

そして西安博物院の建物が見えてきたのであった。

               ・・・​ ​つづく ​・・・






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Last updated  2019.11.01 22:30:35
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