JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.06.02
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カテゴリ: 海外旅行
この日も早朝5時過ぎに起床し、シャワーを浴びる。
そして旅友と2人でイチャン・カラの城壁巡りの早朝散策に出かける。
時間は6:30過ぎ、ホテルの入口。
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イチャン・カラ配置案内図。
​​'ホラズムの中心都市の一つ、オアシスの古都ヒヴァ。アラル海に注ぐアムダリア下流に位置する
この街は二重の城壁に囲まれており、外城壁をディシャン・カラ、内城壁をイチャン・カラという。
17世紀前半ヒヴァ汗国の都であり、高さ約10m、周囲2.2kmの内城壁が築かれていた。
歴代の宮殿やモスク、マドラサなどの美しいイスラム建造物が数多く建築されていた。
これらは修復保存されて、ほぼ完全な形で今に伝えられているのであった。
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​​メドレセとはイスラムの神学校、ミナレットは信者に礼拝を呼びかける尖塔。
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パフラヴァン・マフムド廟。
1664年に建立された「ヒヴァの守護聖人であるパフラヴァン・マフムードの墓」と
「ヒヴァ・ハン国の君主の墓」が置かれている霊廟。
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ヒヴァでも一際美しく輝いている、
大きなターコイズブルー(緑がかった青)の
玉ねぎドーム屋根が目立つ建物。
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再びイスラム・ホジャ・メドレセとミナレット。
​​町のシンボルとなっている、ここヒヴァで最も高い建物(高さ約45m)。
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118段の階段を登ると塔上からはヒヴァ全景を見渡せる絶景が待っていると。
​​登ろうとTRYしたが屋外の階段の先のミナレット入口には木の扉が有り南京錠で鍵がかかっていた。
登るのは有料と後に添乗員から、よってさもありなんと納得。


​​ ​​
イスラム・ホジャ・メドレセ。

よって建てられた、まだ100年足らずの新しいもの。
イスラム・ホジャは、ヨーロッパ式の学校、病院、郵便局などを作り、ヒヴァで初めて
ロシア語の学校を開くなど、とても革新的な人だったのだと。
しかし、人気があったために保守派の嫉妬と反発を買い、生き埋めにされて殺されて
しまったのだと。
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ファサードには焼成レンガの帯が2本入る以外は青のタイルで覆われていた。
空の青、タイルの青との共演。
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​​半ドームは三面の大きなムカルナスで構成されている。それぞれに描かれている花瓶のような形。
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これもモスクか?
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ブルータイルのないモスクも。
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カール・マルクス通り。
西門から東門まで約400mのメインストリート。
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人の姿は殆ど無し。
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こちらのファサードにはブルータイルが施されていなかった。
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​​​​ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ。
最盛期には99人の学生が学んでいたと。今はホテルとして使われており宿泊可能と。
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ムハンマド・アミン・ハーンが建設を命じ、1852年に完成。
ヒヴァで最も大きな規模の神学校で、260名もの学生がここで学べる大きさだと。
広さは71.7 m ×60m、中庭の広さは38 m × 38 m。
正面人口や建物の前面はタイルで装飾され、美しい輝きを放っていた。
タイルには4色が使われていたが、黒は力、白は純粋さ、青は空、緑は自然をそれぞれ
表しているのだと。
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更に早朝の散策を進める。
この扉の中は、土産物屋の屋台と商品の倉庫となっていることが後に解ったのだ。
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東門へ向かう回廊。
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東門(パルヴァン・ダルバサ)から城外に出たが、この門は別名奴隷の門と呼ばれていたと。
東門周辺では、かつて奴隷が売買されていたとこのこと。奴隷となった人は近隣の住人や
南下してきたロシア人で、奴隷を買っていたのはトルコ部族や草原のカザフ族らしい。
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多柱式の建物。
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見事なイチャンカラの城壁。


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この城壁、半円形の出っ張りがいくつも繰り返す形で造られていた。
警備の物見台とのこと。
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基部の厚さは6m、高さは8m、城壁の長さは2.1kmとのこと。
城壁は煉瓦で出来ていたが、なんと、この中には戦死者の骨も埋められているのだと。
死しても城を守る・・という当時の風習だったのだとか。
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城壁の外を走るトロリーバス。
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北門。
北門辺りにはウルゲンチ行きのトロリーバスやマルシュルートカ(小型のミニバス)、
乗り合いタクシー乗り場があったが早朝の為、客の姿は殆ど無かった。
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今回の旅行でウズベキスタンの至る場所で姿を見た野鳥。名前は??
カササギであろうか?
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イチャンカラの城壁上の見張り台。
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前夜にホテルに向かうときに潜った西門(オタ・ダルヴァザ門)。
1920年に革命後の混乱で壊されて、その後修復されたと。
早朝の為に人の姿はなかったのであった。
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西門の外からのカルタ・ミナル。
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西門の近くでは親子で井戸から水汲みを。
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南門に向かって散策を続ける。
城壁に朝日が。
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南門(タシュ・ダルヴァサ門)もかなり立派な門。
カラクム砂漠へ行く人はこの門から出て行き、砂漠から来る人はこの門を目指したと。
門の両側には見張り用の立派な塔が鎮座。
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1873YIL(年)の文字が。
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ヒヴァのイチャン・カラは、かつては2重の城壁で囲まれていたのだ。
現在では外側の城壁はほとんどなくなっているが、ここ南門のさらに南側に少しだけ残っていた。
そんな外側の城壁付近に南門とそっくりな門があった。
おそらくここが外側の門だと思われる。
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イチャン・カラの城壁をほぼ1周して南門から城内へ。
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南門の天井部。
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南門の扉は頑丈そうで見事な彫刻芸術品。
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再び天井を別の角度から。
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モスクを支える柱の彫刻をするオジサンの姿を暫し見学させてもらった。
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見事な彫刻。
この柱の材質は?完成するのにどのくらいの時間がかかるか?を拙い英語で尋ねたが、
オジサンは質問内容は理解してくれたようで、ウズベキスタン語で一生懸命に
説明してくれたが旅友も私も全く理解出来なかったのであった。
しかしこれも「一期一会」。



イスラム・ホジャ・メドレセのミナレットを別角度から。
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再びイスラム・ホジャ・メドレセ。
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7:50過ぎにホテルに戻り朝食のレストランへ。
よって約1時間20分の早朝散歩なのであった。
ホテル出発は9時とのことで、ゆっくりとバイキング形式の朝食を。
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                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.11.02 07:53:14
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