JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.06.13
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カテゴリ: 海外旅行
​5日目のこの日は、ブハラから世界の支配者・ティムール生誕の地、シャフルサーブス歴史地区
観光に立ち寄り、その後サマルカンドまで移動するGreat Jurneyの日。
ブハラのホテルを7:30に出発してからアジアハイウェイA380をひたすら南下する。


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ブハラ郊外を走る。
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ウズベキスタン鉄道ブハラ1号線の 跨線橋(こせんきょう)を渡る。
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アジアハイウェイA380は荒涼とした砂漠の如き平原をひたすら走る。


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ムバレクの街を通過。
1974 年に都市として設立されたムバレク。街には石油やガス精製工場があり、
年間 300 m3 のガスを精製している。
ソビエト連邦時代にはクリミア・タタール人の自治領としてムバレクを中心とした
「ムバレク共和国」の設立が検討されたこともある都市。
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墓地。
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貯水池から伸びる運河を渡る。
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キルギスから続いているアライ山脈の山々の頂には雪が。
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アライ山脈の雄姿を車窓から楽しむ。
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そしてシャフルサーブスの街に入りホテルのレストランで昼食。
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日本語ペラペラの女性店員が迎えてくれた。
それにしてもイントネーションに違和感を感じない見事な日本語。

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ビールを注文。
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テーブルにはおつまみや数々の前菜が。
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スープ。
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ロールキャベル。
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昼食後、更にバスは走りコク・グンバズ・モスク(Kok Gumbaz Mosque)に到着。
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コク・グンバズ ・モスクに向かって進む。
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コク・グンバズ・モスクは1,437年に創建されたものであり、木と花の装飾がふんだんに
取り入れられている。チムールの父・タルガイとチムールの孫ウルベクの墓がある。
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中庭から右側を向くと、新しそうなモスク。このモスクのドームが外から見えていたのだった。 
ハズレディ・イマーム・モスク。
19-20世紀の初めにドルス・シアダット廟に冬用のドームつきのホールと夏用の木柱つきの
アイヴァンがあるモスクが併設して建てられた。
それに、昔、ここではドルス・シアダットコンプレックスのメドレセもあったと考えられていると。
この大木、1370年にアムール・ティムールが植えたという楡の木であると。
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世界の時刻が表示されていると思ったら、1日5回のお祈りの時刻を示しているのであった。
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内部が冬のモスク、外の柱廊(アイヴァン)が夏のモスク。
柱頭はムカルナスを木で組み上げている。
​​右に折れるとジャハン・ギール廟が見えてきた。
​​ドルッサオダット建築群。
ドルッサオダットは「大いなる力の座」という意味らしい。
入ってすぐ正面の建物の柱。細工が美しかった。
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柱のズーム。
ウズベキスタンの各地でこのような木製の柱が見受けられたが、生産地域により、
材質や様式が違うと添乗員から。
また、一つの建物に使用されている柱、全てのデザインが統一されていない。
これは、施主が数名の柱の細工師を雇い技を競い合わたからだとのこと。
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ジャハンギール廟
『ウズベキスタンの歴史的な建造物』は、1376年にアミール・ティムールの長男のジャハングルが
亡くなり、ティムール王朝のメンバーに相応しい大墓地の創製が目の前に現れた。
そのためにシャフリサブスのドルス・ティリャヴァットの近くに25年間で巨大な
ドルス・シアダット「権力の容器」とか「威力のハウス」という大墓地が建てられた。
アミール・チムールの2番目の息子もここで埋葬されている。
しかし、現在まで大墓地コンプレックスの一つの方形ドームつきの廟しか残らなかった。
この廟は巨大なアーチ型の表玄関の両側にあった廟の北部のもので、南部の廟は今は
残っていないと。ドルス・シアダットのアーチ型の表玄関はアク・サライ宮殿の入り口
表玄関と比べられるぐらいの大きさであった。
廟とモスクは市民の習慣でハズレディ・イマムという名で呼ばれていたという。
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ジャハンギール廟入口。

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ジャハンギール廟内の棺。ティムールの息子の棺。 ​​


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ジャハンギール廟出口。
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​ジャハンギール廟全景を振り返る。
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アミール・ティムールの墓を訪ねる。
​​ティムールは、中央アジアのモンゴル=テュルク系軍事指導者で、ティムール朝の建国者。
中世アジアを代表する軍事的天才と評価され、中央アジアから西アジアにかけてかつての
モンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した人物。
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地下におりると、質素な石棺が。
ティムールはふるさとに身を埋めるつもりだったようだ。
そして、質素な埋葬を望んでいたらしい。望みははたせず、遺骸はサマルカンドにあると。
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ティムールがいないティムールの墓。
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ジャハンギール廟は多くのタイルが剥がれ落ちていた。
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僅かに残ったタイル。
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現在残っているのモスクのドームにも昔は全面に青いタイルが貼られていたのであろう。
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途中の左側にモスクのような形状の建物が。
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ドルティラワット(瞑想の家)建築群の敷地内には、コク・グンバズ・モスクの大ドームに
向かい合うように、小さなドームが2つ並んでいた。
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コク・グンバズ・モスク。
​​ティームールの孫ウルグベーグが1437年に完成させた。
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ミナレット。
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ファサード。
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​​ コク・グンバズ・モスクのファサードを見上げる。
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内部・天井ドーム。
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横壁。
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美しいタイルが至る所に。
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コク・グンバッズ・モスク内部・天井。
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四つの墓石。
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一番奥は予言者ムハンマドの血を引くテルメイドの墓石で、信者達が触れて行くために
凹みが出来、そこに貯まる水が墓石から出る成分と混じり合い、その水は子供の病気に
効果があると信じられていると。
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シャムスッデイン・クラール廟が対面に。
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シャムスッデイン・クラール廟の裏からジャハンギール廟そして雪を頂いた山々を。
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白い山々をズームで。
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                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.11.02 07:59:49
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