JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.06.20
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カテゴリ: 海外旅行
タシュケントのヤッカサライモスクの駐車場にバスを駐め、日本人抑留者墓地に向かって
徒歩で進む。
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ヤッカサライ墓地の一般人の墓の横を奥に進む。
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墓石には写真の如き顔が刻まれていた。
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そして日本人抑留者墓地に到着。
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太平洋戦争終戦直後に中国東北地方(満洲)や樺太に駐留していた
日本兵約57.5万人のうち中央アジア地域のウズベキスタンにも
約2万3千名の日本軍捕虜が移送されウズベキスタン各地で
建設事業に従事する長期的な抑留生活を送ったのだと。

亡くなったのだと。
​​

​​
写真は1990年5月23日に、日ソ親善協会福島県支部が建てた
「永遠の平和と友好不戦の誓いの碑」。
この「鎮魂の碑」に刻んだ碑文の決定は順調には進まなかっ たと。
「永遠の平和と友好不戦の誓い」という碑文を刻みたいという意向を提示すると、
「不戦という文字は刻んでほしくない」との要望が伝えられたと。
当時 のソ連は、ウズベキスタンに隣接するアフガニスタンと緊張状態にあったため、
簡単 には合意に至らなかったのだと。
そして慰霊碑は、日本の方角に向かって合掌しているようにつくられているのだと。
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​​
背面には埋葬されている方の名前・出身地が。
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​​ ​​
​​はるかなふるさとを思い浮かべ、父母・兄弟や恋人・友達たちを想い浮かべながら、

心からの黙祷をささげたのであった。
1945年から46年にかけて、その期間、病気や疲労などが原因で死亡した79人の
日本人がこの墓地で眠っているのだと。
​​

​​
「専修大学佐竹ゼミ」の文字も。
​​


鎮魂、1990年5月23日の文字が。






​​
墓地には、ここに眠る79人だけでなく国内13か所すべての墓地の土を持ち寄った碑があり、
ウズベキスタンの日本人墓地を代表する役割を担っていた。
この墓地に訪問することで、ウズベキスタン国内で確認されている全墓地を想 起することが
可能となったのだと。
そして埋葬場所を表示していると思われる石碑も。
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永遠の平和と友好の誓いの碑、1995年10月1日、福島県ウズベキスタン文化経済友好協会と
いう文字が。
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周囲にはバラの花が。
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そして桜の木の横にはこの日本人墓地を管理してくれているオジサン。
蝋燭と線香を持って来て下さいました。
帰りにお礼と感謝に寸志を。
​​「​ ウズベキスタンにあるシベリア抑留者に関する モニュメントと「戦争」の記憶継承 ​」については
上記リンクに詳しい内容が説明されています。
​​

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偶像崇拝を否定するイスラム教だが??墓碑には顔が刻まれていた。
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タシケント観光の我々のバス。
​​


アリシェール=ナヴァーイー(1441~1501)はティムール帝国時代の政治家、文学者の
像が車窓から。チャガタイ=トルコ語による多くの詩を創作し、ウズベク文学の祖と言われる。
現在、ウズベキスタン各地にナヴァーイーの名を冠する記念碑や公園が作られている。
タシケントの中心部にもナヴァーイー公園があり、この像はその中心に最近建設されたもの。
​​

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そして次の観光場所の「ウズベキスタン工芸博物館」に到着。
​​ ウズベキスタン国立応用美術館(英語: State museum of applied arts of Uzbekistan、
ウズベク語: Amaliy sana’t muzeyi)が正式名称。


​​
入口の大きなタイル絵。
ウズベク語でAmaliy San’at Muzeyiの文字が。しかしAmaliy Sana’t Muzeyiではないのか?
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こちらにも。
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入場すると民族衣装を着て、パンを持つオジサン像が迎えてくれた。
​​


中庭には美しい羽のクジャク(孔雀)のつがいが。
そしてオス・peacock(ピーコック)。



鮮やかな見事な青。



なかなか羽を広げてくれなかった。


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しばらく待っていると漸く。
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そして我々に向けての大サービス。
​​クジャクが羽根を広げるのは、オスがメスに対するディスプレーの行動なので、
羽根を広げている近くには、メスのクジャクがいたのであった。
​​


邸内のナラ(楢)の巨木。



年にオープンした工芸博物館は、現在 4000 点以上の展覧品があり、博物館の建物自体が
最大の美しさを持つ展示品。
ウズベキスタン各地の職人によって彫刻された建築装飾は、伝統的な建築工芸のレベルを展示。

1907 年にロシア公使の私邸として建てられたこの建物は、 1941,1961,1970 年に修復され、
1930 年までには孤児印、教育センターなどのため使われていたと。

13 部屋に広がる 19 世紀の伝統的な建築工芸、壁が装飾鉤刺しの刑で装飾された中央部屋、
それ以外の手芸品やさまざまな展示品が楽しめるのであった。



様々な陶器作品が。




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一生懸命に説明してくれた現地添乗員のディーナさん。
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壁に沢山のスザニ(手作りの刺繍工芸)が飾られていた。
親か子に技術を引き継ぐために、わざと完成させないのだと。
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土産物の皿。
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美しいタイル。天井から床まで柄柄の大洪水。
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メドレセの中庭を意識したような建物。
もともと1900年初頭に建てられた私邸がそのまま博物館になっていると。
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モスクの如き美しい外壁装飾。
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美しく装飾された内壁も見事。
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飾り棚も美しい。
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ウズベキスタン風のタイル装飾は宮殿の如し。
細かい柄が細部まで。
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絵画も美しかった。祈る姿。
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壷を造る。
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天井も鮮やかで。
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こちらにも。
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お茶用のポットか?
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再びスザニ(手作りの刺繍工芸)。
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作業途中の織物機も展示中。
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ドゥッピ (Do'ppi) などの伝統衣装の帽子、ネックレスや髪飾りなどの貴金属製品なども
展示されていた。館内は伝統工芸を展示している区画、 20 世紀に制作された絨毯や帽子などの
伝統衣装を展示している区画、現代美術との融合により新たな創作を行なっている作品群の
ある区画の 3 つの区画に分かれていて大いに楽しむことが出来たのであった。


                 ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.11.02 08:03:07
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