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隠居人はせじぃさん
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シャフリサーブスは『緑の街』と言う意味を持ち、遠くにザラフシャン山脈が見える
谷間の小さな町で、かつては緑豊かなオアシス都市であったのだ。
古くから『ケシュ』という名で知られており、7世紀には三蔵法師も訪れたことがあるのだと。
シャフリサーブスはゾグディアナの古都で、ティムールの生まれた場所として有名。
ティムールはサマルカンドにも劣らない雄大な建築物をシャフリサーブスに建てたが、
16世紀後半にブハラのアブドゥール・ハーンによってほとんどの建物が破壊されてしまったと。
その為か、あまり派手さはなく、静かで落ち着いた観光地だという印象を受けたのであった。
なお、シャフリサーブス歴史地区も、2000年にユネスコ世界文化遺産に認定されているのであった。
「青の都」と呼ばれる古都サマルカンドは、ウズベキスタンの英雄と呼ばれるティムールが
築いた街。紀元前よりシルクロードの要衝として栄えたこの街は、13世紀にモンゴル軍の
攻撃によって廃墟となったと。そんな廃墟を、この世でもっとも美しい都市を目指して再建し、
ティムール王朝を築き上げたのであった。彼は、遠征先から一流の芸術家や職人を連れ帰り、
モスクや廟を次々と造らせたと。
連日続いた抜けるような青空と平和を象徴する青いタイルで装飾された歴史的建築物には
感動の連続であった。またモスクのドームやイスラム教神学校のメドレセ、霊廟などを覆う
青色タイルは、ペルシャの職人の技術をもとに、中国の陶磁器とアラブの顔料が融合した
シルクロードが生んだ芸術なのであった。
人々はその鮮やかな青色を「サマルカンド・ブルー」と呼んでいるのだと。
それら美しい青色を基調とした建造物群は「サマルカンド文化交叉路」として世界遺産に
登録されているのであった。
中でもひときわ目を引いたのが街の中心に建つ3つのメドレセ(神学校)がとりまく
レギスタン広場。ティムール朝時代の政治・経済・文化の中心であった場所で、
ライトアップも神秘的で美しく、また抜けるような青空の下に堂々と建つ、青タイルで
装飾された建造物群の美しさに感動の連続。

まるで天と地が「青」のカオスの混沌とした世界なのであった。

最後に訪れた日本人抑留者墓地、そして第二次大戦後にタシケントに連れてこられた
日本人抑留者の強制労働によって建てられたナヴォイ・オペラ・バレエ劇場。
戦争中も日本国の為に戦い、その結果無数の白骨を太平洋や大陸のあちこちに晒し、
捕虜になっても更にまじめに労役に服し、戦争が終わってもひたすら働くことに
身をささげた日本人がいたという真実を今更ながら知ることが出来た旅なのであった。
敗戦直後という地獄の中で、人類を結ぶ友情と平和のシルクロードをウズベキスタンに
築いてくれた日本人抑留者に、心から手を合わせ、感謝と称賛・敬意・頭を垂れて『合掌』の
気持ちをツアー仲間全員で共有したのであった。
日本人抑留者墓地を美しく管理してくれているウズベキスタンの方々にも感謝。

ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場。

そして今でもウズベキスタンのモスクのドームやイスラム教神学校のメドレセ、霊廟などを
覆っていた青色タイルが目に焼き付いているのである。

そしてイーワーン( Iwan
)のムカルナスも。

ありがとう、お世話になりました、ウズベキスタン。

さて次回は何処へ。
既にこのツアー帰国時には2週間後の6月10日からの中国・北京の世界遺産を2泊3日で
訪ねる旅は決定していたのであった。
よって来年は何処へ?
①ポルトガル周遊
②バルカン半島のギリシャ、アルバニア、ブルガリア、マケドニア・・・諸国
を訪ねる旅が候補に挙がっているが旅友のSさんと相談して次回の弥次喜多道中の
旅にチャレンジしたいと思っているのである。
『ウズベキスタンへの旅』へのブログアクセス ありがとうございました。
