JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.07.22
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カテゴリ: JINさんの農園
そして漸くこの日の目的の展示会「空から見る相模と日本 鳥瞰図の系譜」のコーナーへ。
​​江戸時代に起源があると言われている鳥の目線で描かれた「鳥瞰図(ちょうかんず)」。
展示会では、大正から昭和初期にかけて流行し、大正広重と異名をとった吉田初三郎の
日本全国の観光絵図が並ぶほか、今年が明治150年にあたることから三代歌川広重が
文明開化期の東海道を描いた「東海名所改正道中記」も展示されている。作品数は全64点。


​​
吉田初三郎は、明治17年(1884)に現在の京都市中京区に生まれた。
幼い頃から絵が好きであった初三郎は、友禅の図案工などを経て、洋画家を志して
関西美術院長の鹿子木孟郎に入門します。しかし、師から商業美術家への転身を
勧められたことや、大正2年に刊行された京阪電車の沿線案内図が、学習院普通科の

パノラマ風の観光案内図の製作を手がけるようになる。
初三郎が描いた、左右の端をU字型にまげ大胆なデフォルメを施した独特の絵図は、
「初三郎式鳥瞰図」と呼ばれ、鉄道旅行の発達に伴う観光ブームの中で人々の人気を博したと。
​​

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鎌倉江之島図(上)と「鎌倉と江の島」(下)。
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「東海道勝景従日本橋至荒井 東海道勝景従白須賀京都迄 一覧」
『東海道を描いた大判3枚続の作品を2つ繋げて絵巻にしたものです。
右側は日本橋から荒井宿(新居)まで。左側は白須賀宿から京までを鳥瞰的に描いています。
道を湾曲させ、各宿場や名所を織り込み、東海道を6枚の画面に収めてしまう技法は
のちの吉田初三郎の鳥瞰図に繋がるものといえましょう。』
​​

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「歌川芳員 横浜明細全図」

慶応2(1866)年に画面中央付近で大火があり、運上所や遊郭が焼失した。
その跡地は「御蔵」や「御裁判所」に建て替えられたり、整地されたりした様子が
描かれている。なお、遊郭は上部中央やや右よりの関外地区に移され、跡地はのちに
日本初の西洋式公園が造園される。
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「吉田初三郎 神奈川観光図絵」昭和8年(1933)
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神奈川県を横長の一枚の絵図に収めています。主立った観光名所には英文の表記が
添えられています。
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江の島を接写で。


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「吉田初三郎 横浜市鳥瞰図」昭和10年(1935)
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賑わう港を大きく中心に、右手は日吉、上は保土ケ谷ゴルフ場、左手は金沢辺りまで
市域を描きこんでいます。


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「吉田初三郎 鎌倉江ノ嶋名所図会」大正6年(1917)。
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『初三郎の初期の作品の一つ。皇紀のものに比べ平坦な表現ではありますが、江の島をはじめ
大仏や八幡宮などを大きく描くなど、観光名所を強調した初三郎鳥瞰図の特徴が現れています。』
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鎌倉駅周辺を接写で。
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「吉田初三郎 鎌倉江ノ嶋名所図会」大正6年(1917)
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『大正名所図会社版の「鎌倉江ノ島」と同年に発行された絵図。
地元商店の発行のため、記載内容がこまかくなっています。』
​​

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江ノ電の姿も描かれている。
​​その上に「日蓮上人雨乞池」の文字も。
​​数々の伝説を残している行合川近くにある日蓮の足跡のひとつ。
干ばつに苦しんだ1271年、時の執権北条時宗は極楽寺の名僧・忍性に雨乞いを命じるものの
効果がありません。次に日蓮がここ田辺ヶ池の淵に立ち「南無妙法蓮華経」と唱えると
大雨に恵まれたという伝説の地。
そして昔は七里ヶ浜駅の先に大境駅があったことも理解出来るのです。
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「吉田初三郎 官幣大社富士山名所図絵」大正11年(1922)
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『関東地方全体を視野にしたような構図で、日本一の山、富士山を強調した作品です。
富士山の4ヶ所の登山口と登山道が描かれています。浅間神社のある富士宮の「表登山口」
鉄路を利用しやすい「御殿場口」、下山によく使われた「須走口」、そして富士山の北側から
登る「吉田口」があります。それぞれの登り口には鳥居が立っており、富嶽信仰の道である
ことがわかります。』
​​

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「吉田初三郎 箱根名所図絵」昭和3年(1928)
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『箱根~湯本の登山電車や湯本の温泉、御用邸などが克明に描かれ、当時ベストセラーに
なったという図です。』
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『箱根登山鉄道には、「ケーブル終点」という表記があり、この時には「ケーブルカー」が
強羅からここまで運行されていたことがうかがわれます。』
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「吉田初三郎 静岡の大茶園 金谷牧之原鳥瞰図」昭和7年(1932)
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『牧之原大茶園(島田市)は静岡の茶の生産量の40%を閉める日本一の大茶園です。
作品では製茶機械の川崎鉄工場が経営したモデル茶園とその即売所が広大な茶畑の中に
えがかれています』
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南アルプス連峰の向こうへ続く道も。
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「大阪府鳥瞰図」
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府域全体を神戸の側から見たような角度でまとめています。
府域を中心に道が四方に伸びているイメージで。
左手が京都、右手は和歌山、その後ろには高野山、吉野山などが峰をつらねています。
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富士山の姿と東京の文字も。
​​大阪府の上空????mまで行けば富士山の姿が見えるのでしょうか?
そこまで吉田初三郎が考えての鳥瞰図であれば感服・脱帽ですね!!。
​​そして、ふと加藤登紀子の歌「この空を飛べたら」を想いだしたのであった。
『♫ああ 人は昔々 鳥だったのかもしれないね こんなにも こんなにも 空が恋しい♫』
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「吉田初三郎 旭川を中心とせる名所交通鳥瞰図」昭和5年(1930)
​​

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『旭川市は北海道のほぼ中央にあたる。上川盆地の西側に位置します。屯田兵村を配した
計画都市として誕生した旭川の街並みが、碁盤の目のように整然と描かれています。
画面上部には樺太から富士山、さらに朝鮮半島までえがかれています。
​​

​​
忠別川沿いの丘陵地は「義経台」と呼ばれていました。
源義経が実は生き延びて平泉から蝦夷に渡ったとされる「義経北行伝説」は北海道の
各地に残されています。
​​


                 ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2018.07.23 12:42:28
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