JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.06.13
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カテゴリ: 国内旅行
小田原城を後にし、二宮町の旧東海道を走りながら、以前も訪ねた寺『等覚院』を訪ねた。
所在地: 二宮町山西793
この写真は、前回訪れた時の写真。



『本堂』。
山号、梅沢山東光寺。別名、藤巻寺ともいわれる。
宗派は古義真言宗。小田原市国府津町宝金剛寺の末寺。本尊、不動明王および両脇侍像。



境内の『六地蔵』。



『鐘楼』。



『歴代住職の墓』。







等覚院は別名、藤巻寺ともいわれ、藤の花が人気の寺。
この日は既に花は完全に終わっていたが、同行の旅友Sさんは、4/29(月)に藤の花を見に
この寺を訪ねていたのであった。
その時のSさんがブログにアップしためずらしい白い藤の写真。



そして境内のアジサイ(紫陽花)の花を此処でも楽しんだのです。



八重咲きのガクアジサイ。



こちらも八重のガクアジサイ。



緑色のアジサイ。



そして次に訪ねたのが、中井町にある『厳島湿生公園』。
ここ厳島湿生公園は県下でも稀な清水が出ている湿生地を復元し保全することを目的に
整備された公園。湧出量は一日およそ2600トンにも及ぶと。




厳島湿生公園は、湧き水が作り出した県下でも数少ない湿地を保
全しており、相模湾に注ぐ葛川の源流ともなっています。湿地には、ホタル、カワセミ、
ホトケドジョウなど、水辺に集まる希少な生き物が生息しており、園内を巡る木道や散策路からは、
四季折々の草花など楽しむことができます。
公園中央の厳島神社は、古くから地域の方々に「弁天様」と親しまれており、弁天様やホタルに




『厳島湿生公園案内図』。



『花マップ』パンフレット。



『厳島湿生公園 花マップ』。



湿生地を巡る木道400m・休憩広場・芝生広場・東屋・トイレなどが整備されていた。



アブラハヤ、シマドジョウ、ホトケドジョウ、シュレーゲルアオガエルなどの
希少な生き物が確認されていると。



池の上には木道がきちんと整備されていた。



木橋の前方に「弁天さん」として地域の方々に親しまれている『厳島神社』の朱の鳥居が。



扁額『厳島神社』。



『拝殿』。



「厳島神社(いつくしまじんじゃ)
この神社は、文化4年(1807年)に建てられ天保11年(1840年)、安政4年(1857年)及び
昭和62年(1987年)に改築された。江戸時代は「弁天様」と呼ばれたが、
明治2年(1869年)厳島神社と改名された。
祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、
祭日は4月16日であったが、現在は、蓑笠神社の祭日と同じ日に行っている。
また、周囲は清水が豊富に湧き出ていて、蛍やシマドジョウなどの清く澄んだ水しかいない
小動物が、今でも生息する湿原である。」 



『私たち、住み替えます 成長とともに住かを変える公園の水棲動物たち』
「この公園には大きくなるにつれて、住む場所を変えてゆく水棲動物がいます。
ホタルやトンボの幼虫は水中で生活するので、水棲昆虫と呼ばれています。
ホタルの幼虫はカワニナを、トンボの幼虫ヤゴはミジンコや蚊の幼虫、小魚などを
エサとしています。彼らは、脱皮を繰り返して成長します。両方とも成虫になると空を飛びます。
カエルはオタマジャクシのときは水中で生活しますが、成長して尾がなくなり四本足となって
水中や陸上で生活するので、両生類と呼ばれます。」



睡蓮が群生する池、しかし花の姿はまだ無かった。



『中井町 厳島湿生公園 周辺あんない』。



このユニークな石の彫刻は、中井町民の彫刻家・高田 大(たかだ・だい)さんの作品。
タイトルは「水の妖精」。ちなみに、
ここは湧き水が作り出した県下でも数少ない湿地を保全している公園で相模湾に注ぐ
葛川の源流ともなっていると。



池の中には、野鳥の止まり木が置かれていた。
ここに止り羽を休めたり、池の魚を狙うカワセミ(翡翠)等の野鳥を、『鳥撮り』が
大きなカメラを3脚に乗せてひたすら待つのであろう



公園内に掲示されていた、止まり木のカワセミ(翡翠)の写真。



5月にはゲンジボタル、6〜7月にはヘイケボタルの観賞を楽しむことができると。



木製のベンチに座り一休み。



二宮で合流された元同僚・先輩のOさんが、「近くの食品館あおば 中井町店」で寿司弁当と
ビールを調達して来てくれ、これを3人で楽しんだのであった。
我々、車を運転しない二人は缶ビール、運転する旅友Sさんはノンアルコールビールを
楽しみながら寿司弁当を平らげたのであった。Oさん、ご馳走になりました!!



近くにあったキンシバイ(金糸梅)の黄色い花。



「キアゲハ」の幼虫を発見。



「トカゲ」も。



ピンボケになりましたがこの透明な羽のトンボの名は?
ルリイトトンボだったのでしょうか?



数年前に別の場所で撮ったルリイトトンボの写真を紹介します。



そして、ネット情報によると、毎年、この厳島湿性公園では『​ 竹灯篭の夕べ ​👈リンク』が
開催されていると。
2019年の竹灯篭の夕べは5月25日(土)に開催されたとのこと。


  【 https://www.town.nakai.kanagawa.jp/forms/info/info.aspx?info_id=4148 】より

竹林整備によって出た竹を「灯篭」にして厳島湿生公園に並べ灯りをともし、
その幽玄な雰囲気を楽しむイベントで、竹林再生事業の一環として平成18年度から始まり
今年で14回目の開催。
会場内は、灯篭の火の揺らめき、水面に映る景色などが幻想的な雰囲気を醸し出し、
来場者を魅了したと。


   【 https://www.town.nakai.kanagawa.jp/forms/info/info.aspx?info_id=4148 】より

そして帰路は、明治末から昭和初期まで稼動していた湘南軌道(しょうなんきどう)の
線路跡に出来た道路を進む。
秦野で産出されていた葉タバコを東海道線の二宮まで輸送することを主目的として建設され、
大正期には賑わいを見せたが、1927年(昭和2年)に小田原急行鉄道(現在の小田急小田原線)が
開通すると衰退し、旅客営業休止、路線休止を経て1937年(昭和12年)に廃止されたと。
通称「けいべん」は、明治39年(1906年)に湘南馬車鉄道株式会社が吾妻村(現在二宮町二宮)
~井ノ口村(現在中井町井ノ口)~秦野町(現在秦野市本町3丁目)間の道路9.6㎞に幅二尺五寸(762mm)の軌道を敷設した馬車鉄道の運行が始まりと。

下図の赤い点線部分が軽便鉄道・湘南軌道の線路が通っていた場所。
湘南軌道の秦野駅のあった場所は、専売公社農場(現ジャスコ秦野店)附近で、
現在の小田急秦野駅からは離れていたとのこと。



葛川(くずかわ)沿いを二宮駅に向かって南下。



そして二宮駅まで路線距離は最終的に10.0kmであったと。



『湘南軌道』の歴史をウィキペディアより。

・1906 年(明治 39 年) 8 1 日発起人を集め湘南馬車鉄道として秦野 - 二宮間開業 (9.0km)
 開業当初は馬車鉄道であった。当時の発起人は秦野市、二宮町、中井町など沿線の有力者を
 もって行われた。なお、発起人に名を連ねた人物には国会議員の伊達時や慶應義塾出身の
 山口(旧姓高橋)喜十郎など福沢諭吉の知己を直接得ている人物が存在する。
 また、伊達時および山口喜十郎は伊勢原市に存在した自由民権運動の団体「湘南社」に
 深くかかわっていた。

・1913 年(大正 2 年)
 2 1 日 利用者増加に伴い蒸気機関車に変更
 2 24 日 湘南軽便鉄道に改称

・1918 年(大正 7 年) 経営難により一時休止、その後経営移管され湘南軌道となる

・1923 年(大正 12 年) 9 1 日 関東大震災により被災

・1924 年(大正 13 年) 3 月 秦野駅(初代)を台町駅に改称、
 秦野( 2 代目) - 台町間開業 (1.0km) 、全通

・1927 年(昭和 2 年) 4 1 日 小田原急行鉄道開通

・1929 年(昭和 4 年) 8 14 日 乗合自動車運行開始 [5][6]

・1933 年(昭和 8 年) 旅客営業を休止、貨物営業のみとなる

・1935 年(昭和 10 年) 10 9 日 秦野 - 二宮間全線営業休止

・1937 年(昭和 12 年) 8 25 日 秦野 - 二宮間全線廃止 (-10.0km)

『当時の駅・敷設・接続路線』をウィキペディアより。
・路線データ (廃止時点のもの) 路線距離(営業キロ):10.0km  軌間:762mm
・駅数:8駅(起終点駅含む) 複線区間:なし(全線単線)  電化区間:なし(全線非電化)
・駅一覧 
 秦野駅※ - 台町駅 - 大竹駅 - 上井ノ口駅 - 下井ノ口駅 - 一色駅 - 中里駅 - 二宮駅
 ※湘南軌道の秦野駅のあった場所は、専売公社農場(現ジャスコ秦野店)附近で、
 現在の小田急秦野駅からは離れている。



以下の古い写真は『​ 湘南軌道 ​👈リンク』からのものを利用させていただきました。

『湘南軌道 二宮駅』の当時の写真。
創業当初は、鉄製のレールの上を走る客車を馬に引かせる馬車鉄道であったと。



『省線二宮駅構内を進行する湘南軌道の蒸気機関車。』
1913年(大正2年)2月1日 利用者増加に伴い蒸気機関車に変更されたと。



大正13年(1924)頃の古写真「湘南軌道株式会社・二宮本社屋」



『2号機関車』。



そして『下井ノ口停留所跡』。
湘南軌道下井ノ口停留所付近は若干昔の名残で商店等があったが。



写真を撮るOさんは二宮に50年以上お住まいだが、この湘南軌道については
ご存じなかったのであった。



『一色停留所跡』。
一色駅(いしきえき)は、現在の神奈川県中郡二宮町一色に在った駅。



『中里停留所跡』。
中里駅(なかざとえき)は、現在の神奈川県中郡二宮町中里にかつて存在した湘南軌道の駅。



今まで、この湘南軌道の存在については、全く知らなかった私。
今回、中井町にあった『厳島湿生公園』を訪れ、その存在を知り、帰路にその路線上に
出来た道路を走り、またネットで調べこのブログを書きながら大いに学ぶことが
出来たのであった。





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Last updated  2019.11.02 16:57:20
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