JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.09.02
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

次に訪ねたのが『常行寺(じょうぎょうじ)』。
常行寺は京浜急行「新馬場」と「青物横丁」の間、旧東海道に面している。
京浜急行「北品川」から「青物横丁」にかけてのおよそ2㎞ほどの間には28もの寺院があり、
その多くは江戸幕府の命により集められたものである。江戸の東海道入口という要所にあたり、
そこを守る軍事目的、あるいは府内の都市計画による府外への移転といったことによるもので、
常行寺ももとは東大井4丁目、今の立会小学校、区立大井公園付近にあったとされる。
『山門』には『熊野山』と書かれた扁額が。



山門前には『城南小学校創立之地 開校 明治七年十二月五日』と刻まれた石碑が。
常行寺の隣には城南小学校があるが、これは北品川の品川小学校に対抗し、南品川地域の
住民が立ち上がり、常行寺の本堂と大師堂を使用して第二中学区第八番城南小学校として
明治7年(1874)に開校したものである。そのため常行寺は城南小学校の前身となっている。



『熊野山父母報恩院 常行寺』天台宗の寺。
常行寺の正式名称は「常行三昧寺」。
慈覚大師円仁様が父母の恩に報いるために常行三昧を修する目的で建立した寺である。
大師が横川中堂を建立された後、母の病重きを知り、平坦な東海道を急ぎ故郷の下野へ向かう途中、
品川大井村で母の死去を知らせる使者に出会い、その地にて堂を造り常行三昧を修して
母の冥福を祈られた。熊野山父母報恩院常行三昧寺と名付け、村人達にも彼等の両親の菩提を
弔うよう説いた。
これが常行寺の開基で、大師が使者に会った嘉祥元年(848)10月16日を開山の日としている。



境内とその先に本堂。



山門をくぐり境内に進むと、煉瓦積みの御堂が。
レンガの御堂の中には、お地蔵様が。



更に境内を進むと、また御堂も左手に。



御堂内部。



『本堂』。
現在の本堂は享保年間(1716-1736)に再建されたものと伝えられている。

天台宗(山号)熊野山常行三昧寺報恩院

・平安時代の嘉祥元年(848)に創建されたと伝えられ、もとは大井村にあった。

・長保年間(999~1004)には武蔵(現東京都・埼玉県)・相模(現神奈川県)

 両国に末寺500余を数えるほどに栄えたというが、その後衰退し、無住の期間が長く続いた。

 その後、大永7年(1527)に再興、承応2年(1653)に南品川に移る。

・本堂は、寄棟造の建物で享保年間(1716~35)に再建された。

(後略)(しながわ観光協会HP)



『常行三昧寺』と書かれた扁額。



『寺務所』。



ハッサクであろうか?鈴なり。



更に歩を進め訪ねたのが『海徳寺』。





『軍艦千歳殉難者之碑』。脇に大砲の銃身が添えられていた。



堂内には地蔵様が三体。



左に『水子地蔵』。



右に『誠和地蔵』。



中央に『浄行菩薩』



『本堂』。
現在の本堂は、江戸時代の中期、寛延4年(1751年)に完成したもので、




本堂内部。



『自覚山』と書かれた扁額。



本堂の正面の軒には、力士像が。



その下には龍が。



そして『ホームラン地蔵』。
台座には『和夫地蔵尊』と刻まれていた。



知る人ぞ知る!その人の優しい人柄を感じさせる『​ 心温まる逸話 ​』(☚リンク)だ!
元巨人軍の王貞治選手が新人のころ、ある心臓病の少年に「ホームラン王」になることを誓った。
その少年は残念ながら14歳で亡くなってしまったが、王選手は記録達成ごとにその少年の墓に
参っている。もちろんホームラン世界記録を樹立した時にもその報告に訪れている。
バットを大切に右手に握りしめ、左の手にボールを持った『ホームラン地蔵』が
その少年の墓である。







『天上天下唯我独尊の釈迦生誕像』。
信長塀の如き美しい塀に囲まれて。



著名な彫刻家、長谷川昂の作品であると。



『シコノボタン』の花であろうか?



シコンノボタンは長短のオシベが共に紫色。




移設したものと。



次に訪れたのが『蓮長寺』。



実相山道場院と号す。
蓮長寺は、中老日法が開基となり、師日蓮聖人を勧請開山として弘安年間(1278-1287)に
創建したと。



『本堂』。
旧本山は池上本門寺、池上・芳師法縁。
日保作の藪の祖師、伝伝教大師最澄作の毘沙門天像を祀る。



続いて『本栄寺』に。
『山門』、宝光山と号す。



日蓮宗の寺。



『本堂』。
当山は宝光山と称し、天正2年(1574)6月17日日栄上人が建立した。
慶長8年10月徳川家康が寺領1000坪を寄進し、堂宇を建立する。
明和年間戸越村斉藤本家から一子が出家して当山に住み、当時斉藤氏が山林一町歩を寄進し、
其処を本栄寺山と称し、附近に鐘塚があり、斉藤氏一門の墓地がある。



無縁仏塚。



そして次に訪ねたのが道路の反対側の『心海寺』。



真宗大谷派寺院の心海寺は、普海山と号す。



『本堂』。
心海寺は、徳川家康に仕えていた本田忠峯(法名峯山)が、小田原の役で負傷したため
仏門に帰依、正保4年(1647)に創建したと。



『鐘楼』。



そして『本覚寺』へ。
『山門』。



天台宗寺院の本覚寺は、照高山円教院と号す。
本覚寺は、元亀3年(1572)に創建、僧晃慶が中興したといいます。
左には本覚寺『庫裡』が。



『本堂』。
本尊は来迎三尊阿弥陀如来尊。



『大光普照殿』。




                              ・・・​ その3 ​・・・に戻る

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.01 14:19:58
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