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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
次に訪ねたのが『常行寺(じょうぎょうじ)』。
常行寺は京浜急行「新馬場」と「青物横丁」の間、旧東海道に面している。
京浜急行「北品川」から「青物横丁」にかけてのおよそ2㎞ほどの間には28もの寺院があり、
その多くは江戸幕府の命により集められたものである。江戸の東海道入口という要所にあたり、
そこを守る軍事目的、あるいは府内の都市計画による府外への移転といったことによるもので、
常行寺ももとは東大井4丁目、今の立会小学校、区立大井公園付近にあったとされる。
『山門』には『熊野山』と書かれた扁額が。
山門前には『城南小学校創立之地 開校 明治七年十二月五日』と刻まれた石碑が。
常行寺の隣には城南小学校があるが、これは北品川の品川小学校に対抗し、南品川地域の
住民が立ち上がり、常行寺の本堂と大師堂を使用して第二中学区第八番城南小学校として
明治7年(1874)に開校したものである。そのため常行寺は城南小学校の前身となっている。
『熊野山父母報恩院 常行寺』天台宗の寺。
常行寺の正式名称は「常行三昧寺」。
慈覚大師円仁様が父母の恩に報いるために常行三昧を修する目的で建立した寺である。
大師が横川中堂を建立された後、母の病重きを知り、平坦な東海道を急ぎ故郷の下野へ向かう途中、
品川大井村で母の死去を知らせる使者に出会い、その地にて堂を造り常行三昧を修して
母の冥福を祈られた。熊野山父母報恩院常行三昧寺と名付け、村人達にも彼等の両親の菩提を
弔うよう説いた。
これが常行寺の開基で、大師が使者に会った嘉祥元年(848)10月16日を開山の日としている。
境内とその先に本堂。
山門をくぐり境内に進むと、煉瓦積みの御堂が。
レンガの御堂の中には、お地蔵様が。
更に境内を進むと、また御堂も左手に。
御堂内部。
『本堂』。
現在の本堂は享保年間(1716-1736)に再建されたものと伝えられている。
天台宗(山号)熊野山常行三昧寺報恩院
・平安時代の嘉祥元年(848)に創建されたと伝えられ、もとは大井村にあった。
・長保年間(999~1004)には武蔵(現東京都・埼玉県)・相模(現神奈川県)
両国に末寺500余を数えるほどに栄えたというが、その後衰退し、無住の期間が長く続いた。
その後、大永7年(1527)に再興、承応2年(1653)に南品川に移る。
・本堂は、寄棟造の建物で享保年間(1716~35)に再建された。
(後略)(しながわ観光協会HP)






































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