JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.09.15
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カテゴリ: 国内旅行
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『大さん橋』を後にして『象の鼻防波堤』入口前を『開港広場前交差点』に向かって歩く。



『開港広場前交差点』。



『開港広場前交差点』手前から『日本キリスト教会横浜海岸教会』をズームで。



『日本キリスト教会横浜海岸教会』 は1872年に設立された日本で最初のプロテスタント教会。
関東大震災で倒壊。 2014年12月に改修工事が完了、 毎晩、ライトアップされていると。
前まで行って。



『開港広場前交差点』まで戻ると『山下公園通り』沿いにあった
『史跡 英一番館跡(ジャーディン・マセソン商会)』碑。



日米修好通商条約によって、横浜は安政6年6月2日(1859年7月1日)に開港した。

続々と横浜入りをした。



居留地一番地に店舗をかまえた当時の東アジア最大の商社「ジャーディン・マセソン商会」の
横浜支店は「英一番館」と呼ばれ、当地の代表的な商社として昭和初期まで活動を続けた。
ジャーディン・マセソンは現在も有力な国際商社として存続している。



シルクセンター前の史跡英一番館跡と書かれた碑のところに、小さな「桑の森」が。
この傍に植えてある1本の桑の木は、横浜が開港したころに神奈川県津久井郡津久井町で
栽培されはじめた木を持ってきたもの。土地の関係であまり大きく成長していないが、
小さいながらも歴史ある古木とのこと。
そして「桑の森」の後ろに彫刻家安田周三郎 氏の秀作「絹と乙女」像が。



『シルクセンター』ビル。



ウィキペディアによると

養蚕や紡績、染織に関する展示のほか、通年に渡りカイコを飼育しており、糸繰りや機織りの
体験ができる。2階後半の「しらべライブラリ」コーナーでは横浜港と生糸貿易の関わり、
暮らしの身近にあるシルク、絹の最新技術などに関する展示がある。
階の「シルクのあゆみ」コーナーでは、日本および世界各地の絹を使った時代風俗衣装や
民族衣装が展示されている。」と。







『開港の道・山下臨港線プロムナード』
横浜税関付近から大さん橋入口を経て山下公園西端を結ぶ500mほどの遊歩道であり、
桜木町駅から港の見える丘公園を経路とする「開港の道」の一部と位置づけられている。
遊歩道の大半が線路の高架橋部分を流用して造営されているため大半の部分が高架であり、
大さん橋と山下公園の付近においては設置された階段やスロープから遊歩道に出入りすることになる。



『山下公園』に入る。
山下公園は関東大震災の瓦礫などを埋め立てて昭和5年(1930年)3月に開園。
海沿いに長さ約750m、幅約100mと細長く、面積は7万4121㎡。
正面に姿を現したのが『インド水塔』。



1923年(大正12年)の関東大震災では、横浜に在住し被災した在日インド人救済のため、
横浜市民が被災インド人への住宅の手当てなどに力を注いだ。
1930年(昭和5年)に瓦礫処分場として埋め立てられた場所の上に山下公園が開園。
そして1939年(昭和14年)に、横浜市民への感謝と同胞の慰霊のために在日インド人協会が
山下公園内に建立したのがこのインド水塔である。設計は鷲巣 昌、施工は清水組。



イスラム教の寺院モスクの中庭にあるハウズ(泉亭)を想起させる珍しいスタイルのモニュメント。
イスラム風、インド風、日本風が混在したデザインが特徴的で、東京の築地本願寺を思わせる
ような形であるとの評もある。横浜市認定歴史的建造物。



『山下公園』から先程訪ねた『大さん橋ふ頭ビル』をズームで。



そして『大さん橋』とエンターテイメント レストラン船『ロイヤルウイング』。



『横浜ベイブリッジ』。



『山下公園』を湾沿いの遊歩道を歩く。



『潮位標尺』が設置されていることを発見。これは簡単に云えば海面の水位を測るモノサシ。



海面の変動の要因・横浜港おける海面の高さの基準・警戒水位の3項目についてで、
かなり詳細な記述で参考になった。
潮位計については、超音波の反射により測定し、そのデーターを自動的に災害対策本部に
送信する方式の機器が全国に配備されているようです。
それに比較すると、この設備は何ともレトロでローテクの感じを否定出来ませんが、簡単素朴な
構造ですから手軽に数多く設置できるメリットが有るようですし、バックアップとしても
有効でしょう。



『山下公園』から『横浜マリンタワー』を見る。



この花は『ハゴロモジャスミン』であろうか?



『氷川丸』を見る。



『赤い靴はいてた女の子』。
大正11年、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡『赤い靴』。
童謡『赤い靴』の2番の歌詞には「横浜の埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった」という歌詞があり、その歌詞をイメージして
昭和54年、山下公園に造られたのがこの『赤い靴はいてた女の子像』。



像を寄贈したのは赤い靴を愛する市民の会(現・赤い靴記念文化事業団)。
平成22年には山下公園の少女像と同型の像が、横浜市と姉妹都市の
アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ市(San Diego)の海辺に建立されていると。
海の彼方に向かって座っている少女の姿は、童謡の歌詞を考えると切ない、悲しい姿。

童謡『赤い靴』
作詞:野口雨情 作曲:本居長世
1.赤い靴(くつ) はいてた 女の子
   異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった
2.横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
     異人さんに つれられて 行っちゃった
3.今では 青い目に なっちゃって
     異人さんの お国に いるんだろう
4.赤い靴 見るたび 考える
     異人さんに 逢(あ)うたび 考える



『山下公園』内では扇子を持って体を動かしている老々男女。



山下公園の広場の真ん中近くにあったのが『西洋理髪発祥之地』碑。



断髪令が出された明治4(1871)年より早く、西洋式床屋は外国人相手に開業されていました。
日本最初の床屋は、小倉虎吉が明治2(1869)年に居留地で開いていたものとされています。
山下公園に建つ「ZANGIRI」とタイトルされた「西洋理髪発祥之地」を記す石像は、
一見の価値あり。当時、「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と囃されていましたが、
斬新な散切り頭に負けず劣らずユニークな像。



『氷川丸』を再び見る。



そして山下公園の日本郵船氷川丸の係留地に近い、中心に噴水『水の守護神』が。



昭和30年10月、サンディエゴ在住の日系市民の要請にこたえ、横浜市は「雪見灯篭」を
寄贈したのが提携促進の始まり。
昭和30年11月、横浜で開催された日米市長会議に出席したサンディエゴ市長から
姉妹都市提携の申し入れがあり、横浜市とサンディエゴ市は昭和32年10月29日に
姉妹都市として提携しました(横浜市として初めてとなる姉妹都市提携)。
その年からお互いの動物園に飼育される動物交換も開始されています。
横浜からサンディエゴへは、昭和35年4月に茶室を寄贈。



そのお返しとして昭和35年7月に「水の守護神」がサンディエゴ市から贈られ、
山下公園に設置されたのです。
水の守護神像を囲むように4基の「ミッションベル」さらに『美しきサンディエゴ』の
歌碑が立ち、一帯は、「サンディエゴ友好の泉」と付けられています。



噴水が高々と。



『エル・カミーノ・レアールのミッションベル』。
1769年から1832年にかけて、聖フランシス派の修道士たちが、アメリカのサンディエゴから
サンフランシスコまでの960kmに21ヶ所の伝道所を設けた。
このルートは「エル カミーノ レアール」(スペイン国王の道)と呼ばれる。
20世紀になって、このルートを確認して、道路に沿ってミッションベルが立てられた。
1983年(昭和58)に横浜市とサンディエゴ市(カリフォルニア州)との姉妹都市提携25周年を
記念して複製が贈られたと。



『横浜マリンタワー』が大きく見えて来た。



『かもめの水兵さんの歌碑』。
武内俊子が作詞を行ったきっかけは、ハワイに旅行する叔父 足利瑞義(浄土真宗本願寺派
勝願寺住職)を見送るために横浜港の大さん橋に行ったことにあると。
夕暮れの中で数十羽のかもめに魅了され、帰途でかもめの白い姿を水兵に見立てて詞を
完成させたと。



1.かもめの水兵さん 並んだ水兵さん
 白い帽子 白いシャツ 白い服
 波にチャップチャップ 浮かんでる

2.かもめの水兵さん 駆け足水兵さん
 白い帽子 白いシャツ 白い服
 波をチャップチャップ 越えていく



『氷川丸』。
氷川丸は日本郵船が1930 年にシアトル航路用に建造した全長163.3mの貨客船。
当時最新鋭の船として竣工した。戦争中は海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷したが
沈没を免れ、戦後は貨客船に戻り1953年にシアトル航路に復帰。船齢30年に達し第一線を
退くまでに、太平洋横断254回、船客数は2万5千余名と、活躍した。
1960年に引退した後、1961年より山下公園前に係留保存され、2008年に「日本郵船氷川丸」
としてリニューアルオープンした。
戦前の日本で建造され現存する唯一の貨客船であり、造船技術や客船の内装を伝える貴重な
産業遺産として高く評価され、2016年に重要文化財に指定された。



大人300円で氷川丸船内の見学が可能。



『日米友好ガールスカウトの像』。



この銅像は日米友好の記念としてアメリカガールスカウト50周年とガールスカウト本連盟の
世界連携加入を記念して1962(昭和37)年3月18日に建てられた。
台座には「やくそく」と彫られていて「ガールスカウトの友情」を示す像とされています。



約160種1900株の『未来のバラ園』はピークは過ぎていたが、バラの花を楽しむことは出来た。



純白のバラの花。



『横浜港観光船』乗り場。



再び『横浜マリンタワー』。



『展望台』
1961年の開業より横浜を見守り続けてきた「横浜マリンタワー」は、保全を目的とした
改修工事のため、2019年3月31日をもって全館一時休館中。
2022年4月以降に再開予定とのこと。



おまつり広場の南東、石のステージ。



涼し気な水の流れにホット一息。



石のステージから水の階段を上ると世界の広場へ。



山下公園の南東端、駐車場屋上の『世界の広場』。



『世界の広場』からの『みなとみらい21』の景色。



そして階段を降り『おまつり広場』の木陰に立っていたのが『リカルテ将軍記念碑』。



アルテミオ・リカルテは一八六六年十月二十日フィリピン共和国北イロコス州バタック町に生る。
一八九六年祖国独立のため挙兵、一九一五年「平和の鐘の鳴るまで祖国の土をふまず」と日本に
亡命、横浜市山下町一四九に寓居す。一九四三年生涯の夢であった祖国の独立を見しも、八十才の
高令と病気のため一九四五年七月三十一日北部ルソンの山中に於て波乱の一生を終る。
リカルテは真の愛国者であり、フィリピンの国家英雄であった。茲に記念碑を建て、
この地を訪れる比国人にリカルテ亡命の地を示し、併せて日比親善の一助とす。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2019.09.15 23:38:26
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