JINさんの陽蜂農遠日記

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2025.10.14
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カテゴリ: 海外旅行
​​​​​​【​ 海外旅行 ブログリスト ​】​​​👈​リンク​

Broadwick StreetをCarnaby Streetに向かって 進む。
Broadwick Streetはソーホーの中心部にあり、 細い石畳の道 が特徴。
この通りを抜けると「Carnaby Street・カーナビー・ストリート」に突き当たるのであった。



Carnaby Street(カーナビー・ストリート)の入口手前 に差し掛かったところ。
奥のほうに見える通りがカーナビー・ストリートで、さらに右に進むと、有名な
「CARNABY」の ゲート が出迎えてくれたのであった。



カーナビー・ストリートの象徴的な
ウォール・モザイク(壁画)・​ Spirit of Soho Mural ​👈️リンク 
が左前方に見えて来た。



制作は1991年、地元アーティスト Freeform Arts Trust による作品。
ロンドン・ソーホー地区の 歴史・音楽・演劇・文化 を一枚の大きなモザイクで表現
中央には地図のようにソーホーの街並みが描かれ、その周囲に有名人や象徴的な場面が
散りばめられているのであった。



ソーホーの街並み をズームして。
🔹全体構図
・女性像の形をした 都市の精霊(あるいは「都市の女神」) がテーマ。
 ・胸部には “Estilo”(スペイン語で「様式」や「スタイル」)の文字。
 ・彼女の身体が「街の地図」になっており、さまざまな地区や名所がモザイクで描かれている。
 ・頭部や髪は波のように流れ、背後の青い曲線は海または川を示していると考えられる。
🔹下部の要素(足元〜裾)
・赤い電話ボックスや円柱建築(ロンドンのシティを象徴する古典的建物)が見える。
・“SHREWSBURY”という文字が読めるため、これはイングランドのシュルーズベリー
 (Shrewsbury)の壁画。
  ・赤い屋根の建物はThe Square(市の中心広場)のマーケットホール。
  ・白黒の木組み家屋は、チューダー様式の旧市街を象徴。
🔹中央部分
・大聖堂や時計塔など、街の主要なランドマークが並びぶ。
・人物の腰の位置付近にパイナップルのモチーフがあり、これはShrewsburyの名産である
 異国趣味・交易・園芸文化を表すシンボル。
・周囲には、劇場・フェア・農業・川の風景(River Severnなど)がモザイクで
 ちりばめられている。



壁画の構成と意味
1.中央の女性像
  ・「SOHO」と胸に書かれた女性が街を抱きかかえる姿は、ソーホーを芸術と文化の母のように
  表現しています。
2.地図のようなパネル
  ・ソーホー周辺の街路(Oxford Street, Carnaby Street など)が描かれていて、観光地図の  
  役割を兼ねています。
  ・ファッション、映画館、劇場、カフェ、クラブなどがモザイクで配置されており、60〜70年代
  の文化的多様性を示しています。
3.下部の著名人たち
  ・ソーホーと関わりのある 作家・音楽家・俳優 が描かれています。チャールズ・ディケンズや
  カール・マルクスなど歴史上の人物に加え、音楽関係者も。
  ・直接ビートルズの肖像はありませんが、彼らと同時代にこの街から発信されたカルチャー
   全体がテーマになっています。
4.左右の縦パネル
  ・左側にはファッション、報道、メディアに関連するイメージ。
  ・右側にはロンドン・パラディウム劇場など舞台芸術のシーンが描かれています。
  ・これらは「ソーホー=ファッション、音楽、演劇の街」であることを示しています。
5.時計と3人の人形
  ・下部の時計の上に立つ3人の人形は、ソーホーを代表する文化人の象徴(演劇や文学の
     イメージキャラクター)。左から順に、典型的な 啓蒙時代の紳士・淑女・哲学者風の人物 が
     描かれています。
  ・毎時動く仕掛けがあり、観光客に人気です。下部中央にある「 時計 」と「 歴史的人物群像 」を
     ズームして。
 ・真ん中の本には “D.K.” とあり、これはロンドンを拠点に活動した出版社 
 「Dorling Kindersley(ドーリング・キンダースリー)」を示しているとも言われます 
  この壁画のスポンサー関係であると。
周囲に描かれている著名人
モザイク全体にはソーホーに関わりのある歴史的人物が細かく描かれていて、この部分には特に
以下のような人々が含まれると。
・カール・マルクス(中央奥、本を読んでいる白髭の人物)
 → かつてソーホーに居住し、『共産党宣言』執筆期のロンドン滞在地でした。
・チャールズ・ディケンズ(青い衣装の紳士として描かれていると言われる)
 → 作品にロンドン下町の描写を多く残した作家。
・その他、作曲家、哲学者、演劇関係者なども混じって描かれている  と。 時計が時を告げると、
 カール・マルクスがコーラを飲み、カサノバ役のテレサ・コーネリスがウィンクし、カサノバが
 キスを返す と。

下記3枚の写真はネットから。

COMERFORD WAY: Patrick Comerford: From Karl Marx to Groucho Marx, the ' Spirit of Soho' is a mural with a tour of Soho's streets and people

Spirit Of Soho mural | Celebrating the history and characters of Soho |  Memoirs of a Metro Girl

My Favourite Mural by Gillian Da Costa – The Spirit of Soho | London Mural  Preservation Society's Blog

THE SPIRIT OF SOHO MURAL
The Spirit of Soho mural was created by the Soho community and completed in 1991.
It shows Soho life and is dedicated to the people of Soho. The mural depicts St Anne
presiding over local notables; her skirt and petticoats show the map of Soho,
craftsmen and London landmarks. Framed underneath are the portraits of Soho’s many famousfigures. Dogs and hares are interspersed which represent a time when Soho
was a Royal hunting ground.
Restored in 2006 by Shaftesbury PLC and The Soho Society, the clock was re-activatedby
The Lord Mayor of Westminster 19th October 2006.
Don’t miss:
When the clock strikes on the hour: watch actress and opera singer Theresa Cornelys
wink at Casanova, Casanova blows a series of kisses to Cornelys and Karl Marx takesa
sip of Coca Cola.」 

ソーホーの精神 壁画
「ソーホーの精神」壁画はソーホーの住民たちによって制作され、1991年に完成しました。
これはソーホーの生活を描き、ソーホーの人々に捧げられています。
壁画には聖アンが地域の著名人たちを見守る姿が描かれており、彼女のスカートとペチコートには
ソーホーの地図、職人、ロンドンのランドマークが表現されています。下部にはソーホーに
ゆかりのある数多くの著名人の肖像が描かれています。犬や野ウサギも散りばめられており、
これはソーホーが王室の狩猟地であった時代を象徴しています。
この壁画は2006年に Shaftesbury PLC と ソーホー協会(The Soho Society) によって
修復され、同年10月19日、ウェストミンスター市長によって時計が再稼働されました。
見どころ:
毎正時になると、女優でオペラ歌手の テレサ・コーネリス がカサノヴァにウィンクし、
カサノヴァは彼女に一連のキスを投げかけ、カール・マルクス はコカ・コーラを一口飲む
仕掛けが動き出します。】


ソーホー・モザイク壁画(Soho Mural) に描かれている人物たちの 番号付きガイドプレート。
この案内板は、レリーフの人物位置番号と名前を示す「キー(key to figures)」で、
計 54 名(+動物)ほどの肖像を図示しています。
たとえば:
番号        人名                                 分野/備考
1 John Christopher Smith         作曲家(ヘンデルの弟子)
2 John Logie Baird                   テレビ放送の発明者
3 William Blake                        詩人・画家
4 William Hazlitt                      文筆家・評論家
5 Al Purchase                          ソーホー開発初期の地主
6 Ann Louise de Staël              フランス作家
7 John Pine                             彫刻師・版画家
8 Joseph Nollekens                  彫刻家
9 Crespin                                サクソフォーン奏者、作曲家、指揮者
10 William Hogarth                  画家・版画家(ソーホー生まれ)
11 Handel                               作曲家
12 Isaac Newton                     物理学者(王立協会関連)
13 Antonio Canaletto               景観画家、版画家
14 Mrs. Brook                         女優、ダンサー                 
15 Chevalier d’Eon                   外交官、スパイ
16 Sir Cloudesly Shovel            海軍提督  政治家
17 Jean-Paul Marat       政治理論家、医師、科学者   
18 Samuel Squire                     司教
19 Sir Joshua Reynolds             画家
20 Henry Angelo         回想録作家、フェンシングの名手
21 Mrs. Charles Kemble            女優
22 John Snow                          近代公衆衛生の父(コレラ調査)
23 John Fawcett                       俳優・劇作家
24 David Hume                        哲学者
25 Mrs. Bateman        俳優・劇作家
26 David Garrick                      俳優・劇作家
27 John Dryden                       詩人・劇作家            
28 Charles Kemble                   俳優
29 Edmund Keene                   聖職者 司教
30 Fanny Kelly         開拓者女性
31 Richard Wagner                  作曲家(ロンドン滞在経験)
32 Gaston Berlemont               パブ経営者
33 Edmund Burke                    政治思想家、哲学者、政治家
34 Sir Ashton Lever                 自然物収集家
35 Percy Bysshe Shelley           詩人
36 Maud Stanley        女性福祉活動家
37 Fanny Kemble       女優・作家
38 James Boswell       法律家・作家
39 Josiah Wedgewood              陶芸家・事業家
40 Angelica Kaufman      画家
41 Peter Vanderbank                彫刻家
42 Flaxman                             彫刻家
43 Beckford           サッカー選手
44 Paul Verlaine         詩人・作家
45 John Hunter                       政治家
46 Wolfgang Amadeus Mozart  作曲家(1770年代にソーホーに居住)
47 Karl Marx                           哲学者・社会主義思想家(Dean Street居住)
48 Theresa Cornelys      オペラ歌手・興行師  
49 Casanova                           冒険家・作家
50 Jessie Matthews                 女優・ダンサー
51 George Melly        ブルース歌手
52 Dylan Thomas                    詩人・作家
53 Brendan Behan       詩人・短編小説家・小説家
54 Jeffrey Bernard                  ジャーナリスト
55 Ronnie Scott                      ジャズ ・テナーサックス奏者



ソーホー壁画(Soho Mural) の中心付近、「 フルーツと地図 」が広がるモザイクの拡大。
ソーホーの文化的・商業的ランドマークや象徴がぎっしり詰め込まれているのであった。
フルーツと野菜(パイナップル・オレンジ・ぶどうなど)
・ソーホーの多文化市場・食文化を象徴。
・Berwick Street Market(ベリック・ストリート・マーケット/青果市場で有名)を示していた。

The Spirit of Soho

ソーホー壁画(Soho Mural)の右側、縦に並ぶ3つの絵は、
「劇場・娯楽・酒場文化」 を象徴 する部分 と。
① 最上段「PALLADIUM(パラディウム劇場)
・London Palladium はロンドンを代表する老舗劇場。
・ビートルズが1963年10月13日に出演した「Sunday Night at the London Palladium」で 
 テレビ放送され、一気に全国区の人気を獲得した。
・この出演をきっかけに「ビートルマニア」という言葉が初めて使われた と。
② 中段「カーナビー・ストリートと若者文化」
・赤いカーテンに囲まれた舞台風の構図。
・中央には「Carnaby Street」のゲートのようなアーチ。
・1960年代の若者たち(ミニスカート、カラフルなファッション)と、買い物客や音楽シーンの
 人々が描かれていた。
③ 下段「パブとジャズセッション」
・ソーホーのもうひとつの顔「パブ文化」「ジャズクラブ」を表現。
・手前ではサックス奏者が演奏し、奥ではビールやワインを片手に議論する人々。
・ソーホーはジャズやブルースの発祥地のひとつで、ビートルズも同時代にここから
 影響を受けたカルチャーの中で活動していた。
ビートルズとの関わり
・Palladium → ビートルズが一躍スターになった場所
・Carnaby Street → ビートルズのファッションや若者文化の舞台
・ジャズクラブ/パブ文化 → ロンドン音楽シーンの根幹としてビートルズ世代に大きな影響 と。

© メトロガールの回想録 2014

ソーホー壁画(Soho Mural)の左側、
① 最上段「アニメーション/映画制作」
・セル画、撮影用カメラ、作業机、鉛筆を走らせる制作者など、ソーホーの映像・アニメ産業を
 象徴。
・壁に貼られたラフスケッチや、机上の小道具(ウサギ等)は、CM・短編・実験アニメの盛んな
 制作現場を暗示。
・ソーホーは長年、ポストプロダクション(編集/音響/VFX)のメッカで、広告・MV・映画の
 拠点が集中。
②中段「衣装・舞台芸術・デザイン」
・緞帳(どんちょう)や布地、ボディ(トルソー)、マイクや照明、人物スケッチ等が見え、
 仕立屋・衣装部・舞台美術の町としての顔を強調。
・ソーホーには歴史的に衣装店・小規模アトリエが多く、演劇・TV・映画のコスチューム
 供給地として機能。
・周囲の象徴図像(メダルや道具)は、職人技と表現産業の近接を示す。
③ 下段「ベリック・ストリート・マーケットと“食”の多文化」
・びっしり描かれた野菜・果物のレリーフ、露店、食卓、調理風景。中央のテーブルには
 ユニオンジャックのモザイク=多文化が“食卓”で交わることの比喩。
・Berwick Street Market はソーホーの生活文化の核。移民コミュニティの台所を支え、
 カフェ/デリ/屋台が混在して独特の日常風景を作る。
・下縁のパンや野菜のタイル帯は、市場→街→人へ循環する活力のメタファー。
ビートルズとの関わり
・映像制作:ソーホーのTV/映像拠点が、ビートルズのTV露出やプロモ映像を支えた。
・衣装・デザイン:カーナビー周辺の衣装文化が、彼らのビジュアル戦略
 (衣装・写真・ジャケット)に直結。
・多文化と場:ベリック・ストリートの市場/カフェ文化と近隣スタジオが、制作・交流の
 土壌を提供。
要するに、
ソーホーは「映像」「装い」「場づくり」の三位一体で、ビートルズの表現力と発信力を押し上げた
ということであろう。

Spirit of Soho | Art UK



Broadwick Street(ブロードウィック・ストリート)
のサイン。
場所は Soho(ソーホー)地区の中心 で、音楽史やカルチャーにとって非常に重要な通り。
・Broadwick Street, Soho, London W1
 ・行政区:City of Westminster(ウェストミンスター区)
 ・郵便区域:「W1」はロンドン中心の高級商業・文化エリア
        (Mayfair, Soho, Fitzroviaなど)を示す郵便コード。



Broadwick Street の地下トイレ跡(現在は閉鎖中)を再び説明。
ソーホー地区はビートルズが若い頃に頻繁に出入りしていた場所で、Broadwick Street の
このトイレや周辺は 当時のカルチャーやアンダーグラウンド文化の象徴 としてこのツアーに
組み込まれていたのであろう。



これは ビートルズのアルバム 『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(1967年)
の有名なジャケット写真。



下記写真はネットから。
ジャケットの特徴
・デザイン:ポップアーティストのピーター・ブレイクとジャン・ホーソン。
 撮影はマイケル・クーパー。
・コンセプト:架空の“ブラスバンドの記念写真”。色鮮やかな軍楽隊風コスチューム、
 巨大なバスドラム、観客=歴史上の著名人たちの等身大カットアウトを並べ、立体の
 セットを組んでスタジオで撮影。
・フラワーパワー全盛のサイケデリックな雰囲気を持ち、ビートルズの「変身バンド 
 (架空のバンド)」というコンセプトを表現。
背景には歴史上・文化上の著名人がコラージュされており、総勢70人以上の人物 が登場します。
・前面の花壇に「BEATLES」の文字が花で描かれています。

UKオリジナル】The Beatles/ Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band/Parlophone/ PCS  7027/KT刻印/初期プレス/両面マト1

そして カーナビー・ストリート(Carnaby Street) に入って。 「Carnaby Street」の
ゲートアーチ
が前方に。
Carnaby Street(カーナビー・ストリート)
・場所: ロンドン・ソーホー地区。
・歴史: 1960年代「スウィンギング・ロンドン」の中心地。ファッションや音楽の最先端を担い、   若者文化の象徴となりました。
・ビートルズとの関わり:
 ・ビートルズ自身もこの界隈のブティックやクラブに出入りしていました。
 ・特に彼らの音楽仲間や、同時代のローリング・ストーンズ、フー、キンクスといった
     バンドもこの通りのカルチャーに深く関わっています。
 ・「Apple Boutique」(ビートルズが経営した店)は少し離れた場所(ベイカー・ストリート
     近く)にありましたが、同じく「音楽とファッションの融合」を目指した店づくりで、
   カーナビー・ストリートの流れと共鳴していました。



ガイドが「TIME誌の表紙」を。
・見出し: 「LONDON: The Swinging City」
・発行: 1966年4月15日号・特集内容: 1960年代半ばのロンドン、
   特にソーホーやカーナビー・ストリートを中心とした 
 「スウィンギング・ロンドン(Swinging London)」カルチャーを世界に紹介。



ネットから。
1966年4月15日号のTIME誌、表紙を飾った
Swinging London(スウィンギング・ロンドン) 」特集
・イラスト:
 ・ 背景には ビッグ・ベン、ユニオンジャック
 ・カラフルな若者たちのファッション(チェッカーパターン、ミニスカートなど)。
 ・「BINGO」「DISCOTHEQ」「CAFE」「Join the Tea Set」など、当時のソーホーや
      カーナビー・ストリートの看板を模したポップアート風描写。
 ・右下には THE WHO の文字(ユニオンジャック柄のサングラスをした若者が象徴)。
 ・ロンドンの若者文化(ファッション、音楽、ナイトライフ、クラブ文化)がぎっしり
      詰め込まれています。
・ビートルズとの関わり
 ・この特集が出た 1966年4月は、ビートルズがすでに世界的人気を確立しつつ、同時に
      音楽的に大きな転換期を迎えていた時期です。
  ・翌5月に「リボルバー」のレコーディング開始。
  ・同年8月に最後のツアーを終え、スタジオワークに専念。
 ・TIME誌の特集では、直接ビートルズの写真が表紙に出たわけではありませんが,
      彼らが築いたカルチャーと一体となった“Swinging London”全体を紹介する大きな役割を
      果たしました。
この号はアメリカをはじめ世界中で読まれ、「ロンドン=若者文化の最先端」「音楽・ファッション・
アートの発信地」というイメージを一気に広めたのであった。



Carnaby Street(カーナビー・ストリート) にあるシューズショップ 「OFFICE」 の店舗。
店舗外壁右上に小さく「CARNABY STREET」と書かれていて、観光客に分かりやすい
フォトスポット。



ズームして。



ロンドン・ソーホーの Carnaby Street(カーナビー・ストリート) の街路標識。



Carnaby Street(カーナビー・ストリート)入口のアーチゲート



WELCOME TO CARNABY STREET 」と書かれたこのゲートは、ソーホー地区のランドマーク
であり、観光客の撮影スポットとしても有名。
カーナビー・ストリートの歴史とビートルズとの関わり
・1960年代の「Swinging London」の中心地
 カーナビー・ストリートは、モッズやヒッピー、サイケデリックなどのファッション発信地で、
   若者文化の象徴でした。
 ビートルズ、ローリング・ストーンズ、フー(The Who)、キンクスなど多くのミュージシャン
   が訪れたことでも知られています。
・ビートルズの足跡
 ビートルズは頻繁にこのエリアを訪れ、衣装や舞台衣装を揃えました。特にジョン・レノンと
   ポール・マッカートニーは、革新的なファッションを求めてカーナビーのブティックに
   通っていたと言われています。
・当時の有名ブティック
 ・Lord John(カラフルなスーツで有名)
 ・Granny Takes a Trip(サイケデリックファッションの代表格)
 ・I Was Lord Kitchener’s Valet(軍服をリメイクした衣装を販売、
      ロックミュージシャン御用達)



アーチゲートをくぐってすぐに見えるパブ(The Shakespeare’s Head) の角を見る。
Carnaby Street(カーナビー・ストリート)の北側の入口付近
建物と現在の姿
・赤レンガに白い石を縁取ったゴシック風の建物で、ソーホーらしい雰囲気を残しています。
・1階部分に入っているのは 「The Shakespeare’s Head」パブ。名前の通りシェイクスピアを
  冠した伝統的な英国パブ。
・入口の上には、シェイクスピアの胸像が飾られていて、観光客に人気の撮影スポットに
   なっていた。



Shakespeare’s Head(シェイクスピアズ・ヘッド)パブ の全景
・シェイクスピアの看板
 正面に掲げられている大きなパブサインは、シェイクスピアの肖像(マーティン・
 ドレッシュアウトによる有名な版画を元にしたデザイン)。
・等身大の胸像
 建物の角上部に取り付けられた胸像は、シェイクスピアが通りを見下ろす姿。
 案内板にも書かれていたとおり、爆撃で片手が失われていた。
・案内板(赤いパネル)
 「1735年に建設されたこと、シェイクスピアの遠縁による所有、周辺の歴史、爆撃で
 片手が失われた胸像の逸話」などが書かれていた。

Shakespeare's Head | Tony Siino | Flickr

シェイクスピアが通りを見下ろす姿 をズームして。
・像の特徴:
 ・青いルネサンス風の服装
 ・顎に手を置き、物思いにふけるようなポーズ
 ・窓枠に身を乗り出す構図で、まるで通行人を見下ろしているようにデザイン

像は「羽ペン(quill)」や「巻物(manuscript)」を手にしていたと考えられていると。
「第二次世界大戦中に近くに爆弾が落ち、その衝撃で右手が破壊された」とあった(下記)が
その真偽はいかに??

Shakespeare's Head : London Remembers, Aiming to capture all memorials in  London

SHAKESPEARE’S HEAD
The Shakespeare’s Head, which was built in 1735, was 
originally owned by Thomas & John Shakespeare, who were 
distant relatives of the poet. 
In its early days, the tavern stood on the boundary line that 
divided the lands of the Mercers Company from those of the 
Abbot of Abingdon, and nearby was a small estate known as Six 
Acre Fields. During the Victorian period, the field was a site of the 
riding school, belonging to Major Henry Foubert, whose name is 
commemorated by neighbouring Foubert Place. 
The present day Shakespeare’s Head overlooks Carnaby Street which 
was once the site of an 18th century street market and is now one 
of the world’s most famous shopping precincts. 
Dominating its northern end is the pub inn sign, which is a 
reproduction of Martin Droeshout’s portrait of Shakespeare 
when the poet was at the pinnacle of genius. 
On another part of the building is Shakespeare’s life size 
bust, which appears to be gazing down at the busy 
street below. A close examination of the bust will 
show one of the poet’s hands is missing. This 
occurred during World War II when a 
bomb dropped nearby.」 

シェイクスピアズ・ヘッド
シェイクスピアズ・ヘッドは1735年に建てられ、もともとは詩人シェイクスピアの遠縁にあたる
トーマスとジョン・シェイクスピアが所有していました。
創建当初、この酒場はマーサーズ・カンパニーの土地とアビンドン修道院長の土地を分ける
境界線上にあり、近くには「シックス・エーカー・フィールズ」と呼ばれる小さな地所が
ありました。ヴィクトリア朝時代には、この地はメジャー・ヘンリー・フーベールが経営する
乗馬学校の敷地となり、隣接するフーベール・プレイスという地名にその名が残されています。
現在のシェイクスピアズ・ヘッドはカーナビー・ストリートに面しており、この通りはかつて
18世紀のストリートマーケットが開かれていた場所で、今では世界で最も有名な
ショッピング街のひとつになっています。
建物の北側を飾るパブの看板は、マーティン・ドレッシュアウトによるシェイクスピアの
肖像画を再現したもので、詩人が才能の頂点にあった時期の姿を描いています。
さらに建物の別の場所には等身大のシェイクスピア像があり、忙しい通りを見下ろしている
ように配置されています。この胸像をよく観察すると、詩人の片手が欠けていることに気づき
ますが、これは第二次世界大戦中に近くに爆弾が落ちた際に損傷したものです。】



ロンドン・パラディウム(The London Palladium)。 こちらはロンドン・ソーホー地区に
ある有名な劇場 ロンドン・パラディウム。1906年に開場し、ヴォードヴィルやミュージカル、
コンサートなど、100年以上にわたり世界的スターが舞台に立ってきた由緒ある会場である と。



正面から。
ビートルズとロンドン・パラディウム
・1963年10月13日、ビートルズがこの劇場の人気番組 「サンデー・ナイト・アット・ザ・
 ロンドン・パラディウム」 に出演しました。
・この放送は全国に生中継され、視聴者は1500万人以上。
・番組をきっかけに、翌日から英国中で「ビートルマニア(Beatlemania)」という言葉が
 新聞の見出しに踊りました。
・つまり、ここは ビートルズが全国的な大スターへと飛躍する転機となった場所と言えるのだ。



Great Marlborough Street(グレート・マールボロー・ストリート) を歩く。
この通りはロンドンのソーホーとメイフェアの境界近くを走る重要な道で、
有名な カーナビー・ストリート のすぐ北側を東西に伸びていた。
・EMI本社(後のAbbey Road Studiosの親会社) がこの通りに位置しており、  
 ビートルズのレコード制作に大きく関わった と。
・また、 この界隈は1960年代「Swinging London」を象徴するエリアの一つで、ビートルズを  
 はじめとしたアーティストやファッション関係者が集う拠点 であったのだ。



Great Marlborough Street(グレート・マールボロー・ストリート)から
東方向 (オックスフォード・サーカス方面)を望む
・ 右側(白い石造りの建物)
 ・クラシックな銀行建築のような荘厳な造りで、現在はオフィスやショップが入っている。
 ・この通り(Great Marlborough Street)は、カーナビー・ストリートのすぐ北を並行して
  走っており、買い物客や観光客が多いエリア。
・ ビートルズとの関わり
 リバティ百貨店は、ビートルズのメンバー(特にジョン・レノンとポール・マッカートニー)
 が衣装や雑貨を購入した場所として知られている。
 サイケデリック時代のファッションの影響を強く受けた彼らは、リバティの鮮やかな柄物や
 個性的なデザインを取り入れていた と。



・左側(黒と白の木組み風の建物)
 ・これは Liberty London(リバティ百貨店)。
 ・1875年創業の老舗デパートで、チューダー様式の木組み建築が印象的。
 ・1960年代の「Swinging London」時代には、ミック・ジャガーやジョン・レノン、
  ビートルズ関係者などが訪れたファッション拠点でもあった と。
 ・「リバティ・プリント」と呼ばれる花柄や幾何学模様の生地は、ビートルズ世代の
  ファッションにも影響を与えた。



ズームして。



Argyll St(アーガイル・ストリート) の角の建物は大規模工事中。
足場パイプの多さ、複雑さにビックリ!!
地震の少ない国ではの姿、強風では心配!!



Argyll St(アーガイル・ストリート)にあったのが Marugame Udon(丸亀製麺)ロンドン店
日本発の讃岐うどんチェーン「丸亀製麺(Marugame Udon)」のロンドン店舗
看板には 「 Japanese Noodles & Tempura 」 とあり、うどんと天ぷらを中心に提供 と。
・ロンドンでは2021年頃から展開を本格化し、特にソーホーやカーナビー・ストリート周辺の
 観光・商業エリアに出店。
・日本と同様に「セルフスタイル」でうどんを選び、天ぷらやおにぎりなどをトレイに取って
 会計する形式。
・ロンドンでも人気が高く、ランチタイムには列ができることが多いのだ と。



右手にあったのが The London Palladium(ロンドン・パラディウム劇場)
・ロンドンの ウエスト・エンド(West End) を代表する劇場のひとつ。
・1910年に開館し、エドワード様式のファサードが特徴的。
・外観は列柱とバルコニーを備えた古典的な意匠で、今日でもロンドンのランドマーク的存在。



見上げて。「 PALLADIUM 」と。
・「パラディウム(Palladium)」とは、女神アテナ像のことで、都市を守護する聖なる守り
 神像を指す。
London Palladium(ロンドン・パラディウム)
・ロンドンのウエスト・エンドにある有名な劇場。1910年開場。
・1920年代〜60年代にかけて「ヴァラエティ(音楽・コメディ・レビュー)」の殿堂として
 名を馳せ、エルヴィス・プレスリーやビートルズも出演しました。
・特にビートルズは1963年10月13日の出演が「Beatlemania(ビートルズ熱狂現象)」を
 全国に広めたきっかけとして知られている。



この写真は、この発言は、1966年3月にイギリスの新聞 Evening Standard に掲載された
モーリーン・クリーヴのインタビュー記事で語られた内容の一部です。その中でジョンは、
「キリスト教は衰退しつつある」「ビートルズは今やイエスより人気がある」といった趣旨の
発言をしていました。イギリスでは大きな問題になりませんでしたが、アメリカで
「Datebook」誌 がこの発言を取り上げたことで大炎上。南部を中心に「ビートルズの
レコード焼き討ち」や「放送禁止運動」が広がり、最終的にジョンはアメリカで謝罪会見を
開くことになりました。にビートルズが ロンドン・パラディウム に出演した際の有名な場面を
写したもの と。
・ビートルズは ITV のテレビ番組 『Sunday Night at the London Palladium』 に出演。
・出演後、劇場前に大勢の若者やファンが殺到し、ものすごい熱狂状態に。
・この模様をマスコミが「 ビートルマニア (Beatlemania) 」と呼んだのが、世界的に使われる
 ようになった最初のきっかけ と。



この写真はビートルズとジャーナリスト・モーリーン・クリーヴ(Maureen Cleave) が一緒に
写っている有名な1枚 と。
モーリーン・クリーヴが真ん中に座り、その周囲を4人のビートルズが囲んで談笑 しているシーン。
・モーリーン・クリーヴは 『イブニング・スタンダード』紙 の音楽記者で、1960年代の
 ロンドン音楽シーンを積極的に取材した。
・彼女はビートルズとも親しく、インタビューを通して人間的な素顔を引き出したことで
 知られている。
・特に 1966年3月4日付のインタビュー記事 で、ジョン・レノンが
 「キリストよりビートルズのほうが人気がある」と語ったことが後に
 「ビートルズ宗教発言騒動」につながり、アメリカで大きな論争を 巻き起こした と。



ガイドが掲げているのは 雑誌 「Datebook」(アメリカのティーン向け雑誌)
表紙には ジョン・レノン が大きく写され、これはまさに 「宗教発言騒動」の渦中にあった 時期を
象徴する表紙
なのであった と。



・1966年8月号に、ジョン・レノンの「キリストより人気がある」発言を引用した記事が
 掲載され、これがアメリカでの大騒動を引き起こした と。・もともと発言はイギリスの
 『イブニング・スタンダード』紙でモーリーン・クリーヴが行ったインタビューの一部で
 あったが、Datebookがこれをセンセーショナルに取り上げたことで 誤解が広がり、
 ・南部でのビートルズ・レコード焼き討ち
 ・公演のキャンセル騒動
 ・ジョン・レノンの謝罪会見(シカゴ、1966年8月)  などへと発展したとの説明が。



ネットから。
JOHN LENNON: "I don't know which will go first—rock'n'roll or Christianity!" 」 
ジョン・レノン:
 「ロックンロールとキリスト教、どちらが先に消えてしまうのか、僕には分からない!」 】と。
・この発言は、1966年3月にイギリスの新聞 Evening Standard に掲載された モーリーン・
 クリーヴのインタビュー記事で語られた内容の一部。
・その中でジョンは、
 ・「キリスト教は衰退しつつある」
 ・「ビートルズは今やイエスより人気がある」といった趣旨の発言をした。
・イギリスでは大きな問題になりませんでしたが、アメリカで 「Datebook」誌 がこの発言を
 取り上げたことで大炎上。
・南部を中心に「ビートルズのレコード焼き討ち」や「放送禁止運動」が広がり、最終的に
 ジョンはアメリカで謝罪会見を開くことになったのだ と。

JOHN LENNON -

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Last updated  2025.10.14 23:05:03
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