inti-solのブログ

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2011.01.30
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テーマ: フルート(668)
カテゴリ: 音楽
今日は、某ペルー料理店でキラ・ウィルカの練習でした。昨日の記事に書いたように、メンバの一人が病欠だったので、4人編成でしたが、私が笛を吹く曲は、ギターを抜きにして演奏しました。

前回の練習から2週間しか経っていないせいか、ずいぶん演奏の出来が良かった。私自身の体調も良かったのかな、サンポーニャが結構よく鳴りました。
今のところ、3月上旬に、某ペルー料理店でライブをやる、という予定になっています。まだ、正確な日程は決まっていませんが、決まったら、このブログでも告知します。

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ところで、話は変わりますが、笛を吹くと、程度の差はあれ、クラクラしますね。私は、ケーナでは基本的にはそれほどクラクラしません。ただ、今使っているケーナは以前のケーナより太いので、ケーナを替えた当初は、ちょっとクラクラしました。今も、長い曲で、高音が連続するような場合はクラクラします。

フルートは、ケーナより管体が長いので息もより多く必要で、クラクラしやすいように思います。私はケーナの息の量が感覚として染みついているので、フルートだと自分で狙った息継ぎの場所まで息が続かない、ということがよくあります。ケーナだったらここまで息が届くので、同じ感覚でフルートを吹くと、その手前で息が足りなくなるわけです。
ただ、フルートも気がつけば、吹き始めてもうじき4年になります。最近、以前ほどには「クラクラ」を感じなくなってきたような気がします。単に「クラクラ」の状態に慣れただけかも知れませんが。
しかし、なんと言っても一番キツイ笛は、サンポーニャです。おそらく笛類の中でもサンポーニャ(パンパイプ類)は、息を音に変換する効率がもっとも悪い楽器だろうと思います。そのため、息継ぎの頻度が非常に高い。ケーナと比べると、同じフレーズを吹くにも、遙かに多くの息継ぎが必要です。

※ただし、ケーナは高音ほど大量の息(正確には高速な息の流速)が必要なのに対し、サンポーニャは低音ほど大量の息が必要なので、高音ではそれほど違いが出ない場合もあります。



さて、あの笛を吹くとクラクラする現象は、いったい何でしょうか。

私が尊敬するジャーナリストの一人である朝日新聞記者伊藤千尋氏の「太陽の汗、月の涙」という著書の中で、「ボリビアのペーニャ(音楽喫茶)に行くと、3000mの高地でサンポーニャを吹いている演奏家は、まるで酸欠になりそうだ」という趣旨のことが書いてあったように記憶しています。(手元に現物がないので、おぼろげな記憶を頼りに書いています)
その当時(1990年頃)は、私もまだ音楽歴も非常に浅かったので、なるほど、笛を吹いてクラクラするのは酸欠のせいか、と思った覚えがあります。

で、改めて「笛・酸欠」で検索してみると、やはり非常に多くの方が、笛を吹くと酸欠になってクラクラすると思っていらっしゃるようです。

でも、私はサンポーニャを吹き始めてしばらくたってから気がついたのですが、笛を吹くとクラクラする症状というのは、実は酸欠ではなさそうです。伊藤千尋氏は尊敬するジャーナリストですが、ご自身が演奏をされるわけではないでしょうからね。
単純に考えて、笛を吹くときの息継ぎというのは、かなりの深呼吸です。演奏以外で、あんな深い呼吸をするのは激しい運動をしたときだけでしょう。笛を吹くことも、激しい運動と言えなくはないけれど、マラソンなどの持久運動とはちょっと違い、体が深呼吸を欲しているわけではありません。
何よりも、息継ぎの間隔が長いケーナより、息継ぎの間隔の短いサンポーニャの方がクラクラするという事実が、クラクラの原因は酸欠ではないことを強く示唆しているように思うのです。また、2001年にボリビアに行ったとき、海抜4000mのエル・アルトでサンポーニャを吹く機会がありました。クラクラの原因が酸欠なら、こんな高度で笛を吹いたら猛烈にきついはずですが、このときサンポーニャを吹くことが平地よりきつかったという記憶は一切ありません。まったく平地と同様に吹けました。

では、あのクラクラの原因は、いったい何でしょう。おそらく酸欠の正反対の原因ではないかと思うのです。つまり、過呼吸症候群です。
昔、コンサートで、観客が熱狂したあまり失神する出来事が頻発したことがあります。あれが過呼吸症候群です。興奮して息が早くなる(=息の量が増える)、「キャーキャー」と叫んだりすることで、更に息の量が増える(笛と同じで、大声を出すときも大量の息が必要)ことで、体が必要とするより多くの酸素を体内に取り込んでしまった結果、意識が朦朧となってしまうわけです。笛を吹いているときも、おそらくはそれと同じ状態でしょう。

人間は、酸素がなければ生きることができないのに、酸素が多すぎてもまた問題を生じる。人間(いや、生物)と酸素の関係というのは、実に不思議なものです。

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もともと、最初の生物が誕生した当時の地球には酸素はなく、その当時の生物はすべて嫌気性の微生物でした。地球の生物の歴史の半分以上は、無酸素状態で生きる嫌気性生物の歴史だったのです。
しかし、今から二十数億年前に、光合成を行うもっとも原始的な生物(シアノバクテリア)が誕生します。それ以来十数億年の時間をかけて、酸素という猛毒物質が大気中に蓄積されていきました。その結果、ある時期を境に、嫌気性生物は大気に身をさらしては生きることが出来なくなります。そして、酸素という猛毒物質を体内に取り込んでエネルギーに変えるという、革命的な大変化をおこなった生物(真核生物)が主流になる。我々人間もその一員ですね。

酸素をエネルギーとして利用する機能は、細胞内のミトコンドリアが担っています。ところが、このミトコンドリアは元をただすと別の生物だったというのだから驚きです。真核生物の遠いご先祖様は、ミトコンドリアという別の生物を体内に取り込んで、両者の共生によって、酸素という猛毒物質を御する技を身につけたわけです。だから、生殖細胞のDNAとは別に、ミトコンドリアにもDNAがあるわけです。もともと別の生物だったから。
まさしく生命の神秘です。

だけどやっぱり、根っこの部分では、生物にとって酸素は毒物。だから、必要以上の酸素を取り込むと、体が変調を来すわけです。なければ困るけれど多すぎても困る、自然の摂理とは、複雑にして微妙にできているなあと思います。





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最終更新日  2011.01.30 21:31:36
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