inti-solのブログ

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2011.05.31
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カテゴリ: 音楽
地震の2週間ほど後に、福島県川俣町の「コスキン・エン・ハポンのことを 記事に書いた ことがあります。その後、川俣町の一部(イベントの会場となる中央公民館の付近ではありませんが)が放射能により計画避難区域となってしまいました。
その時点で、中央公民館も利用できない状態(地震による損傷か、避難所となっているせいかは分かりませんが)と鳴っていました。

ところが、本日、川俣町のコスキン・エン・ハポン開催事務局より、今年のコスキン・エン・ハポンの開催要項が送られてきました。
そう、今年のコスキン・エン・ハポンです。日程は10月8日から10日まで。場所は例年の川俣町中央公民館。

今年はどう考えても開催不能だろうなと思っていたので、開催することにびっくりです。
開催するからには応援します。最後に行ったのが2000年ですが、11年ぶりに今年行こうかと検討中です。
もっとも、残念ながら私の参加するグループは、コスキンに行く予定がないので、「演奏してくる」のは無理。見学に行くだけですけれど。(行くと、演奏下見なってしまうのは確実ですけどね)見学だけだと、宿が取れないので、行くとしたら日帰りかな。日帰りなら申し込みも予約も何もいらないですから。(でも、どこか、私を混ぜてくれるグループがあれば・・・・・・)
放射能のことは大いに気になりますが、そこは覚悟を決めます(笑)。まあ日帰りなら「ただちに健康への被害はない」でしょう。(こう書くと、かなり危なそうな気がするのですが)


しかし、よく考えると10月8日は相棒の誕生日で9日は子どもの誕生日。まさかこの2日間に妻子を見捨てて川俣に行くわけにはいかないので、行くとしたら最終日の10日ですね。

一昨年のコスキン・エン・ハポンでの演奏より


アルゼンチンのロックシンガー、レオン・ヒエコの名曲「Solo le pido a dios(ただ神に祈ることは)」。
私自身も演奏した(歌った)ことのある曲ですが、このグループの演奏は私より上手い。

ただ神に祈ることは、
痛みに対して無関心でいたくないということ。
充分頑張ったという思いを抱くこともなく、
乾ききった死を迎えたくはない、ということ

ただ神に祈ることは、
不正に対して無関心でいたくないということ。
かぎ爪で傷つけられる運命の上に、


ただ神に祈ることは、
戦争に対して無関心でいたくないということ。
それは、貧しく無実の人々を踏みつける、
巨大な化け物だから。

ただ神に祈ることは、

裏切り者が何をやっても、
それを容易に忘れ去ったりはしないということ。

ただ神に祈ることは
未来に対して無関心でいたくないということ。
たとえ絶望しても、前に進まなくては。
別の新しい文化の中で生き続けるために。

ただ神に祈ることは、
戦争に対して無関心でいたくないということ。
それは、貧しく無実の人々を踏みつける、
巨大な化け物だから。
-----

マルビナス戦争(フォークランド戦争)の際に反戦歌として人気を得た曲ですが、元々はアルゼンチンの軍政への抵抗歌です。しかし、改めて歌詞を見ると、今の日本にとっても、いろいろな意味で暗示的な歌詞だと思います。まるで福島のことを念頭に置いて作られた歌詞であるかのような・・・・・・。





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最終更新日  2011.06.01 21:32:56
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