inti-solのブログ

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2014.01.08
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テーマ: ニュース(95880)
カテゴリ: 医療・衛生
ベルギー最高齢アスリートが安楽死、シャンパンで乾杯して旅立つ


フラマン語の現地日刊紙ヘット・ラーツテ・ニウスによると、パウウェルスさんは6日、「後悔はしていないし、死への恐怖感はまったくない。わたしの人生の中で最高のパーティーだ。友人全員に囲まれて、シャンパンと共に消えていくのが嫌だなんて人がいるかい? 」と語った。「注射薬を持って医師が来たとき、わたしは満たされた人生を送ったと思いながら、この世を去る」
パウウェルスさんは末期の胃がんのため、この数か月間は寝たきりになっていた。昨年3月に行われた高齢者欧州選手権の屋内60メートル走で優勝したのが、アスリートとして残した最後の大きな成績だった。
ベルギーでは2002年に安楽死が合法化され、12年には1432件が報告された。現在は安楽死の対象を、12歳を超える子供にも拡大することが検討されている。

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私の父は、膀胱ガンが最後は全身に転移して、亡くなる前の1ヶ月あまりは、そりゃもう本当に大変でした。ガンもいろいろで、それほど苦しまずに亡くなる方もいるようで、医師には「死ぬならガンで死ぬのが良い」と言う方もいるそうですが、私の父の場合は、本当に苦しんで苦しんで、苦しみぬいて死んだ。
いろいろな鎮痛剤や、おそらく麻薬の類の痛み止めも使ったはずです。でも、苦しみから解放されることはなかった。一時は利いても、だんだん利かなくなる。
苦しみぬいて生還できるならともかく、末期がんの場合、苦しみぬいた挙句、その先には死しか待っていません。同じ死ぬなら、こんなに長く苦しみたくない、早く殺してくれ、と父が思ったかどうかは分かりませんが、口に出してそんなことをいうことはありませんでした。もっとも、最後は、譫妄(ガンによる、ある種の認知症的な状態)が出て、正常な判断力はなくなっていましたが。若い頃はとてつもなく頭の良かった父だけに、その最後の姿はなんとも・・・・・・。

四十数年の結婚生活で、楽しいことも大変なことも随分いっぱいあったのに、母は、夫のことで何気なく思い出してしまうのは、いつも最後の苦しんでいた姿ばかり、と言っていたことがあります。
父の闘病生活は1年ちょっとでしたが、本格的にどうにもならなくなったのは、再発が分かって以降の最後の1ヶ月でした。1ヶ月だったから、まだ何とかなったけれど、あの苦しみが更に何ヶ月も続いたとしたら、本人もさることながら、周りの負担も限界だったかもしれません。母は病院に何回も泊り込んだりしていましたが、そのとき70歳でしたから、よく体力が保ったものと思います。
幸い、あれから約5年、母は今も元気ですけどね。

安楽死は、日本ではまったく認められていません。医の倫理とか、「厄介な患者」に死を強要しかねない可能性とか、いろいろと問題があるのは分かります。ただ、私も父の死の直前の姿を見て、これほど苦しみぬいている父が、その状態のままで生きながらえてほしいとは、さすがに思いませんでした。それは生者の都合であって、死に行くものがどう考えているかは分からないけれど、いかに考えても、あの状態で生きていることが本人にとって苦痛以外のものであるとは思えませんでした。
でも、日本ではまだまだ安楽死というのは社会的な合意が得られないのでしょうかね。






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最終更新日  2014.01.09 00:21:53
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