inti-solのブログ

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2014.01.23
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カテゴリ: その他
実は、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を見ました。



以下、ネタバレですが、そもそも竹取物語の筋と結末は、誰でも知っていて、話の筋はまったく原作どおりなので、ネタバレもなにもありませんね。
もっとも、童話としてのかぐや姫はともかく、「竹取物語」をちゃんと読んだことはなくて、細部はうろ覚えで「こんな話だったっけ」というところもありました。

いやー、切なかった。ひょっとしたら、目の付け所がずれているかもしれないけど、うちの子が新生児のときのこと、3歳くらい、5歳くらいのときのことを思い出してしまった。何だか、物語の中の他人の子どもに見えなかったのです。
実に、子どものことをよく観察している。翁が「都に出る」と言い出すあたりが、ちょうど今のうちの子くらいの年でしょうか。

一番最後、月からの使者がかぐや姫を迎えに来るシーンはグッときました。(ここを詳細に説明すると、本当に未見の人へのネタバレになってしまうので、避けますが、月からの使者によって皆が眠らされそうになった一瞬、あるきっかけで翁と媼が意識を取り戻して、かぐや姫に駆け寄る、そのあたりが、実にもう、泣かせどころを計算していたのかって感じです)
将来うちの子が独立して家を出て行くとき、こういう気持ちになるのかな、なんて思いました。かぐや姫と違って、二度と戻ってこないわけじゃないし、記憶を失うわけでもないけど。
子どもを、家族を大切にしなくちゃ、なんて思ってしまいました。まあ、今でも大切にしているけど。
月からの使者がやってくる場面の音楽が、ある意味ではとてもミスマッチなのですが、強い印象を残します。高畑監督は、あえて感情をかきたてる音楽は排したそうです。「月の世界は悩みも悲しみもない、だから悲しげな音楽はいらない」というような趣旨(手元にソースがないのでうろ覚えですが)のことを書いています。




上記はニコニコ動画からの引用ですが、YouTubeには映画で使われたBGMそのものはアップされていないようです。その代わり、ピアノで弾いた動画が見つかりました。ピアノだけで聞くと、意外にも宗教的な印象を受けます。(私は、ですよ。他の人がどう感じるかは分かりませんが)



白地の多い背景も、最初ちょっと違和感を感じたけど、しばらく見ていると、逆に味があるという気になりました。

ネット上で評価を見ると、酷評している人も少なくないようです。確かに、エンターティメント性は乏しいかもしれない。子どもが見て楽しめる作品ではないかもしれませんし、私のように、自分の子どもと重ね合わせて見てしまうのと、子どもになんか興味がない人が見るのでは、感じ方が違うのかもしれません。前述の、クライマックスシーンの音楽も、評価は分かれるようで、あの場面であの音楽はわけが分からない、という感想も聞きました。
でも、私にとっては、かなり記憶に残る傑作です。

かぐや姫の罪と罰、というのが話題になっているようで、キャッチフレーズになっていた割に、何が罪と罰だったのか、よく分からない、という意見もあるようです。私は事前情報ゼロで見に行ったので、罪と罰がキャッチフレーズになっていること自体知らなかったのですが、月に帰ると、地球でのことは楽しかったこともつらかった事もすべて忘れさせられてしまうというのは、それ以上ないくらい残酷な罰だと、私は思いましたね。すべての記憶を失うというのは、事実上死と同じことです。

人生には楽しいこともつらいこともある、よいものも悪いものも、清らかなものも汚らわしいものもある、それが人生であり、生きるに値するものだ、と、高畑監督がそう訴えたかったのかどうかは分かりませんが、私がこの作品から感じたメッセージはそんな感じでした。

それにしても、です。お歯黒や黛を嫌がり、上流階級の公達と、姿も見ないうちに結婚を決めることを嫌がるかぐや姫の考え方は、一見すると現代的な解釈に感じられますが、実はそうではないようです。原作でも

かぐや姫は「よくもあらぬかたちを、深き心も知らで、あだ心つきなば、のち悔しきこともあるべきを、と思ふばかりなり。世のかしこき人なりとも、深き志を知らでは、あひがたしと思ふ」(美男子でもなく、本音も知らないまま、浮気でもされたら後で後悔するだろうと思います。恐れ多い人といえども、本音を知らなければ結婚などできません)と言い、それに対して翁は「思ひのごとくも、のたまふものかな。」(本音をズケズケいう人だ)と応える。

というやりとりがあります。
ということは、です。男と女の関係についての考え方は、少なくとも本音の部分では、1000年前も現在もたいして変わらない、ということなのでしょう。建前は違うかもしれないけれど、一皮剥けば中身は同じ、ということです。そして、当時の人もそれを当然のごとく認識していたのでしょう。そりゃそうです。男女の関係というのは、社会情勢とか思想などによって多少左右される部分はあるにしても、本質的には、そう変わるものではないでしょうから。

竹取物語のことなんて、今まで真剣に調べたこともありませんでしたが、この作品から興味をもって、調べてみました。日本最古の物語、とされていますが、その原点は現存していないそうです。ただ、10世紀に書かれた、ほかの文献に「竹取物語」への言及があることから、少なくともそれ以前には世に出ていたことは確かで、遅くとも10世紀半ば、おそらくは890年代頃に書かれたものと推定されているそうです。

物語の中でコケにされる5人の公達のうち3人(阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂)は実在の人物であり、車持皇子は藤原不比等、石作皇子は多治比嶋をモデルにしているといわれます。中でも藤原不比等の車持皇子は、蓬莱の玉の枝の偽者を作った挙句、その代金を踏み倒す、一番卑劣な人物として描かれていること(原作では、さらに卑劣なことをやっていますが、高畑監督は、そこまでは描いていません)から、作者は藤原摂関政治に対してかなり反体制的な考え方の持ち主と推定されているようです。

月から来たかぐや姫、なのですから、よく考えてみれば物語の元祖であるとともに、SFの元祖とも言えるかもしれません。そして、いかにもな科学技術の結晶である宇宙船で宇宙人が飛来するSF小説や映画より、かぐや姫を迎えに来た一行の方が、「異世界からの使者」という印象を強く与える気もします。

宮崎駿の「風立ちぬ」も素晴らしかったけど、「風立ちぬ」と「かぐや姫の物語」のどちらを選ぶかと言われたら(もちろん、どちらも選びたい)、私はかぐや姫をとります。





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最終更新日  2014.01.25 10:39:12
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