inti-solのブログ

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2015.03.22
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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: 戦争と平和
稲田朋美・自民党政調会長「慰安婦の次はぜひ『百人斬り報道』の訂正を」「首相70年談話は何も心配ない」

百人斬りは東京日日新聞(現毎日新聞)の浅海一男記者の創作記事であり、日本刀を持った将校2人の写真を撮った元同紙カメラマン、佐藤振壽さんも「あれは戦意高揚のための記事で、あり得ない話」と言い続けていた。
百人斬りが嘘であることはもう決着がついたと思っていたが、いまだに中国の抗日記念館で展示されたり、日本の学校で先生が教えたりしている。そこで元将校の遺族が平成15年に「虚偽報道で名誉毀損された」と朝日、毎日両紙などを訴え、私が主任弁護士を務めた。ところが両紙は虚偽を認めず、朝日は裁判の中で「百人斬りは捕虜虐殺競争だった」と主張し、新たな名誉毀損すら行った。両紙には虚偽を認めてほしい。
私が中国で講演した際、南京大虐殺記念館の百人斬り競争の記事写真の展示について「なぜ撤去しないのか」と問うたら「これはあなたの国の新聞が書いたことです」と言われた。朝日、毎日両紙が嘘だと認めていないのに、なぜ撤去しなくてはいけないのかという反応。
毎日新聞は昭和史年鑑『昭和史全記録』に「百人斬りは事実無根」と書いているのに、裁判では「それは執筆者の個人的見解であって社の見解ではない」と認めない。さらには「新聞に真実を報道する法的義務はない」とまで言い切った。
結局、判決文では1審が百人斬りについて「疑問の余地がないわけではない」とした部分を、2審では「信じることはできず、甚だ疑わしいものと考えるのが合理的」と変更したけれど、「全くの虚偽であると認めることはできない」と遺族の訴えを退けた。
でも、全くの虚偽といえるものなんて普通はない。「なかったこと」の証明はできないから。
裁判所としては、ほとんど嘘だということは分かっていても、公式に虚偽と認めるには勇気が必要なことだったんでしょう。
だって南京事件の象徴って、この百人斬り競争しかない。これを除いたら、誰も南京事件の実行犯っていない。裁判所には、そういう南京事件における象徴的な人物というか、実行犯の記事を虚偽だと認定する勇気がなかった。だから、判決理由で「信じることはできない」と判断しながら、名誉毀損は認めないことにしたのだろうと思う。(要旨・以下略)

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例によって、自民党内極右勢力の代表格が御用新聞にお決まりの意見を開陳しています。まさしく歴史修正主義そのものです。私は、この百人斬り裁判には多少かかわりのあった人間で、話の前後関係を知っているので、この、事実の断片を適当につなぎ合わせてでたらめな結論を導き出す、稲田の言い分にはまったく腹が立ちます。

「東京日日新聞の浅海一男記者の創作記事」とありますが、それはまったくのウソです。
「あれは戦意高揚のための記事で、あり得ない話」と言ったという佐藤振壽元カメラマンは、裁判の原告側証人として出廷しています。確かに佐藤氏は、自身の主観としては、百人斬り競争なんてウソと考えていたようです。ただし、彼は「競争」の現場に立ち会ったわけではなく、ただその話を本人たちから聞いて写真を撮っただけですから、それはあくまでも「主観」「想像」の範疇です。彼が裁判で証言した「事実」は、この話は2人の少尉自身から聞いた話を記事にした、ということです。
聞くところによると、原告側は佐藤証人が法廷で「百人斬りなんてウソだ」という趣旨の「意見」を述べただけで大喜びしてしまい、「話は2人の少尉から直接聞いた」という「証言」で決定的に不利になったことに気付いている風がなかった、という話です。
判決においても、この件は

本件日日記事第四報に掲載された写真を撮影した佐藤記者は,本件日日記事の執筆自体には関与していないところ,「週刊新潮」昭和47年7月29日号の記事以来,当法廷における証言に至るまで,両少尉から直接「百人斬り競争」を始める旨の話を聞いたと一貫して供述しており,この供述は,当時の従軍メモを基に記憶喚起されたものである点にかんがみても,直ちにその信用性を否定し難いものである

と指摘されています。
つまり、仮に百人斬りが創作だったとするなら、その創作を行ったのは2人の少尉たち自身であって、新聞記者ではない、ということです。それを「浅海一男記者の創作記事であり」などというのは、それこそ浅海記者に対する名誉毀損でしょう。

「朝日は裁判の中で百人斬りは捕虜虐殺競争だったと主張し」ともあります。これだけ読むと、まるで裁判になったら唐突に捕虜虐殺競争だったと言い分を変えたかのように読めてしまいます。もちろん、そんなことはありません。歴史に埋もれていた百人斬り競争の事実が再び世に知られるようになったのは、本多勝一記者の「中国の旅」によってですが、「中国の旅」が世に出た直後から、イザヤ・ペンダサンこと山本七平とこの件で論争が生じており、その論争の中で、百人斬り競争の実態が捕虜を切る競争だった実態が、後に少尉のうちの一人から直接話を聞いた方の証言によって明らかになっています。裁判より30年も前のことです。



更に、当時2人の少尉と同じ部隊にいた望月五三郎氏が

このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。野田少尉は見習士官として第11中隊に赴任し我々の教官であった。少尉に任官し大隊副官として、行軍中は馬にまたがり、配下中隊の命令伝達に奔走していた。
この人が百人斬りの勇士とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。
「おい望月あこ(あそこ)にいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。
一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。
戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの理由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。
その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。
両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦闘中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。
この残虐行為を何故、英雄と評価し宣伝したのであらうか。マスコミは最前線にいながら、支那兵と支那農民をぼかして報道したものであり、報道部の検閲を通過して国内に報道されたものであるところに意義がある。


という手記を残していることが、裁判の中で明らかになっています。ちなみに、この手記は、靖国神社内の偕行文庫に寄贈され、そこに保管されていたものです。

で、稲田は、二審の判決文が百人斬りについて「信じることはできず、甚だ疑わしいものと考えるのが合理的」と書いていると主張しています。
実際の判決文は、こう書いてあります。

当時の戦闘の実態や両少尉の軍隊における任務,1本の日本刀の剛性ないし近代戦争における戦闘武器としての有用性等に照らしても、本件日日記事にある「百人斬り競争」の実体及びその殺傷数について、同記事の内容を信じることはできないのであって、同記事の「百人斬り」の戦闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である。
しかしながら、その競争の内実が本件日日記事の内容とは異なるものであったとしても、次の諸点に照らせば、両少尉が,南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては、「百人斬り競争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず、本件日日記事の「百人斬り競争」を新聞記者の創作記事であり、全くの虚偽であると認めることはできないというべきである。


稲田は、この「しかしながら」以下の部分に頬かむりして、都合のよい部分だけを切り取って、勝った勝ったと言っているだけです。
この判決文を普通に読めば、要するに当時新聞報道された百人斬り競争には誇張も水増しも相当あっただろうけど、いろいろな証拠から考えて、それに類する行為はあったでしょ、という意味にしか読み取れません。
そもそも、百人斬りが本当に戦闘行動中に敵兵を斬ったものなら、戦争犯罪になるわけがなく(敵の戦闘機を100機撃墜したエースパイロットが戦犯にはなりませんね、それと同じこと)、2人の少尉が戦犯として訴追されたのは、そもそも最初からそんなのは捕虜・非戦闘員の殺害しかありえないと分かっていたからでしょう。

だいたい、記事を取消せというのは何の記事を取消せということか。毎日新聞に取消せというんだから、1937年当時の記事ということです。それなら、ミッドウェー海戦日本勝利の報道も、ガダルカナル島で作戦目的を達成して「転進」も、台湾沖航空戦大勝利も、みんな取り消し報道をしなければなりません。朝日毎日だけではなく、当時から存続しているすべての新聞がです。それらの公式発表がウソまたは事実誤認だったことは、今では誰でも知っていることですが、新聞が太平洋戦争について「自らの報道を」個別具体的に公式に訂正したことはないんじゃないでしょうか。総論としての訂正と謝罪は戦後行った新聞もあるでしょうが。

「南京事件の象徴って、この百人斬り競争しかない。これを除いたら、誰も南京事件の実行犯っていない。」
いやー、南京事件は、少なくとも万の単位の犠牲者が出た虐殺事件です。百人斬りは(「戦果」が報道のとおりだったとしても)犠牲者200人です。南京事件の巨大な犠牲の、ごくごく一部を占めるに過ぎない話です。それ以外にも、南京大虐殺に関しては、多くの証言、記録が残っています。

いずれにしても、いかにも歴史修正主義者らしい言い分というものです。でも、産経の読者は、こういう見え透いたウソに、コロッとだまされて「百人斬りなんて捏造だ」「南京大虐殺もウソだ」と思い込んでしまうんでしょうね。人は、自らが信じたいと思うことを信じる生き物ですからね。





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最終更新日  2015.03.23 07:05:45
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