明治の産業遺産の登録決定 「徴用工」表現、日韓が合意 ドイツ・ボンで開かれているユネスコの世界遺産委員会は5日、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を全会一致で世界文化遺産に登録することを決めた。一部の炭鉱などで植民地時代に朝鮮半島出身者が動員された「徴用工」の説明をめぐって日韓が対立していたが、合意にこぎつけた。 審議では、日韓それぞれが英語で発言。日本側は徴用工について、1940年代に「その意思に反して(against their will)」一部資産に連れて来られ、「厳しい環境で働かされた(forced to work under harsh conditions)」と言及。「犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む」と表明した。 ---
政府声明「強制労働の存在認めていない」…外相 岸田外相は7日の記者会見で、世界文化遺産に登録される「明治日本の産業革命遺産」に関する政府声明について、「強制労働があったと認めるものではない」と述べた。 声明には、一部施設で戦時中、朝鮮半島出身者らについて「forced to work(働かされた)」と盛り込まれ、韓国内で「日本が譲歩した」との見方が出ている。岸田氏は「当時、国民徴用令に基づく徴用が行われたことを記述したもので、何ら新しい内容を含んでいない」とも語った。 ---
どうも、私には、岸田外相の言い分(というより、従来の日本政府の公式見解)は、ごまかしがあるように思うのです。 「国民徴用令に基づく徴用」を英語で表記したら「forced to work against their will」となったわけです。ところが、その英語訳を日本語に戻せば「意思に反して労働を強いられる」つまり「強制労働」になるのです。ということは、「国民徴用令に基づく徴用」の実態は強制労働そのものだった、ということでしょう。 実際問題として、「徴用」の実態がほぼ強制労働であったことは歴然としています。というと、ネトウヨ系連中は、「宿舎があった」とか「給料を支払った」とか、「日本人も徴用の対象だった」とか叫ぶのですが、世界史的に見れば、給料をもらう奴隷などいくらでも例がありますし、もちろん宿舎だってありました。給料をもらえば強制労働ではない、などという理屈は成り立ちません。 日本人も徴用の対象だったといいますが、本質的にいえば、もちろん日本人の徴用だって強制連行のようなものでしょう。勤労動員で軍需工場などに駆り出された中学生などの、過酷な経験はよく聞きます。私の父も、敗戦時小学校4年生でしたが、学童疎開先で勤労奉仕はやらされていたようです。 ただ、日本人にとっては、太平洋戦争は「自分たちの戦争」だったから、徴用でひどい目にあった人でも、それを「強制連行」とまでは表現しないだけです。独立を奪われて日本の戦争に参加させられた朝鮮人にとって、太平洋戦争は「自分たちの戦争」であるはずがなく、徴用を「強制連行」と表現することに遠慮があるはずがない。 また、日本本土で、基本的には自宅または疎開先の近辺での動員された日本人と、海を越えて日本まで連れてこられた朝鮮人(もちろん、全員が日本に連れてこられたわけではないが)では、過酷さにおいて同等とはいえないでしょう。