inti-solのブログ

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2015.07.23
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カテゴリ: 戦争と平和
「憲法に守られた平和」という幻想 葛城奈海


回答を男女別で見ると、女性は6.6%と男性3.3%の倍であった。これで思い出したのが、自衛官募集担当者の「安保法制論議の影響で、志願者が激減している」という言葉だ。母親たちが「危ないから」と止めるらしい。
国会での自衛官の危険が増す云々の議論も、むなしさを禁じ得ない。そもそも事に臨んでは危険を顧みず国民を守ると宣誓しているのが自衛官だ。だからこそ尊いのだ。より重く論じられるべきはむしろ国民の安全であるはずだ。
多くの国民が長く「憲法に守られた平和」という幻想に陥ってきた中、その欺瞞を骨身にしみて感じてきたのが拉致被害者のご家族であろう。(以下略)

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葛城奈海というのは、典型的なネトウヨ系女子ライターのようです。侵略を受けたら一切抵抗しない、という回答が5.1%ということは、かなりの少数派というのが現実ですが、そのたった5%の存在が許せないと吹き上がっています。じゃあ何%なら満足なんでしょうかね。

もし、日本が外国の侵略を受けたらどうする、というのは、実はかなり奥の深い問題提起です。それに対する回答は、一様ではないのも当然です。例えば、「大東亜戦争は正義の戦争だった」と思っている人たちの視点で見れば、敗戦とは鬼畜米英に膝を屈した時であり、進駐軍(占領軍)に従った日本人は、みんな侵略者への協力者、ということになるかもしれません。その伝で言えば、戦後の日本人はみんな売国奴、ということになるかもしれません。
実際のところ、日本国内ではともかく、南方戦線やでは、先に捕虜となった将兵や民間人の中から、米軍に協力する者もいて、まだ降伏しない日本兵との間で殺し合いにまで発展した例もあったように聞きます。ブラジルの勝ち組、負け組なども同様でしょう。

では、日本が敗戦を拒否してあくまでも戦い続けていたら、どうなっていたでしょうか。史実以上の焦土と化して、まさに破滅的結末となったでしょう。あるいは敗戦後に日本国内では抗戦を継続するゲリラ部隊が一定規模で存在し続けたら、戦後日本の史実のような復興があり得たか、というのはいささか疑問です。
強制収容、拷問、虐殺、それらはなぜ起こるのか。紛争があるから起こるのです。侵略軍に対して武力で抵抗すれば、それに対する反作用として生じるのです。ただただ這いつくばって屈服すれば、命まではとられません。

もちろん、国家としては、外国の侵略を受けたら実力でそれを排除する、という選択しかないでしょう。戦わずに屈服する、という選択肢はない。しかし、国家が敗れ去ったり、自分の住む土地が占領されたりした場合に、一人ひとりの市民がどういう選択肢を取るのか、取るべきかは、一概には言えません。

侵略に対して一人ひとりが武力で立ち向かう、というのは、とるべき選択肢の一つではあると私も思います。が、同様に、立ち向かわない、協力はしないが、柳に風と受け流して嵐が過ぎ去るのを待つ、というのもまた、選択肢の一つではあるのです。
実際のところ、歴史的に見ても、戦場となった土地の住民の多くは、そうやって戦争をやり過ごしています。ナチス占領下のフランスやソ連だって、みんながみんな侵略軍に対するレジスタンスに身を投じたわけでもありません。割合からいえばむしろ、這いつくばって嵐が過ぎるのを待った住民のほうが圧倒的に多かったはずです。それこそ、生き残るための生活の知恵というものです。

「外国が侵略したら服従する、という人が5%もいる、怪しからん、想像力が足りない、キーッ」と吹きあがっているこの執筆者自身のほうが、よほど想像力が足りていないのです。

抵抗するのと無抵抗を貫くのと(あるいはその中間を選ぶのと)、長い目で見てどちらが有利なのかは、神ならぬ人間には判断のつかないことです。それぞれが、正しいと信じた手段を選ぶしかありませんし、自分と異なる手段を選んだ人を非難したって始まらないのです。

もっとも、現実には、日本が外国から侵略を受ける可能性は極めて低いし、尖閣諸島などの無人島を除けば「起こり得ない」と言っても過言ではないと思いますが。

ついでに、「そもそも事に臨んでは危険を顧みず国民を守ると宣誓しているのが自衛官だ。だからこそ尊いのだ。」だそうですが、宣誓することと実際に行動することでは、相当の落差があります。就職のためにとりあえず宣誓した人もいれば、自衛隊に入って勤続何十年で昔の気持ちなんて忘れちゃった、という人もいるはずです。宣誓だけを金科玉条のように考えていると、現実を見誤るでしょう。
確実に言えることは、「宣誓をしているから危険に晒してよい」というものではない、ということです。

「多くの国民が長く『憲法に守られた平和』という幻想に陥ってきた中、その欺瞞を骨身にしみて感じてきたのが拉致被害者のご家族であろう。」との言い分ですが、憲法9条がなかったとしても、拉致被害は起こったでしょう。なぜなら、憲法第9条のない多くの国々でも、北朝鮮による拉致の被害は発生しているからです。そして、日本が憲法第9条を捨てたら、拉致被害者どころではない、もっと多くの犠牲者が戦争によって生じていたことは間違いありません。





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最終更新日  2015.07.23 20:19:02
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