inti-solのブログ

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2016.02.09
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テーマ: ニュース(95876)
カテゴリ: その他
日本の少子化は「人災」だった(下)
 戦後70年、いまだGHQの呪縛 戦前は近隣諸国との出生率競争


なぜ未婚・晩婚は進んだのだろうか。ここにも占領期にGHQが仕掛けた「人口戦」の影が及んでいる。
日本人の結婚や出産に対する価値観を決定的に変えたのは、日本国憲法で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」とした24条だ。
戦時中の「家制度」の下では、結婚は家と家の結びつきであり、戸主が結婚相手を決めることに疑問を持つ者は少なかった。
ところが、憲法24条によって誰と結婚するかが個人の判断となると、「結婚しない自由」が当然のように語られるようになり、行き過ぎた個人主義ともつながった。家族を「個人」の集合体と考える人たちの登場は、現在の未婚・晩婚と無関係ではなく、少子化にもつながっている。
こうした価値観の変化は戦時中の「産めよ殖やせよ」政策への批判にもつながった。国民の反発を恐れた国会議員や官僚は、出生数減の危機を知りながら結婚や出産の奨励政策に及び腰となり、少子化対策は後手に回ったのである。
「産めよ殖やせよ」政策といえば、一般的に国防国家体制を確立するための兵力や労働力の確保策と説明される。
だが、この「産めよ殖やせよ」政策は、戦前にあった「もう一つの人口戦」の影響を強く受けていたことはあまり知られていない。近隣諸国との出生率をめぐる戦いである。
実は、戦前の日本も少子化に悩んでいた。人口1千人あたりの出生率は1920年の36・2をピークに、1939年は26・6に落ち込むなど長期下落傾向を示していたのだ。
人口が基礎国力であり、人口差がそのまま国防上の危機に直結した時代である。「産めよ殖やせよ」には兵士確保策としての目的はもちろんのこと、日本人口の減少に伴い近隣諸国に国力で負けることへの政府の危機感があったのだ。~
日本は戦後70年を経てもなお、GHQの仕掛けた「人口戦」の呪縛にある。時代背景は大きく異なるが、人口大国の中国の隣にあって人口が減っていく。それは戦時中の政府が“脅威”として受け止めていた状況を想起させる。
「少子高齢化に歯止めをかけ、50年後も人口1億人を維持する」。昨年9月、自民党総裁選に再選された安倍晋三首相は記者会見で、歴代政権が避け続けてきた人口の数字目標を明確に掲げた。
戦時中の人口学者は当時の少子化を指して「日本民族の老衰と衰亡」と訴えたが、一刻も早く現在の少子化の流れを断ちきらなければ、日本人は“絶滅”の危機を脱することはできない。

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昨日、産経新聞の「人口戦」という記事を紹介しましたが、その続編です。いやー、いかにも産経新聞、こういう新聞だと分かってはいたけれど、さすがにその化石のような価値観には唖然とさせられます。

戦時中の「家制度」の下では、結婚は家と家の結びつきであり、戸主が結婚相手を決めることに疑問を持つ者は少なかった。ところが、憲法24条によって誰と結婚するかが個人の判断となると、「結婚しない自由」が当然のように語られるようになり、行き過ぎた個人主義ともつながった。

というあたりは、いかにも産経が考えそうな、時代錯誤の復古主義イデオロギー丸出しの主張です。では、もし1946年に遡って、旧憲法のまま「結婚は家と家の結びつき、個人主義などとんでもない」という価値観を維持し続けたら、出生率は維持できたのでしょうか?

否です。諸外国の例を見ても、家族とか結婚に関して古い価値観に基づく制度に固執している国が、高い出生率を維持している、なんて事実はありません。そもそも、憲法第24条がなかったとしても、経済成長とともに「家制度」なんてものは、否応なく形骸化していかざるを得なかったでしょう。経済は高度成長を遂げたのに、社会や家族のあり方は古い体質のまま、なんてことが起こり得るわけがないのです。

この記事は一方では「少子化はGHQのせいだ!!!」と叫びながら、同じ記事の中で、戦前の日本も、1920年をピークとして1939年まで出生率が下がり続けていた事実を認めています。戦前の日本はGHQが統治していたんでしょうか?もちろん違いますね。それでも、戦前も出生率が下がり続けていた。つまり出生率低下とGHQには関連はない、ということです。

この記事では、戦前の数字は人口当たりの出生率しか示されておらず、一人の女性が生涯に何人の子どもを産むかを示す、合計特殊出生率は示されていません。戦前には、合計特殊出生率の統計は取られておらず、断片的に一部の年度の数字しか分かっていないためです。

Shirouma-daisekkei.jpg

グラフは こちらのサイト から引用しました。
実際には、戦前戦中は、1925年、1930年、1935年、1937年から40年までの合計特殊出生率しか分かっていません。ただ、大雑把な傾向は分かると思います。


で、そういう戦争の影響を除いて、1925年から35年までの曲線を、そのまま延長していけばどうなるでしょう。おおむね第二次ベビーブームのあたりで、現実のグラフとほぼ重なり合うのではないでしょうか?
つまり、この100年近くの傾向を全体としてみれば、むしろ漸減傾向こそが正常であり、太平洋戦争とその反動の第1次ベビーブームの時代が異常だっただけ、ということです。そこを無理矢理昔に戻そうというのは、時計の針を逆回転させようとするのようなものです。そんなことが出来るわけがない。
なお、参考までに、出生率は減っている一方、乳幼児の死亡率もまた下がっています。1920年の乳児死亡率は出生1000人当たり170人、つまり赤ん坊の6人弱に1人は亡くなっていました。それが1940年には100を切っています。つまり死亡は10人に1人以下に減りました。戦後第1次ベビーブームの頃には更に減って60人前後、第2次ベビーブーム頃は10人を少し超える程度で、今は2人強。したがって、出生率の低下ほど子ども(乳児期を生き延びた)の数が減ったわけではありません。

「戦前は近隣諸国との出生率競争」とありますが、だから今も近隣国と出生率競争をすべきだ、とでも思っているのでしょうか。馬鹿馬鹿しい限りですが、だとしたら安心していい。昨日の記事に書いたように、韓国も中国も(台湾と香港も)合計特殊出生率は日本より下です(中国の公式発表数値は日本より高いけれど、いくつかの情報から、実際には日本より低いことが明らかになっています)。ロシアは日本よりわずかに高いものの大差はない、似たり寄ったりです。

まあ、それにしても、産経のトンデモ記事列伝にまた新たな1ページが刻まれたな、という感じです。





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最終更新日  2016.02.10 00:37:19
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