inti-solのブログ

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2016.02.26
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カテゴリ: 政治
岐阜大が国歌斉唱しない方針 馳文科相「恥ずかしい」


馳氏は21日、金沢市内での講演で「岐阜大学の学長が国歌を斉唱しないと記者会見した」と指摘。その後、記者団に「(下村氏の要請は)大学の自主的な活動についてああしろ、こうしろと言うものでもない。学長が(斉唱しないことに)言及することはちょっと恥ずかしい」と語った。

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「(下村氏の要請は)大学の自主的な活動についてああしろ、こうしろと言うものでもない。学長が(斉唱しないことに)言及することはちょっと恥ずかしい」
何やら禅問答のような不可解な言い方です。「大学の自主的な活動についてああしろ、こうしろと言うものでもない。」というけれど、文科相という立場(当時)にある人間が、大学の自主的な活動について、「要請」をするというのは、「ああしろ、こうしろと言う」以外の何物でもありません。それに対して「斉唱しない」と言及することが「ちょっと恥ずかしい」のだというなら、そもそも法的に何の定めもないことについて「要請」という名で実質強制することは、その何倍も「恥ずかしいこと」です。

要するに、すべての装飾を剥ぎ取って言えば、「税金を出しているんだから政府のいうことを聞け」ということです。しかし、その政府のいうことに、法的な根拠は何もありません。いかなる法律にも、大学の入学式、卒業式に君が代斉唱を行わなければならないことを定めた条項などありません。残念ながら、小学校から高校までは、学習指導要領に定められている(私は、そんなことを定めるのには反対ですが)のですが、大学についてはそのような定めはありません。
逆に、日本国憲法は第23条に学問の自由を掲げています。また、それに基づいて(明文の規定はないけれど)大学の自治という考え方も確立しています。
だから、文科相は「要請」というあいまいな言い方をしたわけです。強制する権限は何もないことを知っているから、命令だの指示だのはできないわけです。だけど、いってみればヤクザの脅しと同じで、「要請」という言葉で、その裏では逆らったらタダじゃ済まさないぞ、というわけです。

税金を使って運営されているから政府のいうことを聞け、というのは、きわめて尊大な言い分と思えます。それは、逆に言えば、もしも自民党が下野したら、大学(に限らず公的機関一般)は時の政権の主義主張の意に忠実であれ、ということです。仮に共産党政権になったら、卒業式には「インターナショナルを歌え」という「要請」が全国の大学に押し付けられても、それは当然のことだ、ということになります。
そういえば、かつて1970年代、社共共闘の全盛期、「市役所赤旗論」といって、「共産党推薦の市長なんか当選させて、市役所に赤旗が翻っていいのか」という、ほとんど論理もへったくれもない主張を自民党陣営が掲げることが多々ありました。

※ 実際には、共産党が与党となった自治体で、役所に赤旗が翻った、なんて例は、当然のことながらおそらくただの一度も起こったことはありません。


そのうち、自民党は学習指導要領を大学まで拡大しようとするかも知れませんね。あるいは、明文の規定が存在しないのをいいことに、大学の自治を否定する挙に出るかもしれません。大学の自治なんてものは学問の自由とは関係ないのだ、くらいのことは言い出しかねません。





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最終更新日  2016.02.27 10:06:53
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