inti-solのブログ

inti-solのブログ

2016.10.27
XML
カテゴリ: 災害
「津波襲来予見できた」大川小犠牲、学校に過失
東日本大震災の津波で犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の児童23人の遺族らが市と県を相手取り、計23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は26日、市と県に対し、計約14億2658万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
高宮健二裁判長は、当時、市の広報車が高台への避難を呼びかけていたことなどから、現場にいた教員らには「津波が襲来することを予見し、認識できた」とした上で、すぐそばの裏山へ避難させずに児童らを死なせた過失があったと認定した。
訴えていたのは、死亡・行方不明となった児童23人の遺族ら29人。判決によると、地震発生後、教員らの指示で児童は校庭に避難した。児童らは校庭に待機後、約150メートル離れた交差点付近の「三角地帯」と呼ばれる北上川堤防近くの高台への移動を開始。川をさかのぼった津波が堤防を越え、移動開始直後に巻き込まれた。児童74人、教職員10人の計84人が死亡・行方不明となり、当時学校にいて助かったのは児童4人と教員1人だった。

---

この一件は、犠牲になったのがもっばら子どもたちばかりだったこと、行動が誤っていなければ充分救えたはずの命だったこと、などの点から、東日本大震災の2万人近い犠牲者の中でも、もっとも痛ましい出来事であるように思えます。
地震発生の2時46分から津波の来襲まで、40分か50分の時間があったにもかかわらず、避難するかどうか、避難するとして、目の前の裏山に逃げるか、北上川沿いの堤防(いわゆる三角地帯)に逃げるかで教員の間で意見がまとまらず、やっとまとまったときには津波来襲直前、しかも、目の前の裏山ではなく、三角地帯に向かった結果、全員が波に飲まれて、児童78人中74人、教員11人中10人が亡くなる(行方不明含)という、無残な結果となりました。

この悲劇をめぐっては、いろいろな背景が説明されています。小学校は海岸線から4kmも離れており、当時の津波予想ハザードマップではそこまで津波が来るとは予想されていなかったこと、そのため小学校自体が避難所に指定されていたこと、その避難所が危険になった場合、次はどこに逃げるのかは決められていなかったこと、しかし学校自体が2階建てで高さも10mに満たず、屋上もなかったこと、運の悪いことに、当日学校の最高責任者である学校長が不在で(自身のお子さんの卒業式出席のため休暇を取っていたと報じられています)、決定権のある人がいなかったこと、などです。
確かに、津波の際の避難所に指定されていた公共施設自体が水没して、避難者に多くの犠牲が出た事例は、他にもありました。また、学校長も人間である以上、地震の発生を予知できるはずもなく、社会生活上必要な休暇を取ることが責められるはずもありません。

ただ、この小学校は、海抜高度がほぼ0mの位置にあるそうです。そして、当時「6mの津波」という警報が発せられていました。ハザードマップの記述がどうあれ、近隣住民や保護者には「津波は学校まで来る」と思った人も少なくなかったようです。 こちらの記事 によれば子どもを引き取りに来た母親の一人は

「2時40分ごろに学校に着いたのですが、間もなく巨大な揺れが襲ってきました。2時50分ごろ、先生と児童が次々と校庭に出てきて、間もなく点呼を取り始めました。このとき、先生数人が円形に向き合って話し合っていました。『6mだってよ』とか『10mか?』などと男の先生の声が聞こえてきました。『帰っていいですか』と先生たちに尋ねて、子供を親に引き渡す際の『受け渡し書』に署名をした後、一年生の友達も乗せてあげて3人で急いで逃げました」

と証言しているので、教員たちも津波の予想高さについての認識はあったようです。一方、やはり子どもを引き取った別の母親は

「地震の揺れが尋常ではなかったので、すぐに自宅を出発し、道路の亀裂を避けながら走って、3時少し前になんとか学校に辿り着きました。学校はまだ落ち着いた様子でしたが、校庭にいた娘は恐怖で泣いていました」
道すがら聴いていた車のラジオでは、大津波の襲来を伝えていた。近くにいた担任教員に「6mの津波が来ます。逃げてください」と裏山を指差して促した。だが、担任は「落ち着いてください」と言うばかりで、行動を起こそうとはしなかった。
 結局、担任に「周りの子が動揺するので、先に連れて帰ってください」と言われたので、3時5分ごろ、来た道とは別のルートを通って10分ほどかけて北上川沿いの自宅に帰った。


と証言しています。

また、東日本在震災で津波に飲まれた学校は多数あるものの、児童・生徒に多くの犠牲者を出してしまった学校が大川小だけだったそうです。
これらのことから考えて、やはり地震の後、津波が来ることが予見不可能だった、被害が不可抗力だったとは言い難いでしょう。

前述の記事の証言によれば、教員の中にも「裏山に逃げる」という意見はあったようです。が、倒木や雪があって危険、登れない子どももいるかも、という否定意見が出て、全体の意見にはならなかったようです。議論は紛糾して、結論は遅れに遅れた挙句、北上川の堤防(三角地帯)に避難するという最悪の選択に至りました。彼らはその避難場所に着く前に津波に飲まれたのですが、着いていたとしても結果は変わりません。三角地帯も完全に水没したそうですから。

刻々と津波が迫る中、40分以上の時間を空費した挙句、間違った結論を出したことは、最悪というしかありません。ただ、それが人間のもつ抗し難い性質の一つであることも事実です。
津波警報が出ているけれど、本当に津波は来るのか、来ないんじゃないか、そう思った(あるいは思いたかった)から、一刻を争うという危機感が乏しかった。津波が来たらみんな飲まれて死ぬ、という、あまりに深刻すぎて想像もしたくないような危険性に実感がなく、子どもを裏山に避難させても結局は津波は来ず、けが人でも出たら、後で保護者からクレームが、というような「より身近に感じられる」危険性が判断を左右した、案外そんな心理だったのではないでしょうか。ある種の条件下では誰もが陥る可能性のある、心理的陥穽でしょう。

教員の誰か一人でも、冗談じゃない、こんな議論をしている場合か、うちのクラスだけで裏山に逃げるぞ、と啖呵を切って単独行動に出れば、つられて動く他の教員や子どもも現れて、半分くらい助かったのでは、とも思うのですが、そうやって単独行動に出た挙句に津波が来なかったら後が怖いと思って動けなかったのかもしれません。
いざというときに、やり直しのきかない、一度限りの行動を間違えずに行うことって、当たり前のように見えて、実は結構難しいことです。

いずれにしても、法的責任がどうであれ、賠償額がどうであれ、予見可能性があったにしてもなかったにしても、手順を間違えなければ失われないで済んだ多くの命が失われたのは歴然たる事実です。次に同じことがおきたときに、手順を間違えないための検証は必要でしょう。

私が個人的にこの一件から汲み取ったのは、

避難マニュアルやハザードマップは参考にするにしても、そこに書いていないことも起こり、書いていない場所にも被害が及ぶことも当然あると認識すべき
避難はとにかく時間が命

群集心理、他人に流されるのではなく、自分が危険と判断したら、せめて自分自身とその影響力が及ぶ範囲だけでも、ただちに行動すべき

といったところです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016.10.27 19:44:45
コメント(5) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: