inti-solのブログ

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2017.10.07
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スペイン、カタルーニャ負傷者に謝罪 双方に歩み寄りの兆し


この問題は欧州の不安定化を招く恐れもある政治対立に発展しつつあるが、6日になって、双方に身を引く用意がある可能性を示す兆しが、初めて見え始めた。
カタルーニャ自治州を激しく批判してきた中央政府は、住民投票で負傷者が出たことは遺憾だとし、危機を収束させるための措置として、同自治州での地方選挙の実施を提案した。
一方、カタルーニャのプチデモン州首相に近い同州政府閣僚のビラ氏も、ラジオ局Rac1に対し、中央政府によるさらなる締め付けを避けるために「停戦」を検討することも可能だと述べた。
しかしスペインの経済界と中央政府はカタルーニャ自治州に対し経済的な圧力をかけ続けており、これまで同州を拠点としていたエネルギー企業ガス・ナトゥラルやサバデル銀行、カイシャバンクといった大企業が法人登記を州外に移転する方針を発表した。
同州自治政府の指導者の一部は、9日の州議会本会議での独立宣言採択を期待しているが、州首相府報道官によるとプチデモン州首相は議会出席を延期し、時間を稼いで緊張緩和に努める姿勢を見せた。同氏が議会でどのような発言を行う予定だったかは不明だ。

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日本の政治情勢も緊迫していますが、スペインの政治情勢も緊迫しています。
カタルニアの独立そのものについては、なかなか一筋縄ではいかない問題をはらんでいます。カタルニアは歴史的に見て、政治的にはスペイン中央政府から弾圧されていたけれど、経済的にはスペインの中ではもっとも豊かな地域です。だから、独立してもやっていける、というより、俺たちが払った税金が南のアンダルシアなどの貧しい地域に使われるのはごめんだ-的な金持ちの論理がなくはない。だから、スペインのほかの地域や中南米から出稼ぎに来ている人たちは独立運動に対して冷淡、という側面もあるようです。いくら経済的にはスペインの最先進地域と言っても、独立して経済的にやっていけるのか、という問題はついて回るでしょう。加盟各国内部の分離独立問題を恐れるEUは、カタルニアが独立してもEUに加盟させないかも知れません。ただし、経済的な面で見ると、スペインは莫大な対外債務を抱えており、ギリシャのような経済危機が発生したときに、一蓮托生でカタルニアまでひっくり返るのはたまらない、ということもまた、カタルニア独立運動の盛り上がりの一因としてあるでしょう。

各政党の賛否を見ると、カタロニアの地域政党は当然独立賛成(急進的、穏健的の差はあります)。全国政党では、新興左派政党のPODEMOSと、旧来の共産党を中心とする統一左翼連合(IU)は、独立への賛否は不明確ながら独立投票は支持、保守派の国民党(PP)と、自称中道左派、実態は中道右派の新興政党シウダダノスは独立投票反対。社会労働党(PSOE)も、党中央は独立反対ですが、カタロニア支部に相当するカタルニア社会党からは造反があるようです。

独立投票は3年前にも行われているのですが、今回は州首相が、独立が多数を取れば独立宣言を発すると言っていることから、緊迫した動きになっています。
投票自体は、独立賛成が9割を占めたようですが、投票率は43%といいます。独立反対派は反対票を投じるのではなく棄権を選んだようです。

この問題を知るには、現在のニュースを読むだけでは不十分で、過去の歴史的経緯も知る必要があります。
スコットランドや沖縄がそうであったように、カタルニアももともとは独立国でした。おおよそ10世紀頃に実質的な独立国としてもカタルニア君主国が成立し、1492年コロンブスが米大陸に到達したその年、カスティーリャ王国と合同しています。(1492年というのはスペインにとっては歴史の転換点となる年で、まず8世紀頃からイベリア半島に侵入したイスラム教徒による国土支配を完全に駆逐した年であり、その余勢をかってポルトガル王国以外の現在のスペインの領域の諸王国が合併したのもこの年であり、また中南米の植民地支配の端緒となったコロンブスの新大陸「発見」もこの年でした)
その後もカタルニアは独自の言語(カタルニア語)と法律をもつ実質的な半独立国として続いていったものの、その自治権は次第に浸食されて行きます。


この内戦の際、人民戦線側を熱烈に支持したのが、カタロニアとバスク、それに南部のアンダルシアでした。カタルニアとバスクが人民戦線を支持したのは、自治権拡大への期待からです。そのため、内戦に勝った後のフランコによるカタロニアとバスクへの報復は熾烈を極めます。カタルニアの自治権は完全に剥奪され、カタルニア語も弾圧されます。カタロニア語を口にしてよいのは家の中だけ、公務員が職場でカタロニア語を口にしたら解雇、というほどのすさまじい弾圧だったのです。

フランコの死後、カタルニアの自治権は次第に回復され、特にカタルニア語の地位は著しく回復しました。現在ではカタルニア語、ガリシア語(ほぼポルトガル語)、バスク語は、スペイン語と並んでスペインの公用語と位置付けられていますが、このような歴史的経緯があるため、フランコ時代に学校教育を受けた人たち(現在では50代以上)は、カタルニア語で会話は出来るけれど読み書きは出来ない例が多いといいます。(なお、カタルニアでも学校教育でスペイン語は教えているので、カタルニアでもスペイン語はまったく問題なく通用します-という話を聞いています。行ったことはないですけど)

とはいえ、フランコ時代の弾圧の記憶は、カタルニアの歴史に深く刻まれています。
で、そのフランコ時代の独裁政党ファランヘ党が衣替えをしてできたのが国民党(PP)であり、現在のラホイ首相はそのPPの出身です。つまり、フランコ派の後継政党がカタルニアに対する血の弾圧を再びやった、ということになるわけです。このことは、カタルニアの独立意識を刺激することはあっても、沈静化にはまったくつながらないでしょう。
フランコ死後、穏健保守党化したように見せかけていたPPの本性は、やっぱりフランコと同じじゃないか、と思った人は多いのではないかと思われます。したがって、警官隊を派遣して投票箱を押収して投票を阻止しようとしたやり方は、まったくの悪手としか思えません。





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最終更新日  2017.12.09 11:11:21
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