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我が社、我が社、俺は、俺は
と、言葉の頭に主語を、必ずもっていく人をよく見かける。
私は、「ああこれは危ないな」と思う。
この仕事に入って30年余、そうした人、そうした企業の行き着くところ
を見てきたからである。
理由は簡単である。人、企業、すべからく一人では生きられない。
にもかかわらず、孤立化の戦略を採っているからである。
たとえば、これまでの中国などへの海外進出は、
おおかた労働力(安さ)を求めてのものである。
かりに協力工場と謳っていたにしろ製造部門、
それも実態は下請け(隷属)化しているといえる。
かりに進出した日本側がそう思わなくとも、相手の国、
ここでは中国国民の人たちがそう思っていたとしたら、同じこと。
日本の大手企業のとりわけ年配経営者の「国際化思考」には、
日本や自社の立場や論理で、他の国を見て優劣(の判断)をする、
といった匂いがどこか感じられ、気になる。
そのことがあの戦争を知る他のアジアの人々には、
当時の侵略を連想させることになることなど、
彼らは思いもしていないのかもしれないだろうが。
そうした根底には日本人の奢り、つまり、その国の人々を
自分達より低くみる戦前からの刷り込みがある、
これも1つに上げられよう。
あるいは、国家としての日本、人としての日本人が、
彼らを発展途上国(今、死語化)から脱皮し得ていない
後進国(これも死語化)だ、といったように見下すといった視点で、
彼らを捉えている、といったことがあるのかもしれない。
いずれにしても、そうしたことは、ビジネス上の取引、
ひいては、経営のありかたといった観点からからみて
大きなマイナスになると、私は考える。
以下、理由を述べる。
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