山行・水行・書筺 (小野寺秀也)
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戸神山は、仙台から山形に向けて20kmほどで国道48号から白沢から秋保長袋に抜ける道に登山口がある。登山口といっても仙台市水道局の配水施設の入り口門扉脇をすり抜けるのである。 今日もまた花の写真をゆっくり撮りながら(つまり十分に休みながら)登る計画なのだが、松倉山では春の花が終わり、夏の花はこれからというあまり良い時期ではなかったのだが、その条件はクリアできていないだろうと考えた。 じつは、この5月から終活として山行と水行を何とか復活させたいと始めたとき、いわば体を無理をさせないために写真を撮ることで休憩を入れながらやろうと考えたのである。そうして、二度の山歩き、二度の川歩きをしたのだが、せっかく写真を撮るのだからカメラも終活の一つにすればよいと考えた。これまでは、カメラ任せでシャッターを押すだけだったのだが、以前に購入したカメラの本を引っ張り出して「良い写真」を撮るための勉強を始めたのである。山歩きで疲れた体で家でゴロゴロしているとき、本を見ながら庭の花をどんなふうに撮るかなどということ始めたということである。 というわけで、この花の少ない時期の山歩きで写真を撮ることが必須だとすれば風景写真しかないということになったのだが、標高が低い山で森林限界を越えることなく頂上まで林が続く山なので、風景といっても山道のまわりしか移せないのである。つまり、今日の写真修行のテーマは「山道(登山道)」と決めたのである。 さほど変化のある山道ではないのだが、絞り優先のオートフォーカスにして同じ場所で何段か露出補正を変えて撮ることから始めた。雲の厚い曇天なのだが、いくぶん露出をアンダー気味にした方が草木の緑のがよく映る。 この山は登り口からしばらくは大木の少ない雑木林が続くが、しだいに木々が大きくなってくると杉林に変わる。中腹から6、7合目までは杉林なのである。 その杉林が終わると戸神山主峰(男戸神山)と女戸神山の間をつなぐ尾根にたどり着く。尾根道を辿ると頂上直下の急坂である。頂上までロープが張られた急坂は、松倉山の急坂を思い出させていくぶん気分が落ち込むが、あの時よりは体が慣れているとわが身に言い聞かせてなんとか登ることができた。 頂上はちょっとだけ開けていて仙台市街を遠望できるはずだったが、近くの山も霞むほどの雲量で一面の灰色である。隣接する山並みの中腹も見えないのだった。 頂上にいくつかの石の一つに腰かけて、おにぎり2個の朝食、食後のコーヒーを飲むともうやることがない。上ってきた急坂を下り、尾根道から分岐する裏登山道(登ったのは表登山道)へ下る。 頂上直下の急坂をあっさり下る終えると、道はずっと緩やかな下り道で快適に距離を稼ぐことができる。なにか登山路と下山路では標高差が違うのではないかと思うほどだったが、じつは登山路の杉林の中に下り坂があってそこから登り返したので、標高を稼いだ気分になっていたのである。 10年以上もまえにこの山は2回か3回登ったのだが、今回初めて山中で人に出会った。下山路の比較的平坦な山道で休憩を取っていた女性3人、男性一人の4人組に出合ったのである。ほぼ同年齢ほどの高齢のグループで、口ぶりから頂上へは向かわず山裾を半周する道をたどる予定らしい。お年寄り向きのコースでいい山歩きになるだろうと思いながら別れたが、「年寄り」といい「高齢者」などともいうものの、こういうところで出会う人たちは、いまやほとんどが私より若いだろうと思う。あの人たちもきっと私より若いだろうと思うとちょっと可笑しくなった。きっと苦笑いしていたに違いない。 さて、花は望めないと思って登ったのだが、ポツリポツリと見つけたいくつかの花をカメラに収め、家に帰って調べたら、ミヤマヨメナ、ママコナ、シロバナエゾウツギなどけっこう珍しい花が含まれていた。思い込み、先入観のつまらなさを思い知らされた山行でもあった。 花の写真の整理はこれからである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2024.06.07
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