山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2020.01.30
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テーマ: 山歩き(471)
カテゴリ: 山歩き
【ホームページを閉じるにあたり、2011年10月8日に掲載したものを転載した】


​笹倉の秀嶺たまゆら明らみて時雨来たれば空に虹見ゆ​
                           原阿佐緒 [1]



笹倉山(大森山) 七ツ森湖(南川ダム)から七ツ森大橋越しの眺望。
Mapのコースは、右(北)麓から登り、東(左手前)麓に下り、
手前の車道を戻った時のもの。


 仙台に住んでいると、北の方に低いけれども印象的な山々にすぐ気づく。ビルや丘の上からよく見える。国道4号線を北上し、仙台市を抜けた頃に左手にはっきりと見えてくる。「七つ森」と呼ばれる低い山群である。
 笹倉山は、この七ツ森のうちのひとつとされているが、もともとは含まれていなかった。七ツ森は、七ツ森湖(南川ダム)の東側に連なっている300m前後の山群である。そのうちの一つ、一番低い「だがら森」をはずして、七ツ森から少し離れて(七ツ森湖と宮床ダムの中間)にある507mの独立した笹倉山を加えて、現在の七ツ森となっているということだ。
 古い「七ツ森」は、鎌倉山、遂倉山、蜂倉山、大倉山、撫倉山、松倉山、そして「だがら森」で、たった一つだけ「山」の名辞をさずけられていない。山名が確定したのが、「七ツ森」構成の新旧交代の前か後なのかはわからない。
 七ツ森は人里に近い山のならいで信仰の山でもある。七山それぞれに薬師如来が祀られていて、一日で七山すべてを登頂し、すべての薬師如来に参ると願うがか なうという信仰があった(今もある)ということだが、ある頃から、笹倉山一山でそれを代表できるということになったらしい。そのあたりが、「七ツ森」構成変化の理由ではないかと推測したりする。チベット仏教のマニ車のように、簡便だけれども深い信仰心が表明できればそれにこしたことはないということのようだ。

 仙台に長いこと住んでいるが、七ツ森に足を運んだのはごく最近のことである。山歩きが好きだといっても、冬山、沢登り(イワナ釣りで少し似たことはやったが)、ロッククライミングのようなことは一切やらず、いわゆる夏山トレッキングしかやらない私の活動は春からということになる。
​ 低い山で体を慣らしながらシーズンを始める。若いときは、一番近い1000mクラスの泉ヶ岳が最初の山と決めていたが、最近は300~500mくらいの里山 [2] から始めるようになった。冬を越した老体に自信がなくて心配なのである。その代わり、2月や3月で雪があっても歩けるので、長い体力回復期間がとれるというというメリットもある。​

 笹倉山に初めて登ったのは、2008年4月5日であった。若いころ、この辺は4,5回ほど来たことがある。七ツ森ダム(南川ダム)がまだ工事中のころ、ダムの上流側に2度ほどヤマメ釣りで入ったことがあるし、宮床地区の山林を日本春蘭の変異種を探して何度か歩きまわった(成果はなかったが)。
  しかし、すっかり土地勘は失われていた。国道457号から七ツ森湖に向かう道に入ってすぐ道を間違えてしまった。



Map A  笹倉山周辺と2010年4月9日のコース。地図のベースは、
「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」
によるGPSトラックデータによる。

​​​
 道を間違えてうろうろしているときに、原阿佐緒の生地の看板を見つけた。そうだったのだ。情熱の歌人、原阿佐緒は宮床の生まれなのであった。冒頭の歌のほかに、もう一首、笹倉山を歌ったものがある。

​笹倉の高嶺の霧の明りつつ晴れゆくなべに淋しあさあけ​
                         原阿佐緒 [3]

 原阿佐緒はアララギ派の歌人だが、同じアララギ派の石原純との恋愛スキャンダルの方が、彼らの短歌よりよく知られているようだ。石原純は理論物理学者で東北帝国大学理学部物理学科の教授であったが、この不倫スキャンダルで1921年に大学を辞した。
 それから80年ののちに、同じ大学、同じ学部、同じ学科で、同じ職に就いた私から見れば、石原純は恐懼すべき大先達ではある。だからといって、実際のところ、特別な感情や思い入れがあるわけではない(理論物理学者として尊敬はしている)。情熱的な恋愛スキャンダルというのは、私の人生のカテゴリーには含まれないものである。
 私と同年代の歌人は、

​美しく生まれしゆえのおみなごの不幸語れば雪蛍舞う​
                        道浦母都子 [4]

と、原阿佐緒を偲んでいる。彼女もまた、美しく、激しく生きてきた歌人である、と思う。

 さて、笹倉山である。初めてのときは、御門杉登山口(Map B のJ ポイント)から難波御門口に下る予定であった。ところが、頂上の薬師如来堂の裏手に回り、下り道を探したのだが、簡単には見つからない。そこにはカタクリが一面に咲いていて、うろうろ道を探すとカタクリを踏んでしまいそうになる。
 カタクリの花を踏みつぶしてまで、下り道を探すのはどうしても躊躇してしまい、結局、もと来た道を引き返したのであった。​​



Map B Map A の拡大図。Aの「難波御門登り口」から登り、
Jの「御門杉登山口」へおりた時のコース。A~Jは写真撮影ポイント。


 カタクリの群落に道を阻まれたのである。カタクリはけっしてめずらしい花というわけではないが、初春の山で見るのはいつでも楽しいし、美しい。好きな花のひとつである。インターネットで球根を購入し、我が家の庭でも毎年、春先に数輪は咲く。原阿佐緒にもカタクリの歌があった。

​​
​汗ばみてわがのぼりゆく墓地下の土手に咲きつづくかたくりの花​  [5]

​児の手とりかたくりの花今日も摘むみちのくの山は春日かなしき​  [6] 

 この「児」は、テレビドラマ「7人の刑事」などに出演していた俳優、原保美であろう。渋くて良い俳優さんであった。
 また道を外れてしまった。

 反対の難波御門口から登れば、道に迷うことはないと考えて、2回目の笹倉山は2010年4月9日であった。2時間くらいの行程なので、ゆっくりと家を出た。家で朝食を食べてから山に出かけるというのは、たぶん初めてではないか、記憶にない。近郊の山であれば、明るくなるころに登り始め、朝食を食べて降りてくるというのがほとんどいつものケースである。最初の笹倉山は、朝食前に歩き終わってしまい、家に帰って朝食弁当を食べたのである。

 「難波御門登口」からしばらくは杉林である。道に迷わないようにと、こちらからチャレンジしたのに杉林に入ってすぐ迷ってしまった。冬のあいだの杉林の手入れのためか、作業用の道が何本か造られていた。登山道と較べれば、小型ブルで均した作業道は立派(?)なのである。しかも切り払った杉の枝が敷き詰められていて小さな登山道は簡単に見落としてしまうのであった。2回ほど行きつ戻りつして、20分ほどで杉林を抜けた。​



Photo A 登山口、しばらくは杉林である。(2010/4/9 8:40)


 杉林を出れば快適な雑木林である。まだ葉が出ていないので、見通しが良くて気分がよい。早春や晩秋の山歩きで、見通しの良くなった林を歩いているとき、必ず思い出すことがある。
 ずっと若かったころ、季節季節には山菜や茸取りを生業としている人に、山を案内してもらって茸取りをしたことがある。その人が、「山を覚えるには、冬が一番だ。」と教えてくれた。葉が落ち、見通しがよいときに山の地形を、その細部をたたき込んでおけ、ということだ。
 その後の私は、山菜も茸も採るものの、山道の脇で少し採れれば十分なので、真剣に山を覚えようという気にはならなかった。冬は冬でやりたいことがあり、雪山を歩かないのである。それでいて、明るい林の中では、ずいぶん前に亡くなったあの山人を思い出し、申し訳ないような切ない気分になる。



Photo B 杉林を抜けると、明るい雑木林。まだ花は少ない。
(2010/4/9 9:07)


 林の中は、まだ下草もほとんど生えておらず、すっきりとしている。Photo B のポイントを少し行くと、小さな尾根になって、笹倉山の頂上部が眺められる。写真も撮ったが、杉の混じる雑木林越しで、良い写真にはならなかった。新緑が萌え出すと、頂上は見えなくなるだろう。
 10分ほどのクマザサの道を抜けると、小さな花が見えた。オウレンである。下草がない早春の林に中では、こんな小さい花でもよく目立っている。造りが繊細で可憐な花であるが、もう少し季節が進み花々が多くなれば、私なんかの注意力ではきっと見過ごすような気がする。



Photo B' オウレン(黄連)。(2010/4/9)


 頂上近くになり、カタクリが一面に咲いているのではないかと期待したが、葉ばかりで花はほとんどなかった。前の時は、歩くのが憚れるくらい咲いていたのに。
 頂上の薬師如来のお堂に着いた(Photo C)。このお堂の後ろから登ってきたのである。お堂の後ろは開けた感じの林で、まえの時にはカタクリの花がたくさん咲いていたところである。
 記念写真を撮ろうと、連れ(犬のイオ)のリードをはずしたが、何か気になるのがあるらしく、こちらを向いてくれない(いつもはカメラを向ければポーズをとるのだが)。



Photo C 頂上の薬師如来堂。(2010/4/9 9:36)


 頂上には「大森薬師瑠璃光如来」と大書された紫地の旗が立っていた。笹倉山は大森山とも呼ばれる。たぶん、旧名称であろう。もしかしたら、七ツ森に加えられたときに、名称の整合性(7山すべてに倉をつける)のために変えられたのではなかろうか(根拠のない推測だけれど)。
 周囲には、輪郭が崩れた石仏が数体あり、それぞれにお供えがされている。風化している石仏には、長い長い時間の人々の信仰心が積み重ねられてきているようなふしぎな雰囲気がある。欠けてしまった部分のその欠如こそ、信仰の証であるかのように。仙台産の昔の石は風化しやすいのだと、墓石屋さんに聞いたことがある。神社の狛犬にも同じように風化してしまったものを見かけることがあるが、風化仏のような敬虔な感覚は生じない。



Photo D 頂上から四阿に下る道。四阿の先は「国見ヶ崎」見晴台である。
(2010/4/9 9:40)



Photo E 少し下ってから四阿をふり返る。(2010/4/9 9:40)



【左】Photo C' カタクリ。【右】Photo F' イワウチワ。


 頂上をすぎて少し下ると、四阿(あずまや)が見えてくる。とても短いけれど、快適な尾根道である。平成5年に立てられたことを示す立派な扁額が、四阿につり下げられている。
 四阿の先は、「国見ヶ崎」という展望の良い突端になっている。東南に開けた展望は、大和町、富谷町から仙台市へと広がっているのだが、前回も今回も晴天の春霞で遠くは霞んでしまっている。眼下の宮床ダムはよく見える。  
 雑木林を下っていくと、「亀の子岩」と呼ばれる大石がある。半分朽ちかけた説明板があり、「祈願の甲斐あって戊辰戦争から無事に生還した人が……」ここで何かをしたらしいのだが、それが何かは朽ちた部分に書いてあったようだ。まさかいくら何でも、この大きな岩を担ぎ上げて薬師如来に奉納したということはあるまいと思うが、信仰心の薄い私には、こういう領野での想像がうまく働かないのである。

 道は、葛籠(九十九)折りの急坂(姥坂)にさしかかる手前で分岐し、北の小高い峰(眺子ノ石展望台)に続いている。その坂道にはイワウチワが一面に咲いていて、少し心が浮き立つような道である。
 低山のイワウチワ、高山のイワカガミはどちらも目を引く花である。中間にはオオイワカガミが生えていることがある。オオイワカガミは「秋田から新潟の日本海側の山地に生えている」とされているが、宮城の山にも生えている。
 若いころ、日本春蘭の変異種を探して里山を歩きまわっていたとき、小山の尾根伝い前面にイワウチワが群生しているのを見て感動したことがある。ここよりずっと仙台に近い里山である。しかも、その小山を下り、谷あいに出たところで、斜面いっぱいに咲いているヤマブキソウ(山吹草)を見つけて驚いた。イワウチワと山吹草の大群落が小山の尾根と裾にあったのである。
 10年ほど後に感動の再現とばかりに見に出かけたのだが、住宅地に開発されてしまって、小山の位置さえ確認できないのであった。そういえば、イワウチワもヤマブキソウも、自治体によっては絶滅危惧種、危急種に指定されているのである。



Photo F 北の峰(眺子ノ石展望台)に続く道にはイワウチワの群生。
(2010/4/9 8:40)


Photo G 北に突き出た峰(眺子ノ石展望台)からの眺望。
七ツ森の山々と七ツ森湖(南川ダム)が一望できる。
(2010/4/9 10:16)


 北に突き出た眺子ノ石展望台はごつごつとした岩山で、松が生えている。岩山に松、というのは水墨画に典型的な景色で、盆栽好きなどには耐えられない風景ではある。
 その峰から七ツ森湖(南川ダム)とその東に展開する七ツ森を一望で眺められる(Photo G)。春霞で煙って見えるが、七ツ森の配置がよくわかる。
 七ツ森もつい最近登ったのだが、じつは、写真まん中手前の蜂倉山だけはまだ登っていないのである。3山程度を組み合わせて一日の歩きとしたいのだが、蜂倉山はコースの都合上、はじかれてしまうのである。(これは余分なことだが、七ツ森には私の好きな山菜はそんなに多くないようだ。)

 眺子ノ石展望台から引き返し、九十九(つづら)折りの姥坂の急坂を下るのであるが、坂の上に「姥坂の石」という大石がある。道の脇に誰かがポンとおいたような風情の石である。
 姥坂は急坂であるが、手すりがあって歩きやすい。



Photo H 九十九(つづら)折りの姥坂をふり返る。しかし、連れ(イオ)は
坂道をふり返っているわけではない。ポーズをとった姿勢からなにかの音が
した斜面を見上げたところ。(2010/4/9 10:23)


 姥坂を下ると、すぐに麓に広がる杉林に入る。緩やかで、静かで申し分のない坂道だが、やはり山歩きでは杉林は少し気が滅入る。むかし、斜度は小さいものの、眺望も変化もないブナの原生林を4~5時間歩きつづけたときとは別の種類の気落ちがある。
 山菜の時期の杉林には、アイコ(ミヤマイラクサ)、シドケ(モミジガサ)やウルイ(オオバギボウシ)が生えていたりするし、秋にはスギエダタケやスギヒラタケが確実に採取できる場所であって、それなりに楽しい。雑木林の茸狩りが不調の時には、わざわざ杉林を探して帳尻合わせをするほどのものではある。
 しかし、単純に歩くことだけという楽しみでは、シチュエーション設定に幾分わがままが出てきてしまうのである。



Photo I 麓の杉林。手入れもされ、道も申し分ないのだが。
(2010/4/9 10:32)


 杉林のなかに「日本刀「葉山丸」作刀の地 七ツ森観光協会」という白木、墨書きの表示が立っている。ということは、このあたりにはかつて人家があったということか。少なくとも刀工一族の家はあったのではないか。
 いや、問題はそういうことではない。日本刀「葉山丸」がまったくわからないのである。日本刀の知識が全然ない。「葉山丸」がどれほどの名刀なのか、あるいはまた歴史的遺物なのかも皆目見当がつかないので、「ほぉー、すごい」と反応したものか、「どうってことはない」と無視するのか、悩むのである。街中なら、ふつうに無視するのだが。ネットで検索しても、「ネットで検索してもよくわからない……」というブログが見つかるばかりなのだった。



Photo J 終点、御門杉登山口。これから車道を歩いて難波御門口まで戻る。
(2010/4/9 10:38)


 8時40分に難波御門登り口を出発して、10時38分に御門杉登山口に到着。犬との朝の散歩時間のちょうど2倍、快適な散歩というところか。十分な年なので、このような山歩きで満足できたら、平穏で健康的な人生になるとは思うのだが。

 さて、これから車道を難波御門口まで戻るのである。アスファルトの硬い反作用を気にしながら、それでも途中でバッケ(フキノトウ、蕗の薹)を五つほど摘んだ。
 幼いころ母が作ってくれた「バッケ味噌」は、じつはあんまり好きではない。天ぷらはそれなりにおいしいが、朝の味噌汁に細かく刻んだバッケをほんの少し放したのがじつに良い。もうひとつ、「バッケの漬物」は抜群である。ただし、自分では作れない。ときどき、京都から取り寄せている。
 何たることか。山歩きは漬物の話で終わるのである。




[2] 宮城県の里山は、「​ みやぎ里山文庫 ​」というたいへん有用なHPがあり、利用させていただいている。また、宮城の山全般は、「マルゴ」さんという方が作っているHP「​ あの山に登ろう ​」が山の様子がよく分かってとても参考になる。
[3] 「原阿佐緒全歌集」(至芸出版社 昭和53年) p. 54。
[4] 道浦母都子歌集「花眼の記」(本阿弥書店 2004年) p. 155。
[5] 「原阿佐緒全歌集」(至芸出版社 昭和53年) p. 201。
[6] 「原阿佐緒全歌集」(至芸出版社 昭和53年) p. 59。











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Last updated  2020.02.04 09:03:55
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