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私のもとに、毎月、「まんだら通信」というB4サイズのミニコミの通信が送られてくる。折々のできごとが仏教の法話にからめて語られ、フームと反省させられたり、ホッと温かい気持ちになったり。カラープリントされた写真も美しい。この通信、きれいな海で名高い千葉県白浜町にある紫雲寺の住職、高橋龍渉さんが愛用のマックで手作りしている。発行部数は5~600部もあり、読者は地域の人や檀家などだそう。初めてお目にかかってから、もう7年以上になるのに、きちんと届けてくださる。ほんとうをいうと、町の行事を取材に行ったとき、一眼レフでカメラマンベストを着て熱心に撮影している男性がいて、てっきり同業者だと思い込んで挨拶したのが出会いだった。高橋さんにとってお寺は、「規制の緩やかな公民館」であり、「町の歴史を保存しておく図書館」。お堂で地元の音楽サークルがコンサートをしたり、境内が子供たちのバーベキューの会場になったり。また、自らカメラを下げ、地域のさまざまな行事やイベントに精力的に顔を出し、町の歴史を記録している。高橋さんの父親は満州の開拓団付きの医師だったが、引き揚げの途中、母親と妹とともに亡くなった。たまたま日本の親類の元にいた高橋さんだけが生き残った。あるとき、寺の世話人から、住職の弟子が戦死して跡継ぎがないから、住職にならないかと持ちかけられる。そうして、中学を卒業すると京都の本山で修行。修行中に先代が亡くなり、20歳で寺を継いだ。住職としての生活も、まもなく半世紀になる。「自分は寺に生まれたわけでもなく、何かの力に導かれ、たまたまなったのですよ。だから、寺はみんなのものだと思っているんです」たんたんと語っていた高橋さんのことを、このごろよく思い出す。「ふと気づくと」、こうしていた。「たまたま」、こうなった。「なにかの巡り合わせで」、自分のところに機会が巡ってきた。「仕事」というのは、そんなものかもしれない。仕える事、と書くもの。自分のところに巡りきたご縁を、「有り難いこっちゃ 結構なこっちゃ」(まんだら通信、2002年10月号)と受け、精いっぱいの使命感、真摯な義務感、謙虚な責任感でもって成していく。ひたむきに打ち込んで、死ぬ時に、ああ天職だったのかなぁ、と振り返ることができたら、それが幸せなのかもしれない。自信と信念をもって、いつも自分の真ん中にたっぷりと愛をたたえていたい。こうだと思うことを、コツコツと続けたい。いつだってどれだけの人を幸せにすることができるか考えていたい。「まんだら通信」が届くと、そういう誠実な気持ちになる。紫雲寺のホームページはhttp://www.awa.or.jp/home/ryusho/
2003.08.27
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旅先で日がな一日、子供といると、ひっきりなしに語りかけてくる子供に振り回される。幼稚園のお姉ちゃんも、まだ喃語の赤ちゃんも。「ねえ! ねえ! ねえ!」……。彼らのそばに、いつでも、話を聞いてくれ、思いを受け止めてくれる人がいるといい。親であっても、他のだれでも。人はそれぞれ何かメッセージを胸に抱いていて、それを伝えたくて生きているんじゃないかと思ったりする。何かを売ることも、仕事をすることも、表現することも、生きることそのものも、誰かになにかを伝えるため。ときに、人に対するときに臆病になってしまうのは、思いがうまく伝わらなくて悲しい思いをするせいだろう。「思いが伝わらない」、というのは、対人だったら拒絶されるとか、ビジネスだったら売れないとか、仕事だったら評価が得られない、とか。でも、一度や二度の失望がなんだというの。伝えたい気持ちがあるなら、やりかたを変えてみるとか、もっと近づいてみるとか。誤解されたって聞いてくれる限り、説明すればいい。どうしても伝わらなかったとしても、おおらかに待てばいい。いつかまた、風向きも変わる。うれしくても、かなしくても、伝えていこう。そして、人からのメッセージは大切に受け止めよう。あなたの思いを聞かせてください。わたしの話を聞いてください。********************************★ 『お金持ち練習帳』(仮題) ★発売日(9月25日)まであと 31日********************************
2003.08.26
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家族旅行中。パソコンを持参したので、旅行先から楽天日記を更新。夕暮れどき、浜辺でスケッチしているお年寄りの女性を見かけた。ひたむきに描いている丸い背中をみていたら、ふと、大好きな画家、「グランマ・モーゼス」(モーゼスおばあさん)を思い出した。古き良きアメリカの農民の生活を丹念に描いた画家だ。アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス(1860-1961)。ゴッホの「ひまわり」で有名な安田海上火災の美術館に絵をみにいって、私はこの画家のことを知った。アメリカの農婦。10人の子供を育てあげ、70歳すぎて絵を描き始めた。101歳で亡くなるまでに、1600点もの作品を残している。絵を描くのは、寝室の松のテーブルの上。コーヒー缶を絵の具入れにして、コールドクリームの空きびんで筆をすすいだ。有名になってお金持ちになってからも、アトリエをもたず、そんなふうに描いていたという。「なぜ、夕焼け空の絵が多いのですか」とインタビューで聞かれ、「だって、ピンクの空ってきれいでしょう。わたし、きれいな絵が描きたいの」というふうに答えていた(正確な言葉は忘れてしまったけど)。なんという天真らんまんさ。女性は仕事だけでなくて、結婚とか、子育てとか、親の介護だとか、なんだかんだと人生忙しい。それでいて、そういう人生の「祭り」の時期が終わると、長い長い時間が待っている。私たちのころは、平均寿命は軽く90歳を超えているらしい。そのとき、なにをしているか。どういう暮らしをしているのか。なかなか想像するのは難しいけれど、グランマモーゼスのように、好きで好きでたまらないことに夢中になって打ち込んでいたいな、と思う。
2003.08.25
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仕事に関しては、いくらきつくても「大変」とは言いたくない負けず嫌い?の私も、子育てに関しては声を大にして言っちゃう。「たーーーいへんっ!」って。もちろん可愛いし、子どもといるとよく笑うし、いいこともたくさんあるけど、単純に「労力」ということでいうと、子育てっていう仕事はかなり重労働の部類じゃないかしら、と思う。人間が大人になるっていうのは、たいしたもんだ。先日、1歳と4歳を連れて、街を歩いていたときのこと。チビたちときたら、チョロチョロして姿が見えなくなるわ、すぐに「おしっこ」というわ、泣くわぐずるわ。矢継ぎ早の対応に追われていて、プチッと切れそうになり、「もう、たーいへんっ!」と喉元にでかかった。すると、通りがかりの60代くらいのご婦人が、「幸せそうねえ」と言った。え? まさか私のこと? まさか。ビックリして声の方をみると、それはそれは優しそうな笑顔が私とちびどもに向けられていた。そうかあ、幸せそう、と見えるんだ。子供たちのやんちゃに追われて、髪を振り乱し、毎日へとへとになっている私が。時々半べそをかいている私が。その人はちょっと子供に触ったりあやしたりして、そのまま雑踏へ消えた。私の心に、「幸せそうねえ」という言葉がほんのりと残った。大変なときって、じつは幸せなときなのかもしれない。がんばっているってこと。がんばれるってことは幸せなことだもの。仕事でも、子供でも、なんでも。愛情と情熱を持てるものがあって、育ってほしいものがあって。夢があって、理想があって。ひたむきに、生きてるから。だから、大変なんだもんね。よーし。「大変だなぁ」と言いたくなったら、「幸せだなぁ」と言おう。もしも涙がこぼれたら、「うれしいなぁ」と言おう。もしかして、あのご婦人は女神さまだったかも。********************************★ 『お金持ち練習帳』(仮題) ★発売日(9月25日)まであと 33日********************************
2003.08.23
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どうしよう。これは、どう転がる話なんだ。いつも、こうだ。大事な決断を迫られるものに限って、考える時間も、調べる時間も、人に相談する時間もない。そして、やるべきことが山積しているときにやってくる。T社長や、起業しているみなさんのように、素手で大きな仕事と渡り合っている人たちは、こういうのは日常茶飯事なんだと思うけど……。「決断」会社の仕事だったら、上司の指示を仰げばいい。もし自分が上司の立場で判断に迷ったら、その上に聞く。トップほど決断と責任が求められる。自分に関することだったら、自分のトップは自分なんだから、自分で決断しないといけない。当たり前だ。冷静で緻密な判断力と決断力がほしい……。「来る者は拒まず、去る者は追わず」が人生のスタンスだった。自分が求められることは何でもせいいっぱいやろうと思ったし、去られたり断られたりしても、ご縁がなかったと割り切ってきた。今回のことがきっかけで、いま、自分に疑問を投げかけている。「来る者は拒まず、去る者は追わず」……もしかしたら、それって「自分で選んでなかった」ってことじゃないか?出たとこ勝負、いつも周りに流されて。自分のなかのルールとポリシー、ミッションといった中心がしっかりあって、自分の人生をどうするか、どうしたいのかという方向性がしっかりと定まっていれば、信念を持って断ることも必要だし、逆に、価値あるものはなりふり構わず追いかけないといけないんじゃないのか?「大事な話です。すぐに決断してください」どうしよう。これは、どう転がる話なんだ。
2003.08.19
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今日は朝から持病のアレルギー性鼻炎の発作が出て、さんざん。息もできないくらい、続けざまにくしゃみが出て、倒れそうだった。花粉症の人なら分かってもらえるかも。私の場合、アレルゲンが実にたくさんあり、ハウスダストやダニはもちろん、なにかの刺激や、緊張とかストレスとか天候が不順だとか気温差だとか刺激臭、風邪……あらゆることをきっかけに発作が起こる。あー、もう、書いてるだけで、ムズムズしてくる。漢方を飲んだりしているのだが、発作が始まると、ひどいときにはすぐにころしてくれ、といいたくなるほど苦しいので、すぐに市販の鼻炎専門薬を飲む。とてもよく効くのだが、眠くなるのが欠点。今日は外出する用事があり、ほうほうの体で駅前のマツキヨに駆け込み、「ストナリニ」と言うと、なんと、「薬の成分に問題があり、発売中止になり、いま店頭に出ておりません」というではないか。「ええ? 何の成分がどう問題だったのですか!?」とハンカチをあてて、あえぎながら聞くと、どうも「Aなんとか」というのが、体に負担がかかるとか。それを含んでいた鼻炎薬はみんな撤退したとかで、店頭には2,3種しかなかった。知らない商品ばかり。……知らなかった、そんなこと。どっかで発表されたの?「だって、もうずっとアレ飲んでますよ」「いままで何も異常がなかったなら大丈夫でしょう」そんな~、そんな大ざっぱなことでいいの? 薬なんて、家にある買い置き薬で間に合わせている人も多い。今も飲んでる人だったいるかも。・・・あああ、もっと、抗議の言葉を綴りたいが……限界。すすめられたのを買って飲んで、鼻炎は納まったが手足に力が入らない。頭にモヤが罹ってきた。鼻炎の薬はこれが困る。……ちょっと寝ます。この件については、また後日。++++++++++++++++++++++++++++++++++++続き。なんと10時間以上も寝てしまいました。なんということだ。起きたとき、記憶がなかった。楽天日記、↑これ、いつ書いたんだろう……と思ったくらい。いちおう日本語になっていてよかった。自分から各種アレルギー症状と胃痛、頭痛が消えたら、どんなに明るく優しいいい人で、仕事いっぱいできるだろうにと思う(そんなことないか;)。もーろーとしながら書いた昨日の日記で、親切な方が関連情報を送って下さいましたのでアップします(自宅に古い薬のあるかたは、服用されないように)。>━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━>http://www.sakuraph.jp/minitopi.html >鼻炎用内服薬・風邪薬に注意 >塩酸フェニプロパノールアミン(PPA)の副作用 >> 市販風邪薬の成分として広く含まれている塩酸フェニプロパノールアミン(PPA)に脳出血を起こす副作用があると(11.06)に米食品医薬品局(FDA)より報告がありました。(FDA)は(PPA)が含まれている薬品の販売を中止しました。 > 日本にも(PPA)を含む、風邪薬・鼻炎薬がありますが、販売中止にはなっていません。例えば下記に書いてある市販薬には(PPA)が含まれていますので注意してして下さい。購入される時は、医師・薬剤師にご相談ください。 >> 住友製薬 > ・ダンリッチ(医療用医薬品) > 武田薬品工業 > ・ベンザブロック錠、ベンザブロックSPなど >> 大正製薬 > ・パブロン鼻炎カプセル成人用など >> 佐藤製薬 > ・ストナリニ、ストナジェルサイナスなど >> エスエス製薬 > ・エスタック(ニスキャップ)など >> スミスクライン・ビーチャム製薬 > ・コンタック600SRなど >> 三共 > ・ルル鼻炎ソフトカプセルなど >>※下記に書いてある病気・症状のある方は、上記のお薬を服用しないで下さい。 >(高血圧・心臓病・甲状腺障害のある方・脳出血を起こしたことのある方)>━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━すごいですね。それで鼻炎薬がちまたから一挙に消えたのですね。厚生労働省のホームページには、医薬品回収情報が↓http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/kaisyu/hyousi.html http://www.pharmasys.gr.jp/kaisyuu/menu.html こんなに回収されている。漢方ならば安心、と思っていたけど、漢方薬系も相当回収騒ぎがこんなに多いとは。夫に聞くと、医薬品の回収騒動はいまやあまりにも多すぎて、よほどのことでないと新聞に載らないんだとか。つまり、自分でここ↑にいって確認するか、官報を入手するしか情報が入手できないということ。医療機器や病院で使用されているものも多いから、シロートには分からないことも多い。また、最近はアメリカから医薬品の輸入が急増していて、その成分の問題が後になって分かったりすることも。・・・いろいろ思うところはありますが、なにはともあれ、薬や病院に頼らなくていいように、健康体になりたいものです。ハーックション! ああ、もう、助けて;
2003.08.18
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親友が3年前に家族でキューバへ旅行した。スペイン語が上手な彼女はキューバが好きで、過去何度か訪れている。3年前は、以前知り合った日系人の旧友を再訪した。日系人といっても、船乗りだった日本人の父親とキューバ人の母親の間に生まれていて、父親はすぐに帰国してしまって音信不通で、ほとんど日本語ができない。その人のキューバ人の夫は、大の日本好きで、日本語を勉強中。親友が家族でたずねたのは、そういう夫婦だった。楽しい旅から戻った彼女だったが、帰国後私につくづくとこう話した。「キューバは本当に貧しいと改めて思って落ち込んでしまった。私はキューバに行くことができるけど、彼らはあんなに日本に憧れているのに、一生日本に来ることができないかもしれない、遠い遠い国なんだ」ところが先日、思いがけない報告を聞いた。くだんの友人の夫が日本語を猛勉強して、キューバ代表となり、日本のどこかの機関に招待されてこの秋、来日するのだという。「3年前に行った時には、日本語なんて、全然たいしたものではなかった。本当に本当に一生懸命勉強したんだと思う」日本語を勉強する動機には深からぬものがあっただろうけれど、ついに国の代表となるほど上達するとは、その努力には、ただ頭が下がる。日本人が日本で英語を勉強するのとは条件が全く違う。講師があふれているわけでも、語学学校が林立しているわけでも、いい教材が書店に山積みになっているわけでもない。地球の裏側で、条件が厳しく、生活だって決して豊かでなくて、でも必死で勉強して、日本へ行きたいという夢を叶えてしまった彼。こういう話を目の当たりにすると、本当にやりたいことで、心底頑張ったら、できないことなんかないんじゃないか。叶えられない夢なんかないんじゃないか――そんな力強い気持ちになってくる。彼との日本での再会を、彼女はいま、心待ちにしている。
2003.08.15
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「絶体絶命 敗北倒産」「完全換金 絶対命題」今朝、新聞にものすごいチラシが入っていた。「ついにこの時を迎えてしまいました。負債額は天にも届くごとし。この借金どうすればいいのか」何ごとかと思って、裏面を見ると、バーバリーのシャツが1900円、ピエールカルダンのTシャツが990円、ディパックが1000円……と、衣料品や健康グッズがずらりと並んでいる。みんな「……円で『処分いたします』」と書いてある。ダンナと大笑いしたのだが、ダンナいわく、「最近この手の『倒産商法』が多い」とのこと。倒産したといっては、売り尽くしをやって、また新社名で違うところで商売をする、というのを転々と繰り返している。ようは昔ながらのバッタ屋なんだけど、最近は不景気で「倒産」にリアリティーがあるから、お涙頂戴商法が結構ウけるらしい。このチラシの会社がそれ手かどうかは分からないけど、大阪の会社で、わざわざ東京都S市の広場で大セールをやるというのは、ちょっと不思議な感じもする。・・・なんだか、なあ。「従業員以外は全て売ります」・・・って、これほとんどギャグでしょ。「VOW」に応募するよ、しまいにゃ。
2003.08.14
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あらゆる芸術は、ある種の告白であり、どちらかというと回りくどいものだ。すべての芸術家は、生存するつもりなら最終的にすべてを話し、苦悩を吐き出さざるを得ない。(ジェームズ・ボールドウィン) ちびが手足口病になってしまい、病院へ。口のなかに大きな口内炎ができていて、驚いて駆け込んだ。数日前からなんだか変だと思っていた。食いしん坊なのに、ごはんを食べなくなって、機嫌が悪くてしじゅう泣いてばかりいる。よだれも急に増えた。今日になって舌の惨状に驚く。ごめんね、気づいてあげられなくて。私もうつっていたらしく、舌に口内炎ができて痛いのと、喉が痛く、とにかくだるくて微熱、夜になると熱が上がるという状態。なーんだ、そうだったのかとちょっと安心。原因不明で調子が出ないから、思わず人間ドックへ行こうかと思っちゃったよ。今日は予定をキャンセルして、休養。本も漫画も読む気にならず、映画も観たくないという、自分とは思えない状態。なぜかエニアグラムの本が読みたくなって、ボーッと自分のタイプ4のところを読む。久しぶりに自分のことを語ってくれていると思える文章を読んで、カタルシスを覚える。エニアグラムはいつもなにか発見があるな。またワークショップへ行こう。
2003.08.13
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明け方、激しい地震がいつまでも収まらないっていう夢をみた。家族でテーブルに座って、「長いねー、この地震」とか言ってる。私はテーブルの上でパソコンで何か書き物をしていて、「逃げるときは、パソコンを持っていかなくちゃ」とか思っている。いつまでもいつまでもユラユラ揺れ続けている。窓を開けると、家々の屋根に雪が積もって、真っ白。「夏なのに、雪が降ってるよ」というと、ダンナは「八王子だからね、都心はこうじゃないんじゃない」と。夢のなからしく、当たり前のように話している。なぜか、私はベランダから外に出たくなり、隣の民家の屋根に飛び移る(夢のなかではすぐ近くだった)。振り向くと、子どもたちがヨチヨチついてきて、「危ない!」と叫ぶ。雪ですべって転がり落ちてくるのを受け止める。無事だったけど、抱っこして地面に下りようとしたとき、人にぶつかって、下の子が顔に怪我をしてしまう。そのひとは軽く「あ、すいません」と言っただけで歩き去ってしまったので、ひどいと怒っている。へんな夢。昨日は、気を失うようにして寝てしまったのだけど、満月のせいか寝付かれず、へんな夢ばかりみて2,3時間おきに目が覚める。これは明け方に見た夢でよく憶えているけど、ほかにもリアルな夢をいくつもいくつも見た。夕方、神社のあたりから自転車に乗って家に帰ろうとして道に迷っているとか。せっかくたくさん寝たのに、夢のなかでいろいろありすぎて、なんだか疲れてしまった。ばかみたい。私にとって、昔から満月はあまりよくないのだ。真夜中、あまりにも人恋しく寂しくなってしまい、手元に携帯があったので、とんでもない人に電話をかけてしまった。向こうが留守電になっていてよかったと、朝になって胸をなでおろした。着信記録、残ってしまったろうか。いいや、間違えたとでも何とでも。人が神様を信じたくなるのは……、なにかにすがりたくなるのは、あんな晩なのかもしれない。占いとかもね。だけど、自分の星はしばらくみたくない。川が近いので、寝室の窓を開けていると、川のせせらぎが聞こえる。今夜は夢を見ないで眠りたい。***********************************しおにゃさんが夢診断をしてくれた。地震:急激な変化 精神的基盤や物質的基盤が根底から覆される可能性を示す場合も ただしそれは必ずしも悪い意味とは限らないでしょう雪:純粋さや純白さ、幸運を表します 反対に孤独や無感情、不運を表す場合があるので 夢の内容からメッセージを探る必要があるでしょう→精神的基盤や物質的基盤が根底から覆される……なるほど、なんか思い当たるふしがあるような、ないような……(笑)→「純粋さや純白さ、幸運」または「孤独や無感情、不運」……ひえええ、どっちだろう?? 風邪引いて調子よくなくて孤独や無感情モードにはよく陥るかも……(><;それにしても、夢診断は面白い。夢そのものがおもしろいし、それから意味を感じ取ろうとする試みももおもしろいね。しおにゃさん、ありがとう!!
2003.08.12
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全然ひと息ついてる場合じゃなかったのだった。改めて自分の星を見る。30年に一度の試練と、トンでもない上昇運。そうでした。半年前、いったい夏はどうなってんの!?と思ったのだ。で、いまの状況が巡り来ている。こういうことだったんだ。こういうときは、すべて逃げないこと。ピンチがチャンスになるとき。しんどければしんどいほど、いいとき。逆張りで行くしかない。よーし、おもしろくなってきたぞ、と。・・・・・・・・・・・・・・・明日考えよう。
2003.08.11
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「彼女の絵は辛辣で、やさしく、鉄のように固く、蝶の羽根のように繊細だ。笑顔の愛らしさ、残酷さも持つ。人生の苦みを。おそらく女性では彼女だけだろう、これほどの苦悩の詩を……」 台風のさなか、吹き荒れる暴風雨のなかで、全身ずぶぬれになりながら、渋谷の文化村へ。ル・シネマで映画「フリーダ」を観て、同時開催の展覧会「フリーダ・カーロとその時代」を観てきた。フリーダ・カーロはメキシコ革命が収束するころに活躍した女流画家だ。小児麻痺、18歳の交通事故で生涯30回もの手術、革命家であり壁画家であるディエゴとの結婚と、夫の奔放な女性問題による苦悩、亡命してきたトロツキーとの不倫とトロツキー暗殺、欧米での評価、流産と中絶、右足指切断……苦悩と愛と栄光が嵐のように吹き荒れる壮絶な47年の人生。映画のポスターのコピーに、「愛する 描く 生きる」とあったけれど、彼女の人生は、まさにこれに尽きる。「痛みのない体なんか、もう忘れちゃったわ」というくらいの体を抱え、過酷な状況のなかで、命を燃やし続けた。この力強さ、美しさ。人生は、好きなものをチョイスしてつくれるもんじゃない。生まれる国も、親も、育つ環境も、自分の体さえも、運命に強引に押しつけられる。気づくと勝手に始まっていて、悩んだり、迷ったりすることばかり。だいたい、生きる意味さえもだれも教えてくれない。けれど、確かに、ここに生命が与えられた。私はいま、生きている。それだけで、じゅうぶんじゃないか。精いっぱい生きよう。自分の魂が心から求めることを力ずくでやり続けよう。そして、愛し続けよう。苦悩なかにあっても、絶望の淵にあっても。いつか必ず来る終わりのときまで。「出口が喜びに満ちているといい。私は戻りたくない」フリーダの死のまぎわの日記の言葉のように、完全燃焼した充足感のなかで、息絶えたい。ただ、それだけだ。フリーダが死の8日前に遺作に記した言葉。「ビバ・ラ・ビダ――生命万歳」帰途、電車を降りると、台風が去って雨が上がっていた。黄金の夕映えに息をのむ。「ビバ・ラ・ビダ(生命、万歳)!」そう、叫びたくなった。
2003.08.09
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体調がよくなくて早めに休んだのに、目が覚めてしまう。風が強い夜はどうしても、胸騒ぎがして寝付けない。しかたなくて、ベランダで風を感じていた。吹き飛ばされそうな、湿ったモンスーンの空気だ。木々が強風にあおられて揺れ、白っぽく浮かぶ雲はすごい勢いで夜空を流れていく。どこかの家の軒先の風鈴が狂ったように音を立てている。現実感をなくしてしまいそう。私も、どこかへ吹き飛ばされていくようだなあ、どこから来たんだろう、どこへ行くんだろう、なんてこと思いながら、フッと、鏡リュウジがどこかで書いていた「旅する遺伝子」という言葉を思い出した。古代ギリシアの占星術のテクストには、すでに旅の占いについて細かく書かれているんだという。大きい旅、小さい旅。交通機関がなにもない時代に、人はもう遠く近くへ旅をした。二度と帰れないかもしれない厳しい巡礼の旅に出た。もとはといえば、人類は最初にアフリカあたりで種が始まり、世界中に広がった。私たちは、みんな旅してきた。だから、体に旅の遺伝子が生きている。そういう話だった。どこからか来て、どこかへ行くのは、宿命なのだ。旅への遠い遠い記憶。郷愁。私たちは、どこへいても、いつも、ここじゃないどこかが懐かしく、恋しい。出立の地が、辿り来た場所が、行くべき彼の地が。生きている限り、旅を続けている。実際の旅であってもなくても。生きることそのものが旅なのだ。いつか、私は、巡礼の旅に出よう。佐藤国雄の「にんげん巡礼」みたいなのでもいい。遠い旅に出たい。強い風を受けながら、そう思った。あ、降り出した。
2003.08.08
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下の子の一歳の誕生日。一年が過ぎたんだな……と、とても深い思いにとらわれる。小さな命を抱いた、光に満ちた幸福な日。あそこから始まった物語は、12星座を一周して、元の星の場所へ、還ってきた。すべてのできごとは、はじまって、どこか違う世界へ行って、そして、もとの場所へ還る……今日はそういうことを、ぼんやりと思った。具体的なある場所へ帰るってことじゃなくて、心が記憶している「はじまりの場所」へ、思念が回帰するということ。一巡して戻ってきた心は、違う世界で経験したいろいろなことを含んでいて、はじまりのときとはずいぶん違っている。その自分の心の変化を、ひとり静かに、ある種の心地よさを持ってかみしめるとき、私たちは、「はじまりの場所」へ還ったのだ。それを、ある人は「成長」というのかもしれない。ともかく、前の自分とは違う自分になっている……と実感することこそ、人生の醍醐味。ファンタジーの構造を、「行きて還りし物語」という。「なにか」をきっかけに、ある場所から、「物語」が始まる。主人公は「どこか違う世界」へ行き、たくさんのできごとを超え、出会いを経て、元の場所へ還る。旅を経て大きく成長した主人公が見る元の場所の風景は、とても懐かしいけれど、同時に、なにやら新しい場所にもみえて。やがてまた、新しい旅が始まる――。私たちは、日常、この、「行きて還りし」を無数に経験しているのじゃないか、と思う。子育てのようなのもそうだし、本を読むでも、映画を観るでも、小旅行でも、懐かしい集まりでも、ある仕事に取り組むでも……。みんな、はじまって、旅をして、元の場所へ還ること。例えば、恋愛。出会って、夢中で愛し合う。やがて、収斂する。二人は、「もとの場所」に戻ったということ。「冷めた」じゃなくて、「醒めた」なのだ。恋を経て二人は内面にとても大きな変化を遂げている。二人はもはや同じ二人じゃない。もとの場所も同じ場所、ではない。再び共に新しい旅をするか、袂をわかつか、それは次の物語。「出会ったころは こんな日が来るとは思わずにいた」杏里じゃないけど、人は異世界に入っているとき、後先なんか、考えている余裕はないものだし、ないほうがいい。夢中に、情熱的に生きれば生きるほど、「はじまりの場所」へ還ったときの思いは深く、心の変化が自分を豊かに満たしてくれる。恋に限らない。本を一冊読むのだって、夢中になればなるほど、いい。深くのめり込んだり、激しく陶酔するほういい。だけど、必ず、還ってくること。「還ってくる」ことは、もしかすると、「行く」ことより大事なこと。というより、「還ってくる」ために、すべての旅はあるのだ。人生はひと続きの一直線じゃないし、心は階段を上るように着実にリッパになっていくものじゃない。はじまり→旅→帰還、これを無数に繰り返すもの。波のように、寄せては返し、ユラユラと。いろんなできごとが不規則、不連続に起こって、そのなかで、自然に、ゆるゆると優しくなっていく、深まっていく……そういうものなんじゃないだろうか。小さい環、大きい環……。積み重ねていけば、いつか、人生の「全体像」が浮かび上がってくる日がくるのかもしれない。ハッピーバースデー、ちびすけ。妙なる人生を。
2003.08.05
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