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「なに……金にならんことのために動ける若さは嫌いじゃない。だがな……五年後に同じことしてなかったら……アンタ……ニセモノだぜ」(「ブラックジャックによろしく」佐藤秀峰) 娘の診察のために、東京医大八王子医療センターへ。いかもに、山を切り崩して作ったような、緑に包まれた非常に空気の良いところにある。病院でなくて、「かんぽの宿」なんて書いてあってもよさそうだ。中に入ると、やはりそこは大病院。たくさんの患者が順番を待っていて、つるつるの廊下を、賢そうな医師や看護婦(師)が闊歩していて、いかにも高度医療がいろいろ実施されていそうな雰囲気。このところはまっている漫画「ブラックジャックによろしく」のシーンや台詞が次々と浮かんできて、可笑しいような苦いような気分になった。「ブラックジャックによろしく」は、いままでの「医者もの」漫画とは一線を画した、画期的な作品だ。主人公の研修医・斉藤英二郎の目を通して、命の現場があますところなく語られる。英二郎は感動したり、悔しがったり、本当によく泣く。ついつい、一緒になって泣いてしまうけれど、この漫画は単なる命を救ってめでたしめでたしの、お涙頂戴お医者様物語、ではない。物語のなかで、医療行政の矛盾、白い巨塔のかかえるひずみ、医療行為の原罪……日本の医療が抱える数々の深刻な断面が、実にリアルに描き出されるのだ。これが、我々が病気をしたら、事故を起こしたら、子供にもしものことがあったら、親が危篤になったら、助けてくれると無条件に信じきっているものの正体なのか?もちろん、一方的に、批判ばかりが書き連ねてあるのではない。例えば、研究先行、論文先行と批判の高い大学病院で、論文ばかり書いている医者が出て来る。「……でも、彼はその論文で何百万人の命を救った」という台詞が重なる。交通事故患者を大量に受け付ける金儲け主義の病院が出てくる。疑問をぶつける英二郎に、「だけどよ……正しいってことで自己満足しても何も変わらねえ。あの人は命を救い続けている。それは事実なんだ……」と、同僚医師の言葉がかぶさる。告知は? 不妊治療は?抗がん剤の使用は?いったい、何が正しくて、何が間違っているのか。そう、この作品では、「考えろ!」、と私たちに訴えかけるのだ。考えるのは、患者となる私たちの責任だ。日本の医療が悪いと批判するなら、じゃあ、だれがそうしてしまったのか。自分の命を、大事な人の命を、医師や病院にまかせきりにしてきた私たちの責任もあるのじゃないか。本来、ジャーナリズムがするべきことじゃないか、と思ったけど、やっぱり、漫画という媒体だからこそできるということもある。ときに、漫画が、新聞やテレビのドキュメンタリーをはるかに超える力を持つことがある。「ブラックジャックによろしく」は、現在6巻まで出ていて、全部で600万部くらい売れているという。もしかしたら、本当に医療の現場を揺さぶり、風穴を開けることも……、そんな予感さえ感じさせてくれる骨太の作品だ。出会えてよかったと思う。
2003.07.29
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ダンナは怖い映画が大好きだ。こないだは「呪怨」の劇場版DVDがレンタルで出たのを待ちかねて借りてきた。私も観たんだけど、Vシネマの1・2の方がずっと恐かった。それはおいておいて、いまや和製ホラー、ハリウッドも大注目で、この「呪怨」も、なんと「死霊のはらわた」のサムライミが映画化するそうだ。こないだは「リング」がハリウッドで映画化されたし、伝説のvシネマ、「女優霊」(あー、思い出すだけで、嫌~な気分になる……)もハリウッドで映画化決定。もしかして、この時代って、後になって「和製ホラーの黄金時代」といわれようになるのかもしれない。「怨霊」だの「降霊」だの、わたしなんか、書くだけでゾーッとしてくるようなタイトルのVシネマを片っ端から借りてくるうちのダンナ。しかも、家中の電気を真っ暗にして観るのが好き。わたしは必ず枕をぎゅーっと抱きしめて、悲鳴を上げながら観ることになる(じゃあ、観るなよ)。とにかく私の怖がりは並みじゃない。すぐに「気配」を感じたり、……あああ、もう書きたくない。だけど、うちのダンナと来たら、幽霊を一度も見たことがない。たとえ、見たとしても全然怖くないと思うって。まったく不公平だ。「だって、そこに幽霊がいるのと、刃物持った狂人がいるのとでは、どっちが怖い?」そりゃ、そうだけど。全然怖くないのに、ホラー映画を観ているっていうのは、どういうわけかと思うけど、単に刺激を求めているんで、「恐怖感」も、もはやエンターテインメントとして消費されるものなんだろう。うちのダンナのオカルト感覚は、まさに現代っ子のオカルト感覚だ。USO!チャンネル的な。……そう、思ってたんだけど、めずらしく、「どうして怖くないの?」という話をいろいろしてしまった。「だって、幽霊なんて、いたとしても、悪いもんじゃないでしょ。死んだおじいちゃんとか出てきても全然怖くないじゃん。『呪怨』みたいに、幽霊に殺される事件なんて、実際はそんなにないと思うよ」ほおう。なるほど。「いないって、いってるわけじゃないよ。ほら、うち、じいちゃんが昔医者で、家と医院が一緒になっているようなところだったから、いろいろあったらしいよ」おいおい、なんだよなんだよ。「入院してたはずの人が、イキナリやってきて、ボソボソお礼を言うから、『寝てなきゃダメじゃないですか』って怒ったら、スーッと姿が消えて、慌てて入院室に行ってみたら、死んでたとか」「お寺の秘宝のお面をふざけてかぶったら、ばちが当たったように脱げなくなってしまったひとがいて、手術して取ったとか」「虫の知らせみたいな話はたくさんあったらしい。うちの人、さっき亡くなりましたねって、連絡する前に家族が訪ねてきたり」小さいころから、そんな話をうんと聞かされた、というのだ。だから、「ナニか」はあるんだろうな、とは思う――って。「じいちゃんの話が怖いのは、みんな『俺の病院で』だったからさあー。でも、子供が怖がるのがおもしろくて、作り話してただけかもしれないんだけどね」そうか、こいつは小さいころ、じいちゃんからそういう話を聞くのが大好きだったんだな。おじいちゃん、おじいちゃん、怖い話してよ、もっと、もっと……。だから、大好きなおじいちゃんがとっくにあの世へ行っちゃったいまも、ホラー映画をいっぱい見ているのかな。
2003.07.27
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夜風に吹かれたくて、コンビニに買い物に出かけたら、川の向こう岸でちょうどやぐらを組んで盆踊りをやっていた。このあたりは、都心に比べるとずいぶん地域の行事が残っている。盆踊りや夏祭り、花火など、夏が夏らしい。軽やかな太鼓の響きと、どこか懐かしいナントカ節。お祭り好きの私は、ドドン、ドドンという太鼓の音色に心が浮き立ってきたけれど、川を渡って見に行くほどでもないので、土手に腰を下ろして眺める。夜になると濃くなる緑の匂い。ひんやりとした風。あたりは真っ暗で、黒い川は静かに流れている。対岸の提灯だけが赤々と眩しい。この土地に住むのは初めてなのに、もう何度も、こうやって川の向こうのお祭りを眺めたことがあるような気がしてきた。鬼のお祭りに出くわして、茂みから覗くとか、魔女のサバトを盗み見てしまうとか。古今東西、民話にはよく似たモチーフがある。こういうシチュエーションは潜在意識のどこかに残っているのかもしれない。ぬすみ見ていることがばれたら、いけにえになってしまうことが分かっているのに、どうしても見ずにはいられない。自分が参加しない夜の祭りをみるときに、そんな妖しさをちょっと覚えるのは、よそ者は、本来秘儀である祭りを覗くのはタブーだからだろうか。それにしても、向こう岸、というのは異界の情景みたいでいい。「彼岸」だものね。お盆は死者が還ってくる。死者の魂を歓迎して、生者と死者が一緒に踊るのが盆踊り。此岸から彼岸の盆踊りを眺めている私。私の魂は、どこにいる? そして、どこへ行くんだろう。お祭りみたいに、花火みたいに、一瞬光って、消えちゃうんだろうな。さびしくても、楽しくても、悲しくても、うれしくても、一瞬の。地の果てまで山が重なるところでたばこを売る自分を想像した行きずりの男たちに身をまかせて子供を生むこともできる自分を想像した「セブンスター…。寂しくないですか」「いいえ、ちっとも」それが本来の姿であり今のこれはむなしい夢である気がした(近藤ようこ、「春来る鬼」)
2003.07.26
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ananの特集が、「エロティックな女」だったので、思わず買ってしまった。だって、「セクシー」じゃなくて、「エロティック」ですよ。「スター」がいつの間にか、「カリスマ」になってしまうように、言葉って、どんどん過激になるなぁ。雑誌の内容は、例によって、ananらしく、「男たちの本音を徹底研究」「精神のエロスを鍛えるための12の条件」「エロティックな女の必須条件」……とか、「もてる」に置き換えても使えそうな、定番だったけどね。セクシーが色気だとするなら、エロティックって、官能。ちょっとふしだらで、乱れていて。蟲惑的で、艶を帯びた感じ。セクシーが耳元でくすぐる囁きなら、エロティックは伏目がちで髪をかき上げながらの長いため息。セクシーがスカートのスリットなら、エロティックは、ボタンを留めず素肌に羽織った一枚の薄いシャツ。なんていうか、もう一歩エッチ、なんだよな。少子高齢化のせいかどうかわかんないけど、社会を彩るエロスの力は確かに減退していると思う。ananがこういう特集をするのは、さすが、いい感性ではある。だって、大人になっても、モー娘。みたいなロリコンやアニメ相手のオナニーで満足している未成熟男ばっかりあふれている背景には、大人の女がエロティックでない、という事情もぜったいあるもの。エロティックっていうのは、当たり前だけど処女じゃだめで、成熟した女にしか似合わない領域。つまり、私たちは、上手に年を重ねられないってこと。モー娘。の年齢を超えたら、いきなり男にチヤホヤされなくなるから、「その先」、どうしていいか分からない。どうやって「女」を張って生きていいか分からない。まごまごしながら、結婚して子供を生んで、いきなりオバサンになる。ああ、なんとも、もったいない話。たぶん、30、40代のころって、世界標準……それもヨーロッパとか、文化が成熟した国々では、女が一番美味しいときだよ。日本だと、コギャルか、せいぜい20代前半が一番高いっていうのは、どういうことなの? 日本が悪いのか、日本の女が悪いのか、日本の男が悪いのか。日本の女が年取ってから精神病院に入ると、エッチになっちゃう人が多いというのは、抑圧されて呪われた30代、40代を過ごすからだと思う。なんて、えらそうに言っても、私もエロティックは数学と同じくらい苦手科目。ただの一回も言われたことない(って胸を張って言うことじゃないけど)。それはたぶん怠け者だからだと思う。エロティックは努力しないと無理。フランス映画じゃあるまいし、生まれつきの娼婦……なんて天才はそういないんだから。女を磨くようにがんばらなくちゃ。少女っぽさは、少女ならだれでもある魅力だけど、エロティックは全員がなれるわけじゃない。みんな心ならずも母親になるとオバサンになるのは、オバサンでいると、楽だから。だらけた格好して、サンダル履いて、お化粧も適当で。脂肪も載せて。安い下着を着て。ダンナも見慣れちゃってるから、文句も言わないし。ダンナほど点数が甘い人間はいないから、でも、それで安心しててはだめです。母親仲間のMLなんかだと、メールの発信者名が夫の名前になっちゃってる人が時々いるのに驚く。つまり、夫と同じメールボックスを使っているということ? OH!NO!! それで、どうやって不倫とかするの? 親しい友達にせつない思いを打ち明けるにはどうするの? NonーNon!!世の中に何かしでかそうという女は、ダンナと仲良く友情をはぐくむことは大事だけど、そこで安住して、女を忘れちゃだめだわ。一緒に生活していて、子供でもいようもんなら、エロスもセクシーもないもん(もちろん、世の中にはムンムン夫婦もいるかもしれないけど)。世の中に夢を見せるためには、自分も夢見ていなくちゃ。成功したいなら、身悶えるような思いをしなくちゃ。女性っぽいものが受けるっていうのは、そういうことだと思う。あやうくて、幻惑されて、夢を見せてくれそうで、イキソウな……感じ。そういうのを、自分が世の中に打ち出すものに、加える。くるむ。まぶす……何をどうすればっていうのは、商品にもよるんだけどね。よーし、今年下半期の目標はエロティックだー。つわけで、まずはanan「あなたの潜在的エロティック度チェック」。●「ジャスミンタイプ」(おーっ、またジャスミンか) 女らしさを抑えようとする理性や知性と、それでも抑えきれない野蛮な本能のギャップが、適度なエロティックさをかもし出しています。キリリと仕事しながら、ときおりチラリと見える女らしさが、隠れたエロティシズムへの気体をあおり、男性をひきつけたりも。一面的でないところもミステリアスで、その話がエロティックさにつながります。女であることを武器にしようとしない態度も、高嶺の花に対する男性の憧憬をかきたてます。 野蛮な本能……そこしか当たっていないような気がするが……よし、気に入った。
2003.07.25
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名前のことを考える。会社では旧姓、ご近所などでは結婚後の姓、また、占い師の名前、某所でエッセーを書いている際の筆名、と実に4つも使ってるくせに、さらにもうひとつ、増やそうとしている。われながらアホで欲張りだと思うけれど、まあ、どうせ人生一度きりだし(そればっか言ってる)。ビリーミリガンで行くぞ、さあ来い!おもしろいサイトを見つけた。作家の筆名サイト↓http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/pen-name/ 本名のままで活躍する作家も多いけれど、本名が筆名とずいぶん違う人も。例えば、女性作家。()の中が本名。内田 春菊(大久保滋子)折原 みと (矢口美佐恵)群 ようこ(木原ひろみ)森 瑶子(伊藤雅代)さくら ももこ(三浦美紀)高村 薫(林みどり)宮部 みゆき(矢部みゆき)水森 亜土(里吉文江)意外な本名の人も多い。みんなどうやって決めたんだろう。作風にぴったりあった筆名を。ヘレンケラーが、「ものには名前がある」ということを知って、知恵を獲得するエピソードを引くまでもなく、名前というのは単なる記号ではない、霊性のある存在だ。その人のイメージを一手に担うものだなあとつくづく思う。ちなみに、男性作家。宮本 輝(宮本正仁)光瀬 龍(飯塚喜美雄)眉村 卓(村上卓児)阿久 悠(深田公之)浅田 次郎(岩戸康次郎)我孫子 武丸(鈴木哲)綾辻 行人(内田直行)鮎川 哲也(中川透)いくつ、ご存知でしたか?このさい、画数でもなんでも、めちゃくちゃ縁起の良い名前をつくってやろうと思うんだけど、姓名学ほどやっかいな世界はなくて、流派主張が実にいろいろあるのだ。旧字を使うとか、もっと遡って中国の本字を使うとか、くさかんむりは何画だとか。。流派によって吉凶が大きく違うこともあり、どこまであてにしてよいやら。しかも、画数って、人格がよければ、総格がだめ……といった具合に、なにもかもぴったりなのをつくるのが実に難しい。元彼が教えてくれた姓名判断サイト。http://www.emusu.net/seimei/ まあ、フィーリングだな。……って、それが一番タイヘンなんだけど。
2003.07.20
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ふたりの男をへだてる空間に、省子はたくさんの野々村の顔がゆらめいているのを視る。十九歳から五十三歳までの今日までの、歳月を歩んできたひとりの男の、その折おりの顔。二十歳の年齢差にはかかわりなく、それは、妙にせつなく、愛おしかった。(藤堂志津子「かそけき音の」)東洋系の古典的な姓名学に詳しい人が占いのMLで発言していた。姓名学では一番重要なポイントは画数ではないらしい。名前の一番上の文字の漢字が持つ意味が重要なんだという。たとえば、「和」という字なら、のぎへんの右に口。これは、穀物が口の中に入って心のなごんでいる状態を「和」と表す。だから、穀物が満たされていれば気持ちがなごみ、満たされたいなければ不機嫌になる、気分屋のひと。……とかいうふうに。だから、名づけには絶対、漢和辞典をが必要らしい。それもうんと詳しいやつ。最近はやりの、音だけ外国風で、てきとうな当て字、というのは要注意。うちの子は大丈夫かな?名前の漢字のことを考えていて、以前、ちょっと傾倒していたトランスパーソナル心理学でやった「運命のワーク」というのを思い出した。自分が「運命の神様」になったつもりで、自分の人生のできごとにどんな意味が隠されているのか、想像して書いていく、というもの。暖かい土地で生まれさせたのは、この子にのんびりとした子供時代をすごしてほしかったからだ、試練はこんな学びをさせたかったからだ、土地の名前にはこんな意味がこめた……とやっていく。誕生日も、例えば初夏生まれなら、陽光きらめく夏へ向かっていく明るい気持ちと、みずみずしさを感じさせてやりたかったんだ……とか。生年月日、生まれた場所、名前のいわれ、呼び名、きょうだいの順番、どのような家庭を選んだか、子供時代、学業、仕事、男女関係などなどを想像していって、人生のテーマ、この世の役割などを探っていく。アーノルド・ミンデルが開発したプロセス志向心理学の応用だということなのだが、トランスパーソナル心理学って、つくづく占いだよなぁ、と思う。まあそれはともかく、出会った人やできごと、とりまく状況を、いいことも悪いことも含めて、すべてに意味があると感じること、じっさい意味なんかあってもなくても、「何か」を感じ取ろう、読み取ろうとする試みには、とても心ひかれる。いつでも複眼的な視点を持っていることは大切だと思う。人生は壮大な謎解きのようなもの。いたるところに宝物が隠されているのだけど、そう簡単には見つからない。出会いや出来事がささやくヒントやパスワードをもとに、自分だけの宝物やこの世の秘密、旅の地図を、いかに探り当てるか。それが醍醐味なのだろう。となると、ゴールまでスイスイ行っちゃうコースよりは、曲がりくねっていたり、でこぼこだったり、難易度が高いくらいのほうがイロイロ見つける可能性は高いし、やりがいもある、といえましょう、ね。
2003.07.15
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会社の同期の結婚式だった。今年になって私が招待された同級生の挙式は2組目で、他もできちゃった結婚(式未定)と、間もなく入籍の子がいるから、4人!どうでしょ、このラッシュぶり。三十路もなかばとは思えない。しかも、まもうじきまとまりそうなのがまだまだひかえてる。むしろ、このぐらいの歳になって、自分の人生の方向性とか、価値観があるていどみえてきて、お互いの生き方を理解し尊重し合える人と結ばれるっていうのが、最も幸せなのかもしれない。結婚してみて、「こんなはずじゃなかった」っていうのは、かなり少ないだろうし。もちろん、若いうちに結婚するのもいいことはたくさんあると思うけど。ほんと、「適齢期」って、なくなったなー。自分でしたいとき、したい相手と、が一番よね。白いドレスに身をつつんで、ますます美しい彼女。おてんばチャキチャキなんだけど、年上の優しそうなダーリンといて、とてもゆったりと微笑んでいるのが印象的だった。お式も和やかで、お料理が美味しく、二人の人柄がしのばれるものだった。2次会は同期の男の子たちも来て、私たちの周りはさながら同期会状態に。大笑いして、にぎやかで楽しかったんだけど、私だけ、途中から、ワインを飲みすぎてせつなくなってきた。だって、思い出が多すぎるんだもの。みんな、会社の内定が決まった学生のころからの付き合い。何度も一緒に飲んで、「一番大事」とか「どんなときも。」なんかを、みんなで歌って、全国に散らばって、研修で集まったりして。みんなそれなりに仕事で実績を積んで。結婚したり、子供ができたり。入社何年目かで死にそうになってた時に、ずいぶん助けたもらったひとや、一晩語り明かしたひと、若気のいたり?で間違いそうになったひと(^^;・・・みんなは、毎日のように会社で顔をあわせているからいいけど、私は育児休業中だし、いろいろブランクがあるから、なおさらせつない感じ。グラスを手に、昔と変らない調子で軽口をたたきあいながら、私はだんだん、どんなふうに酔っていいのか、分からなくなってきた。私はいろんな感情のなかで、「懐かしい」という感情にいちばん弱いんじゃないかと思う。昔なじみとか、再会に極端に弱いし、デジャブーなんかがあると、狼狽するくらい戸惑う。初めて会ったのに懐かしい気持ちがするひと、とかも。2次会には、学生時代から知っているT君も来ていた。大学のプログラムでアメリカの大学で短期間聴講生として過ごしたことがある。そのとき一緒にいったメンバー。あのときのメンバーがなぜか偶然同じ会社に3人もいる(だれも英語を武器にしていない)。あの夏。ロサンゼルスにあった大きな大学に、世界中から学生が集まっていた。日本からは私の大学を中心に、各大学から計100人ほど。プログラムの間、みんな学生寮に滞在した。当たり前だけど、講義は英語だから、全然聞き取れなくて冷や汗をかいた。アメリカの大学は、先生も学生も気迫が全然違って、予習復習、宿題が膨大で焦った。でも、寮のダンスパーティがあったり、ウイークエンドには、バスでグランドキャニオンやラスベガスへ行ったり、楽しいことがたくさんあった。みんな若かったから、けんかしたり、悩んだり、恋が芽生えたり、アメリカに幻滅したり、いろいろあった。日ごろ学校では、苗字で呼び合っているくせに、滞在中は、アメリカ風に、ファーストネームで呼び合った。カリフォルニアの青空のもと、泣いたり笑ったり、まさにドラマみたいな日々だったのだ。私も、同じ寮にいた韓国系アメリカ人のジョンと恋に落ちてしまったっけ。彼は、ジャーナリスト志望で、ミズーリ大学に通っていて、夏だけ祖国のハングルを勉強しにきていた。後にも先にもあんなことはないっていうくらいの、情熱的な恋だった。国際結婚しそうに・・・ま、この話は、またいつか。まあ、だれしもがそんな、忘れられない物語があったに違いない。そういう、夏だった。卒業をひかえたころ、数人で集まった。あの夏が忘れられず、そこの大学に留学する人がいるらしいとか、そんな噂をしていたら、T君がこう言った。「懐かしいだけで、また行ってどうするんやろな。あの年、あの場所で、あのメンバーだったから、ああいう夏だったんや。また行ったかて、あの夏があるわけやないんやで。俺たちも、いつまでも思い出話ばっかりしてたって、しゃあないやんか、もうやめよう」――いくら懐かしがっていたって、もうあの夏は戻ってこない。ふだん、おちゃらけてばかりいるT君の意外な発言に、ちょっと驚いた。友人のひとりは、「彼の前で、夏の話、しづらくなっちゃった」と話していた。私はそのころ、ジョンのことがぜんぜん忘れられなかったけど、彼の言葉にはとても納得したのを覚えている。それなのに、おかしなもので、会うと、つい、昔話をしてしまう。結婚式の2次会で、T君は、昨年ロサンゼルスに行ったと話し、地下鉄が走ってて、とても便利になっていたよ、あの時もあったらよかったね、なんて笑った。あんなに、たくさん仲間がいたはずなのに、音信が途絶えたり、外国へ行ってしまったり、散り散りになって、思い出話をできる人が、ちょっぴりしかいなくなってしまった。いや、会うたびにその話をふってしまうのは、ほんとうは、また怒ってほしいからだったりして。「あの夏は、もうどこにもないんやで!」・・・なんてね。あー、友達の結婚式の話から、なんだか、そうとうずれてしまった。私は、つくづく、追憶には弱いのだった。
2003.07.13
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asa-riverちゃんとイタリアン・ディナーのひととき。彼女は女性起業塾の同窓で、楽天仲間で、自宅がとても近いので、いつか、食事でもしたいね、と話していた。ようやく実現したので、とてもうれしい。夕方から、土砂降りだったんだけど、asa-riverちゃんが車で拙宅まで迎えに来てくれ、横なぐりの雨の中をひた走る。ワイパーをぎゅんぎゅん高速回転させながら、真っ暗な川沿いの細道を行くのは、デビッド・リンチの映画のワンシーンのようでもあり。突如、暗闇のなかに洋館(トップの写真参照)が浮かび上がって、「おおおお~」と叫んでしまう。デビッド・リンチの映画に出て来るあの小男がお出迎えに出てきても、驚かなかっただろう。たたずまいといい、奥まった場所といい、ちょっと週刊ビッグコミックスピリッツで連載されていた「HEAVEN」(佐々木倫子)を思い起こす。あれは墓地の近くにある変わったフランス料理店を舞台にした漫画で、大好きだった。店内に入ると、テラコッタの床、しっくいの壁と、内装もイタリアかスペインの洋館風(写真参照)。しかも、すいてる。土曜なのに、われわれの他には、女性1組しかいない。安い。コースが3000円~。さすが、八王子。しかし、だいじょうぶか? お願いだから、つぶれないでと高尾山に手を合わせてしまう。お料理は、海の幸の前菜に、鴨のロースト、地鶏の焼きもの、真鯛のロースト、パスタ、サラダ、ドルチェ、コーヒー! もう、おなかいっぱい、幸せ。テーブルの上のろうそくはゆらめき、窓の外は土砂降り。どこにいるのか、思わず現実感をなくすシチュエーション。つくづく、asa-riverちゃんが男性だったら、あるいは私が男性だったら、絶対間違いを犯していると思ってしまった。だって、恋の80%は状況で生まれるらしいから。asa-riverちゃんと、ずいぶんいろんな話をする。お仕事のこと、女性起業塾のこと、楽天仲間?のこと、家庭のこと、そして、ティラミスより甘い、内緒の話・・・女の人生はね、一筋縄ではいかないもの。いろいろある。泣いたり笑ったりする、そこが、いいのよ。だから、たまには、こういう時間がないとね。それにしても、八王子。ああいう店が生き延びているところが、ランチェスター?うーん、また、行こうね。It Must Be Love ごはんをたべるのも It Must Be Love 眠るのも It Must Be Love レジで並ぶのもIt Must Be Love 洗濯するのもIt Must Be Love お風呂にはいるのも ・・・みんな愛のせいね(種ともこ「みんな愛のせいね」)
2003.07.12
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「○○ちゃんは、いつでもニコニコしているんです。幼稚園に入ってもほとんど泣きません。他の子と違って、かんしゃくも起こしません。怒られて教室の外に出されても、ニコニコ楽しそうなんですよ」幼稚園の個人面談。いいことなのかと思ったら、発達に心配があるかもしれないんだって。言葉の遅れで、状況の認識が・・・。お母さんが仕事が忙しくて、働きかけが・・・う、涙が出てきた。いい子、なの。本当に。いつもニコニコ、陽気で、お歌が大好き。絵が大好き。本当に、わたしが怒ることなんか、何にもないんだもん。わたしは、あの子が大好き。この間、日曜参観に行っただんながうれしそうに言っていた。「○○はね、絵がすごくうまくてね。遠くから見て、ひとめで『ああ、いい絵だなー』という絵があって近づいたら、うちの子の絵だったんだよ。他の子のはもう、型にはまってるんだけど、○○のは、全然違うの。画面いっぱい使ってて、自由奔放なの、うまいよー」その絵があったよ。・・・うまく、ないじゃん。確かに、ほかの子とは全然違う。他の子は目があって鼻と口があって、ちゃんと「顔」になってる。だけど、うちの子のは、なにがなんだか、さっぱり分かんないよー。これじゃ、先生も心配するって。天才だと思ってるのは、親だけだって。催しで、母親たちの話題は長崎の男児殺害事件。みんな心配している。ある人は、夫の会社の人に頼んで、自分の子どもを誘ってもらってついていくか確かめるんだって!デパートでフッと目を離す・・・親を責められないよね。本当に怖い。そして、上にきょうだいがいる人たちは、犯人が12歳の少年だったことに、またショックを受けている。被害者になるかもしれない。加害者になるかもしれない。うちの子が? うちの子が!みんな不安を抱えている。子どもの未来が。将来が。いまは可愛い。ママ、ママって甘えてくる宝物。だけど、10年後は?15年後は?殺されなくても、殺さなくても。待っているのは、ばかばかしい学歴社会。子どもを追い立てなきゃいけないの?町中で見かけるのは、スカートの短くて、汚いお化粧している女子高校生か、すぐに切れてナイフ持ち出す男子高校生。もっと大きくなると、かったるそうなフリーター。――この子が、あんなふうに、なっちゃうの?「かわいいのは、いまだけだよね」・・・ため息、ため息、ため息。ぜったい、昔は違ったよね。昔の親たちは、子どもが育つのが楽しみだったと思う。「大人になって、リッパな人になってくれ」「世のため人のためになる人間に」早く大きくなるんだぞ。そう思って育てていたはずだわ。それなのに、今はみんな、心のどこかで大きくならないでほしいと思いながら、育てている。こうなってほしいと思える、青少年も、大人も、いない国。引き起こされる、凄惨な子どもの犯罪。子どもが子どもを、残酷に殺す――ここは、地獄なの?「うちの子の絵はね、他の子と全然違うの、うまくてね!」親にとっては、どの子も宝物。どの子も天才。両手に乗るほどの小さなころから、大事に大事に育ててきた。たくさん写真を撮って、ちょっとずつちょっとずつの成長を楽しみに。みんな宝物で、みんな天才なんだよ!命は・・・
2003.07.11
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デジカメを買いました。カレのおすすめのExlim。音楽も聴けるかわいいやつ。早速トップページに写真をアップしてみた。私の朝のお散歩風景。ふふふ、楽しいな。昨日は七夕。ささやかなお願いをした。ささやかで、とても、幸せなこと。ちょっと前に、友達から聞いたのだけど、最近、「ありがとう教」みたいな新興宗教があるらしい。「ありがとう」と何万回だかいうと、願いが叶うとか、成仏できるとか、なんとか。なんでも、ただひたすら「ありがとう」と言い続けるんだって。既存の言葉を念仏にしてしまうなんて、すごい。さすが不景気。何系なんだろう。まあ、ネット上に流れる都市伝説のようなものかもしれないけど。「ありがとう」といえば、インドやネパールでは、「タンニャバード」だ。有名な「ナマステ」や「ナマスカール」は、「どうも」というような、やや軽い感じ。おもしろいな、と思ったのが、この「タンニャバード」、インドとネパールで使われ方に違いがあること。インドではわりと簡単に「タンニャバード」というのだけれど、ネパールの人はめったに言わない。本当は、一生に一度、なんだって。一生に一度の、ありがとう。そう、思うと、重い、地球より重い言葉だ。言うならきっと、死ぬ直前。命がけの、ありがとう。私なら、いったい、だれに言うだろう。本気 あなた本気なら態度ではっきりしめして本気 あたいは本気よだって 理クツじゃないからバカも利口も命はひとつ本気で愛を生きてもいいじゃない(上々颱風、「本気節」)
2003.07.08
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「だまされたと思って読んでみろ」知人から、口コミで広がっているという、一冊の歌集が回ってきた。ハードカバーで厚さ3センチくらいなのに、手のひらサイズで妙に軽い。いやに手になじむ独特の浮遊感のある手触りに、鳥肌が立つ。七福神のオーラのようなおめでたい黄色の表紙。金色の田中英樹のイラストがキラキラと白熱灯を照り返して笑う。嫌だ! 開いちゃいけない。逃げなきゃ! しかし、どうしても、強力な「念力」に操られ、ページを開いてしまう。エジソンに勝たんと発明繰り返す父の背中の鳩時計鳴る夏の夜の夢枕に立つ先祖霊供物が足りぬと吾を叱るなり妹の占星術を嘲笑すプラス思考の兄の初恋音楽のテストの時間妹に招かれしモーツァルトの霊あわれ前世の母恋しくて夜泣きする弟に燃ゆ母のジェラシーうわー、だからやだったんだー。驚天動地!抱腹絶倒!面白すぎる。天才すぎる。若干28歳の天才歌人、笹公人氏の歌集『念力家族』。満員電車こころで歌うメロディーを隣の男よなぜ口ずさむモノクロの写真でいつか見た人がわれに微笑むお盆の夜に落ちてくる黒板消しを宙に止め3年C組念力先生むかし野に帰した犬と再会す噛まれてもなお愛しいおまえゆらゆらと水を花壇にはこびゆく少女が消えて秘密めく夏・・・すごいでしょ。はまってしまう・・・、この感覚。私たち世代にとってオカルトは、もうギャグであり、カルチャーなのだ。ノストラダムスを怖がり、UFOを呼び、バミューダ三角地帯に夢を馳せる。こっくりさんに恋の行方を聞き、給食のスプーンを念力で曲げようとする。学校の校庭は昔墓地で、トイレには花子さんがいる。音楽室のベートーベンは金曜日の放課後に涙を流し、理科室の白骨標本は夜中に校内を歩き回る。そういう世界で育ってるから。占いも幽霊もまるで信じないうちのダンナも、「USO!チャンネル」などオカルト番組が大好きで、恐怖映画も漫画も大好き。「呪怨」や「女優霊」といったVシネマをビデオ屋で端から借りてくる。「幽霊は信じてないけど、いつか会ってみたい」と真顔で言う。軽くてクールで乾いた、現代のオカルト感覚。そういう、私たち世代のオカルト・カルチャー、「オカルト感性」というべきものを、存分に呼吸して、自在に歌い上げている。「こんなの、どうだい?」なんていう楽しそうな声が聞こえてきそう。この新しさとユーモア、かすかなせつなさ、ほんと、クセになる。寺山修司が21世紀に生まれていたなら、こんな歌を作っていたんじゃないか、と、ちょっと思ったりする。小さな小さなところから出ているけど、そのうち、幻冬舎とか、角川書店とか、そういう利にさとい大手に目をつけられちゃうんだろうな……。この不思議な装丁、不思議な編集で楽しめるのは、いまのうちかもしれない。この変った歌集を欲しい人は、いまのうちに。絶対ブレークするから、この人。一円もお金もらったりしてないけど、一人の歌人として(オイ、いつ歌人になったんだー?)おすすめ。奥付によると、発行所は有限会社「宝珍」(現在は、インフォバーンから大好評発売中) tel&fax 03-5804-6552http://hoching.co.jp/ info@hoching.co.jpちょっと真似して。一本の人差し指をスイと立て天に突き刺しブレーク予知す若造のみょうちきりんな念力であやかしの午後七色の吾うーん。いまいち。わはは。あ、著者紹介によると、明日は笹氏のバースディだった。私もナンカの能力があるかも。おめでとう。
2003.07.07
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7月5日の日記(栢野氏ふうに)5時起床。・最近早起き&川べりのお散歩が習慣になってきたけど、すがすがしい朝の空気を吸うのは、へんな健康法よりよほど体にいい。高尾山にトンネルを掘るバカな外関道の工事など、即刻止めてほしいものだ。大体、あと100年したら日本は人口が8000万人くらいになって、それもお年よりばっかりなんだから、交通渋滞なんて、自然に解決する。・今日(5日)は楽天日記が書けないと思ったので、朝、更新しておく。ちょっと暗い話。まあ、いつも浮かれたことばっかり書いてるんだから、たまにはいいだろう。そんなことをやってたら、遅刻しそうになる。東京の果て(八王子)は、下手したら、名古屋から来るしおにゃと変んないくらい時間がかかるんだから、急げよな。・さあ、いよいよ「栢野克己、ランチェスター・ビジネスセミナー」だ。いつも宇宙からきた人たちの集会からお受験セミナーまで、節操なく幅広いイベントを引き受けている渋谷フォーラム8が会場。部屋の後ろの方でビデオをセットしているTシャツ&短パンのお兄さんがいると思ったら、栢野氏だった。さすが、手作り&手作業、ランチェスターだ。・「栢野氏の起業成功秘話」。いきなり、中学時代にいじめに遭っていたことが悔しくて、少林寺を習う話、初恋の松村マリちゃんを陸上部のスターだった木村少年に奪われてしまった話……。おお、そんなところから入るのか。さすがランチェスター、接近戦だ。……と思ったけど、後になって、このなんでもない話は、枕なんかじゃなくて、栢野氏の人生を象徴するエピソードなんだと気づく。・ヤマハ発動機時代の営業の厳しさ、挫折経験。リクルートの子会社でのアルバイト時代、コンピューターシステムリース時代、チラシ会社就職、会社創業……その間に起こった人生の小波大波津波。ノイローゼ、婚約破談、困窮生活、神経科通い、親の巨額借金返済、母親の死……・「早稲田、慶応のやつらにはできないことをやるんだ!」「都会じゃ勝てないけど、田舎じゃ勝てるんだ!」「大企業じゃできないことが、中小零細にはできるんだ!!」・栢野人生の、キーワード――そう、リベンジ。大逆転。彼が傷だらけになりながら、たどりついた「ランチェスター」という戦略。そうだ、これなら、いける。これなら、勝てる。これだ。経営に勝ち、人生という戦争に勝つ。弱いからこそ、小さいからこそ、やれる方法がある。・「役に立ちたい、ありがとうと言われたい、だまして儲けたくない」「人は人でしか磨かれない」「本気は技を越える」。100万の呪詛、歯噛みする悶絶の日々から生まれた、澄んだ気持ち。それは、もしかして修羅のなかにある、浄土のような? 「風の谷のナウシカ」に出てくる腐海のなかの済んだ湖のような?・例えばお金持ちの家に生まれて、美人で頭がよく才能があるなら、いい人で当たり前。挫折もない、傷ついたこともない人に「人をうらんじゃいけないわ。精神レベルを上げれば、絶対!運がいいの!」と言われたって、「ごせつごもっとも。そりゃ運が良いでしょう」と言うしかない。だけどね、屈辱と苦渋と挫折と絶望を雨あられのように受けて、さんざん魂をゆさぶられて、ぎりぎりでたどり着いた「本気・正直・感謝」の気持ちが、ときに、純度が高いような気がしてしまう。「悪人正機」――こういう人をみると思う。・ファイター栢野氏は目下戦場にいるから、もちろん、悟ったとかそういうことではないけど。・なーんて書くと、ランチェスター、なんかすさまじいもののようだけど、基本は、商品、客層、地域、顧客、リピート、販売、時間、組織戦略。コツコツ手堅く、きめ細かく、正直商売。実は、女性起業家向けなのだ。日本社会では弱者である女性が伍していくには、弱者必勝のランチェスターで行くしかないだろう。さすが、T社長の感覚は素晴らしい。自治体系、あるいは大学系の女性起業セミナーあたりじゃ、なかなかこういうセンスはないだろう。・講演後の懇親会。女性起業塾のセミナーとは思えないほど、カッコいい男性がたくさんいて、思わず緊張してしまったけど、久しぶりに同期と話せてうれしい。いま手がけていることが一段落したら、名古屋へ遊びにいく約束をした。ありがとう。
2003.07.06
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友達からメールが来て、知人が亡くなったという。まだ若いその人は、自ら命を絶ったのだそうだ。だんなとそんな話をしていたら、だんなの会社でも最近、自殺した人がいるという。このごろ本当に多い。年間3万人。4000人に1人。さらに、リストカットといったケースをのぞいても、事故とのボーダーラインで自殺と認定されない死やまた、自殺をはかったもののすんでのところ助かったというようなケースを含めると30万人以上が「自殺」しているそうだ。ということは、400人に1人。マンションの1フロアに1人くらいは死んでいる、ということ?ほんの15年くらい前までは1万人くらいだったというのに。日本にいま、何が起こってるんだろう?うちのだんなはまず、自殺はないし、うつ病になるとしたら、1億人がうつ病になった後だね。……なんて話していたら、それでも思春期のころは、人生を空しいと思っていた時期があったという。そして、そのころ、同じように早熟で、本の話や音楽の話をしていた友人がいたんだけれど、彼が中学校の卒業式のすんだ春休み、海に飛び込んで心中したんだそうだ。15の春。相手は同級生の女の子で、彼女の方は生き残ったという。二人は付き合ってはいたけれど、それほど深い付き合いではなかった。道連れは、別にだれでも良かったんじゃないか、と。「俺は、あいつが死んだ理由はすごくよく分かる。絶望していたんだよ、すべてに」この話を今までしなかったところをみると、だんなは当時かなりショックをうけたんじゃないかと思う。そういうと、忘れていただけだよ、というと思うけど。「なんとかなるさって、ケ・セラ・セラで生きていけばいいんじゃないの。どうせ死ぬんだから」わたしとは全くちがって、本当に力が入っていないひとなのだ。嬉しいときも、とりたてて大喜びしないし、とんでもない状況に陥っても、ちょっと「はーあ」っていうだけ。いつもいつも、おんなじく、力が入っていない。こういう時代は、そのくらいでちょうどいいのかも、と思ったりもする。「借金とか失恋とか、そういう理由で死ぬのはもったいないと思うけど、なんか考えがあるなら、いっこうにかまわないんじゃない? ただ、死ぬ直前に、友達に電話しないことだね」
2003.07.05
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娘が、耳を痛がっていると、幼稚園から呼び出しがあり、迎えに行って耳鼻科へ連れて行く。耳の治療はよほどイヤとみえ、身をよじって泣き叫ぶ娘を看護婦さんと一緒に押さえつけるのが、ちょっと可哀想だった。久しぶりに耳鼻科へ行って、安房直子の『鳥』という物語を思い出した。私は子どものころ、とても耳鼻科にお世話になったから、この話が大好きだった。あるとき、少女が、耳鼻科の医師のもとへやってくる。私の耳に入ってしまった「秘密」を、大急ぎで取って下さい――。お医者さんが耳を覗き込むと、そこは広々とした砂浜で、鳥が飛んでいて。でも、お医者さんは「秘密」を捕まえることができない。「秘密」というのが、少女が好きになった少年が、実は魔法にかけられて人間にされた鳥だったという話。その秘密が、誰かに知られたら、少年は魔法が解けて、鳥に戻ってしまう。少年も知らない秘密。少年は老いた海女に囚われていて、自由がない。愛し合った二人は手に手を取って逃げ出そうとするのだが、海女はそれを知って激怒し、少女に秘密をばらしてしまう。だから、そのことを知った少女は大急ぎで、お医者さんのところへやってきた。でも、叶わず、がっかりして、少女はトボトボと去る。そして、どういういきさつだったか、お医者さんは、少女もやはり魔法をかけられた鳥だということに気づく。そして、お医者さんは少女の後を追う。少女の耳に、もう一つの新しい「秘密」を入れるために――。手元に本が見当たらないので、うろ覚えだが、こんな話だった。かわいくて、不思議な話。いろんな読み方ができると思うんだけど……恋に落ちるというのはこういうことなんじゃないかな、と思う。二人とも、人間の世界で、自分を人間だと思って暮らしているんだけど、ある時、相手が鳥だということを知ってしまう。そして、自分も鳥だったということに気づく。恋ってそういうことじゃないかな。心のどこかで、ずっと、自分だけが他のみんなと違うような気持ちが、ほんのちょっと、していた。でも、それなりにうまくやっていたし、人間じゃないかもしれないなんて、考えたこともなかった。でも、同じ種類の人と出あってしまって、稲妻のように、「秘密」を悟ってしまう。ほんとうは、今までずっとずっとさみしかった。ひとりぼっちだった。それは、魔法をかけられた人間だったからなんだ。――私たちは同じもの。他の人たちとは違うもの。ああ、やっと会えたね。出会えてよかったね。……なんて、ね。 生まれた町を 遠く離れても忘れないでおくれ あの町の風をいつでも誰かが きっとそばにいるそうさきっとおまえが いつもそばにいるいつでも誰かが きっとそばにいる思い出しておくれ すてきなその名を (上々颱風、「いつでも誰かが」)
2003.07.04
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少し前から気づいたことなんだけど。最近肌の調子がいい。ストレスでボロボロだった20代のころよりずっといい。眠くならないようにと、一日10回くらい顔を洗ってるせいだろうか。そのあと、ローションも、クリームもなんにもしない。ただ、石鹸か、水だけで顔を洗っている。それが、肌が突っ張るどころか、何もつけなくてよくなった。洗顔後、天然のクリームがうっすら塗られる感じ。すべすべ、ぷるぷるなの。だれかに触って欲しいくらいよ。「水だけ!究極の美顔術」っていう本でもだすかな~。あと、肝臓があまり丈夫でないので、ハイチオールCを飲んでいるのもいいのかも。ううん、女はね、35からなのよ。わけあって、『私の運命が動き出す、30秒マナー』(浅野裕子)を読んだ。すごいぞぉ、ページを開くと、いきなり、「 『三十五歳』 なんて素敵な響きでしょう」 ……だぜ。のっけから、他の年齢の読者を拒んでいるところが潔くていいね。う~ん、35歳、なんて素敵な響きでしょう。私もそう思う!!「残念なことに日本の社会では、三十代の女性に対し、年齢だけでオバサン呼ばわりする下品な男たちが多いのが現実です」 そーそー、そうなのそうなの!「きちんと経験を積んできた大人の女性の魅力を正視できない、情けない男たち」「心根が貧しい男たちばかり」「自分たちに知性がない分、大人の女性には太刀打ちできないというのが本音」「そんなタイプの男たちにこだわっていると、こちらまで薄汚れてしまいます」 すっごい、センセー、怒ってるなー! もっと言ってもっと言って! 「大人の女性たるあなたが選択すべきなのは、そういう男たちとは正反対の、知性を持ち合わせた上質な男性です」そうなのよ、知性と上質。あと、風来坊っぽい風味があれば、いうことなし。 「上質な男性というのは、絶えず自分を磨くことを心がけていますから、同じように自分を輝かせようとしている、経験を積んだ話題豊富な大人の女性を常に求めています。そういう女性がいかに一緒にいて楽しく、素敵なのかをよく知っているのです」日本のオトコはおにゃんこ卒業したと思ったら、モー娘。だもんねー。結局それだけのアタマしかないのだわ。でも、探せばきっと、そうじゃない人だっていますよね、先生。「こういう男性とお付き合いしていると、女性は驚くほど輝き始めます。特に35歳前後の女性は、これからが本当に女性として花開き、真の美しさを身につけていく年齢です。この大切な時期の男性との付き合い方によって、その後の女性の輝き度に、大きく差がついていくのです」ウンウン、輝きたい輝きたい。女がおしまいだなんて、ぜーんぜん、これっぽっちも思えないわー。むしろ、は・じ・ま・り!(←アホ)
2003.07.02
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