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おはようございます昨夜は急遽の飲み会となりましたが、さすがにいつもよりは飲めず…午前0時前後に帰宅しました連夜のお酒にさすがに五臓六腑がお疲れちゃんモードです…と言うことで、家の事を全く何もしないままに、はや大晦日です思い返すと、本当の色々とあった一年間でしたが、皆様の暖かく楽しいコメントなどに励まされながらも、どうにかまた一年間このブログを続けることができました支えてくださってお気に入りの皆様…一年間本当にありがとうございました…(^人^)感謝♪また来年もよろしくお願いいたします今日は、午後から実家の方へ出掛けます毎年、年取りは我が家で行っており、実家で年取りをするのは10数年振りになりますが亡父の四十九日が明けておらず、継母一人で過ごさせるという訳にもいきませんので家族全員で出掛けてきます札幌から継母の子供さん一家も見えるので、継母&2家族での楽しい年取りになりそうです………でも、また飲まなきゃなぁ~それでは皆様…良い年をお迎えくださいませ ポチッと応援よろしくお願いします
2009.12.31
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こんばんわ昨夜の今年最後の忘年会焼肉をた~んまり食べて焼酎(大好きな黒霧島)をシコタマ飲んでカラオケBOXでは「ONE LOVE(嵐)」にはチャレンジしました「青春アミーゴ(修二と彰)」「青い珊瑚礁(松田聖子)」「落陽(吉田拓郎)」「裏切りの街角(甲斐バンド)」…後は何を歌ったのかハイボールを飲みすぎたせいか…記憶にごさいませんただ、締めに「少年時代(井上陽水)」を歌ったことだけは辛うじて覚えております帰宅したのが、午前1時過ぎ…フラフラでシャワーだけを浴びて寝ました今朝はどうにか起床し(起こされ…)、食欲減退ながらも朝食をとっていた時に娘が「お父さん…お風呂入っていないの…」と一言………「失礼なシャワーを浴びて寝たぞ」と言い返しましたが、昨夜の焼肉のタレに入れたニンニクがかなり効いていたようです(加齢臭ではありません…)そんなことがありながら仕事納めに出勤し年内の仕事に一定の区切りをつけて帰宅しました。…が、しかし…今晩も飲み会が入ってしまいました会社のH先輩に誘われて、同僚宅で急遽飲むことに…このH先輩のことは、後日触れるとしますが、会社で自分が尊敬する先輩の一人で、数年前に若くして奥さんを亡くしております帰ってくるなり冷たい家族の視線を浴びながらも、今日もオヤジは飲みに行くのですお~い、みんな~、これも仕事だぞ~~~ ポチッと応援よろしくお願いします(__;)
2009.12.30
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いよいよ今年の仕事納めまで残すところ一日となり、今晩は焼肉忘年会です(笑) さぁ~て、カルビやホルモンetc…食うドぉ~(*~ρ~)/C□
2009.12.29
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こんばんわ町の雰囲気やメディアから年末ムードが漂ってまいりましたもちろん今が掻き入れ時という企業も多いのですが今日が仕事納めというところも多いようです我が家では、先週からカミさん(幼稚園パート)が冬休みに突入し息子は、来月のセンター試験に向けての講習会を一応年内は今日で終了…娘は、終業式は先週終えたもののインフル禍のため、相次いだ学校学級閉鎖のため今日までが登校日…と言う訳で、家族は明後日までが仕事の自分を除いて、みんなが明日からお休みなのですそんなことから気の緩みがあった訳でもないのでしょうが、今朝は全員が朝寝坊して、ワンコに起こされる始末…………お陰で今日は昼食の弁当を作ってもらえず、久しぶりにコンビニ弁当でしたたまにはコンビニ弁当でもいいんですけど、カミさん………弁当代は頂戴…さて、明日は今年最後の忘年会で~す去年までの職場の気心知れた部下達との忘年会で、みんな楽しみにしているようです(自分は財布が薄くなるのが心配ですが………酔うと特にね…)今日、早くも2次会は「カラオケBOXへGo」との会話も聞こえており、ちょっと古いですが今年大ブレークした嵐の「One Love」を繰り返し聴いて覚えているのでした明日はオヤジ・パワーを出しまくりま~す明後日…出勤できるかなぁ~… ポチッと応援よろしくお願いしま~す・・・( ̄  ̄;)
2009.12.28
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今年のJRA最後のG1を締めくくる有馬記念が終わりました◎ドリジャニが出遅れた時には一瞬冷やりとしましたが早いペースに途中からニンマリ…最後の直線○ブエナとのマッチレースの時には、既に自分の目は3着争いに向いていました…と言うのも、▲アンライバルト(15着)に加えて、レース直前まで迷って加えたお馬が△マイネルキッツと△エアシェイディだったからです直線粘るフォゲッタブルに「後藤ぉ~、差せ、差せ~」と叫んでいましたその結果はこれこれはまだ良いとしてもこれは欲が出て、馬券を買い過ぎですそれにしてもエアシェイディの人気の割に付かなかったなぁ~実はさらに姑息にも保険として3連複を6点ばかり買っておりそちらにはフォゲッタブルを加えていたのですが、それが当たるよりはまぁいいか…と言った感じですでも、今一スッキリしなかったものだから、阪神最終の2009ファイナルSにも◎アップドラフト(4着)軸に手を出してしまい思いっきりの縦目で玉砕…今年もマイナス収支が確定し(回収率約86%)………モヤモヤ感が増してしまいヤシた明日からあと3日で年末年始休暇に突入しますまぁ~大負けしなかっただけヨシとして、来年はプラスを目指してまた頑張りますまずは両金杯を頑張ろう~ ポチッと応援よろしくお願いします(゚ペ)ウーン
2009.12.27
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こんにちはいよいよお馬の1年の締めくくりとなるビッグ・レース有馬記念(G1)ですね~昨夜にウニウニ考えて3頭まで決めましたが◎ドリームジャーニー(鞍上、父馬…ぜ~んぶ好き!難しく考えずに)○ブエナビスタ(勝ちきるイメージは湧かないものの、ここでは切れない)▲アンライバルト(何かの暗示が………)朝から忙しく…後が絞れていませんギリギリまで悩みます ポチッと応援よろしくお願いします(゚ペ)ウーン
2009.12.27
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こんばんは昨日は仕事が終わってから、会社のH先輩宅に4軒の家族が集まり忘年会&Xmas会で午前様でした気の許せる仲間達のためすっかり飲み過ぎてしまいお陰で今朝はひどい二日酔いでした昨夜お邪魔したH先輩は、昨年に大腸癌で…その後に肝臓への転移も見つかって、今年早々に手術を受けており、術後の経過は順調のようですが、なお定期的に検査を受けています。…だと云うのに、酒タバコも止めておらず…そんなH先輩と久しぶりに杯を酌み交わしたものですから、 (* ̄∀ ̄)ノ■☆■ヾ( ̄∀ ̄*) ノムゾォー!!お酒が美味しくて…つい飲みすぎちゃいましたカミさんも、久しぶりにビールをシコタマ飲んでましたよ…H先輩………近いうちにまたやりましょう…今度は新年会でも…さて、お陰で今朝は少し寝坊してしまいましたが先日契約した車が本日、納車となることから、午前中に吹雪の中を1時間ほどかけてショップへ取りに行ってきました1年落ちの中古車ですが、ほしいものがほぼフル装備で、程度も良く…9年振りの入れ替えですから、やっぱりうれしいものですただ、これまで乗っていた1BOX(8人乗り)と比べると、かなり小型(5人乗り)…排気量もかなり落ちるため、馬力が無いですね~…とは言っても、これから子供達にかかる教育費を考えると、暫く乗り換えは考えられず…長いお付き合いになる車なので大事に乗っていこうと思っていますナビやら色々と付いている装置の使い方が分らないため今晩はマニュアルとにらめっこです有馬記念の検討もあるし、本当に忙しい休日です ポチッと応援よろしくお願いします(-"-;A ...
2009.12.26
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Merry Christmas…イヴ…( ̄ー ̄)//△パンッ:・☆▲∴*:゜★.:。*:・'゜★今日はイヴ…さすがに職場のみんなの帰り足は速かったですね~そういう自分もピンポンダッシュで帰宅し、ささやかながら家族でクリスマス・パーティー…手巻き寿司とお決まりのKFCで…お腹がいっぱいですもちろんお酒も………とっくの昔にサンタさんは来なくなりましたが子供達はそれぞれに服やブーツを買ってもらったようです(子供達もサンタクロースを信じている頃は可愛かった…)お腹がきついんですけど…そろそろ別腹のケーキを食べるようなので、ケーキを肴にまた飲むのです…今日はこんなところで…明日は長年、家族ぐるみでお付き合いしている会社の先輩ら4家族で忘年会のため更新はサボります着実に年末ジャンボならぬ年末メタボへ向かっています ポチッと応援よろしくお願いしま~す(^^)V
2009.12.24
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今日の祝日は父の五・七日で、お寺さんがお参り来ることから、午前中に実家へ行ってきました年の暮れはお寺も忙しいのか、約束の時間から遅れること約1時間ちょうどお昼時に住職が訪れました。読経の後、しばし住職と、“弘前のお墓”の改葬の件で懇談(お腹はグゥ~)自分は知らない先祖が眠るお墓…できれば父の代で後始末をしてほしかったが、こうなってしまった以上は、自分の子供達に負わせる訳にもいかないことから、何とかしようと思っている旨を伝えました住職からは、『今が良い機会なので、できるだけ早く先方のお寺と話をした方が良い』との助言を受けましたが、子供達の受験、その後の引っ越しやらで忙しく、来春には父の納骨をすませた後に、継母と赴いてこようと思っていると伝えましたまぁ~時期はともかくとして、やっぱりある程度の出費は必要なようです父の残した僅かな遺産で何とかなれば良いのですが…遺産と云えば、父の持っていたPAT口座の解約手続きをようやく終え今日、継母からその残金を授かりました改めて父のそのPAT口座を眺めていると、父の在りし日の面影が浮かぶ一方でその賭け方に開いた口がふさがりませんたいした金額ではありませんが、競馬好きでその歴も自分の大先輩の父が残してくれた資金ですから、弟と等分し………自分はお馬に使おうと思っています有馬記念で早速減らすことにならないといいのですが……… ポチッと応援よろしくお願いします(;-_-) =3 フゥ
2009.12.23
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今朝も雪がチラついており、寒さ対策に、今冬初めて下着を上下とも着用して出勤しました若い頃はモモヒキやステテコなどのジジむさい下着は例えどんなに寒くても履かなかったものですがこの年になるとそうも言ってられません。しか~し、モモヒキやステテコと言うとジジむさいイメージも、今やUNIQLOの“ヒートテックタイツ”と言えば、ちょっとは若者っぽい感じで不思議です昨年から愛用しているこのヒートテック昨年はなんとか“VネックT”は購入したのですが、品切れ続出でタイツを購入できずそこで今年は早めにタイツと追加でVネックTを購入し、来る冬将軍に備えておりヤシたこれで北海道の寒い冬もポッカポカ…お陰で暖か過ぎたせいか今日の仕事中は何度も睡魔に襲われました仕事の妨げになるヒートテック………恐るべし…グンゼとか、フクスケとか、レナウンとか、ヘインズとかは大変です…これは本年度一人勝ちともいえる“ファーストリテイリング社”の陰謀でしょうか…って、なんのこっちゃ… ポチッと応援よろしくお願いしま~す(^▽^;)
2009.12.22
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今日は朝から猛吹雪です出勤前に軽く雪かきをしてから出勤しました………が、定時で帰宅してまた雪かきです先週までは12月の北海道とは思えないほどに雪が無かったのですが、ここにきてようやく北海道…そしてXmasらしくなってきました(〃 ̄▽ ̄)o-o∠※PAN!"。・:*:・゜☆メリークリスマス・:*:・゜☆ 今日のお昼休みに会社の近くでパチリしかし、この雪の中で自動車の運転は道産子の自分と云えども、時々怖い思いをすることがあります特に先週の金曜日…忘年会の日ですが、お昼に上司と札幌にへ出張夜は忘年会というタイトなスケジュールだったのですが帰りの高速道路が、一時猛吹雪で50キロ規制…前方がよく見えず、車線も見えず…怖かったぁ~それでも「少しでも早く美味しいお酒が飲みたい」との一念で、そこそこのスピードで走り忘年会に遅れること約30分で無事到着しました…まだ、路面が圧雪だったから少しはマシでしたが、もっと怖いのはブラックアイスバーン…北海道のブラックアイスバーンは怖いですよォ~タイヤが地についていない、空を飛んでいる感じで、ABSが効きまくりですもんだんだん何を書いているのか分らなくなってきました皆さんも冬道は安全運転を心がけましょうね ポチッと応援よろしくお願いしま~{{(>_
2009.12.21
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朝日杯フューチュリティが終わりました最後まで悩んだ馬券は、結局、エイシンアポロンを本命◎に単勝◎馬単◎→○○▲▲△3連複◎→○○▲▲△3連単◎○○→◎○○→◎○○▲▲△…と、た~くさん買ったのに…木端微塵です勝った○ローズキングダムと2着に終わった◎エイシンアポロンに力の差はありましたが大健闘といっていいでしょうでもにはならずここは仕様が無いにしても、人気どころでは、唯一軽視したダイワバーバリアンが3着に入り、3連複、3連単とも紙クズというドヘタぶり…最終12Rをグッとこらえて(結果的に良かったぁ~)これで、いよいよ来週に有馬記念を残すだけになりました現在、今年の回収率は約78%………と大きく負けています年間回収率プラスへ向けて…尻に火が付いています ポチッと応援よろしくお願いします(・_・、)
2009.12.20
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おはようございます外は真っ白ですが、今朝はちょっと暖かいです(…と言ってもマイナス気温ですが…)早速、雪上を歩くのを嫌がるワンコを引きずりながらの散歩を済ませてきました今日は特に予定も無いので、年末のやる事リストの一つでも片付けてしまおうかと思っていますまずはその前に、朝日杯フューチュリティ(G1)の買い目を決めてしまおうと思っていますが、軸を決められずに迷っています一応は以下のように絞りました。○トーセンファントム(外枠やデータ的にチト迷うが‘当選’ファントム)○エイシンアポロン(鞍上お気に入りでやっぱりこっちか)○ローズキングダム(今年はやっぱりローズ八ッ場ダム)▲ニシノメイゲツ(これも外枠…でもカミさん推奨で…)▲キングレオポルド(東だが前走が優秀で…)△ダッシャーゴーゴー(勝つイメージまでは湧かないが連下なら…これもカミさんお薦めで)…と言ったところですが、どうも人気どころで固まっていますもう一頭穴馬を加え、いつもの3連単フォーメーションにするか先週同様に“父の原則”をもとに、単勝、馬単、3連複、3連単とバラバラ打つか午後までもう少し悩みます ポチッと応援よろしくお願いします(._.?) ン?
2009.12.20
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こんにちは一昨日の内輪の忘年会前夜祭そして昨日の忘年会と連夜にわたる飲み会に、かなりお疲れモードで~~~す一昨日は、かる~く午後10時の帰宅でしたが昨日は、かる~く午前2時過ぎ………さすがに今日はチト辛く、今晩は晩酌を控えようかと思っています(分んないけど…)さて、今日は父の月命日です午前中は人と会う約束をしていたため、それを終えてから実家へ線香を上げに行ってきました年明け1月6日が四十九日で、既に繰上法要を終えていることから、身内だけで小じんまり行う予定ですが暮れまでにはその段取りをつけてしまおうと、継母とその相談やら、お世話になった方々への挨拶礼状等々の関係それが終わったら、父の遺品の整理やら小さいですけれども実家などの相続の関係(自分と弟は継母と養子縁組をしていないため、揉めることはありませんが、これが後々の事を考えると結構面倒くさい………)まだまだやらなければならないことが、たんまりとありますお墓は実家ある町の霊園にあり、実母や祖母が眠っております雪深い所にあるものですから父の納骨は、春になってから行う予定ですが実は先祖代々のお墓も弘前のお寺にあり、家が本家らしいので、祖父を始め沢山のご先祖様が眠っております以前にも書きましたが祖父は父が13歳の時に戦死しており、自分は写真でしたことが見たことがなく、当然それから先のご先祖様のことは誰一人として知りません小学生の頃に一度だけ訪れたことがあり、沢山の墓石があったのを覚えていますが、向こうには父の従兄弟などがいるものの、近い親戚はおりませんので、父の頃はともかく、自分はまったく疎遠です。父は毎年このお寺に一定の管理料を支払って供養をしてもらっていたようですが、自分の代でこのお墓を守っていくことは考えられずましてや自分の息子の代になると尚更なものですから、父の生前には…もう10年以上も前から「弘前のお寺の方の後始末だけはしてくれ」と話していたのですが、結局、その整理ができないままにあの世に行ってしやいやしたしたがって、自分の代でなんとか改葬をすべく、継母とは「来春にでも一度弘前に行ってこよう」と話しております。でも、手続きがかなり面倒臭そうだしお寺さんによっては法外なも求められるようで…どんなお寺さんか分りませんが、かなり気が重いです父は大した遺産は残さなかった分、借金も残していないので、それはそれでいいのですが…自分にとっては、これが一番大きな借金なのです父の四十九日が終わっても、暫くはやらなければならないことが、たんまりとあるのです ポチッと応援よろしくお願いします(--;)ウッ
2009.12.19
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今日は仕事で東京から来客があり(もちろん自分にではなく、会社のお偉いさんにです)帰りに部下と2人、千歳空港まで送って行くことになりましたその帰り道…急遽、部下数名と忘年会の前夜祭をすることになり、急ぎ電話で招集…そして、行っちゃいましたぁ~明日は引き続き、札幌出張&忘年会です安全運転を心掛け、美味しい酒(日頃の鬱憤ばらし酒)を飲んできま~す ポチッと応援よろしくお願いしま~す(--;)ウッ
2009.12.17
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今朝の出勤時の気温は-5度…12月も中旬を過ぎると流石に寒くなってきましたそうなると暖かい家が恋しいもので(仕事をしたくないだけなんですけど…)少しでも早く帰ろうと仕事を片付け、今日も定時で帰宅しましたでも、今晩もけっこう暇です年末にかけては片付けたいことが結構あるのですがだからと言って、仕事から帰って来てから手掛けていこうとは思えませ~ん休日に少しずつやっつけようと思いながらも、その休日がいろいろと忙しいんだよなぁ~何も書くことが無いので、せっかくだから、そのやる事を忘れないように記しておこうと思います1 ブルーレイのHDDに溜まった番組の整理(ダビング)2 自分の衣類の整理(着なくなった不用な服などの処分)3 オークションの出品 (まだ出品したいものがいくつかあって…そこそこ小銭稼ぎになってま~す)4 2010年手帳の整理 (新しい手帳に、既に決まっている来年のスケジュールなどの転記)5 このブログも少しいじってみたい…取りあえず、これらを年内に片付けたいけれども、忘年会が今のところ2回予定されており車の納車やら父の事での後始末もまだあって、どうなる事やらですちなみに、家の大掃除…どれだけカミさんにこき使われるかにもかかっています ポチッと応援よろしくお願いしますφ(.. )
2009.12.16
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こんばんは今日は仕事は暇でもなく、忙しくもなくで…丁度良かったのですが今年4月に入った新人N君の(…新人と言ってもアラフォーです)仕事覚えの悪さというか仕事に対する消極さというか仕事へのセンスの無さというか…上司の自分は2度もイラッとさせられ、帰りがけにもバタバタして会社に迎えに来たカミさんを待たせてしまいました…とは言うものの、残業はせずに帰れましたしかも、今晩は特にやることもなく暇です…こういう時こそ暫く休んでいて、さっぱり読み進んでいない読書(東野圭吾)をしようと思っています…もちろん飲みながらですけど…ついでに、今度の日曜日の朝日杯フューチュリティステークス(G1)の出走予定馬を軽くチェックしてみようと思います。この朝日杯ですが、過去にまだ朝日杯3歳ステークスだった時代の'96 マイネルマックス→オープニングテーマを1000GET(結構うれしかった)'97 グラスワンダー→マイネルラヴを1000GET(…安っ)'98 アドマイヤコジーン→エイシンキャメロンを1点張りで10000GET(多分、今はこんな買い方出来ない)…とここまでは良かったのですが、朝日杯フューチュリティステークスになった後が鳴かず飛ばず… 昨年もシェーンヴァルト(7着)から買って負けています要は相性がいいと思っていたのは、朝日杯3歳の時代で…今の名称になった'01以降はさっぱりなのです今年はなんとか「朝日杯フューチュリティステークス」デビューを果たしたいものです ポチッと応援よろしくお願いしま~すヾ( ~▽~)ツ
2009.12.15
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こんばんは今日は気怠い月曜日………それでも今週は水曜日まではスケジュール帳に隙間があり、定時で帰ることができましたこれから晩酌でもしながらテレビでも視ます先週のTVアンテナの修理に合わせて付けたBS・CSアンテナですが、考えてみると、BS放送が導入されて約20年………その間、我が家では前に使っていたテレビでも衛星放送に対応していたにも拘わらず、BSアンテナが無いばっかりに視られなかったんだなぁ~…と感慨に耽りながら、先週には早速スカパー!e2のほぼ全chが見れる16日間無料体験を申し込みスカパーHDでは無いため、競馬(グリーンチャンネル)が無いのはチト残念ですがそれでもそのchの多さに戸惑いながらも昨夜は娘と二人で『トムとジェリー』に嵌って視てしまいヤシた(受験生の娘は、そんなことしている場合じゃ無いんですが…)この16日間無料放送はテレビのB-CASカードでのお試しなので、それが終了したら今度はブルーレイのB-CASで、また16日間…合計すると約1カ月のお試し無料体験ができることに…無料期間が終われば、契約したとしても1~2のchだけだろうからこの際、沢山の番組(映画や音楽番組)を録画しておいて、後で楽しもうかと思っていました (セコイけど…)それでは、晩酌しながら、ドラゴンボールGTでも視ることにします ポチッと応援よろしくお願いしま~す(^▽^;)
2009.12.14
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阪神ジュベが終わりました1着○アパパネ、2着○アニメイトバイオ、3着ベストクルーズで人気上位の決着とはいえ、絞った7頭が1着~7着を占めるという結果に…でも、馬券は外しちゃいましたぁ~今日は‘父の原則’(まだ完全解読出来てませんが…)を基に、父の買い方を思い出し最終的には絞った7頭の馬をもとに単勝、馬単、3連複、3連単と、それぞれに不規則な組み合わせでバラバラに購入しました…レースが終わった瞬間に当たり馬券があるかもと探しましたが思いっ切りの縦目でしたぁ~思い起こせば父もしょっちゅう『縦目だぁ~』と嘆いていましたっけ…それでも惜しかった分、少しは楽しめましたけど…それにしてもカミさん一押しの○アニメが見事に2着…実はカミさんは、このレースで2頭を選んでおり、そのもう1頭も1着のアパパネでした(先ほどは自分の推奨馬と被っていたため書きませんでしたが…)…と言うことは、このレース…カミさんは馬単2点(表裏)でGETできたということに…恐るべし我が家の牝馬です(古馬だけど…)来週の朝日杯(G1)…有馬の軍資金稼ぎのために、‘父の原則’と我が家の牝馬の勘に頼ってみようかと思っています ポチッと応援よろしくお願いします(>_
2009.12.13
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おはようございます今日は久しぶりに大した用事も無く、ゆっくりできそうです息子は今日も1か月後に控えたセンターへ向けて模試のため学校へ…カミさんと娘も代車で買い物に出掛けたため、今はまったりしています先ほど久しぶりとなるワンコの散歩を済ませこれから阪神ジュベをもう少し考えてみます夕べは一応お馬さんを絞りましたが、まだ買い目が決められません一応、購入を考えている馬はカミさんの意見も聞きながら○アニメイトバイオ(完成度高し…カミさん押し)○アパパネ(前走が圧巻で…)○ラナンキュラス(美味しそう…)○シンメイフジ(末脚強烈~)△ステラリード(札幌実績評価)△ベストクルーズ(前走の内容良し)△タガノエリザベート(連下からは外せん…)…以上と言ったところで、これらをどう組み合わせるのか昨日の父の暗号も気になって決め切れずにおります午後3時までじっくりと考えてみます ポチッと応援よろしくお願いしま~す(゚ペ)ウーン
2009.12.13
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今日は休日というのに、いつもより早い時間に目が覚めニ度寝しようかとも思いましたが、9年近くも乗った我が家のポンコツ車を手放す日であることを思い出したら目が冴えてしまい、結局は早く起きてしまいました。朝食後はポンコツ車から取り外すものを外し、夏タイヤなど一緒に付けて出すものを積み込んで、午前中はまず実家へ線香を上げに行きました…継母はまだ毎日が忙しいようですが、一人暮らしとなったことから、たったの一週間ぶりというのに積もる話が多いようでちょうど弟夫婦も訪れたため四十九日へ向けての相談などもしましたまた、20数年前に死んだ実母の遺品の一部を父から継母が引き継いでいたということで、(はじめて知りました)我が家と弟の両カミさんに実母の形見にという形で引き継がれました弟夫婦は一足先に帰りましたが、我が家は実家で昼食を取り、その後は新しい中古車の契約等のためショップへ改めて購入する中古車を確認しましたが、社長に前のユーザーさんは何故に新車購入した車を1年余りで手放したのか尋ねたところ「そのショップに勤めていた女性スタッフで結婚により退社し、それを機に軽自動車に乗り換えたため」とのことでした女性ユーザーだったせいか、どうりで室内も綺麗な訳です附属品やサービス品の内容と金額を確認し、無事契約を済ませました…納車は年末になるようですその後はポンコツ車とお別れし(長い間、家族の足として活躍してくれてありがとう)納車までの足となる代車に乗って帰りましたその代車ですが、平成20年車と新しくいのですが、なんとCD、MDはおろかラジオも付いておらず…いつもは音楽やラジオを聴きながら走っているものですから、音の鳴らない車があんなに静かだとは思いませんでしたカミさんとの会話が途切れるとシ~~~ンとして、なんだか違和感があります取りあえずは2週間余りこの車に乗らなければならないので、ラジオでも持って乗りますかね~さて、ようやく一息ついたので、この後は晩酌でもしながら、明日参戦予定の阪神ジュベナイルF(G1)を考えてみます2歳G1は朝日杯の方は比較的相性がいいのですが、このジュベ(阪神3歳牝馬)は過去に昨年位しかGETした記憶の無い相性の悪いレース今のところ全くの白紙ですが、我が家の牝馬(カミさん)の力も借りようと思っていますところで先日、父の書斎で『馬券購入原則』と書いたメモを見つけました継母に尋ねたところ、「知らなかったが、紙が新しいため入院前の最近に書いたものではないか」とのこと確かに筆跡が乱れており、健康な頃の父の字ではありません父は自分と違ってショボイ馬券は買わない人で、だからと言って極端な穴狙いをする人ではなく、何かしらの法則と直感で買う人でした結構100万馬券も購入していましたが、その夢は叶わず………それでも50万とか80万とかを取ってはみんなを温泉招待などをしてくれましたそんな父のメモを持ち帰ってきて、改めて読んでいたのですが、解読不能な部分があって意味が分かりません(父よ…暗号を残してどうする)そのメモの最後の方ですが、『…その際は、3度の亘って点検。「芝がき」、「中がき」(若しくは「ゆがき」)、「精査」「精査」のときは、落ち着いて熱冷シートを貼り、PM3時終了とする』熱冷シートを貼ってまでやっていたとは体調が優れなくなったやっぱり今年のメモのようだけど…「芝がき」、「中がき」………オヤジ~~~~…なんのこっちゃ~~~~ ポチッと応援よろしくお願いします(◎_◎) ン?
2009.12.12
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みなさん、こんばんは今週は上から矢のように降り注ぐ仕事にてんてこ舞いで遅くまでの残業がびっちりと続き、随分とブログの更新をさぼってしまいました今日はどうにか一区切りを付けることができ夕方には部下Mの飲みに行きたいオーラに負けそうになりながらも、来週は忘年会もあるのでグッと我慢し、今日のところはプチ残業で帰宅することができました来週からも公私ともまだまだ忙しい日が続くと思いますが、今日からブログを「完全復活」したいと思います皆様には「父の日記」の間も、度重なる暖かいお言葉や励ましをいただき大変ありがとうございましたm(__)mさて、先日の風で倒れたTVアンテナも昨日に念願のBS・110度CSデジタルアンテナというオマケまでついて完全復活しました昨日から我が家でも初めてBSとスカパーe2(お試し放送と無料チャンネルだけど…)が入るようになり、昨夜遅くに帰宅してから少し視てみましたが、チャンネルの多さに戸惑うばかりです(やっぱ必要無かったかな…との思いも…)また修理は足場を組んでの作業になり、一時はその修理代に沢山の諭吉さんが必要で…「せっかくのわずかなナスも消えていく~」と泣きそうになりましたが、どうにか加入していた火災保険から保険料が出そうで、まずは一安心しておりヤシたしか~し、先日も書いたように最近の我が家は父のこと以外にも不運続きです思い返すと今年の夏には、PCの調子が悪くって新機種に入れ替え、予定外の出費をした時からついていなかったのかもしれません最近は寝室で使っている安っい某国製のアナログTVの調子が悪くってなんせ10年以上前のものですから「そろそろ新しいの買わないとダメかなぁ~」と思いつつも、来春にかかる教育費のことを考えると「我慢…がまん」と思っていたのですが、そんな耐え忍ぶ自分に神様は見向いてもくれずなんと先週には自宅のFAX電話が壊れ先ほどようやく直ってきましたが、ここでも一人の諭吉君が旅立ちましたぁ~しか~~し、それくらいの試練はまだいいのですもっとショックは我が家のマイカーのこと…来月になんと9年目の車検を迎えるワンボックスのポンコツ車ですが、最近はあちこちと故障が多く…しかし、来春はW受験の子供達にお金もかかることから、多少の故障は車検に合わせて修理をし、もう2~3年は頑張ってもらおうと思っていました。しか~~~し、先月の実家に泊まっていた最終日、カミさんに実家まで迎えに来てもらうことになっていたのですが、カミさんから「車がオイル漏れをしているようで、ディーラーで見てもらってから迎えに行く。」との連絡が…結局、予定の時間を少し遅れただけで迎えに来てくれたのですが、車は取りあえず減っていたオイルをなんと3Lも足したらしく、オイル漏れの個所が分からず…修理にはかなりの諭吉君を要するかもしれない。長距離や高速の運転は控えるように…」と言われたそうですこうなると車検や諸々の修理と合わせて、かなりの…か~なりの諭吉君が必要になることから、(我が家にとっては…)あと数年しか乗らないだろう車に大金をかけるのが馬鹿らしくなり…でも近々は子供達にお金もかかるし、悩みに悩み…ここ数週間は休日と言えば、ディーラーや中古車ショップを数社まわっていましたそれで結局、中古ですが車を入れ替えることに………巷ではエコカー減税が叫ばれ、ディーラーからも新車購入を勧められましたが、オプションを加えていくとかなりの金額になるし…今回購入を決めた車は若者にユーザーが多い感じがして、自分にはたいして興味も無くこれまであまり購入等を考えたこともなかった車ですが、1年落ちで、距離も1万ちょっとで、フルフル装備…自分の年には不釣り合いな感もしますが、カミさんは気に入っており弟の知り合いのショップであったことから、今後を考えると痛い出費にはなりますが金額的にもかなりお買い得感の高い買い物をすることができました納車はまだ少し先になりそうですが、明日は我が家の現車が引き取られ、しばらくは代車生活になりますそれにしても最近の我が家の諭吉君…次から次へと旅立っていくため何かに取り憑かれているとしか思えましぇん ポチッと応援よろしくお願いしま~す(; ̄ー ̄)...ン
2009.12.11
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今日は朝から雪で風も強く吹いています倒れたTVアンテナは朝一番で業者の方が見に来て、「夕方までには仮付けしたい。」と言ってくれましたが、この天気ですから修理はどうなるのでしょう今も風が吹くと外壁にぶつかって‘ゴンゴンッ…’と音が響いてきますでも、この機会ですから修理に会わせて、念願のBS・110度CSデジタルアンテナの取り付けもお願いしちゃいましたこれが付けば来年はファイターズ応援し放題ですさて、話を本題に戻しまして…、昨日の日記(11月22日告別式)の続きです火葬場からA葬斎場に戻り、初七日~四十九日までの繰上げ法要を行いました。この時、会場に残っているのは、火葬場へ行った親族と友人代表、葬儀委員長さんを始めお手伝いの方々程度で、終了後に料理の折詰、引き出物を持ち帰っていただくことになることから、これで葬儀が全終了となります(実母の時は会場で会食しましたが、最近はこういう形が主流のようです)再び僧侶が入場し、読経の後…親族を代表して自分が最後の挨拶を行いました挨拶は昨晩小さなメモ紙に書いて、何度か火葬場で見直し暗唱しましたが、緊張のため出だしを忘れ…ポケットからメモを取り出し再確認しましたその後はたどたどしくもメモを見ることなく挨拶をしましたが(場馴れしていた父の挨拶の上手さに比べると超ゲ無しです)ここ数日間の緊張の糸が切れたのか父の在りし日を思い出して途中で号泣してしまいましたお父さん、期待を裏切り続けた息子で、病に伏している時もやさしい言葉をかけて上がられず本当にすみませんでした………m(_ _;)m ゴメンナサイどうにか無事挨拶を終え、親戚とお手伝いの方々にお持ち帰りの品を、そしてお手伝いいただいた方々には謝礼も手渡して、葬儀がどうにか終了しましたA葬斎場の方から引き継ぐものの引き継ぎを受け、遺骨と共に実家へと帰りました。暫くするとA葬儀社が実家を訪れ、四十九日までの祭壇を設置し手を合わせました。この後の記憶は途切れているのですが茨城から訪れてた継母の次男一家が「札幌にホテルを取って、明日のフェリーで帰る。」と言うので、それであれば是非実家の方に泊まるようお願いし、結局この日は継母の札幌からの長男と次男一家の計8名もが狭い実家に泊まることになりましたこうして自分と弟は久しぶりにそれぞれの我が家に帰り、ようやく一息つくことができました(父の死亡後、荷物を取りに1時間ばかり家に戻った以外は、ず~っと実家でしたので…)11月23日(月)勤労感謝の日…まさに仕事人間であった父に感謝する日です午前中に実家へカミさんと赴きました継母の子供さんとしばし談笑…思い返せば父は3連休の前々日に息を引き取り、一日の余裕をみて、3連休が始まる日から2日間の葬儀と、遠方からでも人が集いやすい時を見計らって死ぬとは、まったく最後まで“気遣いの人”でしたその後は、それぞれに関係先の香典などの名簿を整理し、継母の子供や孫達はお昼前に帰宅の途につきました夕方には継母と二人でお寺の住職を訪ねました。父には既に葬儀の日に立派な戒名が付けられておりましたが、難しい漢字が使われており、立派過ぎて読めず…葬儀の際に親戚にも読み方を尋ねられましたが答えることが出来ませんでした住職と小1時間ほど歓談し、改めて戒名の読み方と込められた意味を尋ね、住職が当初「受け取らない」と言っていた“院号料”を気持ばかりですがお渡ししてきました住職からは改めて住職の知る父の思い出話しを聞き、大変感慨深い思いがしましたこうしてその夜には我が家に帰宅しました。11月24日(火)この日の午前中は自分の会社へ赴き、香典を頂戴した方々に挨拶回りをしました。午後からはカミさんの職場の方へ同行し、同じくご挨拶をしてきました。それ以外は何をしていたのか…実家へは行きませんでしたが、ほとんど記憶が残っておりませんただ、この日は確か弟が実家へ泊まりました。11月25日(水)この日は初七日です。朝からカミさんと実家へ行きました既に繰上法要を済ませていましたが、弟夫婦、札幌の継母の長男夫婦、父の末妹夫婦が集まり、父の会社の関係者も顔を出しました。午前10時頃に住職がお見えになり、読経がありました。午後から急遽、父のお世話になった会社関係へ挨拶回りをすることになりました。いくつかの菓子折を用意して継母と2人で回りました某所の某さんは、昔、父が執務した部屋を見せて下さり、父の思い出話を聞かせてくれました夕方近くまでかかりましたが、この日はカミさんを家に帰して自分だけが実家に泊まりました11月26日(木)自分の忌引き休暇の最終日ですこの日は朝から継母と健康保険や年金等々の手続きに市役所、社会保険事務所(社保の窓口では怒鳴っている人がいたなぁ~)もちろんこの日だけで手続きが全て終わる訳ではありませんが、金融機関等も夕方近くまでかけて回りましたこんなところに書くべきかどうか迷いましたが………継母からは聞いてはいましたが、父は長い闘病生活に費用がかかり、残された預金はほとんどありません香典も多数頂戴いたしましたが、葬儀に莫大な費用がかかり、四十九日など今後諸々要する経費をみると間違い無く赤字ですそれでも継母が困らないように、小さな家と継母に遺族年金などを残してくれており、継母が今後の生活に困るようなことは無さそうなので一安心ですこのようにして、父の死に関わる長い数日間が終了しましたこれを持って7回にわたって書き綴ってきた「父の日記」は終了します明日以降はいつものブログに完全復活しますこの後も我が家ではついていない事件が続いているのでそれはまた明日以降に書いていきたいと思いますが、明日からの仕事…今週いっぱいは超忙しく残業になりそうなので、時々更新をさぼるかもしれません最後に継母が葬儀の会葬礼状に記した言葉が感動的でしたので、書き残しておきたいと思います『感謝』…今はただこの思いに尽きます穏やかで何事にも誠実を尽くす夫でした心から尊敬できる人と出会い、歳月を分かち合えたことは何にも勝る幸せだったと、今はただ感謝の気持ちでいっぱいですきれいな景色を見て笑顔を交わした旅の思い出孫達のことを目に入れても痛くないほど可愛がっていた優しいおじいちゃんの表情まぶたに浮かぶ面影は今なお温かく、もう会えない寂しさは言葉になりませんが、夫はこれからもきっと、あの真っ直ぐな眼差しで家族を見守ってくれると信じ、励んでまいりたいと存じます……… 中 略 ………夫が実り豊かな人生を歩むことができましたのもひとえに支えて頂いた皆様方のお陰です皆様へお礼も言えないまま帰らぬ人となった夫に代わり深く感謝申し上げます……… 以下略……… 以上「父の日記」……… 完 ポチッと応援よろしくお願いします<(_ _)>
2009.12.07
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昨夜の強風で2階屋根の軒に付いているTVアンテナが倒れ、軒からアンテナ線で宙ぶらりんの状態になっていましたおかげで昨夜はアンテナが外壁に当たる音がうるさいこと…うるさいこと…いつもお願いしている営繕屋さんに連絡し、今朝見に来てくれましたが、今日は日曜日で電気屋さんもお休み………修理は明日になる予定です(今も風が吹くと外壁にゴツゴツと当たる音がしています)実は明日・月曜日は少し遠出する予定があり、カミさんと休暇を取っていたのですが、アンテナの修理が来る見込みであることから、今日の午後からその遠出の用事を済ませてきちゃいましたそのせいでJCDを生で見ることが出来ずまあ、家にいてもアンテナが駄目なのでTVを視ることは出来ませんでしたが…また、見たところで、結局馬券が外れたのでどうでもいいんですけれども…そのJCDは、○エスポワール、▲シルクメビウス、△ゴールデンチケットと、いいところを押さえてたのですが、◎をヴァーミリアンにしてしまったために、いつもの3連単フォーメーションが思いっきりの縦目でしたJCDは7歳馬の実績がなく、「今年の武は乗れてないからなぁ~」と言っていながら、最後の最後に本命◎にしてしまったのが大失敗でしたまた来週…落ち着いて頑張りますさて、前置きが長くなりましたが、今日も長く書き続けている“父の日記”です11月22日(日)…もう2週間も前になるのですが、父の告別式です。告別式は午前10時、出棺が午前11時半でした。朝起きたのは午前7時頃だったと思います朝食を取り、告別式が始まるまで何をしていたのかは良く覚えていませんが、父の弟妹たちに怒り心頭だったことは覚えています(それは後の方で書くことにして…)午前8時過ぎにはお手伝いの方々が集まり始め、A葬斎場の担当に弔電などを引き継ぐ一方で、B社の方には弔電の読む順序をチェックしてもらいました。午前10時を少し回った頃に葬儀が始まりました。会葬者は昨夜より減ったものの、それでも大勢の方が来ておりました。わが社の役員の方々も遠いい所、足をお運びいただきありがとうございましたm(__)m僧侶の読経父の会社等の関係者の方お2人からの弔辞弔電焼香昨夜に続くメモリアル・ビデオ(昨夜のものとはまた少し変わっておりましたが、「父に先立ち最近亡くなった父の知人○○さんと●●さんと、あの世で麻雀を楽しんで下さい」という社長さんのナレーションには再び泣きそうになりました…)ビデオの後は葬儀委員長さんの挨拶で告別式は終わりましたその後は近親者で父と最後のお別れです継母が選んだゴージャスなお棺は、ふたに釘を打つタイプではなかったため、一人ずつ釘打ちすることは無く、父に一人ずつ花を添えながら最後のお別れをしましたA葬斎場の玄関に待つ会葬者に頭を下げながら、火葬場へ向けて出発しました継母と自分が父の遺体が乗せられたリムジンの霊柩車に同乗し、その他の子供と孫たち、父の弟妹、従兄弟、そして葬儀のお手伝いの方が若干名が貸切バスで移動しました。約15分程で火葬場に到着…本格的な冬の到来を控えたこの時期は亡くなる方が多いのか火葬場は結構と込み合っておりました火葬場の僧侶の短い読経の後、父はかまどに入れられました遺体が焼きあがるまでは約1時間半とのことで、自分は用意された昼食もあまり喉を通らずタバコを吸ったりして時間をつぶしておりましたが、1時間半はあっという間に感じました。父は病気は骨ももろくなる病気であり、その長い闘病生活のためか、遺体はしっかりと焼けあがり、大きな骨は残されていませんでした係の人の指示で継母と子供たちで喉仏を拾った後に、2人ペアになって足から頭のほうへと骨を拾い上げました一緒に焼いた三途の河の渡り銭(5円玉)を皆で分け、自分と継母が骨箱を持ち、帰りは貸切バス一台で火葬場を後にしました。それにしても上で書いた父の弟妹たちには怒り心頭のことですが、本当に呆れるやら、腹が立つやら…葬儀に来てくれない方がよっぽど楽でしたやっぱり頼りになるのは遠くの親戚よりは近くの他人ですこの怒りを忘れないためにちょっと愚痴も記しておきますまず父の亡き弟の奥さんであるK叔母さん…親戚の中では気さくで気の合う方ですが、叔母さんの姪っこさんと東京から通夜の日に駆け付けてくれうれしかったです。でも2泊3日でとったホテルをこの日の朝になって「やっぱり1泊で帰る」とキャンセルし(バタバタしていた時に弟にキャンセルしてもらいました)キャンセル料は掛からなくて良かったのですが、今朝ホテルから来る時にカードキーを返さずに火葬場まで持っていったために、A葬斎場の方が火葬場まで駆け付けて返してもらいました。まったく疲れている時にさらに疲れが増しました続いて横浜からお越しの父の妹・M叔母夫婦M叔母さんも体が弱いのに葬儀に来ると聞いた時から、嫌な予感がしていました。忙しい中、ホテルの手配(こちらも2泊3日)をこちらに任せたのはまだいいのですが、1泊した今朝に「サービスの悪い大したことの無いホテルだ。」とそのホテルに言うのはまだしも、疲れている自分にまで言うとは…地元に昨年オープンした一番新しいホテルを取ったのですが…しかもこの叔母夫婦も今日は従兄弟の家に泊まるとやっぱりホテルをキャンセル…叔母は若かりし頃、父に沢山の苦労と迷惑をかけたと…亡き実母や継母から聞かされていますよ自分は叔母さんの葬儀には正直言って行きたくありません(ホテルの文句を言いそうで…)最後に父の末妹のE叔母さん近くに住んでいることから父の死に目にも会え、葬儀の前日なども実家に来てくれましたが大して来客の対応をしてくれる訳でもなく自分が書いた父の経歴の書類を父の書斎で断りも無く盗み見してましたね(見られて困るようなことは書いていませんが…)、叔母さんは一番下の娘で祖父が死んだ父が13歳の時は、まだ1歳前後…父はあなたを背負い親代わりになってあなたを育てました。就職、結婚、あなたのお子さん(自分の従兄弟)の出産や養育、果てはお子さんの就職、結婚………数え上げればキリがないほど父の世話になりましたね。それなのに上のお子さんは孫のピアノの発表会で告別式に参列せず本州の下のお子さんは見えられないのは仕様がないとしても、その弔電を読むように言ってきたり(名前しか読みませんでした)、通夜の夜には香典返しをまだもらっていないと自分に言ってきたり(自分でもらいに行けっつうの)何より一番呆れたのは大した香典も包んでいないのに(別にいいんですが…)、継母に「お兄さんのため立派な祭壇にしてあげてください」と言いましたね(言われなくても、赤字が出ても立派にします)近くに住んでいるだけに一番親近感がありましたが、父が亡き今…今後の付き合いは慎重にさせていただきます………大変長く愚痴っちゃいました…すみませんm(__)m今日も長くなり、字数がオーバーしてしまいましたこの続きはまた明日書きます明日は最初に書いたようにアンテナ修理のため仕事を休みますのでお昼にでも一気に“父の日記”完結したいところです(~ヘ~;)ウーン ポチッと応援よろしくお願いします(_□_;)
2009.12.06
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今日は休日…カミさんが午前中は仕事だったため、自分は喪中の葉書を作成するなどして過ごし、午後から実家の方へ…カミさんに実家の留守番を任せ、継母と二人で親戚宅を挨拶回りをしてきました継母との四十九日やその後にやらなければならないこと(追々書いていきます)など…いろいろと話しましたが、やっぱり暫くは忙しい日々が続きそうですさて、昨日の日記の続きです小まめにとったメモを見返していますが、日々記憶が薄れていっております11月21日(金) 通夜の日ですこの日も午前6時頃に起床しました午前中は前日、前々日の忙しさに比べると一段落した感がありましたが、時々訪れるA葬斎場の担当者や葬儀を手伝っていただくB社の方との打ち合わせなどでアッという間に過ぎました。継母方の長男家族が札幌から、次男家族がはるばる茨城から訪れ、(質素な家なので部屋はぎゅうぎゅう詰めでした)我が家の娘、弟のところの子供を合わせ、父は目に入れても痛くないほど可愛がっていた7人の孫達に囲まれました孫らは皆、丁重に手を合わせておりました(この時、一番可愛がっていた年長の我が家の息子はまだおらず…)この日午前中に予定していた湯灌を午後に変更したため、納官の際に棺に入れる眼鏡や腕時計、三途の川の渡り賃(5円玉)をたくさん用意しましたお昼には他の親類も実家に集い午後1時に納官師が訪れて湯灌が始まりました。自分は実母や祖母が死んだ際にも家にいたはずなのですが、何故かこの湯灌の記憶が無く湯灌を見たのは初めてのような気がしますぬるま湯や新聞紙を用意し、自分は納官師の指示で湯灌の間中リンを鳴らしていましたがモッくんの“おくりびと”とは随分とイメージが違いました30~40分で湯灌が終わり、午後3時からが納官でした。継母のリクエストによる立派な棺に、男手に手伝っていただき棺に納めました午後3時30分、父の遺体を乗せた車がA葬斎場へ向けて出発するや否や、実家の戸締りをしっかりして、みなが葬斎場へと向かいました通夜は午後6時からですが、葬斎場へ到着するとお手伝いのB社、町内会、そして自分の職場の方々も順次集合しているところでした。お手伝いの方々に何度も「よろしくお願いします。」と丁重に頭を下げました。会場を見に行くと、立派な祭壇に、父の遺影、そして多くの供花が届いておりました。(この時、父の生前、確か“地元新聞へ死亡広告を出す際には、供花・供物は辞退するように…”と言われていたような気もし、また失敗したかな…と思いました。)遠方から訪れた親戚の方々へ挨拶などをしていると、ようやく我が家の息子が到着しました息子は受験を前に一昨日、昨日も学校を休まず、この日も模試のため学校へ行っておりました。息子が父のところを訪れるのは父の死後初めてになりますそれでも、亡くなる前日に久しぶりに病院で父に会うことができて本人は良かったと思っているようでありまた、一番年長の孫である息子は“父の期待のエース”でしたから、父もきっと許してくれると思います親戚やお手伝いの方々が、葬斎場に用意しておいた夕食をとり、30分前には会場に入りました。継母(喪主)自分(施主)と妻弟と妻…と座った後の席順に苦労しましたがその後は継母の子供とその奥さんに座ってもらい、そして父の兄妹従兄弟としましたその他にも自分を含むカミさんの方の親や兄妹がおりましたが、一番悩んだのは亡き実母の方の兄弟や親戚であり、考えてもいられないので以下順次座っていただくことにしましたこの時に翌日の火葬場へ行く親戚も父の従兄弟までと決め、失礼する方々には連絡しました何故か自分一人が通夜の直前もバタバタしており、呑気な弟にはまたまたイライラを感じておりました…定刻の午後6時を少し回った頃に通夜が始まりました。僧侶は先日、住職が話していたとおり3人の伴僧が付きました。他人の葬儀は僧侶の読経や説法は長く感じるものですが近過ぎる位の身内の葬儀ですから、流石にアッという間でした。説法では、自分と弟の名前の由来や子供の頃のことにも触れ、また親を亡くした住職自身が子供の頃から、父が親代わりでもあったことに触れておりました読経と説法の最中は後ろを振り返ることは無かったですが、椅子を足していく音だけは聞こえておりました僧侶が退場し、葬儀委員長の挨拶の時に継母と自分夫婦、弟夫婦が起立し、葬儀委員長さんの横に立ちました。この時、会場一杯…ずっと後ろの方まで人が溢れていたことを知りましたでも起立している間は、なるべく見ないようにうつむいておりました葬儀委員長の挨拶が終わると、スクリーンでメモリアル・ビデオが放映されましたこのような演出があるとは事前に聞いておらず葬儀代に含まれているのか定かではありません(葬斎場のサービスの一環と思っていますが…)このビデオに昨日渡した父の思い出の写真が使われており、大変上手に構成されていました自分はなるべく映像を直視しないようにしていましたが、父と懇意の葬斎場の社長さんのナレーションが涙をそそりました最後は会葬者に祭壇で焼香いただき、その方々の帰り際に一言、二言お礼を述べながら見送りました。中には大変懐かしい方もおりましたが、長い話ができないのが残念でしたまた自分の会社の方々も遠い所を沢山足を運んでいただき大変ありがとうございましたm(__)mこうして通夜が終わりましたが、まだまだ仕事は終わりません会場から控室に遺体を移しての通夜振舞いですお手伝いの方々から香典を引き継いだ後は、親族に酌をしながら自分も軽くビールを頂いた後は、翌日に紹介する弔電の順番を決めなければなりませんでしたドサッと渡された弔電に頭を抱えましたが継母の子供達の協力もあり、約半数を紹介することにしました(もちろん全文紹介は5~6通)この作業が終わって床に就いたのは、やはり午前2時頃でしたこの日は父の死に目に立ち会えなかった継母の次男の方が、茨城から駆けつけて疲れているにもかかわらず、線香を寝ずの番で守ってくれました…感謝m(__)m………今日は告別式まで一気に書き上げるつもりでしたが、やっぱり長くなりました完全復活へ向けうずうずしておりますが、カメさん日記は未だ続きます本当の今日や昨日の事でも書きたい事件が次々と起きているのですが……… ポチッと応援よろしくお願いします(^。^;)
2009.12.05
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我が職場では風邪が流行りつつあり、部下2名が午後から病休…したがって、週末だというのに飲み会のお誘いも無く、定時で帰宅しましたお気に入りの皆様には訪問をサボっているにも関わらず、連日の温かいコメント、どうもありがとうございますm(__)m父の死と数日間の出来事を記録し、自分自身にケジメをつけるためもう少し続けますが、どうぞお付き合いください(u_u)昨日の日記の続きです。今日は長いです。記憶を手繰り寄せながら書きます11月20日(金) 午前6時頃に起床午前7時半頃に実家の近くにおり、生前…父の発病後は特に両親を気遣ってくれていた父の従姉妹が朝食を差し入れてくれましたしかし、ご近所や会社関係の方が早くから弔問に訪れるため、せっかくの差し入れをゆっくりと口にする暇も無く慌ただしく時間が過ぎていきました。そういう状況下でまだやらなければならないことが沢山ありました1 葬儀のお手伝いいただける方を決めること(未だ決まっていませんでした)2 葬儀の規模・見積もり等。香典返し等々の決定などの葬儀社との打ち合わせ3 父の経歴を整理して、葬儀委員長さんに事前に渡すこと4 父の戒名のこと5 遠方からの親戚の宿泊先の手配………等々、数え上げればまだまだキリがありません午前9時過ぎ頃からカミさんや義妹や叔母らが手伝いに来たので、弔問客の対応はもっぱら継母と彼女たちに任せ、まずは午前中に葬儀に手伝っていただける方の手配をしようと電話等々で依頼・調整を行いましたあまり人様には迷惑をかけたくなかったので、香料等々の記録関係や食事などの賄いをA葬斎場へ依頼し、受付等々その他を結果的に、町内会、自分の職場と父のB会社の関係者多数にお願いしました。その合間やそれ以降にもA葬儀社との打ち合わせですA葬儀社には新館と本館(旧館)があり、本館の方が多くの収容人員がありますが、本館は告別式の22日に別の法要が入っているとのことで、一応前日に新館を押さえておきましたしかし、実母が死亡した際(約20年前)は、この本館で葬儀を行っており、会場に入りきれないほど方々に会葬いただきました自分としては、父も数々の役職を辞して長いことから、新館で何とかなるだろうと踏んでおりましたが、実母の葬儀を覚えている親類や会社関係者からいろいろと言われまた折門会葬いただいた方が会場から溢れるようでは失礼にあたると…迷いもありましたそんな時にA葬儀社の方で社長から『本館で予定されていた法要を新館に移したので、父の葬儀は本館で…』との話になり、会場が決まりましたまた祭壇、お棺、装束、香典返し、火葬場への霊柩車や親族のバス葬儀の間の親類やお手伝いの方々食事関係、繰上法要の際の忌中引、お手伝いの方々へのお礼などなどを次々と決めていきましたA葬儀社の担当の方は、一応カタログで標準的なものを示してくれるのですが、継母とも相談しながら、どれもこれもが標準以上のものになりました自分としては赤字をかなり心配しておりましたが(小者です)継母は『多くの方々にお世話になり、こういうことで街にお金が回り恩返しになる』と、継母の意外な気風の良さを初めて知りました見積もりが出来上がり、○百万円…取りあえず何とかなるかな…と思いつつも、それでも自分はまだその上かかるお寺への謝礼や院号料のことも心配しておりましたあっという間に午後になり、自分は弔問客の相手を一切せずに、父の書斎に籠り、時々弟やカミさんを指示しながらも、葬儀委員長さんへ渡す父の経歴や思い出を整理して綴っておりました故人の出生、経歴、病気、エピソード等々………父は13歳の時に先の戦争で父(祖父です)を亡くし、当時上級学校への進学を志していましたが、長男で下に幼い弟妹がいたために進学を断念して、家族を養うために15歳で勤めに出て、大変な苦労をしました。(父から聞いたことはありませんが、幼少の頃、実母に良く聞かされました)野球が好きで、大の巨人フアンであったこと。(当時から自分の贔屓のチームとは違ったため合いませんでした)後輩の面倒見がよく、無類の麻雀好きであったこと。(自分が幼い時は夜遅くまで我が家ではジャラジャラと牌の音が鳴り響いておりました。当時の父を知る人たちは、父の腕前をプロ級と言います。)再婚後は継母と国内外への旅行や孫達との温泉旅行を楽しんでいたこと。孫の進学を楽しみにしていたこと。…などを綴りましたこの間にもA葬儀社からはメモリアル用の父の写真を数十枚用意するように依頼されておりました。(この時には何に使うかは全然分っていませんでした…)このように自分が手が回らないほど忙しくしていた時に、弟はというと…弟には親類の宿泊先の手配や葬儀の間の各食事や忌中引き、バスの乗車人数等々、専ら数を固めることを一切任せていました。時々書斎に顔を出す弟は葬儀のために「床屋に行ってこなければ…」とホザクので、プチっと切れた自分は「継母でさえ父の付き添いに何カ月も美容室も行っていないというのに、お前は何を考えているのか…各数は固めたのかやることがないなら写真でも選んでおけ」と怒鳴りつけていました夕方、父の経歴を葬儀委員長さん宅に届け、ようやく一息つくことができました。しかし、その後も弔問客の対応………それでも自分の職場から上司や同僚・部下たちが弔問に訪れてくれた時は、素直にうれしかったみんな、遠い~所を本当にありがとうm(__)mせっかくの三連休にもかかわらず、翌日からの葬儀をお手伝いをいただく職場の人達に改めて頭を下げました。弔問客が途切れた午後8時過ぎに、お寺の住職がお参りに来ました読経の後にしばし懇談この住職は自分の幼少時、当時の実家がこのお寺の側にあり、年令も一つ先輩で、幼少より一緒に遊んだいわば幼馴染の方です住職は小学生の頃に父(当時の住職)母を相次いで亡くし、檀家さんたちが今の住職が一人前になるまでお寺を支えました。父の葬儀では、住職と二人の伴僧の3人でお願いしていたのですが、住職の方で、お布施はいらないからと(最終的にはそうもいかないだろうと払いましたが…)伴僧を3人で手配し、既にA葬儀社と打合せ済みとのことでした。また父は生前、このお寺の檀家総代として尽力したことから、住職は「恩返しのために最高の戒名を付ける院号料もいらない」と言ってくださいました。(…この言葉に親類の中には感心・感動した人もいたようでしたが、自分は「そうは言われても、やっぱり払わないとなぁ~タダほど高いものは無いからなぁ~」と意外と冷静に思っておりました…)こうしてようやくほぼ葬儀の準備が整いましたカミさんや義妹も午後9時過ぎには帰り、自分と弟は昨夜に続いて実家に泊まりです。この日は、弟と夜中まで焼酎を飲み交わし、父の遺体の隣室で床に就いたのは午前2時を回っておりました翌22日からもまだまだ忙しい日々が続きますが、今日はこの辺で… ポチッと応援よろしくお願いします(*_*)
2009.12.04
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今日はきっつい会議があり、その後始末に残業も考えましたが、やっぱりこの日記を少しでも早く仕上げてしまおうと帰宅しちゃいましたそれで昨日の日記の続きです病室で看護士らによる遺体の処置がされている間に、父を自宅に帰すべく葬斎場へ連絡をとりました。父の生前(3年以上前でしょうか?)、父の万が一の時には懇意にしているA葬斎場の社長に連絡をするように言われていましたので…。生憎、社長は不在でしたが、担当の方と連絡がとれ、カミさんと義妹に一足先に実家で受け入れ準備を整えてもらう一方、確か午後2時を過ぎた頃に継母が同乗するA葬儀社の車で父の遺体は実家へ戻りました。自分と弟は、病室の荷物などを持って、遺体より遅れて実家へ…皆が「お父さん、お帰りなさい」と声をかけておりました前にも書いたかもしれませんが、継母方にも二人の子供さんがおり(いい方々で、実の兄弟のように仲良くしています)、この時にはその長男さんも札幌から駆け付けておりましたでも、自分にとってはここからが戦争の始まりでした忙しすぎたせいか、記憶がだいぶん飛んでしまっていますが…自分は主だった親戚(弟妹)に父の死を連絡し、できるだけ連絡網方式で親類の方々へ連絡するようお願いする一方で、また生前、父が関係していた会社や主だった団体への連絡等々に追われていました以前も書いたとおり、父は仕事人間で多くの役職を持った人でしたが、多発性骨髄腫を患ってからは、それら職を少しずつ整理(辞職)しておりました。したがって、今は全ての役から降りていると思っておりましたが、父の生前長く勤めたB社に一報を入れたところ、今秋に辞職の手続きを取っているが、籍は今年いっぱい残っていることが分かりました。このため、この後はB社の方々との打ち合わせも多くなり、結果的には随分と助けられましたが…、自分的にはかなり気疲れもしましたこれら連絡の一方で、A葬斎場との打ち合わせです北海道では通常は通夜に一日、告別式に一日と2日間にわたり葬儀を執り行います。しかし、地域性なのか、宗派(我が家は曹洞宗です)なのか分りませんが、六曜の「友引」には、周囲も冥土に引き寄せられるとの迷信から告別式を行わないという風習があり11月21日がこの「友引」にあたることから、通夜を21日、告別式を22日と決めましたこれによって20日に一日の余裕ができ、少しだけ気持も楽になったのを覚えています。この後もお寺へ連絡して住職の日程を押さえたり、次々に訪れる弔問客の対応にてんてこ舞いでしたしかし、まだ大事な事が決まっておりません葬儀の役員やお手伝いの方々ですここで父の発病のことを書き忘れていましたが、自分や継母も含む家族は父がこの病気を発病したのは4年程前だと思っていましたが、父が息を引き取った際の主治医の説明では5年と2カ月との話でした自分の認識と1年2カ月の開きがありましたが、恐らく父はその間、誰にも心配をかけないように胸の内に秘めていたのだと思いますそれで葬儀委員長をはじめ役員等々ですが、父はその4年程前から自らの死を覚悟し、自分と弟には、父の葬儀の際の役員を口述しておりました。しかし時々、その変更の口述もしていたものですからこの時は自分や弟もその方々の名前までは断片的にしか覚えておらずメモも取っていたのですが、急なことでそのメモは自宅のどこかに置きっぱなしで取りに帰っている暇もなく詳しくは書きませんが、二転三転しながらも葬儀委員長や副委員長、顧問、友人代表の方々を決めさせていただき、自分と継母の二人でそれぞれに訪問依頼や電話依頼を行いました(結果的には、父の口述と若干のずれが生じてしまいました…「父よ、馬鹿な息子で申し訳ない」)その後も弔問客の対応に追われ、父が死亡したこの日は自分と弟が実家に泊まり、床に就いたのは午前2時でした翌日も朝からバタバタでしたが、この続きはまた明日にでも………後何回でこの日記が書き終わるのか、見通しが立ちませんがなんとかこの週末までは書いてしまいたいと思ってはいますでも、休日も実家に行ったり、年賀欠礼の葉書も作らないといけないし、その他にもいろいろあってバタバタしています完全復活へ未だ道険し… ポチッと応援よろしくお願いしますρ(゚゚)
2009.12.03
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今日は父の二七日になりますだから…という訳でもありませんが、残業せずに帰宅しました昨日の日記の続きです。11月19日病院へ駆け付けたのは、確か午前10時半を過ぎていたと思います。父は呼吸が荒く()、瞳は濁って焦点が合っておらず()(この辺は何と表現していいか分かりませんが付けていた計器の数値も昨夜よりは悪くなっていました)意識も混濁しておりました(…と言うより、ほとんど無かったのでしょう)。継母と主治医の話では、朝は継母と会話を交わし、『アイスを食べたい』と話したそうです。父は食事をほとんどとれなくなっていましたが、胃ろうによる栄養補給を拒み、最近は栄養補給のための点滴も外していましたが、喉越しの良いヤクルトとアイスだけは好んで口にしていました。父の申出に継母がアイスを与えたところ、それが気管に入ったらしく、容態が急変したようです。もう、物を飲み込む力も無くなっていたということでしょう(父の我儘をいつも受け止めてきた継母ですから、継母を責めることはできません。)しばらくすると、弟夫婦と叔母夫婦も駆け付けました…この頃には管で取っていた尿も出なくなっており、自分は『もうダメかも…』と感じながらも、そんな考えを打ち消していました。皆が「お父さん…お爺ちゃん…お兄さん…頑張って」と声をかけておりましたが、自分は「頑張って…」とは言えませんでしたなぜなら、20年以上前に実母が癌で亡くなる最後に「頑張って」と声をかけたところ、父に「もう頑張ったんだから、頑張れと言うな」と言われた記憶が鮮明にあったからです。正午を過ぎた頃には呼吸の回数が少なくなり、眠るように呼吸が止まりました。間際には継母が父を抱くように寄り添い「お父さんは立派だった。あなたたちは、お父さんに感謝しないといけないよ」と泣いていた姿が今も鮮明です。父が継母と再婚し約20年…長い間、父の我儘をものともせずに、発病後から他人に真似の出来ないような介護してきた‘お母さん’も十分に立派です病棟のステーションで待機していた主治医が入室し、午前0時14分死亡を確認しました。ステーションの機器のモニタで監視していた主治医によると「3分前には呼吸が全停止していた」とのことでしたが、自分は死の間際に父の口がカクっと動いたのを見ており、最後に何か言いたかったのかなぁ~と感じていますしばらく病室でお別れをし、気持ちの整理を付けて、自分と継母、弟、叔母の4人で主治医の話を聞きました。主治医とは昨夜、父の今後について話し合ったばかりであり「ホスピスへの道がみえた矢先で残念」と言いながらも、アカウンタビリティーを果たそうといろいろ話しておりましたが、自分は(今の医療制度に憤りはあるものの)「父も家族も、あちこちと管でつないだような延命治療は望んでいなかったことから、急ではあったけれども仕様がありません主治医やナース、関係者の方々の対応には感謝している。」と言ったようなことを伝えました。主治医によると「父の死が眠るようで老衰に近い状態であるが、死因は多発性骨髄腫」とのことでした。思い返せば、自分が聞いた父の最後の言葉は、前日にホスピスの面談に時間がかかり、父が機嫌を損ねているだろうなと病院に戻った時に、父が発した『わがままだっ』という言葉でした要は父がそんな状態の時に、誰も側に付いていなかったために口に出た言葉だったんでしょう。(自分で死が近いことを覚悟していたのかもしれません)父を我儘だと言い続け、最後に言い返されましたそれでも前日に、長く父に会っていなかった我が息子(孫)を連れて行って父に会わせることができて本当によかったと思います父は孫の志望大学合格を大変楽しみにしており、その合格を報告できなかったのは残念ですが………長々と書いてきましたが、まだまだ続きます明日からは葬儀編…これも大変でした… ポチッと応援よろしくお願いしますρ(゚゚)
2009.12.02
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こんばんわ先週の仕事をほとんど休んだことから、なかなか波にのれず昨夜は残業となりましたが、今日はまずまず順調に進み、プチ残で帰宅できました今日からminko19750923さんばりのカメさん日記で、父が死亡した11月19日以降の出来事を綴り(父の死を何らかの形で残しておきたいと思い…)、日記が当日に追い付いた時点で、完全復活して、皆さんのところへもお邪魔したいと考えています。それではまずは、11月18日の日記の続きですが、緩和ケアのある病院での面談を受け1ヶ月程待ちで転院できることを父も了承した夜の9時過ぎに、継母から「父の容態が変化し、意識が混濁している。」との連絡がありました自分とカミさんは既に晩酌中であったため車を運転できず急遽、近所の弟に連絡して迎えに来てもらい、弟の車で病院に駆け付けました到着した午後10時には、父の意識は戻っており、幾分容態は安定してきたため、呼吸器も外しました。たまたま、その日の当直医が主治医であり、夜中に主治医と面談して、緩和ケア病棟の面談の結果を伝える一方で、家族として一定の覚悟するために素直に父の余命を尋ねました。父の病気(多発性骨髄腫)は発病後の平均寿命が3年といわれており、父は発病後4年を経過していたため、ある程度の覚悟はしていたつもりですが………主治医によると「胃癌や膵臓癌などの場合は余命を推定できるが、この病気については正直はっきりとしたことは言えない。2~3ヶ月といったところかでも、もしかしたら半年かもしれないし、合併症などによっては2~3日ということもある。」という話しであり、この時は父を緩和ケア病院に移した上で、安らかに送れると内心は少しほっとした気持ちもありました。この日は、父の容態も持ち直し、主治医の「今晩は帰っても大丈夫でしょう」との言葉に、継母や弟たちと共にそれぞれに帰宅しましたが、時計は既に午前1時を回っておりました。翌11月19日は通常どおりに出勤上司に、父が長く患っていることや今回の病状を伝え、今後ちょくちょくと仕事を休むことになるかもしれないことを報告しました上司は「自分の親の時も似たようなことがあり、仕事は気にせずに休め」と言ってくれたため、少しホッとすると同時に気持も楽になりました。その後、携帯電話を自宅に忘れたことに気付きいつもであれば一日位は放っておくのですが、この日は胸騒ぎがした訳でもないのですが、仕事を抜け出し、自宅へ携帯電話を取りに帰りました職場に戻り、念のため継母に電話したのが、午前9時半頃…「父の容態は昨夜よりも安定している」とのことでした。しかし、その30分後の午前10時頃だったと思います。継母から「父の容態が急変し主治医が家族に来てもらった方が良いと言っている。」との電話があり、カミさんの勤め先に電話をして、すぐに迎えに来るように伝える一方で、弟へも連絡を取りました今日はこの辺で続きはまた明日以降とします ポチッと応援よろしくお願いしますm(__)m
2009.12.01
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