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私の誕生日の日、偶然にも素敵な届け物がありました。先日、★野いちご★さんのキリ番となりましたが、そのカウプレです。その商品は、あの幻の黄金のキョロ缶とウェッジウッドのタイピンです。黄金のキョロ缶は、野いちごさんが苦労して銀のエンジェルを集めて入手されたもの。ウェッジウッドのタイピンの品質の高さは、皆様もご存知の通りです。本当に頂いてよいのだろうかと思いつつも、私の興味はこの品物に。まずは黄金のキョロ缶。きっと秘密があるに違いありません。そう、あのフォルムに。それは、すぐに見つかりました。キョロ缶の高さ17cmに対して、幅は10.5mm。つまり高さと幅の比は、1.619。そうです、この値はまさに美の象徴「黄金比」です。人間の遺伝子のDNA螺旋構造。その一単位の長さと幅の比も黄金比です。人類を捕らえて止まない黄金の比率が、黄金のキョロ缶にはあったのです。そしてタイピン。これは次の学会発表の時に、使わさせていただきます。気がつく人がいるでしょうか。今回は本当に、ありがとうございました。ちょうど、誕生日のプレゼントにもなりました。これからもよろしくお願いします。
2007.08.31
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差別的な扱いを受けた女性化学者で有名なのは、やはりリーゼ・マイトナーでしょう。優秀な女性物理学者の彼女は、ドイツでオットー・ハーンとともに核分裂の研究に携わります。1907年頃のこと。ベルリン大学での彼女は、激しい女性差別に遭います。大学の教授達は、女性研究者を嫌いました。地下実験室以外への出入りは禁止され、トイレさえも使えません。しかも彼女はユダヤ系。ヒトラー政権下の弾圧で、やむなくスウェーデンに亡命します。そしてひとりになったハーンは、単独名で核分裂に関する論文を発表します。1944年、その功績で、ハーンはノーベル化学賞を受賞します。その後もハーンは、マイトナーの名を隠し続けました。しかし、マイトナーはアメリカで再評価されます。それとともに、ハーンの名はドイツ以外では忘れられていきます。元素番号109番、マイトネリウムは、彼女の名前にちなんだ名です。科学者の再評価で、マイトナーは救われました。しかし、核分裂の発見に関しては、今もアメリカではマイトナー、ドイツではハーンの評価で二分されます。アメリカ対ドイツという図式の元、原爆の戦勝国アメリカで、むしろ過大に評価される感のあるマイトナー。控えめだった彼女が、この評価を望んだでしょうか。核分裂の発見は、マイトナーの物理の知識と、ハーンの科学の知識の融合で生まれたもの。まさにふたりの共同での成果。名誉を独占しようとしたとされるハーン。しかし彼が、ユダヤ人マイトナーが弾圧されるドイツにあったことを忘れてはなりません。もしあの戦争がなかったら、二人の運命は違ったでしょう。ヒトラー政権下で、きっとハーンは、このことを言い出せなかったに違いありません。「リーゼ、戦争が終わったら、その時は、もう一度、一緒に研究をしないか。」(今日、誕生日を迎えた、kopanda06)
2007.08.29
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科学の歴史は、女性の苦難の歴史でもあります。ロザリンド・エルシー・フランクリンは、1953年にDNAの二重螺旋構造の解明につながるX線回折写真を撮りました。分子構造の解明にとって、分析技術は最も重要です。その分析と解析で、分子構造が判明するから。しかしフランクリンと仲の悪かったモーリス・ウィルキンスは、そのX線解説写真をフランクリンに無断で、DNA発見の競争相手のジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックに見せます。構造解析の研究では、最高機密に当たる写真を。そしてその写真が、DNA構造を決定する鍵となります。ワトソンとクリックは、直ちにこの短いDNAの論文を、Natureに投稿します。論文には、フランクリンの名はありません。その結果、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞。受賞者は、ワトソンと生物学に転向してたった6年目のクリック。そして、情報提供者のウィルキンスでした。フランクリンは、どうなったのでしょう。彼女は、1958年に37歳の若さで卵巣癌と巣状肺炎により死亡しました。X線撮影で、大量にX線を浴びたための癌と言われています。DNAの構造解析は、彼女が命を削って追究したテーマだったのです。もちろんノーベル賞は、彼女には与えられませんでした。死人にくちなし。ワトソンは著書「二重らせん」で、フランクリンを「気難しく、ヒステリックなダークレディ」、「出しゃばりでセンス悪い醜い女ロージー」と書きます。X線回折の知識が乏しいワトソンは、彼女の写真が必要だったにも関わらず。このイメージは科学界に定着し、ごく最近まで、彼女は無視し続けられました。ようやく最近になって、フランクリンの評価が高まります。それと同時に、情報提供者ウィルキンスは忘れられていきました。2004年、ウィルキンス、そしてクリックが相次いで亡くなりました。大統領自由勲章、アメリカ国家科学賞も受けたワトソンは、今も健在です。2007年5月末には、個人名が特定できる初の情報として、ワトソンのDNAの全遺伝情報が公開されました。ワトソンひとりのDNA構造解析には、1億2000万円も投入されたそうです。それほどの価値があったのでしょうか。ワトソンは、こう言います。「鳴かず飛ばずの大学教授で終わるより、有名になった自分を想像した方が楽しいに決まっている」しかし、ドクター・ワトソン。「死人にくちなし」の鉾先は、次は誰に向けられるのでしょうね。
2007.08.27
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五芒星などの魔よけは、洋の東西を問わず広く用いられてきました。特に星型の五芒星は、代表的な魔よけの記号。その理由は、一筆書きできるため封鎖性があるため。そして悪霊が恐れる「目」がたくさんできる結びの形であるため。また九字もよく見られます。縦4本、横5本の直線を直角に交差させた図形で、「井」はその省略形。更に古くからは「×」も魔よけに用いられ、古墳などにも描かれます。他には、▽と△を上下に接合した図形。分銅に似た形の魔よけもあります。日本の古窯の窯印には、魔よけの意味があります。六古窯に共通した窯印は「大、井、+、×、○、上」など。特に備前焼には、九字、▽△(上下組み合わせ)、卍、吉(ただし口の上は“土”)の代表的な呪符があります。常滑焼も鳥羽市の正福寺と関わりがあり、その正福寺は海女が五芒星を用いて安全を祈願する寺。したがって常滑焼にも、呪符に似た窯印は多く見られます。蔵骨器の窯印は、悪霊の侵入を防ぐ目的。しかし、なぜ他の陶器にまで、窯印に魔よけが用いられたのでしょう。陶器の焼成は完成まで、成功か否かが分かりません。しかし数回失敗すると、その窯元は潰れると言われます。それだけに焼き上がりの成功を祈り、窯印に魔よけが用いられたのでしょう。陶磁器に限らず、これからは観光、お祭りなどで、寺院などに行かれることも多いでしょう。寺院では、瓦、石柱、階段などに、しばしば魔よけの記号が見られます。一度、身の回りの魔よけの印を、探してみてはいかがでしょうか。
2007.08.26
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御連絡です今回は少し前からお知らせがありましたので、忘れてしまわないようにおしらせします。明日26 日は、長時間の楽天メンテがあります。つきましては、私の26日の日記は、26日零時過ぎに更新いたします。あと3時間ありませんね。急がなくては。申し訳ありませんが、このメンテの関係で、日記のお返事が若干、明日にずれ込むかもしれません。ご容赦ください。では、日記作成と、ご挨拶を急ぎます。*******楽天では、より快適にご利用いただくために、定期のメンテナンスを実施させていただいております。【作業内容】8月度定期メンテナンス【対象サービス】楽天ブログ、フォト、リンクス【日時】2007年8月26日(日) 午前1時~午前10時(予定)上記時間帯におきまして、サーバの増強等により、記載の対象サービスの全機能がご利用頂けません。
2007.08.25
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ルノアール。彼が描く少女たちは、まばゆいばかりのきらめきを放つ。印象派の絵画の世界は、優しい光に満ちた世界。しかし、ルノアール。あなたの生涯は苦痛に満ちている。あなたを蝕む慢性関節リウマチ。53歳から続くリウマチは、彼に激しい痛みを与える。関節の軟骨が破壊され、骨が破壊され、そして関節さえも破壊される。車椅子の生活となったあなた。それでもあなたは、絵を諦めない。絵があなたの全てだから。絵だけがあなたに、希望の光を灯してくれるから。しかし指が使えない画家に、何ができるだろう。すでに指は外にねじ曲がり、人差し指と中指は横を向く。絵筆をつかめる指が、あなたにはない。それでもあなたは、描き続ける。絵筆を腕に縛りつけて。77歳のルノアールを訪れた、画商ルネ・ジャンペルは言いました。「両腕はテープで巻かれ、その指は羽根をむしられ、縄でくくられ、焼き串で刺される寸前の、鳥の脚のようです」ルノアール。神はあなたに絵の才能を与え、そして絵を描くための指を奪い去った。ああ、神様。わずかな時間でもいいから、彼に絵を描かせてあげてください。彼には、絵しかないのです。あなたは絵を描く。暗く湿った病室を、光射す森の木陰にかえて。動かない指を、踊り子たちのダンスにかえて。腕を貫く痛みを、少女たちの微笑みにかえて。そして、あなたの苦痛が増すほどに、絵の主人公たちは輝きを放ちます。死ぬ前日、あなたはアネモネを描き、言いましたね。私はまだ進化していると。そして最後のとき、あなたは幻の鳥をその眼で捕らえ、叫びました。「私にパレットを!」あなたが全てを捧げた絵は、今も光に満ちています。晩年、あなたを照らすことがなかった、優しい光に。ルノアール。私は、あなたから学びました。あなたほどの天才も、苦痛なしには何も得られなかったことを。
2007.08.25
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高速道路走行中の落雷は、車にも傷を残しました。被害の詳細は、先日の日記をご覧ください。●先日の落雷事故現象としては、まさに「側撃雷」でした。高速道路脇のポールに落ちた雷から、水平に稲妻が走り、私の車を直撃したのです。側撃雷とは、高い木等に落ちた雷が途中までは木の中を流れるものの、近くに人がいると、その人の体に稲妻が飛ぶ現象。人の方が木よりも電気を流しやすいから。日本での落雷の死者は、年間20名弱。直撃雷による死者率33%に対して、側撃雷での死者率は20%。直撃雷と同じくらい恐ろしい落雷です。今回、稲妻は落雷したポールから数十mも飛んで、私の車に到達しています。ポールへの落雷からも1秒ほどのタイムラグがあり、私が事故直後に落雷との確証がなかった理由でもあります。稲妻はフロントウインドウ上部のTVアンテナめがけて飛んだ様子。アンテナのすぐ下のガラスに、傷を残し、ガラスに沿って、真下に電流が流れました。そしてガラス下部で、また放電されたようです。これがその写真です。これは、フロントウィンドウの下側を写したもの。ガラス越しにインパネの丸い部品2個(センサー)が写っています。このセンサー間に、細長い三角形の白色部があるのがおわかりでしょうか。これは雷が流れたことにより、ガラス表面が梨地状に荒れた痕です。そしてその下方に、錐で突いたような痕と、周囲の丸いガラスの割れが起きています。この箇所から、電流が放出されたようです。ウインドウ上部にも、同様の梨地状の痕と、錐状の傷があります。こちらは電流の入り口のようです。つまり上下で2箇所の梨地痕、錐状痕があります。傷は車両保険で修理できることになりました。今回の幸運な点は幾つかあります。○ 私の車の周囲に数台の車が走行中で、おそらく数台の車に電流が分散された。○ 追い越し車線を走行中で、落雷したポールから距離があった。○ 窓ガラスが豪雨で多量の雨に覆われたため、電流がTVアンテナではなく、窓ガラスを流れた。そのため、TV,カーナビなどの破損を免れた。○ 多量の雨で覆われたため、窓ガラスから内部に稲妻が突入しなかった。また私も走行中、下記を注意していました。○ 車内の窓枠などの金属,車体に直接体を接触させない。壁にもたれていたために感電した、屋内での死亡例があります。○ もしもを考え、スピードを落としていた。それにしても側撃の入射位置は運転席側。私の頭から数十cmの距離。もう少しで、ブログも最終回になるところ。本当に幸運でした。日頃の行いが良いからでしょうね。(笑)「行いがよければ雷は落ちないはず」との突込みがありそうです。これは、まさに日記への「側撃」ですね。
2007.08.24
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高速道路での自動車への落雷で、自動車の修理が必要となりました。車には稲妻の流れた後も、しっかり残っています。明日の日記で、その被害状況の写真をご紹介します。お楽しみに?
2007.08.23
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騎士ドン・キホーテは、巨大な風車に突進する。その大きな羽根に弾き飛ばされようとも、彼は諦めることはない。「ドン・キホーテ」の作者ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラは、波乱万丈の生涯を送ります。その生涯は、ドン・キホーテに勝るとも劣らない。なかでも1575年、バルバリアの海賊の捕虜となった話は他に例をみない。海賊アルナウテ・マミーに捕まった彼は、奴隷市場で売られます。マミーの補佐役ダリ・マミーは彼を購入。その後、5年間、セルバンテスは奴隷になります。その間、野蛮なダリは、必ず毎日ひとりのキリスト教徒を虐殺します。4回もの脱走を繰り返すセルバンテス。彼は諦めない。そして1580年9月19日。ついにセルバンテスは、ガレー船のこぎ手として、鎖につながれようとしていました。ガレー船のこぎ手の奴隷は、鎖で4~5人がつながれ、寝るときもそのままです。食料はわずかにビスケット。打ち打たれ、こぎ続け、倒れると容赦なく海中に投棄されます。つまり生きて帰ることのない地獄の入り口。しかしガレー船につながれる、まさにその日。スペインから身代金が届き、ようやく彼は開放されるのでした。諦めない彼の想いが、ようやくかないました。そうしてセルバンテスは、ドン・キホーテを書き始めます。不朽の名作は、こうして生まれました。*我こそは、何しおう騎士ドン・キホーテ。ゆくぞ、サンチョ・パンサ!我の行く手を阻む、あの巨人を倒すのだ!愛しき姫をお守りするために。はいや、名馬ロシナンテ!その俊脚で、我を風となせ!さすれば、いかに巨人といえども、我の敵ではない。*ドン・キホーテ。セルバンテスの化身として、あなたが挑戦を続けるなら。それならば、私も挑戦を続けよう。如何に、それが愚かだとしても。
2007.08.22
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昨日、高速道走行中に激しい雷雨に会いました。前方、間近には稲妻が繰り返し見えています。車の進路はまっすぐにその稲妻の方向。近寄りたくはありませんが、高速道路の進路ですから仕方がありません。仕方がなく、稲妻に向ってゆきます。そして稲妻が近くなるのを感じていた、まさにその時。100mと離れていない前方に、稲妻が走りました。稲妻は道路脇の避雷針と思われる物に落ちた様子。この時、初めて白いと思っていた稲妻が、落ちた所では赤く光るのを知りました。次の瞬間、車にバチッという衝撃音が。おそらく落雷の衝撃で弾けた水が飛んできたものだと思いますが、この時、「側撃」を思いだしました。木などに落雷があり、そばに人がいる場合、側撃が起きます。落雷の電流はまずは木を流れますが、人の高さまで来ると、電流は人に向かって水平に飛びます。なぜなら木より人の方が電流を流しやすいから。雷雨の時に高い木の下で雨宿りすると、命取りと言われる所以です。最近も、死亡事故例がテレビ報道されていましたので、ご存知の方もみえるでしょう。車は落雷しても大丈夫といわれます。しかし走行中に落雷すると、電気系は無事で済むと思われません。かつて私は走行中に、車の電気系が一瞬で破損した経験があります。夜間の電気系の破損で、ライトなどが消えました。次に、エンジンが停止します。そしてパワステが停止、ハンドルが重く動かなくなります。さらに油圧停止で、ブレーキも全く利きません。なすすべがないまま、急激にハイギアでエンジンブレーキがかかり、急停止します。高速道路でこの現象が起きると、玉突き衝突は免れにくいでしょう。この落雷の光を、私は目線の高さで見ました。避雷針の守る範囲は先端から60度。明らかに私のいた場所は、避雷針に守られない場所だったのでしょう。この落雷に出会ったとき、どうすればよかったか。まだ答えはありません。しかし無事でよかったと思います。皆さんもお気をつけて。今日は雑談でした。
2007.08.20
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お休みの間に、6万ヒットとなりました。半休状態にも関わらず、ご訪問頂きまして、ありがとうございます。まさに皆様のおかげです。今日は絵本のランキングをご紹介します。最近は良い絵本に出会えず、残念です。『1』奇跡をさがして『2』とおさんペンギン『3』「そばにいるよ」(ぶぶチャチャ)『4』クマがくれたしあわせ『5』岸辺のふたりペットとのふれあい物が多くなりました。絵本とは言いがたいですが、番外としては次の作品がお勧めです。『番外』戦場から妻への絵手紙その他にも、幾つかありました。列挙します。○クリーム きみならできるさ○きみだけの道 きみだけの地図○君といたとき、いないときまた、今まで毎日日記更新を継続してきましたが、私の生活時間では平日の毎日の日記更新へのこだわりは、あまり良いことではなさそうです。なぜなら、下記の点を両立する時間がないから。○ 内容の納得できる日記を書きたい○ 皆様からのコメントにしっかりお返事したい○ 皆様のブログを落ち着いて拝見したい○ 最近お会いできていない方のブログにもご訪問したいつきましては、来週の平日からの日記更新は、2~3日に1回としたいと思います。土日は毎日更新です。また皆様のブログへは、極力、毎日ご訪問したく思います。こうすることで、長くブログを続けていきたいと思います。まことに勝手なことですが、よろしくおねがいします。
2007.08.18
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ついに最高気温40.9℃が記録される地域も出た暑い夏。これはやはり温暖化と関係あるのでしょうか。北極の氷河は、今年、近年最小規模に融解しています。北極の氷河が融けると、海洋コンベア停止が起きると言われます。これは氷河期につながる大規模な異常気象のきっかけ。そして大規模な異常気象の前には、ハインリッヒ事象での、気候の脈動が観測されるとのこと。小さな気候の変動は、大規模な異常気象の前兆です。ただし、マスコミの報道はあまりに過剰です。2020年に氷河が消滅するという、行き過ぎた報道もあります。またエコバッグ騒動の様な、環境問題への営利的な思惑も。データに基づいて、気候変動を冷静に見極めることが大切です。温暖海外にも、砂漠化も、異常気象と大きな関連があるでしょう。氷河の縮小も、乾燥化による降雪量の減少が影響しているといわれます。今年、日本に飛来した黄砂も、乾燥化の影響と考えられ、さらに環境汚染も関係します。そして、乾燥化での文明滅亡があるように、異常気象は私たちの将来に関わる問題です。これからもデータに基づいて、冷静に温暖化などの異常気象を考察することが必要でしょう。
2007.08.17
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昨日はあまりの日差しの厳しさに日焼け。すっかり、赤パンダ状態の私です。今日は強い日差しを避け、屋内でおとなしく過ごしましょう。では、「しばわんこの今日は佳き日」でも眺めてみます。しばわんこ、みけにゃんこは、静かにお香を楽しんでいます。湿度の高い日は、お香の匂いが長持ちするとか。今日もかなりの高湿度。お香に最適かも。お香を試してみましょう。・・・暑い。暑すぎます。日中のお香は暑すぎ。かといってクーラーを効かすと、空気が乾燥します。よく見ますと、お香は梅雨時期に良いとか。これは失敗。さらに、しばわんこは、更級日記を読み始めます。作者、菅原高標の娘は、13歳で日記を書き始めます。源氏物語に憧れ、全巻を得たことに夢心地になる文学少女。しかし物語の世界とは裏腹に、彼女の生涯は不幸でした。継母、さらに乳母との死別。さらに17才での姉との死別。姉の二人の子を育て、両親と暮らします。苦労の後に、33才で橘俊通と結婚。二人の子の母となりますが、夫は病死。やがて子供達も独立していきます。孤独な晩年を迎えたところで、彼女の更級日記は終わります。長年の日記を終えるとき、それは人生の大きな転機なのかもしれません。あまりに悲しいお話。これは気分転換に、外出しなくては。こうして今日も、外出してしまう私でした。
2007.08.16
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もう海水浴もシーズンの終わり近くとなりました。今日ではごく自然な海水浴の風習も、かつては異例なことでした。海水浴がイギリスで定着し始めたのは19世紀半ば。レジャーというより、海水が病気の治療に効くとの認識から流行しました。海水浴場はランク付けされ、下位の海岸でリゾートをすごすことになった人は、他人にそのことを知られまいとやっきになりました。海水浴場には桟橋(ピア)が造られ、今日の海外にあるような水族館、食堂、遊歩道などを備えたリゾート設備となりました。そのピアの売り物のひとつは、「水浴機械」でした。水浴機械は、フードで囲まれた馬車。女性はこの箱に入り、水着に着替えます。その間に馬車は水辺まで移動。そして海側のフードから海に出ることで、他人に水着姿を見られずにすむのです。当時は首から足首までを覆う水着で、スカートも付いていました。しかし女性は水着姿を見られるのを恥じたのです。現代の水着で19世紀に泳ぐと、どの様な騒ぎが起こるのでしょうか。ちょっと、気になりませんか?
2007.08.15
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起こるべくして、起きることはあります。フランス革命でのマリー・アントワネットの悲劇は、彼女の生き方に原因があると思われます。もちろん、浪費癖もありますが、致命的だったのは、最後まで庶民の立場に視点を落とせなかったことでしょう。高慢は、しばしば悲劇を招きます。ここでワーズワースの言葉は、端的に生きる指針を教えてくれます。ワーズワースの言葉を、内村鑑三は次のように訳しました。低く生き、高く思う(Plain living and high thinking.)青春をフランス革命の中に生きたワーズワース。彼が詩の創作活動を始めたのは、この革命のわずか後でした。不幸にも、マリーがこの言葉を聞くことはありませんでした。
2007.08.14
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休みを頂くと、休養の大切さを実感します。休みも観光地周りばかりではなく、時にはゆっくりとした時間の流れを感じるのも良いものです。そう実感しつつ、今日はゲーテの言葉をご紹介します。退屈は悪い雑草だが、大いに消化を良くする薬草でもある。皆様、良い休日をおすごしください。
2007.08.13
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今週はネット環境が良くありませんので、18日まで日記をお休みしたいと思います。随時、機会をみて、皆様へのご訪問などをしたく思いますので、よろしくお願いします。
2007.08.12
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お盆の頃には欠かせないろうそく。しかし日本はもちろん、西洋でもろうそくはかつては高価なものでした。19世紀前半まで、ろうそくの原料はミツバチの巣からの蜜蝋、あるいはクジラの頭部の脂肪を原料とする鯨蝋でできていました。そのため多くの人は、臭いのきつい獣脂ろうそくで我慢していました。また芯は木綿などが使われたため、芯を切りながら使う必要がありました。これは後に綿撚糸の芯の発明により、芯切りの必要がなくなりました。本格的なろうそくの普及は、19世紀半ばに、原油からのパラフィンを原料とした蝋が使われ、価格が安くなってからです。ろうそくは、燃えて、融けて、消えてゆくもの。日本では、その様なろうそくにも絵を描きました。絵蝋燭には、蝋燭に絵が描かれています。また日本の和蝋燭は、原料をハゼ(櫨)蝋を基本とします。いつかは消えていく蝋燭の絵柄。つかの間の絵を愛でながら、日本の夏を感じようではないですか。
2007.08.11
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お隣の韓国では、ねこさんたちは嫌われていると聞きます。しかし、今はどうなのでしょう。事実、韓国の諺には、猫の悪口が続きます。「猫の癖憎し」は、猫は性根から悪い、とそのまま悪口。「猫の子は生まれながらに引っかく」も同じです。「憎き猫が雌鶏をかみ殺す」は、憎い人が更に憎いことをする喩。「甘酒飲んだ猫の顔」は、盗み食いをした人の表情を揶揄する表現。「泥棒猫が祭床に上がる」は、やはり憎いことをする人のこと。「猫の声」ですら、人をだます声という意味があります。「目を隠してニャオと鳴く」は、姑息な手段でだますこと。「猫がネズミを思いやる」はありえないこと。あるいは偽善者。ねこさん、きみたちは日本にいてよかったね。さて、今の韓国はどうなのでしょうね。ねこさん。
2007.08.10
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ハリー・フーディーニ。稀代の奇術師。そして、サイキック・キラー。先日、超能力の公開実験を書きましたが、フーディーニは降霊会に参加して、霊媒師のトリックを暴きました。奇術を知り尽くした彼には、簡単に霊媒師のトリックを見破ることができたのです。彼がサイキック・キラーを始めたのは、母親を亡くしてから。真の霊媒師を見つけようとするあまり、霊媒師のトリックが許せない。霊媒師を詐欺師と呼び、次々と霊媒師を叩きのめすフーディーニ。あまりに激しい、フーディーニの声が聞こえます。だめだ、こいつも偽物だ!霊媒師の名をかたる詐欺師め!ああ、おかあさんに会いたい。ついに、交流のあったコナン・ドイルの主催する降霊会でも、そのトリックを暴露。そしてドイルとも絶縁します。霊媒師や超能力者に戦いを挑み、彼らの名誉も収入も生活も、全て奪い去ってしまうフーディーニ。その犠牲になったのは、見方を変えれば、大半がフーディーニの同業者の奇術師。もうやめないと、フーディーニ。このままでは、あなたがひとりぼっちになってしまう。うんざりだ。偽物の相手は、うんざりだ。だれも、かあさんに会わせてくれない。それなら、もう、茶番劇は終わりにしよう。でも、フーディーニ、あなたは孤高の奇術師。だから、トリックの幕引きは、あなたにしかできない。1926年、フーディーニは、急性虫垂炎で死亡します。彼のトリックにかかり、彼を不死身の男と信じ込むファンに、腹部を殴られたのがきっかけで。ついに最期まで、真の霊媒師は見つけることができませんでした。でも、今なら、フーディーニ、あなたの声が聞こえます。おかあさん、ぼくは、やっとあなたに会えました。
2007.08.09
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暑くなったとはいえ、自転車の快適さは捨てがたい。狭い道をすり抜け、好きな場所で立ち止まり、景色を眺める。その自由さは、自動車にはない。事実、歴史において自転車は、女性の解放に大きな役割を果たします。自転車は、自由と、自立と、広い空間を、彼女たちに与えたのです。19世紀初頭には地面を蹴って進むだけの自転車も、1861年にはペダルが付きます。だだ、女性に好まれたのは3輪車。だるま式の自転車は転倒の恐れが高く、女性には下品と考えられたから。ヴィクトリア女王も、3輪車を購入しました。前後輪同径、後輪チェーン駆動の現行型の自転車は、1885年に生まれます。その名は、安全自転車“ローヴァー”。そして1888年の空気タイヤの採用が、その後の自転車の盛隆を決定付けます。人々に自由と開放を与えた自転車。自転車で、顔なじみのねこさんにご挨拶。やあ! こんにちは。あれっ、怒ってる?ごめんよ、昨日はきみたちを無視したわけじゃないんだ。ちょっと、念写が気になって・・・。今日は皆さんにご紹介するから、許してね。
2007.08.08
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東京帝国大学助教授 福来 友吉が引き起こした、超能力騒動。明治時代の御船千鶴子は、映画「リング」のモデルとなった女性。福来の主催する透視の公開実験で、次々と透視を成功させます。しかし鉛管中の紙の文字を透視する別の試験では、別の鉛管内の文字を誤って透視。その結果、その透視能力が疑問視され、新聞にも批判的に報道されます。翌年、25歳の若さで自殺しました。次に福来が招いた長尾郁子も念写で、奇術と評されます。その結果、福来は大学を追われます。その後の三田光一は、月の裏を透視。しかし月の裏など見た人は当然おらず、真偽は確認できません。またこの被験者の中に、高橋貞子という透視をした女性がいるのは興味深い。学者というのは、思い込みでしばしば過ちを犯すもの。しかし人生を狂わす思い込みには、注意したい。今日は、長尾郁子も念写と、三田光一の月の裏の念写を眺めてすごしましょう。ねこさんたちは、お休みで。この念写を信じるか否かは、皆さん次第です。
2007.08.07
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こゑはせで身をのみこがす蛍こそ いふよりまさる思なるらめ古くから、人々を魅了してきたほたる。ゲンジボタルの雌は1年で羽化するが、雄は羽化までに2~3年かかる。そのために、雄の割合は雌の1/5。その後の寿命は約15日。しかし外敵の多い自然界では、3~4日と言われます。飛ぶことの多い雄は、クモの巣にかかるなど、更に短命。ゲンジボタルの卵は水辺、幼虫は水中、さなぎは土中、成虫は空間で過ごします。この全ての環境が、1年を通じて彼らに適していなければならない。変態ごとに生活環境を変える昆虫は、極めて稀な存在。無理だ。あまりに繊細すぎる。進化論に反するかの様な、彼らの求める生態系は、今も破壊されつつある。そんな彼らには、奇跡の発光システムが備わります。その光は、発光素ルシフェリンが、酵素の助けを得て、ATPと反応して得られます。ルシフェリンの酸化による発光は、全エネルギーの98%が光に変わる奇跡の光。熱のないほたるの光は、冷光と呼ばれます。もしこの奇跡がなければ、彼らの体は熱で破壊されることでしょう。村岡 範為馳(むらおか はんいち)は、蛍の光からはX線の様な未知の光が出ているのではないかと考えます。それを「渣蛍線(きけいせん)」として、1896年に発表しますが、後年、誤りと分かります。N線同様に、思い込みによる誤認でした。聡明な学者をも誤認させる神秘の光。ほたるの光は、あまりに幻想的。「幽鬼めいた蛍の火は、今も夢の中にまで尾を曳いているようで、眼をつぶってもありありとみえる。」(谷崎潤一郎 「細雪」より)ほたるの光。その光には、人の心の奥深くにまで届く、神秘の透過力がある。わたしは、渣蛍線の存在を信じよう。
2007.08.06
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江戸川乱歩。言わずと知れたミステリーの巨匠。私の読書熱は、乱歩の「怪人二十面相」に始まったと思います。小学生の頃、ポプラ社の江戸川乱歩全集を片っ端から読み進め、それでは足りず、文章を書き写していました。*乱歩は晩年、恐ろしい病魔に侵されるのでありました。それは、あの不可思議な奇病、パーキンソン氏病でした。たとえ病魔に冒されていると申しましても、そこはダンディな乱歩のことであります。トイレはみずから歩いてゆくのでありました。ああ、しかし体の不自由さを、どうすればよいのでしょう。ころばないのが、不思議なくらいなのです。はたしてその足取りは、よろめき、もつれ、ついには転倒してしまうのでありました。脳内出血。もはや、なすすべもないでしょう。高名な医者とはいえ、静かに臨終を告げるしかなかったのであります。しかし、なんと不思議なことでありましょうか。家族が乱歩の名を呼んだ、まさにその時、死んだはずの乱歩がカッと目を見開いたではありませんか。そして、そのじつに悲しげな目で、家族を見渡しはじめるのであります。次の瞬間、乱歩は目に涙を浮かべ、その涙はツウと頬を伝いました。そして、そのまま目を閉じ、再び開かれることはなかったのであります。はたして乱歩の意識は、このとき戻ったのでありましょうか。これぞまさしく、乱歩が残した最後のミステリーなのであります。聡明な読者諸君には、この答えはもうおわかりなことでありましょう。*私に、ただ言えること。それは今でも、乱歩は作品の中に生き、読者を魅了し続けているということだけなのです。
2007.08.05
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偉人にも、おっちょこちょいな人はいるものです。例えば、エレキテルを発明した平賀源内。彼はつまらない勘違いをします。大工の久五郎の見積もりが高すぎると、丈右衛門という男が相談に来ます。建築に詳しい源内は、久五郎の1/3の見積もりをはじき出します。不満顔の久五郎と3人で、源内は酒を飲み和解し、そのまま寝込みます。しかし翌日、源内の見積もりがありません。久五郎が盗んだと思い、源内は久五郎を刀で切りつけます。間もなく久五郎は亡くなりますが、その後、源内の見積もりは見つかりました。何のことはない、源内の早合点だったのです。この結果、源内は投獄され、間もなく破傷風で獄中死。命を奪う、大きな失敗でした。では、もうひとり。野口英世が黄熱病の研究中に、黄熱病に罹り亡くなったのは有名。彼が黄熱病に罹ったのも、彼の性格に関連しそうです。英世はルーズな面があり、感染力の高い菌も手袋なしの素手で扱いました。さらには細菌を扱うピペットを口にくわえ、それをうっかり飲む事故まで起こします。つまりは、いつ黄熱病に罹っても、妙ではなかったのです。さらに彼は黄熱病とともに、梅毒にも罹っていました。これも事故かどうかは分かりません。いずれにせよ、彼の性格は命を縮めたかもしれません。彼らの性格は天才のあかし。そして人生を狂わす危険信号でもあったのです。
2007.08.04
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1850年頃、人々を恐れさせたのは「生きたままの埋葬」でした。この頃に流行ったコレラは、死が訪れる前に極度の体温低下などの仮死状態を招きます。そのため誤診により、早すぎる死が認定されることがありました。実際に、納骨堂の隅で座った死体や、納骨堂の床に倒れた死体が発見されています。生きたままの埋葬の恐怖。これは一種の集団ヒステリーに近い状況を起こします。財産家には、医者に大金を積んで、自らのとどめを依頼する例もありました。1849年に亡くなった天才作曲家ショパンは結核でした。彼も生きたままの埋葬に怯え、不眠症にすらなっています。そしてこの中、1852年にジョージ・ベートスンが「ベートスンの鐘楼」を発明します。これは棺にベルが付いていて、蘇えった時にベルを鳴らして報せる棺。これは大好評で、大英帝国勲功章を授けられたほど。この発明で大金を得たベートスン。しかし彼の末路は悲惨でした。彼自身が自分の発明を信じられず、自らを火葬にするよう遺言を残します。しかしこの遺言が無視されるのではないかという恐怖から、結局は、焼身自殺を遂げるのでした。ベートスンの鐘楼の改良型には、多くの発明品が存在します。これらの棺に入った人は、孤独な人に違いありません。死に際してまで家族を信用できなければ、それ自体が死より恐ろしいことです。信頼なき人生は、自ら「生きたままの埋葬」を選択しているのと同じだから。今、本当に、生きているでしょうか?
2007.08.03
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身近な有毒植物。意外と知らないもの。有名な彼岸花などは驚きません。わらびも多量に食べなければ大丈夫。ねこさん、わんちゃんに有毒なねぎも、人には当然、大丈夫。ただ、私はねぎで体調が悪くなる気がします。動物的?今が花の季節のキョウチクトウは気になります。身近な花ですが有毒。「心臓一発」と呼ばれる心臓毒ジキトキシンを含みます。キャンプファイヤーの焼き串にこの植物を使用した死亡した例が、日本でもあります。アウトドアー派は御注意を。神棚に良く使うシキミも有毒。その実は数十個食べると中毒になります。シキミは植物中で唯一、「毒物及び劇物取り扱い法」に指定されています。毒はシキミン・イリシン・アニサチン。抵抗力のない子供は特にご注意を。遊びで食べてしまうかも。そして私にとって恐いのはイチョウ。イチョウの実、つまり銀杏は有毒。毒は4-メトキシピリドキシン。子供ならたった5個で中毒例があります。そして中毒からの死亡率は3割。日本でも近年で30名の死者が出ています。私は銀杏の入った茶碗蒸しが大好き。しかし大人でも、20個以上食べると中毒の恐れがあります。もちろん体調によってはそれ以下でも。茶碗蒸し大好きな私が、今まで中毒にならなかったのは奇跡か。大好きな茶碗蒸しに、多量の銀杏を投入。これはひょっとすると、銀杏を使った陰謀。まさにエラリークイーンの毒殺劇「Xの悲劇」の世界。銀杏の悲劇。その銀杏入り茶碗蒸しの誘惑に、私はこれからも戦ってゆかねばならないのです。
2007.08.02
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猫とおもちゃで遊ぶ。それはとても楽しいこと。そして猫と遊ぶと言うと、「ねこじゃらし」を思い出します。ねこじゃらしには、たしかに猫はじゃれつきます。しかしこの草の名前、「えのころぐさ(狗尾草)」とも呼ばれます。「えのころ」は仔犬の意味。犬のしっぽに似ているとして、名付けられました。そうしますと、ねこじゃらしにじゃれつく猫は子犬のしっぽにじゃれている様なもの。この草は、猫用なのか犬用なのか。少々悩ましい。皆さんにとって、この草はねこさんの草ですか。それとも、わんちゃんの草ですか。今日は、ねこさんの言葉で終わります。ドイツの諺から。人前ではなめ、後で引っかく猫にご用心。
2007.08.01
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