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いい天気だ♪何も予定がなければ外へ出てまったりと散歩でもしたい天気になった朝だった。寒いのは寒いのだが、この季節の寒さはなんだか身が引き締まる思いがして好きだ。息を吐くと白く可視化されるのもまた気持ちいい雰囲気に拍車を掛ける。兎に角気持ちのいい雰囲気だ。そんな日に私は…会社に遅刻した。。。考えてみれば私が会社に遅刻したのはもう数年ぶりになる。仕事を始めて2度目の経験だ。1度目は起きたタイミングがどう考えても間に合わない時間帯だったのだが、あまりの気の動転に、間に合うものだと思って全力で走ったのを覚えている。スーツを着ていたのだが、そんなことを気にもせず古都京都の町並みを走り抜けたわけだ。いつもは風情を感じる風景も全く目に入らないし、何よりそんな私の存在が風情を失わせている一番の原因であることを知っていたからだ(笑)そして2度目は今日だ。転勤後は初めての経験となった。しかし今日はあまり走らなかった。それは別に2度目だから慣れたというのではなく、惜しくもなんともなかったからだ。起きたのが始業の時間だったので…確かに気は動転したが、それでも以前の時よりは冷静だった。関係各所に謝らなければならないこと、身の振り方、そのようなことを延々と考えながら出勤した。勿論いつもの2.5倍くらいの早足で、だが。こういうことをやらかしてしまうと、1ヶ月くらいは寝ることが怖くなってしまうのが私だ。まるで臆病なのは百も承知だが、それでも遅刻した時の感覚はえもいわれぬ感覚があるものだ。出来るならば味わいたくはない。これから暫くは眠りに対して消極的な日が始まるのだと思うと少々気が滅入るのだが、自分のせいなのだから仕方ないというやるせなさを何処にぶつけていいのかわからない今日この頃だった。
Jan 31, 2012
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雪が降った次の日は晴れる可能性が高いように思う。恐らくそうではないこともあるだろうが、少なくとも私が生きてきた今までの経験から考えるとかなり確率は高いように感じる。次の日の晴れは放射冷却の影響でかなり気温が下がる。晴れていたとしても、下手をすると雪の日よりも寒いこともままある。あくまで朝の気温の話だ。そうなると非常に外に出るのが億劫になる。ぬくぬくと部屋で過ごそうとインドアな考えが頭を過ぎるわけだ。しかしながら、悲しきかなそういう日に限って仕事だったりする。私はそういう運命の星の下に生まれたのだろうかと感じる程に(笑)さて、本題へ。仕事に於ける1人前というのは、全ての仕事がソツなくこなせるかどうかよりも…もっと違うところにあるような気がする。仕事を覚えるのは書いてあることを覚えることだ。それは実践的に何かをやっていくうちに経験則として自分の中に培われるものでもある。人間は学習能力が高いのだから、同じことを何度もやっていればそれなりに覚えていくものだ。勿論そこに積極性による差異は当然ながら発生するが、嫌々やっていたとしても、長い月日やっていればやはり覚えてくる。そうやって様々な仕事をしているうちに、どのような仕事でも出来るようになってくる。仕事をやるだけではなく、やっている仕事の持っている意味まで考え出すとかかなり内容を理解出来ているところまできているのかもしれない。世間ではそのような状態になることを一人前になることだと認識しているようだが、最近私はどうも違うような気がしてきた。確かに仕事を覚えてどれでもこなすことが出来ることが一人前の条件の1つかもしれない。しかし、それだけでは足りないように感じる。営業職や技術職はそれでも1人前と呼べるかもしれないが、所謂ルーティンワークをこなすような仕事の場合には、それだけでは足りない。私が思うに、自分ならではのやり方で仕事を効率的に回転させることが出来る人を1人前と呼ぶように感じる。例えば普通にやれば3時間掛かる仕事があったとしよう。普通にやれば3時間なのだから、当然納期は3時間と見積もられる。普通にやっていれば3時間で終わるのだから、3時間以内に片付けてしまえばまぁ文句を言われることもないだろう。この仕事について「3時間で終わらせればいいや」と感じるか「出来るだけ早く終わらせてみせる」と感じるかに1人前とそうでないかが分かれるように思う。確かに3時間なのだから、それまでに終われば何の問題もない。目の前にある仕事はそれだけではないのだ。「仕事なんか探せば幾らでもある」と言うように、当初の仕事が終わったから終わりというわけではない。3時間をいっぱいいっぱい使って仕事をする人は、確かに3時間の仕事は終わるかもしれない。しかし効率的に物事をまわす人は3時間以内で仕事を終わらせて次の仕事に着手することが出来る。焦ってやるだとか、早くやることを指すのではなく、効率的にやる、これが重要だ。どのような局面でも効率性を重視する人は、そのうち仕事になくてはならない人材になることだろう。この「なくてはならない」という点がそのまま1人前の条件であるように最近では思うのだ。勿論そうは思わないという意見もあるだろうし、私がそれに反論するつもりもない。しかし少なからず職場に必要とされる人材は、先の先を見据えて仕事をしている。結果的に仕事が効率的に片付いていき、仕事が出来るという評価を受けるのは必ず上記の人物であるのは言うまでもないことだ。仕事を始めてもうそろそろ5年になろうとしているが、私はまだまだその境地には達しない。勿論そうなる為の努力はしている。確かに私の仕事は社会から見れば末端の末端かもしれない。しかし私はそれでもそれなりの矜持を持って仕事をしている。仕事に上も下もないように、私の仕事もまた極めるに値するものだと思っているからだ。現場にいる1人前の人は、確かに他の普通の人とは違う雰囲気を持っている。そのようになってこそ初めて見える仕事の本質があるのではないか、最近ではそう感じ始めている今日この頃だった。
Jan 25, 2012
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昨日は久しぶりに雪が降った。関東地方に雪が降るのは結構珍しいことのように思う。私は日本海側出身なので、雪など見慣れたものなのだが、そんな雪でも数年間見ないとそれなりに珍しいものだと感じる。関東に転勤になってからは如実に雪を見る回数が減ってきている。昨日見た雪もなかなか新鮮な気持ちで見れたものだった。さて、本題へ。血液型で人となりを決めるというのは日本だけの風習らしい。血液型は基本的には4つしかない。たったそれだけの要因で何億人といる人を4つにカテゴライズすることは早計なようにも思えるが、実際に書籍にされて出版されている血液型の本を読んでみると、それなりに当たっているようにも思えるから不思議だ。科学的に根拠がないと言われている血液型による性格の決めつけがなくならないのはそういった背景があってのことだろう。かく言う私もそれなりに血液型による人の性格については満更信じていないわけではない。当たっていない部分も確かにあるが、当たっている部分があるのも事実だからだ。その中でも私が一番興味があるのが、AB型の性格診断だ。これが意外に面白いものだ。今回はそんな話。私自身がAB型だからだということもあるかもしれないが、他の血液型による性格診断よりも、AB型のそれは非常に的を射ているように感じる。本などを見てみても、当たっていると感じるところが非常に多いし、私の周りにいるAB型の人の人となりを見ていても、自分とよく似ていると感じることが多いからだ。とは言っても、自分のことはなかなかわからないものだ。貴方はこういう性格ですよと誰かから指摘されたとしても、自分自身がそうかもしれないと感じなければただの妙な意見として片付けられてしまうからだ。殊更この傾向はAB型に多いように感じる。しかし私は最近気づいてしまった。AB型というものの恐ろしさに。先日仕事をしていた時だ。その時一緒に仕事をしていた人の中にAB型の男性がいた。彼は以前から職場内でかなり変わった人格だと言われていたのだが、私には同じ血液型だということもあってそこまで納得出来ることもなかった。恐らくは同属擁護の気持ちがあったからだろう。しかしその考えもその日改められることになった。仕事が始まって数時間、忙しい時間帯も一段落し、私はその人とは別の人と談笑していた。内容はあまり覚えていないが、かなり盛り上がっていたように感じる。するとその問題の先輩が話に入ってきて何やら知識のひけらかしを始めた。その先輩は知識の量は凄く、色々な分野についての知識を持っていた。しかしそれはあくまで本の中に書いてあるような知識の質であり、自分が実際に経験した上での知識ではないこともまた周知の事実だった。盛り上がっていたのだが興が削がれた私は話を離脱し、少しだけあった仕事に戻ることにした。私と最初に話していた人もその人の相手をしていたのだが、暫くすると仕事に戻ったようだった。また数時間後、また仕事が一段落したところで、今度は私が例の人以外の3人で話をしていた。確かその時には電車か何かの話をしていたように思う。盛り上がっていたのだが、ふと背後に気配を感じて振り返ってみると、案の定その人がいて話に入りたそうにこちらを見ていた。仕方ないので話を振ると、また話に入ってきて知識のひけらかしを始めた。面倒になったので私はまた仕事に戻ることにした。まぁこれだけ聞けば普通にあることだと感じるかもしれない。しかしその人の会話への割り込みと知識のひけらかしには以前より辟易としていた。まぁそれがその人の性格なのだろうと割り切ろうと思ったのだが、私はそこであることに気がついた。その人がAB型だということは、私にも気づかないうちにそうやって人の気分を害していることがあるかもしれない…。確かに私も新しい知識があれば誰かに話したくなるし、そこから会話が始まれば面白いだろうなと感じている節がある。もしかしたらその関係で誰かに嫌な思いをさせている可能性だって大いにあるわけだ。そのことに気づいた私は、その日以降思うが侭に話すということを自重するようになった。自分の話をするだけではなく、相手の話を聞いてそれについて意見するという会話形式を重んじるようになったわけだ。杞憂かもしれないと言えばそれまでだが、自分で自分の短所に気づくには少なからず他者の存在は重要だ。今回の私のように、実例があって気づかされるようなパターンはむしろ幸運だと言えるかもしれない。他者とのコミュニケーションは色々と煩雑なところもあるというのが本音だろうが、それでもそこから学び取ることがあるからこそ面白いのかもしれないと感じた今日この頃だった。
Jan 24, 2012
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そういえば、実家に帰った話をしていなかった(笑)最近物忘れが激しいような気がする。昔から物忘れは結構多かった私なのだが、最近は頓にその傾向が強いように感じる。これも年齢のせいなのだろうか?いつまでも若いままではいられないのかもしれない。1つ飛ばしになってしまったが、実家に帰った時の話の続きだ。兄と義姉に会うのは半年ぶりくらいかもしれない。私はそれまでは関東に引っ越したこともあって、殆ど家に寄り付かなかった。それは単純に帰省するにしても移動距離が長いだとか、それに掛かる時間が勿体無いだとか、様々な理由があった。それらの本当に些細な理由を「仕事が忙しいから」という大きな理由で包み隠しながらなんとなく避けていた、そんな感じだった。決定的な理由は多分ないんだろうと感じる。だが、そんな私が1年に2度は確実に帰省するようになった。その理由は義姉が出来るからだということ以外にはない。私は昔から姉が欲しかった。しかし姉というのは自分が生まれ出でた段階でいなければ出来るものではない。兄も同様だ。そんなわけで私に与えられなかった要素の1つとして姉が欲しかったのだと思う。ないもの強請りとも言うが(笑)私に義姉が出来るかもしれない、そう具体的に感じたのは去年くらいだった。初めて義姉に会ったのもそれくらいの時期だったかもしれない。兄と義姉は本当に仲が良い。羨ましいくらいだ。兄も義姉も私に会いたがってくれている。それは遠くに住んでいるからなかなか会えないこともあるのかもしれないのだけれども、少なくともそうやって口に出して言ってくれているというのは悪い気はしない。結婚の話が明確に出だした頃、私は早く帰らなければならないという気持ちになっていた。多分兄と義姉の結婚を一番喜んでいるのは私なのだろう。今回の帰省の目的は色々あったのだが、一番はやはり兄と義姉と3人で飲むことだった。これが帰省の一番の目的だからだ。美味しいお酒を飲みながら腹を割って話すのはやはり何物にも変えがたい価値があるように感じる。いざ飲み会が始まり、以前に帰った時から今に至るまでの話をした。私も流石に手ぶらでは帰れない。ちゃんと帰るに値する話を仕入れてきたわけだ。こんな私にも彼女が出来たという話だ。どうやら兄も怜さんもこのことに興味津々だったらしく、必要以上の追求が始まった。私の生まれが超がつくほどの田舎であることもあって、遊びに行くのにテレビの中でしか見れないような場所に行っているという話に激しく食いついてきていた。兄もしばらくは都会で暮らしてはいたが、仕事と長男であることを鑑み地元に帰って早数年、すっかり田舎の人と化していた分、話には食いついてきていた。話もお酒も進んだ頃、兄がトイレに立った。この時がチャンスだ、遂に私の願いの1つである怜さんを「義姉さん」と呼ぶというエクストリームチャレンジが始まった(笑)最初は自然な流れから言おうと思ったのだが、意識すると何故だか上手く言えない。意識すればするほど言う機会を逸してしまう。兄は少々飲みすぎたせいかなかなかトイレから帰ってこなかったので、かなり長い間チャンスがあったにも関わらず、したのは私の彼女の話くらいだった。ついぞ義姉さんと呼ぶことは出来なかった。帰りの電車の中で自分の体たらくについて反省しながら、頭は次に帰省することについて考えていた。次は恐らく兄の結婚式だろう。年内には挙式するとの事なので、いつからかカンストしている有給をフルパワーで使い切って参加することにしよう。その時には正式に兄と怜さんは夫婦ということになる。そうなれば気兼ねなく呼ぶことが出来るだろう。私の長い間の夢もその時叶うような気がする♪
Jan 23, 2012
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おこたりて磨かざりければ光ある玉も瓦にひとしからまし少し遅い初詣に今日行って来た。取り敢えず場所は有名どころということで明治神宮にしてきたわけなのだが、ただの日曜日のはずなのに観光客が非常に多かった。それだけで名所の片鱗を窺い知ることが出来るだろう。明治神宮前の橋を渡っている時に、この風景は何時か見たことがあると感じたのだが、渡りきる前にその記憶を固着させることが出来た。私は確かに明治神宮に来たことがあった、12年前に。その時は確か中学校の修学旅行だったような気がする。見るもの全てが都会の一端であり、珍しい以外の何物にも形容出来なかったその建物群の中にあって、その印象よりも班員の1人が約束の時間に来なかったので残りの班員で探し回ったというエピソードの方が強烈に頭の中に残っていることを思うと、インパクトの差を思い知る程だ。というわけで2012年の初詣が今日となったわけだ。冒頭の文章は私が引いた御神籤に書かれていた一文だった。由緒正しい名文のようなのだが、考えてみれば当然のことを言っているように思える。まぁ今の私にはぴったりの言葉なのかもしれない。この一年はこの言葉と共に歩んでみようと感じた今日この頃だった。
Jan 22, 2012
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1月の初旬、突然大きな連休を頂いた。私の職場だけがそうだとは思わないが、私の職場は休みが少ない。勿論規定通り貰ってはいるのだが、体感的に少ないのだ。いつもだというわけではないが、私の職場の夜勤の明けを休みとすることがある。確かに表記上は明け「休み」とされているわけなのだが、実際のところ休みかと言われればそうではない。なので休みと言われたところであまり実感もないというわけだ。夜勤をやったことがある方ならばわかると思うが、夜勤の明けというのは相当疲れが溜まっている。どんな疲れも仕事が終わればスッキリ♪と言いたいところだが、予想以上に疲れというものは蓄積するものだ。故に休みだと言われても明けは寝て過ごすことが殆どだ。時々元気な時もあるのだが、比率にして8:2くらいで疲れている方が多い。それで休みだと言われると釈然としない気持ちは察して頂けることだろう。まぁそんな感じで休みが体感的に少ない私の職場なのだが、稀に巡り合わせで大きな休みを貰えることがある。今回がそれだった。何をしようかよりも何処へ行こうかとすぐに考えてしまった。私は元来アウトドア派ではないのだが、仕事柄どうしても休みの日にはどこか出かけたくなってしまう。しかし1日くらいの休みではその気は起きない。それはやはり一人暮らし故の家のことがあるからだ。休みの日には家のことをしたい。片付けなければならないことは山ほどある。なので、出かけるにしてもかなり大きめの休みが必要だというわけだ。さて、その点を考慮した上で今回の連休を何に使おうかと思ったのだが…結構あっさり決まった。帰省することにしたのだ。考えてみれば、1年ほど前から私には帰省する大きな理由があった。それは兄に会う為だ。兄自体はもう見慣れたものなのだが、本当の目的は兄の彼女さんにある。怜さんと言えば、もう何度もブログには登場していることだろう。私自身あんなに兄と波長が合う人を見つけたのは初めてだった。私も兄も同じAB型だ、所謂ちょっと(かなり贔屓目に見て)変わった性格をしている。そんな兄の彼女なのだから相当器が大きい人なのだろうと思っていたが、実際に会ってみての衝撃はそれはそれは相当のものだった。その怜さんと兄が結婚するという話が飛び込んできたのはもう半年も前の話になる。そのニュースを聞いて私はかなり嬉しかった。人のことでこんなに自分が喜べるのかと自分自身驚いた程だ。それほどまでに嬉しかった出来事だった。結婚を決める前にも何度も怜さんに会っていたが、前述の通りかなり波長が合う人だった。こんな人が私の義姉さんになってくれたら凄く嬉しいだろうなと思っていたので、この結婚のニュースは私にとっても喜ばしいことだった。そして今回の帰省は結婚が決まって初めて帰る場となったわけだ。帰りの電車の中、私は驚くほどに緊張していた。怜さんに初めて会わせてもらった時の緊張感の何倍もあっただろう。それはやはり本当の義姉さんになるにあたっての私の身の振り方を考えてのことだった。開口一番にはまず祝福の言葉だろう、だとか色々な考えが巡り巡ってよくわからない状態に陥っていた。取り敢えずさしあたっての課題は一度でも「義姉さん」と呼ぶことだろうと決めて、私は帰路を急いだ。と、まぁそんな感じで続く(笑)
Jan 19, 2012
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本日は2回目の新年会と相成った。私のような仕事をしている人間というのは、仕事と一口に言ってもかなり多くの会社の人と接することになる。取引先という形で関わっているということは多いかもしれないが、私の仕事の場合にはこの「取引先」という言葉の意味が若干異なる。端的に言えば、もっと深い密接な関係があるというわけだ。なので、忘年会をはじめ、新年会も関係のある会社毎に行われることになる。そんなに多くの会社で新年会をそれぞれ行うのであれば、いっそ全部ひっくるめて1回で済ませばいいのではないかとお思いになるかもしれないが、そう簡単にいかないのがこの業界の常識だ。例えば私の会社がA社とB社の2つの会社と懇意にしているとして…私の会社とA社に関係があることをB社に知らせてしまうとまずいのだ。そうなってしまうと今の関係がまずい方向へと進んでしまうことになる。この関係は丁度二股をかけている男性の絵を考えてもらうとわかりやすいと思う。クリスマスのようなカップルにとって大切なイベントを二股をかけているという理由で二人ともと一緒に3人でやるわけにはいかないだろう。まぁ例は悪いかもしれないがそんな感じだ(笑)というわけで、今年2回目になる新年会に今日行ってきた。結論から言えばまぁまぁ楽しかったのだが、こういう機会は非常に有用であると感じる。確かに仕事の為に1日フイにするのだからあまり好意的に解釈されないことが殆どなのだが、お酒が入っているからこそ聞ける話があるというのも事実だ。会社の人とは会社の人としての付き合いがあるが、どこまで行ってもその関係は消えない。世間話をしても、馬鹿なことをやっても、どうしても会社の人間だというだけで一線を引いてしまうことになる。会社の人が友達にはなれないというのはこのあたりから来ることだろう。そんな人達に対して仕事以外の話が聞ける…しかもお酒がまじった無礼講で、となるとそうそう機会があるものでもない。これはチャンスだ。自分を売り込むも、仕事に優位な情報を聞き出すも自由だ。せっかくの機会なのだから有効に使わなければ損というものだろう。というわけで今回の私もお酒と料理を楽しみつつ、情報もがっつり仕入れてきたわけだ。しかしこれには重要な注意点がある。それは…自分がお酒に飲まれないこと、だろう(笑)
Jan 18, 2012
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人間、3週間やり続けたことは習慣になると言う。苦労が伴うこと、面倒なこと、望まないこと。それらを排斥出来ればおおよそ及第点くらいは貰えそうなのが人生というものだろう。まこと人生には面倒がつきものだ。生きていくだけでもしがらみを抱えていかなければならないのは本当に辟易とするものだ。面倒なことを回避し続けるだけが人生ではない。どうしてもやらなければならないことというのは存在するもので、それらをこなすことを或いは習慣と呼ぶのかもしれない。どんなに面倒なことでも、どんなに望まないことでも、それが必要だと自分自身が感じていれば、3週間という時間で人はそれらを習慣化することが出来るらしい。卑近な例で言えばダイエットであるとか、貯金であるとかだ。コンスタントに無理のないように2週間続ければ、それは不思議と習慣になるらしい。しかし逆も然り。3週間かけてやりつづけたことでも、ほんの僅かな気の緩みから3週間ほどやめてしまうとその習慣はなくなってしまう。まぁ先ほど述べたことと若干矛盾することと思うかもしれないが、実際にそうだと思う事例は多いのではなかろうか。結局は良くも悪くも継続することが大切だということだ。いやいや続けたことでも、不思議と苦ではなくなるのが3週間という継続だ。継続して行っていることは力になるということだろう。小さなことでも大きなことでも、何かを成す人は必ずコンスタントな継続を行っている。大切なのはどれだけの量を行ったかではなく、どれだけの期間行ったかということだろう。仕事にしても勉強にしてもそう、全ては継続の成せるところが大きい。まぁ何が言いたいのかと言うと…頑張ってブログ更新しますという、昨日と同じことであるわけで…(笑)
Jan 17, 2012
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毎度毎度なかなか有言実行とはいかないものだ。ネタを見つけてそれをブログに書くくらいにまで練り込んで、そしてブログへの昇華する。そんなブログを書いている人ならば誰しもが行っている行為を、当然ながら私も行っている。しかしながら毎日コンスタントにアップする人と私の違いがあるとするならば、それは真面目か不真面目かに起因するところだ。真面目かどうかということは色々な面から推し量ることが出来る。それはメールの返信1つをとってみてもわかる。真面目な人はメールの返信をかかさないだろう。自分から送ることもあれば、来たメールには必ず返信をする。それが真面目な人の共通点だと思われる。そう考えるとやはり私は真面目ではないのかもしれない。まぁ今のブログの更新率を見てもそれは容易にわかることなのだが。。。という私のここ最近の悩みはと言えば…ネタがあるのに時間がないということだ。一体何にそこまで追われているのかと我ながら思うほどに、今の私には時間がない。何か得体の知れない強迫観念に苛まれていて、そこからくる反動のようなものでブログを書いているような感覚に近い。ネタがあるのにそれが全くブログという形でアウトプットしないのはそこに起因しているだろう。そして小さな理由としては、新しいパソコンのキーが使いにくいということもあるかもしれない(笑)やっとのことでこうして今書いているのだが、これが果たしてどれほど保つ原動力なのかは知れない。書きたいことが山ほどあるのに、それが昇華出来ないジレンマがないとは言わない。しかしながら、毎度毎度適度な時間を空けてブログを更新し、そしてその時にブログに対する考え方なんかを書いていると、いつもそれで終わってしまい、結局溜め込んだネタを放出するには至らないというのが現状だ。若い頃の苦労は買ってでもしろというくらいだ、私には少し気合が足りないのかもしれない。5年間続けてきたこのブログに対する甘えのようなものが出てきている。プライベートを押さえつけてでもブログに挑まねばならないフェーズに差し掛かっているのかもしれない。そんなわけで少し考え方を変えてきた今日この頃だった。ネタはいつ使い切ることになるのやら…笑
Jan 16, 2012
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おめでとうございます。2012年がめでたく始まったわけなのだが、いきなり不穏な気配が漂うスタートとなってしまった。というのも、東海地方並びに関東地方にしか関係ない話になるが、新年を迎えてものの30分もしないうちに比較的大きめの地震が起きてしまった。しかもその僅か14時間後ぐらいに更に大きな地震が発生した。私が住んでいるところでも震度3くらいはあったように思われる。仕事中だったのではっきりしたことはわからなかったが、それでもヒヤリとする震度であったのは誰しもが同じだっただろう。昨年は本当に地震に見舞われた年だった。3月の震災以降も、震度1から2レベルの地震は両手の指では足りないほど発生していた。あまりよろしくない意味で慣れが発生するにはそう時間がかからなかっただろう。2012年はそのようなことのない良い意味で平穏な年になってほしいものだ。とは言っても…やはり新年というのは心躍るものだ。今日が仕事でなければなおさらだったのだが(笑)まぁとにもかくにも…明けましておめでとうございます。本年もブログという形を通してにはなるが、良好な関係を築いていけるよう願う所存だ。本年が様々な方々にとって良い年となりますように。
Jan 1, 2012
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