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電車はとても不思議な乗り物だ。不合理というか説明がなされていないことが多すぎる。内部的なことを言うならば、例えば網棚だ。網棚というくらいだから網がはってあるような機構を想像するのだが、実際は支柱となるパイプに向かって多くのパイプが等間隔に並んでいるだけだ。あれでは網棚とは言えない、網棚という名前を正確に使いたかったら横の流れだけでなく縦にもパイプを這わせて網目であることをアピールすべきだ。しかしそれにしても素材が網ではない故に、網棚という名前は正確に「網目棚」とすべきだと感じる。名は体を表すという言葉があるくらいだから、物事を正確に見極めた上で命名しているという前提に立って考えていただきたいものだ。尤ももともとの網棚は網だったかもしれないのだが…。概念的な問題を言うのならば、電車のどの部分が「車」なのかだ。これはいくら考えても答えが出ない問題として私の中で燻っているものだ。今回はそれがメインなのでそのことを少しだけ考察してみようと思う。まず考えられるのが車輪がついて自走すれば車という概念になるのかどうかということだ。この定義における「自走」とはつまり人間・機械の操縦によって陸上を走ることであって、間違っても勝手に走り出すことではないということは言っておかなければならない。しかしこの考え方はおかしいことにすぐに気づく。自動車は確かに車輪の役目であるタイヤがついていて自走できるし電車も車輪があって自走するので車と呼んでいいものかもしれないが、飛行機は車輪がついて自走するにも関わらず「車」ではなく「機」だ。そう考えると自走するということが車の概念だとは考えにくいからだ。次に考えられるのが主に活躍するのが陸か空かということだ。先ほど書いた飛行機やセスナは主な活動範囲は空だ。両方の名前に車がつかないことを考えてみるとそれが真理のように思える。しかし車がつく機械と車がつかない機械には上述したものとは異なる確固たる概念があるように思えてならない。私の稚拙な頭ではこのくらいを考え付くのが限界だ。私自身、これが真理だとは思えない。しかし考えうる範囲で納得できる答えがこれしかないのもまた事実だ。電車に乗ることが多くなってそのことを考えることが多くなったのだが、未だ答えは出ずだ。ちなみに…地下鉄もまた車がつかない。これは主たる活動範囲が陸よりも下だからだろうか?しかし京都を始めとする地下鉄の多くは地下から出てくることも多い。地下鉄のフルネームを知らないのでなんとも言えない。どうせなら乗り物、ひいては車輪がついているもの、自走するものは車で統一した方がいいと思うのは私だけだろうか…。くだらないことばかり考えてないで…アルバイトの面接行ってきます。。
Jan 29, 2007
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昔山梨によく行っていた。その時に感じた不合理について書いてみようと思う。今回は過去の内容になるのだが、不合理なので仕方ない。では本題へ…朝6時、いつも遠くに出かけている時に使うバスに乗り込む。いつも乗っているだけあってすぐに眠りについてしまい乗り過ごしそうになるのが直さないといけない癖だと思いつつも目的の駅、二条駅へ。ここから私の一世一代の旅~在来線バージョン~のスタートだ。そんなわけで早々に電車に乗り込み京都駅へ。まずは滋賀を抜けることになるのだが、朝早いことと土曜日であることも関係してか普通線しかなかった。米原までの道程は何気に距離がありできれば快速、最悪急行で行きたかったのはやまやまなのだが仕方なくのんびりの旅を更にのんびりにする各駅停車に乗ることになった。米原に着くとそれなりにペースもあがるというもので、そこからは一気に岡崎まで行くことが出来たのだが、ここで大きな疑問があるのでそれについて書いてみようと思う。その近くに住んでいる方がいらっしゃればこの問題に対する答えが是非とも欲しいものだ。私が米原から乗ったのは「快速岡崎行き」だった、確かにそうだった。電車に乗る時は執拗なまでにその電車の名前というか行き先をチェックする癖のある私にとってはいつものことであって、それを行っている以上は失敗はあり得ないのだ。しかし今回のことはそういう次元で起きたことではなかった。米原から岡崎までは多くの駅がある。勿論始点から終点区間である以上はそこに急行なり快速なり新快速なりの便利な手段は介在する。今回もその便利な手段である快速に乗ったものだと思っていた。しかし事実はそうではなかった。米原を出るとそこから岡崎までの間に醒ケ井、近江長岡、柏原、関ヶ原、垂井、大垣の区間がある。しかしこの区間は各駅停車であっても快速であっても全ての駅に停車する区間だ。故に快速の利便性が発揮される区間ではない。それは私も重々承知していることだ。そしてその後は穂積、西岐阜、岐阜、尾張一宮、名古屋の順に停車することになっている。ここも先ほどと同じ区間なのでそこにも快速の利便性はない。しかし問題はその後だ。名古屋から岡崎までは快速で行くとしても大府、刈谷、安城の停車駅があるにも関わらず、電車に乗っている私に告げられたアナウンスは非常に理解に苦しむ内容だった。それは車掌「今日もJRをご利用いただきありがとうございます。この電車は快速岡崎行きでございます」 ~中略~車掌「この電車は名古屋を出ると終点岡崎まで各駅に停車します」 !!!??初めは聞き間違いかと思ってその後にもう一度ちゃんと聞き直してみようと思って次のアナウンスが流れるまで待っていたのだが、勿論私が次に聞いたアナウンスも先ほどと全く同じ内容だった。これは一体どういうことなのだろう。快速と言いながらも全く快くない速さで走られても困るというものだ。もしかしたら「快速と言いながらも快くない速さで走る」の意味で「快速」なのかもしれないと本気で思ったものだった。特に問題がなければ車掌に質問等しようとも思わないのだが、この時ばかりは本気で質問しようか迷ったほどだった、しかし敢えて聞かなかった。これは命題なのかもしれないと思ったからだ。この不合理を考えていれば東京までの長い道程を退屈に過ごさなくてもいいのかもしれないと思えたからでもあった。笑そんなわけで謎な区間を気持ち悪く移動して、岡崎ー浜松ー静岡ー三島ー熱海ー東京と経由していった。而して外の景色を眺めているだけというのも退屈してくるというもので、暇つぶしに今まで経由してきた駅を全て覚えていこうと思い立ったのは浜松を出た辺りだった。そんなわけで京都ー東京の駅名を乗って来た電車の種類別にだが全て暗記っしようと思い立った。まぁ究極の暇つぶし&頭の体操だと思えばそう辛いものでもない。昔からこういう遊びが好きだったのも関係しているかもしれない。やっと東京に着いた頃には出発して10時間が経過していた。暗い頃に出てきて暗い頃に到着するというのはそれはそれで斬新なもののような気もしていた。目的地である都内某所に着いた頃にはすっかり夜の帳が降りていた。今回の旅の目的、それは言ってしまえば「邂逅と再考」だ。予定している日程には全てこの要因が絡んでいる。そういう意味では1日目の日程が一番得られるものが大きかったように思えるのだが、しかしそれも初見の印象でしかなかったことは後でわかることとなった。そんなわけで1日目は充実した東京だった。
Jan 28, 2007
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部屋の掃除が終わらない。冷蔵庫が汚いし、お風呂も中途半端な掃除具合だ。というのももう少しでこの家を出るからだ。専門家の掃除の技術には勝てないだろうが、少しでも綺麗に掃除して敷金を多く返却してもらいたいという意図だ。今の時期にそんなことを考えるのはどうかとは思うが、それでも物事に早すぎることがないように今から考えても損ではないと思う。とこのように出て行くことを考えるとちょっとだけブルーになることも多い。狭いだのワンルームだの(同じ大学の友人が2LDKとか3DKとかに住んでいる人がいるから)と文句を言ってきたが、それなりに我が城になりつつあるので名残惜しさも出てきたものだった。思えば私の部屋は不具合の権化だった。なので部屋に住まわせてもらってありがたいという感謝の意を述べる前に文句を書いておこうと思う。これは必要なことだ。反省点があるからこそ、更にステップアップが望める。向上心のない部屋に住む人はいないのだから。では文句タイム開始だ。1:押入れの立て付けが悪いこれは入居1年目から猛烈に感じていたことだった。右の扉の蝶番に付けられているネジがおかしなことになっていたのだった。去年辺り…5回目くらいに壊れた時に、もしかしたらネジの方に原因があるのかと思いネジを眺めていたのだが…なんとネジの穴の周りに何度も試し撃ちしたような穴が開いていたのだった。もともと押し入れを支えている木が古いような懸念があったのだが、まさか押し入れを支える礎にそのような加工がしてあったとは夢にも思わなかった。そのせいで何度押し入れを補修しても扉が外れることは最早必然ということが去年辺りに判明した。まぁもう数ヶ月なので…掃除に入った業者さんに陳情するとしよう。あくまでこれが私のせいで壊れたと思われてはシャレにならないという保険の為だ。プラス次に来る人の為でもある。2:台所の水道とお風呂の水道のお湯の温度差夏場は特に問題ないのだが、冬になるとお皿を洗うのにもシャワーを浴びるのにもお湯というのは必須になってくる。夏場はシャワーの温度も40℃前後で全然いいのだが、冬になると結構な高温が必要になってくる。なのでシャワーの温度を上げるのだが…45℃くらいまで上げても温いのだ。水温45℃と言えばそれなりに熱い部類に入る。しかし私の家のお風呂の45℃はぬるま湯レベルなのだ。はっきり言って冬は体が冷えて冷えて仕方ない。これは1年目から気になっていたことだった。しかし台所で食器を洗う時のお湯の温度は数字が示す通りなのだ。つまり45℃でお皿を洗うと熱くてちょっと無理だといった具合だ。なので私はお風呂に入る時と食器を洗う時には温度差を変えているというわけだ。ちなみに…今私がお風呂に入る時の水温は65℃だ。一般的には熱湯レベルに近いものがあるのだが、これでやっと温かいお湯になるのだ。しかし1度だけお風呂の時の温度で食器を洗ってしまい大惨事になったことは言うまでもない_| ̄|○3:水が衛生的ではない先ほどお風呂と台所の話を書いたのだが、台所の水にも問題がある。まずすぐに詰まる。12時間ほど蛇口を捻らなければ茶色の水が出てくるし、更に3日ほど蛇口を捻らなければ捻った瞬間に波動砲(の実物は見たことはないが)の如く攻撃的な水が出てくる&茶色なのだ。もうこれにはうんざりしていた。前々から市内の水は汚いということを聞いていたのだったが、まさか茶色のレベルまでいっているとは思ってもみなかった。これは衛生上の問題云々ではないような気がしてならなかった。そこのことで問題なのは、私が無類のコーヒー好きなことと関係している。私は1日に3杯から4杯のコーヒーを飲む。勿論邪道の砂糖やミルク入りではない。しかしコーヒーのブラックを愛飲している方ならわかるかもしれないが、ブラックでコーヒーを飲む時には作る際の水が鍵を握っている。しかし京都の水はまずい、況や私のアパートをや…だ。なのでコーヒーを飲む機会がグンと減ってしまった。それが残念で仕方ないことだ。それに加えて、台所の水はお湯にすると水が白くなるのだ。しかも洗剤が混じったような綺麗な白さだ。慣れない頃はびびってしまったのだが、これが何故白くなるのかは未だにわからない。なのでお茶を沸かす時にお湯を沸かす必要がある時、尚且つ先ほどまでお湯を使っていたような状況では3分以上水を出しっぱなしにしないと怖くて仕方ない。以前に友人が泊まりに来た朝、喉が渇いたと言って蛇口を捻ってすぐにコップに水を汲んでごくごく飲んでいた時には軽く引いてしまった。その友人は奈良に住んでいるのだが、奈良の水は綺麗なのだろう、その後体調が悪くならないか心配でならなかった。尤も…そこで注意しない私も私だが。ただその時は眠くて注意に気が廻らなかったと言い訳をしておくことにしよう。とこのように挙げだすとキリがないほどにダメな場所だ。しかしそれでも4年も住むと便利に思えてくるところもある。具体的には挙げられないのだが、いまや実家の自分の部屋にいる時ほど落ち着くようになった。この部屋も後2ヶ月弱だ。できるだけ綺麗にして次の人にバトンタッチしようと思ったものだった。
Jan 27, 2007
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思い出というのは様々な形で刻まれていくことになる。それは五感を基に構成されている要因だ。例えばこの食べ物を食べるとあの頃を思い出すとか、この感触はあの頃のこのことを思い出すとか、思い出にはそれ自体の思い出だけでなく感覚に付随する因子というものがある。食べ物や触感で思い出を反芻する人もそれなりにいるかもしれないが、思い出と感覚に絶対の因果関係があるのは聴覚と嗅覚だろう。声や匂いで思い出を反芻することが一番多いように思える。それとは関係なく、音楽による一種の高揚感ということもあるだろう。例えば落ち込んでしまっている時に聴くと元気になる音楽や、これを聴くと昔のことを思い出すと言った具合だ。以上のことより音楽というのは好きな音楽であること以外にも思い出に付随するものとして重要になってくる。私が聴くと何かを思ってしまう曲は多くある。今日はそれについて書いてみようと思う。今回の内容は端的に言ってしまえば私事だ。興味がない人の方が大多数であろうし、私自身あまりウケがいいと思って書いているわけでは毛頭ない。ちなみに…ネタがないからこんなことを書いているわけではないのであしからず…。まず1曲目は天野月子の「花冠」だ。おそらく知っている人の方が少ないかもしれないが、これは山梨の思い出だ。特に聴いていたわけでもないし、お互いに好きだった曲というわけでもないのだが、何故かこれを聴くと楽しかった頃を思い出す。今になって聴けば凹むだけなのであまり聴かないようにはしているが、たまに聴くと感傷的になる。2曲目は同じ理由で一青よう(「よう」の字が出ない…)の「かざぐるま」だ。これは携帯電話でメールが来た時の音楽なのだが、これを聴くだけでこれまた妙に感傷的になってしまう。最近ではあまり聴くことがないことも関係しているかもしれない。3曲目は桑田圭佑の「白い恋人達」だ。これは高校時代から5年間好きだった人と修学旅行に行った時に聴いていた曲だった。これを聴くと不毛な恋愛に傾倒していた自分と北海道小樽のレンガ倉庫街を思い出して少しだけブルーになる。逆に元気になる曲には「truth」がある。特に意味もないし原因もないのだが、何故かこの曲を聴くとテンションが上がってくる。最近ではアレンジが加えられて更にカッコよさに磨きがかかってきているように思える。まぁたまにF1を見ることがあるのでそれに関連しているのかもしれない。私は4曲だったが、他の人はもっと多くあることだろう。いい思い出にしても苦い思い出にしても…その時々を飾る曲というのはなかなかいいものだ。何も写真やメールや物品だけが思い出ではない。記憶に刻まれた思い出というのはより鮮明にその人の歴史に刻み込まれていくものなのだから。
Jan 26, 2007
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お金に困窮し出して早4年、それなりに食生活も安定し出して…いつも食べているパスタや饂飩に特に疑問もない日々が続いていた。単調な食生活だと言われてしまえばそれまでなのだが、それでも私なりに気に入っているところもあったので疑問を持つこともなかった。私とて人の子である以上は時々豪華な食事が食べたいと思うこともある。しかしそれも財布の中身を見てみれば現実が見えてくるもので…結局1度だけでも豪華な食事をしてしまえばいつも食べているパスタや饂飩以下のクオリティが待っているものだ。それを考えると豪華ではなくても継続的かつ財布に優しい食事が効果的だということをすぐに悟ったものだった。しかしいつもいつも同じようなものを食べていれば飽きというものはくるものだ。4年間同じような食事をしているとその傾向は顕著で…時々刺激を求めようと軽い火遊びをしてしまうこともある。今回はそんな話だ。私の家にはいつも米がある。それと言うのも私の実家は田舎らしく兼業の農家をしている。なので米に関しては買って食べるという概念はなく…収穫して食べるというのが子どもの頃からの常識だった。周りの友達もそういう人が多く、都会の人が米を買って食べるというのが信じられないものだった。まぁ今となってもあまり信じられないが…笑そんなわけで食事にどれだけ困っても白い米だけは困らないという状況が続いていた。それは一人暮らしを始めた時からも変わらないスタンスで…いつもある故に希少価値が高く、そこまで頻繁に食べられるというものでもなかった。米だけは実家から送ってもらわないと補給が出来ないのでその分他の食材よりも大切に食べているからだ。私自身もともと米が大好きで…米と海苔と梅干があればご飯が何杯でも食べられるほどだった。しかし一人暮らしをしていると白いご飯のお供の漬物もおかずも実家にいる時のようなクオリティで食べられるわけでは当然ない。よって白いご飯だけの時も頻繁にあった。そういう時は如何な好きな白いご飯でも苦痛に感じてしまうものだ。どの食べ物にでも言えることだが、同じものをたくさん食べるほど飽きてくる。私にとっての白いご飯は最早その対象となりつつあった。そんな日々が続いた時…あるテレビ番組で貧乏料理なるものをやっていた。それは「ご飯を炊く際にインスタントのパスタの素を一緒に炊き込んで美味しくする」といった内容だった。そこまで困ることはないと思っていたので試そうともしなかったのだが、先日ふと白いご飯だけにへきへきしていた時に思い出してやってみようと思ったのだった。挑戦するのは悩んだ挙句にナポリタンの素にした。この方が失敗がないように思えたし、何より危険性の観点から「アサリのコンソメ風味」は避けた結果だった。貝類が危険だというのはなんとなくだが…あながち外れてはいないだろう。今になって考えてみればミートソースの方が安全だったかもしれない。笑そのナポリタンの素はお徳用のやつで内容量が285グラムもあった。なので2合炊きにしようか3合炊きにしようか真剣に悩んだ。285グラムということは300グラムなので…だいたい3合くらいでちょうどいいだろうと裏づけもなしに決め付け米を洗い、いざ炊く際にお釜へ投入した。その時妙に米とナポリタンの素が混ぜても混ぜても分離してしまうのが気になったが…それは炊けば大丈夫だろうと恐ろしく安易に考えていた。楽観的に楽しみにしていたものだった。お釜から炊き上がりを告げる音が聞こえた頃…私はわくわくしながらお釜を開けてみた。すると…開けた瞬間に強烈な匂い&真っ赤なスープが…最初は米が解けてスープになったのかと本気で思った。結果から言ったら完全に失敗だ。汁気が多すぎて混ざらない上に混ぜたらご飯がにちゃにちゃしてお粥を食べているような感覚だった。わかりにくいと思うが…脂っこいお粥だと思えばそう見当違いでもない。しかもこれが3合、こんもりとお釜を占拠している。手際よく…とは言ってもにちゃにちゃだが…それを終わって最初に思ったのがやっぱりあぁ…ご飯3合無駄になった_| ̄|○普通に食べれば良かった_| ̄|○冒険が仇となった_| ̄|○やっぱりご飯は米が立ち上がるくらいにふっくら炊いてお椀に盛ってある方が美味しそうに見えるということを赤々としたご飯を目の前にして嫌というほど痛感した出来事だった。ちなみに私の口には合わなかったが…好きな人は好きな味かもしれない。興味のある方はお試しあれ(笑)
Jan 25, 2007
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今回は少々論文チックだ。しかし論文というほどのクオリティではないことは予め言っておかなければならない。この程度を論文と言ってしまうと全ての大学生の方に失礼だからだ。これを論文として成立させることは容易だ。しかしそれには多くの実証データと統計をとらなければならない。故に論文「チック」と半ばお茶を濁しているという次第だ。まぁ中途半端な考察とでも思っていただければ幸いだ。面白くなければ読まないことを推奨する。では本論へ…。血液型というのは大きく4つに分けられる。稀に違う血液型の人が生まれるという話も聞くのだが、今回のテーマとは若干異なってくるので考慮にいれないものとする。入れてもいいのだがごちゃごちゃになってしまい信憑性が出てこないという危険性があるからだ。まず全国の人口における血液型の割合というものを見てみるとする。統計が出ているのかどうかはわからないが、一般的な通念として血液型の分布としては A型+B型 →7割 O型 →2割半 AB型 →0.5割くらいが相場だろう。年によってその割合は若干変動するが、この割合が大変わりすることはないだろう。よって今回はこのことを踏まえて考えてみることにする。基本的に血液型というのはメンデルによってその概念が作られた。それは人間の場合ABO式血液型と呼ばれるもので…人間を4つの血液型に大別するという趣旨のもとで考えられる概念だ。それはA型1つをとっても、AA型の人とAO型の人がいるという考え方で…所謂A型の特徴である「神経質」「几帳面」と言ったような性質はAO型というよりもAA型に見られやすい傾向だと言える。A型でも様々なことに無頓着な人がいるということはこのことによってある程度だが説明はつく。まぁだからといって他の血液型が無頓着だと言っているわけではないが…。例えばA型の人とB型の人の間にできた子どもにはA・B・O型になる可能性がある。これはABO型の区分けでないとわからない概念だ。尤もこれにもRHなどの要素が加わると微妙な差異が出てくることも自明なのだが…今回はそれも省くこととする。前置きが随分と長くなってしまったが今回のテーマはABO式の血液型でどのような選択が行われるかは一定の確率であるにも関わらず、日本だけをとってみるとその血液型分布の割合は一定であるのはどうしてか?ということだ。例えばAO型とBO型の親の間に生まれた子どもがいたとしたら、その子どもは全ての血液型を有する可能性を持っている。つまりどのような選択が行われたとしてもどの血液型になるかは全て同じ確率なのだ。しかし現状このような親の間に子どもが生まれるというケースは多いものの、そこからAB型が生まれるということは稀だ。それは人口における血液型の分布を見てみてもわかる。A型が生まれるもB型が生まれるもO型が生まれるもAB型が生まれるも…この組み合わせから生まれる血液型の確率が全て1/4なのだ。ではどうして血液型による人口の差が出来てきているのだろうか?考えられる可能性はAB型という血液型がとても不安定で…なかなか成り難いというケースだ。血液型…要素としてのABOにも相性のようなものがあって…Aの場合はAとOを寄せ付けやすいという性質があるのかもしれないというパターンだ。これは案外信憑性があるかもしれない考え方で、実証になるかどうかわからないが、現実のA型とB型の人の付き合い方を見ていてもそれはある程度見てとれる。A型の元来気質としては先ほども書いたように「神経質で几帳面」であり、B型の元来気質は「楽観的で天衣無縫」といったところだろう。捉える側においてその概念に若干の差異があるかもしれないが…おおまかなところはこれくらいで差し支えないように思う。よくA型の人はB型を、B型の人はA型を苦手とするという話を聞くことがある。それは人によって生きてきた環境が異なる故育まれる性格に若干の違いがあるものの、おおまかにわけた性格的な観点からA型とB型には相容れない部分があるからだ。例えば粘土を使って工作をしているところを想像してみればわかりやすい。A型の人は正確かつ精密に…しかもどの人が見てもわかるような理路整然としたものを作るだろう。家を作るにしても動物を作るにしてもそのディテールにまで拘ったものを作ることが多い、言ってみれば「静」だ。対してB型は自分の作りたいものを自分のやりたい表現方で自由に作るだろう。それが家であっても動物であっても…丁寧かどうかは度外視してもとてものびのびとして細部に拘らない勇壮さがある作品になることが予想される、言ってみれば「動」だ。それに加えてA型はB型の行動が、B型はA型の行動に嫌悪感まではいかないものの引っかかるところがあるのも事実だ。掃除するというケースを考えてみればわかりやすい。A型の人は部屋を1つの掃除媒体と考えて掃除をするのでどの場所も綺麗にするということを考えるだろう。それに対してB型の人は掃除する箇所…つまり床とか箪笥とか個別に掃除をするという概念で(以前に聞いたことがあったのでこう書いておくが、あくまでこれは私が聞いたことなので真理ではない)掃除をするので、各部分が終われば掃除を終わった気になって急速にそこから興味が失せていく。掃除が終わった時、A型の人はB型の人が掃除した後を見て思うだろう「ここはまだ出来てないじゃないか」と。同じようにB型の人もA型の人が掃除した後を見て「ここまで掃除をする必要があるのか?身の回りだけで充分じゃないか」と。例えば仕事で大きな失敗をしてしまった時でもA型とB型ではそこに向かうスタンスが異なる。A型の人はいつまでも自分の失敗について悩んでしまうところがある。それは失敗した理由を自分でトレースできるからだ。故に自分の愚かさに気づいていつまでも引きずってしまいがちだ。一方B型の人はそれを振り切る術を知っている。「過ぎてしまったことはもうとやかく考えても仕方ない、それよりもそのことを今後の失敗に繋げないように切り替えよう」というように前向きに捉えることができる。このように様々な行動をとってみてもA型とB型には相容れないところが多い。つまり人間関係におけるこのような事象が…スケールは違えど血液型を選ぶという観点で行われているのかもしれないという考え方だ。勿論血液に意思があるとは思えないし、そのようなA型とB型の行動を知っているということも考え難い。そうではなくて血液をABOの4つに分ける所以となるような成分的な違いがあるのではないだろうか。水と油を混ぜてもそれが混ざり合うことがないように、この血液型とこの血液型はくっつきにくいということがあると考えれば今の血液型の関係にも納得ができる。そう考えると最初にベースとなる血液型がどのようになるのかというところにも関係してくる話になってくる。A型とB型とO型がそれぞれ3割程度ということは…最初に選ばれる血液型というものにさほどの差はないように思える。つまり2つ目に選ばれる血液型、つまりその人の血液型が決定されるところまで来て取捨選択が行われるという考え方にも合致することになる。成分的、先天的にでも血液が選択をしているとすれば…今の配合になることも納得ができるからだ。しかしこれは全ての血液型を有する生物に適応されるようなルールではない。全ての動物は同じ血液型という種もいるし、ABO式の血液型の区分けに従えばどの種類も同じ割合で分布している生物もいるからだ。つまりこれは血液型の選択ということ以外にも、その動物の先祖がどのような血液型だったかも大いに関係してくることだ。これを証明するには膨大なデータをもってこなければならないのでこのくらいにしておこう。データ等引っ張り出してきたら本当に論文になり兼ねない。これがブログである以上はそれは間違っているし、そんなものを楽しんで読んでくださるような奇特な方がいらっしゃるとも思えない。というわけでここで終わることにする。卒論関係のことをしている今だからこそ書いてしまったような…つまらない内容になってしまった感は否めない_| ̄|○ちなみに…今回例に何度かあげたA型のB型の人なのだが、その人に対して特に思い入れがあるわけでも他意があるわけでもないことは言っておかなければならない。何故A型とB型にしたかと言うと…それが一番わかりやすいからだ。
Jan 24, 2007
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これは私がまだ実家に住んでいた頃の話だ。ちなみに表題には「おじさん」と書いたが、厳密にはおじさんではない。ただ子どもの私の視点からおじさんだというだけの話であって、親族関係があったわけではない。関係性から言えば、父親の友達だったというだけのものだ。そのおじさんは私がものごころつく前からよく私の家に遊びに来ていたようだった。父親の友達なのでそれは当たり前なのだが、いつから遊びに来ていたのかどうかを考えてみても全くわからない。気づいた時には家に遊びに来ていたような…そんな感じだったのだ。そのおじさんはよく色んなところに行っている人だった。それというのもいつ家に遊びに来る時も何かしらお土産を持ってきていたからだった。それも国内のお土産も結構多かったが、海外のお土産も同じくらいの頻度で持ってきてくれていた。記憶している範囲ではマカデミアンナッツが多かったような気がする。それ以外にも信州のお土産とか関東のお土産とか…様々なところのお土産を持ってきてくれた。私が子どもの頃からそのような感じで遊びに来るおじさんだったので、そのおじさんが来てくれる時には 「やった、お土産だ!」といつも楽しみにしていたものだった。お土産は食べ物の時が多かったが、その他のものであることも多かった。小さな頃から居間の食器入れに入っているパイナップル型の灰皿があったのだが、それもそのおじさんのお土産のようだった。家族は誰も煙草は吸わないのに何故灰皿が…しかもパイナップルの灰皿があるのかわからなかったのだが、そのおじさんのお土産だと以前に1度聞いていたので妙に納得したものだった。そのおじさんはいつもニコニコしていた。何を話している時もニコニコして話しているので、私はそのおじさんはとてもいい人だと思っていた。面白い話もたくさんしてくれるし、それをとっても楽しそうな笑顔で話してくれるので子どもの私も退屈しなかった。それでも遊びに来る時間が遅いこともあって…そのおじさんが帰るまで一緒にいることはなかった。ちょっとだけ話をしてすぐに寝る準備をしていたのだった。きっと私が子どもだからそれに合わせてニコニコしてくれていたんだと今となっては思える。家に来るということは父親に話があってのことだと思えるし、その話をするまで…つまり子どもと戯れる時にはそのモードにあわせてくれていたんだと思える。実家を離れて数年、時々そのおじさんについて考えることがある。よく考えてみればそのおじさんには不思議なことが多いからだ。まずどんな仕事をしているのか知らない。お土産を持ってきてくれるということはそれなりに出張が多いのだろうが…しかしそれでもそうは感じさせない頻度で遊びに来ていたものだった。私の地元は田舎なこともあって…そのように出張がある仕事があるとも思えない。田舎故に地域に根ざした仕事が多いからだ。結婚をしていないことは知っていた。しかしそれが何故なのかもわからなかった。子どもの私が 「どうして結婚してないの?」と聞くのは失礼以外の何者でもないし、それは聞いてはいけないことだと子どもながらに察知していたからだった。しかし今になって考えてみると…家に遊びに来る時におじさんの様子を見ているととてもいい人に見えるので余計に不思議に感じる。私が女性ならきっとそのおじさんは魅力的に見えてもおかしくはないように思える。知らないことが多いこととの兼ね合いもあるのだが…。最近は実家に帰ることも少なくなってこと、それが正月やお盆のように特定の時期であることが重なっておじさんとはもう4年近く会っていない。今会えば何かしらのものが見えてくるのだろうか?お土産云々よりも久しぶりに会ってみたいと思ったものだった。ちなみに…以前から父親がそのおじさんのことを呼ぶ呼び方もとても気になっていた。それはここには書けないのだが…書けないような呼び方であるということだけははっきり言えることだ。きっと私がそのおじさんと友人だったとして道の向こう側にそのおじさんがいたとしても、そのおじさんを父親と同じ呼び方で大声で呼べる自信はない。まぁあだ名なんて些細なことから決まることだ。今となっては猛烈にそのあだ名になった理由を父親に聞いてみたいと思ったものだった。笑
Jan 23, 2007
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黒さんからまわってきたバトンなのだが…。はっきり言って照れる!その上面白くないこと請け合いだ。なので今回だけは今までのように私らしさが出るかどうかは本当にわからない。不安が募る一方なのだが…取り敢えず行ってみよう…♪● ファーストキスの年齢は?どんな人とシチュエーション●21歳の時に…。シチュエーションは…ホテルで…。はっきりとは覚えていないことをよく覚えている。● 今までキスした人数は?●2人しかいない。経験の浅さは否めない感ありけり。● マイミクの中でキスしたい人は?●…。マイミク自体少ないので回答に困る…。キスは意外に好きとだけ答えておくとしよう。● ずばりマイミクの中でキスした人がいる?●いるわけがない。● 今までキスした中で一番ロマンティックだったキスは?●車の中で夜景を見ながらしたキスだろう。月並みだが…。● では逆に最悪だったキスは?●いい悪いを決められるほどしてないのでなんとも…。● どんなキスが好き?●触れてすぐ離れるくらいがちょうどいい。● 付き合った人数とキスした人数って比例する?●私に限ってはしない。● 自分自身キスが上手いと思いますか?●下手も極みだと思われる…。● 最近キスしましたか?●もう随分していない。忘れかけているとも思えるほどに…● あなたにとってキスとは?●愛情を確かめる行為。● バトンをまわす5人●見た方で経験豊富な方どうぞ。りっこさん、指名です^^バトンだけでは尺が足りないので日記も少しだけ。今日は大学最期の試験の日だった。試験内容は1時限目が「中小企業論B」3時限目が「エネルギー資源論」だった。ここからは少し大学専門の話になるので注釈は入れようとは思うが、わかる方だけ読んでいただければ幸いだ。正直に言ってつまらない内容であることは請け合いだからだ。そもそも今日は2つの試験だったのだが…私の勉強の比率は中小企業論:エネルギー資源論=9:1くらいの割合だった。それというのも2つの理由がある。1つ目の理由は試験の出題形式が違うということだ。中小企業論はマークセンス方式でエネルギー資源論は論述方式という違いがある。これが厳密にどう違うかと言うと…マークセンスは0か100しかない、つまり白黒はっきりつくのだ。それ故もともと知識を持っていないと勘で埋めるだけでは合格点である6割は難しい。なので私は今回重点的に勉強していったというわけだ。それに比べてエネルギー資源論は論述方式だった。論述というのは白黒はっきりしない…つまりグレーゾーンが存在する。マークセンスと論述をわかりやすく言うと、マークセンスは数学の式を解くようなもので、論述は読書感想文を書くようなものだ。数学はどの先生が添削しても答えは初めから用意されているので間違いはない。しかし論述になると答えは添削する先生によって誤差が生じる。感性に関係してくる部分があるのだ。そう聞くと難しいかもしれないが、知識が全くなくても多少の点が獲得できる(あくまで主観)ので私としては論述が好きだ。自慢ではないが、私は論述で悪い点を取ったことはない。前置きが長くなったが、そういうわけでマークセンスに時間を割いた方が合理的なのだ。昨日は中小企業論をつきっきりでやっていたものだった。万全の知識を導入していざ試験へ…いざ試験が始まると卒業がかかっているとなるといつもの数倍も緊張するものだ。ちなみに言っておくと…私に残された単位は3単位。一つの講義を単位取得すれば2単位。つまり事実上は2つの授業をとればいいわけだ。しかし試験勉強と並行して卒論製作にも時間を割いていた。これを提出すれば2単位が貰える。つまり私が今回取得すべき単位は…たった1単位なのだ。しかしそれは講義を1つは単位取得しなければならないわけだ。1単位の授業がないのだからこの弊害は仕方ない。そして私が今回取った講義は3つ。よって私は3つのうち1つでも単位取得すれば見事卒業というわけだ。話を戻して…万全の知識を持って挑むとは言っても完璧だとは言い難い。そしていよいよ中小企業論の試験スタート…最初の設問は余裕だった。しかし…そこから先は全てを暗記した私の上をいく設問だった。なんと板書ではなくレジュメから出してきたのだった。なんとか食い下がるものの…やはりいくつか疑問に残る結果になってしまった。これでは安心してはいられない。しかし結果はわからないので落ち込むのも早計だ。まぁ気持ちを切り替えて次の試験へ…。次の試験はエネルギー資源論、論述形式の試験だった。先ほども書いたがあまり勉強していかなかったのだが…やはり直前になると心配になるもので…大学のカフェで軽く2時間ほどだけ勉強しておいた。いざ試験になると…なんと2年前の試験と問題が全く同じという珍事が発生。教室中からある種戸惑うような声が聞こえていたが…これは勉強していたもの勝ちの内容だ。私も2時間で詰め込んだ知識をふんだんに発揮して問題に挑んだ。出来上がりから言うと…文句のつけようがないだろう。何度見直しても惚れ惚れするような書きっぷりと問題が完全にわかる時だけ発動する流し書きが見られたので完璧だった。もう単位はもらったも同然だ。これで卒論を提出すれば見事卒業というわけだ。家に帰って来てからは安心で眠くなってきた。今日は徹夜明けということで体力も限界なので寝ることにしよう。。。。
Jan 23, 2007
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私の大学では今はばっちり試験期間だ。なので今はブログなど書いている場合ではなく、試験勉強をしろと言われてしまいそうで若干怖いのだが…なんとなく勉強も一段落したところなので少しだけ書いてみようと思う。とは言っても書く事などほとんどない。中小企業と下請企業の関係についてひたすらに頭に詰め込んだり…かと思えばセブンシスターズ関係の利権争いについて頭に詰め込んだり…ちょっとだけお疲れモードなだけだ。明日…厳密には今日から試験だ。今日が終われば山は越える。この使い古したシャープペンに卒業がかかっているかと思うと…力も入るものだ。皮肉なことに…大学4年間で今回の試験が一番勉強したような気がする。いつもこの勢いで勉強しなければならないとは思っているのだが…やはり背負うものの違いなのだろうか?ここでこけたら総倒れになるので気は抜けない。少し眠いが第2ラウンドに入るとしよう…(黄昏
Jan 22, 2007
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一人暮らしをする要因というのは人それぞれだ。ある人は進学の都合であったり、ある人は仕事の都合であったり、自分の本当にしたいことをするためであったり、自分を高める為であったり…いずれにしてもそれはとてもいいことのように思う。実家にいては見えないような発見、自分のダメなところ、そういうところも含めて見えてくるからだ。私は大学に入ったと同時に一人暮らしを始めた。それは単純に一人暮らしをしないと大学に通えないからだったのだが、今となってはそれが良かったと真剣に思える。それは一人暮らしだから自由になって楽だとかそういう意味ではなくて…自分という人間がよく見えてきたからだった。自分のしたいことに制約をかけないこと、それが一人暮らしの醍醐味だ。何かを探す為に遠方に出かける、友達と何日も朝まで飲み明かす、そのようなことは一人暮らしでなければ困難だ。確かに自分のとる行動全てに責任が出てくることは必至だ。それゆえ生活における慎重さが増すことになり、1日の重みが変わってくる。しかし私は一人暮らしをしていることを不幸だと思ったことは1度だってない。全てのことを自分でやらなければならないという状況は総じて人を責任ある人にする。私も例外ではなく、実家で暮らしていた頃よりは自分の行動に対する責任を感じるようになってきた。大学の友人でも実家から通っている人が何人もいる。そういう人がお金に困ったという話を聞く度に…どうにもやるせない思いになる。掃除も洗濯も炊事も全てをしなくてもいい、自分のしたいことだけに傾倒できるというその状況に対して不平を言うこと自体が妙におかしく思えてくる。確かに一人暮らしをしていることを盾にしてその人を責めることはできないし、しようとも思わないのだが、どんなにお金がなくても服だけはいつも綺麗で、ご飯だけは毎日ちゃんと食べられる…そんな風に保護された状態でいくら自分の不幸さを見せようとも説得力がないというものだ。あくまで私の周りの人だけかもしれないが、そういう人に限って自分は自立しているという言葉をよく口にする。それを聞く度にいつも呆れてしまう。自分のしたいことを他のことに時間を割くことなくサポートして「くれている」んだから、そこに感謝する気持ちが必要だと思うのは私だけだろうか?経緯的に実家から進学・就職できるということは恵まれたことだ。仕事に際して言うならば転勤が頻繁になく、同じ会社に通い続けられるような環境だと更にいい。金銭的にも親孝行的にも実家暮らしというのは最適だからだ。しかし…突出して良い部分を差し引いても、一人暮らしには自分の気づけなかったことをわからせてくれる作用がある。勿論一人暮らしに拘らなくても友達と一緒に住んだりするのもまた別の発見もあるだろう。私が大切だと思っていることは「家族から離れること」なのだ。まぁ一人暮らしをしていれば給料前でお金がきつきつになってしまいその日のご飯をどうしようか悩むこともあるだろう、掃除してない部屋にうんざりすることも洗濯物が溜まっていてへきへきとすることもあるだろう。しかしこれから一人暮らしをするチャンスがある方は是非とも踏み出していただきたいものだ。貧乏で困窮するのも一人で有意義に過ごす中にも見えてくるものは必ずあるのだから。
Jan 21, 2007
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昔から私は本を読むのが好きな人間だった。今となってはそれなりの本を読んでいるわけだが、勿論子どもの頃は絵本を毎日のように読んでいるような感じだった。もともと両親がそのような本が好きで家にたくさんあったということも関係しているのかもしれないが…本棚に膨大に積まれている本を片っ端から読んでいたものだった。そのせいか…保育園の頃にはお昼寝の時間を無視してでも絵本に齧りついていたので先生にいつも寝なさい寝なさいと怒られていたこともあった。子どもにとってお昼寝の時間は楽しい(とは言っても無意識なのだが)時間のはずなのに、私にはお昼寝の部屋の本棚にある絵本を読み漁る方がよっぽど魅力的に見えた。家の本棚の数倍の本、しかも全部が読んだことがない本なのだ、それはそれは目をキラキラさせながら寝ることもしないで先生の目を盗んでは絵本を布団の中に持ち込んで読み耽っていた。小学校にあがった頃には絵本よりももう少し発展した本を読むようになった。所謂伝記と呼ばれるもので、歴史上の人物の偉大さを書き綴ったような本に嵌った。リンカーンにはじまりエジソン、ナイチンゲール…日本では豊臣秀吉、織田信長、徳川家康…そのような本を好んで読んでいた。私は特にエジソンの話が好きだった。特に勉強をしているという意識はなかったのだが、現代のように便利なものがない時代に生活に根ざした発明をしているという意識が存在しているということが面白かった。人が目をつけないところにこそ文化の種はあるものだと感じた。中学・高校になると、推理小説に嵌った。綿密に考え込まれたシナリオ、張り巡らされた伏線、数ページでも気を抜いて読めない展開にわくわくしていたものだった。しかし、私の中で一番衝撃に残った本というのは、7歳か8歳で読んだ「はじめてであう数学」(だったかどうかはわからないが…確かそんなようなタイトルだった)だった。これは一応小学校低学年からの本とされていたのだが…書かれている内容はとてもそんな風には見えなかった。確かに可愛らしいキャラクターや綺麗な絵が出てくるので絵本と言ってしまえばそれまでなのだが、私にはただの絵本とは思えなかった。その3巻くらい(この辺りは本当に曖昧)に出てくる話が衝撃的だった。話の命題というのは「川で囲まれた土地があって、周りには川を挟んで7つの橋をかける。合計7本の橋を須らく一回ずつだけ渡って歩けるかどうか?」という本だった。つまり7本の橋を渡るように一筆書きできるかどうかということだ。これだけでは全く図が想像できないかもしれないが、簡単に言えば8のすぐ横に3をくっつけるような図形だと思ってもらえればいい。それを一筆書きできるかどうか?という命題なのだ。結論から言ってしまえばこれは不可能だ。しかし当時の私は本に答えが書いていないこともあってできると信じて幼い頭で一生懸命に考えていた。結局解けなくて忘れてしまったのだが…そのことを次に思い出したのは数年前だった。数学の歴史のようなものを勉強している時に「ケーニヒスベルクの橋渡り」というページがあって、そこに描かれている図を見て驚いた。それは私が遠い昔に頭を悩ませた問題だったからだ。興味があって読んでみるとこれはオイラーによって不可能定理とされているものだということがわかった。少し話は逸れるが…世の中に多くある数学的な定理を証明した人は数式の数と同じだけ多くいるが、その定理が可能か不可能かを判断するという視点で言えば圧倒的に不可能定理を証明する方が勇気のいることだ。数式を定理として持ち上げるということは、そこに至るプロセスというものは必ず介在する。しかし不可能定理を認めるということは数式には綺麗になる最終形があるという前提で言えば、その今までのプロセスを否定することになってしまうからだ。しかも物事をわからない人から見れば放棄しただけに見られるかもしれない。つまり定理として安定しているものよりも認められるのに時間がかかる可能性もあるのだ。話を戻して……オイラーと言えば虚数単位のiを作り出した人で、文系の私でも知っている人くらい有名な人だ。そう考えると私は小学校の頃からオイラーの不可能定理に挑んでいたということで…少しだけ自慢気になったものだった。笑
Jan 20, 2007
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いきなりだが…私には何故か相談をしてくる人が多い。その範囲は人生論から恋愛論まで多岐に渡る。こういうとおこがましいかもしれないが…時々不思議に思うことがある。人に自分のことを相談するということは、多くの段階を経ていないとできないことだ。1番大切なのは相談する相手を信頼していることだ。言わずもがなだが、全く信頼できない人には自分の抱えている問題を相談することはできない。それは抱えている問題の自分の中でのシェアが高ければ高いほど…つまりは重要な悩みであればあるほどその傾向が強くなる。やはり信頼している人でないと言えないことというのは多いものだ。そもそもそのような深刻な悩みを信頼していない人に話すということは、その人にとって重荷になってしまうのではないかという懸念がある。加えてちゃんと答えてくれるのかどうかという杞憂もある、それを考えると軽々しく話すことはできない。信頼と愛情というものには深い因果関係がある。「愛されたいならまず愛しなさい」という言葉があるように…信頼されたければまずは相手を信頼しなければならない。しかしいきなりその人の全てを受け入れられるかどうかというとそれは疑問だ。相手のことを何も知らない状態で手放しで信頼する人がいないように…信頼にはまずその人の根底に流れる本質を見極める必要がある。どんな物事にでも客観的に見ることが出来る人物、物事のレベルに関わらずその物事を軽視することがない人物、そのような人だとわかってからこそ信頼の芽が生まれることになる。そういう意味で私は信頼に足る存在なのかどうかをふと考えてしまうことがある。確かに私は頼られればNOとは言えない典型的な世話焼きなのだが、私の発する言葉に重みがあるのかどうか…それがわからないのだ。世話焼きも度を過ぎればおせっかいだという危険性もある。自分のことも相手のことも物事の事実だけを客観的に受け止め、よりそれに漸近した自分の考えを吐き出す。それが私のスタンスなのだが、相手のことを傷つけないように発言できているのかと言われれば…繊細さに欠けている部分も否めないのだ。本当に思ったことでも、言葉というのは時としてオブラートに包む必要がある。しかし私は思ったことを思ったままに相手にぶつけてしまう。宿題をしようとしていた矢先に母親に「宿題しなさい!!」と言われてしまうと一気にやる気がなくなるのと同じように、相手がもしかしたらと気づき始めていることを言われてしまうことはショックなのではないだろうか、それは気遣いの観点から欠落しているのではないか、最近ではよくそう思うようになった。これも相談を多く受けるようになった故のジレンマだと言える。しかしその反対に…相談を受けるということを嬉しいと思う部分もある。むしろ私にしてみれば相談を受けるということは嬉しい部分の方が圧倒的に大きい。それは先ほども書いたように…相談してくれる人にすれば私は信頼されているのだと認識できるからだ。だからこそその人の求めているものにより近づく為に一生懸命に聞かれたことに答えるようにしている。上手く纏まらなくて上手に伝えられたかどうかをいつも反省しているのだが、これは癖なのでどうしようもないと悲観している部分も否めない。こう言うと更におこがましいかもしれないが、私は1度たりとも相談されたことを「面倒臭いなぁ」と思ったことはない。私自身人にあまり相談しない体質なので、人に物事を相談するということがどれだけ自分の中で切羽詰っている状況なのかはよくわかっている。それで私を頼って(おこがまいしいが…)きているのだから、無碍にしては罰が当たるというものだ。それに少しでもその人の中でずっしりときているものを私が何か言うことで軽くなるというのなら喜んで協力したい気持ちで一杯だからだ。こう言うと偽善ぽく聞こえるかもしれないが、本音だ。誰かの役に立つことが幸せに感じる性格だから仕方ない。笑私に相談してきた人に「こいつに相談して失敗だったな…」と思われないように精一杯尽くしていこうと思った今日この頃だった。
Jan 19, 2007
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小さい頃から何かを集めるのが好きだった。ポケットの中にカッコいい形の石を集めて…家に持って帰っては空き缶に入れて眺めて…それだけで満足だった。自分の知らないようなことが自分の周りにはたくさんあるような気がしてそれに向かうなんていうことも自覚しないままにただ夢中で走り回っているようなそんな小学生だった。22歳になった今になって考えてみるとあの頃の何も考えていない私の方が私らしかったような気がする。疑うことも知らないで、男の子も女の子もみんな「友達」だと言って区別しないで一緒に手を繋いで走っていた頃あの頃がなんとなく懐かしく思える何の穢れもなくただただ無邪気に空が薄紅くなるまでボールを追いかけていたあの頃汗だくになってもいつも笑顔で先陣をきって遊んでいたあの頃家に帰れば両親があたたかく迎えてくれてあたたかいご飯を食べてあたたかいお風呂に入ってあたたかい布団で寝るそして次の日になったらまた元気に学校に出かける…その日がある意味なんて考えもしないで子どもなりにもその日その日を一生懸命に生きていた考えてみれば私はいつも笑ってた私の完成形はきっとその頃出来上がっていたのだろうそれが変化し始めたのが中学生になってからだった男の友達は今まで通り友達として見られるけど女の友達は自分とは異なる生き物だって思い始めたこの頃に私の完成形にはヒビが入ったあの頃みたいに何の打算も下心もなしに手を繋いで走り回っていた頃とは違う変わったのは私だけじゃなく周りもなんだってすぐに気が付いた友達を裏切る人を妬む嫉妬する傷つける成長するってことはずるくなることなのかもってなんとなく考えてただから私は壁を作った自分とは違う「モノ」に触れるかのように上辺だけは友達だと主張していても中身では何を考えているのかわからない結局私も含めてみんながある意味大人になったんだって思っていた高校生になった頃にはもっと酷くなった女の人なんて得体がしれない生き物だって信じて止まなかった好きになった人もいたけど拒絶される、嘘つかれる、裏切られるどうしてみんな自分に素直に生きないのかって不思議で仕方なかったでもそれを考えている時点で…人の心に探りを入れている時点で…私もその一端なんだって感じて余計にブルーになった完成形とはほど遠い纏まりのない考えだけが散らばっているような汚い部屋のような心を持っていたそれが普通なんだって大人になることはそういうことなんだってたくさんの人に出逢う摩擦で擦り切れて心が荒んでいくのは最早必然そういう風に汚い感情を自分の中に宿らせることで子どもの頃の綺麗な心の帳尻を合わせるだから大人って「あの頃は良かったなぁ」って昔を振り返るんだろう純粋さなんて砂浜に作った砂のお城みたいにちょっとづつちょっとづつ波に侵食されて壊れていくんだなってそんな風に考えてたそんな風に悲観して生きていた私だったけど考えに変化が現れたのは高校2年生の頃だったきっかけはあまりにも唐突でそして衝撃的だったそれはクラスメイトの死だった特に仲が良かったわけではないでも会ったら挨拶はするしバカな話もたくさんしていた友達だったその友達が不慮の事故で昏睡状態になってしまった担任にその話を聞いた時は唖然としてしまった昨日まであんなに元気だったのに昨日まであんなに笑ってたのに今はもう指一本だって動かす力はないなんとなくだけどもう助からないという話を聞いたその時クラスのみんなで鶴を折ったり、励ましの歌を込めたテープを作ったりした纏まりはないし人を傷つけるようなことを平気で言うようなクラスだったけどその時だけはみんな真剣に一人の為を想って作業に没頭していたように私には見えた私も勿論そうだった鶴を折る時も歌を唄う時も純粋にまたその友人に戻ってきて欲しいという願いを込めていたその時昔の純粋さが少しだけでも戻ってきたような気がしたその時のクラスメイト全員が言い方は悪いが、最高にいい人ばかりだと本気で思った結局その1ヵ月後くらいにその友人は亡くなったびっくりするくらいあっけなくて実感も何もなかった何故か落ち着いている自分が正直嫌になった通夜は参加できなかったけどお葬式にはクラスメイト全員で参列した雪がちらついていた日だったクラスメイトだということで全員が顔を見て花を手向けるということになった私の番が来て棺の中を見た時友人の顔は安らかなものだったすぐにでも動き出してまたいつもみたいにバカな話しながら笑い出しそうだったいつも見てきた友人だったけど長く見ているのが辛くて辛くて仕方なくて早々に切り上げた女子はみんな泣いていた、男子も涙ぐんでいる人もいた私は最期まで泣かなかった葬式も終わって家に帰って晩御飯を食べてお風呂に入ってすぐに寝ようとした寝ようとしても友人のことが頭から離れなかったその時涙が出てきた人の死がこんなに私に影響を与えるなんて思ってもみなかった後になってそのことを振り返ると非日常こそ人の価値観を変える出来事なんだと実感した私にとってその友人の死は確実にパズルの1ピースとして今も残っているそれから高校を卒業して大学に入った友人の死は私を変えたが…それでも大変わりはしなかった私は余計に閉鎖的になった確かに友人に接している時は明るく振舞うが内心では冷めていたものだったそれが大学3年までずっと続いた私が革新的に変わったのは大学3年の秋だったパソコンを買ったのがそもそもの始まりだったそこから私の失ったパズルのピースはどんどん手の中に舞い込んできたネットでの出逢いなんて所詮軽いものだと思うかもしれないが荒みきっていた私にとってはそうではなかったとても大切な人に多く出逢った久しぶりに本気で笑った世の中には純粋な人がいることを知った悪い部分も見えたこともあるが、それも個性なんだと寛大に受け止められた大切な人達がどんどん私を大人にしてくれる今の私は小学生の頃の純粋さを取り戻そうとしている勿論あの頃みたいにバカなことばかりするようなそんな精神ではない人というものに触れ合って擦り切れて荒んで暗中模索になったけどそれでも本当にいい人に出逢えたからこそ発見できた本当の大人への第一歩だと思っているだから私は同じようにパズルのピースが見つからなくて途方にくれている人にパズルのピースの欠片を差し出してあげられるようなそんな人になりたいと思ったお世辞や嘘や安易な慰めや見栄や打算や下心などなく誠意を持って相手に接することそれが私の唯一の取り得だということを教えてもらったからギブ&テイクのように私にパズルのピースを渡してくれた人に小さくてもいいから欠片でもいいからパズルのピースを渡してあげられるようなそんな人になろうと決意した私の2007年の抱負である「人の為になる」という目標はそういう意味で立てたものだ私を少しでも頼りにしてくれる人には全力で応えるそれが私を変えてくれた全ての人に対するお礼だと思うから今純粋かどうかを聞かれれば答えはわからないでもぐるりとまわりまわって今の私は小学生だったあの頃と同じような気がするこれは見栄でも自負でも自慢でもなくいい意味でも悪い意味でも単純で融通が利かなくて子どもっぽくてそれでもいいところはあるんだって気づかせてくれた人達にいつか必ずお礼をしたい勿論一方的ではなくお互いを信頼関係で結べるような尊重し合えるような尊敬し合えるようなそれが私の心からの本音だ中学・高校と色々あって自分なんか大嫌いだったけどそう思えるようになった今の自分は結構好きだったりする私を本当に変えてくれたTさん・Mさん・Eさん、Kさん…そして今一番大切な友人のCさんへ…
Jan 18, 2007
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ここ最近では珍しく色んなことで忙しなく動いている。まず一番大きなことは卒論を書いていることだ。これが今のところ一番大きく頭を悩ませていることで…目処はたってはいるがどうにも家に籠もってPCに向かってキーボードを叩き続けるということが苦痛で仕方ない。しかもそれが興味あることならまだいいのだが…大して興味もないことを延々やり続けるというのは苦痛でしかない。しかしこれは期限付きの苦痛だ。2月になれば出来ていようがいまいが強制的にでも終わってしまうものだ。卒論を書くにあたってその間に挟まってくるもの問題としてあるのが定期試験だ。これがまた厄介で、軽い勉強ではどうにもならないところがある。確かに1年生下の勉強内容なので難しくて難しくて仕方ないということはない。むしろ何度か受けたことのある講義だ、要領はわかっている。しかし問題なのは…これを落とすと卒業が出来なくなるということだ。特に何も考えないで試験を受けるぶんには特に構わない。できれば私としても1年生とか2年生と同じようなスタンスで試験を受けたいものだが…卒業が絡んでくるとどうもそうは言っていられない。それに加えて卒論なのだ。はっきり言って鬱になりそうな感じだ。しかし私だけが苦しい思いをしているわけでは当然ない。書いて提出すればいい、試験を勉強していって受ければいい、それで済む問題だといってしまえばそれまでなのだ。世の中には論文の書き方のように安売りしていない、試験勉強のように攻略法がないことの方が断然多い。それに立ち向かっている人にしてみれば私なんか贅沢な悩みかもしれない。お金のこともあるが、私にはどうしても卒業しなければならない理由がもう一つある。来年になれば私は京都を出る。私は自覚している性格として…閉鎖的で安定を望むところがある。乙女座なのがその原因かもしれない。そんな私は今学生であることを考えると…やはり自立していないとしか言いようがない。もしもこのまま安穏と生活してしまうと…私の中で何かしらの不満が出るような気がしてならない。確かに慣れ育ったところで平和に暮らせるならそれに越したことはないのかもしれない。しかし…どうにも私にはそれではダメなような気がする。具体的に表現しにくいのだが、こう言うしかない。そんなわけで今は京都を出ることしか考えていない。幸いにして私のことを構ってくれる大切な友人がいる、今はそこに甘えるとしよう。勿論甘えっきりになるつもりはないし、お互いに尊重し合える関係を作るのが一番大切だ。抽象的かもしれないが…今はそうとしか言いようがない。兎に角今は目の前にある問題を解体していくとしよう。2月になれば…将来に向けた明確なビジョンが見えてくるに違いないのだから。
Jan 17, 2007
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今日は大学生活最期(になればいいという希望的観測)の講義の日だった。今日で最期というのは何かと感慨深いものであるが…前の日にあまり寝られなかったことを考えるとそこまで素晴らしい目覚めとはならなかったのだが、最後なので行かないわけにはいかない。眠い目を擦りながら学校に行くというのは学生の本分なのだなぁと変な方向に感慨深くなってしまっていた。今日大学に行く目的というのは結構あって…まず大前提は講義だ。最期の講義にはもれなく試験の範囲を教えてくれるという特典付きなので、他の時間の講義に比べて出席率も格段に高くなる。それを考慮してか否かはわからないが、最期の講義だけ受講してくる生徒には結構問答無用の扱いをする教授も少なくない。例えば色々と試験範囲を言った後に「授業に真面目に出ていた生徒だけがわかる問題ばかりです」と半笑いで言ってくる方もいる。かと思えば全13回の講義のうちに不定期に出席を取っていて、シラバス(講義の説明とか成績のつけ方が載っている本)に載っていないような…つまり出席している人だけが有利な措置を平気で行ったりする教授もいる。出席点が4割なんて最早反則だろう。6割取らないと単位修得が叶わないことを考えると、一回も出ていない講義で満点を取るというウルトラE並の神業を発動しなければならなくなる。それを強要された人というのは、決まって講義が終わる前にとぼとぼと教室を後にすることになる。この姿はある意味では大学の醍醐味かもしれない。笑2つ目の目的というのがゼミに参加することだ。これは前のブログにも書いたように…卒論の行方、ひいては卒業を左右するとても大切な仕事だった。これがどう出るかで卒業できるかどうかわかるので、出る前はとても緊張したものだった。これが今日一番のイベントだと言えなくもない。果たして私の卒論(卒業)はどうなるのか!?結論から言えば卒論は義務ではないとのことだ。しかしこれはあくまで私の大学に限ったことで、他大学では義務化しているところも多いようだ。それが「卒論2単位」というスタンスでもわかる。卒論と言えば大学にいた記念のようなものだ。その分量も膨大になり、ただの論文とは言えないほどのクオリティとクオンティティーが求められる。それがたったの2単位。その少なさが自由参加だと言っているようなものだ。しかし私は単位にそこまでの余裕があるわけではない。なので卒論をすることを余儀なくされた。2単位と言えども重要だ。明日からは締め切りまでの間大学に籠もってホワイトカラーになるとしよう。サラリーマンの方々の気持ちが少しだけでもわかるかもしれない。笑余談だが…大学の前にコンビニが2軒ある。2軒目の方が大学から離れたところにあるのだが、そのコンビニの横に小さな小さな横断歩道がある。ここにはこれまた小さな横断歩道用の信号が付いていて、それはスイッチを押さないと青にならないシステムの信号だ。渡ろうと思ってスイッチを押すと、電柱に据えつけられたもう一つの機械に赤い字で「しばらくお待ちください」と出る。これは全国共通だと思うが、ここの信号は少し変わっている。普通は信号が赤から青に変わればその文字は消えるのだが、そこの信号だけは青になってもずっと「しばらくお待ちください」と点いたままなのだ。あれに従っていれば永遠に横断歩道を渡ることは出来ない。単なる機械の故障かもしれないが、もし意図して作っていたとしたら…貴方の言う「しばらく」の間にコンビニの横に大きなマンション建ちましたよ?(笑)
Jan 16, 2007
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Rとのこと…どうなったのか随分書いていなかったような気がする。考えてみればそれも仕方ないことなのだ、どう仕方ないのかは私自身あまりよくわかってはいないのだが。つまりはそのことが今まで書けなかった一番の原因だと思う。纏まっていない考えをだらだらと吐き出すように書く、これは簡単だが読んでいる方にすればそれが一番気持ち悪い。結局何が言いたいのかと言われれば上手く答えられないからだ。最後にRとのことを書いた10月終わりか11月始めくらいから3ヶ月くらい経った今、どうなっているのか書いてみようと思う。今日書こうと思ったのは…私の中でやっとRに対する考え、Rが私に対しての考えがわかったからだ。ちなみに…私とRのことを知らない方は頑張って過去ログを引っ張り出してきていただければ幸いだ。まず結論から言ってしまえば…以前のように好き同士ではなくなった。その原因は私にあるのだ。私が包容力・精神的成熟度が足りなかったから起こったことだった。頼りない人に惹かれる人がいないように…私が未熟故にRは私のもとを去ったのだ。しかし、だからと言ってフェードアウトしたわけではない。私は今まで誰とも付き合ったことはないのだが、付き合えないとわかったからと言って「あっそ、じゃあバイバイ」とあっさり今までのことがなかったかのようにすることは出来ない。確かに今までのように好きではないかもしれないが、一度でも好き同士だった人だ、その後のことを丸投げにしてしまうほど無責任ではいられないからだ。「袖振り合うも他生の縁」というのが私のモットーであることも関係している。結果今は友達というわけだ。もう私だけの傍にいることはないのだが、友達としてRが間違った方向に行こうとすることを止めることも…私なりの価値観の芽を教える(と言うとおこがましいが)こともできる。きっとお互いに成長した結果がこうなのだろうと思えるようになった。こうなったらとことん支えてあげたいと思った次第だ、而してRが望む時に応じて…だが。私達(と書いては最早Rに「何付き合った気になってるの!?」ととられ迷惑かもしれないが)の間に起こったことを時系列で述べることも簡単なのだが…そのまま説明すると膨大な量になってしまって1日では書けない恐れがある。その上私以外の人物を仮名とは言え登場させることになるので、その都度謝罪の旨を伝えるというのも労力がかかるというものだ。なのでここは一部にはわかりやすい例で説明しておこうと思う。以前に週刊少年ジャンプで連載されていた、桂正和という漫画家の方が書かれていた「電影少女(ビデオガール)」という漫画をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろうか?私はこの漫画が好きで…幼いながらも男性側と女性側の両方の考えがわかるということでよく読んでいたものだった。今でも押入れの中には大切に保存してあって、たまに引っ張り出してきて読んでいる程読み込んでいるものだ。この漫画をご存知、若しくは単行本を持っているという方がいらっしゃれば…伸子という女の子が出てくる辺りを思い出してみて欲しい。その子と付き合ってから別れるまでの一連の流れ、それが今私に起こっていることと恐ろしいまでにそっくりなのだ。はっきり言って不気味なまでの一致だ。ただ一点違うことと言えば、漫画では付き合っていたが私の場合は付き合っていなかった、ただそれだけだ。それ以外はまっっっっっったく同じなのだ。私が幼少期恋愛に憧れて、恋愛を題材にしたこの漫画を好きで読んでいたあの頃…こんな恋愛がしてみたいと思春期の女の子のように思い描いていたことと、初めて気持ちが通じ合って拙いなりにも恋愛をしていたRとの思い出が重なり合うなんて皮肉なことだ。しかしこの漫画では結局別れた後も友達として仲良くやっている。この漫画に影響されたわけではないが、私もRを支える人の一人としてより強い信頼関係が築けるようにしていこうと思ったものだった。もともと大好きなので「魚心あれば水心」の精神もあるのだが…。そんなわけでこのブログにRが出てくるのもこれで最期だと思う。前に書いた連続ものの物語である「青い鳥」で表現しようかと思ったが、それは抽象的過ぎて伝わらないかと思って止めた。結局私がRに何を残せたのかはわからないが…ベクトルを過去にだけ向けていじける真似だけはしたくない。もう嫌われて気持ち悪がられて生理的に受け付けないと言われたわけではない、なので私は精一杯将来に向けて関連していこうと決心した。期限は…Rが私を嫌うまでだ。出す出すと言ってきかなくて…それでも時期通りには来ることのない年賀状が先日アパートの方に届いた。郵便局が受理した日付は1月10日、届いたのが1月11日。はっきり言って年賀状と呼ぶに相応しいかどうかは疑問だったが…なんとなく最期にRから届く年賀状のようで少し切なくなった。勿論去年はもらわなかった、否…もらえなかった。しかしふと来年があるかどうかが不安になった。その頃には私のことなんか忘れて大切な人と素敵な時間を過ごしているかもしれないからだ。願わくば私だけに笑顔を見せて欲しい私だけに抱き締められて欲しいでもそれはただのエゴでしかないわけで…叶わない今になってこそ、その時の重要性に気づくというものだあれだけたくさん抱き締めてもあれだけたくさんキスしても今はもう叶わないそれが無性に淋しい、悔しい、切ない友達として笑って接することが今よりも信頼してもらえるように頑張るのがRの真の幸せを願うことがその為に身を粉にして努力することが私が心から願うことだ最期に…Rと私が上手くいくと思っていた方へ…本当にごめんなさい…
Jan 15, 2007
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前々からタイトルについては疑問に思っていたところだった。ある意味前のタイトルというのは私が書いていることとそう変わりないのでいいとは思っていたが、どこまでいってもテレビのある番組のパクリであることは事実だ。確かに約1年間この名前で頑張ってきて…yahoo検索で「きょうの出来事」と打ち込んで検索にかけてみれば、テレビの「きょうの出来事」系列の後すぐ…8番目にくるほどの知名度(あくまで主観)になってきてはいたのだが、気分一新ということで潔く変えてみた次第だ。まぁ今回もただの駄洒落なのだが…笑今はまだ違和感あるかもしれないが、まぁすぐに慣れるだろう。前のタイトルもそう捻りの利いたものではないことを考えると、そこまで危惧するものではないように思える。それにしても1つ目のタイトルがパクリで、2つ目のタイトルが駄洒落とは…なんとも気の抜ける話だ。ちなみにタイトルに込めた意味は…多くある。はっきり言って見た目はいまいちだが、込められた意味は前のタイトルよりも遥かに多い。タイトルが単純なので~マークを入れてその中に本質を打ち込むようなお茶を濁す真似をせずともブログの本質が書けたので何気に気に入っている。浸透するまでは失笑に耐えるとしよう。笑
Jan 14, 2007
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大きな水槽は自分の器そこに注ぐ水は自分の考え方そこに入れる水棲生物はその結果生まれた自分のビジョン、将来の展望生きていくということはその水を大きな器で熟成させて立派な水槽を作りあげることそこに入るべき水棲生物の大きさはそのまま人間性の完成形を示す立派な水槽を作るということは水槽の外観もさることながら、中に注ぐ水も味のあるものでなくてはならない自ずとそこには立派な水棲生物が入ることとなるどんなに多くの水を受け止めようとしても水槽が小さければ零れてしまうだけだどんなに大きな水槽を持っていたとしてもそこに注がれる水が少なければ見てくれもカッコ悪い誰でも最初から注ぐべき水は決まっているその量を如何にして増やすか…それはその人の生きてきた環境や人間関係によって異なる水を増やすことを拒んでいてはいつまで経っても注がれる水は一定量だ水槽がいくら大きくなっても…むしろ大きくなればなるほどそれは不恰好になる水槽の生まれ持った大きさは人によって異なるそれを大きくする方法は簡単だ様々な経験を積むことで水槽はいくらでも大きくなる狭い範囲でせせこましく生きている人の水槽など取るに足らないものがほとんどだ大きな水槽になみなみと水が注がれ大きな水棲生物が泳いでいる姿は見ていて壮観だそれを完成させることが人生の終着点だと言える金魚を飼う為に部屋の片隅に置かれたちっちゃな水槽になるか頴娃が悠然と泳ぐような水族館の巨大ディスプレイになるか否かは最終的には貴方次第
Jan 14, 2007
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最近PCで暇つぶしをすることが多くなってきた。ある時は内臓されているゲームをしたり贔屓にしているサイトを廻ったり。しかしそんな私が見つけた面白いものというのが…You Tubeだった。これは以前より人気のある動画サイトであって、本当に多種多様な動画を公開しているサイトとして爆発的な人気を誇っている(と私は思う)ものだった。しかしこのYou Tubeにも問題はあって…無断転載と言った諸々の原因で槍玉に上がることも多い。結局は取り締まる側とその動画を消すという行為の永遠のいたちごっこだと聞いたことがある。結局はその媒体を扱う場所を取り締まるのではなく…その行為によって助長された側に幇助の非があるということしか現段階では規制することが出来ないのだ。その流れが変わったのがWinny製作者が起訴されているということだ。この結果如何では今後動画サイトの方にも何かしらの波及効果があるだろう。若干話はずれたが本題へ…そのYou Tubeで見つけた面白い動画というのが「ピタゴラスイッチ」と呼ばれる番組の動画だった。これは教育テレビでやっている番組らしいのだが…一般的な教育テレビにあるまじき素晴らしい番組だというのが第一印象だった。この番組の概要をここで語ることは出来ないのだが、きっと見たことがある方は気持ちがわかっていただけることと思う。その中でも私が好きなのが「10本アニメ」というものだった。これはいくつかシリーズが出ているようで…たくさんあるものを一回で全て見てしまうくらいに引き込まれた。確かにパッと見では子供が見るようなものなのだが…何故だか私は大きな衝撃があったものだった。ピタゴラスイッチという番組全体に好感を持った出来事だった。見たことある方は勿論、見たことない方も見てみることをオススメする。面白いと思う方と面白いと思わない方かなり別れるとは思うが、見て損はないものと思われる。
Jan 13, 2007
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予め書いておくが、今回の内容は少し抽象的かつ面白いものではない。今巷を騒がせている事件として…エリートの旦那をエリートの妻が殺害してバラバラにして遺棄するというものがある。悲しきかなだが、事件性としてはそこまで珍しいものではないし、むしろありふれているもののように思う。しかしそれでも報道され続けるということは、私達の知らないようなメディアに置ける異常殺人の定義というものがあるからだろう。素人考えには「バラバラ殺人」という部分がネックなように見える。バラバラ殺人というのは如何な荒んだ現代でもそうそう起きないからだろう。つまりは異常さにマスコミが寄って集って賑やかにしているだけのようだ。まぁそれは今に始まったことではないのでいいとしよう。本題は別だ。殺人を起こした場合は正当性のある正当防衛であるもの以外は刑事裁判にかけられることになる。殺人というのは今の司法では一応刑期が最も重いものとして位置づけられている。しかし日本以外の先進国に比べて、日本の刑法処遇というのは甘いように思える。例えばアメリカを見てみた場合、人を殺すということをした時点で(勿論その状況によるところがあるが、一般的な事由で殺人を犯してしまった場合)終身刑からの刑期になることになる。しかし日本を見た場合、人を一人殺すということではそこまでの強制力はない。一般事由での殺人の場合は、おおよそ懲役30年いけばいい方(?)だろう。そこから見えてくるのが…日本が重視するのは「何人殺したか?」と「どう殺したか?」に異常に固執しているということだ。以前ブログにも書いたが、殺人というのは人の一生を奪う行為だ。しかも殺人の動機は本人のエゴであったり逆恨みであったりと殺していい理由になり得るものはない。そこで問題になってくるのが…今世間で騒がれているバラバラ殺人についてだ。例えばAという人とBという人がいたとしよう。その二人はいずれも殺人を犯してしまたのであるが、Aは人を1人殺して逃げただけでBは1人殺した後遺体を切断して遺棄してから逃げたという状況だったとしよう。この場合殺した人数は同じだが、刑期に差は出てくるだろうか?司法にはあまり詳しくはないのだが、誰がどう見てもBの方が刑期が重いように感じるだろう。実際そうに違いない。つまり刑期を決定する要因には先ほど書いたように「人数」以外にも「残虐性」というものが混じってくるということだ。先日友人とテレビを見ていると、偶然そのバラバラ殺人のニュースをやっていた。その時に友人がふっと漏らしたのが 「なんでバラバラにするんだろう?」ということだった。バラバラにする理由なんていうものは結局のところそれを行った本人にしかわからないのだが、普通に鑑みてみると…2つの動機が思いつく。1つ目は「憎いから」だ。殺された本人が殺した本人に対して生前精神的・肉体的苦痛を与えていてどうしてもこの世から抹消したいという思いが大きくなりすぎた場合…ある種「見せしめ」のような感覚でバラバラにするのだろうという考えだ。同じようなものにメッタ刺しというものがある。2つ目は「見つかりにくくする」ということだ。人間の体というものは平均しても縦170センチ・横70センチ・奥行き30センチ、つまり体積にしておおよそ357000立法センチメートルくらいある。それを丸々どこかに隠そうとするとやはり隠し場所が難しくなる。しかしそれを部位毎に分割して違う場所に遺棄すれば見つかる可能性は一気に低下する。殺したということをわかりにくくするという精神がこの行為の根底にあるのだろう。どちらかというと2つ目の動機の方が現実的だろう。説明が長くなってしまったが、結局のところ残虐な殺し方をした方が罪が重くなるということだ。それは大いにわかる。しかし殺人の刑期を決めるという段階で残虐性というものをやりだまに挙げるのは何か間違っているような気がする。残虐性というのはつまるところ人間性に起因する。その行為が非人間的かどうか…結局はそこでしか物事の重要性が計れないのが現代司法の問題点だろう。人間性というのであれば、人を殺すという時点で非人間的だと言える。なのでそこから汲み取って決めるというのはそこまで合理的なようには見えない。そもそも人間が人間たる所以というのは…生きているということだ。死んでしまった人間は最早人間ではない、それははっきり言ってしまえばモノだ。正確には「生きていたモノ」だと言える。どれだけ人間に近づけて作った造形も、体組織に本物の細胞を使ったマネキンも、人間とは言えない。それは「生きていた」という段階がないからだ。同じように死んだ人間も人間ではない。古来から死んだ人間を仏と信仰するのが日本の慣しだった。生きていた時は人間でも死んでしまって魂だけの存在になった場合は魂を「仏」と呼び、抜け殻の体には何の価値も見出さない。それが仏教の主な慣習だろう。そのような背景から推察しても、死んでしまった人間というのは人間として扱うには無理があるということだ。そのような意味でバラバラ殺人を考えた場合…殺した人間をバラバラに切断している行為は残虐だというよりも、極論だが木を彫って自分の気に入る形に創り上げているという行為とそう変わりはない。芸術だというつもりはないが、信仰によって人間とされるものに「人間性」を適応するというのは理に適っていない。つまりバラバラ殺人だろうが鈍器で撲殺しただけの殺人だろうが、人間性などと逃げを打つのではなく「殺人を犯した」ということに対して平等な観点で司法の場において裁くべきだということだ。事件の特異性だけでマスコミが騒ぐ、遺族の悲しみを考えない…それを考慮して重い刑にするということは何の救いでもない。重要なのはマスコミが盛り上げて騒ぐということを仕方ないこととしていることだ。司法が残虐性だけで刑期を決めるのも問題だが…マスコミの報道のあり方も同時進行で変革していかないと矛盾はどんどん多様化するだけだということだ。
Jan 13, 2007
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ここ最近はこのことばかりを考えている。提出期限は1月15日ということになっているらしいのだが、色々な人に聞いてみてもそのような情報が聞けることはなかった。そもそもゼミというのは最終的には卒論に向けて頑張っていくというのが当たり前のことだと思っていた。しかし蓋を開けてみるとそうではないことの方が多いようだ。誰か一人でもゼミに参加していたらそのような情報が回ってきてもいいものであるが…今のところ誰一人ゼミに参加していないという状況が既にやる気がそこまでないことを示している。卒論というのは言わずもがなだが色んな意味で大学最高のイベントだ。これを出さないと卒業できないことは自明であるし、早い人ならば10月くらいからデータを集めているという人もいるようだ。しかし私のゼミの平均は、提出期限がもう1週間を切っているにも関わらずテーマすら決めていないという人が大部分のようだった。これは色々な人に情報収集をかけてみて判明したほどだが、挙句にはやらないでもいいのではないか?という意見も出たほどだった。現にゼミの友達何人にもリサーチをかけてみても「やっていない若しくはやらないでも卒業できる」と考えている人が9割以上を占めていた。もしも一般的なゼミのように卒論を出さなければならないような状況だった場合…全員が留年することになる。しかしゼミを提出しなくてもよいという状況だった場合…それは全員の単位と卒業が約束される。まさに乗るか反るかなのだ。だったらゼミの先生にメールでもして聞いてみればいいのではないか?という話なのだが、それがそうもいかない。それというのも…ゼミが始まったのが2年生の秋学期、つまり4セメスターからなのだが、その時から現在のゼミ生の固定化はされていたので…大切な情報をメールで流す必要性が出た時に必然的に全員のメールアドレスを知っておく必要が出たのだ。なのでその時に全員のメールアドレスを聞いていたのだが…その先生からのメールというのが滞りなく全員にまわったということが今の今まで一度もないのだ。かく言う私も先生から何故かメールが来ない一人で…飲み会の予定なども私にはまわってこなかった。だからそのような情報はメールがまわってくる人伝手に1度「先生からメール来た?」というメールを送って確認しなければならないという面倒さなのだ。その状況は2年経った今も改善されてはいない。なので論文関係でも授業関係でも先生に頼ることは実質不可能なのだ。結局のところ卒論を出さなくてはいけないのか出さないといけないのかは「提出期限である1月15日にゼミに参加する」という形でしか確認ができない状況になってしまった。もしも提出しなければならないというのであれば…大学最大のイベントである卒論を数時間で完成させなければならないという神業を行わなければならない。これは事実上不可能だ。数時間で骨子を作って実証データをあげる、纏める、という作業は思いのほか骨身を削る作業だからだ。おおよそ30000文字くらい書かないといけないのを数時間で書けと言われているに等しい。こう書いてしまうと、この時期まで書かなかったことを正当化しているように見えるかもしれないが…実際そんなつもりは毛頭ない。勿論どちらに非があるかを考えると書かなかった方だ。提出期限が生きていて提出しなければならないということになれば、私達が悪いのだ、甘んじて留年するとしよう。しかしふと思うのが…就職が決まっていない私はいいのだが、就職が決まっている人にしてみればかなり大きな問題だということだ。苦労して内定をとっても卒論・単位が足りないばかりに内定先を泣く泣く蹴るということは1年生の頃から結構見てきた状況だった。このジレンマに陥っていない私は身軽かもしれないが、就職先が決まっていないということはハンディであることには違いない。これは喜ぶべきことではないだろう。。運命は1月15日に決まる。大学4年生の集大成があと3日で来ると思うと…食事が喉を通らない_| ̄|○
Jan 12, 2007
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時々思うことがある。結婚したらどんな風なんだろうと。私もまだ若いつもりであるし、両親も健在だ。しかし両親を見ていても結婚生活というものが見えてこないから不思議なものだ。確かに私の両親は仲が悪い方ではない。むしろ兄と私が大学と就職関係で家を出てからというもの、暇があっては旅行に出かけたりデート(のようなものらしい)に出かけたりしているようだ。実家からの連絡がある度にそのことについて楽しそうに話しているのが印象的だったからだ。それは見ていて(とは言っても伝聞だが)とてもいいように見える。しかし私が思い描いている結婚生活というのは、両親のようなものではないような気がしている。私なりにも結婚における生活の変化は考えているし、それがお互いを想い合う気持ちに起因していることもわかっている。結婚してもいつまでも新婚のテンションのまま持続しないこともまた事実だ。想いつのっての結婚でも離婚してしまう夫婦の大半はこれが理由だろう。価値観の違いとか言う人もいるが、価値観なんていうのはそもそも生きてきた環境に起因するので、それは単純に自分の当たり前が相手に嫌悪感を抱かせてしまったり若しくはその逆なのだろう。それは価値観とは違うものだ、価値観というのはもっと崇高なものであるので…そんな理由で離婚をする夫婦がいたとしてもその理由に価値観を持ち出して欲しくないものだ。若干脱線したが…。そういった意味では私の両親のような生活スタイルは、新婚生活の夫婦とはかけ離れてはいるがそれでも順風満帆なように見える。羨ましいと思うこともあるが、一つだけ気になることがある。それは父が家事を手伝わないことだ。両親が結婚したのはおよそ20年前だ。その頃は「男は仕事をしてお金を入れて女は家の切り盛り」というのがまだ当たり前になっていた時代なのだろう。女性の社会進出も今ほど活発ではなかったに違いない。そのような背景があるからかどうかはわからないが…父は未だに紅茶の缶の場所も知らないほどに家事関係においては無頓着だ。昔から父を見てきたが、几帳面で神経質なA型とは思えないような無関心ぶりだった。料理もできないし、掃除だって掃除機が目の前にないと出来ない。洗濯は洗濯物を畳むことしか出来ない。尤もA型なので畳ませればそれなりに綺麗なのだが…笑私は小さな頃から家事については多くこなしてきた。それは使命感というわけではなく、ただ単に好きだったからだ。こう言ってしまえば笑われるかもしれないが、私は女の子に混じっておままごとをするくらいに小さい頃から家事関係とは漸近して生きてきた。それが功を奏したのか、一人暮らしをしている今も特に家事関係で困ったことはない。男らしくないかもしれないが、家事が特別なことだとは思えなかったからだ。結局何が言いたいかと言うと、私が思い描いている結婚生活というのは概ね両親のようなものが望ましいと思っているのだが、家事関係にも携わっていくような夫婦関係がしてみたいということだ。極論言ってしまえば主夫でも構わないということだ。そもそもにおいて「家事=女性」という構図自体が古臭い。女性の方が家事に向いている体格だとかいうこともないし女性でなければならない理由など、今の社会背景にはないと言っても過言ではない。つまりは、したい方がすればいいのだ。一人で孤独にしているから家事がつまらないという理由もないこともないだろう。協力できればそれに越したことはない。将来妻になる人にはそのような面でも協力できるような…所謂今風の夫になりたいものだ。時々そんな風に妄想してしまうのは結婚願望が異常に強いからかもしれない。笑尤も結婚できればの話だが_| ̄|○
Jan 11, 2007
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1年が始まってもう10日あまり経つ。昨年は携帯が壊れたり持病が再発したりと細かい意味で悪いことが続いた年だった。しかも年末にかけてまるで帳尻を合わせるように立て続けに起こったもので、いい感じで過ごしていた年がもしかしたら悪い年だったのかもしれないと思ったものだった。しかし年も明けてこのようなことは起こらないものだと信じていた。しかし…あくまで今のところであるが去年のような細かい嫌がらせのようなことが止むことはないようだ。先日にワンルームの蛍光灯が壊れてしまったという話を書いたと思うが、それに伴って風呂の換気扇から奇妙な音が鳴るようになった。普通に部屋でまったりしていてパソコンでも触っていると、どこからともなく超音波のような軋む音が聞こえてくる。元来超音波とは人間の耳には聞こえない周波数なので「あっ、超音波だ」というのは矛盾しているが、要するに高くて不快感があるような音のことだ。そのような不快音が聞こえてきたので原因の究明に一生懸命になったものだった。始めはパソコンから聞こえてくるのかと思っていたのだが、しばらく探索した挙句にお風呂の換気扇だということに気が付いた。私は風呂の換気扇はいつもつけっぱなしにしている。それは風呂が驚くほどに換気機能がないからで…電気代が勿体無いという理由を差し引いてもそれをしておかないと風呂が湿ってしまってどうしようもないからだ。それが壊れてしまったということは…気持ちよく風呂に入るということが出来なくなるということを意味している。それだけではない。を年末の大掃除に綺麗にしたキッチン周りにも嫌がらせの魔の手に侵食されてしまった。それは昨日のことなのだが、昨日は珍しくお好み焼きでも作ろうと思い立って材料を買い込んで準備をしていたものだった。夕方のいい時間になっていざ作ろうと思い準備していたのだが…そこで悲劇が起こってしまった。お好み焼きを家で作る場合、市販のお好み焼きの粉がいる。これは粉を密封している故にその袋はパンパンに膨らんでいる。きっと私が買ったものだけではなく、どのお好み焼き粉もそうなのだろう。それを開けてお好み焼きのもとを作ろうとしたのだが、この時には袋がなかなか開かなかった。なかなか開かないこともあって意地になってしまい、開けようと必死になっていて奮闘していると… 大爆発_| ̄|○今になって考えてみると、冷静にはさみを使って開ければ良かったのだが…その時は何故か思い至らなかった。そのせいで折角綺麗になったキッチン周りが粉だらけ、用意していた粉の3分の1ほどが消失、私自身も粉だらけ、もう悲惨な惨状だった。少なくなった粉でなんとか作ったのだが、作って食べている時間よりもキッチンを掃除している時間の方が長かった。全くもって…こんな小さな嫌がらせ的なことが続くのかと悲観した出来事だった。
Jan 10, 2007
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このブログ、始めてからそろそろ1年が経とうとしているが、早くも30000の大台に乗ることが出来た。これも偏にご贔屓にしてくださっている方のおかげだと思う。始めた当初は10000いけば大満足だったのだが、欲が出てくるもので…気づいた時には30000までいっていた。これが一般的な数値で多いのか少ないのかはわからないが…継続の賜物だと思える。AB型のくせに飽きっぽいところがある私にしては長く続いている方のような気がするが、それはやはり書いた内容についてのリアクションがあるからだろう。今ではリンクしてくださっている方も多く、それなりに存在価値も出てきているというところだろう。アクセス数が全てではないが、それでも人気のバロメーターのような気もする。そういう意味では楽天ブログ的にやっといっぱしだといったところだろうか。いつまで続くかわからないこのブログ…これからもよろしくお願いしますm(_ _"m)
Jan 9, 2007
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悲しきかなだが、世間では成人式での不祥事を取り上げる機会が多くなってきている。日本では20歳をむかえた人に対して「成人」と呼ぶことによって大人と同じ扱いを与えるという風習がある。これは考えてみればおかしいもので…20歳になったからと言って一概に大人と決め付けてしまうのは早計だというものだろう。その証拠が成人式が荒れるという現象になって表れているのだろう。かく言う私も2年前に成人式を迎えているのだが…現在報道されているような行動はしなかった。それは自分が大人であるということを今日むかえているのだという自覚があったからだ。これは自慢でもなんでもなく…ごくごく一般的なことだと思われる。少なくとももう成人式をむかえられた方は須らくそう思っているに違いない。そう見当違いでもないだろう。そのようなことを通してみると「20歳=大人」という構図の間違いがわかる。過去何年も騒がれている成人式の騒ぎというのは成人であるということを履き違えた愚行だと言える。そもそも成人というのは偏に自分の身の振り方一つに責任が生じるということを意味しているのだ、それを考えると成人式で騒ぎを起こしてしまうことはその概念に反することになる。少し話は飛ぶが、私は10歳そこらの時に早く大人になりたいと思っていたものだった。それは大人になればカッコよく様々なことをこなしたり、今では出来ないことが出来ると子供ながらに思ってからだった。しかし22歳、一般に大人と呼ばれる年齢になってみると、その考えは違うことに気づいたものだった。大人になるということは…年齢的に大人になるという意味ではない。漠然と大人になりたいなぁと考えて今を生きているだけではその時の自分と何も変わらない。本当の意味で大人になるということは考え方や行動、その他諸々のことを自分でこなすという意思、そしてそれら全ての行動に自分自身で責任を持つということだ。つまり、20歳になったからいきなり大人になるということでも…30歳になったから大人になるということでもない。社会というものに触れて様々な環境を経験すること、それをゆっくりゆっくり積み重ねていくことが本当の大人になることだと言える。口だけで言っている限りはいつまでも子どものままなのだ。今30歳や40歳の人でも事実子供な人は多くいる。それは「順応する」という概念を拒否して、ひたすらに自分を通してきた結果の現象だと言える。どれだけ吸収することで大人になるという状況にあったとしても、そこに本当の意味で身をおいて「吸収しよう意思」がなければ30歳でも40歳でも10歳そこらの子供となんら変わりがない。ある意味では子供が子供たる由縁はそこにある。子供(この場合は未成年)が大人に対して持っているイメージというのは先ほど私が子供の頃に思っていたこととして書いたこととさほど変わりないだろう。大人は完璧、大人は不自由ではない、そのような自分にはないものを持っているものを持っているのが大人なのだとある種美化してしまっている部分があるのも否めない。しかし大人は完璧で、早く大人になりたいと思っている段階はまだまだ子供なのだ。今私が強烈にそのことを実感している。私は今年で22歳、後8ヶ月で23歳になる。客観的に見れば私は大人かもしれないが、自分で自分のことを大人だと思ったことはない。それは私自身に子供っぽい部分があるからだ。ある意味私の今の考え方と私が17歳くらいの頃の考え方にはさほどの違いはない。遊びも大好きだし、友達と話をしても楽しい。それは私の思い描いていた大人の像とは異なるものだった。そういう意味で言うならば、責任をその身で受け止めて行動すること、努力することを惜しまないこと、多くの経験を通してそれに見合った価値観を自分の中に宿すこと、人の意見を柔軟に聞き入れること、自分が大人だと驕らないこと・年齢相応だと甘えないこと、そのような誘因をしっかり理解している人こそ本当の意味で大人と呼ぶに相応しい。だから私は子供の頃のように大人になりたいという考え方は捨てた。それは先ほども書いたように「大人になりたい」と思うこと自体が自分の成長の誘因を断ち切っていることに繋がるからだ。先ほど書いたようなことを実行している様を周りが見てこの人は大人だと認識する、それが大人への第1歩なのだ。大人になりたいと思うことは不自然なことではない、しかしそれを自分自身で認めてしまうとそこで慢心してしまい「自分はもう大人だから」で終わってしまう。それでは外面は大人でも感性は一生子供のままだ。責任ある行動をとること、現状に甘えないで向上心を持つこと、それを行っている人は例え未成年であっても私は大人だと思っている。なので冒頭に書いた成人式という概念は不必要に思えて仕方ない。あれでは精神的に子供な人に無為に過ぎたる玩具を与えている行為に過ぎない。本当に成人ならば、成人式などなくても立派に大人としての自覚を宿しているからだ。少々ラディカルかもしれないが、多くの成人式の不祥事を見ている限りはあながち間違いではないはずだ。今まで書いたことは綺麗事かもしれない。現にかく言う私も守りきれていない部分もある。しかしそのことを自覚しているか否かでは大きな差があるのもまた事実だ。私は決して「仕方ない」とか「無理だから」、「あの考えは自分とは関係ない、無意味だ」といったような隠れ蓑を作ってそこに逃げ込むようなことはしたくない。しかしそこに目を背けては本当の意味で大人になることは叶わない。不恰好でも不器用でも…貪欲に自分のやるべきことを追いかけていく、それが今私がすべきことだと信じている。
Jan 8, 2007
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今日は本当についてなかった。まずは寒いことがその一端なのだが、それは私だけに振りかかった不幸ではないのでいいとしても…それ以外にも多くの不幸があった。1つ1つをとってみればそれほどではないのだが、そのようなものが重なってしまうとブルーになってしまうものだ。今日の予定は簡単なもので…まずは髪を切りに行くことからだった。考えてみればもう半年近くも髪を切っていなかった。特に長い方が好きとかそういうわけではないのだが…なんとなく今まで伸ばしたことのないレベルまで伸ばしてみようと思い立って今に至ったものだった。後ろの髪は縛れるところまでいっていたし、前髪はもう口に咥えられるほどまでに伸びていた。それ故に出かける時の髪の手入れが大変で大変で仕方なかった。とは言っても私としてはそこまでの不具合を感じているわけではない。身だしなみを整えるということは大切なことだ、もう今は伸ばす誘因もないのでばっさりいってしまうことにした。なんとなく失恋の痛手から髪の毛を切るという女性の心理がわかったような気がした。まぁ失恋は今に始まったことではないのだが…笑そこまでは計画通り円滑にいったのだが、問題はその後だった。私の部屋にある蛍光灯は随分前から点いたり消えたりを繰り返していたのだが、髪を切りにいく機会についでに蛍光灯を買い換えることにしたのだった。考えてみれば今の部屋に住むのも後数ヶ月なので勿体無いような気もするのだが、部屋の明るさは結構部屋の雰囲気…ひいてはその日のテンションに影響するところがある。なのでやはり交換するのが上策だ。ちなみに…今回で部屋の蛍光灯の交換は3回目なのだが、台所の電気の交換は1回もしていないのに未だ煌々と輝いている。部屋の蛍光灯にもそのガッツを見習って欲しいものだ。笑それで雪と雨が混じる中、家電量販店に行き蛍光灯を買った。あまり蛍光灯を買わない私にしてみれば…その価格に驚いてしまった。蛍光灯がサイズによって価格が高くなるのはわかっていたことだったが、それでも2球で1104円もするとは思っていなかった。今の私には苦しい出費だが仕方ないことだ。雨と雪が降る中傘を忘れたことを後悔しながら帰っていざ蛍光灯を交換するとした。しかし交換しても全く蛍光灯が点かない。よく見てみると、蛍光灯の真ん中にある豆電球の横の…ソケットのようなものが爆発寸前になっていた。そのせいかどうかわからないが、点けて数分しか経っていないのに新しく装着した蛍光灯の根元あたりが黒くなっていた。早すぎない!?と思いながらも危険を感じて外した。どうやら4年の月日は蛍光灯の構造自体をダメにするほどの長さがあったようだった。これはもしかしたら蛍光灯が不良品の可能性もある。しかし交換してもらおうにも外は雨やら雪やらが降っている。交換は明日にすることにした。よく考えてみればこのような小さな小さな不幸は去年から始まっていた。年も変わり運気も変化したと思っていたのだが…私にはまだまだこのようなしょぼい嫌がらせが続くような気がしてげんなりした日曜日だった。
Jan 7, 2007
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前々から何度か書いてきたのだが、今回…厳密には今日になってやっと日程があった為に4年ぶりに幼馴染に会うこととなった。なんだかんだ言いながらも社会人として立派に働いていること・介護関係の仕事をしていることで夜勤が多いことなどの諸々の理由で日程が合わなかったというのがそもそもの原因だ。しかし久しぶりに合った日程も私に用事があったりで、噛み合うことを知らずに早計画から1週間くらいが過ぎてしまっていた。しかし今日になってやっとその日程が見事に噛み合い会うこととなった。しかし男二人で飲みに行くというのも絵面的に寂しいものがある、今が新年会の時期であることがそのことに余計に拍車をかけた。なのでもう一人暇そうな友人を巻き添え(?)にして3人にすることにした。何はなくとも人数いれば様になるのはどの分野でも同じことだという楽観的観測だろう、おそらく外れてはいない。笑そんなわけで待ち合わせの京都駅に向かった。約束の時間は18時なのだが、私はその1時間前に着いてしまった。そもそも私という人間はそういう性格なのだ。私の考え方では、待ち合わせというのは個々の自由な時間を束縛してしまうものだ。なので待ち合わせの時間に遅れるというのは相手が折角作ってくれた時間を潰すことになり兼ねない。私は待っているということを許容して待っているので構わないのだが、相手にしてみればそうであるとは限らない。なので私が待つには大いに結構であるのだが、相手を待たせることだけはしないように心がけている。而して私はその考えを相手に押し付けるようなことはしない。それは我が儘であるし、そんな権限は持っていないと考えるのが普通だからだ。「そんなのお前の勝手じゃん?」と言われたら返す言葉がないという解釈もできる。なんでもオーバーに考えてしまうのが私の悪い癖だ。尤も何においてもそうであることは、このブログを長く読んでくださっている方は既知のことだろうが。笑約束の時間から遅れること30分、やっと3人揃った。まぁ30分くらいの遅刻は想定の範囲内だ。2時間くらい待つのも苦にならない私ならではの大雑把な許容範囲と言える。そんなわけでいざ居酒屋へ向かおうということになったのだが…どこに行こうか迷ってしまった。もともと私はきっちり計画を立てて実行するのが好きなのだが、この数年でそれも随分柔軟になった。がっちり計画を固めていくのは確かに間違いはない、しかしそれでは計画が狂った時にイライラしてしまうという副作用を齎す。それが几帳面な人なら余計にそうだろう。それならば皆で「どうしようどうしよう」と言いながら散策する方がよっぽど楽しいということに遅ればせながら気づいたのだった。今回もテーマが「行き当たりばったり飲み会」だったので、私は京都民であるにも関わらず何も考えないで現地に向かった。それが功を奏したのかどうかはわからないが…なかなか素敵な店を発見した。そこで新年会テイストの飲み会を始めることにした。今日集まった3人は小学校時代からの友達だ。なので話が就職の話・彼女の話と移った後は自然に小学校の頃の話になった。先生がたくさん辞めていった話、私のドジ話、昔のクラスメイトの話と尽きることなくまるでおもちゃ箱をひっくり返したように溢れてきた。「あぁ、あったあった!!」とか「マジで!?」とか「はぁ~、あの人がねぇ…」とか言い合いながら爆笑したり感慨深くなったりして盛り上がったものだった。その中でも私が強烈に懐かしく感じたのが…7年くらい前に仲のいい友達(今日飲んだ幼馴染もその中に含まれる)と一緒に埋めたタイムカプセルのようなものの話になった時だった。私の家の近くに小さな公園があるのだが…そこに仲のいい3人でタイムカプセルを埋めたのだ。それを何故7年前に埋めたかというと、確かその年が2000年だったからだったような気がするが、二人でうんうん悩んだ挙句結局それよりもらしい理由が思い浮かばなかったのでそういうことにしておいた。2000年の大晦日(厳密には1999年の大晦日)にそのようなものを埋めて、いつか掘り起こそうということを当時考えていたようだった。今考えてみるとなんて恥ずかしいことをしているのだと思ったのだが…若さ故の青春の1ページだと考えると当時の私が妙に子どもっぽくも青春を謳歌しているのだと思って微笑ましく思えた。結局そのカプセルをいつ掘り出すのかは「その3人が集まった時」ということで合意したのだが、それが結構楽しみに思えてくるのが不思議だった。というのもその時私が埋めたものが何なのかが猛烈に気になったからだ。話は尽きることなく3時間が経過したのだが…2人が終電の時間となったので解散することにした。久しぶりに爆笑したり思い出話に花を咲かせるのは楽しくて仕方ないことだと再認識したものだった。また会うことを約束してその日は別れた。きっと本気で懐かしい話をすれば1日で足りないし…貴重な思い出を1日で語りつくしてしまうのは野暮だというものだからだ。帰りの地下鉄でふとタイムカプセルのことを思い出した。きっとあれを一番掘り出したいと思っているのは私なのだろう。あの頃の…単純な毎日でも何もかもが楽しくて仕方なかった私に早く逢いたいものだ♪
Jan 6, 2007
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私は基本的に女心というものがわからない部類に属する。しかし女の人と接する機会はそれなりにもってきたつもりだ。しかし今となっても女性の心理というものはわからない。女性が嫌いだというわけではない、と言うよりもむしろ私が極端に女性との友人関係が希薄故の葛藤のような気がする。同世代の男性よりはやはり女性と話す経験も希薄だし、同年代の男性ほど女心を理解しているとは思えないのだが、それでも所謂雑誌から得る情報とものには頼らないようにしていた。それは女性を型に嵌めるという行為であって、そういった情報を掲載するということは女性の個性を殺していることに他ならないからだ。しかしそのような雑誌に文句をつけるつもりは毛頭ない。それはそのような雑誌が世の中にあるということはそれを支持している人がいるからだ。人間の個性が多種多様であるのと同様に、私のような考え方が一般的だと自負する気持ちもない。つまりは淘汰されるべき立場にいないことを表している。それを敢えて糾弾するつもりもないし、むしろ個性多様化の時代に則したものだと言える。論点が多少ずれたので修正するとしよう。笑頭を撫でるというのは結構安心する行為だ。子どもの頃から両親に頭を撫でられれば不思議な安堵感に包まれたものだった。何かいいことをすれば頭を撫でてくれたりされた経験はないのだが、それでも何故かその行為が好きだったのを覚えている。今となってはそんなことをされれば恥ずかしいし、意味もわからないので嫌だが。笑そんな経験があってかどうかはわからないが…どうも私は頭を撫でるという行為が好きになってしまったようだ。考えてみればRとのことにしてもそうだった。Rに対して頭を撫でるという行為は数知れないほどしてきた。それをすることは今考えてみれば癖のような気がする。する私自身が安心感のようなものを感じているのも事実だ。先ほど書いたこととは矛盾するが、そう表現するしかない。そこで疑問だ。頭を撫でられるという行為は…女性の立場からしてみると嬉しいものなのだろうか?私は嫌なものではないという先入観があるのでしているのだが、それは果たしてそうと決まっているのだろうか?できればご意見いただきたいものだ。今後の参考に…なるかどうかは私次第だが。笑
Jan 5, 2007
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大晦日までにも掃除をしたのだが、今日になって1年の最初の大掃除をすることにした。時系列的にはそこまでの時間が経っているわけではないのだが、こういうことは気持ちの問題だ。昨日の遅くに京都の一人暮らしの家に帰ってきたこともあって、今日は掃除をすることにした。気持ちの整理をつける必要もある、なので大掃除クラスの大規模(あくまで主観)な掃除を敢行することにした。幸いにして天気もいいことだ。布団も干して溜まっていた洗濯物を片付けるには絶好のコンディションと相成ったわけだ。まずは一般的な掃除をして洗濯物を洗って干して…それからある一角の掃除に取り掛かった。これは私が勝手に山梨県コーナーと呼んでいる場所で、山梨に行く度に少しづつだが名産品や山梨での思い出となるものを集めて展示(あくまで主観)していた場所だった。しかしここに新たな名産品や思い出を加えていくことなどもうない。ないのにいつまでも固執してそのまま置いておくのは未練がましいことなので、この際心機一転撤去することにした。いつまでも同じところで足踏みしているわけにはいかないのだ。女々しい自分は去年に置いてきたといったところだろう。そんな感じで掃除を終わらせたのだが、これを機会だと踏んでついでに部屋の模様替えを行うことにした。考えてみれば前の部屋の感じはなんだかんだで2年以上もそのままだった。なので気分を変える為の模様替えというわけだ。しかし残念ながら私の部屋はそこまで広いものではない。なので模様替えをするにしても回数をこなしていくうちにレパートリーが無くなっていくものだ。今回は今までにないような斬新なものにしたかったので、よくよく考えながら慎重に行っていくことにした。数十分考えた挙句に出来た部屋の模様替えは…全体的に見てみると2回目にした模様替えと同じ出来栄えだった。やはりいくら考えても部屋の広さには勝てないといったところだろう、初々しさはないがこれで満足することにした。そんな感じで一年始めの掃除も終わり、コーヒーでも飲みながら今年の流れについて考えを巡らせて見た。占いをそこまで信じない私だが、1年の始まりのおみくじだけはもう何年来の習慣として守っているものだ。今年も少しだけ時期はずれたものの…1月3日に引いてきた次第だ。さて今年の運勢は… 中吉 かなり私らしいどっちつかず…笑その内容というのは学問について書いてあることが多かった。3年前から恋愛関係の運勢がどん底だったことを考えると…学問部門でも目が当てられるような結果に終わって良かったものだった。3年前は「女難の相」2年前は「悪し、慎め」去年は「父母に相談」とかなりよろしくない結果に終わっている。実際に目覚しい感覚もなかっ、それを考えると年始のおみくじは私にとってはソリッドなのだろう。そんなことが3年続いていたので今年のおみくじを引くのはかなり緊張したものだった。さて、今年の恋愛運は… 父母に相談せよ またですか!?結局同じことの繰り返しだということが判明しただけだった。まぁおみくじはレールに乗っけてくれるものではなくレールの種類を示唆してくれるものだというのが私の持論だ、結局はそれを受けた上でどれだけ頑張れるか次第なのだということは自分自身一番よくわかっているので、これを踏まえて頑張ろうと思う。ちなみに神の言葉とやらは…した事、いうた事、思った事よいも悪いも、悉く皆何物かに影響して永遠にあとを残す。慎むべきは、その思い、その行い、その言葉恐るべきは、その影響、その反発である。
Jan 5, 2007
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朝早くに目覚めた。上手くは言えないが変な夢を見たからだったのだが…単に部屋が寒いからだけなのかもしれないとも思える。それというのも私の実家は田舎の中にある家屋故に風通しが素晴らしくいいからだ。夏はそれで大いに過ごしやすくなっているのだが、冬になるとかなりキツイ状況だ。寒さということもあるのだが、問題の大部分は耐震強度なのだ。田舎の一軒家なので某A氏が作った可能性はないかもしれないが、それにしても100年以上前から建っている家の一部を引き継いでいるところを考えると、そこまでの安全性があるとは思えない。それを証拠に大型のトラックが前の通りを通るだけで震度0.5の地震並に揺れるので、慣れない頃はその度に本気で地震かと怯えたものだった。それに加えて先ほど書いた風通しの問題がある。もともと風通しを良くしようと考案されたわけではないのでこれは完全に想定外なのかもしれない。昔の家故風通しがいいというか隙間風という概念があるので、単純にそこの問題なのかもしれないとも思うわけで…(汗 しかし現代の設計技術よりも自然の素材やその素材の持ち味を十二分に生かすのは昔の設計技術だ。京都には釘を一本も使わないで建てられたような建造物もあるし、古くからあるお寺もそのような手法で建てられていたという話はよく聞く。それを考えれば設計という観点に対する考え方も今と昔では大きく異なっていたのだろう。深謀遠慮の考え方はどのような分野に置いても現代よりも昔の方が進んでいたのかもしれないということは、建築関係を見ることでもわかる。現代のように便利なもののない時代には必然的に物を大切に使うことになる。それは建築において利用可能な材料の数ということでもあるが、単純に数だけではなくその材料の持っている特質という問題がある。現代では建築に要する材料も自然から採取されるものだけでなく、人工的なものが増えてくる流れになっている。つまりは世界の木を切って建築の材料にするか、それ以外を加工して木の代替財にするかという比較になるだろう。尤も木の代替とは言っても木が足りないからというわけではない。木は建築において長い歴史を築いてきたが、その特性は必ずしも万能ではないからだ。吸水性であったり耐震性であったり…様々なニーズを全て埋めるということはどの素材にも難しいことだろう。だから木ではできない部分を補完するという意味で新たな素材の開発が進んできた…、それが建築における現代化の簡潔な出来事だろう。それに比べて素材の持ち味を大切にしているのが昔だ。それは素材の持ち味を引き出そうという考え方からきているものかもしれないが、一番は素材が有限であることが原因だろう。数に限りがあるものを大切にするのは心理的に当たり前だからだ。そういった意味では現代建築と昔の建築にはそれぞれいいところがあるように思える。個人的な意見を言わせてもらうと、私は古い建築法の方が好きだ。それは木を重要視しているからだ。基本的に断熱処理や風通しのことを考えると現代の方が秀でている部分も多い。しかしその分…まったりした感覚、心が落ち着くような感覚は現代建築法では表現しにくいことだと思う。それは私が田舎育ちだからかもしれないのだが。笑実家の造りは粗いし、木の隙間から風がビュービュー吹き込んできて着込まないと寝ることも難しくなってくる。それはそれで悩むものだが、そのような気候的な寒さだけでなく…建築的暖かさのあるこの家が私はやっぱり好きなのかもしれない。
Jan 4, 2007
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今年の帰省は少しだけ遅い時期になってしまった。それというのもいつも一緒に帰る兄が少しだけ仕事の都合で遅くなってしまったからだ。それならば電車で一人で帰るといいのだが、今の時期は上りにせよ下りにせよ混んでしまうのが世の常だ。しかも兄が遅くなるとわかったのが12月の31日、はっきり言ってその段階から遅くなるということで一人で電車で帰るというのは自殺行為だ。座れないことも当たり前だし、時間的に何時間ずれるものかわかったものではない。なので年が明けることも覚悟でずっと兄を待つことにしたのだ。結果帰ることになったのが今日のこととなった。兄が私の家に着いたのは11時だった。久しぶりに兄に会って他愛ない会話をしながら帰路に着くことにした。今日は1月2日、故郷への帰省ラッシュも取り敢えず一段落したような時期だ。なので時間帯を問わず車道は空いていると計算して兄がその時間に着くように来たのかと思っていれば…事実はそうではなかったらしい。一応兄なりの時間配分があって私の家に向かう予定だったのだが、ただ単に寝坊して時間が遅れた結果が今回の到着時間になっただけだったようだ。当初の予定からは若干ずれてしまったが、先ほど書いたように時期が時期だけに問題はないだろう。そう考えていたが…実際はそうでもなかった。途中までは順調にいっていた帰路も途中で渋滞に巻き込まれてしまったのだ。考えてみれば帰省=上り方面だと考えるのは間違っている。下り方向に帰省することもあるので…その流れが時期によって途切れるということは考えにくいのだ。それでも1月2日だということが幸いして…なんとか最小限の被害で抑えることが出来た。これは幸運だっただろう。ほぼ4時間くらいしてなんとか地元に到着した。帰ってみるといつもと変わらない風景で懐かしさが込み上げてきたものだった。それでもところどころに新しく建っている建物があるところを見ると、まだ地域活性化を諦めてはいないようだった。私としてはこのような田舎だからこそいい部分があるように思う。変わることはいいことかもしれないが、決して変わらないでいて欲しいところがあるのも事実だ。すったもんだありながらも実家に辿り着いた頃には、お昼時をすっかり越えた3時半くらいだった。いつも私の家では元日に親戚が来ることになっているのだが、今年はすれ違いになってしまい結局会うことは叶わなかった。まぁきっと会っても就職のことについて余計な心配をかけてしまうだけだと思うので…もしかしたら良かったのかもしれない。まぁ帰ってきたらきたでまずは説教だ。就職の状況についてあまり連絡をいれなかったことについて軽く説教を受けたわけだ。私としても芳しくない経過故あまり連絡を入れなかったので非がないわけではない。なので甘んじて受け入れることにした。その後はご飯だの布団の準備だのと忙しなく動き回ることとなった。布団を準備するということで久しぶりに入る自分の部屋は閑散としていて…それでも学習机を見ると少しだけ懐かしさが込み上げてきたものだった。夕食は久しぶりに手作りの暖かいものを食べることができた。ほん数年前までは当たり前のように食べていたものがこんなにありがたいものだと思えるのも、それまでの私の食生活がどれだけ貧相だったかを物語っているようで苦笑ものだった。笑暖かい料理とお風呂と布団、結婚したらこんな生活がしたいなどと夢のようなことをふと思った帰省1日目だった。
Jan 3, 2007
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人生というのは可能性の塊だ。大統領になる人もいれば一般的なサラリーマンになる人もいる。それを分けるのは才能や境遇ではない。結局のところそこの線引きは努力と意思によるところである。やりたいことが出来ないのは運が悪いとか向いていなかったという次元の問題ではない、それは単なる言い訳と逃避だ。宇宙空間で呼吸をするとか1000年間生きるとか、生きていく上で身体的な限界を伴うこと以外は出来ないことなどない。それが出来ないのは、やりたいという気持ちが結局は足りないからだ。例えば人の人生を一枚の絵画として考えてみると…生まれてきた時にはキャンバスは真っ白だ。人間の一生を背負うだけのキャンバスなのでその大きさは膨大になることも少し考えればわかるだろう。その真っ白なキャンバスにどんな絵を描いていくか…それがまがりなりの人生設計と言ったところだ。そのキャンバスに絵を描き始めること、その手順にも性格が見えてくる。いきなりキャンバスの真ん中に好きな絵を描き出していく人もいれば、鉛筆で下書きをしてから慎重に描き始めていく人もいる。どちらにしても描かなければ人生は始まらないのだ、どんな手法にせよ誰しもが個人のやり方で描いていくことになる。小さい頃に描いた絵だって何年後になっても見ることはできる。いくらキャンバスが大きいと言えども見渡せない大きさではないからだ。子どもの頃描いた絵をふと見直してみると…きっと今よりもタッチが拙くて汚くて、それでも真剣に綺麗に描こうと一生懸命になっている自分が発見できるだろう。絵を描き続けるということがいつまでも順調である確証はない。何を描いていいのかわからなくなったり…何が描きたいかだけでなく、自分の好きな絵さえ上手く描けないような状況だって出てくる。そんな時は一旦自分のキャンバスから離れてすぐ近くにいる大切な人の絵を見てみたり、その人と話してみたりするといい。自分よりも絵を描き進めている人の話や自分とは全く違う種類の絵を描いている人と話をすれば上手くかける方法が聴けるかもしれない。そういう意味でも人生の絵は自分だけの力で完成させるようなものではない。周りの人のアドバイスや他に絵を完成させてゆっくりと目を閉じている人の絵を鑑賞したり…そうやって自分が納得できる形の絵をゆっくり自分なりに完成させればそれでいいのだ。子どもの頃…何にも絵を描くという本質をわかっていない頃に拙く乱暴に描いた絵と、今現在自分が取り組んでいる絵は無関係ではない。もしかしたら子どもの頃に描いた絵と今描いている絵を結びつけるような出来事があるかもしれない。どちらにしても人生の絵はキャンバス全てが作品の一部だ。子どもの頃に描いた絵と大人の自分が描いた絵に関連性があれば…それは美しい作品として輝くことになるだろう。私は今何を描いていいのかわからなくなっている。だが、私の周りには色々な絵を描いている人がいる。その人達に絵を描くアドバイスを受けて…少しづつだが自分が何を描きたいのか、そしてそれを上手く描く方法を吸収していっている。まだまだ上手く描けるかどうかわからないが…それでも私も人生の一枚の絵を完成させるべく奮闘しているところだ。今描いている絵もきっと一枚絵にしてみれば懐かしくも輝く時がくるに違いないのだから。今貴方はどんな絵を描いていますか?その絵は上手く描けていますか?もし立ち止まっているなら誰かの絵を見てみるといい。それは必ず貴方の役に立つことだろう。その結果上手く描けなくても落ち込むことはない出来上がった絵は貴方にしか出せない輝きがあるのだから
Jan 2, 2007
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2007年が幕を明けてはや12時間経つが…私の生活はあまり変わらないものとなっている。まぁ新年だからと言って特に変わったことをするわけではないということは当然なのだが、それにしてもあまりにも変化がないので自分でもびっくりと言ったところだ。まぁ新年が始まったということでいきなり身の回りの整理をするのも野暮だというものだ。ここは新年らしい新年の挨拶の整理をすることにした。新年の挨拶の整理というのは…年が明ける瞬間に送るメールのことだ。これがまた大変なもので…新年にメールを送ろうとする人は思いのほか多い。なのでいつものようにすんなりメールが送れることの方が少ない。いくら私が友達が少ないとは言ってもそれなりには送る人もいる、なので全員に送るのに四苦八苦するというネガティブな悩みに悩まされている年の瀬だ。今年はそれなりにスムーズにいって…1時間もしないうちに送信が完了した。今日のお昼には半分くらいの人からの返信を得ることができた。私はそもそも尽くすタイプなので…メールに関しては送ったという事実に満足してしまい、返信にはそこまでの期待を寄せているものではない。なので出したメールの6割くらい返ってくるということが嬉しくて仕方ない。そのような癖があるといつもぶつかってしまう軋轢があるのだが…いつも数件はアドレスが変わっていて送れないという事態が起こることだ。これは結構悲しいもので、その人から友達ではないと突きつけられたようなものだ。今年はもう既に3件そのようなことが起こっている。年々繰り返されるこのような出来事が重なっていけば…いつか友達がいなくなるのではないか?と懸念してしまうほどだ。尤も私ならではの悩みではあるが…笑そんなわけでメールを見ていたのだが、ダメ元で送ってみたある人のメールが気になった。その人は高校の頃の友人で、お互いに大学に行ってからは新年と誕生日にしかメールしないような人だった。どのような話題でふっていっていいのかわからなかったので、当たり障りない文章で送ってみると、向こうはフレンドリーに返してきたので安心したものだった。しかし驚いたのはその口調だった。1年前には「新年あけましておめでとうございます」のような堅い文章だったのだが、今年きたメールは「ぉめでとぅ↑↑ かなり久しぶりゃねぇ(なんかうひゃーみたいな顔文字)」だった。高校の頃のその人は私の見方ではかなり大人しくて存在感のない人だったのだが、そのメールを見て4年間という時間の長さはかくも人を変えるものかと感慨深くなってしまったものだった。そんな帰省準備の昼下がりだった。笑
Jan 1, 2007
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皆様明けましておめでとうございますm(_ _"m) 年明けでいきなりこんな時間に更新しているあたりがどうも私らしいように思える。しかし一年の計は元旦にありというくらいなので…景気良く新年一発目の更新としよう。私は一人暮らしを始めた時から年賀状を書く習慣をやめてしまった。なので新年の挨拶はメールという現代の風習に則った形になる。まぁそれでも神経質な性格上0時きっかりに送ることを生きがいとしており、今年は新年が始まって10分としないうちに友達へのメールは済ませてしまった。尤も、もともと友達が少ないということもあるのだが…笑まぁ新年というわけで今年1年の抱負でも述べてみようと思う。去年の抱負は「成長する」という面白くもないようなものだったので…今回は柔軟にいこうと思う。今年の私の生き方とスタンスを反映した上で…去年の私に足りなかったものを題材にしてみようと思う次第だ。去年は少ないながらも友人に支えられてここまできた。なのでそれを今年にも持ち越してくるという形をとれば…必然的に今年の抱負は決まってくる。ずばり今年の抱負は… 「他人の為になることをする」にしよう。今年はこれをモットーに生きていくこととする。これが達成されたかどうかというのは…来年の今頃に振り返ることになるだろう。勿論努力目標として据え付ける以上は全力だ。そんなわけでいつものように除夜の鐘を聞きながら部屋でまったり年越ししてしまった私はなんとなく淋しいかもしれないが、それも慣れと言ってしまえばそれまでだ。これを読んでくださっている全ての方へ…今年も良い年になりますよう心から祈っております。今年もこの拙いブログ、ご贔屓にしていただければ幸いかと存じ上げる次第ですm(_ _"m)
Jan 1, 2007
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