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前回の日記から随分間があいてしまいましたが、去る9月17日、午後4時45分体重3048g、身長50cmの元気な男の子を出産しました。今回は病院に着いて4時間弱で出産という超スピード安産でした。ただ、上の子の時と同様陣痛の途中で胎児の心拍が落ちるという胎児機能不全という症状で、病院中をパニックに陥れ(今回は個人の小さな産院だったためあんまりこういうトラブルに慣れていない感じだった)緊急帝王切開の準備をされて、あと10分産まれてくるのが遅かったらおなか切られるところでしたまぁなにはともあれ無事に生まれてきてくれて、感謝感謝です二男は長男の時とは比べ物にならないくらいいい子で、今のところほとんど手がかかりません。今回は幸い母乳もよく出ており、その分わたしも精神的に楽で落ち着いて育児が進められているように思います。そして、なんと私の妹も同じ日に女の子を出産しました。姉妹で同じ日に子供産んじゃうなんて、ちょっとあり得ないでしょ?自分たちでもびっくりですそんな訳で、妹が里帰り出産をしているため、私は今回里帰りせず、退院してすぐ自宅で子供二人を見ていますが、今のところそれほど苦ではありません。ただ、やっぱり外へお出かけできないので、上の子に随分我慢をさせているのがかわいそうなのですが。。。もうちょっとだけ辛抱してね、長男くん。というわけで、無事出産のご報告でした
2009年09月29日
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すでに息子がいるので、できれば次は女の子が欲しかった私たち夫婦。が、こないだの検診で「う~ん、ここについてるなぁ。弟くんやな!」と言われてしまいました~ヾ(;´▽`Aまぁこればっかりは仕方なく。。。でも、息子のお古は全部まわせるし、もう少ししたら兄弟でよく遊んでくれるようになるだろうし、まぁ子供たちにとってはよかったんじゃないかな一瞬(こうなったらもう一人…)などと考えてしまいましたが、今のパパのお給料では3人はとても無理だし、私も早く子育てを一段落して外に働きにでたいと思ってるし、なにより3人目も男のだったらどうする!ということで、我が家は近々息子が二人になる予定です。女の子の名前ばっかり考えてたので、男の子の名前考えなきゃ。できれば名前くらいはかわいいのつけたいなぁ(いや、もちろん男の子でも違和感ないやつですよ!)
2009年04月21日
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息子の時の妊娠の経過をこのブログに書いていたのでちょっと読み返してみると、やっぱりつわりにずいぶん悩まされていたらしい私。もう2年以上もたつと細かいこととか、そのときつらかったことって覚えてないもんです。人間ってよくできてる(⌒_⌒; この1か月、ほんとに毎日が地獄のようでした。朝から晩まで吐き気に悩まされ、それでも息子のお世話もあるしなんといっても食事の用意をさぼれなかったので、夕方泣きながら夕飯を作ってました(そして自分は食べられず)。ここ数日は少し楽になってきた感じもありますが、まだ完全に治まってはないです。息子の時は安定期の直前くらいまでつわりがあったとブログに記してあるので、たぶん同じくらいまで続くのかなぁ(´ヘ`;)ということで、ヘロヘロではありますが、なんとか生きております。春までもう少し。どうぞ皆様もお体にはお気を付け下さい。またつわりが治まってきたら、もう少しマメに更新したいな
2009年02月17日
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前回の日記からまたずいぶん間があいてしまいました。。。(⌒_⌒; みなさんの日記にはログインしないで時々お邪魔させていただいてます。それぞれにお元気そうで、楽しい毎日を送られているみたいで良かったです。 さて、そろそろ二人目を…と意識し出してから4週期めかな?赤ちゃんを授かることができました。現在6週後半くらい。すでに心拍も確認できています。息子のときよりつわりが重く、すでにおなかもよく張るので体調はあまりよろしくない日が続いておりますが、望んでお迎えした赤ちゃんなので、弱音は吐いていられませんね最近息子はいたずらが激しかったり、寝かしつけに異様に時間がかかったりと体調がいいとき以上に手がかかり、イライラしてどなりつけたりすることも増えその度に自己嫌悪におちいったりして、なかなか思うような育児もできなくなってきましたが、それもまた成長の証だし、下の子が生まれればいやでも我慢をさせなければならない状況がくるので、私自身も日々手探りだけど息子との時間を大切にして、成長をうまく手助けしてやりたいと思っています。以上ご報告でした
2009年01月22日
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今日は朝から息子を連れて家の近くの公園へ。今までは歩けなかったのでベビーカーに乗せて園内を一周するくらいしかできず、しかも公園の何がいやなのか、一歩足を踏み入れただけでギャン泣きだったのですが、初めてこの公園で歩かせてみることに。お??結構ご機嫌で歩いています(^―^) 公園のそばの保育園児たちが運動会の練習をしていて広場は占領さていたので、公園のまわりの歩道をタッタカ、タッタカ。よく歩いていました(*^▽^*)しかしその練習風景をみていたら、結構先生たち厳しい…「誰や!列からはみ出してるのは!」「○○遅れてる!」とか。私が幼稚園の頃も先生あんなだったっけ~?それともここの保育園が厳しい目なのかしら?などと微笑ましくも色々感じながら練習を見て帰ってきました。***********ところで、少し前からちょっとずつ意識していた『二人目』いよいよ本格的に考えようかなと思っています。今週期はもう数日でリセット予定なので、とりあえず基礎体温をはかることから始めようかな。…といっても息子のお世話もあるし、夫も今月来月は「深夜残業+休日出勤月間」(これ年に4回あるんです。つまり1年の半分はこの状態)なので思うようにはなかなかいかないかもしれないけど…。でもここで決意をはっきり示して、自分にはっぱかけるつもりで書いてみました。といってもしばらくは一人目の時のように、周期何日で体温これこれで…とかはこの日記では書きませんが。…とこんな感じのyoneの新しい第一歩、スタートです。
2008年10月02日
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久しぶりの日記なのに、こんなタイトル。しかもこんな時間の更新夜中3時半ごろ息子に起こされてしまって、それから目が冴えて眠れなくなってしまったのですようやくゴソゴソ動き回る息子をなんとか寝かしつけて横になって見たのもの、今度は私が全然眠れる気配がなくてもういいや、起きちゃえってことで。最近なんだか育児でイライラすることばかり。歩くようになって日々動きも活発になってきた息子はまさにやんちゃ盛り。喜ばしいことではあるけれど、思うように家事は進まず、引出という引出しからものを引っ張り出して遊ぶわ、食事も好き嫌いがはっきりしてきて、いやなものは断固拒否!!で叱ってばかりの毎日。。。そのせいか、すごくささいなことで夫君にあたってしまったり甘いものを食べて気を落ち着けようとして食べ過ぎて胃が痛くなったり。ダメですね。なんかお母さん失格だ今日もこんな時間から起きてたら昼間体力的にきつくなってきてきっとまた息子のぐずりにイライラしちゃうんだろうな。はぁ~…
2008年09月30日
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先週の土曜日、たまたま用があって帰っていた夫の実家で。ほんの2,3歩。息子は初めて一人で歩きました。じい、ばあ、私たち夫婦、皆が固唾をのんで見守った瞬間でした。1歳3か月。長かったね。ママはほんとはとっても心配でした。でも、君にとってはなんてことない期間だったんだよね。いっぱいハイハイして、腕の力も強くなったよ。ほんのちょっとエイって勇気を出してみたら、あれ、できちゃった!とてもとても感動した瞬間でした。まだやっぱり2,3歩しか歩けないけどゆっくり、ゆっくり君のペースでかまわないからね。貴重な経験をほんとにありがとう。
2008年07月28日
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育児世代の心強い見方「おかあさんといっしょ」の今月の歌です。すばらしいです。大人が聞いて感動できるものは、必ず子供にも伝わるものなんですね。12か月半の息子は普段はテレビをそんなに真剣に観ませんがこの歌がかかると急に目がランラン。そして一緒に「ララララ~」と(本人は言ってるつもりで)それは楽しそうに歌います!ちなみに曲の最後のほうに出てくる、手でわっかを作るよしお兄さんがとっても素敵で見惚れてしまう私なのでした~(ノω`*)ノ"
2008年05月14日
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断乳についてのお問い合わせがちらほらとあったので、たいした内容じゃないんですが、ご参考までに日記に記しておきますね。まず、うちの息子は完全ミルク育児でした。なので、母乳育児をされている方とは若干とる手法は違ってくると思いますので、あくまでミルク育児からの断乳ということであしからず。息子は11ヵ月半を機に哺乳瓶を卒業しました。少し早いかなとも思いましたが、もっと知恵がついてくるとさらに哺乳瓶を止めずらくなるのは目にみえていたので、思い切ってそのタイミングで実行しました。特別なことは何もしていません。ただ丸1日、一度も哺乳瓶でミルクを与えなかったのです。その頃はストローではまだうまく飲めませんでしたので、ほんとに一回もミルクを口にさせませんでした。それと、哺乳瓶を見ると、もう絶対我慢できないだろうと思ったので息子の目につかない所にしまい込みました。2度の昼寝の前と寝かしつけの時、そして夜中。それはそれはミルクを欲しがって泣きました。こちらが根負けしそうなくらい。でも、心を鬼にして泣かせるだけ泣かせておくと、20分も泣けば疲れて眠ります。2日目。この日も一度もミルクを与えませんでした。すると、なんとその日から夜中の授乳がピタリと無くなりました。それまでは必ず夜中2度は起きて授乳していたのにです。それから1週間ほどはミルクを一回も与えず、ストローで牛乳を飲むだけ与えていました。牛乳の味に慣れさせるのと、ミルクの味から少し離れさせる目的で。あとは1回の食事の量をうんと増やしました。それまでは育児本なんかに書いてある、標準ぐらいの量しか食べさせていませんでしたが、ミルクを減らせば当然お腹もすくわけで、しかもうちの子は少し大き目ということもあり、ある程度満足のいく量を与えるようにしました。食事の時間もほぼ毎日同じになるように心がけました。8時。12時。18時。あとは15時におやつ。断乳を始めておよそ1か月くらいになりますが、それ以来1度も哺乳瓶は使っていません。苦手だった牛乳もある程度飲めるようになってきたので、今は朝牛乳を100cc、3時のおやつにミルクを100cc。という感じで与えています。もちろん断乳したからといって、毎日朝までぐっすり寝てくれるわけではありません。日によっては夜中何度か起きてぐずぐず言う時もありますし、どうにも寝かしつけるのに手こずる日もあります。夜中はぐずぐず言いつつもどうにか寝てくれますが、お風呂上りの寝かしつけでどうしてもダメな時は、ストローで50ccほどミルクを飲ませてやると安心して寝てくれることが多いです。こんな感じの断乳記です。哺乳瓶を止めて以降、昼間はぐずぐず言う時間も長くなってつらいなぁと思うことしょっちゅうなんですが、夜中の授乳がなくなった分、体力的にはずいぶん楽になったのでまぁ仕方ないかなといったところです。よろしければ参考にしていただければ幸いです。1歳になってますますやんちゃ盛りの息子とyoneを今後もどうぞよろしくお願いします♪
2008年05月07日
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今月の27日で息子は1歳のお誕生日を迎えます。こちらのテーマで日記をかくのも今日が最後となります。妊娠、出産、怒涛の育児の始まり…振り返るとほんとにほんとに今までの人生の中で最も密度の濃い1年でした。引っ越しや、義姉のことなど、大人の世界でもいろいろあった1年でしたがそれにもおかまいなく、病気らしい病気もせず、スクスク大きくなってくれている息子に改めて「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。あいかわらずゆっくりマイペースな成長の君ですが、ママも君との生活を一日一日大切におおらかに楽しんでいこうと思います。どうぞこれからもよろしくね。そして、『陽希、お誕生日おめでとう!!』※前髪が大変なことに… 義母さんにやられちゃいました~
2008年04月25日
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なんだか忙しくてずっとブログ放置してました。忙しいのは現在進行中だけど…手短に最近の息子の様子。・伝い歩きをするようになった。・「ちょうだい」「はいどうぞ」ができるようになった。・しっかり3食食べるようになってきた。 ・パンは手づかみ食べ。 フォークで大好きなバナナを自分で突き刺して食べるようになった。 ストローは勢いよく吸いすぎてよく溢れさせる。 コップは練習中(ちょっと上達してきた)。・好きなもの、いやなものの自己主張がはっきりしてきた。そしてなんと、現在11ヶ月半で、『断乳』を実践中です。断乳といってもうちは完全ミルク育児なので、正しくは「哺乳瓶離れ」かな?もうすぐ1歳になるのに、いまだに夜中に2度も授乳をし、空の哺乳瓶を見つけるとすかさず出なくてもチュウチュウしている息子をみて、「このままではよくないのではないか」と思うようになりました。今日で哺乳瓶をやめて3日目。1日目はそれはそれは泣きました。夜もほとんど眠れないくらい。そして昨日、なんと生まれて初めて息子は朝まで眠ることができました。途中明け方に一度小さく泣きましたが、そのまままたすうっとまた寝たの。感動しました。かれこれ1年ちかく、毎晩毎晩2度も3度もミルクを作り飲ませてたのが…。断乳については賛否両論で、ましてまだ1歳にもならないのにかわいそうと思われる方がほとんどだと思います。でも私はこの子は日々どんどん知恵がついてきてたぶんこのままズルズル延ばしても自分から「卒乳」することはないだろうと予感したんです。ほんとは今でも迷いがあるし、これでよかったのかどうかわかりません。でも、「哺乳瓶」という「精神安定剤」がなくなった分今まで以上にめいっぱい抱きしめて、一緒に遊んで足りなくなった愛情を補ってやろうと思っています。ま、もちろんこのまま断乳が成功すればの話なんですが(⌒_⌒; やれるところまで頑張ってみます。また報告しますね~。では。
2008年04月16日
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そうなのです。おむつを間違えて買っていました。2週間くらい前に買い置きしておいたやつだから、もう返品もきかず。ていうか袋破って初めて気がついた(*ノω
2008年03月14日
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この土日はあったかかったですね。せっかくの陽気だったので、近くの緑地公園に梅を見に行きました。看板に梅林って書いてたけど、ほんの数本梅の木があるだけでした(⌒_⌒; ま、それはおいといて。この日息子は初めて地べたの上に座りました。芝生の上で生まれて初めて見て触る土や草の感触に夢中になって遊んでいました。 これからは気候もよくなって外遊びにいい季節がきます。冬の間はずっとひきこもっていたので、どんどんお外に出ていろんな経験させてやりたいなと思っています
2008年03月10日
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つかまり立ちがマイブームの息子。どこでもかしこでもつかまってます。でもまだ重心が不安定でグラグラなので、頭からスッテーン!と派手にコケます。時には顔面からいくこともしばしばなので、顔中青あざだらけ。気をつけて見ていても、四六時中ついてやることもできませんしね~。よその人から見たら、「もしや虐待…?」て思われてるかも(⌒_⌒; 早く一人前にタッチしてほしいな~。
2008年02月28日
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先週ちょっと暖かくなってきたかなぁと思ったらまたこの数日の寒いこと言ったら!!油断しましたね。ハイ。案の定息子に風邪を引かせてしまいました。色々バタバタとすごしているうちに、私の厄払い(今年は後厄にあたります)がどんどん延びてしまっていたので、先日の日曜日朝起きたら雪が積もっていたというお天気にもかかわらず強引に御祈祷に向かいました。行ったところは奈良の春日大社。知り合いの人が「なかなか雰囲気があっていいよ~」と教えてくれていたので、どうしても行ってみたかったのです。御祈祷は本当にちゃんと神事のように行われ神主さんの祝詞や巫女さんの舞なんかもあって、とっても厳かな感じでよかったです。境内にいる鹿と写真を撮ったりなんかして… そして帰ってきたら息子の鼻から鼻水がタラタラ。その日の晩には一旦39度まで熱があがり、ヒヤヒヤしましたが翌朝一番で小児科に連れて行き、お薬をもらったおかげで今日には熱も下がってほとんどいつもどおりに。ただ、ちゃっかり親は二人ともうつされちゃって今も微熱があってぼーっとしています。夫もきついようですが、頑張って出勤しました。やっぱり小さい子供がいるのに強引にことをすすめるのはよくないことですね。反省です。息子くん、ごめんね
2008年02月26日
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ここ最近忙しくてなかなか日記の更新ができないままでいました。年明けにチラリとお知らせしたとおり、夫の亡くなった身内の四十九日が先日の日曜日に終わり、残された我々家族にも気持の上でもようやく一つ区切りができたかのなと思っています。亡くなったのは実は夫の実の姉です。もうすぐ35歳という若さで、突然逝ってしまったお姉さん。娘の花嫁姿を見ることも叶わず、先に送る側になってしまった義両親の気持ちを考えると、本当に無念で悲しくて仕方がありませんでした。特に自分に子供が生まれた今、子供に先立たれることほどつらいことはないと、実感としてひしひしと感じました。お父さんもお母さんも、気丈に振舞われていますが、やはり受けた衝撃と心の空白を癒し、埋めるにはまだまだ時間がかかるのではと思います。今は小さな孫の成長を喜び、支えにして頑張っておられます。夫自身も唯一の兄弟をなくし、色んな重荷を今後も背負っていかなくてはならない身となりました。残された家族にできる一番の供養は「自分を必要としてくれている、今生きている人のために 全力で生きること」だと私は思っています。お姉さん、どうか空の上からみんなを見守っていてくださいね。
2008年02月20日
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先日息子は満9か月を迎えました。体重はすでに9キロを超え、どっちりしっかり育っております(⌒_⌒; そして、数日前からよーっやく、ほんのちょっとだけですがハイハイをし始めるようになりました。だいたいの赤ちゃんは7か月くらいからハイハイ始める子が多いらしいですが、うちのぼんはおっとりしてるのに加え、体が重いせいかなかなか四つん這いからハイハイに移行できなかったのですが、こないだララのお水皿に照準があったとたん、いきなりハイハイを始めましたそして案の定お水をひっくり返して床はおろか、自分の体もびしょぬれにしながら大喜びしておりました(*ノω
2008年01月30日
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これまた古いがな!って話題ですいません。ずいぶん昔に流行った動物占い。みなさんご存知ですか?わりとよく当たってたりしてませんでした? ちなみに私はライオン、夫は黒ヒョウ。結構相性はいいらしいです(笑)。ふと、息子の動物占いってなんだろーと思ってネットで検索。サイトがあるんですよねー、これが今も ( ̄m ̄*)息子はなんと「ペガサス」でした。ちょっとよくわかんない系?(ペガサスの方ごめんなさい)ついでに愛犬のララも調べてみると、なんとなんと彼女も「ペガサス」。うちの子供たちはそろいもそろって不思議系かもです…ヾ(;´▽`A``
2008年01月16日
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あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。実は新年早々夫の身内に不幸がでてしまい、少し慌しいお正月をすごしておりました。あまり詳しくは書けないのですが、とても悲しいお別れだったので落ち着いてきた今でも胸が痛んでやみません。というわけで、お友達の皆さんへの新年のご挨拶は控えさせていただきます。ごめんなさいね。コメントを寄せてくれたお友達さん、ありがとうございます。まだしばらくはバタバタしそうで、日記の更新も滞り勝ちかもしれませんが、少しずつでも書いていければと思っています。そうそう、息子の話題でうれしい話をひとつ。あれほど悩まされていた夜泣きが最近落ち着いてきたようです。夜中の授乳はまだ続いていますが、それもちょっとだけ間があくようになってきました。それだけでもママは大助かりですよ、息子君(*^-゚)v
2008年01月06日
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クリスマスも終わり、すっかり世の中も歳の瀬な雰囲気ですね。我が家も今週いっぱいで仕事の終わる夫を待って大掃除をして家族が3人になって(あ、ララを入れて4人だな)初めて迎えるお正月の準備にとりかかる予定です。今年1年、入院騒ぎから始まって出産、引越し、などなどほんとに怒涛のように目まぐるしく忙しい年でした。それでもこうやってなんとか家族みんなが無事に健康に、新しい年を迎えられそうなことに感謝感謝です。お友達のみなさん、今年一年お世話になりました。こんなyone一家をどうぞ来年もよろしくお願いします。皆様どうぞよいお年をお迎えください。ではまた来年に(*^-゚)/~Bye♪
2007年12月27日
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夫君の両親が、「○○(孫)にプレゼント買ったから、そっちに行くよ。 焼肉でもしよう!」と提案して来られ、昨日(イブ)は家族でクリスマス焼肉パーティーでした。じいじ、ばあばから息子へのプレゼントはこれ。『くすぐりエルモ』というおもちゃで、電池で動くんですが、体のどこかにあるくすぐりポイントを触ると、エルモが大爆笑しながらひっくりかえったり、手を打ったり、体をよじって起きたりとかなり激しい動きをしますあまりの過激な動きにララが威嚇してしまい、それを見て息子は大泣き(⌒_⌒; ま、それもまた可愛くて笑えちゃうんですがそしてパパが私にもプレゼントを買ってくれました。今まで使ってたママバッグは人からいただいたものなんですが、たぶんお古だったのと、随分昔の形のママバッグで使い勝手も悪くちょっとみすぼらしかったんですね。でも夫君の親戚の人からもらったものだし、なんか捨てるのも悪いかなぁと思って使ってたんですが、夫君のほうから「もう、これはやめてくれ。一緒におる俺がかっこ悪い」と言ってくれて、気に入ったのを買ってくれることになりました粘り勝ち?おじいちゃん、おばあちゃん、そして夫君どうもありがとうです※ちなみに夫君は自分でネクタイを購入しておりました(*^-^*)
2007年12月25日
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やらなきゃ、やらなきゃと思っていたツリーの飾りつけ。昨日やっとこ終わりました。置物のツリーは収納場所に困るので、ゴールドクレストを使って、オーナメントで飾り付けしました。初めてだったので加減がわからず、ちょっと地味な感じになっちゃった(⌒_⌒; 来年もう少し改善しようっと。電飾はまだつけてません。生木なので、あんまり重量かかると折れちゃいそうなので。ごめんねぇ。息子君。ピカピカはクリスマス直前まで待っててね
2007年12月19日
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関西の方でないとわからない内容でごめんなさい。昨日所用があり、子供を実家に預け、妹と梅田で待ち合わせをしました。ちょうどお昼の時間だったので、西梅田界隈にいたんですがハービスやヒルトンはOLさんたちのランチタイムともぶつかって混雑してそうだったので、ホテルモントレーの8階にあるフレンチのお店に行ってみることに。2000円のコース料理だったんですが、値段が手ごろな上にお味もとってもよかったし、量もちょうどいいくらい。お店の方のサービスもよかったですし、ほんとオススメです!私は下がジーンズという超カジュアルな格好でしたが、特に浮いた感じもなかったです(⌒_⌒; 結婚式会場をメインにした小さくてかわいいホテルです。お近くの方は一度お試しあれ~o(*⌒―⌒*)o
2007年12月13日
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いけない、いけないと思いつつ、買ってしまいます。。。息子の洋服…ヾ(;´▽`A``アセアセすぐ大きくなるんだし、そんな高いお金出すなんてってわかってるんですけどね。だって可愛いんですもの~・゚゚・(>д
2007年12月10日
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あいかわらず息子の夜泣きと格闘中のyoneです。こんにちは師走に入り、何かとバタバタしておりますが、ちょっとブログで気分転換したいなーと思って頑張って時間作って更新しております。さて、このブログのタイトルにもなってる愛犬のララ。私の入院から始まって以来、夫の実家→私の実家と親戚中をたらいまわしにされ、いささか根性もひねくれ気味になりつつ私たちと離れて暮らしておりましたが、先日やっと我が家に引き取ってやることができました!2月から12月の約10ヶ月間。よく辛抱してくれました。手を焼きつつも愛情いっぱいに世話をしてくれた両家の両親にも感謝、感謝です。ほんとはまだまだ手のかかる息子と、やんちゃなララとの共同生活にいささか不安はあったのですが、今のところなんとかうまくやれていると思います。というか、ララは息子にほとんど興味がないので、あんまりかまいに行きません。むしろ息子が興味深々で、しかも加減なしでつかみにいったりしてあぶないです。そこは私たち親がちゃんとみてやらないといけませんけどね。息子はララがかわいいらしく、いつも微笑みかけておりますが、ララは無視。いまのところ、息子の片思いのようです。。。
2007年12月05日
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皆さま、ごぶさたしております。最近ヘロヘロで、日中パソコンを立ち上げる時間もないyoneです。そうです。タイトルの『夜泣き』がとうとう始まってしまいました。・゜・(/Д`)・゜・。ひどい時は夜中30分から1時間おきくらいに泣いて起こされます。夫婦共に毎日悲鳴をあげている次第でございます。。。いっぱい書きたいことはあるんですが、ちょっと今は時間と体力がなさすぎて、なかなか更新できない状況です。お友達の日記にも遊びに行かせてもらいたいのですが、今しばらく待っていてくださいませ。落ち着いたらゆっくりうかがわせて頂きます。こんなyoneをみなさま忘れないでくださいね~ヽ(≧Д≦)ノ ではまた。
2007年11月28日
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6ヶ月半になる息子は最近寝っころがってるのが大嫌い。何かといえばたっちをせがみます。 おなかをテーブルにくっつけてますが、私が支えなくても一応自分の足で立ってます数秒でコロンってこけちゃうけど今くらいの月齢ってお座りができるようになりますって育児書なんかには書いてあるけど、うちのぼんはおすわりが苦手。おすわりさせてもすぐにポテンって転んで『うぎゃー!!』うーん。。。子供の成長って育児書どおりにはいかないもんなんですよねぇ…(´ヘ`;)
2007年11月13日
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某アイドル事務所の社長じゃないんだけど(; ̄ー ̄A 少し前からの息子のマイブーム↓ 両手で両足を持って左右にゴロゴロ…遠目で見ると、アルファベットのUの字そっくり。今朝もお着替えの途中でUが始まったので、思わずパチリ☆パパもお気に入りの「Uの字」遊びです(* ̄ー ̄*)
2007年11月08日
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あいかわらず離乳食が嫌いな息子(6ヶ月)です。毎日食事の時間は戦場のようです(*ノω
2007年11月05日
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最近になってようやくドラマを見る余裕が出てきました。といってもまだいくつもはしごをする時間と体力がないので今期は二つだけ見ています。ひとつは前作からはまっている『医龍』。やっぱりおもしろい!!キャストも豪華だし。普段ドラマを見ない夫も「ビデオに録っといて」というほどだから男の人にもうけてるのかな。もうひとつは『暴れん坊ママ』。上戸彩ちゃんがかわいい今時の幼稚園事情ってほんとにあんなのなのかしら?と後学のためにも見ています。他にも見たいのあるんだけど、息子が寝た後って貴重な時間だから、やりくり上手に使わないとよくばりは禁物で早寝に努める私です。。。ヤレヤレ。
2007年10月30日
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先週末から実家に帰ったり、予防接種に行ったり、友人が遊びに来てくれたりとなにかとバタバタしていたyoneです。ようやく一息つけました(^^;)そうそうこないだ実家からの帰りに初めて息子と二人で電車に乗ったんです。急行なら一駅、各停で7駅くらいなんですが、土曜の夕方でやっぱり混んでたので空いてる鈍行で帰ることにしました。息子を抱き、たたんだベビーカー、大荷物と両手にいっぱいいっぱいの状態で電車に乗り込んだんですが、子供ができて初めて実感したことが。みなさんもそうだと思いますが、すいている電車だと、人って長い座席の端っこから座りますよね。心理的にも、ルール的にもそれは合ってると思います。でも、私のような荷物と子供を抱えた乗客にとってみると、是非端っこの席は譲ってもらいたいなぁと思ったのです。なぜならベビーカーは座席の手すりなんかにもたれかけさせて、手で持って固定してないと倒れちゃうし場所も取ります。いくら他に座る場所があいていても、端っこじゃないと座れない。…ということに初めて気がつきました。幸いたまたまドア付近に立っていたら一駅でその端っこの乗客が降りていったので、後は座って帰れましたが、あれずっと立ってたらかなりきつかっただろうなぁ。。。(;´_`)子供がいるからって特別扱いをしてほしいとは思いませんが、もし、少しでもそういう知識のある人がいたら、是非座席は譲ってあげてくださいね。あともちろんお年寄りや妊婦さん、体の不自由な人を見かけても。私も子供が大きくなったら実践しようと思ってます。
2007年10月25日
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昨日は2回目のベビーマッサージ教室に参加してきました。1回目のときよりは私自身もリラックスしてできたし、そのせいか息子も楽しそうな様子でした。最初にママのエクササイズをやって、季節の手遊び歌を一つ二つ教えてもらいます。昨日は「大きな栗の木の下で」でした。うちの子は上手に手をばんざいできなかったけど、ママたちの大合唱にニコニコしておりました(^^)次に、先生が毎回自分で手作りしたおもちゃを紹介してくれて見本に貰うことができます。 左のが一回目にもらった手作りマラカス。ヤクルトの空き容器にお米の粒が入ってて、口をガムテープで止めたもの。わりといい音がします♪右のは今回もらったなんだろ?「コロコロおもちゃ」とでもいうのかな。ラップの芯を短く切って、それにミッフィーちゃんのテープをグルグルに巻いて補強してあります。ハイハイをうながすのにいいおもちゃだそうです。その後は、服を脱がせてオイルでマッサージ。まぁ正直気持ちいいのかどうなのかはわかんない(だって口で言ってくれないですもんねぇ)けれど、全身の血流がよくなるし、なおかつママの手と直に触れ合うことがなによりのスキンシップになりますもんね。最後に先生が紙芝居をしてくれたんですが、うちの子 こんな状態で、すでにおおいびき。早起きしたのとでほどよく疲れたみたい(^^;)帰り際に赤ちゃんの集合写真をパチリ。 こうやって赤ちゃんが寄せ集まってると、ほんとかわいいですよね。みんな思い思いに遊んでるし(^^)あと2回あります。ほんとはバスに乗ったりして教室までの道のりが結構大変なのですが、行くと楽しいし、私自身いい気分転換になるので頑張って最後まで参加したいと思っています。
2007年10月19日
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にはまってます。私が( ̄∇ ̄;)うちのぼんは決まって夕方5時くらいからグズグズグズグズ言い出し、ミルクを飲んでも、ウンチが出てすっきりしても、どんなに抱っこしても全然ダメ。泣き止まない息子に、一人で何時間も延々と向き合ってると私の精神衛生上もよくないので最近夕方は決まって教育テレビをつけて、息子を膝に乗せて観ています。といっても、息子はまだテレビに関心はないので主に私が観てるんですが…いないいないばあとか、おかあさんといっしょとかはまだちょっと早いし、私が観ててもあんまりおもしろくないのですが5時半から始まる「ぜんまいざむらい」。かわいいんです。キャラ全部。そして意味のない内容だけど、なぜかクスっと笑える小ネタにやられちゃってます。決まり文句の「ぜんぜんぜんまいざむらいの~」というセリフが始まると、いつも息子と一緒にノリノリで口ずさんでます(^▽^;)>゛教育テレビネタはまたいつか追加で書きたいな~。
2007年10月17日
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離乳食を始めて早2週間ちょっと。よく食べてくれる日もあれば、おさじを近づけただけで火がついたみたいに泣いて嫌がる日もあったり、まだまだ順調に進んでるとは言いがたい毎日です。ですが、ここ最近ウンチの様子が変わってきました。ミルクだけの頃は、ほとんど液状のサラッとした(下痢まではいかないくらいの)ウンチだったのが離乳食を食べるようになって、少しドロっとした感じのなんというか、いかにもウンチっぽいウンチになってきました。ほ~、こうやって一歩一歩人間らしくなっていくんだなぁとウンチを前に変に感心してしまうオカンな私です。※ウンチウンチと何回も汚くてごめんなさい。 書いてる私も気分が悪くなってきちゃったりして…(;^_^A ウプ。
2007年10月16日
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ここ何日かの日記でお気づきかもしれませんが、息子は完全ミルク栄養の子です。母乳にできなかった理由は色々あるのですが、やはり私の努力不足と言われればそれまでなので、あえてここでは書きません。実は今隔週でベビーマッサージの教室に通っています。(マッサージの感想についてはまた今度)先々週初めて参加して、全員で7組だったかな?マッサージのあと、赤ちゃんものどが渇いてるのでおっぱいをあげてくださいと指導されます。私以外のお母さんは全員母乳でした。粉ミルクとお湯の用意はもっていってましたが、その場で授乳タイムがあるとは思っていなかったので、一人ギャアギャア泣く息子を横に慌ててミルクを作りました。きっと他のお母さんは不思議だったと思います。人工栄養なので、体も他の赤ちゃんより倍くらい大きい息子。母乳のお母さんを見るたび、羨ましくて、切ない気持ちになります。もちろん、ミルク育児も色々大変です。計って作って冷まして、哺乳瓶洗って消毒して…母乳もミルクもどちらも同じように大変だし、同じように愛情を持って育てていることに違いはありません。私自身、ミルク育児だからといって楽をしているつもりもないし、愛情が足りないとも思っていません。でも、昨今の『母乳育児神話』のようなものが浸透している今日ではミルク育児のママにとっては、少し肩身が狭い世の中にも感じます。そういう私が卑屈に感じているのが、一番息子にとってもよくないことだってわかっているので、なるべく考えないようにしいてます。だけど、そういう場所に出ると、やっぱりほんのちょっとまだ胸が痛むyoneなのでした(;_q)
2007年10月15日
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先日夫がおもむろに「なぁ、子供抱っこするとき、いつもどっちの腕で抱いてる?」って聞いてきました。私の場合意識することなく、抱っこするときも、ミルクを飲ませるときもほとんど左腕で抱いています。右腕は添えるだけ。ミルクを飲ませるときも左腕に息子の頭を乗せて、左側を向いて息子の顔を見ています。右利きだからなかぁと思うんだけど…と答えると、夫は満足そうに「そうやろ?でも実は左利きの人もそうやねんで。 左腕で抱っこして左側で子供の顔見るねん。 何でかって言うたら、脳がそうさせてるんやって。」夫が読んでいた何かの本にたまたまそんな記述があったそうです。それによると字を書いたり計算をしたりする実務的な「左脳」に対し、芸術や感情を司るのが「右脳」人間には子供の機嫌や様子を「右脳」で読み取ろうとする本能が備わっているのだそうです。だから左腕に抱いて左側を使うことで、右脳が働いて子供の状態を把握するのだそう。そういえば、こないだ4ヶ月健診に行ったときも先生や保健師さんに向かって息子の頭を左向きに置いたなぁ。お医者様でも自然とそうやって左向きで診察してたんだ。フレミングさん、こんな「左手の法則」もアリかしら?( ̄~ ̄*)
2007年10月10日
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先月の27日に満5ヶ月を迎えた息子。実は4ヶ月になってすぐぐらいから下の前歯も生え始め、よだれもダラダラと大量に出すようになり、大人のごはんにも興味津々なご様子。ということで、キリよく今週月曜日から離乳食を始めることにしました。まぁ最初だし、沢山品数作る必要も今はないので、小さい土鍋を使って米粥を作ってみることに。コトコト炊くこと1時間。そのあとさらにすりこ木ですり潰してトロトロのお粥の完成。ちょっと面倒。。。(^_^;)だけど一昨日、昨日とまだ一さじずつしか与えてませんが、結構すんなりゴックンしてくれています。しかも!土鍋の底に出来たおこげは私がいただいておりますがこれが超美味!!時間があるうちは頑張って作ってあげたいと思っています。
2007年10月03日
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昨日は三種混合ワクチンの接種に行って来ました。8月の末にBCGにも行ったんですが、その時はあのハンコみたいなのを押し付けられたとき(先生はなんか親の仇でも討つかのようにものすごい力で押し付けてましたが(^^;))に一瞬ギャーって泣いたけど、その後はケロッとして何事もなかったんですよね。昨日はもう「降参です!勘弁して~(><)」というぐずりようで、一日往生してましたもう聴診器あてられてる時点ですでにぐずぐず言い出し、先生にも「あ~、この子注射あかんタイプの子やなぁ」と見抜かれ、看護婦さんがブスっと刺した直後「ウギャ~~!!」うちに帰ってからも、何が気に入らないのか夜寝るまでグズグズ言いまくり、ずーっと抱っこしてたので、ごはんの用意も出来ず、おまけに全身筋肉痛まぁ熱もなく、ミルクもちゃんと飲んでたので、たぶん怖かったのと痛かったので気がたってたんでしょうね。はぁ、あとこれ2回もあるじゃん。疲れる…帰ってきた夫に話をすると、「あったりまえやん、誰の子供やとおもってんのん。オレなんか昔 歯医者に行って、あの台に座らされたあと、ちょっと器具とってくる って言われた隙に病院脱走したっちゅうの。あとで家に電話かかってきて めちゃ怒られたけどな。あはは(^▽^)」ですって。病院嫌いはしっかり息子に引き継がれているようです。。。
2007年10月02日
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その後私は結局一度も群馬へ戻ることなく、お盆休みに入ると同時に夫が一人で大まかな荷造りと家の掃除を済ませ、車を運転して大阪まで帰ってきました。今住んでいる土地は、群馬のあののんびりとしたのどかな場所とは違い、どんな細い道でも車が高速でビュンビュン飛ばし、どこを向いても高い建物しか見渡せないような、そんなゴミゴミとした街です。子供にとってはあまりいい環境とはいい難く、私自身もあの澄み渡った広い空をもう毎日見ることができないと思うと、とても残念で悲しい気持ちになってしまいますが、私の実家からも車で30分ほどという距離でいざという時頼りに出来る点や、苦手な運転をしなくてもなんとか生活していけるという利点も考えれば、子供が小さな今のうちは逆にこれでよかったのかなとも思っています。そうして、家族や友人、他色んな人に手を差し延べてもらって今、ようやく私も自分らしさを取り戻し、夫と息子の3人であわただしいけれど穏やかで楽しい生活を送れるようになってきました。夫も無事MBAに合格し、積極的にとまではいかなくても、少しは家の事、子供のことを手伝ってくれるようにはなりました。子供を授かることって、当たり前のようで当たり前のことじゃない。人間ってどんなに頑張ってもやっぱり一人では生きていけない。人生って完璧を目指すことが目標ではなく、その時その時にどれだけベストを尽くせるかが大切なんだ。今回のことで、本当に色んなことを学びました。何かの縁で結ばれた家族・友人をこれからも大切にし不器用ながらも一生懸命生きていこう。そして、始まったばかりの小さな息子の人生が、これからどんな芽を出し、花を咲かせ、実をつけるのか。ゆっくり温かく見守っていってやろう。そう思っています。最近何かで目にして感動した言葉をここでご紹介。「親が子に与えてやれる最大の喜びとは、『人生とは生きるに値する』 事をおしえてやることである」妊婦さんのテーマで書かせていただくのは今日を最後にします。これから出産を控えた妊婦さんたち、どうぞお腹の赤ちゃんを慈しみ自分なりのお産で元気な赤ちゃんを産んで下さいね。それでは、また。ずっと行けなかったお宮参り。先月にようやく両家の家族そろって祝ってやることができました。夫はカメラマンで写っていません。全員私の宝物です(*^^*)(もちろん夫も)
2007年10月01日
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本来ならば一ヶ月健診も終わり、体自体は順調に回復しているのだし夫のいる群馬の自宅に帰り、家事と育児を一人でやっていかなくてはならないし、普通の産後のお母さんもみなそうしているのだからと頭ではわかっていても、近くに頼れる人もおらず、スーパーや病院に行くにも車がないと行けず、ましてMBAの授業が佳境に入っている夫には授業が終わるまで(お盆の頃まで)は、家のことには一切協力できないと宣言されていたため、どうしても群馬に帰る勇気がわかず、かといって血の繋がりのない夫の両親のもとへこんな状態のままお世話になるのもいやで、どうすればいいのかと悩み、自分の親とも何度も話し合いをしました。私の両親は、今の精神状態で肩身の狭い夫の実家で生活すれば、なおさら病状がひどくなるのではと心配し、できればもう少しよくなるまで自分たちの下で療養させたい。その上で群馬に帰れるように持って行きたいと思ってくれていたのですが、このまま実家にいて甘えた生活を送っていてもおそらくよくはならないだろうという、夫と夫の両親の強硬な態度に負け、結局息子と二人、夫の実家に身をよせることになりました。ただ、案ずるより産むが安し。夫の実家でお世話になっている間は、ご両親に自分の娘のように扱っていただきお互いに変な遠慮をするのはやめよう。思っていることはお互いきちっと言葉にして伝え、格好をつけず、素の状態で生活しなさいとおっしゃっていただいたおかげでとてもリラックスした生活をおくることができました。家事も育児もろくにできず、駄目な嫁丸出しの私に対して、時には優しく時には厳しく接して下さり、息子にもまるで自分たちの子供のように笑顔で語りかけ、泣けば抱き、子守唄で寝かしつけ、とそれはそれは心を砕いてお世話をしていただきました。そんな穏やかな日常生活を送る間に、徐々に私の精神状態も回復し自然と息子をかわいいと思えるようになって来た頃、もう群馬に帰ってくることは出来ないだろうと見切りをつけた夫が家庭の事情でということで会社に転勤願いをだし、会社も理解してくれたようで私の実家と会社の本社がある大阪に転勤が決まりました。
2007年09月28日
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息子のへその緒が切られ、元気よく泣き声をあげてくれたとき、心の中ではなんの感動も生まれず、(ああ、やっと終わった。楽になれる)といったのが本音の感想でした。実はもうすでにこの頃には私の精神状態がピークを過ぎていて、自分でも気づかぬうちに物事を冷静に、かつ柔軟に受け止める余裕が一切なくなってしまっていたのです。入院中も3時間おきに授乳室にいって、出ないおっぱいをあげるため息子に会いに行きましたが、回りのお母さんたちが幸せそうに満ち足りた笑顔でおっぱいを飲ませている中、自分の出ないおっぱいに劣等感を感じ息子にも申し訳ない気持ちでいっぱいで、だんだん授乳がつらく感じるようになっていました。結局退院後も、飲んでいた薬のせいか、あるいはいわゆる「産後うつ」の状態だったのか、あれほど待ち望んでいた赤ちゃんをこの腕に抱けるようになったのに、ちっとも息子をかわいいと感じられず、毎日がつらくて体がきつくて、もうどうしようもない状態になってしまいました。私の状態が悪化している姿を見て、世話をしてれていた両親は、群馬での入院中一度も顔を見に行ってやることも出来ず、過酷だった入院中の心の支えになってやれなかったことが、今こうしてこんな形で影響が出てきたんだとそれは私自身は全くそう感じていないと何度も訴えても、悔やみ心を痛めていました。そんな状態は結局1ヶ月健診を迎える頃になってもよくならず、健診後産後の回復と息子の成長に問題がないことがわかると、今度は夫の両親がただならぬ私の状態を心配し、入院から始まってこの2ヶ月弱、ろくに休むこともできず、精神的にも肉体的にも疲労がたまってきていた私の両親のことを考え、転地療養も兼ねて、一度兵庫県の夫の実家に来て、息子と二人療養生活を送ってみてはどうかと提案してこられました。
2007年09月28日
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いつもより少し強く長めにおなかが張ったかな?と自分でも自覚のある張りの直後のことでした。陣痛波形も大きな山形の曲線を描き、いやな予感は的中。一気に下降した心拍数に、詰め所にいた先生や看護師さんたちがざぁっと集まり、私はまた酸素マスクをつけられ、右に左に下にと姿勢を変えさせられ、数分して心拍が戻りましたが、また少ししてから再び低下。すぐ担当医の先生方が集まり(大学病院だったので3人の医師が1チームで担当医という形でした)「これ以上妊娠を持続させるのは危険かもしれない。38週まで持たせたかったけど、 丁度ゴールデンウィークに入る直前で人手も確保できる。 今日、誘発分娩を決行します。 頑張って今日中に産もうね。」と状況が一気に展開しました。うまい具合に会社が連休にすでに入っていて、兵庫県の実家に帰ってきていた夫にすぐ来てもらうよう連絡し、私の両親にも連絡を入れ、子宮口にバルーンを挿入しいよいよ誘発剤の点滴が始まったのが午前11時のことでした。 誘発剤を使うのも3度目とあって、私もある意味陣痛慣れをしてしまったせいか、なかなか強い陣痛がつかず、夕方5時を回る頃まで、微弱陣痛が続き、心拍もやはり何度か落ちる中、(今日中に産まれるのだろうか…)と心配になってきた頃、担当医の教授先生が「もうしんどいやろ?よっしゃ、人工破膜しよう!」とおっしゃり、針のような器具を使って赤ちゃんを包んでいる羊膜を破り、ドドッと羊水が流れ出た途端、いきなり息も出来ないほどの強い陣痛に襲われました。それから猛烈な陣痛に苦しむこと3時間、傍で見ていた夫もただただおろおろと腰をさすってくれたりしましたが、なんら効果はなくいよいよ何かが出そうな感覚に襲われ始めた頃に、心拍がまた低下。「あ、もう(子宮口)全開やわ!yoneさん、分娩台にいくで!はよ出したろ!」と、医師のGOサインが出て分娩台へ。担当医3人、研修医2人、助産師2人の計7人に囲まれ息むこと10数回、最後はお腹をものすごい力で押され、ズルンと何かが出た感覚に。4月27日、午後8時57分。予定日より2週間早く、3050グラムの元気な男の子が誕生しました。振り返ってみれば、所要時間6時間という安産での出産でありました。
2007年09月26日
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その後数日の間に、詳しい超音波検査を行いましたが、エコーで見る限り、胎盤に何か異常があって、赤ちゃんに酸素が供給できづらくなっているとかといった所見はみあたらず、結局何が原因で赤ちゃんの心拍が落ちるのかははっきりとわからない。おそらくは赤ちゃん自身が何かの拍子に自分で臍帯(へその緒)を強く握って、その時に瞬間心拍が落ちるのではないかと言う説明を受けました。お風呂での転倒は問題なく、出血はただの打撲によるものだったようです。ただ、ひょっとすると子宮の収縮が赤ちゃんにとって過度なストレスになり、それが心拍の低下につながっているのなら、おなかの子は「陣痛に絶えられない=普通分娩ができない」ことになり、自宅で陣痛が始まって万一赤ちゃんにもしものことが起こってからでは遅いので、入院にてお産まで管理することになりました。私が入院した病院は、『あくまで普通分娩にこだわる』ことを医療方針に掲げた病院で、やむなく帝王切開になるとしても、ほとんどの場合「緊急」で行うのだと説明を受けました。なので私のようなケースの場合、ほとんどの病院では予定帝王切開で早めに赤ちゃんを出すところが多いと思いますが、私はこの入院中2度も誘発剤を使った陣痛モニタリングのテストを行い、結果1度目は心拍異常なし、2度目は心拍異常ありという微妙な結果となり、それを踏まえ38週に入り次第、緊急帝王切開を視野に入れつつ、誘発分娩を行う予定となりました。入院中は1日4回1時間ずつのNSTチェックがあり、なんだか一日中モニターにつながっているような気分でした。正直そこまで危ない橋を渡ってまで経膣分娩にこだわらず、無事に早めに帝王切開で赤ちゃんを出してほしいと、夫は遠く群馬から心配し、私自身も精神的に限界を感じながら、何度か病院にお願いしたのですが、日々のモニター管理では異常はなく、赤ちゃんの状態もすこぶる良好なので、我々は経膣分娩でいけると思っている、万一の場合は万全の状態で臨むので我々に任せてほしいと言われ、38週に入るのを待っていました。そして37週4日目の朝、いつもの早朝のNSTチェックでぼんやり心拍数を眺めていたとき、いきなり赤ちゃんの心拍が落ちたのです。
2007年09月25日
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群馬から大阪へ戻り、とにかくまずしなくてはならなかったのが、産院での健診。実は里帰り出産を予定していたものの、群馬⇔大阪間の往復が妊娠中の体にはとてもこたえることと、もっと早く里帰りするつもりが入院によって延びてしまったことにより、大阪へ帰って来た時点ではまだ産む産院が決まっていなかったのです。ひとまず実家からまずまずの距離にある、某医療センターへ訪れました。出産自体は制限をしているわけではないので今から受け付けても可能だと言われたのですが、私のメンタルの持病のほうが引っかかると言われ、何かあったときうちでは対応しかねるので、紹介状を書くから市内の大学付属病院へ行ってくれと言われました。正直な話、何か大きな病気というわけでもない、出産ぐらいのことで大学病院にまで通わなくてはならないのかと、自分でもびっくりしてしまいました。とはいえ、メンタルのほうのケアも確かに必要な状態ではあったため、実家から少し離れた大学病院に次の日に訪れました。35週に入って間もない健診でしたが、切迫早産だったにもかかわらずすぐに産まれそうな気配もないし、経過も順調なので、また1週間後と言われ病院を後にしました。ところが、数日してお風呂場で軽く転倒してしまい、その時はなんともなかったのですが翌日軽い出血が見られました。昨日少し股をうったせいなのか、あるいは時期も時期だしいわゆる「おしるし」というやつなのか判断がつかず、電話で問い合わせたところ一応診察したいからすぐに来てくれと言われました。このまま出産になってもいいように入院の準備なども持って、土曜日で休診の閑散とした病院に向かいました。とりあえずモニター(陣痛の波形と赤ちゃんの心拍数をチェックする機械です)をつけてみて見ようねと言われ、そこで驚くべき事態が起こりました。通常赤ちゃんの心拍と言うのは、大人の倍ほどの速さで打っていて、平均1分間に120~160回が普通とされています。ところがその時のNSTチェックで、突然赤ちゃんの心拍が60ぐらいに落ちたのです。その状態が2~3分ほど続き、休診にもかかわらずどこからともなく先生方がわらわらと集まり、私は生まれて初めて酸素吸入のマスクなどをつけられ、あたりは騒然とした雰囲気になりました。群馬で入院中のときも何度もNSTチェックをしていましたが、一度もこんなことにはならなかったのに、なぜ大阪に帰ってきた途端にこんなことになるのかと私もパニック状態でした。結局それから3時間ほどモニターにつながれ様子を見ていましたが、やはりその間にもう一度赤ちゃんの心拍が落ちたことから、偶然で起こったことではなさそうだという判断になり、産まれそうな気配は全くないものの、このまま家に帰すわけには行かないと言われ36週を目前に控えたその日に、また入院になってしまいました。
2007年09月21日
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さて、この6週間の入院で、何が一番困ったかというと、それは『洗濯』でした。ベッドとお手洗い以外は動き回ることが禁止されている状態だったので(切迫早産の一番の治療法はとにかく「横になっていること」なのだそうです。 なので、ベッドを起こして座っている姿勢ですら×だったのです)院内に設置されている売店はおろか、コインランドリーにも行くことが出来ず、普段家事など一切してこなかった夫が、切なくもせっせと2~3日おきに洗濯物を届けに病院まで来てくれました。入院してすぐに兵庫県に住む夫の両親が群馬まで高速を飛ばし、帰りの遅い夫一人では世話が出来ないことから、わんこのララを引き取りにきて下さいました。もう老人といってもいい年のお二人に長時間の運転をさせ、手に余る犬の世話までおしつけることになってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、それでも夫の両親は快く「今yoneちゃんができることは、おなかの子をちゃんと産み月までいさせてあげて、 無事に産んであげることだから。他の事は一切考えず、人生のうちのほんのちょっとの 期間のことだと思って、入院生活頑張りなさい。」とおっしゃってくださり、ご両親の前で号泣してしまいました。私の実家も大阪で、しかも両親ともまだ現役で働いているため、群馬まで来てもらうことが現実的には難しく、結局私の身の回りのことや、家のことは全部夫に任せなければならなくなりました。当時夫はMBAという博士号取得のため、勉強が佳境に入っていた時期でもあり、精神的にも肉体的にも相当重圧がかかっていたと思いますが、それでも疲れた顔を見せず、沈みがちな私を見舞いに、まめに病院に足を運んでくれました。また度々パニックの発作を起こし、何かというと早く退院したいと言ってメソメソと泣いて困らせる厄介な患者であったにもかかわらず、いやな顔ひとつせず根気よくお世話をしていただいた病院の看護婦さんたちには言葉もないくらい今も感謝しています。印象的だったのは担当医の「今はね、昔と違って沢山子供産まれないから、一人一人の赤ちゃんが希少児なんだよ。 だから、退院させてあげたくても、とりあえず産まれた赤ちゃんが自分でで呼吸して 将来障害が残らないところまで育つ週数まではお母さんに頑張って病院に いてもらわなくちゃね。」という言葉でした。そうか、この子は私たち夫婦にとってだけではなく、世の中全体から見ても貴重な財産なんだと、改めて感じさせられる一言でした。同室で同じ切迫で入院している妊婦さんたちとも励ましあい、仲良くなった切迫ママが無事出産するところにも何度か居合わし、その度に次は自分の番だと言い聞かせていました。その中で一人、「子宮頚管無力症」という症状で、一人目の赤ちゃんを24週で残念ながら死産し、2度目の妊娠でも子宮口を縛る手術をし、8週目から一度も退院できずにずっと入院しているという、臨月間近の妊婦さんがいました。たった数週間でもまいってしまうようなこのつらい生活を、かれこれ7ヶ月以上も続けているのだと言う彼女は、私なんかよりずっと強い張り止めの薬を使い、肉体的にもずっときついはずなのに、とても前向きに頑張っていました。そして37週に入って、これ以上は医術的に張り止めの薬が使えないことから強制的に退院だというその日に産気づき、見事1時間という超安産で女の子を出産したのです。ずっと寝たきりの生活だったので、手足の筋肉も衰え、まともに歩くことさえできなかった彼女ですが、産後のあのすがすがしい彼女の笑顔は今でも忘れることができません。そんなこんなで苦しい思いをした入院生活でしたが、ようやく34週に入り、仮に今産まれても赤ちゃんは十分生きていけるという医師のお墨付きのもと退院の許可が下り、大阪から父に迎えに来てもらって、里帰り出産をするため、実家に戻ることになりました。病院から一歩も出られないうちに季節はすっかり冬から春に移り、桜が満開の陽気になっていた4月上旬の頃でした。
2007年09月20日
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4月の末に出産し、もう妊婦さんではなくなってしまったのですが、今日から何回かあつかましくこちらのテーマで日記を書かせていただくことにしました。前回の日記にもチラッと書きましたが、私の妊娠後期はもう散々なもので、家族を巻き込んだ大騒動になり、無事に生まれてきてくれたた息子をはじめ、夫や夫の両親、私の両親にほんとによく頑張ってくれてありがとうと感謝の気持ちでいっぱいです。もし今そんなしんどい思いをしている妊婦さんがこの日記を読んで下さっていれば、大丈夫!!今は回りにたくさん迷惑をかけてもかまわないから、絶対元気な赤ちゃんを産むんだ!という強い気持ちを持って、つらさに負けないで頑張ってほしい。そんな気持ちもあって敢えてこちらのテーマで書かせていただきます。それは突然の出来事でした。2月15日。朝普通に起きて夫の食事を用意し、少し休憩しようかと思った矢先、いきなり下腹部に激痛が走りました。息もできないくらいの痛さにその場に倒れこみ、出勤前の夫に「なんかおかしい。お願い病院に連れて行って!!」と頼み、すぐに夫の車でかかりつけの病院に向かいました。たまたま担当医の診察日だったので朝一番の診察で診ていただき、下された診断が「切迫早産」。出産時には赤ちゃんが通ってくる産道になる、「子宮頚管」の長さが通常4~5cmないといけないはずが、私の頚管長はその時2cmしかなくこのまま放置していれば、確実に早産してしまうと言われ、その場で自宅に帰れることなく入院になってしまいました。早ければ2週間くらいで帰れるかもと言われた入院生活でしたが、結局状態はよくならず、妊娠27週から34週までの6週間、24時間点滴につながれたままの状態で、ベッドに寝たきりの生活を続けることになりました。私は「パニック障害」というメンタルの持病も持っているのですが、ここ数年は落ち着いていて、薬も絶っていた状態でしたが、長期にわたる不安で窮屈な入院生活に精神的に参ってしまい、入院中にパニックを再発し、医師からの勧めもあって、薬を飲みながらの妊娠維持となりました。おなかの赤ちゃんのことを考えると、なかなか薬を飲む勇気がわかず、そのせいで日一日と私のパニックの状態が悪くなっていく中で、先生や、看護婦さんに諭され、そして夫や両親の理解を得て、結局薬を飲むことになってしまい、おなかの赤ちゃんに「こんな弱いお母さんでごめんね、ごめんね」と毎日のように謝りながら退院の日を待ちわびて泣いて暮らす日々が続きました。
2007年09月19日
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この日記を更新するのは何ヶ月ぶりだろう!何から書けばいいのか、この半年間とても色んなことがあって、一度には書き切れません。久しぶりにメールをチェックすると、楽友のぬまっ子さんから更新のリクエストという、びっくりするメールが飛んで来ていました。こんなにすっかりご無沙汰しているのに、ちゃんと覚えていて下さってしかも更新を待っていてくださっていたことに、すごく感動してしまいました。なので、ひとまずご報告だけ。去る4月27日、午後8時57分。体重3050グラムの男の子を無事出産いたしました。実は2月の半ばから切迫早産、臨月に入る直前には胎児心拍機能低下という病名で、出産までのおよそ2ヶ月半、ずっと入院していました。長く苦しい入院生活の中で、私自身体調を崩し、また無事に産んであげられるのかという不安を抱えながら、それでも元気に生まれてきてくれた息子。育児は思っていた以上に大変ですね。でも、私にはあのつらさがあったからこそ、頑張れる。まだ少し身の回りがバタバタしていて、まめに更新することができませんが、もう少し落ち着いたら、ゆっくりですが入院から今までのことを振り返りながら更新していきたいと思います。遅ればせながら、無事にご出産を迎えられた楽友のお友達。ほんとうにおめでとうございます。お互い無理をせず、のんびり子育てを楽しんでいきましょうね。そしてこれから出産を控えられたお友達は、どうか体を労わりながらおなかの赤ちゃんを愛しみながら育んであげてください。ぬまっ子さん、私に更新のチャンスをくれて本当にありがとう!またゆっくりおじゃまさせていただきます。それでは、また! 生後2日目の息子。 今の息子。体重はなんと7キロを超え、すくすく大きくなっています。抱っこが大変です。おなかが冷えないようパンツのなかにシャツをいれています。うふふ。
2007年08月03日
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今日から少し重いテーマで日記を書くことにしました。でも、書くことによって、自分の気持ちに整理がつくならと思い、久々にPCを開いています。私は結婚前に「軽い鬱を伴うパニック障害」という病気を患いました。きっかけはなんだったのか、いろんな事が一気に重なって、という形で、これがはっきりとした原因だというのが結局わからずじまいです。ただひとついえる事は、とにかく小さなことに不安を感じてどんどん、どんどん自分で勝手に追い詰められていく、というこの性格に起因してることは間違いないと思います。実は結婚前に、何気なく受けた婦人科の検診で、もしかすると子供ができにくい体質かもしれないと、お医者様から言われました。というのも赤ちゃんが生まれて、母乳を出す指令のもとになる「プロラクチン」というホルモンの値が、通常値よりやや高い指摘されたのです。このプロラクチンの値が高いと、排卵障害が起こったり、妊娠しても流産しやすいという説明を受け、なんの覚悟もないままに、ものすごいショックを受けました。当時夫とは一応結婚を前提に付き合っていたものの、夫の事情で結婚まではまだまだ遠い道のりだという、宙ぶらりんな関係で、自分の年齢を考えるととても将来に不安を感じていた時期でもありました。そこへ、結婚すればおのずと子供は授かるものだ(この辺がかなりの無知でしたが)と信じ込んでいたものが、まさか自分が子供ができにくい体質かもしれないなんて思いもよらない不安材料がふってかかり、このあたりから、何か普通に生きている事自体に漠然と不安を感じるようになってしまいました。また、当時派遣社員として勤めていた会社でも、いきなり重い仕事を任されたり、周囲に非協力的な行動を取られたりと、ストレスとプレッシャーが一気に押し寄せ、ある日突然、夜眠れなくなってしまったのです。それまでも、誰にでもあるように、なんとなく眠りが浅いとか、寝つきが悪いとか、そういう日もたまにありましたが、それでも一睡もできないという経験がなかったので、パニックになるほどとまどってしまいました。そして、眠れない日々はそれから2週間あまり続き、とうとう食事をとることもできなくなり朝布団から出ることもできず、一日に何度となく訪れる動悸と、このまま死んでしまうのではないかという恐怖感に襲われ、ようやく訪れた心療内科で「鬱病を併発したパニック障害」と診断されました。
2007年02月07日
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実は2度目です。ララの誤飲騒動。1度目はまだ生後4ヶ月くらいのとき。私がお化粧中、ちょっとその場を離れてた隙にファンデーションのスポンジをくわえてそのまま逃走。おやつで気を引いて口から離そうと試みたとたん何を思ったか「ごっくん」。( ̄□ ̄;)!!うそ!!飲み込んだ!!パニクリながら動物病院に急行し、吐かせる処置をしていただいてどうにか出てきました。4センチ四方もあるあんな大きなものを、飲み込めたのもすごいけど、出てくる時も相当苦しかったみたいで処置室から叫び声が聞こえました(><)もう2度とあんな目にあわせてはいけないと、ずっと注意を払ってきたつもりですが、今日また、ちょっと目を離した隙に・・・いつもララがウロチョロする部屋はごみ箱を全部高いところに上げて届かないようにしています。今日は居間の掃除機を当てている間、夫の勉強部屋にララを閉じ込めていたんですが(掃除機をとても恐がって、かけている間中吠えまくるので)かけ終わってララを迎えにいってみれば、ゴミ箱の中身がひっくり返った状態。ごみ箱を高いところに置くのを忘れてたんです。しかもなんと、タバコの吸殻が・・・!!夫は半年ほど前から禁煙しており、今は吸っていなんですが、ずっと放置してあった吸殻入れの中身をたまたま昨日ごみ箱に捨ててたみたいなんですね。慌てて口元をにおったらかすかにヤニのにおいが・・・(>Д<)いかん!!こりゃ早く吐かせなきゃと思い、再び慌てて病院へ。ついこないだワクチン接種に連れてったばかりで、またこんなすぐに来なきゃいけないとは思ってもみませんでした。吐かせる薬を飲ませて数分後、出るわ、出るわ・・・先生もびっくりするほど色んなものが出てきました。主にはごみ箱に捨ててあったティッシュがゴロゴロ出てきたんですが、朝にやった犬用のミルクガムとか昨日のご飯にまぜてやったさつまいもとか。タバコの原型をしたものは見当たりませんでしたが、黒いヤニっぽいカスも混ざっていたので、ひょっとしたらやっぱり食べていたのかもしれません。お腹に力が入ったので下からも緩いウンチが出てきて、もう上から下からてんやわんや・・・一応処置が早かったので、60%くらいは排出できてるはず。多分中毒の心配はあまりないと思うのであとは飲み薬で残りを排出させて、様子をみましょうと言われ病院から帰ってきました。帰ってきてからも、やっぱり戻したり下痢したりと大変でした。まだ気持ち悪いのかぐっすり安眠できないようですが、トロトロとまどろんではいます。でもこれはどんな言い訳もできません。すべて飼い主である私の責任です。しかも2回もララにこんなしんどい思いをさせてしまいました。反省しています。幼犬の頃に比べれば随分賢くなっているとはいえ、やっぱり犬は犬。何をしでかすかわからないと常に注意を払っているべきでした。ごめんね、ララ。もう絶対こんなことが起きないよう、父ちゃんも母ちゃんも気をつけるからね。ポンポン気持ち悪いの治ったら、ハチミツ水飲もうね(;_;)
2007年01月19日
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久々の妊婦ネタです。昨日は6ヶ月検診に行ってきました。ベビは推定体重670グラム、24週相当の大きさだそうで、発育良好だねと言われました心臓もちゃんと4つの部屋に分かれていて、「これはとっても大切なことなんだよ。ここがしっかりしてないと、生まれてから手術したりしても、ちゃんとは形成できないからね」とのお話。小さいけれど、人間として生きていく為の器官をちゃんと備えていてくれているようでありがたいなぁと思いました。先生に不安に思ってることは?と聞かれ、胎動が少なめだと思うと言うと「そっか~感じにくいほうなんだね。じゃぁ不安だろうから、次は1週間早めて3週間後に予約とっておくね。」と言って下さいました。胎動が感じにくいのはもしかして胎盤が子宮の前側なのかな?と自分では推測していたんですが、後ろ側のようでした。う~ん??じゃぁやっぱり私が鈍いのか、ベビがおっとりさんなのか・・・日によってはとても元気に動いていたり、1日静かだったりとまだまだ不安定な胎動ですが、活発になってくれるまでもう少し気長に待っていてあげようと思っています。今回はお顔の写真です。まだよくわかんないけど、なんとなくパパの寝顔にそっくりのように思います。うふふ。かわいいです
2007年01月17日
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