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先日、韓国ドラマ「モーテル・カリフォルニア」について、実は「深刻な心の傷を負った主人公の生きづらさ、そして、大きな痛みを伴いながら過去と向き合っていく自己統合の過程が赤裸々に描かれている」ドラマであると言及しました。過去の記事はこちら。「心の傷」 ― 最近でこそそれなりにいろいろなところでとりあげられる話題ではありますが、そうだとしても、まだまだ周囲の理解が得られにくい分野ではないでしょうか。ある心理士さんが、「トラウマを抱えている人は、トラウマ症状そのものでも苦しんでいるが、周囲の人になかなか理解してもらえないがゆえに、生きづらさが増幅される。周囲には、性格が悪いとか、本人が悪いとか決めつける人も多いので」と仰っていましたが、このドラマについても、虚構の話ながら、ヒロインに対して、そういう風当りのようなものが発生している可能性があるかもしれないな、と感じています。いえ、それだけ、ヒロインを演じた女優さんの演技が素晴らしいということでもあるのですが。さて。前回は、ドラマで提示されていた心の傷が、どのようなものであるのか、思うところを書いてみたわけですが、今回は、トラウマからの回復過程について、少し言及したいと思います。実は、このドラマ、キャストとして精神科医や心理士は登場しないものの、男性主人公(獣医師さんという設定でした)が恋人であると同時に「医師」のマインドを持っていたことが功を奏したのでしょうか、結構有効な対処を行っていた場面が随所に見られたように感じましたので、そのあたり少しだけ言及してみたいと思います。まず、ヒロインのトラウマに対して、男性主人公が実質的にナラティブ精神療法的なアプローチになるようにサポートしていた点はさすがだな、と思って見ておりました。トラウマ経験に対する断片化された記憶は、必ずしも過去のファクトを正しく反映しているとは限らないところもあるのですが、トラウマと向き合いつつ再構築し、過去のできごとや経験を新しい視点から見直し新しい意味を与える、というまさにトラウマ対処の王道を行っていました。あるいは、多くの方がお気づきになったと思いますが、インナーチャイルドを癒す文脈がしっかり映像化されていた点、お見事だったと思います。そろそろ最終回を迎えるということらしいのですが、最後に少しだけ。やはり、仮に今回のドラマのような状況であれば、精神科医・心理士・薬剤師・家族がチームを組んで、粘り強く適切に対処する経過を辿る方が本当は望ましかった、と思いますね。そういう適切な処置を経ることによって、トラウマを克服する力を得た人は、魅力的な人物へと変容していくことが可能なのです。…と書いてみたところで、あくまでドラマでのお話ですから、という話になるでしょうかね。それにしてもこのドラマ、ある意味「問題作」と言ってもいいのかもしれません。少なくとも、ドラマで繰り広げられたようなことは、全くの絵空事ではなく、現実の世界でも普通に起こりうる事象であることを明確に人々に提示した、というべきでしょう。
2025年02月15日
長い間放置していたこのブログですが、唐突に「書いてみよう」というトピックが浮かびあがってきました。おつきあいいただける方は、ご笑覧下さい。 韓国ドラマについては、それほど多く視聴するわけではないのですが、たまたまふと気になって視聴を始めた「モーテル・カリフォルニア」で扱われるテーマの重さに、驚きを隠せません。現時点では、最終回の放映はまだなされていませんが、それでも「これは…」と思うこと多々、ちょっと書き留めておきたいと思った次第です。当初『田舎のモーテルを背景に、モーテルで生まれてモーテルで育ったヒロインが、12年前に逃げ出した故郷で初恋の人と再会することで経験する、紆余曲折の初恋リモデリングロマンスドラマ』という触れ込みだったのですが、なんのなんの、深刻な心の傷を負った主人公(主人公たちといった方が正確かもしれません)の生きづらさ、そして、大きな痛みを伴いながら過去と向き合っていく自己統合の過程が赤裸々に描かれているのです。まるで臨床心理学の分野でとりあげられる「臨床事例」でも見ているかのようです。私自身、これでもカウンセリングや認知行動療法の単位も取得していますから、それなりに興味関心の分野ということもあって、「なるほど」と思いながらドラマを追うことができますが、人によっては「ヒロインに共感できない」と思う方も相当数存在するだろうな、と思ったりするわけです。そういった事情をちょっとひも解いていきたいと思います。ここでは、いわゆる「ネタバレ」を積極的に行うつもりはありません。あくまで、私自身が思うところを書いていこうと思います。このドラマでは、臨床心理学的観点から、注目に値する要素が山のように見つかります。物語の序盤から、ヒロインには何らかの愛着の問題が存在すること、自己肯定感が低いこと、感情の起伏が激しいこと、人間関係を築くのが難しいこと等の特徴的要素をはっきり見てとることができます。そして、最も自分に愛情を注いでくれる対象(このドラマでは男性主人公)に対して、しがみついたかと思うと突き放して振り回す行動が繰り返されます。いわゆる試し行動も多くみられます。当初、このヒロインについては、「愛着障害か、はたまた境界性パーソナリティー障害か、そんな想定もできるかもしれないな」と思いながら見ていました。なお、鑑別を行うのは、私の役目ではありません。それは、臨床医の行うことです。が、説明の便宜上、そういう想定もできるかもしれない、と記載しておきますので、そうご承知置き下さいませ。ところが、物語が進むにしたがって、ヒロインの「生きづらさ」の正体は、「いわゆる複雑性PTSDのような状況かもしれない」ということが明らかになってきます。繰り返しますが、鑑別を行うことが目的ではありませんし、臨床医によっては異なる鑑別の可能性も十分あるだろう、という前提で書いておりますので、そこはご理解ください。それはともかく、ヒロインも(そして男性の主人公も)トラウマと呼ぶにふさわしいほどの凄絶な体験を子供の頃にしていたことが、ドラマの後半になって明らかになってきます。このヒロインの場合、長い間その体験に関する記憶がなくなっていたところ、フラッシュバックにより断片化された記憶がよみがえってくるというものでした。こうした断片化された記憶については、『こころの情報サイト』に詳しく説明がありますが、端的に状況が解説されているように思いますので、一部引用しておきます。あまりにも強い恐怖やショックを感じたために、その体験を落ち着いて整理することができません。そのために、非常に良く覚えている部分と、覚えていない部分が混じり合ったり、体験したこと、感じたこと、考えたことの関係が混乱したり、時間的な順序や、何が原因で結果なのかといったつながりも分からなくなります。これを記憶の断片化と呼びます。そのような記憶は、「いつ、どこで、どのように、なぜ起こったのか、その結果はどうなったのか」という枠組みができていませんので、大変に不安定な状態となっています。そのために、ふとしたことで、あるいは突然に、記憶が意識の中に侵入し、フラッシュバックや悪夢を生じます。トラウマ体験の記憶は断片化していて、その一部を思い出すと、他の色々な断片的なイメージが次々に思い出されたり、辛い感情や考えが出てきます。あたかも常に被害が生じているように感じられますので、不安や緊張が消えることがありません。時にはこうした辛さから心を守るために、現実感がなくなり、ぼんやりとしたり、記憶の一部が飛んでしまうこともあります。また落ち着いて記憶をふりかえって考えることができませんので、必要以上に自分を責めたり、自信を失ったり、周りの人に不信感を向けたりもします。極端な場合には、世の中に安全な場所などないとか、自分には何も良いところがないと思い詰めたりもします。過去の体験についての恐怖が強くなりすぎると、過去の被害を思い出すことで、もう一度現実に被害を受けているかのように感じられます。確かに、このヒロインのケースでは、複雑性PTSDの場合によくみられる「回避」「否定的自己」「感情調整困難」「対人関係障害」という典型的症状(といって差し支えないと思います)を呈しているように見えます。ドラマですので、あくまでも虚構の物語なのでしょうが、本来であれば、専門的知見を持った経験豊富な臨床医・心理士・薬剤師等がチームを組み、適切な治療方針のもと丁寧に取り組んでいくべきレベルの状況です。という具合に、ヒロインの状況がかなり危機的状況であるのは言うまでもないのですが、ヒロインと傷を共有し、心理的共振状態にあった男性主人公にも、実はそれなりに課題があったように思います。「助けるという方法でしか愛情を表現できないと思い込みすぎていた」こと、そして「罪悪感ゆえに償いと称する補償行為を繰り返しどこか他人軸で生き続けてきた」ことあたりでしょう。ただ、幸いなことに、ドラマ中盤から、自分の状況を認識し、罪悪感を手放し、自分軸で生きることにコミットする、という望ましい方向性を辿っていたあたりは、視聴者にもそれなりに安心感を与えたのではないかと思います。その他、心理的課題の世代的連鎖の問題等、見るべきポイントはいろいろあるように思いますが、ドラマの視聴者としては、何とか心安らぐラストが欲しいところでしょう。幸いなことに、とても困難な道のりを辿ることにはなるのですが、トラウマを克服することは可能であるとされています。トラウマを抱える者にとって、回避行動が一番問題解決を遅らせることになってしまいます。むしろ、とても辛い時間を過ごすことにはなりますが、トラウマとなった出来事に向き合い、言語化し、新たな意味づけを自ら行い、整理し直すことが特に重要ポイントだとされています。このときに重要なのが、トラウマを再体験する際、安全が確保され、深い共感とともに受容されるかどうか、というあたりでしょう。なお、トラウマの克服は、トラウマそのものを消滅させることではなく、傷ついても立ち上がれる力を手に入れることに他なりません。今後、ヒロインがどのような経過を辿っていくのか、そのあたりはまだこれからの話ということでしょうが、仮にヒロインが紆余曲折を経てホンモノのアイデンティティを獲得できるようになった暁には、怒りが感謝に変わるプロセスが見られるのかもしれません。そして、多くの苦しみの過程で背負ってきたものが、その人にとっての大きな生きる力へと変容していくとき、本当の意味で癒しの瞬間が訪れるのかもしれません。いずれにしても、お茶の間のドラマに、「心の傷」を真正面からとりあげるものが登場するようになったことは、「生きづらさ」がもはや他人事ではなくなってきた、ということの表れなのでしょう。もっとも、「生きづらい」のは、ときとして「理解してほしいのになかなか理解が得られない」から。それゆえ、爆発的な人気ドラマにはなりにくい要素を持っているともいえるでしょう。そうだとしても、「心の傷」というものをこれほどじっくり映像で見せる試みに、私としてはやはり驚嘆を禁じ得ないのでした。#モーテル・カリフォルニア#MotelCalifornia
2025年02月10日
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