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485系・489系:特急「しらさぎ」「しらさぎ」は、名古屋~富山を結ぶ特急列車として、昭和39年10月1日、東海道新幹線の開業と同時に誕生しています。しかし、481系型特急電車の落成が間に合わず、実際に営業運転を開始したのが同年12月25日となっています。大きな改正ごとに運転本数が増加、車両も金沢運転所に移管され、485系に加え489系も使用されるようになります。昭和55年8月 木曽川~岐阜間にて 485系貫通型 特急「しらさぎ」山陰の撮影に行く際に、同区間においてEH10などを撮りに立ち寄った時に捉えたもの。この頃は特に着目していた列車ではありませんでしたので、前後を撮影するようなこともしなかったようです。平成3年2月11日 名古屋駅にて 485系ボンネット 「しらさぎ」七尾線でSL重連を撮影、帰りながら高山本線で名鉄8000系「北アルプス」を撮影。帰宅の際に新幹線待ちで名古屋駅をブラブラしているときに撮影したものです。このときは、それまでボンネット車の「しらさぎ」は撮った記憶が無かったので、停車中の列車ではありますが、記念に撮っておきました。(このころはM645をメイン使用していたので、殆ど駅撮りはしなかった。)中京圏や北陸での撮影実績は数回ありましたが、特急「加越」の補完も受けていたことがあって、運転本数がそれほど多くはなかったですね。そんなこともあって、あまり記録に残せなかった列車でした。本写真に関しては485系と表示していますが、489系の可能性もあります。683系:特急「しらさぎ」485系:特急「加越」
2025.11.30
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JR貨物 DE101663DE10シリーズで、今回はDE101663号機をご紹介したいと思います。平成20年5月24日 大宮車両所にて1663号機は、日本車輛製で、昭和49年6月13日に米原機関区に新製配置されたようですが、何故か直ぐに佐倉機関区へ転出しています。この時代、このような動きが良く見られ、当時の国鉄の闇がありそうな気がします。民営化直前の昭和61年10月15日付で品川機関区へ異動となり、そのままJR貨物へと継承されました。その後は他のDEと同様に、川崎~新鶴見(川崎派出)の流れで平成27年度まで活躍しました。写真は、おおみや公開にて検査に来ていた同機が展示されたもので、バラバラ過ぎてナンバーも分からないですね。
2025.11.29
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東京メトロ 日比谷線:03系 チョッパ車昭和63年7月に運転を開始した営団地下鉄03系。それまでの日比谷線用3000系を置き換える目的で、平成6年度までに全42編成が製造されました。年度によって1次車~7次車があり、5次車の途中までがチョッパ車、これ以降がVVVF車、4次車までが字幕式サボ、5次車以降がLED式サボ、5扉車が3次車の途中~6次車の途中までと、ちょっとややこしくなっています。枚数がそこそこあるのでどう分けようか考えた結果、制御機器の区分で2回に分けることにしました。今回は、1~5次車途中までのチョッパ車(第1~25編成)でまとめてみました。平成24年8月1日 谷塚駅にて 第05編成平成元年製造の2次車。3扉の字幕車です。平成29年3月12日 東武動物公園~杉戸高野台にて 第11編成平成29年3月12日 東武動物公園~杉戸高野台にて 第12編成平成29年3月12日 松原団地駅にて 第13編成いずれも平成3年の4次車で、混雑対策として前後2両ずつが5扉となっています。当該編成ではまだ字幕式サボのままとなっています。平成29年3月12日 姫宮~東武動物公園にて 第21編成平成29年3月12日 杉戸高野台~東武動物公園にて 第21編成平成5年の5次車で、こちらもチョッパの5扉車となっていますが、サボがLED式に変更されています。こうして並べてみると、カラーが違うので意識しませんでしたが、東西線用の05系初期車にデザインが似ているな~と改めて思いました。5次車までの区分では、初期の第2編成が最後まで残っていたようですが、令和2年2月19日に廃車回送されてしまい、既に消滅していました。ここでご紹介したほか、『東京メトロ日比谷線03系:東急東横線乗り入れの終焉』でもアーカイブ済みの写真があります。(12/13に公開予定)
2025.11.28
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E4系:上越新幹線 「Maxとき」・「Maxたにがわ」(黄帯時代)※本記事は、2021-09-23に投稿したもので、当時の表現になっています。伸び続ける需要に着席の機会を確保するため導入された2階建て新幹線のE4系Max。当初は東北新幹線を中心の導入となりましたが、上越新幹線の高崎~東京間の需要が大きくなってきたため同区間を中心に2編成併結の16連が多く運用されていました。東北新幹線では、過去ログ『E4系:東北新幹線 「Maxやまびこ」』でもお伝えしておりますが、最高速度が足かせとなり、平成24年9月をもって撤退しています。本来なら既に全廃の予定であったE4系ですが、件のE7系水没のお蔭で延命。しかし、ここにきてプレスがあり、令和3年9月末をもって定期運用から消滅してしまうそうです。平成21年8月22日 東京駅にて(再掲)既に懐かしい300系「こだま」と並ぶE4系Max。圧倒的な高さの違いが判ります。平成24年8月25日 大宮駅にて 「Maxたにがわ404号」まだまったく興味なく撮った写真。平成26年3月9日 大宮駅にて 「Maxとき・たにがわ325号」越後湯沢~新潟間にも16両編成が運用されることになり、さらに越後湯沢分割も発生したため、車両も名称も2階建てとなったへんてこりんな列車が走るようになりました。すれ違いのE5系ピンク帯がちょうどラインに反射して変なシチュエーションに。平成26年6月14日 大宮駅にて 「Maxとき302号」平成26年6月14日 大宮駅にて 「Maxたにがわ403号既に朱鷲色への変更が始まっており、色違い併結を狙いに行った日。まだ朱鷲色は思ったよりも少なく、黄帯のままの併結ばかりでした。平成26年6月14日 大宮駅にて 「Maxたにがわ404号」平成26年6月14日 大宮駅にて 回送あとは単独8両編成で、黄帯ばかりでした。あまり興味を持てない形式であったため、殆ど撮っていませんでした。E4系:東北新幹線 「Maxやまびこ」上越新幹線 E1系:「Maxとき」&「Maxたにがわ」400系:新幹線「つばさ」
2025.11.27
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E257系:特急「あずさ」平成31年3月ダイヤ改正ににおいて、中央本線(中央東線)の特急列車がE353系に統一され、中央東線におけるE257系定期特急列車が消滅しました。平成20年10月11日 初狩駅構内にて 「あずさ12号」平成20年10月11日 大月~初狩間にて 「あずさ17号」平成21年3月28日 勝沼ぶどう郷駅にて 「あずさ17号」平成23年11月13日 市ヶ谷~四ツ谷 「あずさ2号」回送平成29年11月29日 豊田~日野間にて 「あずさ16号」平成30年4月25日 神田駅にて 「あずさ25号」平成30年11月28日 立川駅にて 「あずさ24号」その後もしばらくは臨時列車としてE257系を見ることができ、現在も少ない本数ながら多客に設定が残されていますが、松本駅での増解結のシーンは見ることができなくなり、塗装も変わってしまいました。また、付属編成はしばらく処遇が保留されていましたが、全車とも廃車されてしまいました。波動用車両が足りないと言っておきながら、なにも活用せずに解体してしまったことについては、今でも強い疑問が残っています。183系・189系:特急「あずさ」189系 M11編成(松本車):特急「あずさ」189系:臨時特急「あずさ銀嶺」183・189系 H81編成:団体列車「長野行き 懐かしのあずさ号の旅」E257系:特急「かいじ」253系1000番台:臨時特急「むさしのかいじ」
2025.11.26
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JR貨物 DE101073DE10シリーズで、今回はDE101073号機をご紹介したいと思います。平成21年5月23日 大宮車両所にて1073号機は、汽車製造製で、昭和46年3月25日に米子機関区に配置配置された山陰育ち。昭和61年3月に亀山機関区へ転出となりますが、何故かここで民営化を迎えることなく半年後に上京、品川機関区で民営化を迎えます。他のDEと同様に、川崎~新鶴見(川崎派出)で活躍しました。写真は、おおみや公開にて検査に来ていた同機が展示されたもので、まだ整備前の様です。同機は、このまま更新色で出場となり、平成25年1月に廃車になってしまったようです。
2025.11.25
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この度、youtubeにおいてこのブログからと思われる画像の盗用を発見いたしました。コメントにて抗議を行ったところ当該エントリは削除されたようです。追っかけ同じ題名で新規の手法により再エントリされたようで安心したところ、同じ写真を動画風に加工したものを懲りずに使用しており、憤りを感じました。よって、これを悪質と判断し、ここで公表させていただきます。当該サイト → ニートレイン【スズキン】 https://www.youtube.com/@suzukin/shorts当該画像なお、このブログにある画像について、他の方からの提供写真を除き写真の使用を許可することがあります。過去にもテレビ・書籍等のメディアや、youtubeの作品製作のためにご連絡のあったものについて、複数の許可実績があります。もし使用したい写真がありましたら、当該写真が掲載されているエントリのコメント欄からお問い合わせください。採否については個別判断になります。なお、近年流行しているショート動画については許可する予定はございません。過去にオークションの説明画像として無断使用されたことがあり、抗議の上当該案件を削除させた実績があります。極めて悪質と判断した場合は法的処置も有り得ますので、覚悟してください。お互いに気持ちよくご利用いただけますよう、ご協力をお願いいたします。
2025.11.24
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キハ58系:普通列車(磐越西線)磐越西線の喜多方~新津間は非電化区間であり、昭和50年代半ばまでは殆どの普通列車が客車列車によるものでしたが、短区間列車を含む一部の列車は気動車による運転となっていました。この区間の撮影は昭和末期からなので、当時運用されていた気動車の形式は良く知らないのですが、東北新幹線開業後となると本線系の気動車急行が激減したことにより、その運用から外れたキハ58系がかなり幅を利かせていたようです。特に、急行から格下げされた快速「あがの」を含め、キハ58系以外の気動車を見た記憶がありません。昭和61年11月22日 喜多方~山都間にて光線状態からしてかなり早朝の時間。喜多方から新津方面への初列車である新潟行の221D辺りではないかと思われます。鹿瀬~新津辺りまでが通学時間帯に当たるためか、5両という比較的に長い編成が充当されているのかもしれません。平成2年10月28日 荻野~鹿瀬間にてこちらは平成になってから。あまり良く覚えていませんが、陽が高いところからすると、前述の新潟折り返しと思われる会津若松行きかもしれません。この頃になると新潟色が発生しており、検査の度に同色が増殖していったように思います。この時代はまだ車齢が比較的に浅かったこともあり、まだまだ普通列車に活用されていたキハ58系でしたが、東北地方のキハ58系は冷房化率が非常に低かったことなども災いしたか、比較的早いうちにキハ110系に置き換えられてしまったようです。キハ58系:快速「あがの」
2025.11.24
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長野電鉄 2000系:A編成(マルーン塗装)本記事は、2019-05-12に投稿したもので、当時の表現になっています。長野電鉄2000系は、昭和32年~39年に掛けて製造された特急型車両で、当時の地方私鉄としては非常にグレードの高い車両であったということです。3両でM+T+M編成を組み、A~Dの4編成が製造され、昭和32年のA・B編成と昭和34年のC編成は、地元蕨にあった日本車両で誕生したということです。製造された当時は私自身が生まれていないので記憶も縁もない車両ですが、運用から外れた後、長野電鉄屋代線の廃止直前に訪問した際、須坂駅で保存されているA編成に会うことができました。※撮影は、平成23年5月4日、長野電鉄須坂駅にて。訪問途中に大渋滞に巻き込まれ、トイレに行きたくなったため、たまたま大きい須坂駅に立ち寄りました。駐車場に停めると構内に10系OSカーが停まっているのが見えたのですが、外からは写真が撮りづらかったため、入場券を購入し、改札氏に撮影の許可をいただいてホームで撮影しました。B編成が平成17年、C編成が平成18年に運用から外れて廃車となった後で、このA編成は末期に登場のマルーンに塗り替えられたようですが、平成23年3月一杯で運用を外れたようです。平成24年3月の屋代線廃止後に信濃川田まで回送され保存されていたようですが、既に解体されて現存していないということです。
2025.11.23
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115系(新長野色):中央本線過去ログ『115系:初代長野色』にて旧長野色の115系をご紹介したことがありましたが、今回は中央本線(中央東線)で撮影いたしました115系のうち、新長野色の写真を並べてみます。平成20年10月11日 鳥沢~猿橋間にて 529M平成20年10月11日 鳥沢~猿橋間にて 1455M平成20年10月11日 大月~初狩間にて 543M平成20年10月11日 相模湖駅にて 445M 平成20年10月11日 相模湖駅にて 552M平成21年3月29日 勝沼ぶどう郷駅 548M平成21年3月29日 相模湖~藤野間にて 445M中央本線へはあまり撮影に行ったことが無く、115系豊田車も運用されていましたので、撮影枚数は少なかったようです。長野区から撤退後、一部は新潟やしなの鉄道へ異動もあったようですが、新潟地区はとうに撤退、最後に残ったしなの鉄道も迷惑撮り鉄の影響で有終の美も飾れぬまま終わりを迎えることになりそうで残念です。115系スカ色:中央本線(中央東線)
2025.11.22
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東武鉄道 20000系(20000型):伊勢崎線東武伊勢崎線における地下鉄日比谷線直通用電車2000系の後継として、昭和63年から導入が始まった20000系電車。ほぼ同時に製造された有楽町線直通用10030系に準じた性能を持ち、日比谷線の規格である18m車体としています。製造は平成9年度まで続きますが、製造時期により型式が3種類ありました。今回は平成8年までに製造された20000型の写真を集めてみました。平成29年10月1日 西新井駅にて 21802F平成29年10月1日 西新井駅にて 21803F平成29年10月1日 西新井駅にて 21802F&21803F並び平成29年10月1日 西新井駅にて 21807F平成29年3月12日 松原団地駅にて 21808F平成29年3月12日 東武動物公園~姫宮間にて 21811F初期投入の20000型は13編成。日比谷線03系と初期車と同様に3扉として誕生しています。その後の増備で形態に変化が生じ、番台区分が発生していきます。
2025.11.21
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大井川鉄道:モハ1906(元小田急デハ1906)前回の大井川鉄道:6000形の続きとなる記事で、6000形の牽引車を担っていたモハ1906です。昭和57年11月29日 モハ1906 千頭駅にて初めて訪問した大井川鉄道で初めて出会った車両は、なんとも古めかしい旧型電車でした。当時は知識がなかったので全然何者か知りませんでしたが、これは元小田急電鉄のデハ1906であることが判りました。相方となる北陸鉄道の6000形が電圧の関係で自走するための改造が出来ず、この1906が牽引車として使用されており、まるで電気機関車のような扱いだったようです。当時は私鉄に関心がなく、ただ撮っていた写真ですが、こんな17mの電車が小田急を走っていたなんて、今となってはとても信じられません。左の方にも怪しい電車(廃車体?)が写っているのですが、残念ながらこちらは撮影してませんでした。
2025.11.20
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大井川鉄道:6000形(元北陸鉄道6000系)北陸鉄道の看板列車として誕生した6000系電車。北陸鉄道加南線が昭和46年7月11日に廃止されましたが、車両限界の違う6000系は他線への転用が利かず、大井川鉄道で第二の人生を歩むことになります。昭和57年11月29日 クハ6051「あかいし」 金谷駅にてしかし、元々600Vの仕様で製作された6000形は1500V化が困難であったため、大井川鉄道入線に当たっては電装解除されることになります。電装の復元が断念されたモハ6001は、昭和49年に正式に制御車化、クハ6052に改められています。自力走行が出来なくなった6000形は、モハ305により牽引される形で運転され、同車が昭和52年に廃車されたあとは、元小田急のモハ1906ペアを組んで運用されることになります。ただし、内装の格差が大きいことから、電動車であるモハ1906は締切扱いとし、2両編成と同様の扱いで運転されていたようです。このような事情からワンマン運転の取り扱いが行えず、予備車的な存在となり、平成6年、南海電鉄からのズームカー21000系の転入に伴い、これに役目を譲り、モハ1906共々運用を離脱しました。運用離脱後は例の如く長期放置され、平成8年3月30日付で廃車、解体された模様です。
2025.11.19
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E231系:宇都宮線3553M「通勤快速」(最終日)※本記事は、2021-03-14に投稿したもので、当時の表現になっています。2021年3月、ダイヤ改正を迎えました。ここ数年は土曜日が改正初日となり、平日に最終日を迎えることが多くなりました。令和3年の最終日、どうお迎えになったでしょうか。コロナ禍で時差通勤のため、定時に帰宅すると新宿駅で「ホームライナー小田原21号」に当たります。しかし、最近の乗り鉄大群の乗車待ち大行列やスマホ動画中毒者の大量増殖にうんざりしているため、ちょっと地味な方に立ち寄ることにしました。東北本線及び高崎線の夕方の時間帯で運転している通勤快速ですが、それぞれ「ラビット」「アーバン」に統一されて廃止されるということです。あまりインパクトのある話ではないのですが、行先表示や側面表示に「通勤快速」の表示も見られる最終日であるため、乗り継ぎの際に寄り道してみました。令和3年3月10日 赤羽駅にて 「通勤快速」 発車表示これは最終日ではありませんが、乗り換えの際に表示を見つけて撮影しておいたものです。いつもは京浜東北線がギリギリの乗継なのでそのまま2番線へ直行してしまいますが、いつもこのタイミングで4番線に入る10両編成が「通勤快速」であることを初めて知りました。令和3年3月12日 赤羽駅にて 3553M 宇都宮線「通勤快速」そして最終日。1時間に1本しかない「通勤快速」を撮影しました。E233系ならばフルカラーで路線名と行先が交互表示になるのですが、E231系だったので路線名だけの表示になります。発車まで少々余裕がありましたので、サイドに回り込んで横サボも撮ることができました。地味なお別れなので誰も居ないだろうと思いましたが、他に3人ほど撮影しているテツがいましたね。東京の「湘南ライナー」や最終「ホームライナー小田原23号」の掛け持ちも余裕でできますし、翌日土曜は休みの人も多いでしょうから、東京駅や新宿駅は遅くまで賑わった事でしょう。私は混ざりませんよ。
2025.11.18
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JR貨物 EF81742EF81シリーズで、今回はJR貨物所属のEF81742です。昭和54年8月7日、日本海縦貫線運用の増備車として日立製EF81142号機が誕生しています。このグループは、東新潟機関区へのEF81配置化の際に配属されました。これら一連のグループは、民営化に際しすべてがJR東日本に継承されましたが、客車列車の衰退により旅客鉄道会社では用途廃止。経年が浅いため、JR貨物に譲渡されています。142号機は、民営化時に長岡運転所へ転出し、平成17年3月23日付で廃車となりますが、JR貨物へ譲渡され、日本海縦貫線の貨物運用で活躍を続けました。平成27年1月23日 金沢駅にて EF81742なんとも見苦しいボツ写真なのですが、流し撮りした際にナンバー後ろ部分だけ抜けて止まっていたため、ナンバーが確認できました。当機も+600番台化され、晩年は742号機となりました。JR貨物譲渡時に東新潟機関区に出戻りとなりましたが、その後富山機関区配置となり、2019年度に廃車となったようです。
2025.11.17
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JR東日本 DE101665DE10シリーズで、今回はDE101665号機をご紹介したいと思います。平成21年4月5日 蕨駅付近にて1665号機は、昭和49年6月24日、佐倉機関区配置。房総方面で使用されました。民営化直前に田端機関区へ異動となり、そのままJR東日本に継承されました。その後は他機と同様に宇都宮運転所所属となりますが、主に田端を中心に使用されていたと思われます。同機は平成21年6月19日付で廃車となったそうなので、上の写真は廃車目前となった時期に撮影したようです。
2025.11.16
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国鉄 181系特急型電車:モロ181日本初の特急電車として誕生した151系(誕生当初は20系を名乗った)。使用列車から「こだま型」と呼ばれていました。昭和32年に誕生し、試運転を行いながら昭和33年11月にデビューとなりました。戦後の混乱からようやく立ち直り、高度成長が始まった頃でしたが、まだまだ貧富の差が大きく、特急列車は高根の花の時代。特急列車を利用できるのは金持ちや政治家官僚くらいしかなかったようで。編成も今のようなグリーン車が1両または2両などというものではなく、大体は編成の半分が優等車となっていました。そんな経緯もあり、151系ではサロ×2+モロ+モロでというスタイルの1等車(のちのグリーン車)で編成されました。私が鉄道写真を撮るようになった頃には、既に新幹線が岡山まで開業しており、さらに交直両用の485系や583系も誕生していたため、151系は181系へとグレードアップしていました。この時点での181系使用列車は、おそらく山陽の「はと」「しおじ」の一部や、関東の「あずさ」「あさま」「とき」くらいになっていたと思われます。地元では「あさま」「とき」くらいしか見ることはできませんでしたが、「あさま」に関しては昭和51年に189系・489系化で早々に姿を消してしまいました。そのため、実質撮影することができたのは、最後まで181系が運用された「とき」だけに限られました。昭和52年頃 上野駅にて モロ181乗車口中学生でまだフィルム代が自由になる時代ではなかったので、車両に特化して写真を撮ることは殆どありませんでしたが、当時はパンタグラフのついたグリーン車というのは新幹線車両かこのモロ181だけでしたので、すごく関心を持っていました。まだ撮影テクがなかった時代なので、暗がりの露出不足、絹目写真の非常に見づらい写真で申し訳ない。昭和52年頃 御徒町駅にて モロ181-102これも中途半端な写真ですが、辛うじて番号が判別でき、台車も100番台であることが判る写真です。当時、高架ホーム発着で折り返し時間があるものは、上野~秋葉原間の回送線を使って留置しており、午後になるとここに良く181系が留置されました。昭和53年改正頃からか、183系1000番と同じ12両編成となり、グリーン車の連結位置を合わせるようになったため、融通の利かないモロ181+モロ180のユニットは外され、殆ど残っていなかったサロ181&180に代わって、サロ481の姿をしたサロを組み込むようになりました。その際、経年の浅かった100番台のモロ+モロユニットは格下げモハユニットとなり、一部は晩年まで使用されましたが、昭和57年11月の上越新幹線開業に伴い、181系自体がすべて撤退することになりました。電動車の比率の高い新幹線では電動グリーン車は当たり前であり、ジョイフルトレインでも165系や485系からの改造でモロやクモロといった車両も誕生しました。しかし、純粋な一般車両としての電動グリーン車としては151系(181系)が特異な例であり、時代の変化がなければ当たり前になるべき形態であったのかもしれません。
2025.11.15
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JR東日本のSuicaペンギンが卒業するということで話題になっていますね。親ブログの「マル鉄回顧録」で関連記事をエントリしましたので、是非ご覧ください。Suica相互利用開始時のパンフレット・・・Suicaペンギン卒業ちなみに、「Suicaペンギン卒業を撤回する署名」がメールで送られてきました。そこまで必要か?
2025.11.14
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国鉄旧型電機 EF15(高崎第二機関区)国鉄における貨物用電気機関車で、旧型電機の決定版として製造されたEF15型電気機関車。貨物用デッキ付き機関車としても最終形式となり、202両が製造されています。一部は勾配線区用としてEF16形になっており、202両のEF15が揃ったことはありませんが、比較的に少数製造が多かった旧型電機の中でも、最大両数を誇っていました。ほぼ全国の直流線区で活躍しましたが、今回は高崎第二機関区所属のEF15を集めてみました。昭和54年3月頃 川口駅付近にて EF1564単機回送高崎第二機関区の初期型車両です。今はマンションだらけになってしまった背景も、殆どが鋳物工場で埋め尽くされている感じですね。昭和28年10月 1日 日立製 新製配置 浜松機関区昭和33年 4月 3日 高崎第二機関区へ異動昭和54年11月12日 廃車ご覧のとおり、EF15の中でも異動経歴の少ないカマでした。昭和52年頃 大宮駅にて タキ1900を連ねて通過中のEF1588ホームが日に翳ってしまい非常に見づらいのですが、当時はセメント輸送が本当に盛んな頃で、秩父セメントのタキ1900やホキ5700ばかりをつなげた列車は定番のように走っていました。88号機昭和29年 3月15日 落成 日立製 新鶴見区新製配置 同年 6月16日 稲沢第二機関区へ異動昭和31年11月19日 米原機関区へ異動昭和38年 9月 1日 沼津機関区へ異動昭和39年 5月26日 広島機関区へ異動昭和44年10月 3日 新鶴見機関区へ異動昭和47年 3月 2日 高崎第二機関区へ異動昭和56年10月12日 廃車88号機は、EF15の中でも最も異動の激しかった号機のうちの1台でした。昭和57年7月 大宮機関区にて EF15148一般の人では撮ることができない、大宮操車場の職員輸送列車から大宮機関区を撮った写真。この頃既にEF15が貴重になりつつあった時代ですので、確信犯的に狙っていたと思います。EF15も然ることながら、EF62・EF651000・EF60初期車と、当時の貨物輸送を支えた千両役者たちが揃い踏みですね。148号機昭和32年 9月 6日 落成 東芝製 新鶴見機関区新製配置昭和33年 4月26日 宇都宮機関区(当時)へ異動昭和38年10月 1日 高崎第二機関区へ異動(貸出がS38.9.21~)昭和58年 3月11日 廃車昭和56年7月頃 品川駅にて EF15154牽引 貨物列車154号機昭和32年 9月11日 川崎製 新製配置 高崎第二機関区昭和58年 1月24日 廃車154号機を調べてみると、新製配置から廃車となるまで、貸し出しも含めて一切高崎を離れることがなかった生粋の高崎っ子だったようです。昭和55年 蕨~西川口間にて EF15161161号機昭和33年 2月15日 落成 東芝製 新鶴見機関区新製配置昭和37年11月20日 高崎第二機関区へ異動(貸出がS37.9.16~)昭和57年12月23日 廃車昭和57年1月5日 八木原~群馬総社間にて EF15200+EF641000「とき」を撮影しに行った時にたまたま捉えた200号機です。次位にEF641000番台を従えた重連仕業となっており、EF15の終焉が近いことを表わす絵面になってしまいました。逆光だったので表情が見づらいですが、200号機は高二では珍しくシールドビーム2灯化されています。この高二でも最後まで活躍した2両のうちの1両です。昭和60年2月9日 小野上~祖母島間にて EF15200牽引 工臨200号機昭和33年 9月17日 落成 日本車両・富士重工製 稲沢第二機関区新製配置昭和38年 8月20日 米原機関区へ異動昭和39年 3月12日 岡山機関区へ異動昭和44年 9月25日 高崎第二機関区へ異動昭和61年 1月18日 廃車この記事以外にも、過去ログ国鉄型電気機関車 EF1565:高崎第二機関区国鉄型電気機関車 EF15121:高崎第二機関区EF15165牽引:サロンエクスプレス東京があります。
2025.11.14
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189系彩野編成:東武鉄道直通特急「はちおうじ日光」189系彩野編成による東武鉄道直通特急「日光」をご紹介させていただきましたが、今回は新宿経由で八王子発着として設定された「はちおうじ日光」をご紹介いたします。平成22年11月13日 臨時特急「はちおうじ日光」なんら変わりません・・・。極めて稀なコースでもあり、使用車両は189系彩野編成に限定されました。平成21年7月19日 臨時特急「はちおうじ日光」近所のヤオコーに買い物の行ったら虹が出ていることに気がつきました。方向的に線路に向かってバックに入りそう。でも、ケータイしか持ってないし。タイムラグに翻弄されながら撮った1枚。調べてみましたら、「はちおうじ日光」でした。設定されてから車両の引退までにそれほど長い期間がありませんでしたので、列車名と車両の組み合わせとしては大変回数が少なかったです。できれば、専用ヘッドマークが用意されるとよかったですね。189系彩野編成:東武鉄道直通特急「きぬがわ」189系彩野編成:東武鉄道直通特急「日光」
2025.11.13
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JR貨物 DE101725DE10シリーズで、今回はDE101725号機をご紹介したいと思います。平成20年12月20日 吉原駅にて1725号機は、川崎重工製で、昭和50年1月11日、米原機関区の配置。国鉄時代の昭和58年6月11日付で稲沢第一機関区へと異動となります。そのまま民営化を迎えてJR貨物に継承、稲沢~愛知機関区の流れで令和4年度に廃車となるまで中京を中心に活躍しました。同機は平成18年3月の入場で更新色となったそうで、写真を撮った時点では更新後の姿となっています。
2025.11.12
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205系後期車:武蔵野線(メルヘン車)武蔵野線で唯一の新製配置となった205系は、最終増備車のいわゆるメルヘン顔と呼ばれる8連5編成でした。※導入時は6両編成1本を、10連1本の新製により8連×2に置き換えています。平成3年に配置されたこれらメルヘン顔の205系も30年近くが経過し、令和元年10月初頭の運用をもって最後の編成が運用から外れ、このデザインの205系が都心から姿を消しました。武蔵野線が東京駅まで乗り入れるようになり、多くの205系が転入してきた関係で、メルヘン車の遭遇率はそれほど多くなかった訳ですが、過去の写真を探してみましたら、一応全部の編成が見つかりました。平成23年7月7月3日 M62編成 回送 東大宮操~大宮間にて平成26年7月20日 M62編成 東浦和~南浦和間にて令和になっても運用されていましたが、2019年8月9日にジャカルタに向けて回送されました。平成31年3月3日 M63編成 西浦和駅にて令和元年5月3日 M63編成 東浦和~東川口間にてこちらも、8月23日にジャカルタに向けて回送されました。平成31年3月3日 M64編成 西浦和駅にて当該編成も1枚しか撮っていませんでした。こちらは一足早く、7月12日にジャカルタに向けて回送されました。平成31年3月3日 M65編成 西浦和駅にて令和元年5月3日 M65編成 東浦和~東川口間にて最後まで残ったメルヘン顔編成で、10月4日にジャカルタに向けて回送されました。平成23年1月18日 M35編成 新秋津駅にて平成24年2月11日 M35編成 新座~東所沢間にてメルヘン顔でM35を名乗る編成で、元はM61編成でした。最終増備車は東京地下対応で6M2Tとなっていましたが、当該編成のみVVVF化5000番台と交換され、さらに原型小窓の元山手線サハを2両挟んだ4M4Tとなりました。さらに、写真は古いので原型の方向幕となっています。平成26年9月17日 M35編成 西浦和駅にて同じM35編成ですがが、平成26年初頭には方向幕がLED化されたそうで、これも5編成の中では唯一であったようです。当該編成は5編成の中でも非常に特徴の多い異端な存在だったそうですが、私自身は特に興味のある形式ではなかったので、全然気にもしていませんでした。M35編成はメルヘン顔で最も早く、5月17日にジャカルタに向けて回送されています。踏切を持たない武蔵野線~京葉線のみの運用であり、武蔵野線生え抜きのために他線での走行経験もないことから、205系の中で唯一排障スカートを持たないオリジナルスタイルを貫いた205系後期車で、M65編成の消滅によりもうその姿を日本で見ることはできなくなりました。205系前期車:武蔵野線(その1)205系前期車:武蔵野線(その2)205系前期車:武蔵野線(その3)武蔵野線:京葉線内快速運転終了103系:武蔵野線101系1000番台:武蔵野線
2025.11.11
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JR貨物 EF640番台重連牽引:貨物列車(信越本線)国鉄時代、直流区間の山岳路線用として誕生したEF64。50年も鉄道写真を撮影した中で、EF640番台が運用されていた中央本線に撮影に行く機会が殆どなかったため、新型電機の中でも非常に撮影コマ数の少ないカマでした。そんな中、SL列車撮影の合間に撮った0番台重連の貨物列車の写真が1枚だけありました。平成6年11月 EF64重連 石油輸送貨物列車正確な記録を取っていないのですが、豊野~牟礼間辺りではないかと思われます。おそらくは中央本線から直江津方面へ向かう石油輸送の列車で、まだタキ3000を始めとする雑多なタンク車が使用されている頃でした。SL用のアングルでセッティングしているため、カマ番号やタンク車の形式などが分かりづらいのが勿体ないですが、EF640番台でこのようなシチュエーションの列車写真は他にありませんので、個人的には貴重な資料として残りました。
2025.11.10
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上田交通:5200系過去ログ『上田交通:5000系』で元東急5000系の写真をご紹介いたしましたが、今回は同日に撮影した通称「湯たんぽ」として親しまれた5200系の写真も撮影しているのでご紹介したいと思います。上田交通5200系は、東急電鉄5200系として昭和33年に製造された日本初のステンレス車両です。東急で昭和61年まで活躍、廃車後に上田交通へ5000系と共に譲渡されました。※撮影は、平成元年11月1日、上田交通別所線 下之郷~中塩田間にて。形と言いコルゲートと言い、本当に「湯たんぽ」という愛称がピッタリ。2両編成で運用され、デハ5201は電装化を解除してクハ5251となりました。部品取りとして中間車のデハ5211も一緒に転入しています。2本目はアングルを変えて。2枚目の後部から撮った写真では、奥に車庫を見ることができ、営業では使用されていない中間車(デハ5000)留置されているのが見えます。東急からは5000系が複数の車両が各地方私鉄に譲渡されましたが、さすがに年波には勝てず、保存車はあるもののすべて引退に追い込まれました。当該5200系も平成5年前半まで活躍しましたが、同じく東急の7200系導入により廃車となっています。なお、モハ5201は生まれ故郷の東急車両製造へ譲渡され、相方のクハ5251も上田交通において、両車とも大切に保存されています。
2025.11.09
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国鉄旧型電機 EF15142(長岡運転所)EF15シリーズで、今回は長岡第二機関区の142号機です。上越型として高崎第二機関区のカマと同様のスタイルであり、外観からは区別が付きづらく、地元を通っていたのかどうかすら定かではありませんでした。地元での定期スジは殆どなかったようで、同所のカマは殆どありませんでした。昭和57年6月 大宮駅にて 貨物線を通過中のEF15142昭和57年11月6日 水上駅にて 出発を待つEF15142牽引貨物列車偶然ですが、両方とも142号機です。上越形の中でも後期タイプで、ナンバーもプレートではなく切り抜き文字の車体貼付けタイプです。この形態はEF58の流れと非常によく似ています。また、この番台からパンタグラフはPS15が装備されていますので、この姿がオリジナルとなります。強いて改造箇所といえば、正面窓のHゴム化くらいでしょうか。142号機昭和32年 7月27日 落成 東洋・汽車会社製 吹田第二機関区新製配置昭和39年 3月 1日 岡山機関区へ移動昭和44年 8月21日 東新潟機関区へ移動昭和54年 5月15日 長岡運転所へ移動昭和58年 9月13日 廃車EF16との重連も撮ってみたかったですが、初めて上越を訪れた時には既に水上機関区のカマはEF64化後になっており、残念ながら1枚も記録することができませんでした。
2025.11.08
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令和7年11月6日午後くらいから楽天ブログの接続がほぼできない状態になっています。運営に問い合わせを掛けましたが、24時間以上経っても改善が見られません。新着を出しても皆さんにご覧いただけない可能性が高い状態となっております。もしこの告知をご覧いただけましたら、事情をお察しいただければと思います。
2025.11.07
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国鉄 タム9600形貨車:液化天然ガス輸送用貨車国鉄時代、液化天然ガス輸送用として製造されたタム9600形という貨車が存在ました。昭和48年の製造だそうです。タムという小型を想像させる形式でありながら、オタキ25000と同様の巨大な全長を持ち、さらには断熱カバーを纏ったために非常に大きい直径を持ちます。しかし、積荷がLNGガスという特性上、-162~-138℃という非常に厳しい条件で輸送を行わなければならないため、外観の割りにはタンク体の中身が小さく、その分荷重が軽くなることから、体形に似合わない「オタム」を名乗ります。簡単に言えば、超巨大な魔法瓶を貨車に載せているようなもんですね。昭和60年8月25日 栗橋~古河間にて残念ながら最後部に偶然に写っていた写真のみです。この貨車も大宮操車場時代に何度か添乗経験がありますが、とにかくスケールのデッカイ貨車なのに、「何でタム?」という印象が強かったです。Wikipediaによると、当初は量産されて定期運用を持つ目論見があったようですが、実現しなかったことにより4両しか製造されていなかったとのことです。さらに、1両目の9600は試作車で、車端部の荷役設備にシャッタードアが設置されていたとなっていますが、2両目の9601以降は観音開きになっていたと記述されています。私が大宮操車場で働いていた頃、何度もこの車両を目撃しており、もちろん添乗したこともありますが、見たことがあるのは車端部がシャッタードアになっている物のみの記憶しかありません。つまり、トップナンバーのタム9600ばかりを見ていたようなんですね。もっとも、ハンプでは同じ方向の貨車が繋がっていれば、中間に挟まって落ちてきてしまうことも当然ですので、すべてにおいて確認していたわけではありませんが、シャッタードアの車両が1両のみだったのいうのを調査した時に初めて知り、非常に驚いている次第です。同車はその車体形状の関係からか、添乗ブレーキはサイドになっており、太い手すりの感触は40年以上たった今でも残っています。オタム25000は貨物列車の大合理化後も残っていたようですが、昭和62年1月までに運用を終えたそうです。
2025.11.07
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国鉄 直流型電気機関車:EF6637EF66シリーズで、37号機です。私が撮ったEF66の写真の中でも一番古いものかもしれません。昭和53年頃 品川にて EF6637停まっている位置は品川客車区の洗浄線入換の引上げ線ですが、品川駅の貨物発着線から東京機関区への入出庫の際にここで折り返しを行っていたようです。EF58が停まっているところには良く出くわしましたが、EF66は殆ど見た記憶がありません。バックに停車している113系非冷房車の窓雰囲気も懐かしいですし、これから品川界隈は大きく変貌しますので、もはや遠い過去の記録となってしまいました。37号機は、2010年3月31日に除籍になったそうです。
2025.11.06
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令和元年 品川駅線路切換工事関連:京浜東北線前記事に続き、高輪ゲートウェイ駅開業に関係する品川駅構内の線路切換工事に伴い運休区間が発生した京浜東北線の様子をまとめます。前回の工事運休時は、上野~品川間が運休となり、南行が上野行きとなった訳ですが、今回は山手線が上野駅折り返しとなったため、次に折り返し可能な田町駅での折り返し運転が組まれました。南部北行は品川駅で折り返しとなっています。時間と気力の関係で、南部地域には行っていませんのでご了承を。※撮影は、令和元年11月16日、西日暮里駅にて。蕨駅の発車表示板は、田町行きの連続。前回は上野行きと東十条行きを交互とし、上野駅の折り返し間合いを確保しましたが、今回は山手線を上野止まりとしたため、田町駅での折り返しで山手線と交錯しないことにより、このようなダイヤ設定ができたものと思われます。イベント時にしか見られなかったような行先表示が実現しました。蕨駅にて E233系 9011A 田町行き実は、103系時代にも「田町」のサボは収録されており、クモハ+クハの中間連結部において職員のいたずらと思われる表示を時折見たことがありました。表示が「京浜東北線」と交互になるため、停車中の写真を撮ろうと思ったのですが、最近になってホーム内方に新しい柵が設置されてしまい、以前のような撮り方ができなくなってしまいました。西日暮里駅にて E233系 9015A 田町行き山手線との並走区間は、山手線の11両に合わせたホーム柵となっていて前後の余裕はあるのですが、ホームドアが設置されてしまったために停車中の写真撮影はもうダメですね。田端方も架線柱が交換されてからは真ん中にズドーンと。山手線はスッキリ撮れますが、京浜はダメダメです。蕨~西川口間にて E233系 9073A 田町行き蕨~西川口間にて E233系 9013A 田町行き西日暮里駅では10人近い撮り鉄が張り付いているのでアングルはあまり選べず、同じ写真を何枚撮っても仕方ないので早々に退散。しかし、あまりにもまともな写真を撮れなかったので、地元に戻って走行写真を。シャッタースピードが速いと表示が切れてしまい、遅くするとブレてしまうというジレンマ。さらにタイミングが合わなければ「京浜東北線」になってしまう。取り敢えず見られるものをトリミングでごまかして仕上げとします。前回の工事運休からわずか1年半、ホームドアやホーム柵の設置により、駅撮りの融通がまったく利かなくなってしまいました。安全対策に加え、撮り鉄対策としても十分に威力を発揮しているようです。
2025.11.05
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令和元年 品川駅線路切換工事関連:山手線令和元年11月16日、高輪ゲートウェイ駅開業に関係する品川駅構内の線路切換工事が実施されました。これに伴い、山手線及び京浜東北線の一部区間が運休となり、上野東京ラインの増発などが行われました。工事現場まで取材する気はありませんでしたが、途中駅での折り返し運転が行われることから、今後はなかなか発生しないであろう行先を記録するため、ちょっと都内まで足を延ばしました。今回は、前編として山手線について記事にします。山手線は、始発から16時頃まで、大崎~新宿~上野間の折り返し運転となり、上野~品川~大崎間が運休となります。「大崎行」は普段から存在しますが、「上野行」は極めて異例です。※撮影は、令和元年11月16日、西日暮里駅にて。E235系 9064G 内回り内回り電車ですが、なんといつもどおりの「山手線(池袋・新宿方面)」で、唖然としてしまいました。当時は、後部の表示がすぐに切り替わってしまうことを知りませんでした。E235系 9017G 外回り続いて外回りです。こちらもなんと「山手線」のみ。普段なら「山手線(上野・東京方面)」になっていると思いますが、あまりのシンプルさに唖然です。E235系 9003G 外回り何本か待ちましたが、やはり「上野行」の表示は無いようです。民営化以降、工事による山手線の運休は史上初だそうです。そんな中、せっかくのイレギュラーを記録しようと思っていたのですが、あまりにもインパクトのない内容でした。強いて言えば、経由表示のない「山手線」はレアなのでしょうかね。次回は、京浜東北線についてアップいたします。
2025.11.04
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JR貨物 EF81627EF81シリーズで、今回はJR貨物所属のEF81627です。昭和44年9月6日、EF8127号機として三菱で誕生したカマで、富山第二機関区に配置されています。以来、北陸本線を中心に活躍し、民営化の際にJR貨物(富山機関区)へ継承されます。その運用範囲は関西から青森まで広範囲で活躍しました。改番により+600番台が与えられ、EF81627号機となります。600番台の中で最若番でした。平成27年1月25日 富山機関区にて北陸本線での撮影を行っていた際、機関区に留置中のEF81627を撮影したものです。複数が繋がっていた記憶ですが、手前の車両に隠れていたためこのような構図になっています。隣のカマも同形態で、おそらくは同時に休車となっていたEF81628号機と思われます。この時点において初期車は既に運用を離脱しており、廃車待ちの留置と考えられます。しかし、そのまま永らく保留となっていたようで、令和元年度になってから除籍されたそうです。
2025.11.03
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団体列車:寝台急行「天の川」で行くあきたの旅平成25年11月2日、東京駅からDD51が牽引するブルトレを運転するという、極めて異例の団体列車が運転されました。正式団体名称は、『DD51に魅かれて 寝台急行「天の川」で行くあきたの旅』。あらかじめパンフレット等で時間の告知はされていましたが、ダイヤ情報を含む雑誌等には公開されなかったため、混乱した方も多くいらっしゃったのではないでしょうか?私もそのうちの一人です。地元ではまずDD51牽引の列車を見ることはなく、これは私が地元で鉄道写真を撮り始めた昭和40年代後半以降からの歴史であり、上野駅へ成田線からの乗り入れがあった程度しか見たことがありません。2011年に『DD51842:快速「烏山山あげ祭り」』が2013年に2日間運転された訓練運転があったくらいです。もっとも、その訓練運転もこのDD51牽引の臨時列車を運転するためのもの(普段DD51の機関士が24系を牽引したことがない、或いは田端区機関士の緊急対応用)ではないかと思っています。そんなことで、不確実な夜より明るいうちの回送を狙いたいということで、スノ・ラビさんから情報を得てなんとか撮影することができました。※撮影は、平成25年11月2日です。DD51842 回9842レ 団体列車「天の川」送込み回送団体旅行の告知絵柄どおり、得体の知れないへッドマークを取り付けていました。現役時代の急行「天の川」はヘッドマークなんかもちろんありませんし、24系も使用したことはありません。普段は貨物線を行く列車を後ろ向きメインで撮ることがなく、撮影場所の設定に困りました。結果的に強引なアングルになってしまいましたが、ヘッドマークメインということで妥協。スピードが非常に遅かったため、なんとか助かりました。本番は19時ころの通過。30分以上前から準備万端整えて余裕をかましていたのですが・・・出掛けに大宮時間を赤羽通過と勘違いしてしまい、目の前で撮り逃すという大失態。なので、残念ながら画像はありません。EF651115牽引 回9842レちなみに、送込み回送はPF1115号機牽引のプッシュ・プルとなりました。本運転には補機は連結されず、高崎からはEF81が牽引しています。今回、なぜ急行「天の川」としたのか、上野発とせずにわざわざ山手貨物線経由の東京発としたのか、なぜこの区間で牽引実績の皆無だったDD51の牽引としたのか、謎だらけの団体列車でした。EF641000番台牽引 20系寝台客車:寝台急行「天の川」EF58牽引 20系寝台客車:寝台急行「天の川」EF58牽引 10系寝台客車:寝台急行「天の川」
2025.11.02
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ED75700番台牽引貨物列車:奥羽本線今回は1枚のみですが、奥羽本線で撮影したED75700番台牽引の貨物列車です。昭和61年9月9日 奥羽本線(撮影地不詳) ED75700番台牽引 貨物列車撮影場所が不詳ですが、多分、鷹ノ巣辺りだと思います。寝台特急「日本海」の写真を撮るために構えていた際に通り掛かったもので、編成は短く、ワム80000やタキ・トラ・コキが少しずつ連なる区間貨物っぽいです。59・2改正を過ぎていますので、既に緩急車の連結もなく、ローカル然とした編成ですが、さらに時代が進むと、辛うじて残っていた駅扱い・車扱いも殆ど廃止され、このような編成も消えていくことになります。国鉄時代末期のローカル貨物の最後の姿です。
2025.11.01
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