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金曜日にはテヘランの下町にあるバザールへ 山手と下町では温度が異なるし、雰囲気も異なるので、 服装はできるだけ目立たなくても、 涼しくて疲れない普段着で行きました。 この日は夜、結婚披露宴を控えていましたが、 お昼頃義姉1の末娘から連絡があって、 下町にいく? もしもあなたたちが行くならば、行こうって思っているの・・・ 私は、 やることはいっぱいあるけれど、 息子は長い夏休みに突入して、ここ数日家で腐っている、つまらなそうにしている…と思ったので、 行くことにしました。 その前にいったのは、2年前でこの日来ていった画像の外出上っ張りを 購入して、暑い夏でも涼しく過ごせて、とてもありがたかったのです。 でももう、後ろの襟の部分が傷んできていたので、 また数年お世話になる涼しい上っ張りが見つかるといいな・・・っと。 1着でも見つかれば…と思ってましたが、この日は私が一番多く買い物をしました。 この日の夜きていったお招きされたときに着るマントーを 格安値段で購入し、室内の上っ張りと、 涼しい外出上っ張りの三着購入しました。 金曜日は休日なのでシャッターがおりているお店が多く、商店街の混んでいる様子は、なかなか撮影する勇気がなくこんな画像ではありますがご覧下さいませ。 左上はバザール近くにあるマスジェット イスラム教会 ですが庭の池というか、神社でいう手水する場所は水がなく残念でした。 イスラムでは手足を清め、顔と額の上も清めます。シーアとスンニではやり方が異なり一概には言えませんが…
2015年05月31日

義理妹2宅の引越し祝いのお返しpartyの画像… 私には義理姉が2人、義理妹が4人いるのよ〜♪♪ 見慣れないお料理は焼き茄子を使った伝統料理。あんまり意識してないけど、なんかすごく忙しいみたいなのです…自分のことも他人事だと疲れるのは身体だけ〜♪♪忙しさを自覚しないとストレス激減(笑)にほんブログ村
2015年05月31日

物語詩 〜 オアシス 〜風が吹き抜ける四方八方東西 南北より風が吹く何処から何処へどんなふうに吹くのか風にもわからぬままに砂漠の熱き黄砂さらいはるか南方より風は至りて覆い尽す灼熱の太陽の光さえラクダ連れた商隊は行く手阻まれ脚をその場に踏み留めんとすはぐれぬようにと仲間と声掛け合いおののくラクダ引く綱強く握り重心を下げ風圧を低くすその甲斐虚しく彼らは既に半身を砂と化したすべてを砂と化す風は今まさに砂と化さむとする人々が愛する人の声を伝うラクダの背に積まれた荷を心待ちする人々の声運ぶその声はまるで風に弄ばれ狂ったように紙屑が如く流さる鳥のようにだがそんな時でさえオアシスは歌うように水涌きいだす気まぐれな宙(そら)吹きいだす風にオアシスはその美しき顔に波紋寄せ波紋は波紋を生み広ぐけれど・・・乾いた砂漠の美しきオアシス何にも歪むことなき冷たく徹る横顔をさらけだしオアシスの底は静かにその様を映しいだす人々の身も心も癒すオアシスはオアシスはオアシスはただその様を映し出すのみ…… にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月29日

ある事物、現象、事象に対して、人それぞれの捉え方がある。風 というものに対しても、風は自由気ままである っと捉える人もいれば、わたしのように、風はそれ自体吹き方も、吹く方向も決めているわけではないし、あるいはどのように、何処へ吹いているのかさえ、わかっていないのかもしれないし、たとえそれを意識していたとしても、それに対してどうすることもできないのだろう、っと捉える人もいる。事物(風)そのものは現象に過ぎない。それを、その人がどのように捉えているかというその捉えた内容は、単に、その人が捉えた、相対化した形状・様相・概念だけでなく、捉えた、相対化したその人自身をもその裡に描き伝えているのだろう、っとわたしは思う。事象の捉え方にわたしは、その人の世界(世界観)を垣間見る想いがするのだ・・・風捉はむと言の葉にのせ捉へしが捉へしわれも裡に囚はれにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月28日

身も魂(たま)も透け合ふたとて君求む指先覚(おぼ)ゆ触るゝぬくもりこゝろ求める対象とひとつになりたいという気持ちは、みな抱いている想いではないかとは思うのですが、わたしは対象が人であろうが、宇宙であろうが、月であろうが透けてしまえば本望っと、ずっと想っていたので、皆同じなのだろうとすっかり勘違いしていたことがありました。対象に透けて溶け合いひとつとなってもひとつになってなお、その対象のぬくもり というか 温度 というかそういう物理的な感触?(の記憶???)が非常~~~~~~~~に重要で、そこの部分はゼロであってはならなかったのですね。シャロン という曲を最近耳にして、そのことをわたしは気付かされました。(っと申しますか、、、半年以上前、ブログなどを拝見していても、なんとなく う~~~んこの感覚の相違はなんだろうか?っとは感じていましたが、その正体がいまひとつふたつ、みっつ、鈍感なわたしにはわからなかったんです。この曲のサビの部分、はてな?もしもわたしだったらそこは、透けてしまいたい それだけ それだけ それだけが欲しいと歌詞を綴るところだけれども透明な温度・・・ ”温度” なのか!!ああ、そういうことだったのか。。。っとようやく、わたしが感覚的によくわかってなかった、こだわりの(男女?の)相違点 というものをはっきりと理解した次第にございます。女性でもこの辺にこだわる方も多いとおもうので一概に男女の相違とは言えないだろうし、、、もしかしたら、温度 にこだわってないのは 変人のわたし だけ?!なのかもしれませんが・・・。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月27日

一粒の雨握りしむてのひらの裡のひと雫煌き落ちて思ひ及びぬ握りしめたわたしの手のひらの裡にあった一粒の雨ほんの一瞬キラリと光って落ちていったひと雫がポロリと落ちてその時になってようやくわたしはその存在に気づくのでした無意識にも手の裡に握って掴んでいたそのたった一粒の雨を虚しい儚いと想う方もいるでしょうわたしだったらきっとそれをただ、愛おしく思うだろう握っていたひと雫がこぼれ落ちて消えていってしまったときなお一層愛おしく想うだろうわたしの瞳からはその一粒を追うようにあとからあとからたくさんの雫が滴れるだろうそしてそのあと絞り出すような嗚咽がきこえるかもしれないこぼれ落ちてしまうまでたとえ無意識でもわたしが手のひらに握りしめて一緒にその場をやり過ごし凌ぎわたしのこゝろを潤してくれた珠玉のような一粒の雨を想って・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月26日
習い始めて2ヶ月…昨日今まで19年近く使っていた、日本にも持っていったことがあったSetarに感謝を述べ、新しいものを購入しました。こちら からお聴きくださいませ。
2015年05月25日

先日作ったチキンライス。干しぶどう入り。美味しゅう御座いました。チキン小さく切るの忘れて大きいです。いつもこうではありません。
2015年05月25日

閃光を逃れ助けを求むよに雨は激しく窓を叩きてそんな雨粒を我が家に招き入れ、この画像を撮影しました。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月24日

短編 ~風が風であるなら~五月も二十日を過ぎ、あなたの街の風も、街路樹の青葉と同じ薫りを漂わせている頃でしょうか?わたしの佇む異国の窓辺には、南の町には澱んだ靄が気怠く寄りかかり、北の山には緑萌え、真っ青な空には大きく厚い真っ白な雲が、灼熱の国の物語の、ランプの精のように突然姿をあらわして、今年の猛暑の兆(きざし)をみせているようです。突然・・・連絡を絶ったことをお許しください。あなたの心に投石する行為だったら、お許しください。わたしがこう望んだとか、これで良かったのだとか、わたしはわたし自身のことであるのに、言い切ることができないでおります。もしかしたら、優柔不断で煮え切らぬわたし自身の心に、身体が苛立ち、衝動的にお傍を立ち去ったのかもしれません。わたしの身体は、わたしが気づいているよりずっとずっと、あなたのお近くにいるだけで甘ったれ、ほっとかれたら弱くて脆い、そんな 心 に我慢がならなくなっていたのかもしれません。そしてまた、あなたから少し離れさえすれば、わたしの心はふたたび引き締まり、地面をしっかり踏みしめるだろう、そんなわたしの心の強さの一面を、わたしの身体は知っていたのかもしれません。・・・・・・・・・こんなふうにもっともらしく、あなたに書いてみてはいるけれど、わたしがあなたに語る説明やら言い訳は、まったく何の意味にも、理由にもなっていないし、本当は意味も、理由もないのでしょう。わたしはふと、こんな風に感じたのです。無数のあなたという風が無数のわたしという風がこの相対の世界のなかで異なる風向きに異なる温度異なる強さで時に 優しく混じり合い時に 激しくぶつかり合いいつでもどこでも吹き透っていますある日突然わたしがあなたと出逢いまたある日突然わたし(あなた)があなた(わたし)の前から去っていくのはあなたとわたしの正体が風であり風が風であるならば不自然ではなくむしろ自然の成り行きだったのではないか?っと。もしかしたらいつかまたおなじような時期の同じような気候に少し温度と風向きを変えてあなたという風とわたしという風は出逢うのかもしれません・・・そしてまた出逢うことは二度とないのかもしれません・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月24日

丸焼きはまだオーブンの中でジュウウウウ~~~~っと音をたてていた画像で、見栄えがしないのですが、ご勘弁を! にほんブログ村
2015年05月24日

寄せ返し途絶ふことなき波音をこゝろの海は響かせやまぬ寄せては返し途絶えることのない波音をこゝろの海は響かせ続け止むことはない うち寄せてまた引き返す波のようなこころという海の連動・・・抑え難く堪え難く喜怒哀楽が渦巻き時に美しく時に醜悪に波音のようなこゝろの連なる動きは止むことはない にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月23日

言葉舟うたかたならむと人知りてなほ待ち焦がるわれを乗せむと言葉も言葉に乗せた想いも一過性のものなのにそんなことは充分承知していて それでも人というものは言の葉という葉っぱで作られた美しい小舟を待ち望むそして小舟がやってきたらいつ沈んでもおかしくないうたかた(泡沫)のような言の葉の小舟に寄り添いたいと欲するのだ・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月21日

昨日は、義長姉とその三女と、新しいショッピングモールへ… 海外ブランドの店舗が連なり高級感溢れてました。テヘランの山手にあります。ここでは何も買いませんでした〜。無料駐車場と、WCを二回ほど拝借したのみ(笑)暑くなってきました〜。日差しは焼けるよう…イランは野菜、果物が豊富です。緑の山は若いアーモンドの実です。塩をまぶしてカリカリと、音をたてながらいただきます。青い春の味と香りがします…八百屋の様子…全てキロ売りです。買い物は結構男性がして家計の財布の紐握っているのも男性だったりします…ちょっと買い物すると7-8キロ腕に下げることになります。髪をまとめるクリップと、袖なしハイネックのインナーを2着購入…ほとんど買い物せずブラブラ眺め歩いたのでした。にほんブログ村
2015年05月20日

ある御方の詩を拝見して想ったこと…もしわたしが失恋したとして、(否嫁姑の確執でも、夫婦の痴話喧嘩でも!!)そういう記憶、思い出、思い出の品などを焼却したり、封印して埋めることがあるならば、それは 思い出やら過去を、夢を見ていた のと同じにする為かな…?っと思った。(拝見した詩のヒロインさんとは全然違った!!)っとこんなこと書いているわたしは、変人だろうけれど、大真面目な気持ちでこれを記している。過去をなかったことにするのは実に難しい。過去を引きずり縛られるのは重く苦しい。かといって悪夢のような過去を、これは良い人生経験だったのだなどと、前向きに受け取ろうとする方も多いと思うが…ひねくれもの、我が儘者のわたしには、到底できない…。過去の記憶は、そうそう消そうったって消えないし形だけ焼却、消去したところで、ハードディスクには残っている訳で、良い経験をしたんだとか、人の痛みがわかるようになったのだとかで、無理矢理痛みを片付けられてしまった記憶は、かえって歪(いびつ)で不自然のように、わたしには感じられるのだ…それだったらこりゃ夢のようなものだったっと思った方がいいかな?っと思うのだ。悪夢のような過去はありゃ、悪夢だったのよ !でいい。夢のような過去はそうそう、うーんと良い夢見させて貰ったのよね〜 でいいと。もともと過去は、自意識とか、主観でしか認識されないもので、そう夢と変わんないものじゃないかしら?同じ過去でも過去を共有したはずの人とは、時を隔てれば記憶の方も、案外大きな隔たりがあるものだから。歴史認識の各国の相違はその極端な例でしょう。過去はいくらでも良いようにも、悪いようにも夢の記憶のように書き換えられちゃうものね。だったらその実に曖昧で、胡散臭くもある、記憶を 過去の ”事実” と 認識せんがために、前向きに良い人生 ”経験” として、不自然に刻みつけるより、夢 と五十歩百歩しか違わないもの、って思った方が、わたしにとっては自然なのだろうと思う…(過去の痛みは、心にわざわざ刻まなくていい。見た夢のようにすっかり忘れた方が良い場合だっていっぱいあるし、思い出すまではありゃ、いつの日だったか見た夢よ っと思っていた方がいい…ある場面に遭遇した時になって、ようやく思い出すような、ただ身体のどこかで、無意識に記憶していれば充分だとわたしは思ってる…)だって、人は皆同じ時間の流れ、同じ空間にいるようで、実はそれぞれ異なる己の意識でしか、時の流れ、過去を含めた万物、事象を認識できないじゃない?感受感じ受け取れるものしか受け取れないのだそれは最初からサダメられていたという程に平等であるそういう意味では、その時々、一瞬一瞬の、時の流れの水かさ、流れの速さ、温度はともかく人は主観によって人生や世界を認識しているに過ぎない。真の世界唯一の世界なんて ホンモノ はどこにもない。有るのはその人の 世界観 で自意識を有する人間の数だけの世界があるだけで、それがまた、それぞれ の 本物 でもあるのだろう。その一点に於いて、われわれは平等なのだろうとわたしは感じている。にほんブログ村
2015年05月20日

〜相対的世界の無限と限界〜世界観の数だけ世界が存在するわたしと関わる人の数だけわたし が存在するわたし というものにこだわる限り……にほんブログ村
2015年05月18日

*画像は切り取りましたが一切加工してません。 ”空想” 思いは重い 溜めれば心潰れ 懸ければ其(そ)を圧(お)す だからわたしは 思いは想いに 空に描き 空へと還す
2015年05月17日

*画像は切り取りましたが一切加工してません。感じ受け取れるものしか受け取れないのだそれは最初からサダメられていたという程に平等であるにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月16日

ウサギ あの娘は俺のこゝろをチラリと覗いてから こう伝えてきたっけ・・・ ”こゝろの地下鉄駅には出入り口がなくてさ 嗚呼 っと 小さいため息もらしたって トン っと 崩れた膝が地面と鳴らす微かな音だって どんどん大きく響いてく あんたが出したそれらの音に あんたのウサギが血走った眼をして身を縮こませるの” っと・・・ ********** あの娘がどこの誰かなんて俺は知らない これまでどうしてたなんてことも 知らん顔して過ごしてるさ 俺だって俺自身が いつからここにこうして座って過ごしているかなんて すっかり忘れ去ってるんだし 俺はこのギターとともに うつろう太陽と月の満ち欠けと流れる星を背景に このベンチで寝転んだり座ったりしてきたんだ 来る日も来る日も 来るあてもないバスを待つベンチで… でも そう想っているのは俺で 俺は流れ来ては去ってく窓の景色を遮断してるだけで このベンチこそがもしかしたら 俺の日常というバスかもしれないけど… 陽が傾きかけた時刻だったか 俺の傍らにもう一人ぐらい座れるだけのスペースをあけて 気がついたらあの娘の影があったんだ 俺と同じようにあの娘の胸の真ん中にも ウサギ が住み着いていた 憂さ という毛を纏った生き物さ あの娘の胸の真ん中の大きくポッカリ空いた穴に頭からその身をつっこんで 真っ白いフワフワの毛のしっぽと後ろ足だけこちらに晒してたよ 俺の胸の真っ黒いウサギも顔出して あの娘のウサギのまあるいしっぽを怪訝そうに覗いてた 俺もあの娘も俺たちが胸に抱えてるウサギになんか ちっとも気づかない素振りしてたけど あの娘は下ろしたリュックの中から ノートと鉛筆を取り出して描きはじめた あの娘より高い座高を利用して 俺はそのノートの中身を横目で覗いたんだ そのノートはウサギの森のウサギの住処だった きっとあの娘は毎日毎日飽きもせず ウサギの森を刻銘に描いて過ごしてきたのだろう 絵を描いてるあの娘の横顔の唇と頬が 澱んだこの俺の瞳にさえも愛らしくて 俺の存在を重苦しくあの娘が感じないように 俺はギターを引き寄せ 毎日欠かさず指慣らしがてらに弾く曲を鳴らし始めた 俺がギターを鳴らし始めたって君は振り向くこともなく 聴いているのか いないのか? その耳には届いているのか? 君はノートの白地に線を引いて陰影を描き続けてた まあいいさ 俺はそのうち 君の素振りや存在が気にならなくなるほどに ギターが放つ音の波に深く沈んでいったのだった 藍色のveilを纏った海底に 金粉を撒き散らして鈴のような唄声がきこえてきた 俺にはわからない言葉響かせ その言葉は 牛馬のように鎖繋がれ連れ回され 売られて散々働かされる人々が 仲間同士で遣う言葉だろうか そんなことはどうでもいいさ 押し寄せる波が渦巻くような 俺のギターが奏でるメロディーにぴったりの声色なら 君が征服者に従う婢なら 俺はフラフラ土地から土地へ 竪琴片手に唄い彷徨う吟遊詩人で その吟遊詩人はいつしか 竪琴に合わせて唄う声を失っていたのだから スっとまっすぐ俺に向けられ 君が差し出した真っ赤な林檎は 綺麗に半分に割られてた 嗚呼 そうだね この林檎は君が鎖につながれ 昼夜を問わず働いて得た林檎 そして君は 俺の胸のウサギにも食べさせてやるようにと 小さくて白い手の 鉛で真っ黒に染まった指で 俺にそう伝えてたんだ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2015年05月15日

T氏へ発想のきっかけとなる御画像、御言葉に感謝致します。 かれ(枯れ・離れ)つゝも頭(かうべ)垂れつゝなほ花のおもひ向かふは望郷の海にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月13日

今日の空模様を眺めるように今日もわたしはこゝろ模様を眺めよう雨の日には雨を風の日には風を嵐の日には嵐を部屋の窓辺から空が泣いてるなら泣いてるのを空がわらってるなら笑ってるのを空が怒ってるなら怒ってるのをこゝろの窓辺からわが裡の不快指数を推しはかりこゝろ装ひけふを過ごさむまだ梅雨の季節には早いんですがね・・・こんな言葉が浮かんできたので御座いました。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月13日

”木憶 きおく”高台にはえるあたしは一本の木だった毎年春になるとくれなゐの花を咲かせ人々の目と心を彩ったお紅(おこう)とあたしは呼ばれてたある年の春あたしは例年に増して色濃いくれなゐの花を真っ青な空に挿頭してたあたしのその艶姿は一匹の白蛇に見初められた蛇はそのまま去るにされずあたしのうろに居着いたのさそれからまもなくおとずれたのはあたしが一世一代の艶姿を脱ぎ捨てた日でそれはあたしが禁犯した日であたしに恋した白蛇とあたしはひとこと言葉交わしたにわかに空かき曇り風吹き荒れ暗雲立ち込め神の怒りのイカヅチがあたしの身を砕きあたしはあたしを取り上げられあたしでしかないあたしだけを許されて微塵にされて木っ端となって崖から荒れ狂う海へと堕ちてったうねりに巻かれ巻きつけられてあたしはあたしはおちておちておちておちておちきるとこまで堕ちてったそしてそのあと木っ端となったこの身ゆえながいながいながいながいとしつきかけて海の面に浮かび上がってた目を開けたら青空の海に太陽が浮かんでた風のざわめきで目が覚めた太陽と目が重なった太陽と目が重なったのに眩しくなくて気がついたらあたしはその目を見つめてたあたしは自分のことを碧い風に漂う波と思ってたけどヒンヤリ ソッとあたしの上を行ったり来たりしてるのは波だったあたしの身とあたしの頬を愛おしそうに眺めながらずっとずっとずっとずっとあたしをなぞってたのは波だったそして波は長々と畝ねる白波はあたしの耳に繰り返し繰り返し繰り返し繰り返しこう囁いてたわすれないよわすれない わすれないでよわすれないで・・・ 追記: 文章は記した時点で、読者の方にご覧頂いた時点でひとり歩きしていきます。 どのように受け取ってくださっても良いのです。 おこう が 木のままであるのが良かったか、 木っ端になって良かったか? は読者の方々にお任せ致します。 おこう は善悪では自分の道を決めらなかったかも。 心中もの と言う分野が文学にあります。 今の時代より裁きの厳しい時代のこと、 そんな時代の恋を想い記しました。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月12日

五月になると想い出すのは蟹狩り。魚屋さんでもらった魚の腸を、虫取りあみに入れて輪ゴムで縛って、それを大人の身丈半分ぐらい沖へいったところへ差しこんでしばらくすると、網にうじゃうじゃ蟹が引っかかっていました。小学4・5年生の掌ぐらいの蟹をポンっと半分に叩き切って、熱湯に放りこみ作ったお味噌汁の味は格別でした・・・これは父との懐かしい思い出です。蟹狩りせし 磯波(いそなみ)描く 青嵐(あをあらし)新緑を激しく揺する風は、遠き日に蟹狩りをした磯辺の波、くるくるくるっと巻き込んでいく引き際の波を、わたしに思い浮かべさせます・・・残念ながら、そういう画像は持ち合わせておりませんでしたので、以下の画像(トップページに掲げてある波の画像)を、新緑が揺れてざわめくイメージと重ねて加工いたしました。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月11日

今朝は、明ける前に叩きつけるように吹き荒ぶ風雨で目覚めました。朝は1時間、お掃除をしたのですが、目覚めた息子は高熱に嘔吐。。。病院に連れて行きましたが、嘔吐のためなにも食べられず、薬もあげられず、座薬は息子が絶対拒否の姿勢を崩さないので3.4時間も彼は熱にうなされていました。お豆を3種、ハーブを5、6種、お肉、玉葱、お米でお粥のような雑煮のようなものを作りましたが、彼が食べられたのは午後3時でした。今日は母の日だったのですね。わたしは明日が誕生日で、日曜日生まれなので母の日に生まれました。そしてふと、母がわたしをこうして同じように、病弱だったわたしを看病してくれたことを想い出しました。高校生の時に、ひどく体調を壊したわたしを、母が背負って長い長い階段を、昇ってくれたことがありました。きざはしを 吾負ひ昇る 母の身の震へは胸に 刻み伝ふて 背負われた私はこの時、母の震える呼吸と身体を感じながら、私は一生このときのことを忘れないだろう、、、っと想ったのでした。以下は去年作った歌ですが慈(めぐみ)とは母にやあらむ我彼(われかれ)も胎(たい)よりいでて愛(め)で育(はぐく)まるにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月10日

最近、thee michelle gun elephant の音楽と知り合った。はじめて聴いたときに、彼らの音楽の中には、わたしが学生時代に聴いていたいろんな音楽の影がみえるような気がしたのだった。わたしは一曲聴いてあっという間に好きになった。わたしの耳に馴染みがあるのは、たんなるわたしの妄想だろうなあ・・・とも想ったのだけれど、しばらくたってから、彼らのギターさんのことが気になってしまって、曲を聴いているうちに、彼のお顔がすご~~~くみたくなったのだけれど、彼はなかなか動画の中でさえ顔を見せなかった・・・彼はおそらくcameraが好きでなく、おそらく口の重い、なかなか人と馴染めず、職人気質でギターを弾いていらっしゃる人なんだろうな・・・などと勝手なことを私は想ってみていたのだった。その夜、ギターさんのことを調べようとという気になって、彼らのことをネットで調べたら彼らとわたしは同世代だということがわかった・・・。ごく最近まで私は全く彼らの存在を知らなかったのが不思議なぐらい!そしてまた、わたしが興味惹かれたギタリストさんは、お亡くなりになられていて、私は本当にびっくりしてしまったのだった。彼のご冥福を祈るとともに、とびっきり素敵なギターを聴かせてくれてありがとうっという言葉をわたしは伝えたのだった・・・最初に聞いた時以外は、ランニングするとき彼らの曲をわたしは聴いている。彼らの音楽を聴いて走るとあっという間に4キロ完走できる。そして彼らの曲で走るようになってから、なんと数分も早く走り終えられるようになった。ゲット・アップ・ルーシーG・W・Dキャンディ・ハウススモーキン・ビリーが好き。シャロン は音楽だけ聴いていた時は、インパクトはいまひとつだったのだけど、今日は、歌詞に耳を澄ませながら走っていた。聞き取れないところもあったけれど、歌詞に集中して聴いていると、、痛い痛い、痛い。胸が痛くて痛くて、突き刺さるような痛さではなく胸が引き裂かれるような痛みをわたしは感じた。魂がギリギリのところで、、それでも絞り出すように 切望 しているのだ。自分の病みであり、闇である、それでもその やみ にわたしがしがみついて、どうにかここに、足を踏みとどめた時、、、その景色がわたしのどこかに、浮かんできたからかもしれない。シャロン は 良いとか好き とは、まだ私には言えない曲・・・わたしの一番のお気に入りは↓こちら世界の終わり / thee michelle gun elephantこの曲の全てが好きだけれど、この歌詞は、、、真髄を見徹しているとおもった。底なし沼のような、得体のしれない、すべてを吸い込み、飲み込んでしまうような、そして、形があって形がない、それでいて、器(うつわ)である、女性 というものの 本能と本質をよく見抜いているな・・・っとわたしは想ったのだった。こんな言葉がわたしに浮かんできた。明日この身戦火に巻かれ果つるとも孕み産み出づおんなてふものこの詞で歌われているようなところがないと女性は、戦火はげしく、悲劇的な、明るい未来などとても描けない常にその身は死と隣合わせで明日果てるかもしれない状況にあっても、みごもり、十月十日も胎児を我が裡で育み、世界の終わりのような世界へそれでも我が子を産み出(いだ)すことはできないのだろう・・・ にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月09日

陽光強く眩しく風吹き通り時に激しく音を立て街若葉 風の波受け ほとばしり新緑が溢れいずる泉のように私には見えるのです……
2015年05月08日

ラザニア、 グリンピースご飯 、鶏丸焼き、ピーマンの肉詰め、ハーブ、サフランとグミのご飯、小豆の煮物のようなものは、adasi アダスィ と言われるもので、塩味でバターを溶かしていただきます。にほんブログ村
2015年05月08日

妄想と人いふ毛布幾重にもきつく巻きつけわれは今宵も限りなく欲深く限りなく我侭なわたしは自己満足という名の毛布を心に何重(いくえ)も巻きつけて寒さをしのいで過ごしてきたのだろう過ごしていくのだろう私は毛布を抱え毛布を巻きつけて今宵も眠る人には妄想であってもわたしには毛布でこれがなければ寒くて眠れやしないから・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月08日

歩の先に探し求むは花でなし風舞ひ揺する季々の言の葉歩んでいく先にわたしが求めるのは華やかで艷やかな人の目を惹きつける花ではなく偶然的に風が舞って揺する季節毎の木の葉のような言の葉たちです花ももちろん、季節的なものなんですがねえ・・・なんというか、惹きつけ方として、色鮮やかで美しいからというごくふつうの一般的な理由からではなく、どこにでも、そんじょそこらにあるけれど、その時節、その一瞬というタイミングによって、あっ! っと見る人に驚きの声をあげさせるような舞う風が揺すり音立ててざわめく木の葉のような言葉をわたしは求めていきたいにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月07日

夏衣薄く透かして魅する雲誰にぞ焦がれ身を朱に染むる夏という季節をうっすらと感じさせるように透かし見せて魅了する雲は黄昏の刻になると一体誰に焦がれてその身を朱色に染めるのだろうかにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月05日

日暮れゆく雲の流れに夏の影そろそろ…立夏!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月05日

浮べしは翠(みどり)の風に鯉のぼりこの素敵な青空と風に何が似合うかしらと思い浮かべたら… 鯉のぼりだったわ!!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月04日

奇譚 飲食と一対の貘雄の貘は友にいいつけウエディングケーキを持ってこさせた雄貘の大切な イベントステージ へそれは大きなウエディングケーキの上の方だけだったケーキの上には結婚指輪そして花・・・花と指輪は手作りだった雄貘は精魂込めて作ったのだったそれを観衆に披露した後その指輪と花だけを手で掬った雄貘は己の口へと運んで喰らった黒い色した液体を大きなペットボトルから静かに口に雌の貘の口に雄の貘が注ぐ雄は雌に飲ませたくどうしてもどうしても・・・雌は理由も味もわからぬままにそれを口にし飲み込んだ大勢が見届けるなか雌貘はそれを飲み干した******************飲み喰(は)むは生きる証にあるならば吾 夢喰らふ貘であらむ飲み食いすることは生きている証であるならばわたしは妄想も夢も絶望も希望も・・・食べ尽くす貘であろうにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月03日

この子はわたしの襟足に身をすり寄せて、眠ってしまいます… これは昨日の画像ですが、 今もかれこれ1時間前から、 わたしの首にまとわりつき離れません。 ここ数日は息子よりもわたしにベッタリ。 息子が、引き離そうとしても嫌がります。 外は暑い感じがするんですが、 家屋はまだひんやり… インコには少し寒いのかしら。 わたしの体温が丁度良い?!
2015年05月02日

頬に描(か)かれた涙 一粒空突き抜ける月のよな笑顔に歪む涙 一粒ピエロの頬の涙 一粒闇のテントに湧き上がる笑いの渦の真ん中にそれは輝く一番星闇灯す笑顔の人は人知れず涙の色を知り尽くせりや暗い雰囲気や場面を明るく灯してくれる笑顔の人ってきっと人一倍人知れず、いろんな涙の色を知ってしまった人なのだろう・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月02日

おん・なわれ かちょうわれは ふうげつわれはまたきみとりすがるもろてのちぶさ御名・女われ花鳥われは風月われはまた君取り縋る両手の乳房女性は男性に愛でられ、且つ ”御名” と呼ばれ、貴ばれる域を有すること、その裡に、花鳥風月を想起させる部分、そういう雰囲気を持つことが、大切なのだろう、乳房だけでは片手落ち・・・っと私は思うのです。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2015年05月01日
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