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もと厚生次官連続殺傷事件、背筋が凍るような思いです。毎日、50万匹の野良犬が殺されている、と、涙を流す犯人。 それでいて、人間2人を滅多刺しにして殺し、一人に瀕死の重体を負わせた。人間は彼にとって犬以下の存在なのか? それとも、流した涙は、人を殺す事の理由付けの演技だったのか? 彼は狂っている。いや、人格が破壊されているのだ。誰が破壊したのか? それが最も重視しなければならない急所だと思うのですが、現代社会の目は、それを捕らえることが出来ないでいる。 八王子通り魔事件、池袋通り魔事件、秋葉原の滅多刺し事件、その他、過去、最近の事件いろいろ、そして、今回の事件、世の中、何かが狂っております。 原因は何か? 我々はその指差す方向を見ずに、指差す指の爪の垢だけを見つめている。凶器が問題ではなく、それを使って人を殺す狂気が大きな問題ではなかろうか?
2008年11月27日
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82歳になる熱心な信者さんがいるのですが、この方、神様の声を聞くことができ、会話も出来るそうです。夕方の5時になりますと、徳の神様が各家庭を回り、徳を授ける。その時は、玄関を開け、照明を点けて明るくしないといけない。 徳の神は各家庭の戸主かその代理の1人に両手を広げてちょうだいをさせる。その手に徳が授けられる。それを胸に当てて拝む。その動作を3度行なえば、徳の授与が終わる。 沖縄の総世帯数は51万6727ですので、午後5時になりますと、この徳の神様は大変な作業を強いられる事になるわけです。しかし、神様ですから、分身の術で52万柱になればこの授与の儀式は一回で終わることにもなります。考えて見ますと、べつに、こちらがいろいろと心配する必要はないわけですね。 それから、さらに、死んだ後、あの世の極楽に行くには、4週間の修行が必要だそうです。その修行を受ける願書をこの82歳のおばーさんが作成して、死亡者の志望者に渡す。すると、志望者は3人の美しい女性の死者の使者に連れられて修行場へいく。ここで、奉仕作業をして極楽へいく資格を得るのだそうです。 極楽へ行きますと、そこはもう素晴しいところでありまして、花が一面に咲き乱れ、清らかな音楽が流れ、公園のベンチには最高の御馳走が並べられている。 それから、さらにさらに、極楽の役所から、毎月50万円の生活費が与えられる。そのうちの20万円は使って、残りの30万円は貯金に回す。電気、水道、ガス、インターネット、電話など、すべて無料だそうです。 真面目に聞いておりますと、こちらの頭が変になってしまいます。適当にあしらっておく事にいたします。 これからこの82歳のおばーさんを迎えにいってきます。今日、どうしても参拝したい、と申しますから・・・。
2008年11月26日
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クフ王はエジプト古王国時代の第4王朝の2代目の王様であると、私の安物の百科事典に載っております。紀元前2613年頃 ~紀元前2494年頃がエジプト第4王朝の時代区分で、クフ王の在位はBC2589年~BC2566年頃、と記録されております。初代の王様がスネフェル王です。クフ王は彼の長男です。きっと、脛をかじっても脛が増えたのだと思います。それで、スネフェル王・・・? 母の名はメルサンク、つまり、王妃メルサンク一世であります。第4王朝の王は、スネフェル王、クフ王、ジェドエフラー王、カフラー王、メンカウラー王、シェプセスカフ王、となりますが、ジェドエフラー王、カフラー王はクフ王の長男と次男で、メンカウラー王、ジョプセスカフ王はクフ王の孫になります。 キザ砂漠にある3大ピラミットの中で、最大のものはクフ王のピラミットです。残る二つはカフラー王、メンカウラー王のもので、上述の通り、クフ王の次男と孫になります。長男のジェドエフラーのピラミットはなぜか、8Km北にあるアブ・ラワシュ(アブ・ロアシュ)に造られております。 「歴史の父」とも呼ばれる、古代ギリシアの歴史家、ヘロドトス(BC485年頃 ~BC420年頃)によりますと、クフ王は大規模な土木事業を繰り返し行って国民を苦しめた暴君とされております。 しかし、実際はナイル川の氾濫で職を失った人々に、職を与えるための知恵であった、とも言われております。今の沖縄は失業率世界一ですが、こういうクフ王のような、職を与える偉い方がおれば助かります。総額2兆円の定額給付金を実施するための2008年度第2次補正予算案の今国会提出が見送られて、私のような貧乏人はがっくり、集まって来る20人前後の孫たちに、如何にしてお年玉を与えるか、チキンラーメンを3等分して3食にしながら悩んでいる。 こういうことはどうでもいい事ですが、ようするに私は何が言いたいのか、・・・それは、クフ王は家に住み着いている白猫にそっくりである、という事を訴えたいだけであります。では、今日はこれに失礼いたします。
2008年11月21日
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アーサー汁のアーサーとはあおさ海苔のことです。正式な名前はヒトエグサと言うそうです。沖縄の朝食には、このアーサー汁が良く出されます。鰹節や雑魚のだし汁に豆腐を細かく切って入れて味をつけてたぎらせ、このアーサーを入れますと出来上がりです。 このアーサー汁を孤独という相棒と、沈黙の中で仲良くすすっておりますと、アーサー王の物語を思い出した。 AC400年~500年の頃、ゲルマン民族のアングロー族、サクソン族と、ケルト民族のブリトン人がイングランドの覇権をめぐって戦っていた。プリトン人はこのプリテン島、イングランドの先住民だったのですが、善戦空しく敗れてしまったのでございます。 このアーサー王物語は、敗れたプリトン人の武将たちの武勇伝が語り継がれて、欧州全域に広まりながら、1千年の時を経ていろいろな物語が付け加えられていき、今日のようなストーリーに完成されていった、ということです。 その中の一つに、「ガヴェインの結婚」というのがありますが、きょうはその物語を御紹介いたします。 BC6世紀~1世紀にかけてケルト民族(ブリトン人はその中の一族)は大移動を始め、フランス、スペイン、北イタリア、バルカン半島、そしてイングランドに広がっていった。このイングランド(ブルタニア)に住んでいたケルト民族をブリトン人と呼びます。 そのイングランドの王の名は、ウーゼンでありました。そのウーゼン王には里子に出した子供がいた。それがアーサーであります。アーサーの母はイグレインという名ですが、彼女はコーンウォール国の王、ゴルロイスの妃で美人であった。ウーゼンは、彼女に一目惚れし、彼女を略奪するため、コーンウォールを攻めたのであります。 戦いの真っ最中、ウーゼルは魔法使いマーリンの魔力で、ゴルロイスに変身し、イグレインの部屋に入っていき思いを遂げたのであります。その時、彼女の夫、ゴルロイスは戦死していた。そして、出来たのがアーサーという経緯でございます。 魔女マーリンの依頼により、アーサーは騎士エクターの子として育てられます。そして、アーサーが15歳になったとき、ウーゼン王が死んでしまいます。ある日、エクターの実子でアーサーの義兄であるケイは馬上試合に出るため、アーサーをお供として、カンタベリー寺院にやってきた。しかし、ケイは、剣を持ってくるのを忘れていた。 その寺院の庭には、大石が現れていた。それには一本の剣が刺さり、さらに、「この剣を引き抜いた者が、全イングランドの王である」という文字も刻まれていた。 ありとあらゆる豪傑、勇者、貴族、馬の骨、臭いホームレスたちがその剣を引き抜こうとしましたが、誰一人として引き抜ける者はいなかった。アーサーは兄のためにと思い、試しにその剣に手をかけて引き抜いた。するとあら不思議、なんと、まあ、簡単に引き抜けたのであります。ここにアーサー王が誕生したのでございます。時刻はアーサ(朝)でありました。 それから、アーサーは王としての多忙な毎日を送ります。そして、ある日、国内に魔法を使う邪悪な騎士が居て、国民に悪さを働いているという訴えを耳にします。アーサー王は愛剣のエクスガリバーを腰にして、その悪騎士を成敗に行った。 ところが逆に、この悪騎士の魔法にかかって力を引き抜かれて、捕虜になってしまったのであります。悪騎士は簡単に殺すのは面白くありませんので、ゲーム的に殺す事を考えた。 「お前に問題を出す。この一年の内に答えが見つかれば命を助ける。もし、見つからなければ、お前を殺し、お前の王国をそっくりそのまま私のものとする アーサーはその事を承知し、さすらいの旅に出た。その問題とは何だったのか? それは、 「全ての女が最も望むことは何か?」 という分かりそうで全く分からない問題でした。アーサーは出会う女、子供であろうが、500歳の老婆であろうが、全てに尋ね歩いた。ある女は、お金、美貌、巨乳、そして、ある女は、良い男、名誉、名声、富、健康、男みな殺しのライセンス、宇宙の帝王、エトセトラ、など、など、もっともらしくて答えにならない返事が返ってくるばかりでした。 そして、一年後、約束の日がやって来ました。アーサー王は自信がありませんでした。悩み苦しみながら暗い森の中に入り込み、さ迷い歩き続けました。すると、大きな幹が瘤だらけの木の根っこに一人の恐ろしく醜い老婆が座っておりました。 アーサーはあまりの醜さに顔を叛けて、老婆の前を足早に通り過ぎようとしました。すると、老婆が声をかけた。 「お前さんが捜し求めているものを、私は与える事ができる」 アーサーは立ち止まり、それを教えてください、と懇願した。すると老婆は条件を出してきた。教える代わりに、若くて健康で聡明で、ハンサムな男を夫にして欲しい。アーサーは藁にも縋る思いでその条件を受け入れた。 ストーリーがあまりにも長いですので、この続きは次の、このすぐ下のページへ持って行きます。アーサ汁
2008年11月19日
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「すべての女性がもっとも望むことは何か」 その問いに対する答えを老婆は教えた。 「それは、自分の意思を持つこと」 ・・・ん、この老婆、只者ではありませんね? それがどういう事か、現代人に投げかけられた課題だと思います。 アーサー王は満足し、颯爽とお城へ戻り、その悪騎士と対峙しました。 「すべての女性が最も望むことは何か?」 「ぐわっはっはっはっはっはっははは~~~、それは、自分の意志を持つことだ~~」 悪騎士は、くやしがりながら去っていきました。こうして、アーサー王はまた元の多忙な執務に戻ったのであります。・・・しかし、ふと、あの老婆との約束を思い出してはっとし、躁から鬱へと転落していった。あんな恐ろしく醜くて臭い老婆と、結婚する若くて優秀なハンサムな男が居るはずがない、しかし、約束は守らねばならない。 アーサー王は、アーサー汁をすすりながら暗い顔で悩んでいた。その様を甥でもある円卓の騎士の一人、ガウェインが見て、尋ねた。 「王よ、あなた様は一体何を悩んでいるのでありますか。水臭い、いや、アーサー汁臭い、どうかその悩みを私に打ち明けてください」 そこで、アーサー王は事の仔細をかくかくしかじかと包み隠さず打ち開けた。すると、忠誠心の強いガウェインは、自分がその老婆の婿になりましょう、と言った。アーサー王はガウェインの真実の忠誠心に感激の涙を流しながらも、それでは、私の心が許さない。お前をあんな醜くて臭い老婆と結婚させるなど、絶対に出来ない、と跳ねつけた。 しかし、ガウェインは頑として受け入れず、絶対に老婆の婿になると言い張った。当時の騎士道は、武士道と似たところがあって、頑固であったのだ。アーサー王は、ガウェインの真実の心に打たれ涙を流した。 宮廷で結婚式が行なわれた。豚、ゴリラも逃げ出すほどの恐ろしく醜い花嫁の老婆を見て、祝いに来ていた騎士たちや関係者たちは驚いた後、笑った。ガウェインはじっとその屈辱に耐え続けた。 そして、二人は初夜を迎えた。ガウェインはため息をつきながら、花嫁老婆に背を向けて寝た。顔をまともに見ると、肝心なものだけではなく、すべてが縮んで行きそうであったからだ。しばらくして、花嫁老婆が話しかけた。 「わが夫よ、あなた様は新婚初夜というのに、私の顔を見ようともせず、ため息ばかりついてエッチをしようともしない。それは何故ですか?」 ガウェインは冷静に、そして、はっきりと答えた。 「それには3つの理由がある。一つはあなたが老婆である事、2つはあなたが醜いこと、3つはあなたの身分が低い事だ」 老婆は卑屈にならずに、これまた冷静に反論した。 「年を取って確かに老婆ではあるが、年を取るということはそれだけ人生の経験が豊富で、思慮深くて、知恵に富んでいるのです。2つ目の妻が醜いということは、夫は喜ぶべきです。何故なら、絶対に他の男からの誘惑はなく、貞節を永遠に守れるからです。3つ目の身分が低い事は、人の価値は生まれや身分で決まるものではなく、魂の輝きによって決まります」 ガウェインは老婆花嫁のその明言に感心し、振り返って、その顔をまともに見た。すると、何とそこにはオーロラのように輝く絶世の美女、乙女がいたのです。ガウェインは驚いて叫んだ。 「あなたは一体全体、何者でありますか」 「私、悪い魔法使いに魔法をかけられてこんな老婆になったのです。二つの願い事が叶わねば、私、元の姿に戻れません。立派な男を夫にするという一つの願いは叶えられましたので、一日の半分は元の姿で過ごす事が出来る様になりました。元の姿でいられるのは昼が良いですか、夜が良いですか、愛するあなた、わが夫よ、お選びくださいませ」 ガウェインは考えた後、答えた。 「その美しさを他の男たちに見せたくない。私一人だけのものとなるために、夜にだけしてくれ」 それに対して美しき花嫁は言った。 「女という生き物は、紳士淑女たちはもとより、一般庶民の前で美しくいられたほうが最高に幸せなんですよ」 ガウェインは黙ったまま、しばらく考えた。そして、答えた。 「お前の好きなようにしなさい」 すると、花嫁の輝きが一段と強まり、満面に笑顔を浮かべた。 「たった今、二つ目の願いが叶えられました。昼も夜も、私はもう老婆に戻る事はありません」 二つ目の願い、それは何だったのか、それは、”自分の意志を持つこと”だったのです。アーサー王の愛剣 エクスカリバー
2008年11月18日
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母を沖縄市にある中部徳洲会病院へ連れて行った。MRI検査と心エコー検査を行なうためでありました。脳に大きな腫瘍が出来ておりますので、それが進行していないかどうかを調べるための検査であります。 MRIとはMagnetic Resonance Imaging system(磁気共鳴画像装置)の略でありまして、脳や脊髄などの断層撮影をいたします。心エコー検査とは、心臓超音波検査のことです。この検査によって血管の状態が分かるそうです。 雨の中を車を走らせて、午後3時半に病院に到着し、受付を済ました。それから1時間あまり待たされまして、ようやく心エコー検査となりました。次にMRI検査となりましたが、先客が数人おりましたので、2時間余りも待たされました。 90歳の母はさすがに疲れたようであった。そこで、気兼ねする母をなだめながら、ソファーの上に横にさせた。横になった母は楽になったせいか、途端に良く喋るようになった。 「あれ! お父さんはどこ? そう言えば最近、見たことがない、一体、何処へ行ったの」 父は64年前に戦死している。母は過去の世界に戻っているのだ。そこで、私も過去に戻って答えた。 「お父さんは与那原の訓練学校で教官として、中隊に勤務しております」 「それで、見えないんだね、いつ帰ってくるんだろう・・・?」 「そのうち帰ってきますよ・・・」 「そうかい、・・・お父さん、・・・会いたいな~」 母はそう言って鼾をかいてしまった。それから30分ほどして目覚めた時、ようやく呼び出しがかかった。車椅子から降りて、MRI室へ入ったが、私は追い出された。しばらくして、ゴ~ゴ~、ガ~、ガ~というやがましい騒音が起こった。それが調子やテンポをいろいろと変えながら40分以上も続いた。 最後に医者の呼び出しがあり、診察結果を告げられた。 「別に、悪いところはありませんな。血管も若いし、脳腫瘍も進行していない。血圧は120の60、異常なし。こんな90歳、見たことがありません、ぐわっはっはっはっはははは~」 すると、母が立ち上がってカチャーシーを踊り出した。看護婦が声を上げて笑った。医者も苦笑しながら、母に合わせて踊り出してしまった。凄い気力、パワーであります。 病院を出ると、外は真っ暗になっていた。8時前になっていたのだ。母の老人ホームに着いたのが8時30分だった。 母を残して帰ろうとすると、顔を歪めて後を追ってきた。いっしょに帰る、と言うのであります。そこで、「今から仕事だから、ここで待っていてください。それに、今日は給料日ですから、お金をたくさん持って帰ります」 と申し上げると、母は笑顔を満面に浮かべて言った。 「え~、ほんと? じゃ、二人でカラオケへ行って、美味しいものを食べに行こうね!」 私は大きくうなずいて、車に乗った。バックミラーに、看護師に体を支えられて、手を振る母の姿がいつまでも写っていた。
2008年11月12日
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入滅後100年、BC386年(283年説もある)に第二結集が行なわれた。それを契機に、仏教は長老中心の上座部と、大衆を視野に置いた大衆部に分裂いたします。上座部の「戒律至上主義」に異議を唱えて「出家中心主義」が分立したわけであります。その後、前者は11部に、後者は9部に別れます。 意見の食い違いというのは悲劇ですね? 今の日本で、一年間に4対1の割合で離婚が成立しているのも、意見の食い違いなんです。ちなみに昨年は、80万組のうち、20万組が離婚しております。執着を捨て、釈尊の教えである涅槃寂静の世界に入れば、そんな意見の対立はなかった、と思いますが、彼らは悟りが足らなかったのでしょうか? それから、さらに分裂が続き、お互いに自分が正しく、他は間違っているとの論争が続くのでございます。この状態を「枝末分裂」と言うそうです。 昨日の11月10日、エルサレムにおける聖職者達の流血乱闘がありましたが、これも「枝末分裂」ですね? 汝の敵を愛せよ! と言われたキリスト様も嘆いておられる事と思います。 上座仏教の本家、テーラワーダ仏教は伝統を守り、スリランカを経て東南アジアへと広がっていきます。南方へ広がったため「南伝仏教」とも呼ばれます。出家中心主義の仏教も同じく分裂を続けますが、仏教界が形式化し、大衆救済から離れていく傾向に懸念を抱いた一派が、紀元前後に大乗仏教を打建てます。 大衆救済を掲げる大乗仏教は実践道として「六波羅蜜」を掲げ、その実践者を菩薩、と致します。経典には、般若経、維摩経、法華経、無量寿経、などがあります。竜樹というお方が発起人で、空観という方と協力して大乗教学を完成させた、ということです。中央アジアから中国、朝鮮、日本へと伝わりましので、「北伝仏教」ともいわれます。 六波羅蜜とは、布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ) のことで、八正道で己を磨き、六波羅蜜で世のため、人のために貢献いたしましょう、ということであります。 さて、仏教界のこういう状況下にあった当時のインドの民間宗教は、祭祀中心で祈祷、呪術、魔術的な信仰が根強く沁み込んでおりました。それがバラモン教と混ざり合いまして、ヒンズー教の外郭を作り始めていた時期であります。 仏教はバラモン教で行う祭祀や祈祷、呪術、魔法などを排斥し、カースト制に反対、人間は全て平等である、との態度を堅持し続けていた。その高踏的で独善的な姿勢は庶民には受け入れがたく、苦しい修行と悟りによって救われるというのは、拷問に等しいようなものであったと思われます。それより、悩み苦しみ、災いを祈祷と呪術、祭祀によって取り除いてもらうほうがはるかに楽であった。 一方、仏教は上流階級の王、貴族、富豪商人などのバックアップを受けて、その存立の安定を確保していた。したがって、一般庶民に馴染んでいくという必要性はなかったわけで、ただ、奥深い大寺院の中でお経を唱え、真理とは何か、悟りとは何かを考えておれば良かったのであります。つまり、教理と戯れて自己満足に浸るような傾向が、伝染病のように広がっていきます。 また、寄進された莫大な土地を小作させて現金収入としたり、同じく寄進された大金をいろいろな商人に貸して、その利息を頂いたりしていた、という記録もございます。これは立派な金融業でもあります。 庶民離れという仏教徒の傾向が強まるにつれて、インドにおける仏教はその本来の教えから次第に異質のものへと変貌していきます。もちろん初期の大乗仏教には、積極的に民衆に働きかけ、教えを広めて導こうとする仏教徒も多かったわけですが、先祖伝来の民間宗教に依存しきっている彼らを導く、ということは容易ではなかった。そこで、庶民に浸透していく手段として、仏教も呪術的要素を取り入れるようになります。 梵文の句を集めて「陀羅尼」というお経の類がいろいろと作られ、経典読誦による霊的パワーを信じ込ませようとしました。その延長線上に「密教」が現れたのであります。そこでは大日如来が主人公でありまして、他の宗教のメインとなる神々は全て大日如来のことである、とした。そして、密教のある一派はタントラという卑猥な宗教を採用したのでございます。 これは、全宇宙は己の内なる一点から発し、その一点を定めることによって永遠不滅のパワーが収得できる、とする神秘主義的教義を持つ宗教であります。その儀式は、祈り、呪文、呪術的図式・記号、特別神、の崇拝に基づくもので、その最高形態は、マディヤ(酒),マツヤ(魚),マーンサ(肉),ムドラー(印契),マイトゥナ(交接)を共にすることであります。 ムドラー(印契)とは10本の指をいろいろと組み合わせて神秘的パワーを発揚したり、意思表示をするものです。彼らは女性の創造のパワー、シャクティをあらゆる力の源として崇拝していたのであります。 儀式の中において、酒肴と肉を飲み食いし、怪しげにムドラーを行って男女が交わる。これを密教の一派は公然と取り入れていったのです。しかも、薬物乱用まで出てくる始末でした。飲酒と邪淫を厳しく禁止した釈迦の教えはここでは完全に破壊され、裏切られています。それからインドにおける仏教は著しく荒廃していくのであります。 グプタ王朝(320年成立)以降、王が仏教を弾圧するようになり、ヒンズー教を保護するようになった理由はそこにあると思います。民間信仰とバラモン教の合体であるヒンズー教は、結婚、葬式、出生、命名、厄払い、家庭円満、豊年満作、商売繁盛祈願、など、彼ら独自の宗教儀式で対処し、一般庶民のハートを完全に掴んでしまった、というわけであります。 さらに、海外貿易の最大の拠点だった西ローマ帝国が、傭兵隊長オドアケルの叛乱(476年)によって滅亡したため、仏教の経済的支援をしてきた富豪や商人達が次々と倒産し、破産宣告する者や、夜逃げする者が続出して仏教の衰退は一気に速度を上げていきます。 そして、八世紀初頭、アラブ軍が侵入し仏教弾圧が始まり、1203年、仏教最後の拠点のヴィクラマシラー大寺が、何の痕跡を残さない迄に徹底的に破壊され、 致命的な打撃をこうむります。13世紀の初め、トルコ系異民族の政権成立とともにインにおける仏教の殆どが滅び去ることになります。密教の一部の僧侶たちはチベットへと逃れていったのであります。 以上のことで、私も釈迦の教えの根本が、微かながらもようやく分かったのですが、物理的視点における宇宙構造や自然現象、その原因、物質構造などが全く分からない時代に、よく、ここまで悟りを開かれたものだと感心いたします。おそらく釈迦が現代社会において、あらゆる科学知識を習得し、その上に立って、苦行から中道に則った悟りに至ったとき、全く異質の世界観が広がったと思います。 釈迦は教団としての仏教は望まず、真理と人類救済、心の完成としての仏教を、はるか2500年前の過去から波紋のように広げております。そして、彼の最古の言葉集である3原典の一つ「パリニッバーナ」では、誰かが唱えたものが真理であれば、それは間違いなく仏陀の言葉である、としております。ということは、仏教の教理は真理から真理へと拡大していきなさい、という無言の指示があるということです。 釈尊はあらゆる執着を捨て、煩悩を払拭すれば苦しみはなくなり、涅槃の境地に達する、としております。しかし、彼が現代社会で悟りを開いたとするなら、制御された清浄な執着と欲こそが人類発展の鍵、としたかもしれません。なぜなら、人類は不老不死の時代に入ろうとしているからであります。科学はそこまで進化発展しております。
2008年11月11日
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外出から帰って、車を降りると、3匹の家の猫が出迎えた。これは、ご主人様、お帰り~~~!” という意味での御挨拶ではありません。空腹が引き出す知恵の成せる技であります。柱に前足を乗っけて、ガリガリやってみたり、出ない声を無理に張り上げてシャ-、シャー鳴いたり、私の注目を引くのに懸命であります。ここで、進化の原動力は「空腹」である、という事が判明致します。 この猫の親子、どういうわけか小さな声しか出ないのです。つまり、厳密に言えば聾唖であります。猫のオシなんって聞いたこともありませんが、とにかく、変な猫たちであります。 さっそく餌を上げますと、ガリガリ、ガツガツと食べまくります。そして、満腹致しますと、母猫は例によって姿を暗ましました。ところが、子猫たちは、と言っても親より大きくなっておりますが、珍しい事に椅子に体を寄せ合って寝そべっております。 兄妹、と言うべきか、姉弟と言うべきか、双子のようなものですから、判別が付きません。猫の兄弟姉妹ではなくて、猫の兄妹姉弟と言ったほうがいいでしょうね? わけが分からなくなってまいりました。では、その写真を御紹介いたします。 猫の兄姉 、クフ王に似た白チビ、そして、クフ王の像
2008年11月10日
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家には、ネコの親子3匹がおります。毎日、キャットフードを3食与えております。しかし、絶対になついてくれません。空腹の時は3匹並んで座り、家の中の私をじっと見つめます。餌を与えますとガツガツ食べた後、さっと姿をくらましてしまう。 ありがとうの一鳴きもないのです。 何処においても、私の姿を見ますと、一目散に逃げていく。私が一体何をしたというのか、全くネコの本性というのは不可解であります。それでいて、空腹になりますと、近くまで寄ってきて私をじっと見つめる。その時でも、必ず私との間に一定の距離を置いています。 それが獣、人間とは完全に何かが違います。それで、利用されるだけ利用され、その上、裏切られて馬鹿にされる、という腹ただしいさを治めて洗い清め、心を澄み切らせて餌を与え続けております。 ところが、猫の世界にもボスなるものが存在しておりまして、自分の縄張りを絶えず巡回しております。此処近辺のネコボスは、白に黄色の斑点のある大きなドラネコでありまして、家の庭を堂々と、あつかましくも歩き回るのであります。 その上、家のネコの餌までも食ってしまうのであります。さらには、家のネコを虐めて追いかけまわす。そうなりますと、私の怒りはこのボスネコに向けられます。 そこで、家のネコにたっぷり餌を与えた後、さらに餌皿にキャットフードを置き、その両側に蝿取りのリボンを張り巡らせた。これは、粘着力の強烈なものでありまして、一度くっつきますと簡単には取り除くことが出来ません。私はそれを庭のネコ道に置いた。家のネコは満腹ですので、それには目もくれません。 30分ほどして、ボスネコが現れた。ボスネコはしばらく回りを警戒した後、用心しながら餌皿に口を入れた。その途端、粘着リボンがボスネコの口の周りにべったりとくっついた。ボスネコは慌てて前足でそれを払い除けようとした。すると、前足にもそれはくっつき、もがけばもがくほど、体中に絡まっていった。 蝿取りリボンで雁字搦めとなったボスは、とんだり跳ねたり、粘着テープを懸命に取り除こうともがきまわった。しかし、粘着テープは前足や後ろ足に絡まり、その上、鼻にまでもくっついて、呼吸を妨害するようになった。 転げまわって暴れること、約15分、ボスネコはついにぐったりとなって失神した。そこで、私は手袋をして、ボスネコに絡まっている粘着テープを剥がしてやり、最後に、鼻と口を塞いでいるのを取り除いてやった。 ボスネコは息を吹き返し、しばらくふらふらした後、悲鳴を上げ、垣根を飛び越えて逃げていった。これに懲りて、二度と此処には現れないと思う。 ・・・しかし、これって、動物虐待になるでしょうか?
2008年11月06日
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地球の半径は約6400キロメートルだそうです。その表面の5キロから50キロの厚みが地殻と呼ばれるもので、その下はプレート、さらにその下は、摂氏1500度から4000度のマグマ、つまり液状化した火の塊なんです(フライパンで焼いた油の温度が800度、ガスコンロの青い炎が3000度)。ということは、地球というのは全体の0.8%とにも満たない地殻の薄い膜によって安定を保たれていることになる。 半径6350キロのマグマの圧力が怒り狂えば、厚さ50キロ前後の地殻など一瞬にして吹き飛ぶはずである。それがなぜ安定しているのでしょうか、それは、太陽の重力と地球の自転、磁場、重力、そして月や天体の様々な力、要素が複雑緻密に働いて、調和しているからです。要するに全体が互いに助け合って回転しているからなんですね。 地球が太陽から1億5千万キロ離れたところにあって、重量が8230万兆トンで、直径が1万2800キロあるということがどういうことか、そこに、生命誕生の奇蹟が存在します。地球の平均気温が摂氏15度、海が地球表面の70%を占めている、大気がある、そういう生命維持の重要な要素が地球の太陽からの距離と、大きさ、重量によって決まっているのでございます。 お隣の金星は平均気温が450℃で、2酸化炭素を主成分とする大気に包まれている。大気圧は地表で90気圧です。地球での水深900mの水圧に相当します。逆に火星はー140℃~20℃で、平均温度はー63℃となり、大気は希薄で真空に近い。 要するに、太陽からの距離と大きさ、質量が、生命が発生し、成長、進化できるかの重要な要素となる、というわけです。それらが少しでも狂えば、地球は灼熱地獄、あるいは十寒地獄と化し、生命は住めなくなります。 人間は、90%の悪魔と獣性を、1%足らずの理性で何とか押さえ込んで生きているわけですね。つまり、90%の魔性というマグマの狂瀾怒涛を、わずか1%足らずの地殻という理性で制御している、というわけです。従って地球が回転を停止すると破壊が起こるように、理性の機能が止まると自己破壊が起こって消滅することになる。 人間の真の闘う相手は誰か? それは外部にあるのではなく、己の内部に、無意識の中に潜んでいるマグマ、魔性であるといえますね。 敵は本能寺に在らず。己の内部にあり、ということになります。
2008年11月04日
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1946年11月3日、日本国憲法が公布されました。 新憲法が自由と平和、文化を重視しているという点から、11月3日を、1948年に祝日法で文化の日、と定めたのでございます。なお、明治天皇の誕生日も(1852年)11月3日ですが、文化の日はそれとは関係ないとの事です。 なお、漫画協会も出版社と提携して2002年、11月3日を漫画の日と決めております。なぜ、11月3日かと申しますと、あの有名な漫画家、手塚治の誕生日であるからだそうです。 そのほかにも11月3日は、レコードの日、文具の日、サンドウィッチの日、ハンカチーフの日(マリーアントワネットの誕生日が11月2日)ともなっております。ハンカチーフの日というのは、日本ハンカチーフ連合協会が、その売り上げを上げるために、マリーアントワネットの誕生日に一番近い祝日、文化の日を、1983年、ハンカチーフの日、と決めたのであります。 マリーアントワネット、18世紀のフランス国王ルイ16世の王妃なんですが、凄い金遣いの荒い王妃様でありまして、我がまま贅沢、短気、ヒステリーの手に負えないお方であったそうです。 池を高価な香水で満たしたり、コップ一杯百万円もするワインで大宴会を開いたり、純金の多量の粉末を原料に混ぜて練って焼き上げたケーキを社交ダンス会場に出したり、それはもう、いやはや大変な破天荒、型破りの浪費家でありました。 そのため、国庫が空っぽになってしまい、大臣達が怒って、「国民は飢えております。パン一切れも食えません」 と申しますと、彼女は平然と言った。 「ならば、ケーキでも食べさせなさい」 そんな彼女が何故、ハンカチと関係があるのか? それは、わがままな彼女がご主人様であられる国王に、「ハンカチなんって正方形にすべきよ~~~」 と叫んだからであります。国王は彼女の恐ろしいほどの美貌に魂を抜かれておりましたので、何でも言う事を聞きます。それで、さっそくお布れを出して、ハンカチを正方形にせよ、と定めちゃったのです。 不思議な事に文化の日は晴天、と決まっておるそうです。統計的にもそうなっておりますが、2003年だけは雨が降ったそうです。そして、いま、沖縄は大雨が降り続いております。東日本、札幌、日本海側の大部分は今日は晴れマークですが、残念ながら九州は曇り、沖縄は雨となっておりますね。 以上、長々となりましたが、取り留めのない今日の日記を終わります。 大変失礼致しました。では、また、明日!
2008年11月03日
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ウコンの花が、小さな庭の片隅に咲いておりました。ゴーヤーが豊作ですので、それにだけ視神経が反応して、ウコンの開花には全く気がつかなかったのでございます。最盛期を過ぎておりますので、花弁の3枚ほどはしなびれております。それでも、なかなか、品性高く、芳香を放っております。 ウコンの根は肝臓や胃腸の薬、として重宝がられております。開花は今年に入って3度目ですが、勿論、5年物ですので、根塊は一キロほどの大きなものでありました。ところが、今年の夏、酒癖の悪い50歳の甥が、勝手に堀起こして持ち帰ったのであります。 この男の酒癖の悪さは世界一あります。当たりかまわず喧嘩を売り、挙句の果ては警官を殴り倒して刑務所へ1年間も入っております。その男が、山刀を振り回して殴りこんできた。ウコンの根塊を勝手に持って行ったことを注意したからだ。 仕方がないので、その山刀を真剣白刃取りで奪い、暴れる彼を両腕で頭上に差し上げて豚小屋へ投げ込んだ。そこで、豚との乱闘が続き、疲れ果ててぐったりとなった。翌朝、酔いが覚めた彼はうなだれて、豚の糞に塗れて帰っていった。酒を飲まない時はとっても優しい、いい男ですけど、困ったものですね。酒は、酒癖の悪い男には悪魔の水となります。 そんな事はどうでもいいことですが、ウコンの花、純白の神秘性には陶酔して痺れます。そう言えば、カレー粉の原料はウコンの塊根ですね。ということは、カレーを食べますと、肝臓、腎臓が良くなる、ということになります。カレーの好きな男には、左利きが多いそうです。歌の文句にもあります。 ♪♪私のカレーは左利き・・・♪♪ 大変失礼致しました。では、今宵はこれにて!
2008年11月01日
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