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小池光(こいけ・ひかる)しのびよる雷鳴あれど金魚絵の浴衣こよひのふたり子つつむ歌集『草の庭』(平成7年・1995)註巨匠の家族詠の代表作のひとつ。浴衣:古くは入浴時やその後に着た質素な木綿の単衣(ひとえ)。のちに夏の風物詩的な着物となった。語源は「湯帷子(ゆかたびら)」。 浴衣 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014.08.21
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小池光(こいけ・ひかる)薄明のそこはかとなきあまき香かは電気蚊取器はたまた妻子歌集『廃駅』(昭和57年・1982)註 特に懐古趣味ではないが、わが家では今もなお、昔懐かしい渦巻きの蚊取り線香を私も妻も好んで愛用している(香りもいいし、十分効くと思う)ので、最近の電気蚊取器の事情はよく知らないが、以前の「マット式」の電気蚊取器は、言われてみれば確かに何ともいえない仄かな甘い香りがしたものだなあと、ありありと思い出される。 鋭い観察眼で生活の一齣を把捉して、いかにもこの巨匠らしいクールで静謐でリアル感のある底光りするような抒情が表出されている。
2014.08.17
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土岐善麿(とき・ぜんまろ)あなたは勝つものと思つてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ歌集『夏草』(昭和21年・1946) アサガオ ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014.08.15
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塘健(つつみ・けん)青空へひとすぢ奔はしり去る水のそのかなしみを歌といふべし第一歌集『火冠』(昭和58年・1983) 間欠泉 アメリカ ウィルダネス・ロッジ ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014.08.14
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栗木京子(くりき・きょうこ)「カルピスが薄い」といつも汗拭きつつ父が怒りし山荘の夏歌集『夏のうしろ』(平成15年・2003) カルピス ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014.08.13
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永田紅(ながた・こう)プールには雨降りながら雨にのみ体は濡れてゆくここちする第一歌集『日輪』(平成8年・2000) プール オーストラリア・ケアンズ ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014.08.12
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)八月の馬乳のような陽を浴びて若き日は過ぐ過ぎて誘いざなう歌集「夜光」(平成12年・2000) 馬乳酒 カザフスタン切手 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014.08.12
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光森裕樹(みつもり・ゆうき)われを成すみづのかつてを求めつつ午睡のなかに繰る雲図鑑第一歌集『鈴を産むひばり』(平成22年・2010) 積乱雲(アーチ雲) メキシコ・ユカタンウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014.08.04
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梅内美華子(うめない・みかこ)バケツの中に水着洗えば匂いたつ塩素 もっと苦しめという第一歌集『横断歩道ゼブラ・ゾーン』(平成6年・1994) 水着 Classic swimsuitウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014.08.04
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村木道彦(むらき・みちひこ)水風呂にみずみちたればとつぷりとくれてうたえるただ麦畑歌集「天唇」(昭和49年・1974)註夏の暮れ泥む風呂場の窓から「麦畑」が仄かに見えているのだろうか。それとも、幼き日に見た光景の追憶でもあろうか。はたまた、ぐっと下世話に「誰かさんと誰かさんが麦畑」の俗謡でも高歌放吟しているのか。ちなみに、盛夏・酷暑のこの時季、水風呂の清涼と快楽に如くはなしと、私も思っている。・・・昨夜も、最後は水風呂にして丸々1時間も浸かっていたぐらいだ。なお、なぜかこの歌の仮名遣いは混乱している。新仮名遣いで統一するなら「とっぷり」、旧仮名遣いなら「みづ」「うたへる」の表記となるところである。この混淆は通常ではあり得ない(ただし、巨匠・塚本邦雄の少なくとも一首にそうした例はある)。もしかすると、作歌時の時代状況的な混乱の反映か、何らかの意図があるのかは不詳である。 Bathroomウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014.08.03
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俵万智(たわら・まち)「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日第一歌集『サラダ記念日』(昭和62年・1987)Because you told me"Yes, that tasted pretty good"July the Sixthshall be from this day forwardSalad Anniversary.英訳 ジャック・スタム Jack Stamm【俵万智さん自註】 サラダがおいしかったというような、ささやかなことが記念日になる。それが恋というものだし、それを記念日として刻印してくれるものが、自分にとっての短歌だ。(角川「短歌」2009年7月号)註 見かけによらず、きわめて技巧的に組み立てられた一首である。表向きの社交辞令的公式解題というべき上記の「自註」はともかく、著書『短歌をよむ』(岩波新書)で自白しているところによると、手帳に書きとめた初稿は「カレー味のからあげ君がおいしいと言った記念日六月七日」だったという。「サラダ」は影も形もなかった。 そこから、「からあげ記念日」などの案も含め、文字として残っているだけで8パターンほどの推敲案を経て、発表された形になったという。 日付の改稿についても、季節感に留意しつつ、七夕の7月7日では恋の歌には即つきすぎとして斥けるなど、なかなかに周到な創作過程であることが分かる。 これほど苦心の彫琢ではないとしても、短歌実作者であれば例外なく、着想から推敲・脱稿に至るまで呻吟しながらこれに近いようなことはけっこうやっている(そこがまた楽しからずや、ではある)ので、こちらの勝手な一方通行ながら、共感と忖度の念を禁じえない逸話である。 作者は口を噤んでいるが、おそらく実際には7月4日がアメリカ合衆国の「独立記念日(インディペンデンス・デイ)」であることも踏まえているのだろう(くまんパパ説)。 この解釈が成り立つとすれば、作者が独立したのは、それまで庇護してくれた「両親」からだろう。「これゆえに、人はその父母を離れて偶つまと契りを結び合う」という旧約聖書・創世記のアダムとエヴァ(イヴ)説話の結語エピローグが想起される。 そうだとすると、この歌は若い女性が親元から離れて世の荒波に身を投じつつ、自由な恋愛の海に出帆する宣言であり、悲壮ともいえる覚悟が織り込まれているとも読めそうだ。 こうしたことにもかかわらず、一見してそうした技巧を全く感じさせない自然な表現にまで持っていった手際の妙。作歌当時、芳紀二十歳そこそこだったひとりの女の子のたくらみが、現代短歌の可能性を大きく拓いた記念碑的な名歌。俵万智 短歌をよむ【送料無料】¥840(税込)
2014.07.06
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光森裕樹(みつもり・ゆうき)だとしてもきみが五月と呼ぶものが果たしてぼくにあつたかどうか歌集『鈴を産むひばり』(平成22年・2010)
2014.05.16
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俵万智(たわら・まち)はつなつの光を汗にかえながら子は黄の薔薇をむしりつづける歌集『プーさんの鼻』(平成17年・2005)
2014.05.16
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五島美代子(ごとう・みよこ)桑の葉を食はまずなりける蚕このからだ透きとほりゆくあの種の切なさ歌集『炎と雪』(昭和27年・1952)
2014.05.11
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)卯月闇うづきやみほのあたたかし始めよりここにゐしごと夫の辺にをり第一歌集『水陽炎』(平成8年・1996)註卯月:旧暦四月の称。新暦の5月から6月に当たる。「ほのあたたかし」でいったん切れる二句切れ。「始めより」とは、短歌表現的文脈コンテクストで見れば「元始、太古、開闢かいびゃく、天地創造以来」とも読めるし、少なくとも「生まれてこのかた」といった意味だろう。壮大なお惚気のろけというべきか。恐れ入谷の鬼子母神である^^; 明朗で陽性の作者がときどき示す、品格ある調べの中に破天荒な諧謔が漂っている一首である。「夫つまの辺へに」は、大伴家持の長歌の傑作「海ゆかば」(万葉集4094)の一節「大王おほきみの辺にこそ死なめ」の本歌取り(パスティーシュ)だろう。これまた技ありである。
2014.05.10
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俵万智(たわら・まち)たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやるいつかおまえも飛んでゆくから歌集『プーさんの鼻』(平成17年・2005)註たんぽぽ:幼児語が語源であることは確実と見られるが、古語「田菜」はほぼ完全に死語になっており、現在ではこう呼ぶほかはないだろう。綿毛:一般的には「ほわた(穂綿・穂絮)」の語を用いる例が多いと思うが、一字一句に至るまでの細心・周到な推敲魔で聞こえる作者が、それぐらい意識していないわけがない。ここはあえて口語・俗語的な言い方にしたのだろう。
2014.05.09
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沖ななも(おき・ななも)パンジーとチューリップ咲きパンジーの黄チューリップの黄と同化せず歌集『天の穴』(平成7年・1995)
2014.04.27
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった第一歌集『青蝉』(平成7年・1995)
2014.04.26
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清原令子(きよはら・れいこ)春潮の遠くいざなふ音をつたふこの耳はけふも旅人の耳歌集『海盈みたず』(昭和32年・1957)註ルビ(振り仮名)は振られていない。「春潮」の読みは「しゆんてう(しゅんちょう)」または「はるしほ(はるしお)」か、「音」は「ね」か「おと」か、どちらかというとそれぞれ前者なのかなとも思うが、どちらでもいいのかもしれない。詠まれた年代を思うと、驚くべき清新な感覚の一首と思う。
2014.04.25
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来嶋靖生(きじま・やすお)花すでに過ぎたる樹々のもとを来て夕ゆふべほとびてくる想ひあり歌集『雷』(昭和60年・1985)註ほとぶ(潤ぶ):水分を含んで膨らむ。
2014.04.24
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梅内美華子(うめない・みかこ)截るごとにキャベツ泣くゆえ太るときもいかに泣きしと思う夕ぐれ歌集『若月祭みかづきさい』(平成11年・1999)註截る:「きる」と読む。截断せつだんする。包丁などでばっさりと切り分ける。 キャベツウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014.04.21
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稲葉京子(いなば・きょうこ)細々とキャベツを刻むたゆたへる思ひも共に刻みゐるなり歌集『紅梅坂』(平成8年・1996)註細々と:「こまごまと」と読むのだろう。千切り。
2014.04.21
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時田則雄(ときた・のりお)歌人とはそも何者ぞ春の土を七五調にて歩むでもなし歌集『夢のつづき』(平成9年・1997)
2014.04.18
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俵万智(たわら・まち)さくらさくらさくら咲き初そめ咲き終わりなにもなかったような公園第一歌集『サラダ記念日』(昭和62年・1987)
2014.04.17
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)しらさぎが春の泥から脚を抜くしずかな力に別れゆきたり歌集『夜光』(平成13年・2001) ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン ゴイサギ
2014.04.05
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石田比呂志(いしだ・ひろし)春宵しゅんしょうの酒場にひとり酒啜すする誰か来こんかなあ誰だあれも来るな歌集『九州の傘』(平成元年・1989)
2014.04.05
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石田比呂志(いしだ・ひろし)はらわたに花のごとくに酒ひらき家のめぐりは雨となりたり歌集『滴滴』(昭和61年・1986)
2014.04.05
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石田比呂志(いしだ・ひろし)今年またわが門前の若ざくらひらくがあわれ天あまつひかりに歌集『九州の傘』(平成元年・1989)
2014.04.05
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大塚寅彦(おおつか・とらひこ)さくらばなあふるる白のひそめゐる青みるときぞいつかあらなむ歌集『声』(平成7年・1995)桜花 ──。あふれている「白」が潜めている「青」を見る時がいつかあるのだろう。/ いつあるのだろうか?註論理的な意味内容はよく分からないというほかはないが、ものすごく魅力的な一首であることは間違いない。「純粋詩」の美を放っている。幻視的な感覚の鋭敏さと「白つながり」で、巨匠・佐佐木幸綱の「竹は内部に純白の闇育て来ていま鳴れりその一つ一つの闇が」(歌集「夏の鏡」昭和51年・1976)をちょっと連想する。
2014.04.03
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大塚寅彦(おおつか・とらひこ)花の宴たちまち消えて月さすは浅茅がホテル・カリフォルニア跡第一歌集「刺青天使」(昭和60年・1985)註浅茅がホテル・カリフォルニア:上田秋成『雨月物語』の一篇「浅茅が宿」の説話を踏まえる。その映画化の『雨月物語』(溝口健二監督、京マチ子・森雅之・田中絹代主演、昭和28年・1953、大映)は、日本映画史上屈指の傑作として知られる。ロック史上に輝くイーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」の歌詞は難解を以て聞こえるが、虚飾に満ちた現代世界を痛烈に批判していることは間違いないだろう。
2014.04.03
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稲葉京子(いなば・きょうこ)抱かれてこの世の初めに見たる花 花極まりし桜なりしか細枝まで花の重さを怺へゐる春のあはれを桜と呼ばむ歌集『槐えんじゆの傘』(昭和56年・1981)
2014.04.03
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窪田空穂(くぼた・うつぼ)純白の円き花びら群れはなれ落ちゆくさまの静かさを見よ桜花ひとときに散るありさまを見てゐるごときおもひといはむ遺稿歌集『清明の節』(昭和43年・1968)註作者の絶詠に近い最晩年の作。ここに詠われた桜は、現実のものというよりは、最期の時を迎えた作者自身の隠喩とも見える。まことに清澄な境地の、現代の辞世歌。
2014.04.03
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上田三四二(うえだ・みよじ)しづかなる狭間をとほりゆくときにわが踏むはみな桜の花ぞさびしさに耐えつつわれの来しゆゑに満山明るこの花ふぶきちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも歌集『涌井』(昭和50年・1975)
2014.04.03
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尾崎左永子(おざき・さえこ)雨の日のさくらはうすき花びらを傘に置き地に置き記憶にも置く歌集『夕霧峠』(平成10年・2008)
2014.04.03
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前登志夫(まえ・としお)さくら咲くゆふべとなれりやまなみにをみなのあはれながくたなびくさくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへりふるくにのゆふべを匂ふ山桜わが殺あやめたるもののしづけさ歌集『青童子』(平成9年・2007)
2014.04.03
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藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう)散華さんげとはついにかえらぬあの春の岡田有希子のことなのだろう第一歌集『夢みる頃を過ぎても』(平成元年・1989)
2014.04.03
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河野裕子(かわの・ゆうこ)夕闇の桜花あうくわの記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと第一歌集『森のやうに獣のやうに』(昭和47年・1972)
2014.04.03
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花山多佳子(はなやま・たかこ)誰かうしろになみだぐみつつ佇つごとし夕ぐれが桜のいろになるころ歌集『空合』(平成10年・2008)註佇つ:「たつ」と読む。たたずむこと。「うしろになみだぐみつつ佇」っているのは、いったい誰だろうか。懐かしい人だろうか。それとも自分自身の片割れ/ドッペルゲンガーだろうか。それとも・・・? 作者は語らず、ただ歌をしてもの思わしむ。
2014.04.03
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今野寿美(こんの・すみ)やはらかに文語の季節去りにけり花見むとしてわれは目を閉づ歌集『世紀末の桃』(昭和63年・1988)註咲き誇った花が散るごとく、生きた言語としてはすでに存在しない文語。美しきものは、もはや記憶の中にしか存在しないという寂莫たる喪失感。現代的な語彙を用いていながら、失われたものへの愛惜の感情は、まさに「もののあはれ」そのものといえよう。
2014.04.03
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佐藤佐太郎(さとう・さたろう)夕光ゆふかげの中にまぶしく花みちてしだれ桜は輝かがやきを垂る歌集『形影』(昭和45年・1970)註輝かがやきを垂る:輝きを(したたり落ちる水のように)垂らしている。
2014.04.03
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)終ります白梅散りて 終ります紅梅散りて いつか終ります歌集『エトピリカ』(平成14年・2002)
2014.03.23
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宮柊二(みや・しゅうじ)梅の花ぎつしり咲きし園ゆくと泪なみだぐましも日本人われ歌集『晩夏』(昭和26年・1951)
2014.03.23
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塚本邦雄(つかもと・くにお)飛梅の飛ぶ香はるけき寒昴かんすばる耳の迷宮に光刺すなり歌集『されど遊星』(昭和50年・1975)
2014.03.23
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塚本邦雄(つかもと・くにお)紅梅もみのれるあはれ明盲あきじひの彼ら他界をさしのぞくとや歌集『されど遊星』(昭和50年・1975)
2014.03.23
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塚本邦雄(つかもと・くにお)紅梅は明日散る蘂の逆睫毛さすがさしぐむわが名呼ばざれ歌集『青き菊の主題』(昭和48年・1973)紅梅は明日散る雄しべと思えば逆さ睫毛のごとくさすがに涙さしぐむ。願わくはわが名を呼ばないでくれ。
2014.03.23
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佐藤佐太郎(さとう・さたろう)ひとときに咲く白き梅玄関をいでて声なき花に驚く歌集『星宿』(昭和58年・1983)
2014.03.22
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玉城徹(たまき・とおる)いずこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅第一歌集『馬の首』(昭和37年・1962)
2014.03.22
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米川千嘉子(よねかわ・ちかこ)お軽、小春、お初、お半と呼んでみる ちひさいちひさい顔の白梅歌集『滝と流星』(平成16年・2004)註お軽:人形浄瑠璃(文楽)、歌舞伎を代表する演目「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」(竹田出雲・三好松洛・並木千柳作)の重要な登場人物。例えば、映画「四十七人の刺客」(市川崑監督、高倉健主演、1994年)では、この役を宮沢りえが務めた。小春:近松門左衛門の傑作「心中天網島(しんじゅうてんのあみしま)」のプロタゴニスト(主人公)。映画「心中天網島」(篠田正浩監督、中村吉右衛門共演、1969年)では、岩下志麻が演じた。お初:同「曽根崎心中」の主人公。お半:菅専助「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」。
2014.03.22
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)月ヶ瀬の谷の空わたる月あれば昼間見し梅花うめ忘れてねむる* 月ヶ瀬観光協会ウェブサイト* コメント欄からリンクのけん家持さんのブログもどうぞ。
2014.03.22
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宮英子(みや・ひでこ)ひとつづつ雛のおもてを包み蔵ふ雪降る午前しづけくしあり歌集『婦負野』(平成17年・2005)註おもて:「顔、おもわ」の意味で、これが原義。語源は「面(おも)方(て)」。のちに「(裏)表」の意味が派生した。cf.)山の手。大手門。蔵ふ:「しまう」と読む。* 小島ゆかり「われにふかき睡魔は来たるひとつづつ雛人形(ひな)を醒まして飾り終ふれば」は、この歌の本歌取り。
2014.03.04
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