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宮柊二(みや・しゅうじ)梅の花ぎつしり咲きし園ゆくと泪なみだぐましも日本人われ歌集『晩夏』(昭和26年・1951)
2014.03.23
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塚本邦雄(つかもと・くにお)飛梅の飛ぶ香はるけき寒昴かんすばる耳の迷宮に光刺すなり歌集『されど遊星』(昭和50年・1975)
2014.03.23
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塚本邦雄(つかもと・くにお)紅梅もみのれるあはれ明盲あきじひの彼ら他界をさしのぞくとや歌集『されど遊星』(昭和50年・1975)
2014.03.23
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塚本邦雄(つかもと・くにお)紅梅は明日散る蘂の逆睫毛さすがさしぐむわが名呼ばざれ歌集『青き菊の主題』(昭和48年・1973)紅梅は明日散る雄しべと思えば逆さ睫毛のごとくさすがに涙さしぐむ。願わくはわが名を呼ばないでくれ。
2014.03.23
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佐藤佐太郎(さとう・さたろう)ひとときに咲く白き梅玄関をいでて声なき花に驚く歌集『星宿』(昭和58年・1983)
2014.03.22
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玉城徹(たまき・とおる)いずこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅第一歌集『馬の首』(昭和37年・1962)
2014.03.22
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米川千嘉子(よねかわ・ちかこ)お軽、小春、お初、お半と呼んでみる ちひさいちひさい顔の白梅歌集『滝と流星』(平成16年・2004)註お軽:人形浄瑠璃(文楽)、歌舞伎を代表する演目「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」(竹田出雲・三好松洛・並木千柳作)の重要な登場人物。例えば、映画「四十七人の刺客」(市川崑監督、高倉健主演、1994年)では、この役を宮沢りえが務めた。小春:近松門左衛門の傑作「心中天網島(しんじゅうてんのあみしま)」のプロタゴニスト(主人公)。映画「心中天網島」(篠田正浩監督、中村吉右衛門共演、1969年)では、岩下志麻が演じた。お初:同「曽根崎心中」の主人公。お半:菅専助「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」。
2014.03.22
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)月ヶ瀬の谷の空わたる月あれば昼間見し梅花うめ忘れてねむる* 月ヶ瀬観光協会ウェブサイト* コメント欄からリンクのけん家持さんのブログもどうぞ。
2014.03.22
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宮英子(みや・ひでこ)ひとつづつ雛のおもてを包み蔵ふ雪降る午前しづけくしあり歌集『婦負野』(平成17年・2005)註おもて:「顔、おもわ」の意味で、これが原義。語源は「面(おも)方(て)」。のちに「(裏)表」の意味が派生した。cf.)山の手。大手門。蔵ふ:「しまう」と読む。* 小島ゆかり「われにふかき睡魔は来たるひとつづつ雛人形(ひな)を醒まして飾り終ふれば」は、この歌の本歌取り。
2014.03.04
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小高賢(こだか・けん)つねに敗者の立場に立ちし言説をいやしきものとこの頃おもう雨にうたれ戻りし居間の父という場所に座れば父になりゆくながき戦後の末に生まれし娘は野よりびんぼう花をつみて戻りし鴎外の口ひげにみる不機嫌な明治の家長はわれらにとおき歌集『家長』(平成2年・1990)* 原文「鴎」の字は正字体「鷗」。 作者の歌人・評論家、小高賢氏(結社「かりん(歌林)」創設者)は、さる2月11日に逝去されました。都会的でダンディな紳士であり、知的で明晰でありつつ温厚な人柄を感じさせる歌風を深く敬愛していました。ここに改めて心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2014.02.23
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小池光(こいけ・ひかる)雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ第一歌集『バルサの翼』(昭和53年・1978)
2014.02.14
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)雪は神のやうにあまねく獣園の檻を一つ一つ濡らせり歌集『ヘブライ暦』(平成8年・1996)
2014.02.14
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枡野浩一(ますの・こういち)辞書をひきバレンタインが破廉恥の隣にあると気づいている日歌集『ますの。』(平成11年・1999)
2014.02.05
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永井陽子(ながい・ようこ)イタリア語のやうなひかりを持て来たる冬の郵便配達人は落書きは空にするべし少年が素手もて描く少女の名前龍之介の好みは鰤ぶりの照り焼きとおもひ出しつつ寒し 元旦歌集『モーツァルトの電話帳』(平成5年・1993)
2014.01.14
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向井ちはる(むかい・ちはる)自分でも処理の仕方が分からないそんな爆弾持ってていいのか太陽に似ている蜜柑その雫わたしの身体でバクハツしてよ標的の中心にだけ刺さるようナイフ手に持ちつらくてもやるどんどんともっとどんどん加速してぎりぎり気分のエンジンで飛べ一瞬のスピードだけで笑ってる見るべきものは何もなくなり第一歌集『OVER DRIVE』(平成12年・2000)
2014.01.14
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安永蕗子(やすなが・ふきこ)七草の七つ数えて皿に盛るこの時の間まの繁みぞ佳よけれ歌集『緋の鳥』(平成9年・1997)七草の七種を数えて皿に盛るこの一瞬の時間の充実がいいのよねえ。
2014.01.06
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馬場あき子(ばば・あきこ)魚市の若い衆の鋭き暴言が景気となりて師走はゆくも第一歌集『早苗』(昭和30年・1955)註若い衆:振り仮名はないが、「わかいし」と読むのだろう。祖父母たちは、若者のことを確かにそう言っていた。鋭き:「とき」と読むのだろう。
2013.12.30
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今野寿美(こんの・すみ) 珊瑚樹のとびきり紅き秋なりきほんたうによいかと問はれてゐたり歌集『世紀末の桃』(昭和63年・1988)註まことに幸福な歌である。2011年にNHK-Eテレ(教育テレビ)で何度か放送された『恋のことなら短歌にきこう』という単発番組で、作者自身と、夫でやはり歌人の三枝昂之(さいぐさ・たかゆき)氏出演のもと、直接ご本人たちの口からこの佳品の作歌の経緯が語られた。その内容については、こちらのブログに正確に文章化されているので、私が屋上屋を架するまでもないだろう。すばらしい夫婦愛。* 珊瑚樹 珊瑚樹 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2013.11.30
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)秋霖あきづゆの地上へ出いでて傘をさす人ひとりづつ貌かほをなくせり第一歌集『水陽炎』(昭和62年・1987)註研ぎ澄まされた感性の発露。都市の地下鉄や地下街の出口での写実といえば写実ではあるが、表現の妙によって何ごとか終末的・黙示録(アポカリプス)的な隠喩(メタファー)と寓意の象徴的な世界が現われている。なお、「秋霖(しゅうりん)」は、秋雨前線・寒冷前線に伴ってしとしとと降り続く秋の冷たい長雨をいう漢語的表現。作者が訓とした「あきづゆ」は、手許の辞書に載っていない。あるいは歌人の造語だろうか? そうだとすればすばらしいセンスだと思う。完全に詩的許容(ポエティック・ライセンス)内といえよう。ちなみに、「秋入梅(あきついり)」は載っており、俳諧では秋の季語である。
2013.11.25
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皇太子妃殿下雅子さま吹く風に舞ふいちやうの葉秋の日を表に裏に浴びてかがやく歌会始の儀平成23年1月14日、宮中
2013.11.25
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皇太子殿下紅葉もみぢする深山みやまに入りてたたずめば木々の葉ゆらす風の音と聞こゆ歌会始の儀平成23年1月14日、宮中
2013.11.25
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皇后陛下御歌みうたおほかたの枯葉は枝に残りつつ今日まんさくの花ひとつ咲く歌会始の儀平成23年1月14日、宮中* マンサク
2013.11.25
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香川ヒサ(かがわ・ひさ)ひとひらの雲が塔からはなれゆき世界がばらば らになり始む歌集『ファブリカ』(平成8年・1996)註佐佐木信綱の名歌「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲」の大胆かつ批評的・諧謔的な本歌取り。もちろん、作者はただ茶化しているわけではない。おそらく、「浄土」を思わせる予定調和的な世界の崩壊または解体の示唆、もしくは異議申し立てのようなことを試みようとしているのだろう。さらには、世界をそのように把握している作者自身の解離的な意識を表象しているのかも知れない。いずれにしてもきわめて冒険的・挑発的で面白い。単なる趣味の鑑賞者ではない現代の文学としての短歌の作り手であれば、このようなラディカルな感受性も持っていることが望ましいだろう。「ばらば ら」は原文のまま。この一字空けの切れ目のところで、下2句の定型韻律も合っているという、考え抜かれた技巧の冴え、というか、何とも人を食った力技というか。主知的に組み立てられた怪作と思う。
2013.11.22
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米川千嘉子(よねかわ・ちかこ)黄菊の香つよき酢をもて消してゆく十たび百たび否定をすべく第一歌集『夏空の櫂』(昭和63年・1988)註黄菊:食用菊の花。黄菊ではないが、山形の「もってのほか」は有名。黄菊の香:「きぎくのか」と読むのだろう。黄菊の香つよき酢をもて:実質的・叙景的な意味も担いつつ、「消してゆく」を導く序詞(じょことば)。「十たび百たび否定をすべく」「消してゆく」ものとは何か分からないが、そら恐ろしい凄みさえ湛えている。
2013.11.21
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藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう)見なければよかったもののひとつとしもう死にそうな秋の金魚を誌上歌集『天使、街角、カンガルー1997~1993』「投壜通信」(平成13年・2001)註「もう死にそうな秋の金魚」は、(写実かもしれないがそれは問題でなく)おそらく隠喩としての作者の自虐的な自画像であろう。大都市・東京生活者のあらゆる情熱が摩滅してゆく過程を、クールで陰翳深き抒情の中で詠ませたら天下一品の作者である。しかもそれでいて、いわく言いがたい豪放磊落な諧謔味を常に漂わせている端倪すべからざる味わいは、さすがにわが畏敬する師匠である。
2013.11.18
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米川千嘉子(よねかわ・ちかこ)子は天与の者にてあるか秋の陽は贋金にせがねのごと黄菊を照らす歌集『一夏』(平成5年・1993)註主体「私」にとって「天与の(天の与えたもうた)絶対者」であるかのごときわが子の愛おしさを見つめている時には、秋の陽に照らされたそのかたわらの黄菊の美しささえ、ふと「贋金」のように色褪せた空疎なものに感じられる、というような意味に読める。昔から、黄金や小判を初夏のヤマブキの花の色に擬えて「山吹色」というが、この歌の場合は黄色い菊の花から「贋金」が連想されているわけだ。また「贋金」といえばアンドレ・ジイドが現代小説の幕開けを告げた『贋金づくり』も思い起こされる。この場合、贋金は文学のメタファーである。洗練された隠喩が用いられたやや難解な一首だが、「母(母性)」のまなざしが詠わせていることはまぎれもない。
2013.11.17
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今野寿美(こんの・すみ)悪友と呼ぶいちにんをおしなべて好みて持てり男は誰も歌集『星刈り』(昭和58年・1983)註一個の短歌作品としても面白いが、詠まれている内容がきわめて的確で、さすがの観察眼である。男子たるものに、悪友は絶対に必要な存在だ。悪友が一人もいない男は、たぶん人間としての奥行きが乏しいのではないかとさえ思う。僕にも、普通の「親友、友人」のほかに、間違いなく悪友としかいいようがない男が一人いる。みんながそう思っているのだろう、あだ名は、人呼んでアクロー。・・・僕が生まれて初めてベロンベロンに酔っ払うまで酒を呑んだのは、たしか中2の夏休み前、そのアクローの家でだった。もう時効だろう。二人とも決して不良ではなかったが、ちょっとおチャラけた(今でいう「チャライ」)ところがある中学生だった。高校生になると、ごくたまにだが、ウィスキーの酒盛りもした。先日の同窓会でも話が弾んだ。こいつも今やひとかどの医者になっている。豪快なヤツである ・・・この友情は一生続く。
2013.11.16
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時田則雄(ときた・のりお)溯上せし血の裔よわれしぐれつつしぐれつつなほ北にま向ふ第一歌集『北方論』(昭和56年・1981)註自他ともに「野男のおとこ」と認める歌人の「男歌」。秋の北海道の雄大な河を溯さかのぼる鮭のイメージを重ね合わせているのだろう。「血の裔(すゑ、末裔、子孫)」という鮮烈にして重厚な表現を用いつつ、真っ向から豪放磊落な述志をしている。しぐれ(時雨):秋の末から冬の初めにかけて、ぱらぱらと通り雨のように降る雨。この歌では「汗」や「涙」の隠喩であろうか。私はちょっと「ブラッド・スエット&ティアーズ」(血と汗と涙)というロックバンドを連想した。北海道伝統の味 秋鮭のめふん(血合いの塩辛)・・・見た目グロいですが、酒の肴の珍味です価格:680円(税込、送料別)
2013.11.15
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梅内美華子(うめない・みかこ)団栗の帽子のとれてしまいたる寒き実を閉じやがて開く掌て歌集『若月祭』(平成11年・1999)
2013.11.15
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小高賢(こだか・けん)つねに敗者の立場に立ちし言説をいやしきものとこの頃おもう歌集『家長』(平成2年・1990)
2013.11.14
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大橋巨泉(おおはし・きょせん)みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみパイロット萬年筆「エリートS」コマーシャル・フィルム(CF)(昭和44年・1969)晩秋の短日の午後万年筆のキャップを取ればすぐにインクは滲み出してわが絶え間なき憂愁の思いは淀みなくすぐにすらすらと書きしるされてゆくのだろう。この縹渺たる落葉の並木道を踏みしだきながら。
2013.11.12
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永井祐(ながい・ゆう)夕焼けがさっき終わって濃い青に染まるドラッグストアや神社第一歌集『日本の中で楽しく暮らす』(平成24年・2012)註本人が望むと望まざるとにかかわらず、現代短歌最尖鋭の旗手の一人と看做されている若手ホープである。私も高く評価している。というより、一読者として惹かれている。例えば、荒唐無稽なハリウッドのSFX映画などと対極にある世界といえる。作者にとってあらかじめ「大いなる物語」が存在しないであろう時代にあって、細心なまなざしで掬いとられ周到に選び抜かれたリアリティ溢れる言葉で捉えられた、この上なくフラットだが稠密な世界像がここにある。ベートーベン晩年の渋い傑作群、後期弦楽四重奏曲への言及は、示唆的と思える。このようにして、新しい時代の扉は開かれるのかも知れない。
2013.10.11
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永井祐(ながい・ゆう)ベルトに顔をつけたままエスカレーターをのぼってゆく女の子 またね第一歌集『日本の中で楽しく暮らす』(平成24年・2012)
2013.10.10
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永井祐(ながい・ゆう)ベートーベン後期弦楽四重奏 ぴちぴちのビニールに透けている第一歌集『日本の中で楽しく暮らす』(平成24年・2012)
2013.10.09
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)ひのくれは死者の挟みし栞紐いくすじも垂れ古書店しずか歌集『夜光』(平成12年・2000)註栞紐:「しおりひも」と読むのだろう。夜光 吉川宏志歌集【送料無料】価格:3,150円 税込 古書店 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2013.10.08
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)秋の日の郵便局は銀いろの秤はかりの上に速達を置く歌集『燕麦』(平成24年・2012)燕麦 吉川宏志歌集482首 【送料無料】価格:3,150円 税込
2013.10.07
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)子を産みし日まで怒りはさかのぼりあなたはなにもしなかったと言う歌集『海雨』(平成17年・2005)註ブルータス、お前もか。僕も妻から、ほぼ同じ台詞を吐かれたことがある。夫の側にも言い分はあるが、「じっと我慢の子であった」であった。苦々しくも生々しい笑いを誘うイタ面白い一首である。・・・夫とは、女王蜂と幼虫に黙って仕える働き蜂にほかならないか海雨 吉川宏志歌集【送料無料】価格:3,150円 税込
2013.10.06
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)揺れているスズメノベントウ そんな草ないんだけれどすずめのべんとう歌集『燕麦』(平成24年・2012)燕麦 吉川宏志歌集482首 【送料無料】価格:3,150円 税込 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメインスズメノエンドウ
2013.10.05
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)秋の夜のわれを照らしていた人は触れると割れるランプだったよ歌集『曳舟』(平成18年・2006)註一時的な現象だろうとは思うが、このところ私は吉川宏志氏以外の現代歌人にやや興味を失いかけている。その歌集は、どれも濃密なリアリティを伴いつつ、汲めども尽きぬ豊穣で静謐な沃野が広がっていて、魅了される。間もなく、所属している「短歌人」12月号の詠草締め切りがやってくるのだが、吉川氏の爪の垢を煎じて飲むつもりで、この感銘を少しは拙作に反映させなければと自省している。曳舟 吉川宏志歌集【送料無料】価格:2,700円 税込
2013.10.04
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)野沢菜の青みが飯に沁みるころ汽車の廊下はゆらゆらと坂第一歌集『青蝉』(平成7年・1995) ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン仙台駅・幕の内弁当
2013.10.03
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)水のあるほうに曲がっていきやすい秋のひかりよ野紺菊咲く歌集『海雨』(平成17年・2005)註重厚なリアリズムを基調とする作者には珍しく、シュールリアリスティックな発想を含む作品といえる。「水のあるほうに曲がっていきやすい秋のひかり」に、何らかの論理的、もしくは比喩的・象徴的な意味があるのかどうか分からないが、この畏敬すべき「若き巨匠」の近年の他の作品同様、一見平明でありながら、まれに見る言葉の美を生み出している。詩歌の本質とは「無用の用」「理外の理」であると改めて感じさせる一首である。個人的・主観的には、「(ひかり)よ」に舌を巻いた。呼びかけ・詠嘆を表わす四句止めのこの「よ」は、この一首に凛とした清冽な調べを齎している。この「よ」の持つニュアンスは意外に重く、偉そうに聞こえてしまうかも知れないが、自戒を込めて言えば、軽々しく使うべきではあるまい。こうした「よ」の用法は、しばしば初心者が安易に用いるが、稀なビギナーズ・ラックを除けば、安っぽい歌謡曲の歌詞のようになり、いかにもしろうとっぽく、おおむね失敗している。作歌も中級者ぐらいになるとほとんど使わなくなるのではないか。私なども、もし他の語句が浮かんだとしても、無難に「に」で繋げてしまいそうな気がする。・・・が、ここではトップ・ランナーの歌人が周到に用いている。「方へ」ではなく「ほうに」になっている点なども含めて、細かいテクニカル(技術的、技法的)な面に至るまで吉川氏の作品群は表現のレファレンス(標準)の宝庫と思う。海雨 吉川宏志歌集【送料無料】価格:3,150円 税込 ノコンギク画像 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2013.10.01
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小池光(こいけ・ひかる)次ぎ河童巻取らむ河童巻いまだこれ河童巻否いな干瓢巻これなにかこれサラダ巻面妖なりサラダ巻パス河童巻来よタコ来き穴子来きタコ、タコ来き海老来き稲荷も来きねこいらず来こずショーユも来く歌集『草の庭』(平成7年・1995)註来こ、来き、来く:現代語「来る」ではなく、古語動詞「来く」(カ行変格活用)の未然形、連用形、終止形。短歌では現代でも普通に用いられる。回転寿司屋の光景のいわば「写生」だが、巨匠の瞠目すべき技量によって無類のおかしみが生じている。脱帽。
2013.09.30
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大松達知(おおまつ・たつはる)生徒の名あまた呼びたるいちにちを終りて闇に妻の名を呼ぶ妻とわれ入り組むやうに生きてゐてされどそれぞれ爪切りがある第一歌集『フリカティブ』(平成12年・2000)
2013.09.12
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小池光(こいけ・ひかる)日に三度飯めし食ひしのみにをはりぬとことしの夏を弔ふわれは歌集「時のめぐりに」(平成16年・2004)
2013.09.05
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三枝昂之(さいぐさ・たかゆき)首都は驟雨 射手にならざる星々のさびしきながき伝令も零る歌集「水の覇権」(昭和52年・1977)首都の夕立に星々は隠されて人々の心を射る者にならずその無念のメッセージは光の代わりに雨に託されて寂しく長々と降って来る。註「射手」「伝令」、いずれも本来は軍事用語であり、その微かに孕んだ禍々しいニュアンスが、緊張感と不安感を醸し出している。射手:「しゃしゅ」と読むか。「射手座」のごとく「いて」でもおかしくないか。零る:「ふる」と読むか。
2013.09.05
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斎藤史(さいとう・ふみ)あやまちて簗やなにのりたるいろくづの白きひかりを人拾ふなり歌集「ひたくれなゐ」(昭和51年・1976)註簗:梁。→ 梁漁○ 栃木・烏山(那珂川)「矢沢のやな」ウェブサイトいろくづ:鱗うろこの古語。転じて魚を指す。ここでは、とりわけ鮎。 ウィキペディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2013.09.02
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土岐善麿(とき・ぜんまろ)初対面たまたま来あはせし青年の三人ながら復員の兵歌集「冬凪」(昭和22年・1947)註もともと洒脱な歌風の作者らしい、終戦直後のスケッチ風の一首だが、当時すでに著名な歌人だった作者の下に三々五々集まってきた、こうした復員軍人や銃後の青年の群れの中に、その後の現代短歌を切り拓いていった俊英たちがいただろうことを想像すると、これはなかなか含蓄のある歌だなと思う。
2013.08.15
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土岐善麿(とき・ぜんまろ)あなたは勝つものと思つてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ歌集「夏草」(昭和21年・1946)
2013.08.15
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俵万智(たわら・まち)「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日第一歌集『サラダ記念日』(昭和62年・1987)Because you told me"Yes,that tasted pretty good"July the Sixthshall be from this day forwardSalad Anniversary.英訳 ジャック・スタム Jack Stamm【俵万智さん自註】 サラダがおいしかったというような、ささやかなことが記念日になる。それが恋というものだし、それを記念日として刻印してくれるものが、自分にとっての短歌だ。(角川「短歌」2009年7月号)註現代短歌では異例の大ベストセラーとなって一世を風靡し、歌壇のみにとどまらない広汎な日本語表現にまで大きな影響をもたらした作者の記念すべきデビュー歌集の表題歌。見かけによらず、きわめて技巧的な一首である。作者自身の表向きの社交辞令的公式解題というべき上記の「自註」はともかくも、自著『短歌をよむ』(岩波新書)で告白しているところによると、手帳に書きとめた初稿は「カレー味のからあげ君がおいしいと言った記念日六月七日」だったという。「サラダ」は影も形もなかった。そこから、「からあげ記念日」 などの案も含め、文字として残っているだけで8パターンほどの推敲案を経て、発表された形になったという。「頭の中の推敲」を含めれば、もっと多いだろう。日付の改稿についても、季節感に留意しつつ、七夕の7月7日では恋の歌には即つきすぎとして斥けるなど、なかなかに彫心鏤骨の創作過程であることが分かる。これほど苦心の彫琢ではないとしても、短歌実作者であれば例外なく、着想から推敲・脱稿に至るまで、うんうん呻吟しながらこれに近いようなことはけっこうやっている(そこがまた楽しからずや、ではある)ので、こちらの勝手な一方通行ながら、共感と忖度の念を禁じえない逸話である。作者は触れていないが、おそらく実際には7月4日がアメリカ合衆国の「独立記念日(インディペンデンス・デイ)」であることも踏まえているのだろう(くまんパパ説)。この解釈が成り立つとすれば、作者が独立したのは、それまで庇護してくれた「両親」からだろう。「これゆえに、人はその父母を離れて偶つまと契りを結び合う」という旧約聖書・創世記のアダムとエヴァ(イヴ)説話の結語エピローグが想起される。そうだとすると、この歌は若い女性が親元から離れて世の荒波に帆を揚げつつ、自由な恋愛の海に出帆する宣言であり、それなりに悲壮ともいえる覚悟が織り込まれているとも読めそうだ。・・・そんなこんなにもかかわらず、一見してそうした技巧を全く感じさせない自然な表現にまで持っていった手際の妙。作歌当時、芳紀二十歳そこそこだったひとりの女の子のたくらみが現代短歌の可能性を大きく拓いた「記念碑」的な不朽の名歌。俵万智 短歌をよむ【送料無料】価格:840円(税込)
2013.07.06
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東直子(ひがし・なおこ)そぼそぼと降る雨音のおだやかさ 愛した人の悪口を言う第一歌集『春原さんのリコーダー』(平成8年・1996)
2013.07.04
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