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俵万智(たわら・まち)言葉から言葉つむがずテーブルにアボカドの種芽吹くのを待つ『プロフェッショナル 仕事の流儀』NHK27日放送角川『短歌』2月号
2023年02月27日
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)火の如くなりてわが行く枯野原二月の雲雀身ぬちに入れぬ歌集『捜神』(平成5年・1993)火のように燃えて私が行く枯れ野原で二月のひばりをこの身の内に入れたのだ。註短歌にいち早くシュルレアリスム(超現実主義)を導入した巨匠の歌は相変わらず難解・晦渋だが、きわめて魅力的なイメージが紡がれている。おそらく、例えば具象と抽象のあわいをいくシュールな絵画の一幅を見るように鑑賞すればいいのであって、論理的散文的な意味を探ってもあまり意味がないかも知れない。二月の雲雀:ひばりといえば、うららなる春たけなわの田園の「ピーチクパーチク」の声でおなじみの雄の求愛行動「揚げ雲雀」が直ちに思い浮かぶが、「二月の雲雀」とは、真冬にじっと雌伏する鳴かず飛ばずのひばりというような意味か。この辺りには微かに論理的な意味を読みとれるような気もする。
2023年02月01日
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)藍青らんじやうの天そらのふかみに昨夜よべ切りし爪の形の月浮かびをり第一歌集『水陽炎』(昭和62年・1987)
2023年01月25日
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永井陽子(ながい・ようこ)イタリア語のやうなひかりを持て来たる冬の郵便配達人は落書きは空にするべし少年が素手もて描く少女の名前龍之介の好みは鰤ぶりの照り焼きとおもひ出しつつ寒し 元旦歌集『モーツァルトの電話帳』(平成5年・1993)
2023年01月11日
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)春ここに生あるる朝あしたの日をうけて 山河草木さんかさうもくみな光あり歌集『山と水と』(昭和27年・1952)註「生(あ)るる」の読みは、作者の孫でやはり歌人の佐佐木幸綱氏が確認している。上古語動詞「生(あ)る」の連体形。「生(あ)る」は、「生まれる」の意味だが、「生まれる」が「生む」の受身形であるのと違い、能動的・自発的であり、また神秘的・超越的な存在が出来(しゅったい)するニュアンスがある。現代でも、短歌表現では比較的普通に使われる。語源的には「あり(存在する)」と関係があるかも知れない。したがって、韻律上「朝」は「あした」と読むと思われる。
2023年01月01日
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岡野大嗣(おかの・だいじ)ハムレタスサンドは床に落ちパンとレタスとハムとパンに分かれた歌集『サイレンと犀』(平成26年・2014)註う~む、上手いなあ。現代短歌を切り拓いている俊英による一首。短歌というものが五七五七七の韻律をもってする言葉のパズルであるという遊戯性を思い出させるとともに、ちょっと痛々しいようなリアリティが同居している。レタスとハムを挟んだ上下のパンが二回出てくるあたりの芸が細かくて、笑える。・・・おにぎりでは、こうはならないだろうね(笑)シュールな歌集タイトルは、英語「サイレント・サイ(静かな溜息)」に掛けてあり、これまたお洒落。
2022年12月21日
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)さうぢやない 心に叫び中年の体重をかけて子の頬打てり歌集『希望』(平成12年・2000)註「頬打てり」という言葉を見れば文語訳新約聖書・福音書を思い出してしまう。文語体・旧仮名遣いが醸し出す「重厚化魔法」。あの明朗快活、人格円満かつ温厚篤実、頭脳明晰(おまけに美人)の小島さんの家でもこういうことがあったのか、表現上多少盛ったか。まあ、子供のいる家庭なら、たまにはこういう事態も起きるよね。特に、同性の母親と娘にはありうるかな。父親(わたし)と娘の間では絶対にありえないけどね。日常生活の一齣を鮮やかに切り取った秀歌。3、4句目の「中年の体重をかけて」が、現代短歌のリアル表現としての切れ味鋭いツボである。・・・さても、中年の母親の全体重をかけて頬を打たれた「子」とは、お嬢さんで現在やはり歌人として活躍している小島なおさんか、それともその妹さんだろうか(・・・どっちでもいいけどね)。
2022年12月21日
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河野裕子(かわの・ゆうこ)たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏くらき器を近江と言へり歌集『桜森』(昭和55年・1980)註近江(おうみ):旧仮名遣い「あふみ」。「淡海(あはうみ)」の音便で、もとは淡水湖の意味。琵琶湖の古称。転じて近江の国(現・滋賀県)を意味するようになった。
2022年12月17日
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馬場あき子音立てて燃ゆることなき朽葉焚き冬へ冬へとなだれゆくべし歌集『雪木』(昭和62年・1987)註晩秋から初冬にかけて降る時雨(しぐれ)などに濡らされて湿り気を帯びた朽ち葉は、焚き火をしてもぱちぱち音を立てることなく燻って燃える。その静けさと凛たる空気の中で、季節は冬へと傾いてゆくのだろう。
2022年12月11日
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岡部桂一郎(おかべ・けいいちろう)しゅるしゅると雨戸を閉める向こう側十一月はもう戻らない卓上に地震ないのしずかによぎりしが途方に暮れし眼鏡ありたりさびしさの極みにあれば夜をこめて雪ふる音をきみは聞いたか間道にこぼれし米の白ぞ沁むすでに東北に冬が来たひと息に行人坂を吹き抜けて途方にくれる昼の木枯葡萄酒にパン浸すとき黒々とドイツの樅は直立をせり『岡部桂一郎全歌集』
2022年12月05日
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前登志夫(まえ・としお)山の樹に白き花咲きをみなごの生まれ来につる、ほとぞかなしき*註 純白の花が咲いて、その花のような女の子が生まれてきたよ。その女陰の割れ目のかわいくて恥ずかしくて愛しくて切なくて哀しいなあ。古語「かなし」の持つすべてのニュアンスを用いていると解される。すみれ色の夜明けのひうちほのぼのと掌てににぎりしめ少年眠る*註 ひうち:火打ち石のことか。菫色(紫色)にほのめく光の中、火を熾したばかりの石を握りしめて~。・・・「少年」は作者の自画像か。単純に生きたかりけり花野行く女童めわらはひくく遅遅と歩みてひたすらにいま在る時をあがなへと歌ひ出づ夜の森から三人子みたりごはときのま黙もだし山畑に地蔵となりて並びゐるかも国栖くにす・井光ゐひか滅びしのちもときじくの雪降りやまず耳我嶺みみがに響とよもして若葉のなだり吹く風に問はずや過ぎむわが常処女とこをとめ歌集『縄文紀』(昭和52年・1977)
2022年12月03日
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永井祐(ながい・ゆう)日曜の夕方吉祥寺でおりてそこにいるたくさんの若い人たちコーヒーショップの2階はひろく真っ暗な窓の向こうに駅の光水のりの匂いのようなものがする秋をスーツの人しかいないベルトに顔をつけたままエスカレーターをのぼってゆく女の子 またね夕焼けがさっき終わって濃い青に染まるドラッグストアや神社第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(平成24年・2012)註うう、すごい。心洗われる。ここに立ち現われた世界像にうっとりする。現代短歌の最先端を切り拓いている孤高の俊英のデビュー歌集。ご覧の通り、一見「ゆる」くて平明フラットで、誰もが真似したくなるような歌風だが(そして事実、多数の模倣者を生み出しているが)、この域に辿り着いている者はほとんどいない。声望は高まる一方である。文学表現はフラットなリアルさに向かっている。小説では、すでに例えば保坂和志の達成がある。作者の場合は、もう一歩進んで(退いて?)、局外者的な「ヴォワイヤン(見者、傍観者)」という感じだろうか。まさに詩人の資質である。短歌ファン、まして実作者が読めば、作者の紡ぎ出すこれらの言葉が、詩とリアリティを目的意識的に追求するきわめて高度な精神の作用によって一字一句に至るまで選えりに選られ、研ぎ澄まされて彫琢された表現であることは一目瞭然であろう。ここに投入された思惟の深さも想像がつく。感服、敬愛。ますますのご健詠を祈っている。
2022年09月30日
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石原慎太郎 辞世灯台よ汝なんじが告げる言葉は何ぞ 我が情熱は誤りていしや石原慎太郎・曽野綾子共著『死という最後の未来』令和2年(2020)6月灯台よ(海の男である私に)そなたが告げる最期の言葉は何なのか私のとめどなき情熱は誤っていたのか(・・・いや、そんなはずはない)。昨1日、石原慎太郎氏が永眠された。享年89。作家として政治家として、戦後日本を駆け抜けた鮮烈な生涯だった。けさのテレビ朝日の報道によると、辞世(この世を辞するにあたり短歌を詠む伝統的風習、また、その歌)は上掲の通り。解釈の文責は筆者。註誤りていしや:反語的疑問形。強い詠嘆と確信のニュアンスを帯びる。
2022年02月02日
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俵万智(たわら・まち)黄昏のイルミネーション見せやれば子は指させり青きイルカをあんぱんまんの顔がなくなるページありおびえつつ子はしっかりと見る歌集『プーさんの鼻』(2005年)
2021年12月17日
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米川千嘉子(よねかわ・ちかこ)黄菊の香つよき酢をもて消してゆく 十たび百たび否定をすべく第一歌集『夏空の櫂』(昭和63年・1988)註意表をつく、まさかの下の句の着地だが、うまいな&すごいなと思う。「黄菊の香」は、定型韻律で「きぎくのか」と読むのだろう。ここでは食用菊(の花)のこと。微かに独特の野生の香り、青臭さがある。それを酢の臭いで消しつつ、酢の物として賞味する(天麩羅もいいね)。「黄菊の香つよき酢をもて」までが「消してゆく」を導く、和歌1300年の伝統的技法の一つである序詞(じょことば)だが、ここでは叙景の実質的な意味も併せ担っているように見える。ちなみに、最も有名な序詞の用例は、伝・柿本人麻呂「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」(万葉集2802/拾遺和歌集778/小倉百人一首3)であろう。「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」が「ながながし」を導くとともに詩的感興を担っている。上掲歌は、ある種の大胆な観念的飛躍を試みつつ、納得させてしまう力がある一首である。それにしても、具体的には語られない「十たび百たび否定をすべく」「消してゆく」ものとは、いったい何なのだろうか?勘ぐるだに怖ろしい気がしないでもない
2021年11月15日
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香川ヒサ(かがわ・ひさ) どのやうに馬鹿なことでもすでにもう誰かが言つたり書いたりしてる歌集『ファブリカ』(平成8年・1996)
2021年11月14日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)秋風の遠とほのひびきの聞こゆべき夜ごろとなれど早く寝いねにき歌集『小園』(昭和24年・1949)秋風に乗った遠い場所の響きが聞こえてくるであろう夜の頃合いとなって耳を澄ましていたい気持ちもあったのだが疲れていたので早々に寝てしまったよ。 日本貨物鉄道(JRF)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年11月14日
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)藍青らんじやうの天そらのふかみに昨夜よべ切りし爪の形の月浮かびをり第一歌集『水陽炎』(昭和62年・1987)註先ほどたまたま夕暮れの南西の空を見たら、すごく綺麗な細い月が出ていた。この歌を知ってからというもの、こういう月を見ると切った爪の形にしか見えなくなっている。おそろしい。二日ぐらいの若い月を見て「昨夜よべ切りし爪の形」と言い当てた観察力と発想の妙、格調高い文語表現の結晶作用。「夕べ」ならぬ「昨夜よべ」なんて言葉はこの歌で初めて知ったが、確かに存在し、源氏物語に用例があるという。
2021年11月07日
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光森裕樹(みつもり・ゆうき)だとしてもきみが五月と呼ぶものが果たしてぼくにあつたかどうか歌集『鈴を産むひばり』(平成22年・2010)
2017年05月06日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)秋風の遠とほのひびきの聞こゆべき夜ごろとなれど早く寝いねにき歌集『小園』(昭和24年・1949)秋風に乗った遠い場所の響きが聞こえてくるであろう夜の頃合いとなって耳を澄ましていたい気持ちもあったのだが疲れていたので早々に寝てしまったよ。 日本貨物鉄道(JRF)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年10月13日
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった第一歌集『青蝉』(平成7年・1995)
2016年04月12日
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吉川宏志(よしかわ・ひろし)しらさぎが春の泥から脚を抜くしずかな力に別れゆきたり歌集『夜光』(平成13年・2001) ゴイサギウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2016年04月12日
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梅内美華子(うめない・みかこ)截るごとにキャベツ泣くゆえ太るときもいかに泣きしと思う夕ぐれ歌集『若月祭みかづきさい』(平成11年・1999)註截る:「きる」と読む。截断せつだんする。包丁などでばっさりと切り分ける。 キャベツウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2016年04月12日
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香川ヒサ(かがわ・ひさ)ひとひらの雲が塔からはなれゆき世界がばらば らになり始む歌集『ファブリカ』(平成8年・1996) 薬師寺 玄奘塔 (奈良市西ノ京町)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年04月12日
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尾崎左永子(おざき・さえこ)雨の日のさくらはうすき花びらを傘に置き地に置き記憶にも置く歌集『夕霧峠』(平成10年・2008)
2016年04月04日
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佐藤佐太郎(さとう・さたろう)夕光ゆふかげの中にまぶしく花みちてしだれ桜は輝かがやきを垂る歌集『形影』(昭和45年・1970)註輝かがやきを垂る:輝きを(したたり落ちる水のように)垂らしている。
2016年04月03日
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稲葉京子(いなば・きょうこ)抱かれてこの世の初めに見たる花 花極まりし桜なりしか細枝まで花の重さを怺へゐる春のあはれを桜と呼ばむ歌集『槐えんじゆの傘』(昭和56年・1981)
2016年04月03日
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上田三四二(うえだ・みよじ)しづかなる狭間をとほりゆくときにわが踏むはみな桜の花ぞさびしさに耐えつつわれの来しゆゑに満山明るこの花ふぶきちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも歌集『涌井』(昭和50年・1975)
2016年04月03日
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今野寿美(こんの・すみ)やはらかに文語の季節去りにけり花見むとしてわれは目を閉づ歌集『世紀末の桃』(昭和63年・1988)註咲き誇った花が散るごとく、生きた言語としてはすでに存在しない文語。美しきものは、もはや記憶の中にしか存在しないという寂莫たる喪失感。現代的な語彙を用いていながら、失われたものへの愛惜の感情は、まさに「もののあはれ」そのものといえよう。
2016年04月03日
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窪田空穂(くぼた・うつぼ)純白の円き花びら群れはなれ落ちゆくさまの静かさを見よ桜花ひとときに散るありさまを見てゐるごときおもひといはむ遺稿歌集『清明の節』(昭和43年・1968)註近現代短歌の巨匠であった作者の絶詠に近い最晩年の作。ここに詠われた桜は、現実のものというよりは、最期の時を迎えた作者自身の隠喩とも思われる。まことに清澄な境地の「現代の辞世歌」。
2016年04月01日
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前登志夫(まえ・としお)さくら咲くゆふべとなれりやまなみにをみなのあはれながくたなびくさくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへりふるくにのゆふべを匂ふ山桜わが殺あやめたるもののしづけさ歌集『青童子』(平成9年・2007)
2016年04月01日
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大塚寅彦(おおつか・とらひこ)さくらばなあふるる白のひそめゐる青みるときぞいつかあらなむ歌集『声』(平成7年・1995)桜花 ──。あふれる「白」が潜めている「青」を見る時がいつかあるのだろう。/ いつあるのだろうか?註論理的な意味内容はよく分からないというほかはないが、ものすごく魅力的な一首であることは間違いない。「純粋詩」の美を放っている。幻視的な感覚の鋭敏さと「白つながり」で、巨匠・佐佐木幸綱の「竹は内部に純白の闇育て来ていま鳴れりその一つ一つの闇が」(歌集『夏の鏡』昭和51年・1976)をちょっと連想する。
2016年03月29日
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大塚寅彦(おおつか・とらひこ)花の宴たちまち消えて月さすは浅茅がホテル・カリフォルニア跡第一歌集『刺青天使』(昭和60年・1985)註花の宴:「荒城の月」の歌詞「春高楼の花の宴」を踏まえる。浅茅がホテル・カリフォルニア:上田秋成の古典『雨月物語』の一篇「浅茅が宿」の説話を踏まえる。その映画化の『雨月物語』(溝口健二監督、京マチ子・森雅之・田中絹代主演、昭和28年・1953、大映)は、日本映画史上屈指の名作として知られる。また、ロック史上に輝くイーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」の歌詞は難解を以て聞こえるが、虚飾に満ちた現代世界を痛烈に批判していることは間違いないだろう。そういった幻滅とアンニュイに満ちたイメージを重層的に鏤ちりばめている。→ イーグルス ホテル・カリフォルニア
2016年03月29日
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宮英子(みや・ひでこ)ひとつづつ雛のおもてを包み蔵ふ雪降る午前しづけくしあり歌集『婦負野』(平成17年・2005)註おもて:「顔、おもわ」の意味で、これが原義。語源は「面(おも)方(て)」。のちに「(裏)表」の意味が派生した。cf.)山の手。大手門。蔵ふ:「しまう」と読む。* 小島ゆかり「われにふかき睡魔は来たるひとつづつ雛人形を醒まして飾り終ふれば」は、この歌のリスペクト的な本歌取りと見られる。
2016年03月03日
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伊藤一彦(いとう・かずひこ)弥生雛やよいびなかざればあわれ音もなくおりてくるかな家の霊らも歌集『瞑鳥記』(昭和49年・1974)註霊:「たま」と読むか。
2016年03月01日
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)われにふかき睡魔は来たるひとつづつ雛人形ひなを醒まして飾り終ふれば歌集『獅子座流星群』(平成10年・1998)
2016年03月01日
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俵万智(たわら・まち)私から私に贈る言葉あり手のひらサイズの雛ひいなを飾る歌集『チョコレート革命』(平成9年・1997)註雛ひいな:古語「ひひな」が、「ひいな」→「ひな」と転訛した。その中間の段階を用いた擬古的表現。
2016年03月01日
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馬場あき子古雛の目もとかそけくなりはててみちのく遅き春をみており歌集『桜花伝承』(昭和52年・1977)註奥州(東北地方)の、旧暦による桃の節句の情景か(今年でいえば、4月9日に当たる)。目元も微かになり果てた古い雛人形が鄙(ひな)びた風情を醸しているつつましやかな遅い春。古雛:「ふるびな」と読むのだろう。
2016年03月01日
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紀野恵(きの・めぐみ)晩冬の東海道は薄明りして海に添ひをらむ かへらな第一歌集『さやと戦げる玉の緒の』(昭和59年・1984)冬の終わりの東海道はほのかに薄明かりして海に寄り添っているのだろう。帰ろう。註(かへら)な:「~しよう」。活用語(この場合は動詞「帰る」)の未然形に接続して、話者の意志を示す上古語終助詞。万葉集に頻出する。おそらく、奈良時代当時の口語だったのだろう。 東海道 富士山付近 / 薩埵峠(静岡県清水市)付近ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大
2016年02月23日
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俵万智(たわら・まち)「クロッカスが咲きました」という書きだしでふいに手紙を書きたくなりぬ第一歌集『サラダ記念日』(昭和62年・1987) クロッカスウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2016年02月23日
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前川佐美雄(まえかわ・さみお)月ヶ瀬の谷の空わたる月あれば昼間見し梅花うめ忘れてねむる* 月ヶ瀬観光協会(奈良県奈良市) 梅まつり
2015年03月17日
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紀野恵(きの・めぐみ)晩冬の東海道は薄明りして海に添ひをらむ かへらな第一歌集『さやと戦げる玉の緒の』(昭和59年・1984)冬の終わりの東海道はほのかに薄明かりして海に寄り添っているのだろう。帰ろう。註第一歌集の劈頭を飾って、そのまま作者の代表作となった名歌。(かへら)な:「~しよう」。活用語(この場合は動詞「帰る」)の未然形に接続して、話者の意志を示す上古語終助詞。万葉集に頻出する。おそらく、奈良時代当時の口語だったのだろう。 東海道 富士山付近ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2015年03月15日
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俵万智(たわら・まち)私から私に贈る言葉あり手のひらサイズの雛ひいなを飾る歌集『チョコレート革命』(平成9年・1997)註雛ひいな:古語「ひひな」が、「ひいな」→「ひな」と転訛した。その中間の段階を用いた擬古的表現。
2015年03月03日
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小島ゆかり(こじま・ゆかり)われにふかき睡魔は来たるひとつづつ雛人形ひなを醒まして飾り終ふれば歌集『獅子座流星群』(平成10年・1998)
2015年03月03日
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伊藤一彦(いとう・かずひこ)弥生雛やよいびなかざればあわれ音もなくおりてくるかな家の霊らも歌集『瞑鳥記』(昭和49年・1974)註霊:「たま」と読むか。
2015年03月03日
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馬場あき子古雛の目もとかそけくなりはててみちのく遅き春をみており歌集『桜花伝承』(昭和52年・1977)註奥州(東北地方)の、旧暦による桃の節句の情景か(今年でいえば、4月21日に当たる)。目元も微かになり果てた古い雛人形が鄙(ひな)びた風情を醸しているつつましやかな遅い春。古雛:「ふるびな」と読むのだろう。
2015年03月02日
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俵万智(たわら・まち)バレンタイン君に会えない一日を斎いつきの宮のごとく過ごせり第一歌集『サラダ記念日』(昭和62年・1987)* 斎宮(いつきのみや、さいくう)
2015年02月13日
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藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう)寒雷雨暗き茶房にやり過ごし戦場に行ったジョニーのことも歌集『19××』(平成9年・1997)
2015年01月28日
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香川ヒサ(かがわ・ひさ)ひとひらの雲が塔からはなれゆき世界がばらば らになり始む歌集『ファブリカ』(平成8年・1996) 国宝 薬師寺 金堂ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年12月01日
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佐佐木幸綱(ささき・ゆきつな)わたくしももみじしたいと大き楓仰ぎて若き女は言うも歌集『瀧の時間』(平成5年・1993) カエデ 紅葉ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年11月26日
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