2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全7件 (7件中 1-7件目)
1
坂本龍一が子どもたちに教えているよ。もっと早く気づくのだった。だって、スコラのシーズン1はバッハだったから。*平均律はバッハが完成したもの。そして、完成されつくされてはおらず、ゆらいでいるもの・・といったら、わかるかなぁ。平均律の目的とは何かといえば、様々な音を規定して閉じ込めて倍音を響かせるしくみ・・というのがおぃら説。アフリカの民族音楽を語るときに「クォータートーン」という言葉が使われる。それは半音を更に半音に分割した音のこと。しかし、それが「確かに」アフリカの音楽を語っているかといえばそうではない。「うねり」「うなり」それを理解するためにシンセの音にダイブしよう。*実はこのページのブックマークにはパッフェルベルの4曲のページへのリンクあってフリーにダウンロードできるんだよっ。この曲を打ち込んだ頃は、37歳ぐらいだったろうか。ぜんぶ手打ち・・すなわちマウスで音符を拾って楽譜を完成させるでそ。それを鳴らしてもおもしろくともなんともないのね。理由はコンピータミーゼックだから。なので、音の一つ一つのピッチを変えたり楽節ごとにテンポにゆらぎをもたせているのだわ。ピッチを変えると和音になったとき、音にうねりがうまれる。うなりのしかけは、とても小刻みなテンポの変化でうねりがちょうと「鳴る」ようにすること。たしかに、これはユーラシア語の歌なのだろう。音符を崩したときにわかった。楽譜にはないメロディーラインを和音の重奏から見つける。それをバッハの兄すなわちバッハの師のまた師であるパッフェルベルが音符には書かかなかった音をかさねてみたら!この曲は「キーボードミュージック」ではなかったことがあきらかになる。おそらくカラヤンは思っただろう。「どうすれば、もっと、より、セクシーにうねり、うなるのか・・」YMOはそれを探求して答えのひとつを出したのだわ。*おたまじゃくしは、そのうちの100分の一が蛙になれるという。雨ふる満月の夜、目の前の水田から蛙があふれている。大豆をまきちらしたかのように。おたまじゃくしの奇跡さらにその奇跡が庭をおおっている。ATGC(アデニン、グアニン、シトシン、チミン)の遺伝子配列はきわめて静的なもの。しかし、そこから発現する命とは。命とは「うねり」「うなり」ゆらぐものなんだろうね。
2010年06月27日
コメント(0)
払わなくてもよい税金を払っている。それがひとりふたりではなくて、たくさんいる。*私立高等学校で授業料軽減の加算手続きをしていると、この所得でこの扶養者なのになぜ税額が発生するのだ・・という家族がちらほらいる。要するに、確定申告や年末調整をするときに子どもたちを扶養にいれれば税額は発生しないはずなのにそれがなされていないために、地方税が課税となっている世帯が見えてきた。ひとつやふたつではなく、たくさん。*申告主義の限界だな・・と思うし、もしもそれにおぃらが気づいて指導をして申告のしなおしになったら税理士法違反となるだろう。だから、地方公共団体の現場で職権による確定申告があっても良いと思うんだ。理由は義務教育で税務を教えていないから。*低所得世帯に対してたぶん地方公共団体は指導をしないだろう。理由はあきらか。それをしろという法律もないし通達もないから。なので自治省、通達をだせばそれでよい。扶養すべきと思われる者がいる確定申告者が扶養申告がなされていなかったら指導するか本人の同意を得て職権で申告をしなおしすること。税務署の現場でもいいよ。義務教育で教えていないんだから国税の現場はわからないけど地方公共団体の現場はわかるんだから教えるべきなんだよね。職権であれば税理士法に違反しない。見ているとこれほどまでに税務について無知な国民なのだ、そうしたのは誰かと問いたくなるが。たぶん民主党もしないだろう。だってたぶん、税務って国会議員の彼らがわからないんだから。
2010年06月17日
コメント(0)
トモダチという言葉は21世紀的に大切だ。そしてトモダチが山形県で陶芸をしているところでニホンミツバチが毎年来るからどうよ・・というのででかけた。不忘窯というところ。*彼のところに毎年ニホンミツバチが来るというので秋に見に行った。もしかすると、とんでもない国内最優良品種かもしれない。働き蜂はまるまるとふとっているし、♂蜂も大きい。分蜂があり知らせがあり、友人は管理に行った。そしてその手伝いを願いたいというので日曜日に行って来た。*ミツバチはともかく、窯だよ。話をしながら多くは聞かないが窯をみればおおよその察しはつく。彼がおぃらに見合いの器をつくるだろうか。見合いだったら値段はいくらだ。そしての目的とは、花器か茶碗かそれとも臓器か。あるときおぃらは言うかもしれない。「明日から入院だ。たぶん生きては帰れない。スギナをいける花器を焼いてくれよ。」と。観光地にはものほしげな定年退職して自分の価値を押し付けたり人に媚たりするような陶器が増えた。いらねぇんだよ、そんなもん。おいらがほしいものは、・・彼のところに毎年来る、ふしぎに大きいニホンミツハチなんだよっ!*そいで、タイトルのサライとBE-PAL、すてている話をしたら、トモダチが欲しいんだって。それわ、いいわい。おぃらは彼のところにぜーんぶ預けて、時々眺めにいけばよいのだから。そうだ!家にあがりこめるトモダチの家をいっぱい増やすのだっ!
2010年06月15日
コメント(2)

「贅沢はステキだ」というブルータスがあった。そしてポパイ、オリーブも。いま、おぃらはサライとBE-PALの山を処分している。その理由とは「意味」にある。*とある書店が閉店するときに、サライを処分しようと思っていますといったら「捨てないでください」と言われた。それは図書のよどみのうたかたを見た人にすればかく望むこともわかる。債務整理の最中であるからなおさらだったのだろう。わが子の夏休みの自由研究で、砂鉄から鉄をつくつていたときのこと。実は蒲生氏と伊達氏が領地を奪い合ったのが自分の近くで、子どもの頃、山に行くと金銀を掘った穴の跡があり、それは戦後も掘られていたらしいとしった。それが証拠にこのザラ水晶。山塊が一体としてある。これがあるところには金があるという。それが「意味」だ。買おうと思ったら、とある医療法人が手早く買っていた。負けた・・爆贅沢の彼岸を思うと登山家の植村がでてくるのは、たぶん彼が自分の飢えをみたしてくれたからなのだろう。たしかに贅沢とはステキであり、あるのだがそこには彼岸がある。植村とケロシンストーブはその極地でもある。*そんなことに関係なく、巷には広告があふれる。その岸辺に良寛の般若心経の写しがあった。コピー代15万円。スキャナで読んだものではあるのだろうが、写しで値段がつけぱそれでよいのだ。その、良寛の心経を今、てもとにひろげているがいゃー美しい。もちろん、無料。広告のコピーだよ。(笑)世界にアンテナを広げて認知はしている。そのつもりにさせられている。ここでうまれた私はここで悩み、そして笑い、そして死ぬのだろう。思った通りではなく揺り動かされ、違う人生ではあるが、私はいきてある。そして小さな声で、毎日を「楽しい」と言えるようになった。*贅沢はステキではなかった。見栄をはることの苦痛でしかなかった。しったかぶりの果てに絶望があり、絶望が前提であっての「贅沢」だった。それとは、若い女性がなぜにこれほどまでに肌をいため髪をいためて有名モデルの真似をして「浪費」しているのかを知ったから。健康をビジネスとしていながらその反面、若いうちに不健康を仕込んでおく。広告代理店はそれくらいしかもうできないのだろう。そして一部の人たちは気づいている。若い人たちが「おまけ」やプレゼントを嫌がるのを知らないのだろうか。もらっても困るものは「捨てる」のだ。*見栄を捨てて、ひとびとにつかえることをよろこびとして生きよう。絶望再生産の仕組みに気づいてよかった。雑誌ほど愚かしいものはない。自分にとってその頂点はサライそしてBE-PAL。提供者を喰う仕組み、提供者から踊らされる仕組み。ジュリアナ東京ってあったよね。だから、今は、静かに踊ろう。静かに。
2010年06月12日
コメント(0)

成績優秀な女子高校生はおぃらの前で涙を流しながら言った。「学校に来るなんて・・イミ・・ナイシ・・・」それは、授業料未払いに関する規定で明日から学校に来れないと申し渡しをしたときのことだ。そのときにおぃらは言った。「未来に意味はない。現在にも無い。学校に来る意味とか将来にも意味は無い! 意味は過去が現在を定めるためにあるものだ。だから意味はみえなくて当然なんだ!」たぶん彼女なら理解するだろう。そう思って話をしたら、泣き顔がきょとんとした顔になり次には挑戦する顔に変化した。*高等学校の授業料無償化といいながら問題はとても大きい。中学校はゾーニングしてダンピングすればそれでおしまいかもしれないが、おぃらはある人に言われた。「出世するなよ」国の施策でソーシャルワーカーとかが学校にも整備されていればいいのだが。ある人が言ったのは、絶望の水際に首をつっこむなという警告だったのかもしれない。しかし、思うのだ。学校にはソーシャルワーカーが「校長」とは別の職務として必要だ。問題は重なっているのだから。所得があっても債務保証をしている家庭の子どもたちは悲惨だよ。いわばそれに対するゾーニングができてないってこと。低所得者だけが苦しいのではない。債務保証をしている生徒の保護者も含めて救済してはじめて目的は達成される。自民党と公明党は質問すべきだ。債務保証の履行を認知したもしくは親権ある生徒、学生がいる場合、債務更改を拒否してはならないという法律の制定ぐらいしてみろ。*それでもなお、いのちのみぎわに花は開く。クレソンだよ。花の下に黒い筋がみえるでそ。これがぜーんぶヒキガエルのおたまじゃくし!この池は夏にはひあがる。それまでにバクテリアを食ったプランクトンをたべ、鳥たちにつつかれ群はうねりうねりながらいのちをあらわす。そして幸運といういのちの定めすなわちごくわずかな数匹のみに肺が与えられる。今日は泣いた生徒の母親が勤務する職場に集金に行ったよ。時給で働かされること。それも長期にわたること。数年勤めてエキスパートでもなお臨時職員であること。餓鬼の人喰いだな・・申し渡しをする前日、おぃらの担任だった古刹の住職をたずねた。「軸がありしたよね。」それは地獄絵を旅の絵師が宿飯をもとめながら描いたものだったと言う。それが義経にしたがった佐藤兄弟の菩提寺にあった。その菩提寺の住職はおぃらが高校生のときの担任だったんだ。*地獄絵をはじめてみたのは古刹にクラス全員が宿泊したときのこと。おおらかな時代だった。体育科の教官室からはいつもマージャンの音が聞こえていたし。宿泊した翌朝、軸が干されいた。それはとてもとても見事なものだった。高校生のおぃらからしてみても。リーマンやソロモンブラザースに見せてやりたい。そして作ることなくキャッシュフローのみで儲けようとしている多くの国内企業にもだよ。「餓鬼」の姿をだ。*住職に言った。「明日、2名登校停止を申し渡すのです。」彼は話を聞いてくれた。あれこれはなしをしていたら彼は言った。「ミツバチが樫の木に毎年群をつくってるんだよなぁ」死を預る彼は喜寿になっていた。
2010年06月10日
コメント(0)

荘厳なるものの近くの生命は荘厳となり、やすらぎの近くの生命は安らぐ。庭とは写しで盆栽も写しだ。そして誰もが死にいたる病をかかえて生まれる。気づいたときに人は叫ぶ、命よ、わが命よ・・! と・・。そして「生まれなおす」道を探しはじめる。広告の嵐の中で、そんな方法など無いと知るまで。親父が死んだあと、盆栽の始末に困っているという人から五葉松5鉢をゆずりうけた。ながめながめ、ながめているうちに、どうしようもなく気になりはじめた。それはとは、前所有者の意図もしくは前々所有者の意図にこだわりがあったこと。そのこだわりって、日本料理にあって西洋料理にないものだよ。縄文土器にあって弥生土器にないもの。「正面」だ。盆栽には正面があって、そして無い。それがよい盆栽だ。鋏でちょっきんちょっきん、枝をきりはじめて極限まで切ったらできた。生死のはざまに浮遊する姿。このまま5年ぐらいすると生きるところは生きて、枯れるところは枯れるだろう。命は祈りの姿となる。それが盆栽だ。100均でみつけて組み合わせてみた。これも生死の姿。エアープランツだよ。左側後ろにあるのはたぶん、堆積岩のノジュールだ。数十万年前の生命のかけらが中にあるだろう。そして右にあるのは溶岩だ。ガイアの吐息がかたちになったもの。今日、あなたに言うよ。あなたは生まれてきてよかった。それは私がしあわせだから。私はしあわせでよかった。笑顔をあなたにあげられるから・・植物たちはいつもいつもたぶんいつも、その言葉しか知らない、その言葉を語っている
2010年06月07日
コメント(4)

前期PTA会長さんの県高等学校PTA連合会の発表は終わった。これで終わりだからなっ。ほんとにほんとーーに終わりだからなっ。しかし、県立高等学校の学校評議員の役目はあるものの、終わった。そして帰って行った。まずは、わが庭へ・・*床屋の同級生のカツノリ君は、「あれれ、本当だ、刺されたあとがある」そう言って、髪をすきはじめた。おぃらは「不思議なんだけど・・」といいながら、チキチョキというここちよい鋏の音を聞きながら、「あいつら、たぶん、動物のツボがみえていると思うんだ・・」などとまどろみの中、話をすると「本当だ・・ツボに刺さっている」とカツノリ君は言うのでありました。長い年月人の肌にさわってようやく理解するツボをミツバチは容易にというか命をかけて察知し、ちくんと刺す。*失敗をしたのは、移動した群を夜中に酒を飲んで酔っ払いながら見にいったこと。ナメてかかるとたちまちこれだ。頭4箇所、左手小指根本、右目コメカミ近く二箇所、足三里(爆)に一箇所、合計8箇所やられた。そして連中はたぶん、自分が刺した相手のフェロモンを知っている。少し近づいただけで大騒ぎの数日が過ぎた。*誰かが全ては時が解決すると言った。そうなのだろうか。そうかもしれない。ミチバチは花粉を運びはじめた。花粉は幼虫の餌だ。ということは、中で幼虫が育ち始まったことにほかならない。やったねっ。フロッピーディスク3mmとはがき一枚でつくった3.5mm作戦は成功した。*ところで問題のAY式巣箱なんだけどこんなかんじ。そいで、最大の問題である出入り口はこんなふうだよ。見事というか、きわめて精巧につくられている。動物の箱というとおおざっぱなイメージがあるかもしれない。しかし、ニホンミツバチの巣箱に限ってそれはあてはまらない。4mmを確保するために工芸の域に達している。しかし、残念ながら、4mmだと女王は逃亡をはかる。絶対に3.5~3.8mmなのがつらいところ。*巣もおちついてきたのでおもいきって4mmまで0.何ミリか広げることにした。そしてノギスで4mmを家の中のものを測定しまくったら・・(笑)あった!なにかわかるかぃ~っ。千年灸だよーー。それもレベルが高めのやつ。さっそくはめこんでみた。できたでわないですか。わかるでしょっ。門の間隔を決めているのはセブンイレブンの割り箸だよっ。間隔を広げたらあらら、♂蜂がまってましたーーというふうに外に出てきた。実は、働き蜂は全部♀、女王も♀、♂はそのときだけいるの。そして、出てきた♂は帰ろうとしたらふさがれて帰れない。それほどまでに厳密な4mmで、枝を刺しこんですこーーし開いてやるとすすっと中に入り込む。まだ、今年一年は4mmをつらぬいて、来年になって巣箱となじみ、安定したら広げてやろうと思うのでありました。 フロッピーディスクと千年灸、そこでおちついたモーツアルトの音楽のような安らぎあるニホンミツバチと共にあるのです。 そいで物欲マガジン、今となっては変な雑誌を愛読してたな・・と思いつつ「人間革命」の広告が必ずある、そして封印された性欲の塊のような、BE-PALのバックナンバーの山を紐で縛り、次回のゴミ収集日を待つおぃらなのでありました。キモはねっ。オレはこの雑誌の何にどのようにだまされていてしがみついているのか・・おぃらは、ミツバチに与えられ続けている。その与えられるものって何って言えば愛、そして死だよ。
2010年06月06日
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1