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2025.01.27
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カテゴリ: 報徳記を読む
「文政十二年二月の尊徳」(「尊徳の裾野」p.269)

「このたび、相州足柄下郡曽我別所村の私の母方の在所へ、祖父母の仏参に来てみたところ、大変困窮して昔の形を失い、まことに嘆かわしい姿になっている。そこでつらつら考えたのは、いま私はかたじけなくもご城主の命により、下野国芳賀(はが)郡東沼村・横田村・物井村、高四一四六石余、宇津汎之助(うつ・はんのすけ)様知行所の復興にあたっている。享保年中から追々困窮して、文政四年には収納が米千五俵余、畑方金百二十七両余と、わずか千石相当にしかならず、ご勤仕もできない有様となったので、ご本家でも捨てておかれず、村柄(むらがら)取直し・収納復古・百姓相続の仕法を私に仰せ付けられた。そこで文政五年から赴任したところ、天なるかな時なるかな、人民に勤労意欲が出、田畑開発はあらましでき、風俗も立ち直り、年貢米が千九百俵余、畑方はまだ集計しないが、存外の成就をみた。このように功あるこの身は、すなわち父母の賜物であって、全くわが身ではなく父母の陰徳による。その父母はどうかといえば、祖父母の陰徳があったからだ。その本が乱れて末の治まるものがないように人生孝行より大事なものはないが、では、何をしたら孝行になるのか?このように退転同様になってしまっては、たとえ追善供養をしたところで、いったんの志で仏意を保てるわけがない。このように信ずるとき、ふと天の命がわが心中に浮かんだ。それは他でもない。桜町の仕法のように家々で子孫が繁盛しているのは、みんなが親を尊んでいることで、それがまた天道への追善供養なのだ。この身は天から先祖に分身して、また先祖から代々父母に分身して、父母から我へと分身した。それゆえ、天理にかなうことをしさえすれば、直ちに孝行なのだ。しかるに川久保家では、代々のうち奢りが長じ、分を越えて暮らして他人の財宝をむさぼり、天の悪(にく)みを受けて、田畑山林家株を天道に取り戻されたのだ。不思議と子孫男女が息災だが、いのちがあって田畑・山林・家株・財宝・衣食を天から受け得たいと願うならば、身を縮め、一切七分で暮らし、堅く分限を守り、天下に陰徳を積んで、国家に財宝を施し、人民のために勤めて後、天の恵みを受けるしかない。さて、天下の財宝は天下万民の勤行によって生ずる。万民の勤行は衣食があってできる。ところが昨年文政十一年は、天明の飢饉のような国土一円の凶作で、農民ははなはだ難渋している。そこで、仏の菩提のため、元金は私が出すから、里から米を買い入れて山家へ運び、山家から麦を買い入れて里へ運び、それも一銭も利を取らずに買入れ値段で売買して、米麦を流通させ、近村隣家の助けになろうと心がけるがよい、神儒仏の心は一つ。ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」





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最終更新日  2025.01.27 13:00:10


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