MM2022のブログ

PR

プロフィール

MW2022

MW2022

カレンダー

コメント新着

天国にいるおじいちゃん@ Re:打席に入る前に、バットを天にかざして、天国にいるおじいちゃんに『力を貸してくれ』(08/24) 天国にいるおじいちゃんについては、 089…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2025.04.06
XML
カテゴリ: イマジン
ナビに表示されぬダライ・ラマ生家 不都合な偉人の痕跡「消す」中国


習近平指導部は宗教の「中国化」など少数民族に対する「同化」政策を強めている。

青海省の省都西寧市から南に車で約1時間の農村地域にチベット仏教の最高指導者でインドに亡命中のダライ・ラマ14世の生家があるというので足を運んでみた。かつてはタクツェル村と言われた集落は現在、紅崖村という名前になっている。

タクシー運転手の使用するカーナビでは、地図から消去されているのか表示されなかった。付近の住民に道をたずねながら進み、ようやく丘の上の生家に向かう道にたどり着いたが、そこで警察官に囲まれた。こちらが外国人記者だと分かると、さらに応援が呼ばれ、周辺で撮影した写真をすべて消去させられた。

 このダライ・ラマの生家は十数年前までは観光客が訪れる場所だったようだ。中国国営新華社通信も2013年、政府が250万元を投じて生家を改築し、それをダライ・ラマの親族が管理していると伝えている。

 それが今では、「聖地」化を警戒してか、外国人記者が生家に近づくことも許していない。ロイター通信も19年3月に近づこうとして武装警察に追い返されたと報じている。

ナビに表示されぬダライ・ラマ生家 不都合な偉人の痕跡「消す」中国

 西寧市で知り合いになったイスラム教を信仰する少数民族、回族の男性にこの出来事を話してみると「ダライだけではない。我々回族の英雄には、かつてこの青海を統治した馬歩芳がいるが、その故居である馬歩芳公館も、今は立ち入ることが許されなくなった」と教えてくれた


馬 歩芳(ば ほほう、1903年 - 1975年7月)は、中華民国時代に青海地方を支配した回族の軍閥、馬家軍の長の一人。寧海軍を結成した馬麒の子。「青海王」と呼ばれた。
1936年、蔣介石の命を受けた馬歩芳は兄馬歩青とともに甘粛の馬仲英の残部、寧夏の馬鴻逵、馬鴻賓の部隊の支援を受け、中国共産党の支配圏を拡大しようと黄河を渡った張国燾が率いる2万1800人の紅軍の殲滅に成功した。



1949年8月、馬歩芳は彭徳懐に率いられた中国人民解放軍に破れ、甘粛の省都蘭州を占領され、馬歩芳はまず重慶、そして香港に逃亡した。10月、蔣介石に西北部に戻り中国人民解放軍と抗戦を続けるように促された馬歩芳はメッカ巡礼の名の下に親族や部下200人余を引き連れサウジアラビアに逃走した。1950年、馬歩芳は賄賂を使いパスポートを手に入れエジプトに移動した。1957年、エジプトと中華人民共和国の間に国交が成立すると、馬歩芳は中華民国駐在大使としてサウジアラビアに赴任した。1961年、姪を側室にしたことが露見してスキャンダルとなり大使を辞任させられた。中華民国からの刑罰を避けたかった馬歩芳は台湾に戻らずにサウジアラビア市民となり、1975年に死去するまでサウジアラビアに滞在した。馬歩芳は数多くの側室を持ったが、息子は彼の軍で指揮官となった馬継援(中国語版)の一人しかいなかった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2025.04.06 09:56:12


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: