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2025.06.29
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カテゴリ: 報徳
大学之道。在明明徳。在親民。在止於至善。 

大学の道は、明徳を明かにするに在り、民を新(あらた:親を新に改める)にするに在り、至善に止まるに在り。 (第一節)<「大学・中庸」島田虔次著>

☆尊徳先生は、少年の頃から晩年に至るまで大学という書を大事にされた。「岡本隆徳の語った尊徳逸話」(「報徳の森」より)によると
「村でもってセッセと働いて、とにかく一人前になりました時分のことでしょう。
いつまでも村にいても学問もできず、仕方がないというので、小田原の城下へ来て、家老の若党になって、始終お供しながら近所の学者へ通って「大学」の講義を聴いたのです。
藩中では、「大学」が済むと、今度は「論語」を教わるという順なのですが、金次郎はいつでも「大学」ばかりの講義をしてもらっている。
「私は百姓ですから「大学」だけでたくさんです。これさえ習えば、それでよいのです。」と言って、ほかの本を教えてやろうといっても聞かなかった。」という。

○孔子は、「大学の道は、明徳を明かにするに在り。民を新(あらた)にするに在り。至善に止まるに在り。」と言った。
 これを田畑にたとえれば、明徳が物欲に覆われているのは、荒地ができたようなものであり、明徳を明らかにするのは、荒地をひらくようなものである。

そして、この開墾と推譲の道は、万世までも変るべきではない。これが「至善に止まる」である。(二宮尊徳先生語録191)

二宮翁夜話 巻之二

五九 弘化元年八月、其筋(スヂ)より日光神領荒地起返し方申付る見込の趣(オモムキ)、取調べ仕法書差出すべしと、翁に命ぜらる、

翁曰、
我(わガ)本願(グワン)は、人々の心の田の荒蕪(クワウブ)を開拓して、天授(ジユ)の善種、仁義礼智を培養(バイヨウ)して、善種を收獲(シウカク)し、又蒔(マキ)返し蒔返して、国家に善種を蒔弘(マキヒロメ)るにあり、
然るに此度の命令は、土地の荒蕪の開拓なれば、我(わガ)本願に違(タガ)へるは汝が知る所ならずや、
然るを遠く来て、此命あるを賀すは何ぞや、
本意に背(ソム)きたる命令なれど、命なれば余儀(ヨギ)なし、及ばずながら、我輩も御手伝ひ致さんと、云はゞ悦ぶべし、然らざれば悦ばず、
夫我(わガ)道は、人々の心の荒蕪を開くを本意とす、心の荒蕪一人開くる時は、地の荒蕪は何万町あるも憂(ウレフ)るにたらざるが故なり、
汝が村の如き、汝が兄一人の心の開拓の出来たるのみにて、一村速に一新せり、
大学に、明徳を明にするにあり、民を新(アラタ)にするにあり、至善に止るにあり  と、
明徳を明にするは心の開拓を云、汝が兄の明徳、少し斗り明になるや直(スグ)に一村の人民新になれり、徳の流行する、置郵(チユウ)して命を伝(ツタ)ふるより速(スミヤカ)也とは此事也、帰国せば早く至善に止まるの法を立て父祖の恩に報ぜよ、是専(セン)務の事なり

☆弘化元年8月幕府より日光神領の荒地復興を申し付ける見込みであるので取り調べ用の仕法書を差し出すようにと、翁に命じられた。
 私(福住正兄)の兄、大沢勇助が江戸へ出てお祝いを翁に申し上げた。
 私も兄に随っていた。
 翁はおっしゃった。
 私の本願は、人々の心の田の荒蕪を開拓して、天から授かった善い種である仁・義・礼・智を培養して、善種を収穫し、また蒔きかえし蒔きかえしして、国家に善種を蒔き広めることにある。
 しかるにこのたびの命令は土地の荒蕪の開拓であるから、私の本願と違っているのは汝が知るところではないか。
 それなのに遠く来て、この命令があった祝いを申すとはどういうことだ。
本意に背いた命令ですが、命令なれば仕方ありません。及ばずながら私もお手伝いいたしましょうと言うならば喜こぼう。そうでなければ喜ばない。
それ私の道は人々の心の荒蕪を開くことを本意とする。
心の荒蕪が一人開けるときは、地の荒蕪は何万町あろうと憂えるにたらないためである。
汝の村も汝の兄一人の心の開拓ができただけで一村速やかに一新した。
 大学に 明徳を明らかにするにあり。民を新たにするにあり。至善に止まるにあり と。
 明徳を明らかにするは心の開拓をいう。
 汝の兄の明徳少しばかり明らかになるや、直に一村の人民新たになった。
徳の伝わることは命を伝えるより速やかなりとはこのことである。
国に帰ったら早く善に止まるの法を立て、父祖の恩に報じなさい、これが専ら務めるべきことである。(二宮翁夜話59)

☆二宮翁夜話残編46
 翁曰く、
 学者皆大学の三綱領と云ふといへども、至善に止るの至善とは如何(いか)なるや、明かならず。
予はひそかに其の実は二綱領なりべしと愚考せり。
如何(いか)にとなれば明徳を明かにするは道徳の至極(しごく)なり、民を新(あらた)にするは、国家経綸の至極(しごく)なり。
其の上に至善に止るといへども明々徳と新民との外に至善とさす物はあるまじと思へばなり。
仍つて三綱領と云ふといへども其の実二綱領と心得て可なり。





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最終更新日  2025.06.29 14:38:41


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