MM2022のブログ

PR

プロフィール

MW2022

MW2022

カレンダー

コメント新着

天国にいるおじいちゃん@ Re:打席に入る前に、バットを天にかざして、天国にいるおじいちゃんに『力を貸してくれ』(08/24) 天国にいるおじいちゃんについては、 089…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2025.11.12
XML
カテゴリ: 坐禅
「禅談」沢木興道述(沢木興道全集第2巻)

普 勧 坐 禅 儀 抄話


道元禅師 普 勧 坐 禅 儀 (訓読と現代語訳)


序分(序論)
たず ぬるに夫 れ、道本 どうもと 円通 えんづう 、いかでか ( しゅ ) しょう を仮 らん。宗乗 しゅうじょう 自在 じざい

なんぞ ( ) ふう を費 ついや さん。いわんや、全体はるかに 塵埃 ( じんない ) を出 づ、たれか 払拭 ( ほっしき ) の手段を信ぜん。

おおよそ 当処 ( とうじょ ) を離れず、あに修行の 脚頭 ( きゃくとう ) を用うるものならんや。 ( しか ) れども、毫 ごう も差 しゃ あれば、

天地はるかに隔 へだた り、違順わずかに起れば、 紛然 ( ふんぜん ) として ( しん ) (の) 失す。 たとい、 ( ) に誇り、

に豐かにして、瞥 べっ の智 づう を獲 、道 どう を得 、心 しん (の) 明らめて、衝 しょう てん の志 しい

を挙 し、入頭 にゅっとう の辺量に 逍遥 ( しょうよう ) すといえども、ほとんど、出身の ( かつ ) ( ) けつ す。

いわんや、かの ( ) おん の生 しょう たる、端 たん 六年の蹤 しょう せき 見つべし。少林の心印を伝うる、

面壁 ( めんぺき ) さい の声名 しょうみょう なお聞こゆ。 ( ) しょう すでに ( しか ) り、今人 こんじん なんぞ弁ぜざる。

ゆえに、 ( すべから ) く言 こと を尋ね、語 を逐 うの ( ) ぎょう を休すべし。須 すべから く、回 こう 返照 へんしょう

退歩 たいほ を学すべし。身心 しんじん ねん 脱落 ( だつらく ) して、本来の面目 めんもく 現前 げんぜん せん。恁 いん の事

得んと ( ほっ ) せば、 ( きゅう ) に恁 いん の事 を務 つと めよ。

( ) れ、参禅は、静 じょう しつ よろ しく、飲食 おんじき せつ あり。諸縁を放捨 ほうしゃ し、万事 ばんじ を休息して、善悪 ぜんなく を思わず、是非を ( かん ) することなかれ。心 しん しき 運転 ( うんでん ) を停 め、念想観の測 しき りょう を止 めて、作 ぶっ (と) はか ることなかれ。あに 坐臥 ( ざが ) に拘 かか わらんや。
尋常 ( よのつね ) 、坐 しょ には厚く坐物 ざもっ (と) 敷き、上に蒲団 ふとん を用う。あるいは ( けっ ) 、あるいは ( はん ) 。いわく、結跏趺坐は、まず、右の足をもって左のの上に ( あん ) じ、左の足を、右のの上に安ず。半跏趺坐は、ただ、左の足をもって、右のを ( ) すなり。寛 ゆる く衣 たい を繋 けて、斉 せい せい ならしむべし。次に、右の手を左の足の上に安じ、左の掌 たなごころ を右の掌 たなごころ の上に安ず。両 りょう の大 だい 、むかいて 相拄 ( あいさそ ) う。
( すなわ ) ち正 しょう しん たん して、左に側 そばだ ち、右に傾 かたむ き、前に躬 くぐま り、後 しりえ に仰ぐことを得ざれ。耳と肩と対し、鼻と臍 ほぞ と対せしめんことを要す。舌、上の顎 あぎと に掛けて、唇 しん あい け、目は、須 すべから く常に開くべし。鼻 そく かすか に通じ、身相 しんそう すで に調 ととの えて、 ( かん ) 一息 いっそく し、左 ゆう 搖振 ようしん して、兀兀 ごつごつ として坐 じょう して、箇 の不思量底を思量せよ。不思量底、如何 いかん が思量せん。非思量。これ乃 すなわ ち坐禅の要術なり。
 いわゆる坐禅は、習禅にはあらず。ただこれ安楽の法門なり。菩提を 究尽 ( ぐうじん ) するの修証 しゅしょう なり。公案 こうあん げん じょう 、羅 ろう いまだ到らず。もし、この意を得ば、龍の水を ( ) るがごとく、虎の山に靠 るに似たり。当 まさ に知るべし、正 しょう ぼう おのずか ら現前 げんぜん し、昏散 こんさん まず 撲落 ( ぼくらく ) することを。もし、坐より立たば、 徐徐 ( じょじょ ) として身を動かし、安 あん しょう として起つべし。卒暴 そつぼう なるべからず。

( かつ ) て観 る、超 ちょう ぼん おっ しょう 、坐 だつ りゅう ぼう も、この ( ちから ) に一任することを。いわんや、また、 ( ) 竿 かん しん つい を拈 ねん ずるの転 てん ( ほっ ) けん ぼう かっ (と) するの証 しょう かい も、未 いま だこれ、 思量 ( しりょう ) 分別 ふんべつ の能く解 するところにあらず。
 あに、 神通 ( じんづう ) しゅ しょう の能く知るところとせんや。声色 しょうしき の外 ほか の威儀 いいぎ たるべし。なんぞ知 けん の前 さき の軌 そく にあらざるものならんや。
( しか ) れば則 すなわ ち、上智 じょうち を論ぜず、利 じん 鈍者 どんしゃ を簡 えら ぶことなかれ。専一 せんいつ に功 ふう せば、正 まさ にこれ ( べん ) どう なり。修 しゅ しょう おのずか ら染 ぜん せず、趣向 しゅこう さらにこれ 平常 ( びょうじょう ) なるものなり。凡 およ そ夫 れ、自 かい ほう 、西天 さいてん とう 、等 ひと しく仏印 ぶっちん を持 し、もっぱら ( しゅう ) ふう を擅 ほしいまま にす。ただ 打坐 ( たざ ) を務 つと めて、兀 ごっ に礙 えらる。 万別千差 ( ばんべつせんしゃ ) というといえども、 ( ) かん に参禅弁道すべし。
 なんぞ 自家 ( じけ ) の坐 しょう を抛 ほう きゃく して、みだりに他国の ( じん ) きょう に去来 きょらい せん。もし一歩を ( あやま ) れば、当面 とうめん に蹉 しゃ す。既に人身 にんしん の機 よう を得たり、虚 むな しく光陰を度 わた ることなかれ。仏道の要 よう を保 にん す、誰 たれ かみだりに ( せっ ) を楽 たのし まん。しかのみならず、形 ぎょう しっ (た) そう のごとく、運命は電光に似たり。倐 しゅく こつ として便 すなわ ち空 くう じ、須 しゅ に即ち失 しっ す。冀 こいねがわ くは、其れ参学の ( こう ) 、久しく摸 ぞう に習って、 ( しん ) りゅう を怪 あやし むことなかれ。直 じき 端的 たんてき の道 どう に精 しょう じん し、絶学 ぜつがく 無為 むい の人を尊 そん し、仏仏の ( ) だい に合沓 がっとう し、祖祖の三昧 ざんまい を嫡 てき せよ。久しく恁 いん なることを為 さば、須 すべから くこれ ( いん ) なるべし。
 宝蔵 ( おのずか ) ら開 ひら けて、受用如 じゅようにょ ならん。(『禅談』 p.307-308






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2025.11.12 06:00:07
[坐禅] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: