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『伊太祈曽神社』の社頭を目の前にしてローカル線の遮断機が下りるとはなんて不幸な、運転主は内心そう思っていた。
踏切の左に「わかやま電鉄貴志川線」の「伊太祈曽」駅があり神社の社名がそのまま駅名になっている。
姿を現したのは電車を擬人化したキャラクターが描かれたラビング車両。
このキャラクター「チャギントン」と云うらしい、トーマスくらいはついていけるが、チャギントンは全くついていけない・・・・。
白い車両に赤いキャラが描かれなかなかかわいい、停車中に思わず一枚。
なんでも、わかやま電鉄の親会社が岡山電気軌道で、親会社がチャギントンのラビング車両を展開し、そのPRのため、子会社のわかやま電鉄でもこの貴志川線にラッピング車両を走らせているとか。
以外とラッキーな出逢いだったのかもしれない。
踏切を超え、県道9号線を南進する、和田川に架かる赤い常盤橋を越えると紀伊國一之宮「伊太祁曾神社」の一ノ鳥居、右に社号標。
駐車場は参道を進んだ右に広大な駐車場あります。
なので社頭辺りはスルーすることになります。
駐車場に車を停め、一ノ鳥居まで戻ってきました。
鳥居前の常夜灯は安永時代(1772~1781)の物。
左に紀伊國一之宮伊太祈曽神社の由緒書き。
祭神は木の神、五十猛命(いたけるのみこと)で、国土緑化の神ともされる。
妹神の大屋都比賣命(おおやつひめのみこと) 、都麻津比賣命(つまつひめのみこと)と共に全国の山々に木を植えて緑豊かな国土を造られた神。
脇殿にはその妹神が祀られています。
また、浮船を造り漁の技術を教えた事から漁業関係者の崇敬も篤いそうだ。
ここは五十猛命を祀る全国の神社の総社・一宮で林業・漁業のみならず厄除け祈願に訪れる方も多いようです。
社頭から一ノ鳥居の眺め。
訪れたのが2020年6月末だった事から天気は期待していなかったが、雲は多いものの汗ばむ陽気。
鳥居をくぐったすぐ左に櫛磐間戸神社 。
櫛磐間戸命、豊磐間戸命を祀り、神社の入口の守護神で、親しみを込め「門神さん」として崇敬されているそうです。
一ノ鳥居から緩やかに上る参道を進む。
左手の小高い森は「伊太祁曾古墳」で丘の頂に続く道の入口に「ときわ山古墳」の看板。
古墳を分断するように切通があらわれます。
古墳まで20㍍とある。寄り道したいが、ここは神社に参拝し帰りに寄ろう。
ニノ鳥居はその右に建つ。
ニノ鳥居から拝殿の眺め。
ここで狛犬に出逢う。
ニノ鳥居で守護する柔らかい質感のある石で彫られた狛犬。
赤い橋の先に境内が広がり、城壁の様に積まれた石垣の上に拝殿が建っている。
橋を渡った左に手水舎。
訪れた当時はまだ手水は開かれていました。
大きな杉や檜を背にして建つ割拝殿。
外観はまるで城のイメージ。
平らな石を多用し乱積みされていながら、長短交互に積まれた石段脇の角石など遠目から見ても綺麗な石垣で、石材も花崗岩に比べると少し青味のあるものが使われ温かみを感じる。
割拝殿の石段を上ると正面に本殿。
本殿域は檜皮葺の透塀に囲まれ、本殿と脇殿に其々に拝所がある。
拝所から本殿域を眺める。
右脇殿と本殿共に檜皮葺の流造のようで3本の鰹木と外削ぎの千木が見える。
拝殿全景、内部にはチェーンソーで削り出された干支の置物や、「木俣くぐり」と呼ばれる大きな切株があり、その下をくぐる事で厄払いができると云う。
本殿右の寄棟の建物。
すぐ脇に本殿域に繋がる門がある神饌所か?額もなく用途は不明。
一番右の建物、なんとなくお寺の宿坊のような佇まい、有功殿と額はあるがこちらも用途は不明。
神宮遥拝所、冠木鳥居の先にはお伊勢さんという事です。
さて右脇殿から参拝していきます。
都麻津比賣命(つまつひめのみこと)を祀る社。
本殿。
五十猛命(いたけるのみこと)を祀り、平成に入り手が掛けらています。
手前の小さな狛犬はその時に奉納されたものなのか新しいものに見えます。
左脇殿は屋都比賣命(おおやつひめのみこと)が祀られる。
蛭子神社。
境内左にある切妻平入の社、社の左に「おさる石」と呼ばれる霊石が安置されています。
この石を撫でれば首から上の病に霊験あらたかとされるそうです。
右には木彫りの龍が安置されている。
蛭子神社は明治の合祀令により、伊太祁曾神社の氏子区域内で祀られていた産土神をここに合祀したもの。二十二の神社がそれぞれの社名で祀られている。
左脇拝殿の左に気生神社。
伊太祁曾神社の祭神である五十猛命の荒魂を祀った摂社がある。
荒魂は神の荒々しい側面の荒ぶる魂である。
昔の映画「大魔神」優しい姿から鬼の様な形相になり悪を懲らしめたあの状態。
和魂はその逆で優しく平和的な側面の魂で本殿にはこの和魂が祀られている。
こうした側面は誰しも持っていますよね。
我が家のかみさんの荒魂が現れると近付き難く、和魂に戻るには頭を垂れ、ひたすら拝むしかない。
当然禍の元は自分にある。
このあたりは和歌山県の南東にあたり、周囲を山で囲まれた所謂盆地で山東盆地と呼ばれる緑が残る田園地帯で伊太祁曾神社はその西の丘陵地に鎮座します。
旧称は山東宮と呼ばれた紀伊國一之宮で社伝によれば古くは「日前宮」鎮座地に祀られていたとされる。
垂仁天皇16年に日前神・国懸神を同所で祀ることになり、その地を明け渡したとされ、その際、現在の鎮座地近くの「亥の杜」に遷座、和銅6年(713年)に現在地に遷座したとされる。
杉や檜が取り囲む静かなこの空間、雑念まみれの自分の気持ちが妙に浄化されていくような気が。
割拝殿から渡廊で続く常盤殿左の石垣脇に神明鳥居が建っています。
切通の先は水の神さまと井戸の神さまをお祀りする御井社に続く。
鳥居からは50㍍程下った左に鎮座しています。
本殿の建つ頂の裏斜面を下り切ったあたり、ここから本殿は見上げる程の高低差があります。
御井社の前の井戸は「いのちの水」と呼ばれ、今も枯れる事無く水が湧いています。
「いのちの水」
飲むと活力を得ると伝えられ、飲料水や料理に使うため、汲みに来られるそうだ。
また、病にかかった人は元気が蘇る霊力を持つと信じられているそうです。
社に向かい手を合わせた後に「いのちの水」を頂く作法です。
御井社
祭神は彌都波能売神(みずはのめのか)、御井神(みいのかみ)を祀ります。
祇園神社
御井社を後に鳥居まで戻り更に左に向かうと石段の先に祇園神社の明神鳥居があります。
ここは石段を登ります。
石段途中の左に注連縄が張られた磐座がある。
解説によれば「須佐之男神と五十猛神は高天原から天降る時、新羅(韓国)の曾尸茂梨(そしもり)に降り立ちますが「この国には居たくない」として船を造り東に渡り出雲の簸川上の鳥上峯に至ります。
後に須佐之男神は大蛇を退治、五十猛神は妹神と共に日本全国に木を植えて廻り全て青山となした。
日本書紀には五十猛神はその功績から有功之神と称えられ紀伊國にお鎮りになった。
この岩は奥出雲の鳥上峯(船通山)の磐座で、彼の地を拝む縁とするため祇園神社の社前に祀られたもの」
当初降り立った曾尸茂梨は今も定かではないようです。
その右の石段の先が祇園神社。
樹々に囲まれた小高い丘の頂に鎮座する祇園神社。
ここも何か特別な空気が漂う空間です。
祭神は五十猛命の父神である須佐之男命、天照大神、埴安姫神(はにやすひめのかみ)が祀られ、
神社合祀令により氏子区域内に祀られていた祇園社四社(塩ノ谷、明王子、山東中、奥須佐)も1902年に合祀されている。
流造の社殿は傷みもない、平成に入り手が掛けられたようです。
大きめの社とはいえ、多くの神が収まるには多少三密気味か?賑やかで逆にいいか?
常盤殿
参拝者駐車場から割拝殿方向に進むと最初に目につく建物。
和歌山県では結婚式に餅撒きを行うものらしく、ここの二階から訪れた参列に幸せのお裾分けを行うようです。
緑豊かな水田地帯、小高い山に鎮座する紀伊國一之宮「伊太祁曾神社」、日常の雑念から解き放ってくれる、静かで落ち着いた佇まいの神社。
紀伊國一之宮「伊太祁曾神社」
祭神 / 五十猛命(いたけるのみこと)
左脇殿 / 大屋都比賣命(おおやつひめのみこと)
右脇殿 / 都麻津比賣命(つまつひめのみこと)
創建 / 和銅6年(713年)
境内社 / 櫛磐間戸神社 (櫛磐間戸命、豊磐間戸命)、蛭子神社、気生神社(五十猛命荒魂)、御井社
(都波能売神、御井神)、祇園神社(須佐之男命、天照大神、埴安姫神、祇園社四社)
住所 / 和歌山県和歌山市伊太祈曽
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公共交通機関アクセス / JR大阪駅から紀州路快速「和歌山」駅下車→和歌山電鐵貴志川線「伊太祈曽」駅で下車
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