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2023.01.07
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
京都市東山区本町に鎮座する東福寺。
東寺から市バスで東福寺バス停を降車し、目の前の県道143号線を越え南に10分程の場所にあります。
訪れたのは2022/11/24、この時期は臥雲橋や通天橋から紅葉を望むスポットとして知られます。

東福寺の拝観は瑠璃光院の様に予約制ではないので、紅葉のピーク時は身動きが取れない程の混雑を見せ、お目当ての臥雲橋や通天橋から眺める紅葉は写真撮影も制限され、立ち止まる事すらできないと云う。
バス停から東福寺日下門が近づくにつれ、人波は徐々に増え、「つい2、3日前は少し早いかと思っていたら一気ですわ」そんな声が盛んに聞こえて来た。
こうして見上げる紅葉もピークを過ぎ、散るばかりの状態。

善慧院などの塔頭寺院が立ち並ぶ小路を南に向かうと、道幅一杯に広がっていた人波は対面通行の臥雲橋で一気に集中する。
これでも少ない方なんだろう、当日は写真撮影や立ち止まる等の制限の呼びかけはされていなかった。

臥雲橋入口。

写真は通天橋から臥雲橋と東福寺方丈の紅葉。
この上流側の偃月橋と合わせ三つの木造橋廊が架かり、紅葉の見え方は其々の美しさを持っている。

臥雲橋を渡り東福寺日下門。
 ここから東福寺境内へ。
観光バスの入りのタイミングに遭遇すると一時的に人波が増え、広い境内に入ればそれも緩和するのだが波が引くまでは思うに任せない状態になる、特に困るのは女性トイレで長蛇の列が伸びていた。

まず東福寺の始まりは鎌倉時代に遡り、当時の摂政九條道家が、南都最大の規模だった東大寺につぎ、教行は興福寺にならうという意味から、「東」と「福」の字を取り、北都最大の大伽藍を造営させたのが慧日山東福寺の始まり。
嘉禎2年(1236)から建長7年(1255)の19年を費やし完成され、開山は日本最初の国師聖一国師で、当初は天台宗、真言宗、禅宗の三宗兼学の寺として巨大な伽藍を誇ったとされます。
その伽藍も鎌倉末期初め火災により幾度か伽藍を焼失、直近では明治14年(1881)の火災で本堂、法堂、庫裏など焼失、都度再建され現在の姿になったと云う。
臨済宗東福寺派の大本山の寺院で山号は慧日山。本尊は釈迦如来をお祀りする寺院。

禅堂。
日下門から境内に入った右側の建物で、裳階の付いた単層切妻造で白壁と華頭窓の美しい建物。
貞和3年(1347)に再建された我国最大、最古の座禅道場と云う。

本堂(仏殿兼法堂)
当初は新大仏と呼ばれ、南都の大佛を彷彿とさせる釈迦如来像が安置されていたされ、元応元年(1319)の火災によって当初の釈迦仏像は焼失、その後明治の大火で大仏は一部を残し焼け落ち、昭和9年(1934)に再建された重層入母屋造の本堂内には、三聖寺の釈迦如来、万寿寺から移された迦葉阿難立像をお祀りしているという。
本堂正面の眺めは大仏殿の趣を感じる威風堂々とした外観の巨大な建築物。
昭和の木造建築物では最大のものだそうだ。
扁額には「毘盧宝殿」とあり賀陽宮恒憲王の揮毫。

三門(国宝)
室町初期に再建された二層の門で有料拝観ですが、上層に安置される釈迦三尊、十六羅漢像を拝観でき、内部の天井や柱には明兆と弟子の手による彩色画が施されており、階段は急ですが上る価値はある。



思遠池から三門正面の眺め。
蓮が植えられ暑い夏の早朝、三門に蓮の花が彩りを添えてくれそうです。
秋同様に混むのかなぁ、いやぁやはり混むのだろう…ここは京都だ。

三門扁額「玅雲閣」、足利義持の揮毫。


ここは東福寺にあって意外に訪れる人は少なく、本来の静かな境内が続く。

東福寺の鎮守で石清水八幡、賀茂神社、伏見稲荷、春日大社、日吉大社の五社が祀られています。


参道左側の魔王石(右)。
魔王石には鞍馬山の魔王が降臨したといわれるそうだ。
十三重の石塔(左)
九条道家が東福寺創立を祈願し創立した十三重の石塔で一番下に梵字が刻まれていた。


五社成就宮(五社大明神)は藤原忠平が延長3年(925)に創建され、安土桃山時代には廃絶した法性寺の鎮守だったとされます。
寛元元年(1241)東福寺の鎮守として社殿が建立されたが、文明11年(1479)には焼失、後に再建されたもの。

石段の先で拝殿を守護する狛犬。


唐屋根の拝所内の扁額。
石清水八幡、賀茂神社、伏見稲荷、春日大社、日吉大社の御祭神。
稲荷の使い、狐の姿がある。

本殿は檜皮葺の一間社流造。
下の境内は人で溢れているが、こちらを訪れる方は殆どいないようです。

江戸時代に建てられた切妻瓦葺屋根の鐘楼。
梵鐘に年号は刻まれていたが元号が読み取れなかった。

鐘楼後方に石碑と地蔵郡。



石の明神鳥居の先に祀られる荒熊大神の祠。
三門を眺める高台に鎮座する五社成就宮には神仏習合の名残が残る、東福寺境内の人波をしばし避けるにはお勧めのスポットかもしれない。

庫裏全景。
この左に方丈と方丈庭園があり、庭園拝観券や御朱印はこちらで頂ける。
方丈は僧侶(方丈さま)の住居や執務室、書院、訪れた者と応接するための建物で、ある意味寺の顔と云ってもいいかもしれない。
現在の建物は明治14年の火災により焼失し、明治23年(1890)に再建されたものだされます。

恩賜門。
方丈再建に伴い昭憲皇太后より下賜された向唐破風の門で方丈への表門。
檜皮葺で門の扉に大きな菊花紋の彫りが施され、門全体に細かな彫りが施されている。

方丈庭園南庭。
方丈そのものが明治に入り再建されており、その後の昭和14年に作庭家・重森三玲により作庭されたもので、方丈を中心に東西南北と庭園を持つのは他に類を見ないという。
作庭にあたっては、本坊内にあった材料は廃棄することなく再利用し、禅の教えである「一切の無駄をしてはならない」という教えに従う条件が与えられたという。
そうして出来上がったのが方丈庭園で最初に見えるのが南庭。
一面白川砂が敷かれ、砂紋の中に石組と奥に苔に包まれた築山があり、京都五山を表現したものと云う。
2014年に「国指定名勝」に登録されている。

西庭。
白川砂の庭にサツキと葛石で伝統的な市松模様を描いたもので、本坊の廃材、敷石の縁石を再利用したもの。
晩秋の西庭は白と緑の市松模様に紅葉の赤も加わり、雲一つない?青空を背景に鮮やかさを増している。

北庭。
こちらの素材も勅使門から方丈にかけて敷かれていた切石を再利用してできたもので、西庭の大きな市松模様に対し、苔の緑と石の白さで小市松模様を描いている。
一面苔庭にはない、苔の美しさが見られ、四庭のなかでは一番のお気に入り。
混んでなければ座り込んでじっと眺めていられる。

東庭。
白川砂と円柱、奥の苔庭と生垣、これらを全てで夜空に輝く北斗七星を表しているという。
白川洲の中に立つ七本の円柱も廃材とされてしまう礎石が再利用されている。
禅の教えを貫き、廃棄されるものに新たな息吹を与え人を感動させる、それが方丈庭園。

方丈から通天橋拝観受付方向の眺め。
受付や通天橋(右)方向を行き交う人は随分と少なくなったので券を買い求め通天橋方向に向かいます。
後方の方型屋根の建物は経堂。

通天橋
天授6年(1380)、春屋妙葩により本堂と開山堂を結び、洗玉澗を渡る橋廊として架けたとされます。
橋の入口には通天の額が掛けられている。

通天橋入口付近の紅葉。

通天橋から右手の方丈の眺め。

ここから眺める渓谷・洗玉潤の紅葉は絶景そのもの。黄金色に染める三ツ葉楓は聖一国師(円爾)が宋から伝えた唐楓だと云う。
円爾は34歳で宋へ留学、40歳で帰国し教え以外にもお茶や水車を用いて蕎麦を曳く技術など様々なものを日本に伝承した。
この通天橋を渡ると東福寺の建立を円爾が見守った開山堂(常楽庵)に続く。


通天橋から廻廊を上ると楼門へと続く。

開山堂(常楽庵)。
円爾は開山堂に隣接する普門寺(普門院)に居住し、弘安3年(1280)、79歳で入定した地。
正面の開山堂上部の伝衣(でんね)閣には阿弥陀如来立像、布袋和尚坐像、薬師如来坐像が祀られ、聖一国師(円爾)を祀る。
現在の建物は文政2年(1819)に焼失後に再建されたもので、広い庭を囲むように普門院と開山堂の伽藍が配置されています。

愛染堂。
開山堂伽藍の西に建ち、杮葺で朱塗りの八角堂。
南北朝時代の建築とされ、江戸時代まで東福寺北隣にあった塔頭三聖寺の愛染堂で、昭和9年の室戸台風で倒壊し、この地に移転、修理されたもの。
堂内に宝塔形の厨子を安置し、鎌倉時代のものとされる愛染明王坐像が安置されている。
諸々の苦悩から救い、愛と尊敬の心を与え、悪縁を絶ち、全ての人に安寧を授け、女性には良縁を授けて頂けると云う。
ここを訪れる若い衆の姿が少ないのは、満たされているのだろうか。

京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄え、近代に入り規模は縮小したとはいえ、東福寺は今も塔頭25寺を誇る大寺院である。

東福寺
山号 / 慧日山
宗派 / 臨済宗東福寺派
創建 / 嘉禎2年(1236)
開基 / 九条道家
開山 / 円爾
本尊 / 釈迦如来
所在地 / 京都府京都市東山区本町15-778
東寺からバス👉徒歩 / ​​ 南へ徒歩10分程
参拝日 / 2022/11/24
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Last updated  2023.01.07 00:00:14
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