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こんにちは。おかーさんです。退院後は里帰りせず自宅でばーちゃんのお世話になっていましたが、田植えの時期がきて忙しいこともあり、19日から釜石に「プチ里帰り」して今日帰ってきました。幸い実家は津波の被害のなかった地区。生活自体は、震災前とほぼ変わりなくできているようでした。それでもやはり被災地。近所の体育館のグラウンドや、私が通っていた小学校(今は廃校になっていますが・・)の校庭など、いたるところで仮設住宅の建設ラッシュ。体育館は避難所になっていて、避難生活は続いており・・・。民生委員をしている釜ばあには、自宅生活している人で必要な人に、と支援物資がまわってきたり。小さな子供のいる家にお菓子を届けたら、子供が「おばちゃん、私たち、被災者なんだよね?」と言われたとか・・。でも、自宅生活者にも届けられるくらい支援物資も来ているようで、安心。しかし、学校関係は通常のようにはできていないようでした。れーじ兄ちゃんの学校は校庭が自衛隊の基地(?)になっていて、外での活動や、野球のスポ少の活動が思うようにできない。れーじ兄ちゃんのお母さんが先生をしている幼稚園では、春の遠足がバスと場所の確保ができず近所の公園にお散歩遠足に変更したとか・・。まだまだ不便はあるようです。やはり、すべてが震災前と同じにできている盛岡とは違うな、と実感。でも、久しぶりに会った家族・親戚は元気そうで、安心しました。亡くなったおばちゃんと、ヨシばあにもお線香をあげることができました。震災以来とにかく釜石の様子を見たい、みんなに会いたいと思っていたので、ほっとしたというか・・みんな、命があって良かった。町の様子も見てきました。テレビ等で見ていたより片付いてはいましたが、やはり言葉を失う光景。市街地方面へ向かうと、被害のなかったお店では「支援をありがとう」の張り紙が・・。津波の浸水地域に入ると、いたるところに瓦礫の山・・。そして市街地に入ると・・・これでも「かなり片付いた」状況らしく・・。おかーさんの兄が働いていた商工会議所。今は別の場所で仮事務所営業中。市街地にあった従兄の家のそばを通りましたが、「あれ、ここだったはず・・」で確認できず。従兄たちの話では、一階がつぶれ、だるま落とし状態で二階が落ちているので一見平屋の家みたいになったとのこと。風景は一変していました。お祭りの時おとーさんと一緒に来た場所、中高生の頃友達と買い物した場所・・また釜石のお祭りを見に来れるのはいつになるんだろう。いろんな思いが頭をよぎりました。ちなみに、おとーさんとお祭りのときいつも乗っていた観光船の「はまゆり」。お隣の大槌町の民宿の屋根に打ち上げられました。今は撤去・解体されています。この船から、曳船の虎舞などを見物しました。「がんばれ」という言葉はもう聞き飽きたとは思うけれど、頑張ってほしい・・としか私には言えない。いつもの釜石に戻ってほしい。と単純に思う釜石出身者、おかーさんでした。
2011年05月29日
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おかーさんです(^o^)五日の子供の日、退院しました(^-^)。おかーさんの回復もなっちゃんの成長も順調です(^o^)。まだ貧血状態なので、しばらくは、いっぱい食べて寝て体力回復しないといけませんが、まずは退院できて一安心(^-^)長い入院中、さーちゃんはずっといい子でした。少しなっちゃんにヤキモチもやいているけど、赤ちゃんは可愛いようで、保育園から帰るとおかーさんもなっちゃんも襲われます(笑)。まだ寝て暮らしているのでゆっくりパソコンに向かえず携帯で更新してます。あとでパソコンに向かえるようになったら、写真も整理しつつ、なっちゃんの誕生記録でもアップしたいなと思います(^-^)なっちゃんは、良く飲み、良く寝て、全然ラクな子です。沐浴も微動だにせず気持ち良さそうに、ほわ~んとしています(^o^)さーちゃんの時はすべてにテンパってましたが、二人目はこちらにも幾分余裕があるからなのか、はたまたなっちゃんが、おかーさんの体調を読んでいるのか・・V(^0^)と、いうわけで、総勢七人になった生活がスタートして、ますます賑やかな我が家です。改めてよろしく~(^-^)
2011年05月07日
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おかーさんです(^o^)大分、体も動くようになってきて、赤ちゃんのお世話も四年前を思い出しながら無理ないようにやっております。まだ入院中なので、そのあたりは看護師さんたちにフォローしてもらえています(*^_^*)そうそう、赤ちゃんの名前も決まりました。ブログ上では・・「なっちゃん」って呼びますか。頭文字はちょっと使いづらいので(^-^)さて、今日の本題。3月の震災でおかーさんの叔母が亡くなっています。きっとおばちゃんが守ってくれる・・と、産休に入って間もなく、おとーさんの母方の祖母が亡くなりました。つまりは、ばーちゃんのお母さん。御歳93歳。お葬式の翌日、私は入院となりました。・・おばちゃんと、おばあさんが守ってくれる・・と手術を迎え、その後に知りました。手術の前日、釜石のヨシばあが亡くなっていたのです。釜ばあは、私が手術前に動揺しないよう、黙っていたのでした。おばちゃん、おばあさん、更にヨシばあまでが私達を守ってくれたのね。勝手に、そう思っています。摘出した子宮は、子宮壁が薄くなっていて子宮破裂もしそうだったと、今日改めて読んだ手術後の説明に書いてあり・・ということは。子宮破裂しないで入院まで守ってくれたのはおばちゃん。手術まで守ってくれたのはおばあさん。そして最後にヨシばあが捨て身で守ってくれたのかな。おかーさんは、そう思っています(*^_^*)違ったらゴメンね、おばちゃん達(笑)何か、命のつながりを感じ、絶対自分だけで生きているんじゃないと強く思う、おかーさんでした(*^_^*)。守ってもらった命、大事に育てます(^-^)。
2011年05月01日
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