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昨日、ディーゼル乗用車への期待を書いたので、ヨットのエンジンについて。商用の大型帆船は、昔からありましたが、遊びの帆船(ヨット)は、元々遊園地の池にある貸しボートのような小さな船に、マストを立ててセールをセットしたようなところから始まったようです。こういう1人とか2人乗りの小さなヨットをディンギーと言います。これでは、荷物も多く積めないし、波が大きなところでは心もとない。そこで、大型で寝るところもあるヨットが出来てきました。こう言うのをセーリングクルーザーと言います。ヨットのエンジンは、日本語で補機と表現します。ヨットの主機はセールなので、エンジンはあくまで、風のない時と港の出入りに補うもの、ということです。日本では、1950年代にセーリングクルーザーが現れますが、そのエンジンは漁船のを転用していました。1960年代に入ると、もっと大きなセーリングクルーザーのニーズができて、馬力のあるエンジンが必要になってきましたが、漁船の方は、もっともっとスピードが求められ、さらに大きなエンジンを積むようになりました。漁船用エンジンをヨットに転用することが難しくなり、メーカーさんは、ヨット用の小型エンジンを別に作るようになりました。30フィートのヨットで、20~30馬力のエンジンを積みます。車のに比べると、かわいいものですね。日本のエンジンは優秀で、代表選手がヤンマーです。小型漁船のエンジンに関しては、世界を席巻していると思います。でも国内ヨットの市場が小さいので、国内ではあまり売れません。車同様、完成品の段階でもうエンジンは乗っているので、完成品メーカーに採用されないと、売上には結びつきません。日本では、セーリングクルーザーのメーカー自体、細々とやってるところがほとんどです。ヤマハは大きいですが、自社生産はもうしていません。私がよく乗るクルーザーも、ヤマハの船だけど、オーストラリア製です。世界的に言えば、フランス・北欧・アメリカのメーカーが強いです。アメリカの船は、ヨーロッパ製に比べると安価ですが、作りが今一なようで、日本ではあまり人気がないようです。なんか車に似ています。プロダクションヨットのトップはフランスで、フランスの船はたくさんハーバーで見かけます。洗練されているという外観です。「いいなあ」と思ってしまいます。船内の木工技術や、頑丈な船を好む方は、北欧やドイツ製です。次男が小6の時、彼のレーシングヨットを買いましたが、船型がよく当時もっとも速かった日本製を買いました。丈夫なのは、デンマーク製で、今でもジュニアヨットの市場のトップを占めていると思います。イタリア製やアルゼンチン製は速くて安いのですが、作りが雑で、乗り込んでいくとガタがきます。その点、デンマーク製は何年使ってもトップスピードを保ちます。国民性の違いでしょう。ラテン民族はラテンの製品を作ります。脱線してしまいました。国内ヨット市場が小さいので、ヤンマーは小型エンジン生産をヨーロッパに移しました。最近、フランス製ヨットのエンジンにヤンマーがよく乗っています。以前、ヨーロッパ製ヨットのエンジンは、ボルボが主流でしたが、これからはヤンマーにどんどん変わっていくのではないかなあと思っています。漁船エンジンは席巻しているし、信頼性が高く、部品が安いです。フランス製や北欧製のヨットに乗っている人が、ボルボエンジンのメンテナンス部品が、バカ高いと嘆くのを聞きます。また届いた部品に、イギリスのエンジンメーカーのネーミングがされていたりして、どうやら提携先の三菱が作っていたりするそうです。車の世界同様、縦横無尽に提携して部品供給をしているようですが、優秀な日本製がジンワリ広がっているようです。最近のヨーロッパ製ヨットの新艇は、標準装備はボルボが主流ですが、オプションとしてヤンマーも用意されるようになっていたり、最初からヤンマーが標準だったりしてきてるようです。次は、ヤンマーのエンジンにするという話も聞きます。ヨットエンジンの世界標準がヤンマーになる日も近いかもしれません。
2006/08/31
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『メルセデスからディーゼル車が新発売』というニュースが目にとまりました。「そうだよね」「そうこなくっちゃ」と、数年後に期待です。私の車履歴は、学生時代に親父の中古を譲ってもらったのが乗り始め。学生時代、時々故障した自分専用の中古車を買いました。就職が東京になり、車を売ってしまい、地元に戻ってからは親父の車を時々借りていました。24才で結婚し、25で長男が生まれたとき、乗用車の座席は赤ちゃんにはつらいので、ライトバンを買いました。初めての新車です。後の座席を倒すとフラットなスペースができるので、そこを長男のスペースにしようと思いました。ベビー籠に入った長男をそのまま荷物のように入れ、家内が横にいるのが定番でした。3年後、2人目が生まれることになって、親や弟も一緒に乗れるように、大勢で乗れる車、トヨタハイエースに変えました。大学ヨット部のとき、トラックの荷台に船を乗せて、よく遠征したので、トラックの足を前に伸ばさない姿勢が疲れないのを知っていたけど、ハイエースに乗って、再認識しました。次にスキーに便利だから、日産ホーミー4WDディーゼルに乗り換えました。初めてのディーゼル車でしたが、圧倒的な燃料費の安さに驚きました。ハイエースとほぼ同じ大きさなのに、ガソリンと軽油の価格差と燃費のよさで、半額になりました。次男とのヨット遠征では、こういう荷物も人も多く乗れる車が必要で、同型のガソリン車とはっきり比べられました。私のディーゼルが安いので、うちが遠征に行かない時も、よく車を交換してうちの車だけ遠征していました。また、10年乗りましたが、ディーゼルエンジンは、ガソリンより構造が簡単らしく、故障せずですごく気に入っていました。でも長男が車をぶつけてしまって、修理するかどうか思案していた時、都市圏排ガス規制というので、修理しても次の車検が通らないことが判明しました。そこで、買い換えることになりました。でも、商用車にしかディーゼル車がありません。商用車でもいいのですが、5人しか乗れなかったり、8人乗りでも後のバゲッジスペースが大きく、後の座席の人が足を十分伸ばせなかったりで、食指が動く車がありません。下に次男もいるので、子供達がまたぶつけるだろうし・・・キャラバンの中古車を購入しました。ディーゼルの気に入ったのが出るまでのつなぎです。購入直後、日産に続いてトヨタも、排ガス規制適合ディーゼルエンジンを開発しました。でも、商用車にしか乗せて来ないんですね。すぐに3ナンバーディーゼル車が出ると思ったのに、出てこないんですね。その間、ヨーロッパは、ディーゼル車が50%になってるのに・・・日本車はハイブリッド車で燃料効率を追求しています。ハイテク技術もいいけど、単純構造の方が長持ちして修理も簡単なのは世の常。船のような塩水が、すぐ側にいつもある環境では、圧倒的にディーゼル優位です。沈んだ船を引き上げても、ガソリンならまずエンジンはアウトですが、ディーゼルならそのまま復活します。国産車のディーゼル復活を願っていました。今日のメルセデスのディーゼル車発売は、私にとって朗報です。今世界で一番厳しい規制になっている日本でも使えるエンジンを、ヨーロッパの会社も開発したようです。といっても、実際は三菱が作って供給しているのかもしれないけどね。石油が高くなっていることもあり、国内メーカーも追随してほしいです。エンジンはもう持ってるのだから、簡単にできるはずです。
2006/08/30
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昨日の日記の続きです。つまり、日曜日のことです。最終レースが終わり、今年も上位3校に届きませんでした。でも精一杯やりました。1週間目の個人戦で、優勝と6位だったので、3艇で争われる団体戦もその勢いで・・・と目論んでいましたが、まあいろいろあります。仕方ないです。悔いのないといえばうそになるのでしょうが、ちょっと甘酸っぱく辛めなのが、若いときの記憶としてはいいのかもしれません。「あ~あ、負けちゃった」なんか、1年で一番特別なこの日は、このクラブ出身者ではない私は、艇庫に居辛いです。どういう状況になるか、自分も経験があるから、わかってる。「来て下さい」とは言われるけど、去年までは、息子がレギュラーでいてたから、なお更。今年だって、ほんとにコアで毎日一緒に生活した仲間だけで、存分にこの日を味わって欲しい。着替えを済ませると早々に退散して、ハーバーで閉会式を待つことにしました。琵琶湖ジュニアの子達がもう上がっています。「セイル大津」というレースがあったようで、ジュニアも参加していたのでしょう。学連レースのノーティスボードを見に行くと、艇から艇へのプロテスト(抗議)が3件出ています。最終レースで、金沢から同志社に2件。一昨年、京都と同志社との間にプロテストが多く発生したように、白熱のレース展開の余韻のように、最後の最後までレースが続いています。プロテストの建物に近づいてみると、1学年下同志社のTさんや同学年立命のNさんなど、レース運営をしていた同年代の方がいます。様子を聞くと、着順では10点差なく同志社が勝っているけど、プロテストが成立すると逆転だそうです。全日本に駒を進められるかどうかのボーダー争いなので、慎重に審議するだろうから、時間がかかるとの予想です。それから延々待ちました。微妙なケースなのでしょう。審問では、利害関係者の審判は外れるのがルールになっている。出身校に有利な審判をするからではなく、反対に辛い審判をし気味になるからです。現役時代、レース前に審判をすることになった先輩が来て、「おまえらにはきつくなるから」と言われたことが数度ある。「え~」というペナルティを食らった時も、まあうちのOBだから仕方ないなと、素直に従います。これが、反対に自校有利になると、風評がたちクラブの伝統に傷がつく。きっと、このTさんも、「お灸を据えられた方がいいかな」なんて思ってるんじゃないかな?結構、こういう考え方が好きです。だから、息子がジュニアの時、私的にはあれって判定でペナルティをもらっても、それに抗議したことはない。子供のことになると、我が子が少しでも得になるように行動する親御さんがいますが、どうもあれははしたないように感じます。そして、そういう親の行動は、将来子供にマイナスの影響があるように思えてなりません。それより、そういうのがあっても、大股で乗り越える実力をつけるためにがんばる方が好きです。この審問で、4:30予定の閉会式が、5時・6時と伸び、6時を回って始まりました。閉会式直前、ざわめきが起こりました。各校選手が会場で、延々待ったところに、プロテストで金沢勝利の結果が飛び込み、3位が逆転です。金沢の選手たちが、審問会場の建物前に向かいます。そこでプロテストから出てきた仲間を拍手で迎え、大歓声があがりました。さらに胴上げになりました。全日本常連校にとっては通過点ですが、どれだけ金沢のみんながこの日を夢見てきたかがわかります。同・立・京産の3強体制が久しいブロックで、その他の学校にとっては悲願の予選突破です。部員数を着実に増やし、個人戦では、近年いつも最多艇数エントリーしてくる金沢の3位入賞に、すがすがしいものを感じました。女子部員は、みんな泣きはらし、男子部員にも涙を貯めている者がいます。個人戦の成績では、金沢の470と京都のスナイプが3位以内に食い込む有力候補でしたが、金沢のスナイプも3位を脅かし、クラブ全体で充実した練習をしてきたのでしょう。学生スポーツに感動をもらった1日でした。そして昨日、金沢ヨット部の代表アドレスに、「感動をありがとう」と送っておきました。D社には、ジュニアからの知り合いが数人おり、失格になった選手も、親子で長年の友人です。彼が審問に負けて出てくるのを見ていましたが、堂々として、キャプテンとしてこの結果を既に受け止めている感じでした。でも、これもいい経験です。次に生きるでしょう。勝っても負けても、学生スポーツはいいです。
2006/08/29
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日曜日は、近畿北陸学生ヨット選手権団体戦に行ってきました。お手伝いしているヨット部の全日本予選です。ここで負けてしまえば、その夜、代交代で翌日から新チームです。私は運良く全日本に出場できたが、勝利の美酒ではなく、敗戦の悔しさの中、後輩にバトンを渡しました。いつか必ず来る日なのだが、寂しいものです。期限が分かっているから、学生スポーツはいいのだろうが。朝、予定より早く目覚めた。電車で行く予定だったけど、時間もあることだし「もう一度青春してみるか」と、予定を変更しバイクで琵琶湖まで行くことにした。7時過ぎにハーバーに着いて、早速成績表のチェックです。470級は、3位の学校の総得点が高いです。8レース終了で既に300点に迫っています。この様子だと、予定の10レースで350点を越えるかもしれません。この点数なら、去年も一昨年も3位以内だったのに・・・まあ相対的なものだから仕方ないです。今年は3艇揃って、まずまず走る学校がないようです。艇庫に向かい、次男君が乗ってきた車で、いつのもヨット装備(長袖シャツ・一式ジャケット・ライジャケ)に着替え、レスキューに向かいます。次男君の運転する車に乗るのは、ひょっとすると初めてかもしれません。監督さんと、次男の代2人と同じ代のマネージャー2人、まだ今年卒業したばかりだけど、この代は仲がいいです。船に着くと、既に1回生と去年卒業した先輩が待っています。沖に出て、まず艇庫前に。そこで浜から出艇してくるレース艇に、エールを送ります。高校野球部出身の1回生に続いて、応援の声を上げます。泣いても笑っても今日が最終日です。「がんばれ」エールに答えるレギュラーが、大声で返します。何度聴いても、いいなあと思う。第9レース、470ゼネラルリコール。続いてブラックフラッグでスタート。1上、1艇遊んでいる。その横をD社艇がトップ回航。5艇BFDで排除されたが、自校が2艇。万事休すの瞬間です。どうやら470チーフはトップでマークにアプローチし、回航直前にBFD失格排除されたようです。通常スタートは、スタート号砲時にスタートラインの手前にいればOKですが、このルールがかかると、1分前からスタートまでに、1回でもスタートラインを切ってしまうと即失格です。みんなスタート1列目から出ようと、必死で船をコントロールして最前列にひしめきますが、はやってしまったのでしょう。双眼鏡を見ながらみんなに戦況報告している次男は、寂しそうです。心の中で「なんでやねん」とでも言っているのでしょう。卒業しても熱くなれるのは幸せなことです。一生懸命やったからこそ、選手の気持ちがわかるのでしょう。排除された艇の選手、僚艇のスピンが揚がらない中、1艇だけで走っている選手の気持ちが手にとるようにわかるのだろうな。個人戦もいいけど、団体戦には大きなものを含んでいるように思えます。フィニッシュの着順に取り、ボードに各校の暫定得点を書き込んでいる1回生。最初にこのクラブにお邪魔した数年前と比べると、戦う体制が少しづつ整っていくように思えます。夏休み中のレースということもあるのでしょうが、1年の総決算のレースに女子マネさんの参加がゼロでしたが、今日は8人ぐらい来ています。船には、マネさんが折った千羽鶴があります。こういうのがクラブ全体の底力になると思っているので、後日花開きそうです。西宮での7大学戦に観覧船を用意して、マネさんみんなに参加を呼びかけたのも少し寄与したのなら嬉しいけど。フィニッシュしたレース艇が、レスキューにやってきます。「お茶あるよ」BFDを引いてしまったリーダーも、「次はリアル・トップで頼むで」の声に笑顔で答えています。ただ3回生の次期キャプテンがやってきません。次のレースまでの風待ちの間も待っていましたが、やってきません。「彼に声をかけてやりたいけど、どうかな?」と声を出してみたら、みんなに異存はないみたい。みんな気になっていたのでしょう。近づいて、「最後だよ、いろいろあるさ、笑顔でいこうよ」と声をかけた。みんなからも声がかかる。私にも経験があるから分かるけど、レギュラーは責任の重さを感じて申し訳ないと思うのかもしれないけど、この場でそれを責めるヤツなんていません。失敗しても、最後まで仲間と一体になってレースに臨んでほしい。まあ、思っていたより笑顔が出ていたので、大丈夫そうです。本当な、女の子の黄色い声援があれば(甘えた声援かな?)、もっと力になるだろうけど。
2006/08/28
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シュレッダーで小さなお子さんが、指に怪我をする事故が起こっているそうです。「そんなに幅が広かったっけ?」と言うのが、そのニュースを聞いた第一印象でした。個人情報保護法というのが出来て、うちでも簡単にゴミ箱に捨てることを控えるようになりました。最初そんなに多くないだろうからと、手回し式のシュレッダーを購入しましたが、すぐに電動に買い換えました。シュレッダーにかけるものはそれほど多くありませんが、小学生の頃手回し鉛筆削りが、すぐに電動になったように、なんかあの手回し作業が面倒というか、間が抜けているように感じたからです。事故のニュースをうちのをもう一度確かめましたが、シュレッダーの歯の手前の隙間は3mmほどしかありませんでした。どのようにしても指は入りません。ニュースで写った商品のように、上から歯は見えないし。大量に処理しないので、一度に処理できる枚数の少ないタイプだからだと思いますが、どうやらうちのは大丈夫そうです。しかも通常はコンセントを抜いているので更に安心です。この個人情報保護法というのも、なにやらへんてこな法律です。運用がおかしいのか、こんなことがありました。うちでお買い物をされたお客さんが、JRの定期を落として行かれました。うちの会員さんならよかったのですが、検索してもヒットせず、すぐにJRに電話しました。「○○さんに連絡をして、うちで定期を預かっていると伝えてもらえませんか」すると、「それはできません」ということでした。こういうことは、今までもあり、後日お客さんが取りに来られるのが普通だったので、何故?と聞いてみました。すると、この法律で禁じられているとの返答でした。自分のところが定期を販売する時に取った名簿を、自分のところで検索して、自分のところからお客さんに連絡するのに・・・私には個人情報を漏らさないのに・・・腑に落ちませんでした。ではどうすれば?と訊くと、「JR最寄駅か、警察に届けて欲しい」との事でした。警察に届けに行くと、担当の警察官も、「最近大手は、そういう対応をするようです。なんかおかしいと思うのですがね・・・仕事が増えました」とのことでした。こういう循環で公務員が増えていくのだなあと思いました。九州だったか北海道だったかのある町で、「炭鉱がなくなったら、町だけが残った」というのを、そこで暮らす人が言っていたのを思い出しました。圧倒的に多くの人を抱える自治体と零細個人事業主の町を、一言で言い表した言葉で、頭にスッと入ってしまいました。変な人が増えたから、こんな法律が必要になったのでしょうが、過剰に防衛する人も増えたように思います。なんか、「人を見たら泥棒と思え」的発想が、普通になってきているようで、寂しいです。チビの時、何度か迷子になりましたが、見知らぬ人に助けてもらいました。友達が釘を踏んでしまって抜けなくなった時も、歩いていた人が、すぐに抱きかかえて、僕らをタクシーで病院に連れて行ってくれました。ほとんどの人が、いい人で、助け合える人なのに、こういう法律が必要な世の中になってきてしまいました。それによって、小さなお子さんの指が怪我をする。痛かっただろうに・・・それに親御さんの悲しみはいかほどか・・・ある大金持ちさんの言葉が頭に浮かびます。お金持ちになったら、困らなくなるというのはウソだよ。お金を持ったら、それが減らないか、盗まれないか、新たな心配が生まれる。常にガードマンを連れて歩いている人もいるし、カメラを家につける。でもね、俺は平気だよ。平気で、1人で何処にでも行くし、家にカメラもつけない。だって、生まれて来たときは裸だったんだから、みんななくなっちゃっても元に戻るだけ。その上に生活保護で生活費までくれるいい国です。俺がいなくなったって、代わりの人はいくらでもいるの。だから世の中、何も困らないの。人に優しい言葉かけて、笑って生きなくっちゃ。まだ肩に力が入った生き方してるかな?もっと気楽でいいのかも?
2006/08/26
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「天国の本屋」 松久淳+田中渉 新潮文庫 ★★何となく題名に惹かれて買ってしまいました。帯には、「2004年6月5日天国の本屋恋火原作」とか書いてあり、裏帯には「天国の本屋恋火5/11発売」なんてのもありました。いつの本?なんて思いながら、私の手に渡るのを待っていたのかも・・・。本当にそういう本でした。私は自分で言うのもなんだけど、本好きです。そのルーツは、小さな時から母親に毎晩本を読んでもらいながら寝付いたことに行き着くと思うが、小学校の時、近所にあった小さな本屋さんの影響もあると思います。そこは、右手の奥隅にカウンターがあり、いつものおじさんがいつものように本を読みながら店番をしています。問題集などを買いに行くのですが、少年サンデーなどをちょっと立ち読みします。たまにサンデーのお金をもらいますが、大抵は立ち読み。当時本屋は、小学校の前に大抵ある文房具や当てもんを売ってるお店とともに、小学生の溜まり場でした。ちょっと長くそれをしてると、おじさんが出てきて「本が汚れる」と小言を言われます。そんな何処にでもいるようなおじさんですが、時々本の読み聞かせをしています。まだ本がしっかりと読めないような小さな子向けの本を読んでいます。狭い店内の通路に小さな椅子を並べ、小さな子がそれを聞いています。そんな事してもらった事はないけれど、そういう光景にたまに出くわすと、何故か懐かしく感じます。母親に本を読んでもらいながら夢の中に落ちていったそれを思い出すのでしょうか?「もう閉店ですか?」「大丈夫ですよ。なんでしょうか?」「この本を・・・探しているんですけど」「こちらの本ですね。どうぞ」「あら、随分早いんですね。まるで用意してあったみたい」「用意しておいたんです」「え?だって私・・・」「あなたがこの本を買いに来るって、僕にはわかってたんです」「なぜ?しかもこれ、弟が好きだった本なのに」「よろしければ読みましょうか?」「え?」「もうこの店、閉店の時間ですからこの後、この本僕が朗読しますよ」「・・・ええ、じゃあお願いします。読んでください」で、この本は始まります。主人公さとしは、大学卒業を控えて就職活動中です。でも中々内定が取れません。コンビニの本棚で週間プレイボーイに手を伸ばそうとして、「は~あ」と大きな溜息をつく。いつの間にか横には、秋も深まっていると言うのに不釣合いな派手なアロハシャツと単パンのおじいさんが立っており、「噂どおり、冴えないヤツだなあ」。気を失って、気がつくとそこはどうやら天国の本屋らしい。アロハのおじいさんはここの店長らしく、否応なく、そこで短期店長代理のバイトをすることになる。店長は彼女と旅行に行くので、その代理らしい。午前中、レジには、かわいいけど何故か瞳がうすいグリーンで、いつも不機嫌なユイという若い女。午後からは漫才コンビの店員。冴えない生活をしていたさとしには、忙しいけど充実した生活が始まった。人は100才という寿命があるらしい。そこに足らずに命を落としたら、残りを天国で暮らす。そして100才になったら、また地上の世界に生まれる、そういうシステムになっているらしい。ある日、本の片付けをしていると、小さな女の子が「ねえ、この本読んで」と袖を引く。「あのね、それは出来ないの」。その時、不機嫌なユイが、「本を読んであげるのは、この店のサービスだから」。仕方なく読み出すと、1人1人オーディエンスが増えていく。読み終えるとパチパチパチパチ。なんか昔あったような記憶。とても気持ちがいい。長期入院していたおばあさんの病室で、幼いさとしはよく本を読んでもらっていた。やがておばあさんは本が読めなくなり、代わってさとしが読むようになっていた。そうだあの時の本が『泣いた赤鬼』、この子が持ってきた本だ。毎日数度本を朗読するようになる。大人も聴くようになり、大人向けの本を読むこともある。自分でも上手な朗読とは思えないけど、楽しみに聴いてくれる人がいる。どうもユイが気になる。いつもふてくされてる感じだけど、すごく気になる。恋ってヤツかもしれない。きれいなうすいグリーンの瞳の事を言うと、何故か思いっきりひっぱたかれた。何故?その答えは店長が教えてくれた。店長は、天国のいろんな仕事もしており、地上との橋渡しもしている。ユイは小さい頃父親を亡くし、母親が遅くまで働きに出ている。年の離れた小さな弟の世話はユイの仕事。食事を作り、本を読んで寝かせる。年頃になったユイに、お付き合いをしてくれる男性が現れた。でも早くに家に帰らないといけないユイから去っていく。弟の世話の方が大事だと分かっているけれど、このまま年老いていくのだろうかと寂しくなる。そんなことを考えながら、赤信号と気づかずに横断歩道に入ってしまった。追いかけてきた弟が、目の前で車にはねられて亡くなってしまった。そのショックで自殺してしまった。きちんと死を迎えていない人が、うすいグリーンの瞳をしているのだそうだ。そういう想いが天国で昇華できたら、自殺直前の自分に還れるらしい。さとしに目標が出来た。精一杯ユイに明るい声を掛け・・・やがてユイの気持ちが和らいでいく。とても素敵な物語でした。心が温まる作品でした。私の一番好きな感じ。私自身の記憶の中のあの本屋さんのおじさんが甦ってきました。うちの子達が小さな頃、父親としての私の担当は、2人をお風呂に入れることと、本を読み聞かせながら寝かすこと。たまに私の方が先に寝ちゃうこともありますが、「今日は何読む?」「これ」「これ」って、2人が争って本を選んできます。あの至福の時間を私に与えてくれた家内に感謝です。来世も家内を見つけなくっちゃな。
2006/08/24
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日曜日は、琵琶湖行きでした。近畿北陸学生個人選手権です。上位6艇が学生個人全日本に出場です。お手伝いしている学校から、1艇でも行って欲しいなあと思っていました。そしてこれを踏み台に、翌週の団体戦で3位以内に入り、全日本団体戦にも駒を進めてほしいものです。朝、大会会場のハーバーに着き、土曜の成績を見ると、リーダーが2番で、2週前の学生以外の人も出る一般全日本選手権予選のいい調子が続いている3回生の子が5番です。お~、今日も期待できそうです。艇庫に行くと、レスキューの修理がまだのようで、インフレータブル支援になるようです。いつも思うのですが、YHでうろうろしていると、いろんな学校の学生さんが「こんにちは」と挨拶してくれます。艇庫でも、隣の艇庫の子が挨拶してくれます。私も学生時代、「うちのOBでなくても挨拶をすること。ヨット部関係者と分からなくても、とりあえず挨拶すること」と先輩から教えられたけど、ずっと続いています。負けないように、先に「おはよう」って言うようにしていますが、挨拶っていいものです。クラブの成績はともかく、クラブに所属することで、人としてとても大切なことを学んで実践しているように思います。インフレータブルの定員は6名で、監督さん・私・今年卒業したコーチ・同じくマネージャーの4人現役ではない人が乗ったので、現役は2人になりました。申し訳ないなと思いつつ、手伝いを頼まれている以上レースを見て気づいたことを伝えないとなとも思います。まあ日曜日だけだからね。レースは相変わらずスナイプの2艇は調子よく、もう1艇もまずまずです。結局、優勝と6位でした。近畿北陸代表として、全日本にチャレンジできる機会を得ました。思いっきり、はじけて欲しいです。今週末は、全日本学生選手権団体戦の予選です。選手は、1年間の集大成をぶつけて、クラブのみんなを全日本に連れて行って欲しい。ところで、日曜日の朝、艇庫前にいると次男が艇庫から出てきた。「やっぱり艇庫に来ていたのか」と思ったが、「おはよう」って言ったっきりどこかに行ってしまった。運営の方に行ったのでしょう。レースが終わり、次男の1学年上の方々が艇庫に帰って来て、「ジュリーボートに乗ってました?息子さんとお2人で乗ってるように見えたのですが・・・」。ミーティングの後半に、次男と同学年の子が運営から帰ってきました。審問の話を選手にしていたので、どうやら審問室にいたようです。ジャッジの資格を取ったのか、取ろうとしているかでしょう。私もジャッジの資格を持っており、ルールへの感心を持続させるし、いざという時にはお手伝いもできるので便利です。でも、正直あまり審判はしたくありません。ジャッジも極めると楽しいのでしょうが、他のスポーツでもそうですが、納得のいくジャッジが出来て当たり前で、微妙な判定の時、文句を言われるのが辛いです。プロ野球の試合で、審判に執拗な抗議をしている場面を見ると、そこまで血相を変えて抗議しなくても・・・なんて思ってしまいます。まあ、プロ野球が特殊なのかもしれません。他のスポーツで、審判の判定にあれだけ詰め寄って抗議することがあるのだろうか?私がレースでケースを起こして、審問で失格のジャッジを息子から下されるというのも、想像すると中々面白いです。
2006/08/23
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昼過ぎから、夕立のような雨が降って来ました。雨脚は強かったですが、長く降りそうもないし、いいお湿りになるのかなあと思っていました。でも、雨脚が衰えたと思ったら、第2段がやってきました。カミナリを伴い、荒れ模様の天気になりました。ここ数年なかったような雷雨で、カミナリがなるたびにビックリでした。ガラガラガラって、すごい音でした。家内に電話を掛け、様子を聞きましたが、どうやら家内も耐えているようです。稲光とともに一瞬の停電が起き、これはやばいと思い、コンピューターの電源を落とし始めました。次にレジとコンピューターの連絡も絶ちました。繋がっていると、全部がアウトになることもあります。昔、父の実家に落雷がありました。家にいた家族全員が気を失いました。私と同じ年齢の従兄弟が小学生の頃です。彼の話によると、空カミナリ(雨の伴わない)で、庭で野球をしていたら、一瞬世の中が黄色くなり地面に叩きつけられました。気がつくと、家の中が赤くなっており、急いで家に上がるとTVが燃えていました。TVのアンテナに落雷したようです。座敷で気を失っていた爺ちゃんなどに大声をかけ、井戸からバケツで水を運んでTVにぶっ掛けたそうです。「僕が火事を食い止めたんや」と自慢の話でした。みんな無事だったので、よかったです。久しぶりの強力なカミナリだったので、空を見上げていました。大きな雲の流れが上空ではあるのでしょうが、周りのビルにかかりそうな低い雲が渦を巻いて流れたり、一番下のちぎれ雲のようなものは、いろんな方向に動いていました。こういうのがぶつかり合って、放電するのでしょうか。戦国時代の時代劇のタイトルバックに使えそうな、自然のスペクタクルでした。でもこういうのを海上にいるとき食らったら、生きた心地がしないでしょう。ということで、雷鳴が収まってからヨットハーバーのウェブカメラを立ち上げて見ました。それほど暗くもなってないし、海までこのカミナリ雲は移動しなかったようです。カメラを動かしていると、大阪の上空で稲光が光っていました。甲子園球場は海岸に近いのでましだと思いますが、1日ずれて高校野球の決勝戦の日だったら、すごい演出になったことでしょう。再び再試合になってたりして・・・
2006/08/22
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エクアドルだったか、どこか南米の国で、交通事故の原因の2番目が「綺麗な女性に見とれていて」らしい。ちなみに、1番目が「携帯電話を掛けていて」。見とれての結果が交通事故というのは、ちょっといただけないが、よそ見して歩いていて木にぶつかるとかだったら、笑えますね。という私も、「この人綺麗なア」と見ているときがあります。車で走りながら横を見ているというのはないけど、男性ならだれでも、おっとと思って、バックミラーに目が行った経験があるのではないでしょうか。それも一種のセクハラだとか最近言われますが、せめて見るぐらいは勘弁してもらいたいです。これは本能だから仕方ないです。ほんと、綺麗な女性が増殖中だと思います。家内が化粧をしているのを見るのが、今でも結構好きです。洗面台の鏡を相手に、まつげカーラーをクキクキ動かしている。畳に座ってや、台所のテーブルに化粧道具を広げて、パタパタやってたりする。そういうのを横で見ていたり、それを見ながら移動したりするので、「何か用?」ってよく言われます。世間では薄化粧というのでしょうが、軽い感じで出かけようとする家内に、「なんかなあ」と思うときがあります。「もっと綺麗になってほしいなあ」なんて。「何か用?」これを聞くと、女性というのは、自分が花であると自覚していないのだなあと思う。女性が1人いるだけで、場が華やぎます。男性からの経口も出て、場が和みます。それをTVで、女性蔑視ととらえる発言をするパネラーの女性がいますが、女性が元から持っている特性だと思います。女性が思っている以上に、男性は綺麗な女性から、いろんな力をもらっていると思います。花がお化粧したり、綺麗な洋服を着たりして華になる。たまに、それだけを売りにしている方を見受けるが、今まで多くの綺麗な女性によって、人生を楽しくさせてもらったし、力をもらいました。これからもますます増殖してもらいたいです。
2006/08/21
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昨日何気なくTVを見ていたら、天使さんがCMに出ていました。天使といっても、NHK教育TVの英語語学番組での役柄です。かわいくて、きれいな方です。TVは、早くて夜10時位から1~2時間見る程度ですが、面白そうな番組がないと、とりあえずNHK総合かNHK教育に合わせておくのが習慣になっています。その時間帯は、語学番組も多く、ヨーグルトを食べながら、何となく見ています。気になっているのは、この天使さんの他に、同じ英語講座のベニさん。これは、100語英会話が終わって新たに始まった番組に出演している。それから、出直し英語塾の男の先生。この番組は長いが、先生の話し方や自然な笑顔が、英語の先生っぽくなくていい。でもダントツは、ドイツ語講座のリーザさん。めちゃくちゃかわいいと思うんだけど・・・昨夜、「たいようの歌」をやっていました。ほんの少し見ましたが、なんか包帯とかばんそう膏とかを貼っていて、主人公が謝っていました。「水臭いじゃないか・・・」とか言われていました。原作にはないシーンで、連続ドラマにすると、毎回盛り上がるシーンが必要で、大変だなあと思いました。なんか友情を深め合うシーンとかになると、仲間が殴りあったり、教師からのビンタがあったりしますね。私は、そういうのがあると、どうも見る気がしなくなります。暴力をふるわれた後に、相手を理解できたことはないし、ありがたいと思ったこともない。中学生になったら、もうそういうのは無理じゃないかなあ。取っ組み合いで育まれた熱い友情なんて、暴力団の世界やその予備軍の世界でした通用しないように思う。島田紳助の番組も、あの暴力事件以降、見なくなった。あの笑顔や冗談で出演者を笑わせている裏に、自分の正義のためには暴力を容認する心があると思うと、見ていられない。「たいようの歌」の映画は、近くでやってなかったので見ることは出来ませんでしたが、好評のようです。もっと原作に忠実で、暴力シーンなどないのだと思います。最近の日本映画の好調は、暴力シーンを切り抜けるヒーローのヤクザ映画路線を止めたからだと思っています。私は、暴力シーンを見て、明日からがんばろうと思ったり、落ち込んでいる気持ちに力が与えられることはない。嫌な気分になるだけです。愛情ある言葉や行動から、きっといい明日が待っていると思うようになるのではないかと思います。
2006/08/19
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ジュニアクラブ所属選手の夏休みの海外遠征などの大きなイベントが、今週で終わりました。15 才以下のヨーロッパ選手権、そしてアジア選手権。その後に、高校生世代の 2 人乗りヨーロッパ選手権、 1 人乗りユース世界選手権。最後は、今週インターハイのヨット競技です。クラブの HP のために、毎日各大会ウェブサイトをチェックして、成績や写真、レポートを更新しています。そしてレース後、ご苦労さん&おめでとうメッセージを親御さんなどに送っておしまいです。ユースワールドに参加したお嬢さんの付き添いでついていったお母さんから、返信メッセージが届きました。「きっと、ビリだと思っていたけど、ビリから 5 番目という上出来の成績でした。・・にも写真が載っているので、適当にクラブのにも載せて下さい。応援ありがとうございました」子供さんからのプレゼントですね。ロサンゼルスの観光旅行はないけど、世界選手権参加選手の親としてレースに参加できるなんて、お金では買えませんね。そして昨日、インターハイ参加者の親からメールが届きました。男女とも優勝者は、うちのクラブではないけど知ってる子で、親御さんも存じ上げています。上位入賞者数人に、おめでとうメールを送りましたが、うちのクラブ出身の子のお父さんからのメールに再び返信しました。15 才以下で 2 度も世界選手権に参加した、とてもヨットのうまい子ですが、勉強もよくがんばる子です。ヨット部のある数校から誘われていましたが、次男の通った学校に進学しました。「ヨットがうまくても、人生ヨットだけではない。勉強もしっかり鍛えてくれる学校がいいと思って・・・」というのが、そのときのお父さんの意見でした。高 1 のインターハイでいきなり 7 位になり、「もっと練習をする九州の学校に進学した方がよかったのだろうか・・・」と、書いてありました。顧問先生は、大学時代から知っている人で、その関係で内情などよく教えてくれます。この 4 月に彼が入学して、すぐに抜群のセンスを感じたそうです。彼の入部で、他の子が刺激され、レベルアップは確実で、久しぶりに団体戦上位が狙えると予想したそうです。そこで大阪府の国体用の速い船を長期借りる交渉をして、団体戦 3 位を獲得しました。そういう裏事情を少し書いて、がんばる子はどんな環境でもがんばり、もしそれが結果に出なくても、努力の過程が大きな財産になって残るのではないかなあ。親ができることなんて知れているから、高みの見物がいいんじゃないでしょうか。なんてことを返信しておいた。進路なんて、本人が自ら切り開いていくのが一番いいと思う。テスト期間も関係なく、年間 360 日ほどヨットに乗っている学校を相手に、練習は日曜日と長期休みだけで、テスト 2 週間前からは練習なし、しかも 12 月から春休みに入る前まで練習がない学校が何処までやれるか、彼のこの 3 年間は楽しみです。
2006/08/18
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加藤紘一さんの実家が全焼し、放火したと思われる右翼団体の男性が、割腹自殺を図ったようだとニュースで流れていました。終戦記念日で、小泉さんが靖国神社に参拝した日です。それが本当の動機なら、小泉さんのツッパリに力を得た勢力の、弱いものいじめに見えます。数日前にも書いたので、こういうのをたくさん書きたくはないけど、今の気持ちを残すのが日記だから、また書きます。国のトップが、中国・韓国からの抗議に、真っ向対立する発言で、ナショナリズムが強まり、国全体が少し右傾しているのではないかと思います。イラクで人質になった方の救出費用を、自己責任として、本人に請求する方がいいという意見が、相当な力を持った時。郵政民営化で衆議院解散をした時、党内反対派を公認しなかった時。小泉さんの、つまり権力者の開き直りの怖さを知りました。2.26 事件や 5.15 事件で右傾化して行ったのを想像してしまいます。ナショナリズムが、中国の方を日本人に比べて劣っている民族という風潮を生み、日本人の農村の働き手の働く場所確保という大義名分で、中国などに進出していった。三男の父も、ボルネオ島に入植するという名目で日本を発ち、そのまま入隊した。自分達の土地は自分達で作れということだったのだろうか?いくらうちの家が子沢山になっても、武器をちらつかせて、隣の敷地に家を建てたり、土地を取ってはいけない。私が小学校の時、大阪は朝鮮の方が多いので、クラスにもとういう友達がいた。仲がよかったので、よく遊びに行ったが、家の前の道がいつもぬかるんでいた。そのことを父に話すと、「朝鮮部落に行くな。おまえも変な目で見られるようになる」と言われた。父は、「朝鮮」「朝鮮」と呼び捨てにしていた。私は、その友達が普通であるし、おばちゃんも私を分け隔てなく接してくれているのを感じていたから父に反発した。「今の学校をそう教えているからなあ」と、苦々しそうに私を見ていた。意味がわからず、ずっと家に行き友達でいたが、戦前の教育を受けた父には、それが普通の日本人の考え方だったのだろう。今、日本の科学技術は世界一かもしれない。多くの先端機器の心臓部に日本製が入っているし、工作ロボットは特に強いように思う。韓国も日本の技術者を高額で引き抜いて力をつけ、中国は大きな国であるので、いろんな負の問題を内包している。日本人の方が優秀だと思う人が多くいても全然かまわないし、私自身も日本人として、自国には優秀な血が流れていると思っている。でも、これを声高に言ってはいけないと思う。今、経済力や科学技術力で上だからこそ、なお更言ってはいけないと思う。お金持ちや優秀な者、権力のある者は、叩かれるのが世の常です。「まあ、まあ、まあ、まあ」としているくらいでちょうどいいと思う。突っぱねてしまうと、余計に攻撃は激しくなる。そして、国内の突っ張った勢力、つまり好戦的な勢力が勢いづく。加藤さんのような反対勢力が内包しているから自民党は強かった。進化論同様、生き残るのは、強いものでも大きいものでもなく、唯一変化できるものだから、いろんな考えが出てきて、常に変化していた自民党は強かった。権力争いに破れ冷や飯を食っていた者が、復活するから強かった。小泉さんが先鞭をつけた、反対派を駆逐する政治が、今後も続くようだと、権力の考えが鋭利になりすぎて、危ないように思う。安倍さんは、小泉さんとは独立した存在に見えていたが、小泉後継を小泉さん主導で争わされて、小泉さんと違う意見を表に出さなくなり、小さくなったように見える。武力衝突に発展する近隣諸国との関係に関しては、小泉さんと別の路線を取って欲しい。反対意見の方を、権力を使って露骨に追い落とすのは止めてほしい。
2006/08/17
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毎年繰り返されることですが、この夏も海の事故が毎日のように報道されています。その度に、「ライフジャケットさえ着ていれば、事故は防げるのになあ・・・」いつも、そう思います。小学生の時、 2 度近所の池で水死された方を見ました。数日間沈んでいた方は、 3 倍ほど膨らんだ身体になっていました。腐敗ガスが身体にたまり、浮いてくるそうです。ヨット部に入り活動している時に、港で 1 人同じような人がありました。高 3 の国体予選の前日、伊藤忠ヨット部の人と練習をご一緒しました。翌日のレースで、そのキャプテンの人が亡くなりました。この方はライフジャケットを着ていましたが、チョウチョ結びだったので、ほどけてしまったようです。大学卒業後、高校ヨット部の先輩が亡くなりました。ひっくり返らないクルーザーだったので、ライジャケを着ていませんでした。高校ヨット部の新人試乗会の最初に、先輩からライフジャケットを着るように渡されました。チョウチョ結びをしたら、「それはほどけるからあかん。ほどきにくいけど丸結びにして」と言われました。ヨットに乗ってまず最初に、「落ちても浮いてるから平気。岸に泳ごう何てしないこと。すぐに拾いにいったるから」と言われました。ヨット部を 7 年間で、数え切れないほど海に落ちました。ヨットは何回ひっくり返っただろう?レーシングヨットなので、ギリギリを狙うから、 1 日に数度ひっくり返ったことも多数あります。『ライフジャケットさえきちんと着ていれば、大丈夫』を身を持って体験した。以来、ライジャケなしで海で泳ぐことはしない。海で唯一身を守ってくれるのは、ライジャケだけです。十分泳げない家内と結婚して、家内用のライジャケを購入して、海に行くようになりました。子供が出来て、幼児用・子供用と買って、自宅には数着のライジャケがあります。フェリーに乗るときも家族 4 人で着ました。ヨット用のかっこいいのを買い与えたが、「みんな着ていないからいや」と子供からは言われましたが、「ここから落ちても、お父さんは助けられないよ。これさえ着てたら沈まないから大丈夫」と、着せました。海水浴で海に入るときは、着ることを約束させました。着ることの特典を知ってもらおうと、ゴーグルとシュノーケルも着けて、流れを確認してから、足のつかないところに手をつないで繰り出した。ただ下を向いて浮いているだけだが、タコやイカ、魚の群れを飽きずに見ていました。そういうので、子供達はライフジャケットを着るのが当たり前になって、ちょっとかっこいいようにさえ思うようになったと思います。これを着せていれば、子供から離れていても、安心できます。当時、海岸でライフジャケットを着ている家族は、唯一うちの家族だけだったが、最近は、ライフジャケットを着ているお子さんが増えてきているように思います。ライジャケを着ることで、安全性と海での楽しみが数倍になります。もっと多くの人が着るようになればなあと思います。今は、かっこいい子供用ライフジャケットが、多数出ています。
2006/08/16
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あ~あ、とうとう参拝してしまった・・・A 級戦犯が神として祀られている靖国神社に、日本国の顔であり代表である首相が公式参拝するということは、 A 級戦犯の方々の偉業を称えるということ。A 級戦犯の方々は、戦争に日本を突き進ませた指導者です。国という大きな組織でも、会社と同じように、本当の芯を動かしているのは数人です。その数人の権力者になり、自分を実現しようとしのぎを削ります。好戦論者、不戦論者いろんな人がいる中、対立意見を駆逐していって、勝ち残った人たちです。考え方の転換で、戦争を止められたし、早く終わらせることはできます。赤紙 1 枚で、大工さんや八百屋さんを戦場に送り、中学生を早期卒業させて戦闘機乗りにしました。命を落とした大工さんや少年兵と、 A 級戦犯とは本質が全く違います。少年兵が祀られている靖国神社への首相参拝には賛成ですが、 A 級戦犯を神と拝むのには反対です。息子 2 人を亡くした私の婆ちゃんが、 A 級戦犯合祀以降行かなかったのはよくわかりますし、ごく普通だと思います。赤紙で戦地に赴いて、唯一帰ってきた私の父を、古い風習が残る田舎で、長男でもないのに長男と同じ食卓に着かせ続けるのは、亡くした 2 人の息子への辛い思いの反映だと感じます。子を持つ親になって思う。赤紙で我が子が強制的に兵隊にならされ戦死したとしたら、赤紙で兵役を科す法律を通した首相や軍部トップを赦すことは出来ない。あの時代は仕方なかった、なんて言えるわけがない。その人達と、その命令で動いた一般の人とは全く違う。 中国が、 靖国神社の A 級戦犯の部分についてのみ反発するのは、よく分かるし、私と考えが同じでもある。小泉さんは、靖国神社の A 級戦犯と一般軍人・にわか軍人に関する部分を曖昧にして、問いに答えない。「二度と戦争を起こしてはならない」と言いながら、隣の国が猛烈に嫌がることをあえてするのか?戦争というのは、いきなり始まらない。お互いの国民に、相手国への不信感や猜疑心が高まって起こる。その火種を提供して、お互いの国の修復をしているのは、商売や友人関係である一般国民ではないか。今、日本は経済が強いから、そういうことができるし、やっても紛争までには発展しないだろうという考えがあると思う。でも、『実るほどに頭を垂れ』という言葉があるように、そういう時の態度こそ、立場が逆転したときに利いてくる。力の強いものが、弱いものの意見を真剣に聞かなかったり、嫌がることを平気でするいじめっ子の態度に似ていると思う。松岡外相が、国際連合を脱退するのは、パフォーマンスとしてはかっこいい。でも国を預かる者としての行動として、過激すぎないか。郵政民営化で選挙をして、党内の反対派を公認せず駆逐する過激さは、首相としての器か。反面、武力を使うアメリカに協力する。アメリカに、イスラエルに、日本の持っている憲法を元に、本気で意義を唱えているのか。弱い子に強気に出て、強い子には従う、子供向けの漫画で最も軽蔑されるキャラクターではないのか。物言わぬ、従順な市民、弱者への配慮がなさ過ぎる。私の生きてきた中で、もっとも品のない首相だと思う。
2006/08/15
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日曜日は、はるるさんとエナエナさん、それにエナエナさんの小 2 のお嬢さんと、 4 人で船を出しました。朝一番に船に行き、予備タンクから燃料補充。14 日からの日生行きに備え、予備タンクを下げて GS へ。最近は、セルフの店が増えています。セルフは、なんか会話がなく、あまり好きではありませんが、最寄はここだけで仕方ありません。20L タンク満タンでも、以前は軽油なので 2000 円でお釣りがありましたが、今はオーバーします。燃料費が上がっちゃったなあ。西宮駅で 3 人を乗せハーバーに戻ります。上架してあるレース艇に寄って、異常ないか見上げる。クルージング艇の方に向かいます。用意していると、花さん先頭に先輩の一団が来られます。同じ桟橋に置いてある船に乗るようです。「宴会ですか?」「あほ、セーリングや」船に来ても、海に出さずに船内で宴会して解散をよくやっているので、ちょっとからかってみましたが、この日は沖に出るようです。先輩方は、いつまでも元気です。朝から南が入ってきていますが、まだ 2 m/sぐらいです。パパヘミングウェイにランチの予約を入れて、出発です。ハーバーを出てセールアップ。お 3 人は、ヨットが初めてということなので、最初にはちょうどいい風かもしれません。エンジンを止め、帆走開始。お嬢ちゃんにも運転してもらいましたが、どんな感じがしたのかな?目標を伝えると、上手にステアリングしています。中々筋がいいです。赤灯台を越え、淀川河口目指してアビームからクウォーターの下りです。雨が降らなくてよかったですが、日焼けしそうな上天気です。船を出す前に長袖に着替え、日焼け止めをしっかり塗りましたが、ゲストさんはどうかなあ?お奨めして、塗ってはおられましたが、日焼けは体力を奪うからなあ・・・後半、予約の 12 時に間に合いそうもないので、エンジンもかけ、機帆走にしました。大阪方面がもやっていて、 WTC がもやの上からてっぺんだけ見えています。いつもならよく目立つ大阪市のごみ焼却場も、色あせています。北港のハーバーが見えてきて、セールダウン。桟橋に着ける頃になって風が上がってきました。午後からは、もう少し走りそうです。桟橋の風上・風下どちらに着けようかなあ?普通なら桟橋に吹き寄せられず、ボディに負担がかからない風下だけど、ゲストさんなので・・・でもまあ適切な指示さえすれば大丈夫かなあと思い、風下側に着けました。「はい、今桟橋に飛び降りてください」「そのロープを桟橋のそこに引っ掛けて」風圧がそれほどでもなく、あんずる事もありませんでした。20 分は遅刻してしまったけど、お店での 1 杯のお水がとても気持ちいいです。ヘミングウェイの愛称が、パパだったらしく、きっとそこからネーミングされていると思うけど、ここからテラスを通して見えるハーバーや船の感じが、感じいいです。ヘミングウェイの『老人と海』に、老人がそういう感じで遠くの海を見ているシーンがあったように思います。カジキと格闘し、サメにせっかくの獲物を食いちぎられていく描写もいいですが、あの小説のイメージは、ボーっと遠くの海を見ている老人。何十年も積み重ねてきた魚との数々の格闘・・・自分の歴史を振り返っているような・・・そんなイメージを頭の中で膨らませます。水分は補給しているけど、炎天下から戻った時の冷たい 1 杯は、身体を生き返らせます。陽光に輝くハーバーの船を見ながら、美味しいランチ。小 2 のお嬢ちゃんは、落ち着いていて大人ばかりの雰囲気の TPO をわきまえているようです。うちは息子 2 人なので、娘もいたらよかったなあと思います。息子達は、中学になると、もうかわいくないけれど、女の子はどんどん綺麗に、やさしくなっていくからなあ。隣の席には、 3 世代家族かな?実家に帰ってきて久しぶりに会ったところで、食べに来た感じです。数組のカップルもいます。大体女の子の方が、きれいなんだけど、ここにエスコートしてくる男の子は、なかなかセンスがいいです。ハーバーに向かってテラスが広がる雰囲気は、きっと大きな得点を稼げるはずです。1 時間半ゆっくりし、帰路に出発です。帰りの飲み物をおごってもらいました。4 m/sほどの、ヨットにちょっと慣れた頃にちょうどいい風です。6 m/sになると、ヒールし過ぎ(傾きすぎ)だし、いい感じです。フルセイルのクローズ(ヨットが風上に向かえるギリギリまで風に向かっている角度)で赤灯台まで上がります。この角度を維持するのは、ちょっと難しいので私が操船しました。気持ちいい風に吹かれて、お嬢ちゃんは、コックリコックリ・・・シエスタな午後です。途中、船に驚いてボラが跳ねます。デッキに乗っかってきたのもいましたが、いい具合にすぐ海に落ちていきました。コックピットに入ると、難儀するからなあ。海面に浮いて休憩しているかもめの横を通り過ぎます。お嬢ちゃんは、夏休みのプリントなどは終わったけど、読書感想文と作品作りが残っているそうです。今日のは、絵日記に残るかなあ?往路は、赤灯台から防波堤沿いに下ったので、復路は防波堤から離して、ちょっとでも大きな海を体験してもらおうとしました。大きくタックして、赤灯台を目指します。灯台を交わすと、学生などがたくさん練習をしています。「お盆なのに・・・熱心やなあ」自分が学生の時は、まったく思わなかったことが頭を過ぎります。芦屋入口方向で、ジュニアが練習しています。同年代の小中学生が 1 人でヨットを操船しているのを見せてあげようと、接近することにします。4 時を回ってホームポートに戻りました。ハーバーハウス前では、コンサートをしています。テントを張って、音響調整設備もあり、青空コンサートです。ハウス内の小さなマーメイドを見て、ハーバー入口の昨年のマーメイド号に回り、車まで。西宮駅まで皆さんを送って、家に向かいましたが、ザーっと降って来ました。夕立です。ゲストさんは楽しんでくれたかなあ?今日の天気だと、長時間陽に当たることで結構疲れるし、初体験のヨットに余分な力が入ってしまうものです。電車に乗ったらすぐ夢の世界に入って行きそうですが、降りる駅を通り過ぎないように、起きられたらいいけど・・・
2006/08/14
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今朝、お墓参りに行ってきました。家内の実家の方のお墓です。仕事前に済まそうと、 6 時に家を出て、お墓参りも含めて 8 時に帰宅できました。高速道路がいい感じで出来て、片道で 30 分は短縮されました。家内と 2 人だけのドライブでした。朝一番でまだましだろうと思っていましたが、帰省の車が結構走っていました。渋滞までは行かなくても、ノロノロ運転の時がありました。でも余計にかかったのは 10 分ほどでしょう。東京に比べたら、随分ましです。お墓に着いたら、お墓の周りを熱心に草抜きをして掃除をしているおばあさんがいました。一心不乱にしておられたので、ほんとは「おはようございます」なんて声をかけた方がいいのだろうけど、掛けずにいました。その後姿に、「おじいさん・・・」なんて会話をしているように、見えてしまいました。家内にもその声が聞こえたのか・・・家内も同じようにしていました。お墓の周りに生えた草を抜き、枯葉をのけ、お花を挿し、お水をお花挿しとお墓に十分掛けました。お線香に火をつけ、手を合わせました。昔のその地区の共同墓地なんでしょう。小さな墓地です。家内の父親の実家も市内のもっと繁華な所に移り、その場所は原っぱのようになっています。墓地に行く時、その原っぱの横を上がります。斜面になっているお墓の一番下が、兵隊さんの墓標が並んでいます。こういう昔から地区の人が守ってきたお墓は、何処でもこういう戦死者の墓標が目立つ所に建っているように思えます。いつものように、うちのお墓が終わったら、このお墓にお水を掛け、お線香を立てます。「陸軍・・上等兵」とか「・・伍長」とか・・・「レイテ島沖」とか「南方方面」とか・・・墓標に刻まれています。子供達が小さな時、「なんでこのお墓、こんなに大きいの?」とか訊かれて、戦争の時の兵隊さんのことやレイテ島の場所を説明したな。少し大きくなると、お水のバケツやお線香とライターを持って、先を争ってこのお墓に水を掛けたりするようになったな。実体験なんて出来ないけど、こういうので戦争を形として感じるようになっていくのかもしれない。私が、親父の背中とお尻の貫通弾の痕で感じるように。ここに来ると、口数が少なくなります。あのおばあさんと同じように、1人でお墓のご先祖様と向き合うからかもしれないな。そして、ひときわ大きな戦死者の墓標に、家族の無念さを感じてしまいます。
2006/08/12
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特にネタがないので、あさのあつこさんの「バッテリー1」の感想を引っ張ってきました。この本も随分前から気になっていたのですが、児童文学ということと、5巻まで出ていることから漫画だと思っていて、購入する所まで行っていませんでした。でも「大人が読んでも面白い」とか、漫画の文庫本ってあるんだろうか?何て思って読んでみることにしました。主人公原田巧は、小学校を卒業したばかりの少年で、両親の転勤で、両親の生まれ故郷広島県の岡山県境の町新田市に引っ越してきます。今はもう母方の祖父しか残っておらず、同居することになりました。巧は、少年野球をやっており、県大会から広島地方予選の優勝を狙うような天才ピッチャーです。生まれながらのピッチャーで孤高な所があり、中学でも野球部に入りストイックにピッチャーを極めようと思っています。新田の少年野球チームのキャッチャー長倉豪は、県予選で敗れてしまいますが、めったに人を褒めない監督に勧められて巧の投球を見たことがあります。それに魅せられてしまって、地方大会までずっと巧の追っかけをしました。巧が新田に引っ越してくる。豪と巧は、引越し初日に出会います。巧の爺ちゃんは、元高校野球の監督で甲子園に何度も出場したことがあります。さてこれからどうなっていくのか?中学に入学してからは、「バッテリー2」です。自分の力を信じるあまり、他と協調しようとしない偏屈な性格の巧をカバーするように、豪の広い心があります。それに、病気がちな巧の弟青波の素直さ、さすが元高校野球の名監督爺ちゃんの長いスパンで人を見る目と、上達の真髄は「楽しむこと」という魅力的な考え方、これらが絡み合います。漫画ではなく、ちゃんとした文庫本でした。主人公がスーパーマンで性格もいい、そして教訓じみた言葉がストレートに出てくる児童文学とはかなり違う語り口です。児童文学の枠を越えている、少年の成長物語という感じです。大人でも十分はまります。これがこの本が受けているところなのでしょう。文中の心に残った言葉を書いておきます。爺ちゃんto巧、『野球は、楽しむもんじゃ。それだけじゃ。楽しまんと野球やっとってなんになる。つぶれるだけじゃ。さっきの豪の顔を思い出してみい。じつに楽しそうな顔しとったろうが。青波だってじゃ。わしがグラブを渡した時、ほんまに楽しそうに笑うたぞ。あの子らは、うまくなる』この言葉の正しさは実感としてあります。次男のヨットも、小学校時代は、練習時間が少なかったと言うのもありますが、いい成績は残せませんでした。でもいつも楽しそうです。ここで結果を言いすぎっちゃって、ヨットが嫌いになって辞めていく子が如何に多いか。やがて中学になり花が咲き出し、大学生になり、日本の男子トップ10入りにまで成長しました。だから、ヨットを始めたチビッコには、いつも楽しめむように声をかけ、「うまいなあ」なんて、よいしょの言葉を並べます。「ヨット面白い?」と聞いて、すぐに「うん面白い」と答えが返って来る子には、うまくなるだろうなあと将来が予想できます。技術を教え込まれやらされているだけでは、早晩進歩は止まります。人は感情が動かしているので、うれしいや面白いという感情が、自発的に技術を吸収し、やがてすごい選手になっていきます。あさのあつこさんのあとがき、『私は運動能力に恵まれず、他の資質にも乏しく、強靭な意志も屈せざる精神も持たず、ささやかな抵抗と挫折と服従の繰り返しの中で、思春期と呼ばれる時を生きてしまった。押し付けられた少女の定型から抜け出せず、苦しくて堪らなかったのに、抜け出すことが怖くて定型の枠にしがみついていたのだ。いつか飛んでやると飛翔の夢を抱きつつ、自らの翼の力を信じることが出来なかったのだ。自分を信じ、結果の全てを引き受ける。そういう生き方しか出来ない少年をこの手で、書き切ってみたかった。そういう少年を学校体育という場に放り込んでみたかった。大人やチームメイトや仲間やかけがえのない相手によって変化し生き延びるのではなく、周りと抗いそれを変化させ、押し付けられた定型の枠を食い破って生きる不羈の魂を一つ、書きたかったのだ。十代の体と精神は、奥深く普遍としてその力を宿している。だからこそ発光する。闇の底から光るのだ』
2006/08/11
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小売店をしているので、いろんなお客さんが来られます。市内に自衛隊基地があるので、隊員さんもその家族も毎日のようにお店に来てくれます。若い隊員さんは、雰囲気でわかります。時代の服装はしているが、過激や甘美ではない。茶髪やピアスはもちろんなく、態度や話っぷりに好感がもてます。非常に立派とまでは行かないが、節度が保たれています。よく来てくれる隊員の奥さんに、イラクの自衛隊派遣の事を聞いてみた。まだ小学校入学前の小さな男の子のお母さんです。隊員に嫁いだうちの元店員さんの友達なので、気軽に声を掛けてみました。「イラクの派遣が終わってよかったですね」「ええ、ホッとしました」「隊員さんに死傷者が出ず、イラクに人を撃つこともなく、ほんとよかったと思っています。命令だから、行きませんとは言えないものね」「災害派遣には、いくらでも行ってほしいけど・・・今度のは戦争してるところだもにね。仲間内では本音をしゃべってると思います」隊員の奥さんだから、言葉を濁しているような話し方でしたが、本音はあざやかに感じました。時代の動きが、武器使用の方に傾いているのが心配みたいです。私も心配です。私の時代は、大規模なことに巻き込まれないような気がしますが、息子達の時代はどうだろう?孫の時代は?実際に戦争を体験していないから、本当のところは分からない。映像でミサイルが誘導されて爆発するところだけ見せられていると、ゲーム上の出来事みたいだけど、ミサイルが落ちた所は、ゲームの世界じゃない。自衛隊員でなくても、一旦武力衝突が起きれば、家族を失った方への同情から、「やられたらやり返せ」という威勢のいい意見に傾き・・・徴兵制だって法律が変わればすぐに実行され、逆らえば公権から罪人扱いされる。大丈夫なんて、何をもって言えるのか。小さな会社や組織の中でさえ、不本意ながら力を持っている人に逆らう意見を言えない人がたくさんいる。負けると分かっていながら本音を言える人を異端児と呼んだり、流れを読めずに損をする人という目で見る。それを利用して力のあるものは、異端児を排除して、イエスマンで周りを固めて、中庸の道からどんどん外れていく。実質権力を南北朝時代ぐらいに失っている天皇という看板を立てて、国を武力行使に動かしてきたのが A 級戦犯の方達。好戦派と嫌戦の考えの方がいた中で、好戦軍人の嫌戦派への暗殺という実力行使などを背景に、好戦派が優勢になった。そこまで地位を上げたのだから、立派な人物だと思うが、結果多くの国民の命を奪ってしまった。私の生まれる前だけど、おじさんを 2 人失った。息子が 2 人帰って来なかったばあちゃんの気持ちは・・・A 級戦犯が神として祭られている靖国神社を、首相が参拝するというのは、どういうことだろう。中国や韓国がどうのこうのではなく、私自身理解できない。戦争指導者と赤紙招集されて不本意ながら軍人になり命を落とした方を、一緒にしていいのだろうか?A 級戦犯分祀や、別の国の追悼施設建設に反対したのは、小泉首相ら少数。中国などは、 首相の A 級戦犯への参拝を問題にしている。それに対し、首相は戦争犠牲者として、 A 級戦犯と一般犠牲軍人を分けようとしない。父親の腰からお尻には、貫通弾の痕がある。「これ、何?」って、小さい頃一緒に入ったお風呂で父に何度も聞いた。1 ヶ月終戦が遅かったら、父の島も玉砕していたかもしれない。そしたら私は存在しない。1 ヶ月早かったら、広島・長崎の悲劇はなく、沖縄での多くの民間人が巻き込まれた戦闘も少なかったのではないか。社長が会社の顔であり意思であるのと同じように、首相は、国の顔であり意思です。首相の現状の靖国神社参拝は、 A 級戦犯を国として復権させる行為だと思う。私は、反対です。今は、日本の民間経済力や米国の後ろ盾を背景に、隣国が公式に改善を述べていることを突っぱねられるが、 100 年後はどうなっているか分からない。自分が強い時に、その時弱い相手に、どういう態度で接するかが、その人の値打ちを決めるような気がする。国立戦没者追悼施設を建てる余裕がないほど、日本人の懐は浅くなったのだろうか?日本の首相はアメリカの軍人墓地に参るが、米国大統領は A 級戦犯も祭られている施設を参れるだろうか?国内外のさざ波を静めるのに役立つと思うしできるのに、何故突っぱねているのだろう?意地になっているようにしか思えない。ダーウィンだったかファーブルだったかの言葉に、『強いものが生き残るのではない。ましてや大きいものでもない。唯一生き残るのは、変化できるものだ』
2006/08/10
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Yさんを艇庫前に降ろしてレース海面に帰って来ると、それを待っていたように風が入って来た。琵琶湖大橋からの風。自分ならアウター寄りから出て左海面を使うかなあ、と思いながらスタートを待つ。いつもながらみんなスタートはいい。着順がよくなかったレースのミーティングで「スタートが・・・」とその理由をよく聞くが、その後のボートスピードの方がもっと重要だなあと思う。次男君は、第1マーク5位で最終マークまで同じような順位だったが、最終3本目の風上に向かうレグで8位まで順位を落としてしまった。レスキューに寄って来た。「ご苦労さん、冷たい麦茶でもどう?」「最後、落としちゃった」「どっちの方が良かった?」「右」3回生のK君がBFD(スタートフライング失格)で排除されて暇そうでした。アウターからスタートを見ていたが、本部船側だけが高くて、一番本部船寄り上1の位置のK君1艇だけ出たそうです。でも右海面有利と予想し、一番有利な本部船寄りの1番目を取った訳ですから大したものです。ボートハンドリングは上達している証拠です。もう少しそういうポジションにいることに慣れてきたら、余裕を持てるようになり、フライングギリギリを狙って飛び出さなくてもいいということが身について来ると思います。積極的でいいんじゃないかなあ。スナイプはS君が4位、SG君が8位。それにしても他大学だが、D君のボートスピードは他と違う感じがします。それにコース引きが当たり、一旦トップに出るとどんどん他を引き離しダントツになってしまいます。1時半を回り最終レースです。スタートラインの下からスタートを見ました。全部で50艇。470級チーフ4250が上10まで・3回生の4174が上10付近・次男君3840が上15付近で、右海面を選択しているようです。4250がまずタック、右に抜けて行きます。上シングルは硬いコースだが、昨日今日の成績ではスピードがないようだからどうかなあ。4174もタック、ミート艇との関係で一度スターボに戻し、再びタックして右に抜けていきます。スターボの時も上集団でいい位置につけている感じだったので、片手に来るのではと予想した。3840は、BFDを1つ抱えているので、スタートを明らかに自重しています。もう1つ失格すると、このシリーズは終わってしまいます。明らかに、スタート第一線から半歩後退したポジションにいます。スピードと右海面選択、試合展開に自信があるのでしょう。ところが、下のフリーウォーターを使ってスピードをつけてスタートした上艇と平行位置になってしまった。このままでは、風上突破され、フレッシュウインドを奪われ、スピードが落ちてしまいます。スタート直後に風を奪われるのは、大きなロスに繋がります。下艇の追い上げもあるので、早めに諦めてすぐ右に返し、ミート艇との関係で再びスターボ、更に右に返すが走りにくいレーンだったのか再びスターボ。やっとレーンを見つけ右に抜けていった。さすがに、レース経験が豊富なレース巧者です。でも、第1マークはようがんばって10番後半という感じ。470前半のレース展開を見ながら、アウターからスナイプのスタートを見るためにゆっくりそちらに移動する。アウター狙いの龍谷OBスナイプが、スタート2分前でもアウターでウロウロしながら2人で話している。右狙い艇が多いのでアウターが空くのは予想済みで、余裕がある。これだけ余裕があれば強いなあと思う。うちのクラブの子が見えなかったので、みんな本部船寄りから出て右に行ったのだろう。アウターから出たスナイプのトップラインと同じ位置で上がっていくと、470が1上を回航。7位ぐらいで自校の青白青が上がる。3回生の4174やろうなあと思う。15番付近に2艇。スナイプがサイド付近になると470の第2マーク回航が始まる。7位艇は予想に反して3840。あのスタートから7位とはよく走っている。2回目の風上マーク4マーク目は5位。遠くの風下の第5マークを回って、フィニッシュに470級トップ集団が向かってくる。徐々に上がってきた3840が、とうとう最後にトップ艇を捕らえてトップホーンを鳴らした。後に50艇従えてのトップは気分いいだろう。パチパチパチパチ。レスキューに寄って来た。「右が良かった?」「最終レグはよう走ったわ」昨年8月に引退して、ヨットに乗る回数は激減しただろうにさすがです。スタートミスした時のリカバリーも、フィニッシュ前の展開や、とても大事な他艇との駆け引きを伴ったフィニッシュ位置。ソツがないなあと思う。陸に上がって柳ヶ崎YHに行くと、滋賀県連の先生に会う。「O君はどうですか?彼使い物になるでしょう」O君は、この先生達が教えていた高校ヨット部出身で、貴重なヨット経験者です。このレースでは次男のクルーをしていた。先生も、卒業後の進路を見ながら、その後が気になるのだろう。ミーティングの一番最後に、「最後にありますか?」ってキャプテンから言葉を振られたので、技術的なことはもう話し合ったけど、1つ忘れていることをしゃべった。「今日、初レースでトップホーンを鳴らした人がいます。大学ヨット部デビュー戦でトップを走った感想を聞きたいんやけど?」って聞いたら、みんな一斉にO君に視線を注いだ。「高校でもトップなんて経験ないし、今日の1レース目でもずっと4位で、抜かれるんじゃないかってビビってました。最後のレースもそんな感じで・・・今度は逆転トップなんて・・・」みんなから、「おまえ、小学生の読書感想文やないんやから・・・」なんて野次が飛んでいました。『ブタもおだてりゃ空を飛ぶ』が信条の私は、こういうのが好きで、多分得意です。まあ次男の腕がトップホーンの大部分を占めているのだろうが、ヤツはもうオジン臭く慣れちゃってる。この日のヒーローは、Oくんでしょう。みんなにきちんとした場で、「すげえなあ」って思われるのが、笑顔につながり、好きになり意欲になり工夫になる。そして、結局あとから成績がついてくる。O君は、公式戦デビューレースでトップを経験できるなんてついています。運は大切だと思う。運も実力のうちです。次男君もまだ入部もしていない5月の連休に470スキッパー(艇長)デビューした。何とか入部してもらおうと、上級生が470スキッパーというエサで釣ったのかもしれない。艇番は古いが速い船だったとか、USAのへんてこなセールナンバーのセールが実は速かったなど、いろんな条件がうまく作用して部内で一番走ったのだろう。それで、上の人が抜擢してくれた。O君も当然必死で艇のバランストリムして、セールトリムをがんばった努力に神様が微笑み、運を引っ張ってきたと思う。大きく羽ばたいて欲しい。
2006/08/09
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クーラーを切った暑い部屋で望遠鏡だけセットして、持参した本を読んでいました。しばらくすると、A君が駆け上がってきました。海上サポートをしているはずの彼が何故?と思ったら、「のりまきさん、是非インフレータブルに乗ってもらいたいんですが・・・」朝、キャプテンに聞いたとき、明確な答えが返って来なかったから、私としては遠慮したんだけど・・・遠くから来たのだけれど、レスキューの故障で海上に行ける定員の減ってしまったら仕方ない。がんばってるクラブの仲間を近くから応援したいのは、私よりクラブ員の子の方が強い。よくコーチという肩書きで、プレーヤーの人事権、つまりレギュラーなどを指示する人がいるが、私はそういうタイプではない。だって、ここは学校のクラブで、勝利を追及するプロチームではない。才能がなくても、ただヨットに乗りたいという動機だけの子がいてもいいし、排除しないでいろんなタイプの学生がヨットを通して楽しむことが、将来に結びつく何かを学ぶことになると思っている。勝利に対してのスタンスとしては甘いのかもしれないが、あくまで主役は学生で、私のような者をどう使うかを考えるのも、楽しみにしたらいいと思う。「じゃあ、陸上から見てるわ」なんてキャプテンに言ったら、日程を私に知らせている手前、クラブ員を降ろして私を乗せようとする。何も言わずに、「レース、ないんじゃないの?」ぐらい下級生に言って、艇庫から見てるのがいいかなあと思ってました。でも、きっと海上でキャプテンに言われて、慌てて帰ってきたんだろう。悪いことをしちゃったな。すぐに着替えて出発です。夏になって藻が気持ちよく伸びています。出艇する所は海面まで達しています。こちらは気持ちよくありません。これがもしワカメなら、朝の味噌汁に困らないだろうに。レース海面では、まだ風待ちが続いています。向こうから手を振るかわいい女の子が・・・Tちゃんです。ちゃんを付けて呼んでは失礼なレディーなんだろうけど、雰囲気がいつまでたってもかわいいです。レース艇に横付けし、みんなに冷たい麦茶を配りながら、「勘弁してえな、早よ、風入ってこんかなあ」な気分をちょっとリフレッシュ。数字には表せないけど、こういうのって効果があると思ってます。他校の知り合いにも、「冷たい麦茶あるよ、いる?」って声を掛けます。4010から合図が来ました。女の子のYさんが体調不良のようです。スキッパーを交代して、艇庫に戻ります。熱射病かなあ・・・艇庫で休んで体調が戻ればいいけど・・・。朝キャプテンに話した事が思い出されました。女子部員が増える傾向にあるヨット部。現レスキュー艇でのトイレの体制を整えないと、安心してヨットを楽しめない。もしレスキュー艇が更新されるなら、そこを現役からきちんと要望する方がいいよと言ったばかりです。今までもレース中、レスキューから「トイレは?」って声をかけてきましたが、いつも「大丈夫です」という答え。多分朝から水分を控えていると思う。時々、船につかまって体を水につけ用を足している女子セーラーを見て、とてもかわいそうな気持ちになる。レースになれば、トイレ設備のあるクルーザーが多数出ているのだから、各クルーザーが参加女子選手全員にトイレを開放できないかと思う。ジュニアの大きな大会では、女子のトイレ対策の流れがちゃんと用意され、選手に伝えられている。だから小さな大会で、特に決められていなくても、「トイレ借りれますか?」って寄ってくるし、運営側も体調管理を最優先にしている。ヨット界は女子への配慮というか、男性としてのさりげないやさしさが今一歩かなあと思う。女子トイレ船を示すフラッグでも立てて、艇長会議ででも伝えておけばいいと思う。そうすれば遠慮なく借りに来れる。女性が車に乗っているとき、さりげなく聞いたり、運転手は大丈夫でも、適当にトイレ設備のあるところで停まって、自ら休憩しトイレに行くことで、女性が安心できる。そういうのと一緒だと思うんだけどなあ。男は、やさしくなくてはと思う。女の子が失敗したりして恥ずかしい感じのとき、馬鹿やって恥ずかしさを横取りし、がははって笑ってるやつがかっこいいと思う。
2006/08/08
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ジュニアのアジア選手権も終わりました。のN君もお母さんもいろんな体験をしてきただろう。特にお母さんは、息子から、参加したくても参加できない切符をプレゼントされ・・・こういうのって、すごくいいなあと思います。裸のまま何も持たずに生まれてきた子に、おっぱいを飲ませて服を着せて、大きく育っていく。子供のがんばりが実は親へのプレゼント、親の喜びになる。やがて親子の庇護する立場は逆転していく。最近しつけと表する親から子への虐待が報道されている。子供が結果を出すために、親が暴力をふるう。子供の人生の主役は子供本人。結果だって子供本人が受け止めて、次の行動のステップにすればいいこと。その子供の結果に親が云々するのは、子供のためではなく、親のプライドや体裁を整えようとする親のエゴ。子供への暴力や言葉の暴力は、自分より弱い反撃して来ない子への弱い者いじめでしかない。「誰のおかげであなたは生活できているの!」これを言ってしまえばおしまいだと思う。後年、親が動けなく、物覚えが悪くなった時、子供から同じ仕打ちをされたらどう思うだろう。相手が弱いからこそ、出来ないからこそ、天使の言葉を囁き、自信をつけさせてあげるべきだと思う。結果が出ない時は、「大丈夫」と言い、結果が良かった時は誰よりも喜ぶ。親はそれだけでいいような気がする。子供はいろんな喜びを運んできてくれる。日曜日は、西宮で470・スナイプ選手権でした。先輩方から観戦のお誘いを受けましたが、手伝いをしているヨット部の近畿北陸470・スナイプ選手権に行きました。今月末に、団体学生全日本予選がある。連続4位であと一歩。結果は神の領域だけど、私のできる範囲で協力するのみです。原付で琵琶湖まで行ってきました。前からやってみたいと思っていた事です。以前、車で高速を使わずに下見もしました。朝5時に起きていざ出発です。ひたすら京都を目指し、東寺、女坂を過ぎて、三条堀川から旧東海道に入り、大津を目指す。大津港のところで東海道に別れ、湖西を北上して柳ヶ崎YH。目標の2時間弱で到着です。こんなに長い距離バイクに乗ったことがないので、途中で壊れないかと、前夜はタイヤに空気を入れ、オイルを足しました。この夏のささやかな冒険です。早速公式掲示板を見に行きます。成績表を見ると次男が1回生と組んで出場していました。学部を終えても、熱心に勉強しているので、久しぶりの息抜きなんでしょう。BFD(フライングスタートで失格)を4レース目で食らっていますが、10番以内のシングルもしっかり引いており、総合では中盤です。クラブのみんなの成績をチェックし、朝のお勤め後艇庫に向かいます。大きい方のレスキューが修理中でインフレータブルボートのみだそうです。6人乗っているそうで、艇庫から望遠鏡で観戦することにします。2時間少しの風待ち後、みんなが出艇して行きます。まだ十分な風とは言えないので、果たしてレースが出来るのだろうか?2時以降のレースはないと実施要綱に謳ってあります。
2006/08/07
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マイルとノットに続いて、もう一つ。ヨットでは、右をスターボードサイド、左をポートサイドと言います。最初、何で、ライト・レフトではないんだろうと思いました。遊園地の手漕ぎボートには、舵がついていません。でも左右、行きたい方向に船を向かせないといけません。じゃあどうするか?左右のオールの回転スピードを変えて向きを変えることもできますが、どちらかを深く水に挿すとそちら側に曲がります。ボートを漕いだことがある方なら、すぐわかると思います。昔々の大きな船も同じ方法を取っていました。船の後の方にあるオールを水に突っ込んで、方向を変えていました。やがて、そのオールは、方向転換だけの役目を持つ効率のいいものに発達していきました。これを、ステアリング・ボードと呼ぶようになりました。車のハンドル、ステアリング・ホイールと同じ、ステアリングです。でもこれが船の横についていると、荷物の積み下ろしをする時邪魔になります。そこで左舷側がなくなり、右舷船尾のだけになり、左舷側で荷物の積み下ろしをするようになりました。右舷、つまりステアリングボードのある側をスターボード・サイド。左舷は、荷物を積みおろしする側、つまり港側、ポート・サイドと呼ぶようになりました。左舷側を港に着けるのは今でも続いています。ヨットハーバーを見回しても、左舷着けバース(船を停めておくところ)を選択している船が多いです。うちの船もそうです。いろんな場面で左舷から船に乗り降りしてきた方が多いので、なんとなくこっちの方がしっくり来ます。飛行機も、乗り降りのドアは左舷側です。空港の施設も、そのように作られています。未だにライト・レフトではなく、スターボード・ポートが使われているのは、ある利点があるからです。船の進行方向に向かっていれば、ライトは右舷ですが、後を向いていれば左舷になります。緊急を要する時、このような相対的なものでは使い勝手が悪いので、絶対的なスターボード・ポートを使います。スターボードは、船の前方に向かって右舷です。船長さんが操舵士に向かって、「右20度、転舵」とは言わず、「スターボード20度」とか指示します。日本でも昔から、「面舵(右)、取舵(左)」を使って来ました。ヨットレースでは、「ポートタックのヨットは、スターボードタックのヨットを避けなければならない」というルールがあります。スターボード(右舷)を風上にして走っているヨットを、スターボードタックで走っているヨットと言い、反対がポートタックのヨット。両艇がぶつかりそうになったら、スターボードタックのヨットはそのまま進み、ポートタックのヨットが避けなければなりません。これは、帆のない船でも一緒で、海上衝突防止法で定められています。ただ風という意識がないので、相手艇を自艇から見て右に見える船が避けなければなりません。では、相手艇が見えない夜はどうなるの?と言うことですが、夜航行するためには、安全灯を点けなければなりません。この安全灯が変わっていて、1つのライトが船の中央を境に左右に分かれています。右側は緑の透明カバーになっていて、左側が赤のカバーです。真正面に相手艇がいると、相手艇の緑と赤のライトが見え、2艇に角度があると、緑か赤のどちらかが見えます。赤が見えたら、自分は避けるべき船です。反対に相手艇からは緑が見えるので、そのまま進めばいいです。陸上の交差点信号機と同じです。実に単純なんだけど、うまく出来ています。この右舷緑・左舷赤は、深く入り込んで、ヨットで左右対称にシート(ロープ)を使う場合、右舷側シートを緑に、反対は赤にセットします。20畳以上あるような左右対象な巨大セールをセットする時も、右側は緑の縁取り、左側は赤の縁取りになっているので、それに従ってセットすれば、全部を広げなくても、容易に準備ができます。ヨットに乗っている方でも、緑と赤を逆にセットする方がいたら、大体それで技量が分かっちゃったりします。
2006/08/05
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海では、マイル(海里)とノットを距離や速度の単位としてよく使います。1マイルは、1.852kmです。へんてこなのを1マイルと決めていますが、これには理由があります。地球は、とても大きいですが、地図には、縦に経度線、横に緯度線が引かれており、地球上の1地点は全て緯度・経度で表されます。例えば、東経135度20分25秒・北緯35度15分55秒と表示されます。GPSもこれを使って現在地を特定します。2つの地点があれば、引き算すれば、大体の距離がわかります。でも、引き算で出てくる答えは、A度B分C秒という時刻のような単位で、距離という感じがしません。そこでマイルが登場します。地球1周は、約40000kmです。地球は大体球体なので、緯度1度も経度1度の距離も、40000km÷360度=約111km。次に1分は、1度の60分の1なので、111km÷60分=約1.852kmです。つまり、地球上の1分の距離を1マイルと決めました。反対に言えば、1マイルの距離を覚えていれば、×60分×360度すれば地球1周の距離が出てきます。地球1周は4万キロ?40万キロ?400万キロ?間違える人がいっぱいいます。上記の2点間の距離が、2度15分なら、2度×60分+15分=135分=135マイルです。次にノットは、スピードの単位です。1時間に1マイル進むスピードを1ノットと言います。いつも乗っているクルーザーは、セーリングクルーザーなので、モーターボートのような大きなエンジンが付いていません。エンジン最高速で8ノット。巡航速度で6~7ノットです。日曜日に行った淡路島の翼港は、船のある西宮から19マイルの距離にあるので、艇速6ノットと計算して、3時間ちょっとで行けるなあ。なんて頭の中で暗算できます。仕事で使わない限り、大体の船を運転できる1級船舶免許の試験には、必ず海図が出ます。「現在地は、東経・・・北緯・・・です。東経・・・北緯・・・に行くには、時速Aノットの船ではどれくらい時間がかかりますか?」なんて問題が出ます。それに、潮の流れがBノットありますとか、いろいろややこしいものが追加されます。重さの単位や、距離の単位など、国によってバラバラで、ややこしいです。でも海は、何処の国でも、マイル・ノットなので、汎用性があります。慣れてしまうと、とても使いやすく、これからも廃れることはないでしょう。船で使われていたので、飛行機でも使われ、多分宇宙船でも使われていると思います。ちなみに、ノットというのは、knotで、結び目のノットと同じです。昔、船のスピードを測るとき、一定間隔に結び目を作った長いロープを、船のスピードに合わせて船尾から流していき、一定時間でいくつ結び目が出て行ったかでスピードを測ったということです。そこから来ているのですね。1時間に1マイル(1.852km)進むスピードが1ノットだから、秒速に直すと、1.852km÷60分÷60秒=0.5m/sになります。10ノットの風が吹いてると言えば、秒速5m/sなのね。1マイルは、1.852km、大雑把に2kmだから、ノットもマイルもm/sやkmに換算しやすいです。ジュニアクラブで、風が吹きすぎて練習できないときなんかに、ノットとマイルの話をすると、いい座学になります。分度器と円を習った子なら、簡単にわかり、自分達の乗っているヨットとでっかい地球と繋がっていると知って、気持ちがでかくなります。そして、おっちゃん、すごいこと知ってるって、ちょっとの間、尊敬のまなざしを受けることができます。
2006/08/04
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最後、M先輩にステアリングを交代しました。ハーバーに入り、バース(船を停めている場所)並びに入る最後のカーブを曲がった時、それは起こりました。臆病な私は、特に離着岸はゆっくりしますので、何となく、スピードが速いなあと思っていました。フェンダー(船が桟橋に直接当たらないように船から下ろすクッション)を用意し、バウで立っていると、「ハンドルがロックした」という声。桟橋やバースに停まっている船が前方に迫ります。「やばい」と思って、コクピットに走りエンジンレバーに飛びつきました。一気にエンジンをリバース・フルスロットルに入れます。それでも停泊中の船に迫ります。あと少しのところでどうやら停まりました。ステアリングが利かないので、マストトップの風見で風向を確認し、桟橋やバース・船の位置を落ち着いて確認する。K先輩から「そこの空いてるバースに入れよう」という提案に従い、前進とバックを使って、そこに流される位置に動かします。この状態ならバウが風下に向くはずです。船は止まると重いエンジンがある後部が風上になるようにバウが風下に回頭します。予想通りバウが下に向き、バースにバウが向いたところでちょっと前進を入れ、最後はバックを入れ、ゆっくりバースに収まりました。ステアリング・ロックは速度と関係ありませんが、スピードは、余裕を無くさせ、事故を加速度的に増大させます。このまま離着岸のスピードには、臆病でいようと思いました。ステアリング・スタンドにある、いつもは馬鹿になっているステアリング固定ネジが、うんともすんとも動かず、これでステアリングをロックしています。ステアリングを動かすと、このネジが連動します。プライヤーで思いっきり回せばロックが外れる気がしましたが、M先輩がヨットの販売修理をしているI後輩君に連絡を取るということですので、その提案をしませんでした。ハーバーマスターのM君(学生時代毎週顔を合わせていた横に艇庫がある大学ヨット部出身)にもすぐに連絡し、明日I君が見てくれるまでの置き場所の指示を受けます。Mさんのこういう手際の良さは、いつもながら鮮やかです。うだうだ話さず、すぐ行動に移るのがいいです。「こういうところに奥さんは惚れたのでは?」なんて思っちゃいます。楽しい1日に最後ちょいとオチが付いた格好になりましたが、ちょこちょこトラブルがあるのが船だと思っているので、特に何とも思いませんでした。トラブルを楽しまなくっちゃ。今までいろんなことを経験しました。沖でエンジンがかからなくなったり、ステアリングが利かなくなったこともあります。ガス欠をやったこともあったなあ。砂利船の下に入ろうとするヨットから人を引っ張り上げ、砂利船から離れたヨットを風上から近づいて人とロープを落とし、帆走できる状態になるのを見守り、きちんとしたスキッパーを乗せて帰した事。レースで荒天と日没に追われながら、子供達を全艇無事帰着させた事。あの時は最後私がOPをセーリングして帰りました。本部船から、どんどん上がる風の中、多数のレスキューに指示を出し、報告させ、子供達を救助したこともある。子供達を海で遊ばせるために、相当いろんな経験をし、海を学んだ。大抵のことには動じなくなっている。いつも冷静に的確な判断をすぐに下せるのが大事です。今日のとっさの行動は、我ながら冴えていたかな。さっと一番いい判断『停める』が冷静に出来ました。理屈ではなく、体が瞬間に反応しました。Mさんは、私と反対に、船が衝突するともう諦めて、ステアリングを離し、バウに走って迫ってくる艇を手で止めようとしました。2トンの船が人力で止まるはずないのですが、とっさにそう判断したのでしょう。私は大学卒業後もずっと海に関わっていたのと、子供という絶対的に守らなければならない存在を抱え、何が何でも安全第一を心がけてきたので、サバイバルの経験が豊富だったのが、船を救った気がします。ぶつかっていたら、保険屋さんにお世話にならないといけないところでした。「助かったわ、おおきに」と言われましたが、何かを学ばれたでしょう。こういうのを経験して、段々強くなっていくのでしょうね。川じゃありません。海の潮の流れです。昼食代が浮いてしまいました。
2006/08/03
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港に入ると先輩の船が見えます。「あれえ、あの船も来てるんだ~」停めるところがなさそうで、先輩の船に横抱きかなあと思っていると、K先輩から、「係の人が誘導してる」ということです。数日前に、入港を申し込んだ時には、「係員の誘導がありますから」と聞いていたのですが、半信半疑でした。行楽地の駐車場ではあるまいし、港の入港ぐらいではそのようなことがあるはずもないだろうと思っていました。でもちゃんと誘導がありました。日除けの長袖からTシャツに着替え桟橋に上がると、皆さんは先に着いていた先輩のグループに混じっています。この方達は、新西宮YHジュニアの元親達のグループでした。最近はあまり出ていませんが、この先輩がリーダーでやっておられたときは盛んでした。そのときのグループだそうです。久しぶりの同窓会ということでしょうか?子供達も来ていますが、親達の方が楽しそうです。兵庫ジュニアの元親の私には、その気持ち、よくわかります。子供のサポートではあったが、まあ子供を出汁に親は楽しませていただきました。この先輩の明るく社交的な人柄が接着剤になっているのでしょう。兵庫ジュニアに移ってきたOさんご夫婦や、同じくOYさんのお母さんもおられました。皆さんがそれぞれのご家庭の自慢の手料理を持ち寄り、桟橋上で宴会をしていました。子供達はそこでサヨリを次々釣り上げ、その場で焼いて食べてしまいます。電車のプラットホームの倍はあるような広い桟橋で、天井には商店街のアーケードのような屋根がついています。日差しは強くなってきていますが、吹きぬける風が心地よく、最高のロケーションです。他にモーターボートが数艇、進水式後を思わせるバウ(船の前の部分)に紅白の飾りが巻いてある船もいます。モーターボートなら片道1時間ほどで、「ちょっとそこまで」という感じでしょう。数日前、新西YHに大体の時間を問い合わせたとき、応対に出た女の子が「19マイルです。80分ぐらいです」との答えが返ってきたのを思い出しました。34フィートのセーリングクルーザーと言ったはずなのに・・・「14ノットなんてヨットで出るわけないじゃん」と突っ込もうと思いましたが、19マイルって教えてもらっただけで十分なので、ただ「ありがとう」ってお礼を言いました。彼女は、いつか誰かに突っ込まれるかも?往復燃料費1000円、翼港の停泊料は6時間100円、プラス掃除協力金500円です。今回は、昼食がこのグループのおかげでただになってしまい、かなりラッキーでした。ヨットでは片道3時間ですが、かなり気に入りました。お気に入りに登録です。このグループの艇を見送ってから、追いかけるように桟橋を後にしました。2時出発がもうタイムリミットです。西宮着が5時を回ります。復路はステアリング担当をしました。船を出す段になって、M先輩もK先輩ももやいを外す方に行かれます。ということで、エンジンをかけ、ゆっくりと出艇です。桟橋の小さなでっぱりに気をつけながら、後進を入れたり切ったり、ゆっくりゆっくり桟橋をバックで離れます。風や波の影響があり船は1ヶ所に留まれないので、離着岸だけはゆっくり動かすに限ります。2トンの船は行き足があれば、人力ではどうしようもありません。バックの使い方が重要です。桟橋を離れると、M先輩はライフジャケットを枕にバウでシエスタです。そうですよね、お腹の膨らんだ午後のこの時間帯はステアリング担当は、できれば避けたいところです。シエスタにかぎります。もう少し風があれば、スピンを張って一気に帰れるのですが、この天気のこの風で、セーリングのランニングをすれば、暑いだけです。フルスロットルまで上げると、7.8ノット出ました。セールを上げると少しでも効率が良くなるというK先輩の提案でセールをあげ、ジェノアセールも出しましたが、昼寝の妨げになるだけのようでジェノアは途中でしまいました。メインとエンジンで、神戸空港連絡橋の下をくぐって西宮に帰りました。橋の高さは20m。この船は全長10mほどなので、黄金率から言って、大体13~14mのマストの高さ。十分くぐれると分かっているのですが、いざくぐる時はちょっとビビッてしまいます。下から見上げると、今にも橋脚にマストトップがぶつかりそうです。西宮港に入り、M先輩が起きてきて、「早かったなあ」。そりゃ中抜けで夢の世界を満喫していれば、すぐ着いた感じですよね。まあステアリングを1人で担当したおかげで、後を振り返り、数日前調べた潮の流れを頭で計算しながら船を動かせました。午前中に明石の潮の強さを、目標と後を振り返りながら験できたことも収穫でした。後を振り返ることで、PCで調べた潮の強さを実体験として得られました。学生時代、「今、回ってきたマークを振り返って潮を計算しろ」と耳にタコができるほど言われたことを思い出します。コーチになってからも何度も口にした言葉です。
2006/08/02
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日曜日は、淡路島の翼港に行ってきました。花博をした跡地で、ワールドカップの時ベッカムが泊まったウェスティングホテルもあります。陸上からホテルに行ったことがありますが、海から行くのは初めてです。氷と麦茶で5リットルのウォータークーラーを満たし船に着きました。予備軽油をタンクに満たし、予備タンクに20リットル軽油を補充しました。8:50西宮を出発です。初めて行く所なので、事前に位置や潮流を調べました。行きの時間帯の明石海峡は、西への流れです。船で何処かに行く場合、この流れはとても大切です。特にヨットのような遅い乗り物では、流れに逆らっても抗しきれない場合があります。 M先輩が、翼港の緯度経度を、これまた実用では初めて使うGPSに打ち込んでいます。K先輩がヘルムスしている間、私が邪魔しながらも、説明書を見ながら何となく入力が出来ました。これが後でいい経験をする元になります。南西から風が入っていますが、2~3m/sで弱く、機帆走(エンジンを動かしながら、帆走する)になりました。8ノット弱のスピードで快調に目的地に近づきます。8ノットといっても、時速15kmぐらいなので自転車のスピードです。時々船内のGPSを覗きにいきますが、目標までの残存マイル数と時間が表示され、それが確実に減っていくのが、中々いいです。S先輩から電話が入りました。S先輩御夫婦は壱岐にいるはずです。夏の期間限定で、大阪空港から直行便が出ているそうで、この際行って、「竹島問題でも考えてみようと思う」なんて言ってました。そんな難しい問題を考えているはずもなく、単なる観光です。雑音が多くてうまく聞き取れず、生返事しかできませんでしたが、M先輩さんなんかはちゃんと会話になっていたようです。携帯電話に慣れていないから聞き取りにくかったのか?耳を当てる場所がおかしかったのか?なんか不思議です。神戸空港の南側を通過すると、もうちょっとで全行程の半分になります。神戸空港の遠さを感じると同時に、淡路島の近さも感じます。S先輩から、「神戸空港を越えたら、淡路島の北端を目指し、ウェスティングホテルが視認できたら、それに向かうだけ」と聞いていたので、ホテルを探します。高速の橋げたの少し南に四角く高いホテルのような建物が見えますが、GPSの示す方位とずれています。「もっと北か?なんか変だなあ」と思いながらも、「淡路島の北から海岸沿いを南下したらいいだろう」ということになり、明石海峡大橋の方に寄りました。潮目のようで、風も弱いのに海面が小さなチョッピーな波にざわめいています。遊漁船が多数出ています。「こういうところに魚が集まるんだなあ」なんて思いながらのんびりしていると、何となく潮に流されているような・・・海岸沿いを南下しますが、中々対地速度が出ません。一生懸命水を切っていますが、いつまで立っても陸地の国旗が同じ角度に見えます。K先輩に「フルスピードで行きませんか」と提案すると、「既にそうしてるんだけどなあ」との返事。「あちゃちゃ」、しばらく粘るしかありません。少しづつ南に下がると、段々対地速度が上がります。海岸に沿っての移動は、水深が気になります。潮が強い場所なので20mはあるのですが、なんか陸地に近くて水深計への注意は怠れません。ちょっとでもバウ(前)が陸に向いて潮に振られたら、あっという間に陸に寄せられてしまいそうです。陸上からウェスティングホテルに向かうバスで見える翼港が見えてきました。やっとこさです。M先輩が、「GPSとこんだけずれてたらあかんなあ。何かを修正するように書いてあったけど、それをせなあかんのかなあ」と言ってました。船の免許を取る時覚えた真方位とか磁気方位とかいうやつのことでしょうか?ひょっとして、その作業が私に回ってくるのでしょうか?カーナビさえ、何か自分が退化しそうでつけないのに、船で使うことになるとは・・・まあ船では必需品ではありますが・・・まあ無言にしときました。これがうわさのGPS
2006/08/01
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