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日曜日、義理母の見舞いから自宅に戻っても、まだ2時半です。クルージング艇が出場しているお遊びレースのクロージングには間に合うかもと思いましたが、船には誰もいませんでした。先週やりかけていた地図の整理をして、フローティングヨットショーがらみのイベントやお店を覗いて、ジュニアに回ることにしました。皆さん、来週からの全日本や、アセアン選手権出場の準備をしています。新しくジュニアに入った新人君親子もいます。ちょうど次男の出身高校のクラブの顧問先生が通りかかったので、インターハイや国体での今年の活躍の話が出来ました。帰宅後、こんどは映画です。市川拓司さん原作の映画で、どうしても観たい『ただ、君を愛してる』が、土曜日から始まっています。この映画、すごく良かったです。原作の雰囲気が崩されておらず、素敵に仕上がっています。ラバーズの2人で観ると、更に気持ちが深まるでしょう。市川さんのは、メロドラマやドロドロした愛憎劇になりがちなシチュエーションでも、さりげなく微笑みできれいに処理されるので、心に温かさを運んでくれます。登場人物みんながいい人っていうのが結構好きです。「魔女の宅急便」「紅の豚」「Drスランプあられちゃん」・・・明日も笑顔でがんばろうという気持ちになります。映画のエピローグで、キャストやスタッフのエンドロールが始まっても、誰も席を立ちませんでした。私も映画の余韻を、主題歌を聞きながらゆっくり楽しみました。やがてそれが終わり明るくなりだしました。2ヵ月後、あなただけのサンタクロースになるだろう人の袖をつかんで歩いている・・・心がいっぱいでうつむき加減に歩くあなただけのヒロインをいたわるように歩くあるくサンタ君・・・映画の前に書店に寄り、甥姪、それにその子などの小さな子達へのクリスマスプレゼントを物色しました。『サンタクロースはいるのでしょうか?』にしました。あの有名なサン新聞の社説の絵本です。これは、世界中の子供たちがいつか疑問を持つことへの解答なので、取り扱い注意が必要かもしれません。ちょうど、疑問を持つようになったときが、読む旬だからね。そのことをお母さんに書いて一緒に渡さないといけないな。今年のクリスマスプレゼントでも、実際に子供の渡るのは数年先になるかもしれません。この日は盛りだくさんでした。これだけ、あっちこっちの日も少ないです。月曜の朝、寝ぼけた顔で台所の家内に「おはよう」と声をかけると、「昨日はありがとう」って返ってきました。「今日もがんばらなきゃ」が2割増になりました。ほんと、女性の一言ってパワーがあります。そして、男ってほんと単純です。
2006/10/31
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日曜日は、義理母が体調を崩し入院したので、実家近くの病院にお見舞いです。家内と次男、それに私の3人で行ってきました。早くに用意を終え、車にガソリンを入れ、自宅横に停めてスタンバイして、TVを見ながら2人の用意を待っていました。最近話題になっている高校生の履修単位不備のことを取り上げていました。そこにちょうど次男が風呂から出てきたので、訊いてみました。ごく普通にみんな習ったそうです。必修の世界史と、日本史と地理はどちらか選択だったそうです。範囲は広いが、しっかり勉強すれば100点が取れる世界史か、常識で多少点数が取れる地理か日本史か、何で大学受験するかです。でもこれは、センターテストだけのことで、個別大学で課せられる2次テストでは、センターテストでは選択しなかった他の科目を受験しなけなければならなかったりすることになるそうです。ニュースによると、選択ではない必須の世界史を履修しなかったと言っていたのに、なんかおかしな感じがしました。長男から訊いた事はないが、次男は地理を受けたそうです。理系なので、2次テストで地歴のテストはなく、世界史の勉強は受験科目にはなりませんでした。学生時代、大手予備校のチューターをしていた長男の話が思い浮かびます。「2次テストは、記述問題なんかで総合力が問われるから、結局みんな勉強しとかなあかんねんで」世界史を勉強したから受験に不利になったとも思えないし、長い目で見れば、子供の興味や将来の可能性を狭めることになるんじゃないかなあと思う。次男が運転で、家内が助手席、私が後で出発です。中国縦貫に乗り、途中で山陽道に入るのですが、後部座席で室内にあった地図などを見ている間に、その分岐を過ぎてしまったようで・・・あれれ?・・・一応山陽道に入るように言っていたが、分からなかったようです。「おお、すまん。みてなかったわ」「まあ、道路は間違える方が、よう覚えられるし」なんて、次男に謝り、自己フォローです。仕方ないので福崎まで行き、播但道で姫路方面に、そして姫路から山陽道を逆から乗るというルートになりました。家内は、先週長男と来た時も、同じく山陽道ジャンクションでミスしたようで、同じルートだったそうです。長男から「山陽道やったっけ?」と訊かれたそうですが、「違うんじゃないの?」なんて答えてしまって間違い、長男がリカバリーしたそうです。小1から地図の読めない母親に代わって、助手席で私のサポートをしたのは何故か分かったことでしょう。「これからは、母親に地図の事を訊いてもあかんなあ」と悟ったことだと思います。まずお墓に寄りました。前回のお墓参りの時、ちょうど日本にいなかった次男は、久しぶりのようです。いつものように、うちの墓の後、戦没者の墓に線香をあげました。この若くして亡くなってしまった方の墓碑が、このお墓の中で一番立派です。親御さんが、子の無念や家族の無念を思う気持ちが現れているように思います。「戦争はあかんわ」続いて病院に。義理母は、思ったより元気で、あれこれ良くしゃべります。次男君が、浮腫んだ足をさすって、それが引いて嬉しそうです。ベッドで洗髪し、顔や髪の毛のお手入れを手伝います。ちょっと熱があるようで、ベッドから離れないように用心しているようです。髪の毛をとかしている次男が楽しそうですが、婆ちゃんから分け目の位置にダメ出しされて、自分で分け始めたばあちゃんに「ここで、こう分けるといいのよ・・・」みたいなことを言われていました。病院を退院すると、お姉さんの家に同居するようで、その片づけを手伝おうと電話をしましたが、家がてんやわんやなようで、今日手伝えることはないようです。婆ちゃんに昼食が運ばれてきて、次男と2人で外に食事に出ました。戻って家内と交代する予定でしたが、婆ちゃんが寝てしまったので、次男と帰宅することになりました。いつも元気いっぱいの義理母がベッドの上というのは、なんかなあ。初めて家内の実家を訪ねた時、家内もいずれこんな母親になるのだなあと思い、家内の株が2割ほど上がりました。女の子と付き合うと、すぐに彼女の家に行く方なのですが、どちらかと言うと、母親が私を吟味しているのを感じました。まあ、当たり前だろうとは思ったけど、家内の母親からは、娘を信じているのが伝わってきます。娘が連れてきたのだから大丈夫という風です。この懐の大きさが、家内の雰囲気を作ったと思い、きっとこういう家族を家内は作ってくれると思いました。知り合って2ヶ月で結婚することを決め、6ヶ月でプロポーズした何割かは、このお母さんに起因しています。義理父が亡くなって気力が衰えた時、「母さんを、こっちに呼んでもいいよね」って家内が言ってきた時も、即答でOKでした。義理母が住む家を近所に用意しなきゃなと、考えました。私の両親もいるけど、あのお母さんが近所にいると楽しくなるなと、思いました。いつ退院できるのかなあ・・・
2006/10/30
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奥田英朗さんの「サウスバウンド」を読みました。星2つです。精神科医伊良部先生の軽妙で痛快な読み応えのイメージがある奥田さんの作品。「私の父は元過激派だ」とこの本を紹介されていたので、思想論とか重いのかなあと思って、評判がいいけど、読もうという気には中々なりませんでした。最近文庫本ばかり読んでいたので、もう少し新しい本でも読もうかと手にしました。両親が元過激派という小学生の少年からの視線で家族や友達が語られています。波乱万丈ですが、ユーモアがちりばめられており、楽しく読めます。印象に残った部分を紹介します。「二郎、前にも言ったが、お父さんを見習うな。お父さんはちょっと極端だからな。けれど卑怯な大人にだけはなるな。立場で生きるような大人にはなるな。これは違うと思ったらとことん戦え。負けてもいいから戦え。人と違ってもいい。孤独を恐れるな。理解者は必ずいる」「佐々木かおり様。拝啓、元気ですか・・・この島に来て僕はいろんなことを経験しました・・・でも一番大きな経験は、島の人たちと仲良くなれたことです。島の人たちはみんないい人で、困っているとすぐに助けてくれます。困っていなくても世話をやこうとします。ただで食べ物を分けてくれるなんて、東京では考えられないことですが、こっちでは普通です。自分だけ得しようとする人がいないので、みんな親切なんだと思います。・・・人間は欲張りじゃなければ、法律も武器もいらないと思います。これはただの理想かもしれませんが、島の人たちを見ていると、そんな気がします。もし地球上にこの島しかなかったら、戦争は一度も起きていないと思います。」「父はまた畑を耕しているのだろうか。海で魚を獲っているのだろうか。大きな身体を持つ人間には、そういう生活が似合っている。人類は、お金を持つ時代より、持たなかった時代の方がはるかに長かった。・・・好きにしていいさ・・・。二郎は海に向かってつぶやいた。一緒に暮らすだけが家族じゃない」印象に残った数箇所を書き出しましたが、都会での生活で忘れがちになっている集団生活をする人の素晴らしい一面を思い起こされます。前半が東京での生活で、後半が西表島での生活。沖縄の島に住みたくなりました。
2006/10/28
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眼鏡をかけている人を見ると、何故か賢く見えてしまいます。小学生の時は、クラスにいるメガネ君を、いいなあなんて見ていました。中学生の頃から、コンタクトレンズというのが出てきて、メガネ君やメガネさんは衰退の一途です。でも私のメガネへの憧れは衰えず、視力は実にいい方なのに、とうとうメガネを買ってしまいました。街中などを1人で歩く時に、コソッとかけていました。何か、自分が賢くなったみたいで、自己満足していました。まあ、あほみたいです。段々フレームなどがくたびれてきて、バイクに乗るときの砂避けの身分になりましたが、ずっとメガネは持っていました。家内と知り合い、彼女がコンタクトを使っていることを知りました。小学生の時は、赤いフレームのメガネさんだったそうです。それで、結婚したわけではありませんが、2割増しで賢いという印象が増しました。長男が高校生でメガネ君になりまってしまいました。目は、家内のが遺伝したようです。やがて彼は、大学でコンタクト君になり、今年に入って、いらなくなった彼のメガネを家内が家でたまに使うようになりました。家内のメガネ姿を見るのは初めてです。やっぱり賢そうです。そして、今度は次男君がメガネ君になってしまいました。長男君もそうでしたが、次男君のメガネ姿が、これまた賢そうなんです。そこで、どうしてもメガネが欲しくなり、私も久しぶりに新しいのを買ってしまいました。でも、最近のはレンズの縦が短く、視野にフレームが入り、なんか気になります。どっか電車で出かける時しかかけないので、我慢していましたが、また今日買ってしまいました。海で使うサングラスも買い換えようと思っていたので、両方です。いつもは、お店で気に入ったのがあると買っていたのですが、今回はネット通販です。いろいろありますが、手に取れないので中々決まりません。大きさも今一実感がわかないので、あっちへ飛びこっちに飛び、しんどいことでした。メガネがやってくるのが楽しみです。買ったお店のHPに、「伊達メガネについて」と言うのがあり、面白いことが書いてありました。伊達メガネというのは、実店舗の方ではほとんど売れないそうです。でもネット店舗では良く売れ、個数ではネット販売の30%もあるそうです。あれ、40%だったっけ?とにかく多いそうです。そこでネットで伊達メガネを買われたお客さんにアンケートを取ったそうです。「目も悪くないのに眼鏡屋さんに入りにくいから・・・」「高級なのがお店に並んでいるが、所詮伊達メガネなので、高いものはいらない。何か店員さんに言いにくい・・・」等だったようです。それを知り、「実店舗をもっと伊達メガネを買いやすいようにします」と書いてありました。世の中には、私のように目は悪くないがメガネをかけてみたいという人が、想像以上に多いのかもしれない。最近次男君は、コンタクトも使っているようです。目が悪い人は、メガネが嫌でコンタクトになり、その分、目のいい人がメガネを買っているのではないかなあ?ひょとして、電車で出会うメガネさんやメガネ君は、みんな伊達さんで、本当に必要な人はコンタクトなのかもしれません。それを知っている神様は、上空から、「あほやなあ、この人ら」なんて笑っているかもしれません。目が悪い人は、目が悪くないように見せ、そうでない人は目が悪いように見せて自己満足。何かおかしいな。
2006/10/27
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夜のTVで、長年連れ添ったご夫婦に、相方さんに面と向かっては言えない不満を、TVカメラに向かって言って貰う番組をやっていました。ご夫婦、お互いに1人で無人カメラとともに別室に入り、TVカメラに向かって日頃のうっぷんとかをしゃべります。それを見ながら、私なら何を言うかなあと考えました。日頃の不満ねえ・・・早寝早起きがモットウだから、11時とかに帰ると、もう寝てるのがなあ・・・でも、ご飯作ってもらってるしなあ・・・結局、「いつもご飯をありがとう」とか「掃除選択ご苦労様です」とかしかありませんでした。そりゃ、こうして欲しいなと思う部分もあるけど、してもらってる方が圧倒的に大きいから、それを言うたらあかんのんとちゃうかなあ、と思ってしまいます。さて、番組のお父さんお母さんのコメントですが、お母さんの7割は、「もっとこうして欲しい」という不満がちゃんと出ましたが、お父さんからは、誰も不満を言う人はいませんでした。「日頃言えない不満を1つだけ言う」という番組の趣旨なのに、お父さんからはゼロでした。私のような思いの人ばかりで、かなりおかしかった。「不満、あるよ」って、威勢良く言ってたお父さんも、いざカメラを前にして1人になると、もそもそごそごそしながら、結局「いつもありがとう、これからも頼むわ」みたいになってしまいます。みんな、やってもらってることの方が圧倒的に多いと思ってるようです。それとも、ここで不満を口にしたら、その後のリアクションが怖いのか?なんと言っても、衣食住という生きていくベースを押さえられてるから、お父さんは弱いです。私の場合も、お風呂には、替えの下着が用意されており、ご飯は食卓や冷蔵庫にあり、家は掃除されています。
2006/10/26
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数日前、TVをつけるとNHKで、吉田拓郎とかぐやひめの嬬恋コンサートの模様が流れていました。番組の終わりのようで、吉田拓郎の最後の2曲が流れてフィナーレでした。フィナーレの曲名は、『わたしは今日まで生きてきました』。懐かしいです。観客席の模様も映していましたが、おじさんおばさんの吉田拓郎世代の方がほとんどのようでした。全学連、反戦、フォークソング、ヒッピー、安田講堂・・・戦後、学生に最もパワーがあった頃の世代です。私は、次のニューミュージック世代。フォークソングのように、そんなGパンじゃなくって、もっとましな格好をしようよ。そんなに、社会に国に反対じゃなくって、うまく付き合おうよ世代。荒井由実の歌に驚いた世代。でも、吉田拓郎を聞いていると、自然に体が動きます。いい曲です。シンプルで、歌い方など気にしないのが、多くの人の心を捉えたのでしょう。うちで働いていただいている方が、このコンサートに行きました。旦那さんが、予約電話か、インターネット予約で、このチケットを手に入れました。「お休み、いただきたいんですけど」「いいよ、どうぞ」もちろん、お休みOKにしました。このご夫婦にとっては、今年最大のイベントだったのかもしれません。この方は、まだ子供が小さな時に離婚なさって、うちで働くようになりました。ずっと母子家庭で、週2日お休みの日は、他で働いています。つまりずっと、休みなしで働かれていました。10年ぐらい前だったろうか、いい方に巡り会われて、再婚されました。それでも、娘と自分の分は、自分で稼いで、旦那さんに負担をかけない気持ちの強さをお持ちで、何ら変わらず働かれています。やっと2年前から、週1日のお休みを取られています。そして今日、午後からお休みです。娘さんが来春大学を卒業します。今日はクラブの卒業までの最後の演奏会です。「お父さんにも、一度聞いてほしい」という要望に答えて、夫婦で出かけます。お父さんにとっては、最初で最後の娘さんの演奏会・・・自分の血が繋がっていない娘さんを、ここまで・・・お嬢さんは、お父さんに1度でいいから・・・何か、すごくいいです。いろんな夫婦がいて、いろんな家族があります。素晴らしい家族が、ごく身近にあります。一生懸命な人に囲まれている私は、ラッキーです。
2006/10/25
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日曜日のハーバーで、大きなヨットが陸上バースに上がっていました。ピカピカではなく、薄汚れている感じだったので、上架してメンテナンスと化粧直しかなと思いながら近づいてみました。船の後に「ウィットブレッド」のステッカーが貼ってあります。「おお、これは、ウィットブレッド世界1周レースのレース艇か」10年とか前には、荒れ狂う南緯60度線の南氷洋、鯨と氷山の間を爆走していたようです。クルージング艇の方に行って帰って来ると、でかい外人さんが2人と業者さんと思われる日本人のおじさんが、キールやボトムにサンダーを当てています。キールというヨットの底から長く下に出ている錘と船底の塗料を剥いで、新しく塗るのでしょう。それにしてもでかいです。60フィートだから20m、マストの高さは25mを越えるでしょう。こんな大きなレーシングヨットが走っているところを肉眼で見たことはありません。いいタイミングで、この船の出艇に出会えたらと思います。と、横を見ると、これまたでかい真新しいパワーボートがいます。横には、神主さん。着飾った方々が数名います。家族のようです。後にいたハーバーマスターに聞くと、進水式のようです。世間の景気が良くなったようで、最近チラホラと新艇を見ます。こちらは、50フィートぐらいの流線型のボートです。爆音を轟かせて、海の上を疾走していきそうです。海の上では、騒音規制というものがないのか、この手の船は、とんでもなく大きな音を残して行くんですよね。ちょうどこの日は、ハーバーでフローティング・ボートショーが開催されています。売店には興味があったが、船の方がヨットはなさそうでエンジンボートばかりのようだったので、パスして昼からはジュニアの方に伺うことにしました。
2006/10/24
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日曜日は、先週の全日本で気づいた改良点を整備しに浜に行きました。部品を交換しようかと思って行ったのですが、ちょうど前に付いていたものとビス穴の位置が一緒だったので、交換してしまいました。プラスドライバーで5分もあれば変えられるので、次のレースでよくなければ海上でも交換できます。クルージング艇の救命浮環も手に入れました。海上安全基準に合格したものを積んでいるのですが、日本の基準は杓子定規で、デザイン・色・使い勝手が今一です。日進月歩で技術が進むのに、基準に幅がなく、同等以上の強度や浮力があっても、船舶検査では通らない。よって船舶検査用の物のほかに、もっと使い勝手のいいものを用意して、日頃はそちらを使う船が多い。救命浮環というのは、船から人が落ちた時に使う、ロープのついた浮き輪のことです。すぐにその浮き輪を落し、落水者の周りを船が回ることで、浮き輪やそれに繋がっている浮くロープが落水者の手元に来る。落水者がそれを持ったら、船を止めて引き上げるようになっている。浮き輪は馬蹄型のオレンジ色で目立つのですが、船でスタンバイしている時のロープが操船の邪魔になる。そのためにロープを結んだりしているのですが、ほどく時に絡まったりする。それに、浮き輪も大きいので、風の弱い時などはついつい面倒で装着しないまま出艇する。でも本来は、いつもスタンバイしていないと、いつ何時人が落ちるともかぎらない。そこで欧米では許可されている、もっとスマートなものを購入しました。中でロープがもつれないようになっているバックに入っていて、20秒もあればスタンバイできるし、邪魔にもならない。試しに装着してみたが、簡単でおしゃれだから、これなら毎回ちゃんとしそうです。今までのものと劣っているところは何もないのに、なぜ許可されないのだろうと不思議に思います。
2006/10/23
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今、奥田英朗の「サウスバウンド」を読んでいます。筋には全く関係ないが、登場人物の何気ない会話が気になりました。「安室奈美恵のお父さんの名前知ってる?」「・・・」「安室波平」笑ってしまいました。奥田英朗と言えば、伊良部先生シリーズの作者です。「安室波平」で、あの愉快な会話が甦りました。で・・・どうもこれが引っかかります。お馬鹿な私は、その真相を確かめようと、PCの電源を入れました。どうも、眉唾物のような感じですが、「安室波平のTシャツが売ってるらしい」いくつもその目撃談が載っていました。「安室波平は、コンサートをしているらしい」歌手か?ほんまか?「ちょっと昔、安室波平が話題になり流行ったらしい」若いヤツラの間では、安室波平は常識なのか?「アフロ波平という変革形も載ってた」「安室奈美恵の子は、安室サム平・・・」・・・奥田英朗は、安室波平ブームをパクッたか?それとも、この本で安室波平ブームを作り出したのか?恐るべき、奥田英朗。このくらいで真相追究はお終いにしよう。きりがない感じがするし、不毛の世界に迷いそうだ。さあ、続きを読もう。
2006/10/21
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昨夜、長男君が帰ってきました。家内が数日前、彼が帰って来ることを私に告げるとき、なにやら嬉しそうだったのですが、どうやら私にも伝染してしまったようです。いつものように家路に着き、最後の角を曲がった所で、長男君の部屋の電気を見上げました。「まだ、帰ってないな・・・」いつものように本を読みながら食事をし、お風呂に入り、いつものようにヨーグルトを持って自室に。チラッと、長男君の部屋を覗くと、布団が敷いてありました。家内が敷いたんだろうなあ・・・「ドンドンドン」玄関の戸を叩く音がします。「ハーイ」家内は既に寝ているので、階下に降り、玄関を開けます。「ただいま。家のカギ忘れてしもたわ」「おかえり」・・・「仕事できたん?」「明日こっちで仕事やねん」「そのまま帰るの?」「そうやなあ、日曜日に帰るわ」「そうか」荷物を置いて、家内の部屋に入って行き、そこのTVを点け、なにやら話しているようです。うちの子達は、家内が寝ていても遠慮なしに家内に声をかけます。「おかあさん・・・」どうも朝が弱いようで、目覚ましをいくつもかけて寝ますが、一番の目覚ましが家内です。「明日・・時に起こして」これはいつも言ってるようです。我が家の少し前までの日常の朝は、彼らの目覚ましがしばらくなり、次に家内が彼らの部屋に入り、「起きる時間よ」と言う。それでも大抵起きません。しばらくすると、2回目の「起きる時間よ」があります。布団を剥ぐとか、もっと大きな声で言うとか、ちょっと怒るとかすれば起きると思うのですが、いつも優しく言うだけだから、中々起きない。大体3~4回、15分ぐらい、その繰り返しで起きてきます。年に1回くらい、家内の最終兵器が炸裂します。彼らの布団に家内が入って、耳元で囁くように「起きる時間よ」。これには、「うわあ」とか言いながら飛び起きます。毎朝の光景ですが、中々面白いです。次男や長男が親元を離れてもちゃんとやってるようなので、朝中々起きないというのも、母親への甘えの部分があるのだろうなと思います。ちょっと脱線してしまいましたが、長男君は、一段としっかりした感じです。仕事をし出して、やはり自覚が違うのでしょう。本当は、「どんな仕事してるの?」とか「東京に慣れた?」とか聞きたいなと思うのですが、何かあれば言ってくるだろうという感じで、挨拶程度の会話しかしませんでした。ちょうど風呂に入っていた次男君が、「お帰り~」の後、なにやら風呂の中から、兄貴に話していたようです。2人とも家を出て、1ランク上の兄弟関係になったような気がします。小さな時は、次男がお兄ちゃんにくっついて行き、何となく遊んでもらっていたけど、あまりに邪魔をすると、お兄ちゃんに押されてひっくり返り泣く。中学生ぐらいになると、日常の必要な事以外は話さなくなり、大学受験頃になると、再び兄貴に何やら聞いている。1人が下宿して毎日顔を合わさなくなると、たまに会うと親しく話すようになった。昨夜は、働くということの雰囲気を兄貴から感じようとしているようだ。「おとうさん」自室に次男君が入ってきて、「自転車の空気入れ、何処やった?」「玄関の靴箱か、廊下のクローゼットにあると思うよ」と、2人で下に下りて捜しました。朝、大阪の南の方で勉強があるらしいです。自転車で行ってみようと思ってるようです。「おお~、青春してるね」風呂などを終えた長男君が部屋を覗いて、「おやすみ」って自室に入って行きました。なんかちょっと前の家族4人での生活が戻った夜でした。
2006/10/20
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今朝、家内の声に起こされて、寝ぼけ顔で朝の用意をしていると、「木曜日に帰って来るんだって・・・仕事でこっちに来るらしいわ」長男君が家に泊まるらしいです。前回は、お盆の頃で、その前は5月の連休に帰ってきました。昨日電話があったのでしょう、家内は何か嬉しそうです。家を出てからまだ半年だし、前回顔を見てから2ヶ月、ほとんど変わっていないに決まっていますが、やはり私も楽しみです。なのに、「ああ、帰ったたのか・・・」みたいな態度しかできないんですよね。男のテレと言うかなんというか・・・次男が下宿し始めた時もそうでしたが、「身体だけは大切に」というのが願いでした。よくTVとかで、親がそういう台詞を履くけど、だれでもそうなるんだなあというのが、同じ立場になってわかりました。元気で笑って生活していてほしいです。長男はみんなを喜ばす天性のものを持っているので、自称宴会隊長です。アルコールは、人との距離を劇的に縮める力がありますが、ほどほどにして欲しいです。というのも、昼間中学からの同級生から届いたメールの内容が身につまされたからです。高校ヨット部の同期が4人いました。現在2人は東京在住で、2人が地元関西です。東京の友人から、「関西の友人が大腸ガンの手術が成功して、自宅療養していて、先週関西に帰った時見舞ったら、暇そうにしてるから・・・」というものでした。私は病気になった彼とはあまりに近いので、入院を知らせなかったのだと思います。病気になった彼は、ヘビースモーカーです。身近で大病をした人は、タバコをたくさん吸っていた人が多いです。父がそうで、子供の時、食卓の中央に灰皿があり、その嫌なにおいと灰皿からこぼれた灰が嫌いで、タバコなんて絶対に吸わないと決めました。父も、私が成人すると病気になり、今まで定期的に入院しあっちこっち手術しています。病気の大元の原因は、タバコを吸うことにあったと思います。戦争でタバコを覚え、私が成人するまで30年吸い、その後20年以上大病と暮らしています。線香の煙だって、吸えばむせるのに、タバコの煙が身体にいい訳がない。私も家内もタバコとは縁がなく、子供達に何か言ったことはありませんが、子ども達も吸いません。アルコールの方は、学生時代は体育界の関係で飲む機会があれば、付き合いましたが、それ以降は年数回付き合いで飲む程度で、自宅にはアルコールがありません。長男も次男も家で飲むことはありませんが、長男はアルコールをうまいと言うので、ちょっと気になっています。アルコールは、菌を殺す力があります。菌を殺せるものを飲んで身体にいいはずがありません。濃いアルコールを指で触ると、指が白くなります。いくら薄めたって、物理的にいいわけないです。ほどほどで、お願いしたいものです。
2006/10/17
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日曜日は、3人乗りヨットの全日本でした。土日の2日間でしたが、私は日曜日だけの参加でした。朝桟橋に着き、前日の結果を聞きましたが、風がなくてレースが出来なかったようです。朝から、北のいい風が入っています。このまま風が続いてくれるとありがたいです。私たち地元はまだいいですが、関東から遠征してきているチームもあるので、ノーレースというのは、あまりにかわいそうです。結局、北からの風がブローで8m/s、アベレージは5~6m/sでしょうか、1日続き4レースができました。我々踊り子さんチームは総合7位で、去年は8位だったっけ?6位だったっけ?まあ同じような成績でした。20代から60代まで現役レーサーとして集うこのクラスのヨットレースは、いい感じです。優勝は母校の先輩で、2位は母校後輩、私が母校コーチ時代の選手でした。3位は現役オリンピック選手です。北京に行くべく練習していますが、その彼を3位にとどめてしまうこのオジンパワーは何なんだろうと思います。体力だけじゃなくて、風を読む分析力と運、いろんな要素があって、ヨットレースはいくつになっても面白いです。この中の最年少参加者は関東からきたN君。彼は次男の1つ下で、小学生時代から家族付き合いをしています。来春卒業で就職先も決まったそうです。それが、彼を見つけたのはレース後、船を片付けている時で、まさか彼が来ているとは思わなかったので、驚きました。これで、船のクラスは違いますが、親子2代で彼と全日本で覇を交えたことになります。中々人生面白いです。
2006/10/16
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「FINE DAYS」 本多孝好 祥伝社文庫 ★★4つの短編が収録されています。本多さんの作品を読むのは初めてですが、底辺に流れているメッセージというか考え方に、何か波長が合う感じがします。市川拓司さんの世界に似ている感じがしますが、本多さんは、チラッチラッと自分の考えや生き方のメッセージを登場人物の口を通して表に出している感じがします。役者が、どんな役をしようとも変わらない本人の味があるように、作家がどんな作品を書こうと、変わらないものが透けて見えます。作家は、いろんな体験や想像を頭の中で組み立てて、言葉で表現する作業ですから、どうしても自分の心が乗ってしまいます。『イエスタデイズ』。三男である主人公は、小さな頃からそりが合わない父の元から出て一人暮らしをしている。そこに父から連絡が入る。「おまえに頼みたいことがある」。病院の父はガンで冒され、長く持ってあと3ヶ月らしい。「母さんと知り合う前に付き合っていた女性を捜して欲しい。俺の女神。どうやら私との間に子供が出来ていたらしい。その女性とその子が経済的に困っているなら役に立ちたい。幸せならそっとしておいて欲しい」。父からの最初で最後になるであろう頼みに答えるべく、かつて父とその女性が暮らしていたと言うアパートを訪ねると、そこには若き日の父とその女性が暮らしていた。そこには、当時絵を画いていた父から、手がかりにと預かったスケッチブックがあった。そして、切り詰めた生活をしていたが幸せな2人が、突然の祖父の死で若き父が実家のレストランを引き継ぐという、2人にとって大切な時期だった。主人公は、その女性にとても惹かれ、実家の戻ろうとする父に反対する。それによるこの2人の結末を知っている・・・でもそれ以上反対しなかった。出来なかった。以下引用です。「俺はもう行かなきゃ」彼は立ち上がった。「顔を見に寄っただけなんだ。これから、ちょっと人と会わなきゃいけなくて」「誰?」と彼女が聞いた。「新しく入ってもらおうと思っているコックさん。引き抜きの条件交渉。腕はいいんだけど、結構、がめつい人でさ」「そう。大変ね」「たく、うんざりするよ。腕のいいコックなしでもやっていける手を何か考えるよ」彼が行ってしまった今、僕も部屋を出ていくべきなのだろうが、僕はそうしなかった。「うまくいかないと思う」「え?」僕は聞き返した。「私も、うまくいかないと思う」僕に目を向け、彼女はゆっくりと繰り返した。「彼にレストランなんて無理。ううん、もちろん、うまくいくんだったら、それが一番いいんだけど、でも、やっぱり無理だと思う」「それなら、どうして彼を止めないんだ?君の言うことなら、彼だって聞くかもしれないのに」「彼を好きだから」彼女はすらりとそう言ってから、自分の言葉に照れたように笑った。「私が好きな彼は、お父様のやり残したことを放り出して、逃げ出してしまえるような人じゃない。だから、止めない」「それか、どんな残酷な結果になっても?」「ええ」彼女はふわりと笑った。「それがどんな結果になったとしても」僕の言った意味は彼女にはもちろん通じていないだろう。けれど、僕はその笑顔に納得した。たぶん、彼は彼女からこの笑顔を奪いたくなくて、この部屋を出ていったのだろう。借金を返すために必死に働き、必死に店を大きくし、ふと見てみれば彼の手は、彼女を抱くには、汚れ過ぎてしまった。「俺の、そう、女神です。」それがどんな結果になっても、それを止めない。こういうのは理屈ではないと思う。経済的な方策やら、係数なり、成功するための理屈はいくらでもあるが、でもそういう無機質なものが、人を成功に導くとは私には思えない。人を動かしているのは、お金でも義務でも理屈でもない。だって人は機械じゃないもの。人は感情で動く、心が身体を動かす。だから好きなものや守りたいものに対しては、数字では計れない力が出て、感情のない心で動いた行動は、数字は絵に画いた餅になる。「彼が好きだから」の一言に凝縮されている愛情に、グッと来てしまいました。たとえ破れても、私も一緒に背負ってあげるというメッセージと、好きな人の感情の行動に反対してもマイナスにしかならないという優しい気持ちを感じる。親子や夫婦、家族というものは、そういうところで結びついているように思う。「これをしたい」と言うのを、過去の自分の経験からうまく行かないと反対するより、好きにさせて、失敗した後「大丈夫」と言うのが家族のような気がする。一番身近な家族に反対者を抱えるより、いずれ分かる時が来る反対せずに信じてくれた家族の大きな心こそ、世の中で最も大きな財産のような気がする。『眠りのための温かい場所』には、『負の感情を向けられれば、誰だって相応の負の感情で対抗しょうとする。怒りには怒りを。悪意には悪意を。それができないとどうなるのだろうか。合理化できる大人ならいい。けれど、合理化できない子供は。抑え込まれた負の感情は、その子供の中で溜まっていってしまうのではないだろうか。天井から漏れた雨を受けるバケツのように。』とあった。本多さんが、どのような子供時代を送ってきたか知る由もないが、私が感じている親子の断絶や自傷行為、少年犯罪の多くの原因とピタリ一致している。慶応卒で中学受験をしたようなので、私と同じような経験をしたのかもしれない。私はそのときの経験で、息子達の中学受験の時、最も気をつけたのが、この『負の感情』。子供達が日々の試験でうまく行かなかった時、親の負の感情ほど子供を傷つけるものはない。最悪、最も大切な親との心の結びつきまで奪ってしまう。そしてそれは生涯続いてしまう。別の作品を読みたくなる作家でした。
2006/10/14
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ここ数日、国体後のおめでとうメールの返事が返ってきて、懐かしい方と言葉の交換をしています。こういうイベントがあると、旧交を温める機会が得られてありがたいです。「ハロー元気?ご無沙汰です。ホームページの成績表で、この子とこの子はジュニア出身だよ」なんて、私の運用しているクラブのホームページのミスを教えてくれた方もいました。各種目トップ10を毎日速報していましたが、ついでにうちのクラブ出身の子と全国のジュニア出身選手を色分けしました。ほとんどの子は、名前を見ただけでジュニアがどうかわかるのですが、忘れてしまっている子もいます。そういうのを修正すると、大人も含めて全種目のトップ10の6割ぐらいはジュニア出身のようです。ジュニアで一生懸命中3の最後までやった子は、全国で1学年10人ぐらいしかいません。なのに、この成績は、いかに楽しんでやっていたかがわかります。成績がついてこなくても、楽しくやってた子はヨットを続けるので、結局上手になります。新しくヨットクラブに入ってきた親御さんから、「うちは親がヨットの経験がないから・・・」なんてのを聞く事があります。そういう時いつも言うことは、親のヨットの経験と子供の才能は別物だということ。子供にヨットの成績を望むなら、親ができることでクラブのみんなに奉仕すること。人の役にたとうと行動してると、皆さんに感謝され、親の喜びになります。そうすると、自分の得意分野でクラブに必要な存在になり、楽しくクラブに参加するようになります。そういうのをしていると、子供に親の喜びが伝染するようです。だんだん子供のヨットの成績が良くなっていきます。多分子供の一番の喜びは、親が喜ぶ顔を見ることなんでしょうね。自分のヨットの成績が今一でも、自分がクラブをやってることで、親は何かで笑顔をしてる。そういうのが、ヨットへのさらなる興味に結びついていくのかもしれません。親のがんばりが子供に伝染し、子供の存在が親に喜びを与える。子供は扶養される存在のように見えるけど、親の人生に大きな喜びを運んできてくれる存在でもある。反対に、クラブを辞めて行く子の1つのパターンが、子供のミスに声を荒げて怒る親。自分がヨットをやってて、親の怒った顔を見るんだったら、やめとこうという風になるような気がする。ミスなんて山ほどするもので、怒ってもまた同じミスをしちゃうものです。いいのよ、段々分かってきてミスしなくなるから。ミスに笑って、出来たことを褒めてりゃうまくなります。そして、親が生き生きとクラブでしていたり、家庭で楽しく生活をしているときっと上手になります。怒ってもマイナス面の方がずっと多いと感じています。国体の成績表で、私が名前を見てピンと来なかったジュニア出身選手は、早熟タイプではなくて晩成タイプの子。それでもまだ高校生、十分早熟だと思うけど、小さな時に怒って嫌にさせてしまっては、そこで終わり。今はないわけです。こういうのは、スポーツに限ったことではないように思います。私の経験では、みんなこれに当てはまるように思うんですが、どうなんだろう。
2006/10/13
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国体が終わり、出場された方の親御さんに、得意のおめでとうメールを送っています。パラパラ返信が全国から届き出しました。その中に感無量という感じのがありました。これは、えらい近場のうちのクラブのお父さんからです。息子さんが、少年男子1人乗りで優勝しました。お父さんは私とは違う大学ですが、大学ヨット部出身です。今回レース運営で、レース海面の担当でしたが、レース委員長だった私の息子と同じ学年の子を持つお父さんが、急遽入院してしまった関係で、突然レース委員長をすることになりました。息子の事など、ほったらかしにして、フェアでスムーズなレース運営のために奮戦したのでしょう。今回は台風の関係で、いい風に恵まれたこともありますが、ヨット競技全10種目各6レース体制になってから史上初の全レース消化をやってのけました。自衛隊・自治体・ボランティア市民という、日頃のヨットレースと違いヨット関係者でない人を含めて動かしていかなければならない苦労を、行間ににじませながら、無事故で終わることが出来た安堵感が漂っていました。そして最後の表彰式で、息子君が一番高いところに上がり、大勢の方から、特に地元兵庫県の大きな祝福の拍手を受けるのを見て、感無量になってしまったそうです。この子がヨットを始めて10年、一番ビッグなタイトルです。ずっとサポートしてきたお父さんは、大きな大きなプレゼントをもらいました。本来は、レース運営海上トップとして、きちんとしていなければならない閉会式でしょうが、きっとボロボロでくしゃくしゃな顔になってしまったのだろうなと、容易に想像できます。「おめでとう」です。
2006/10/11
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兵庫国体のセーリング競技が終わりました。うちのジュニアヨットクラブ勢は、大活躍でした。少年男子2人乗りで3位、1人乗りで優勝、少年女子1人乗りで8位、高校生種目兵庫県代表4つのうち3つがうちのクラブの子達でした。さらに、大阪府少年男子2人乗りと少年女子1人乗り代表もうちのクラブです。その他、OB・OGも数名他府県から出ていました。その内、半数は中学受験組で、兵庫県・大阪府のトップ私立に通っています。笑顔でハーバーからレース海面に向かう子達を見ながら、子供の能力というのは、非常に高いなあとつくづく思いました。「二兎を追うものは一兎をも得ず」・・・これは子供本人が考えることで、周りの大人が言ったら、ウルトラマンにさえなれると思ってる超前向きな子供の強さを削いでしまうような・・・。親たちは、地元国体で、みんなレース運営をしていて、ほとんどサポートできていないのに、子供達はたくましいものです。スパルタで教えているわけでも、毎日練習しているわけでもありませんが、きちんとした練習を雨の日も風の強い日も、真冬でも、ただコツコツやってきただけ。各地のレースにチャレンジし、本人達が実力を上げてきた結果です。小さな成功に拍手し、大きな失敗にも目をつぶって、何の根拠もなくても大丈夫と言って接していると、自分に自信がつくのか、勝手にどんどんチャレンジして、自分で自分の能力を段々開花させていくようです。何か、子供ってすごいです。
2006/10/10
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日曜日は、3人乗りレース艇の整備でした。月曜日まで国体が開催されており、ハーバーは混んでいるでしょう。次男君が、朝国体に寄ってから琵琶湖に練習に行くということなので、ハーバーのメンバーカードを渡しました。これがないと、駐車場の入場制限にかかり、一般のお客さん用の駐車場にしか入れません。陸上保管しているレース艇のオーニングを外し、国体選手達の船が置いてあるバースに戻り、次男と落ち合いカードを受け取りました。次男は知り合いの選手と親しく話しています。同世代のヨット仲間がたくさん、各県の代表で遠くから集まってきているので、久しぶりの交友をしているのかもしれません。向こうから、知り合いの福岡県代表の高校生がやってきます。土曜日は、強いブローが入ったようで、「沈しまくった」なんて言っています。ジュニア時代の面影を残しながら大きくなった子達が、そこここにいて何やら懐かしいです。向こうから、知り合いの選手のお父さんがやってきます。続いて別のお父さんも。お子さんが、方や男子シングルハンドで、一方は女子シングルハンドクラスで、5位ぐらいです。ウダウダ話しているところが、ちょうど長崎県のバースだったようで、長崎のコーチのMさんが話しに加わります。最初に会った時は、長崎のハーバー職員でしたが、県職員を経て、今は高校の先生をしているそうです。肩書きは変わっても、以前同様、高校ヨット部とジュニアを一緒に教えているので、ジュニア上がりの子達が、Mさんを慕ってその高校に集まり、その子達の多くが国体に出ています。さらに、ジュニア世代の中学生の子達を数人連れてきており、次の世代にも国体の雰囲気を経験させているようです。「この子、覚えています?Nちゃん。大きくなったでしょう。今じゃエースですよ」少年女子2人乗りの艇長で来ているようです。Mさんがいる限り、長崎のヨットは強力でしょう。午前中のレースに向けて、陸上フラッグがホーンを伴って次々揚がります。セールを上げて、レース艇が出て行きます。緊張している顔はなく、笑顔の子が多いです。インカレやインターハイ、全日本と違って、国体は随分和やかです。係留艇に行こうと桟橋を歩いていると、地元ジュニアのYさん一家がやってきます。長男君が少年男子2人乗りに出ているので、その応援でうちの船の数艇先の船に乗るようです。この船も、ジュニアの親御さんTさんのおじいちゃんが持っています。家族で応援、こういうのっていいですね。Tさん艇に行くと、3年生のMちゃんがサビキでいわしを大量に釣り上げています。お兄ちゃんも釣りをしていますが、ルアーのようでこちらはあまり釣れていないようです。2人とも地元ジュニアクラブでヨットに乗っていますが、国体の2つのレース海面の1つをジュニアがレース運営しているので、お父さんがみんな運営に駆り出され、今日の練習はお休みです。おじいちゃんの船に、家族で乗って、こちらもいいです。ドラゴンに戻って、整備開始です。船底磨きと、セールトラブルの整備もします。前回のレースで、調子が悪かったところを直します。私の担当は、電動排水システムの整備です。排水するホースがカーブで折れてしまい、今一信頼性に欠けます。ホームセンターに、ホースとバッテリーチャージャーを買いに行き、船底のポンプの位置を付け替え、いい感じにホースが折れなくなりました。船底の蓋を開けたり閉めたり、暗いところを覗き込んで、ガサゴソ・ガサゴソ。最後水を入れて、ポンプのスイッチON。電動音が鳴り、後から勢いよく水が出ます。これで波をすくっても、手動で「うんしょ、うんしょ」しなくても自動排水します。体力に自信のないおじさん達には、こういうのがとても大切です。レース仲間の船には、このシステムが、急速に広がっています。隣では、後輩のS君が、同じクラスの船を整備しています。マストを登って、シートの交換です。1人で来ているので、助っ人に行きます。マストのてっぺんからのワイヤーにハーネスをかけて、ウインチで引っ張り上げるので、落ちることはありませんが、何かあったら大変なので、下から見上げながらウインチ操作します。確か昨年の全日本でも、シートトラブルで、マストを倒していたような・・・あの船の儀式でしょうか?整備していると、国体のマーク回航順位トップ10がアナウンスが流れてきます。「28番、兵庫県」というのがよく聞かれます。地元の国体で、みんなよく走っているようです。3日間終えて、兵庫ジュニア上がりの少年男子2人乗りと1人乗り、両方でトップ。成年女子2人乗りで2位、1人乗りも入賞圏内と、クラブの力が爆発しています。大昔、国体選手だった時の事を思い出します。県の選手テントで、自分が出場しない時間、他クラスの回航順位で「28番」とアナウンスされると、みんなで盛り上がりました。懐かしい思い出です。帰りに、国体特設売店の方に行ってみると、ステージが設けられています。月曜日には、ここで表彰式が行われるのでしょう。一番高いところに兵庫県の選手が上がれるといいけど・・・そうそう、昼食でセンターハウスに行くと、SPさんが耳にマイクを入れてあちこちに立っていました。皇室の方が来るようです。先輩のKさんが、大会委員長なので、競技の説明などで応対するのでしょう。緊張しまくりの1日なんでしょうね。次の週末は、全日本なので、ちょっとがんばらなあきません。
2006/10/09
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地元のハーバーで、国体ヨット競技が始まりました。斎藤君対田中君の高校野球が盛り上がりましたが、どっこい国体というのは、野球だけではありません。ヨット競技はもちろん、長男君がやっている射撃の成績も見ました。すると、長男君の大学クラブの子が数人でています。しかも、中々いい成績です。長男も国体にチャレンジしたらいいのに・・・なんて思いました。私は、国体に3回参加しています。高校の時は、確か15番ぐらいだったかな?大学の時は、最終レースまでトップだったこともあります。次男も2回出ており、親子で国体予選5回チャレンジして、5勝0敗です。ひょっとしたら、長男も学生時代に、チャレンジしたのかもしれないな。まあ、こういうものは、時の運というものがあるからね。今年の国体ヨット競技の目玉は、インターネットライブ中継です。朝から夕方まで、延々レース風景やハーバー風景が流れています。他の競技も流れていますが、ヨットは、海の上の競技で、しかもレース海面は、陸上から肉眼では米粒にしか船が見えないところでするので、中継には不向きでした。それが今回、陸上にTV局がプロ野球中継で外野スタンドからキャッチャーを映すようなカメラを設置して実現しました。それがネットで流れています。まあ、ヨット競技を知らない方が見ても、ただヨットが走っているとしか分かりませんが、知っている人なら、多少は楽しめます。欧米では、上空にヘリを飛ばしてレース中継までするので、そんなセーリング文化が日本にも出来たらなあと思います。
2006/10/07
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新聞を読んでいると、2006年の「イグノーベル賞」が決まったと書いてありました。「イグノーベル賞」というのは、ユーモアに溢れ、科学への感心を高めた研究に贈られる賞です。確か日本人も受賞したことがあったと思う。「カラオケ」だったと思ったけど、違っただろうか?今年の受賞は、「高周波雑音発生装置」だそうです。英国人が、若者しか聞き取れない高周波で、街にたむろする若者を追っ払おうと発明したらしい。その名も「モスキート」。あの、夏の蒸し暑い夜、最も不快なあの音を想像して、これは効果があっただろうと想像した。案の定、この技術が大ブレークしたようだ。しかし、ちょっと想定とは違う方面で売れているらしい。なんと、携帯電話の着信音だそうだ。授業中に、先生に聞こえない着信音の携帯電話で通話する若者が増え、社会問題化しているらしい。う~む、「敵もさるもの」というところでしょうか。
2006/10/06
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昨日の日記の続きです。朝からポツポツ降っていましたが、天気予報より早く崩れてきました。予報では午後3時で降水量1mmでしたが、お昼にはカッパが必要になってきました。明石海峡大橋、その近くの潮目で釣りをする乗合船の集団が見えてきます。夢舞台のウェスティングホテル、淡路観音も見えてきます。ワールドカップでイギリスチームが宿泊したのが、ここのウェスティングホテルで、ベッカムフィーバーだったから、大勢ここに訪れました。しかしここで既に12時です。「こりゃ、淡路上陸は無理かもなあ」。最初寄港予定だったここの港は、国体の準備でこの日は入港できません。2km南の港に上がることにしましたが・・・港入口の魚網を避けて白灯台前からUターンして帰路につきました。風に向かう帆走を楽しもうと思いましたが、ヨットはジグザグにしか風に向かえないので、帰路の日没が気になります。風向が変わらず、真っ直ぐ上が西宮です。ここから帆走では時間がかかりすぎます。セールなしの機走で神戸空港沖まで稼ぐことにしました。2~3発大きな波を叩くと、止まるぐらいに速度が落ちます。みんな船酔いもせず楽しそうにおしゃべりをしています。「雨さえ降っていなければなあ」と思うのですが、風があるから上出来と思わなければね。神戸空港横まで上ってきました。行きに離陸便を2機見て、ちょうど海上の浸入灯付近を航行中、「あれ、なんですか?」。見ると着陸機のライトです。海上着陸灯が誘導点滅している方角に向かって機首を下げてきます。ちょうど誘導灯の横にいたので、真上を空港に降りていきました。大分機走で稼いだので、ここからは帆走です。1ポイントリーフでメインセールを小さくし、小さい方のセールも半分ぐらいにします。クルーザーは初めてでも、ヨット部員なので、指示をすぐに分かってくれます。目いっぱい風に向かい、学生の乗っている小型艇ではひっくり返る危険たっぷりのヒール(船が傾き)が入ります。「うわ~」「ゆるめろ~」「大丈夫か~」と、いろんな歓声があがります。最初のステアリング担当君は、どうもヒールに怖がって、風上に上りすぎでセールから風を逃がしています。「フルセールにしても大丈夫やで」次は女子ヨット部員がステアリングです。「うわ~、緊張する」「この船の運命は私の腕に架かっている感じで緊張します」なんて言ってるけど、顔は笑っています。さっきのステアリング君は下側のコクピットに行くのが怖いらしい。そちらが下がって、海面がすぐそこです。「これで近畿北陸学生個人優勝艇長か?」と思うほどですが、「小型艇ではヒールさせたらあかんから・・・」何かわかったような分からないような理屈です。でもこのギャップが面白い。メインシートトリマー担当君は、ブローが入るとすぐにメインシートを抜きます。「大丈夫やって。ひっくり返れへんから」と言っても、長年染み込んだヒールに対してメインを緩める動作は変わりません。次のステアリング君はキャプテンです。風の動きに対して敏感です。上手に次の船の動きを予想して舵を切ります。安定して走っています。女子マネージャーさんは、平気なようです。下側のコクピットに座って、みんなのビビっている顔を写真に収めています。ヒールの大きさがうまく写らないなあと言いながら、船の前写したり、キャプテン君にステアリングの後に真っ直ぐ立ってと指示を出し、ヒール角度を写真に表現しようとしています。彼女は度胸があります。キャプテン君の方が怖そうにしています。でもまあしばらくすると、みんなヒールに慣れ、楽しそうにワイワイやっています。ハーバー前でセールを降ろしポンツーンに着岸です。雨で濡れたので、センターハウスでシャワーを浴び解散です。そこで、お礼をたくさん頂いてしまいました。「交通費も何もなく、1年間ありがとうございました。今回も、お礼と言うよりは、また楽しませてもらっちゃって・・・」。月1回ぐらいしか行けなかったし、自分が楽しむばっかりで、果たしてクラブのお役に立てたかどうか怪しいものです。「次男の卒業でお手伝いも終わりだな」と思っていたところに、キャプテン君から連絡をもらった時は、「他大学卒の私でも、役に立つと思ってくれているんだ」と正直嬉しかったのを思い出します。根が甘いので、厳しくみんなを鍛えることなど出来ないけど、自分の好きなヨットを好いてくれる仲間が増えてくれるだけでいいです。数年後、十数年後、お互い学連ヨット部OBOGとしてどこかでバカ話ができたら、面白いです。『4年間ご苦労様。どんなことでも最後まで続けることは、大変なことです。立派です』
2006/10/03
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日曜日は、次男の1年後輩の今年卒業したヨット部員と一緒に、セーリングクルーザーに乗りました。選手5名と、去年卒業したマネージャーさん1名がやってきました。このマネージャーさんは、次男と同じ学年ですが、去年のこのイベントに参加できませんでした。今年も艇庫に応援に来てくれていて、何かしてあげたいなと思っていたので、今年は参加出来てよかったです。長男は自宅から大学にも通いましたが、次男は下宿生になりました。彼はマメなので、それほど心配ではありませんでしたが、時間のリズムと食生活には、心配がないと言えばうそになります。何処でもいいから、しっかりしたクラブに入ればいいがなあと思っていたら、ヨット部と縁があり、規則正しい生活と、合宿所でもごく普通の食生活を得ることができました。彼女達には、感謝感謝です。さて、この日はあいにくの空模様です。前日の天気予報では、午後から小雨が降るということでした。朝船に行き、エンジンをかけると1発でかかります。最近ほんと調子がいいです。予備タンクから燃料を入れ、空っぽになった予備タンクを満たしにGSに行きます。浜に一番近いGSはセルフGSです。最近このタイプが増えましたが、「いらっしゃ~い」で始まる会話がないので、あまり好きではありません。でも仕方ありませんね。黙々と機械から発せられる綺麗な女性の音声案内に従って操作します。やっぱり、声の主と相対して操作したいです。ホームポートでは、4日から国体ヨット競技が始まります。駐車場にテントが張られて、各所にガードマンが立っています。船に戻って、GPSに目的地の緯度経度を打ち込み、待ち合わせのセンターハウス前に移動します。「ひょっとすると、駐車場制限されているかなあ」と思い、駐車場入口に移動すると、「メンバーカードの提示をお願いします」とガードマンさんが、入ろうとする車みんなに声をかけています。どうやら彼らはこれにすでにかかってしまった様で、遠くの臨時駐車場の方に移動中のようです。もっと早く私がここに来ていれば、メンバーカードを提示できたのになあ・・・まあ仕方ないです。ちょっと遅れて10時出艇になりました。北東のいい風が吹いています。ハーバー前でセールアップです。淡路島目指して、真後ろから風を受けながら赤灯台を越えて大阪湾に出ます。大きなセーリングボートでの帆走は、みんな初めてのようで、ディンギーとは違うヨットを楽しんでくれているようです。神戸沖の埋立地を越え、神戸空港への連絡橋の下をくぐります。この船は34フィートなので約10m、黄金比を計算するとマストの高さは13~14m。桁下20mと表示されている中央部の下をくぐるのでぶつかるはずはないのですが、この下を通る時は毎回ちょっと不安が過ぎります。学生達からも、「え~大丈夫?」「ちょっと、ちょっと」と橋を見上げながら、いろんな声が上がります。マストトップが橋の下に入ると、「大丈夫そう」などの安堵の声。空港の船着場からは、関空行きの連絡船が出て行きます。速そうです。空港島を通り過ぎ、一路淡路島へ。いつもなら明石大橋や島が見えているのに、この日は天気が悪く、そちらはもやの向こうです。交代でステアリングしている横で、何かあったらすぐにサポートできるようにして、みんなといろんな話をします。座礁が一番危険なので、水深計には注意しておくこと。GPSデータを見て、進路をそれに合わせていれば、目的地に行けること。もちろんトイレの使い方の実演。それから、学生全日本個人選に2艇出場した話を聞きます。近畿北陸ブロックで、個人上位6艇に2艇も入るなんてすごいことです。いい練習をした結果です。学連委員長という職にありながらなので、ほんとにすごいなあと思います。
2006/10/02
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