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天皇さんの世継ぎの話をよく聞くようになってきました。私自身あまり分かっていなかったのですが、最近ようやく分かりかけてきました。男系天皇でないと・・・というところから、女系でもいいのではないか、と有識者会議から諮問が出て、それで行こうという風になってきている。その、男系・女系というのが分かっていませんでした。今までも女性の天皇さんがいたから、女系でもいいのではないかと思っていたのですが、男系でも女性天皇は可能だそうです。つまり、男性の天皇さんから生まれた子は、男子だろうが女子だろうが、男系になるらしい。だから、今の天皇さんの次に皇太子さんが天皇になられて、次に愛子さんが天皇になるのは、現行のもので十分可能で、過去の女性天皇さんも、そういう男系天皇だったらしい。愛子さんから生まれる子は、男子だろうが女子だろうが、女系になるので現行では天皇になれないらしい。その場合、系譜を過去にさかのぼって、男系の血筋から次の天皇が選ばれたらしい。なるほどです。それで、この男系でしか天皇になれないという伝統は、今までずっと続いて来たようで、ここで変えれば、史上初だそうです。そういう話なら、今までどおり男系天皇継承でいいな。そういう詳しいことが分かっていないから、男系に固執していると天皇の継承者が途絶えるとさえ思っていました。こういうのを今回知りましたが、多くの方が知らないのではないかと思いました。小泉さんは、郵政民営化法案のように党議拘束をかけて、今国会で女系天皇も可法案を通そうとしているが、あまりに拙速に感じます。郵政の時に、「まだ十分話し合われていない」ので反対という自民党議員も、反対派として切り捨てたが、今回もきな臭いです。小泉さんは、国のトップとしては、柔軟さが足らないように思います。靖国神社問題でも、別の戦争犠牲者追悼施設を作って、そちらにお参りするのが、普通だと思う。靖国神社には、一兵士も祀られているが、戦争指導者も祀られている。うちの親父は3男だけど、2番目と4番目が戦争から帰ってこなかった。婆ちゃんがお盆で天井にかかったおじさんの遺影を見る姿と、戦争の事は一切話さない姿は、戦争指導者を赦しているとは思えなかった。敗戦濃厚であることは、そういう人たちなら容易に想像できたはずなのに、長引かせて犠牲者を膨らましてしまった。もし、私の子供の1人が戦争で命を落としたら、戦争を始めた国の幹部は赦せないと思う。そういう人に、後の国のトップが手を合わせるというのは、なんかおかしい気がする。ヒットラーに手を合わせるドイツ首相に、国内外から反発が起きるのと同じ。国家追悼施設建設に何故小泉さんは反対したのだろう?どうも分からない。
2006/01/31
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今日は朝から小雨模様です。なんだか、しとしと降ったり、やんだりで・・・まあ昨日は上天気だったから、仕方ないですね。昨日は、船を泊めている桟橋に脚立を固定しようと船まで行ってきました。近くの桟橋にクラブの先輩の船が泊めてありますが、桟橋に固定脚立がつけてあり、乗り降りが楽になっています。我々の年齢では、別についていなくてもいいですが、女性やもっと年配者が乗るときは、脚立があったほうがいいです。でも桟橋はヨットハーバーの施設でもあり、そこにビスで固定するのは、いかがなものかなあと一抹の不安はあります。とりあえずいつでも固定できるように、ビスなどを購入して船に向かいました。船につくと、同じ船に乗っている先輩が船内に降りる階段にサンダーをかけています。長年その上を歩いたので、ニスがはげており、その塗り替えのためです。先週買った脚立が桟橋に出ており、それを利用して頂いているようです。桟橋に固定することを相談すると、一応あかんことになってるから、このままでもいいのではないかなあということで、あっさり本日の作業を中止しました。というのも、桟橋に細工せず脚立を半固定するアイデアもあるからです。仕事がなくなったので、ハーバー内のヤマハに行くことにしました。2点気になる所があるので、その相談に行きました。1点は、エンジンフルスロットルで4ノット少ししかスピードが出ないことで、もう1つはラットといって舵輪、つまり車のステアリングですが、これが重くなっていて、操船に力が必要になっていることです。「なんかおかしいなあ」と思ったとき、早めに対応しておかないと、いろんなところに負担がかかり、突然のトラブルの原因になります。ヤマハ整備の人に来てもらい、船を走らせたとたん、「エンジンの振動が船に伝わりすぎですね。どっかにガタつきがありますよ」とのこと。エンジンの回転をスクリューに伝わるまでの何処かに原因があると思われるが、船内から見たエンジン回りには異常はないので、次陸上に上げる時、点検してもらうことになりました。ラットの件は、ばらして見ないと分からず、単に組み立てなおすだけでも、軽くなることもあるそうです。これも陸上に上げた時に見てもらうことになりました。点検が終わり、整備の人が帰るとき、ヨット部の同期でヤマハに入ったヤツの事を聞いてみました。広島支店にいるのですが、ヤツからの年賀状によると、単身で関西に来ており、西宮にも時々寄るということだったので、知ってるかと聞くと、もちろん知ってるとのことで、携帯の電話番号を教えてもらいました。ヤツにコンタクトを取って、旧交を温めようと思います。その後、先輩方とホカ弁を食べ、コーヒーをのみ、私は読書、先輩方はエンジンをゴソゴソいじくってはりました。とてもいい天気で、風は弱く、気持ちのいい読書でした。この日はレースがあったようで、レース参加艇が引き上げてきて、ハーバーからは表彰式のアナウンスが流れてきます。ゆったり適当に過ごすオフの1日、こういう時が持てて、幸せな気持ちになりました。
2006/01/30
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京都大学アメリカンフットボール部員の事件には、がっかりしました。この手の事件は、関東の大学ばかりでしたが、ついに関西でも・・・私は、大学体育会出身で、いろいろ批判されますが、体育会の良さを知っているつもりです。その後の人生も、いつもここでの体験がベースにありましたし、50年くらいの幅の中で先輩後輩が、社会的地位とは関係なく、卒業年度でのみの基準で交流するのに、気持ちよささえ覚えていました。そういう交流を続ける私を見て、子供達も競技は違えど、大学では迷わず体育会のクラブに入部し、4年間続け卒業しました。関東であった体育会部員の不祥事は、高校時代実績を残したスポーツセレクション部員だったりで、入学までの勉学不足から学校での居場所を失ってしまったストレスなどがあるのだろうと想像していました。現にスポーツ推薦で、高校・大学入試を経ずに進学して、有名大学で自信喪失して、卒業できずに消えていった選手を何人も知っています。スポーツでの進学は、結局子供の将来を狭くさせます。今度の件は、両方ともしっかりやっていた子が起こした事件で、例外はあるにせよ、私の考えが崩れた悲しい出来事でした。これで、今年の京都アメリカンの対外試合は自粛になるのではないだろうか。関西学生アメリカンフットボールリーグファンの私としては、ギャングスターズのいないリーグ戦なんて・・・という心境です。京都アメリカンは、春から2部リーグに降格になるか、1部に残っても秋のリーグ戦最下位は決定なので、来年は2部です。また数年後には、再起して1部昇格して欲しいものです。さて、気分転換に、映画『博士の愛した数式』観にいってきました。ちょっと気になっていたこの映画にしましたが、映画館の予告編で、80分しか記憶が持たない・・・というのを見ていたので、本人が泣いて、周りが悲しんでという暗めのお涙頂戴映画かと思っていましたが、予想を素敵に裏切られました。自分を知っている博士が、今を大切に生きている。博士から発せられる言葉が、自分への嘆きや悲しみではなく、周り、特に子供への応援の言葉、祝福の言葉など、自信を植え付ける言葉で、いろんな立場の人が、自分に置き換えて素敵な気持ちになる映画でした。私が理想に思っている天使の言葉で子供達に接する姿、そのものでした。そうされると当然、博士に対する周りの言葉・行動が軟らかくなり、博士も居心地がいい。数学は好きな科目で、数学科は最も勉強のできるヤツで最もオタクさんが集まってると思っていましたが、映画で語られる数学の楽しさや美しさ、不思議さを聞いていると、何かロマンを探求する人の集まりのようにイメージが変わっていきました。数学への興味が湧くと思うので、中学生以上のお子さんには、とてもいい映画のようにも感じました。関西では中学受験が終わり、算数から数学に変わり、大きな期待を持ってる新中学生には、今の時期はとてもタイムリーだな、とも思いました。ところで、この博士の経歴が、ケンブリッジ留学と大学の数学の先生という設定で、新田次郎さんのお子さんの藤原教授が重なって見えました。藤原さんは、うちのかみさんを不合格にした御茶ノ水女子大の先生です。別に学校に恨みはありませんが、そのことを知った息子君は、高校の模擬テストで、志望校に入れていました。合格判定を得たその結果を、親が気づくように無造作に置いていました。家内はどう思ったのか分かりませんが、私は「よっしゃ」と思いました。そして、合否判定以前に、性別フィルターがかからないんだとビックリしました。藤原さんの本は、読みやすく、好きですね。最近の日本映画は、レベルが上がっているんじゃないかなあ。輸出産業になりそうな予感です。
2006/01/28
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先日、中学の同級生と集まった時の話に、結婚25周年の話が出ました。私を含めて5人のうち、1人は未だに独身なので省くとして、友人Aは20周年の時に3万円現金で奥さんに渡したらしい。「好きなものを買ったらいい」と、奮発したつもりだったが、「10周年でスイートテン・ダイヤモンドだって・・・」などと言葉を返されたらしい。あたた、一気に形勢逆転です。友人Bは、昨年夫婦で25周年旅行に行ったらしい。友人Cは、まだ20周年に行っていないが、昨年、「花を買って帰ろうとしたが、店が閉まっていて買えなかった」と言い訳して、その夜帰宅したらしい。どうも、みんな結構やっています。振り返って、私はというと、昨年の家内の誕生日やクリスマスには、ちゃんとやったけど、結婚記念日ってのが、どうもいけません。今までで、1度だけ松崎茂のディナーショーに、結婚の翌年行っただけです。大きなお腹を抱えて、胎教にもいいかもと思って出かけました。それも、披露宴をしたホテルから誘いの手紙が届いたので、それに便乗しただけで、結婚記念日当日にしたわけではありません。言い訳を言わせて頂くと、結婚した日がちょうどイースター(キリスト復活祭)だったからです。復活祭なら忘れないだろうと、この日に決めました。だって中学の時は、毎年イースター礼拝とかがあったし・・・キリスト教系の学校に通っており、母校のチャペルで式を挙げました。牧師さんも教えてもらった先生にしてもらおうとしたのですが、さすがに牧師さんは、この日は忙しく、暇にしていた牧師でもある校長先生にしてまらいました。牧師さんを捜して電話をしたこともあって、今でも「イースターが結婚記念日」というのは、きっちり覚えています。ところが、このイースターというのが曲者で、毎年日にちが変わります。調べて見ると、正式には、『春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日』らしいんですが、具体的には3/21~4/24までの間で変わるらしい。昨年は3/27、今年は4/16、来年は4/8。こんなの、教会にでも通っていない限り、覚えているのは無理。キリスト教国では、事前にニュースで教えてくれるのだろうに。結婚翌年、3月14日だと思って、家内に何か言ったような気がするが、「今日じゃないよ。忘れてるでしょう」という逆襲の言葉で、「え、24日だったっけ?」その時家内は、私がきちんと調べなおして認識すれであろうと思ってか?、ちゃんと日付を言ってくれなかった。私はそのままにしていたから、もうわけがわからん・・・以来、結婚した日付でお祝いをした方がいいのか?イースターという行事の日にした方がいいのか・・・ズルズル、訳がわからず今に至っています。友人Bの25周年夫婦旅行の話を聞きながら、よ~く考えると、長男君が今年25才になるから、なんと昨年が結婚25周年だったようで、もう過ぎてるじゃん・・・あれ~。25周年って、かなり大きなイベントですよね。思いっきり、忘れちゃったし・・・もうこうなれば、この記念日に関しては、下手に思い出さず、ずっと忘れている方が身のためのような気がします。大体、みんなちょっとやり過ぎとちゃう?「日本男児たるもの、そういう細かいのにとらわれずに生きようではないか」なんて言ったら、反発食らうだろうなあ・・・
2006/01/27
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昨夜は、中学時代の友人達と話してきました。数年の受験勉強で合格した学校なので、中学の友人とはつながりが濃いです。このグループ5人の1人からの年賀状に、「また会おうか?」と1行入っていた。早速、仲間に「また会おうか」とメールを流すと、賛成の返事。また会おうかと書いて来た友人の奥さんは、学生時代からみんな知ってる間柄なので、奥さんも参加しやすいように、彼の家の近くの場所にしました。彼らとは2年ぶりです。仕事の関係で遅れていくと、すでに4人プラス奥さんが揃っています。懐かしい顔ぶれですが、みんな前回とあまり変わっていないかな?相変わらず奥さんのしゃべりは軽妙で、男ばかりの中に女性がいると、場の雰囲気が華やぎます。コカコーラ本社に機械を納入した時のアトランタでの話など、仕事がらみの話もありましたが、主にいろんな思い出話。みんな中1のクラスは、何組で担任は誰と覚えていましたが、それ以降となると段々霧がかかっていきます。地元から離れて電車通学し始めた不安な最初だったので、特に印象が強いのでしょう。奥さんが帰り、それと入れ替わるように、そこの長女さんがやってきました。前回も顔を見せてくれたのですが、相変わらず美人です。まだ大阪市大の学生ですが、ニュージーランドに留学してきたそうです。今、旅行社でバイトしながら、夜はイギリスから来ている人に日本語を教える代わりに英語を教えてもらっているそうです。まず、お金と英語力をつけて、次に向かおうとしているそうです。いやあ、自力がありますね。こういう子を見ていると、応援したくなります。前回は、目標「大阪市長」なんて言ってましたから、頼もしいものです。よく最近の若者は・・・なんて言われますが、確か私がその年頃も言われていたようで、あんなの当てになりません。お爺さんのできるものの基準に照らすと、不満かも知れないが、若者は年配者に出来ない事が出来、別の分野では多くの知識をもっています。みんなと話していて、子供の話題になった時、みんな感じていたのは、世代の違い。PCを当たり前のように使うことと、外人さんコンプレックスがないこと。私は習いたての英語が通じるのか試そうと、中学の時、友達と連れ立って神戸によく行きました。外国の軍艦が入港して無料見学があると、乗船して兵隊さんに英語で声をかけていたが、それでもかなりドキドキしていた。でも子供達を見ているとそういうのがないというか薄いみたい。小さい頃の英語教室とスクールイングリッシュしかないので、十分とは言えないと思うのですが、日本語の分からない外人さんの運転手をしたり、通訳まがいのことをしたり、なんか平気のような感じです。これは、みんな感じているようで、最近の子はすごいなあということになりました。生まれた時から、外人さんがチラホラ歩いている環境があったからのような気がします。私は白人さんを見ると、たとえ不良白人でも、負けている感じがしていたけど、韓国や中国の黄色人種の人にはそんな感じはなかった。子供達は、大きな白人さんに圧倒されていないのかもしれません。きちんと教育を受け、がんばって実力をつけた子達は、益々世界に羽ばたいていく気がします。友人の子が高3で先日センター試験を受けました。京都で一番の私立に通っているので、これまた何処に行くか楽しみです。私は最初からいませんでしたが、6時半から12時まで話はつきませんでした。楽しかったです。
2006/01/26
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今年に入って、家内の部屋に写真が2枚増えました。1枚は、次男がオランダから送ってきたメールに添付されていた、トレビの泉を背景に撮った写真。喜ぶだろうなあと思って、B5サイズにプリントアウトして家内に渡したら、翌日、後に厚手の紙を貼って、全体をラップで包んで部屋に飾ってありました。もう1枚は、初詣で撮った長男と家内の写真。こちらも同様の処理がなされ、次男の写真の横に並んだ。写真の中では、長男のガールフレンドでも十分通るなあ、なんて思いました。ついでに、私のPCのデスクトップも、この写真に変更しました。まあ長男は余分なので、そこはカットしてあります。次男は、ヨーロッパに家内のPCを持って行きました。自分のは、ソニーのデスクトップPCとノートPCの中間みたいなタイプで、画面がでかく使いやすそうなのですが、ちょっと大きいので、家内のにしたようです。ちょうど家内のPCのウイルスソフトの更新期限が来ており、ヨーロッパで更新してもらったのですが、帰ってきてそれを確かめようと電源を入れると、なんとヤツの彼女の写真がデスクトップに・・・家に連れてきた事があるのですが、ヤツはこういうの平気です。親に見られるのが分かってるだろうに・・・消しときゃいいのに・・・なんて思うのですが、頓着せず。向こうで撮ってきた写真をそのPCで見せてくれます。こういう時、変な説教などで、子供のやりたいにダメ出ししてこなかったから、親に警戒心がないのだなあと感じます。私のは、DVD再生できないので、家内のを借りるのですが、電源を入れるたびに、この写真が出てきます。私も家内もそのままにして使っていますが、少し不満なのは、ヤツも並んで写っているところ。私的には、次男の顔はいらないんですけど・・・ヤツも自分の顔を見て嬉しいか?・・・なんて思うのですが・・・やっぱ、次男をカットした写真にしたらあかんわなあ・・・家内の部屋には、その他に、子ども達の獲得してきた表彰状やトロフィーが飾ってあります。次男のヨット関係は多いが、私が一番気に入ってるのは、長男の5年生の時にもらってきた、環境作文コンクールの賞状。文章は女の子の方が得意だと思うのですが、学校で選ばれ、県の優秀賞を獲得してきたので、この子はすごいと思いました。社会で環境の事をいろいろ勉強していて、いろんな事を聞かれた記憶があります。その後に、その学習の成果として書いた作文が賞を取りました。自分の思いを、人の心に文章で伝えられるのは大変な才能と思います。赤ちゃんの時からの毎晩の私の本読みの成果かなあと、私が褒められたような気にもなりました。でも、私の写真はないんですよねえ。ひがんでるんじゃないんですけど・・・私関係は、私の保育園の卒園式でもらった、『よくみる、よくきく、よくする』という文字が大きく入った額だけです。自分のいろんな卒業式を経験してきましたが、このときの先生の言葉だけ覚えています。先生がこれを読んで、「ここでいっぱいこれをしてきたねえ。これからも、ずっとこれができたらいいねえ。よくみるから始まるこの順番を大切だよ」この額、何故か愛着があり、蛍光塗料のマリア様とともに、ずっと私と一緒です。もうひとつありました。これも保育園の時、板に画いた絵。木とからすと、山が画いてあります。長男のライフル射撃のトロフィーや賞状は、長男の部屋に飾ってあるのですが、この家内の部屋は、わが家の歴史箱みたいです。
2006/01/25
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先日、うちのお店で大暴れなさった犯人さんが、今日来はりました。警察官が言ってはったように、やっぱりお酒が抜けたら、ごく普通の方でした。来られてすぐに、あの方だと分かりましたが、「あのう、のりまきさんですか?先日ご迷惑を掛けた・・です」「物損だけきちんとしていただければ、傷害事案にはしようとは思いませんし・・・。まあいろいろありますわ。アルコールが入っていたこともありますし・・・」「でも、いくらアルコールが入っていたとは言え、決してしてはいけないことをしてしまいました。本当に、申し訳ないことをしました。すいません」警察からの連絡どおり、3日間警察に留め置かれ、しらふになって大分反省なさったのでしょう。まあこれで、月末の弁償が済めば、おしまいということです。ちゃんと謝りに来ていただいて、良かったです。万引きなど多く経験していますが、きちんと親子で謝りに来る方もいますが、捨て台詞のままの方もいます。せっかく神様が、曲がっていく心を元に戻すきっかけを作ってくれたのに、けじめをつけない方は、もっと大きな犯罪でもっと大きな苦しみが待っているのでしょう。子供生まれて、正義を心から子供に教えられない不幸な親になり、子供でさらに苦しむことになります。世の中とは、そういうもののようです。さあて・・・まだ家内には事件の事、言えないんですよねえ。家内がこちらの店にいることもあるし・・・変にビクビク外をうかがっていてほしくないし、私の帰宅を、「よかったあ、帰って来て」なんて思いで、迎えて欲しくないからなあ。できれば、何も知らずに、ニコニコしていて欲しいんですよねえ。家内は女姉妹の妹で、男の子のやんちゃに免疫がないようなんですね。子供の怪我にも、男の私から見れば心配しすぎのところがあります。去年次男が数針縫う怪我をした時も、私には見せたけど、家内には何も言ってなかったんですね。こっちの従業員さんは知ってるから、今日もそうだけど、従業員さんの交流から、家内の耳に入るのは時間の問題かも知れないんだけどなあ・・・全然大した事ない光線で店の人とは話しているので、話題にならないことを願って・・・ばれたら、またのらりくらり、大した事ないおとぼけ対応で、ごまかそうと思っています。
2006/01/24
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日曜日に海に行ってきました。船の整備です。何かチョコチョコ直しながら、海でダラダラする日が続いています。ドアを開けたとき、動かないように固縛するために、ショックコード(ゴムのちょっとかっこいいヤツ)を利用することにしました。次に桟橋から船に乗る時の脚立です。チラホラと、桟橋に脚立を固定して、女性や高齢者のゲストのために乗りやすくしている船があります。前からあれが気になっていました。ホームセンターで2段の脚立を買い、ハーバーのショップでショックコードを買って、作業開始です。まずショックコードをドアに合わせて切り、こちらはすぐに作業終了です。続いて脚立ですが、木の桟橋にどうして固定するか・・・他艇の細工を見に行き、考えていると、先輩が桟橋をやってきます。ちょうどいいところで会いました。ライターを借りて、ショックコードの端止めをして返しに行くと、昼食を食べようかと言うことになり、ハーバーで昼食です。前菜が出て、最後にコーヒーというヨットハーバーというちょっとおしゃれな響きに誘われて遊びに来られた方向けのメニューですが、ほんまはラーメンとか、庶民的なメニューでもっと量が欲しいですね。大体濡れてもいい格好や作業で汚れてもいい服装の人が集まるのに、座るのに遠慮する時があります。食べるところは3軒ありますが、1軒くらいそういう庶民的なところがあってもよさそうなんだけどなあ。先週昼間暖かったので、来月開港する神戸空港を見に行ったそうです。でも監視船に追い払われて(別にテロしに来たわけじゃないのに)、あまり近くに近寄れなかったそうです。帰りは思いのほか時間がかかって、メンバーの1人が風邪を引いてしまったとか。もう1人一緒に食べたかたは、12月に瀬戸大橋の橋脚にぶつけてしまった先輩で、今陸上に上げて修理中です。途中の島にある港に入ろうとしたのだけれど、近道するために、ショートカットしたら、キールを暗岩にぶつけてしまったそうです。5ノット(時速9km)くらいで潮が流れているので、減速してゆっくり行ったそうですが、ゴーン。食事も終わり、1人は帰り、1人は3人乗りレース艇の方へ。私は脚立作業に戻ることにしました。途中他艇のを見ながら戻っていると、「お~入れ入れ」と声がかかる。先輩の船から見られてしまったようです。「あちゃ~本日の作業はこれまでか・・・」やっぱりそうなってしまいました。体育会の上下関係は、現役を卒業するとやわらかなものですが、貧乏学生時代に資金援助をしっかりして頂いているので、死ぬまでこの関係は続きます。どうやら新年会をやっておられるようで、鍋が中央にあり、もう皆さん出来上がっています。「もう入らんから、残り食って行けや」ってことで、昼食後にも関わらず、ありがたく頂きました。しばらくすると、以前日記にも書いた、この船の初代オーナーで関西経済界の重鎮の方が来られるようで、迎えました。土曜日に、東京で日本セーリング連盟の新年会だったそうで、その足でこちらに帰って来て、兵庫県セーリング連盟の理事会に出るまでの30分ほどこちらに来られました。高齢になり、若い頃から組んでレースに出ていたうちの学校出身者に、船を無償譲渡された。でもこの船には愛着があるのでしょう。その場で一番若い私が、荷物を持って、理事会のあるハーバーハウスまで送りましたが、歩くスピードが速くまだかくしゃくとしておられました。来月の神戸空港開港1番機に乗るそうです。ずっとこの方が中心になって空港建設を推進して来られたからなあ。また今年は、安部信三総理が誕生するかもしれないので、お父さんの代からの関西安部後援会会長としては、それまでしっかりしていたいのでしょう。いつまでもお元気で。日が傾いて、風向が西から北に変わり強くなってきました。新年会がお開きになり、食器を洗い始めましたが、前母校ヨット部OB会長さんが、かなり出来上がっています。船を閉めてハーバーハウスに向けて桟橋を戻っていると、うしろで「あ、あかん」という声と共に「バシャン」。やばいと思って振り向いて飛び込もうとすると、顔が水面にでていて、すぐ手がつかめました。ちょうど通りかかったハーバー職員さんと共にひっぱりあげ、浮いていた帽子も拾いました。「あ~、えらいこっちゃ、寒いぞ~。俺のカバンは・・・大事なものが入ってるねん。帽子は・・・」そりゃ1月の海にはまったんやから寒いでしょと思いながら、持ち物を心配しているくらいなら大丈夫ですわとホッとしました。前を行っていた先輩方も慌てて戻ってきて、大先輩に肩を貸しながら戻ります。女性ゲストが1人おられて、その人を気にかけながら横を歩いており、大先輩が落ちるとは予想しませんでした。失敗しました。2m以上幅があるんだけどなあ・・・ハウスのシャワールームで暖まって、私の服に着替えてもらってと提案しましたが、すぐ帰ると頑固です。車で来ていたら、車で送っていくのですが、あいにくバイクで来ていたので、タクシーを呼んで、同じ方向に帰られる先輩方と一緒に帰られました。風邪を引かれていないことを望むだけですが、アルコールが入っていたとは言え、「こうなったら、みんなで飛びこもか?」とか、もうすぐ80才なのに、こちらの御仁も至って元気です。でもこれは、ヨット部内で笑い話として、さらに尾ひれがついて広がっていくでしょう。大先輩は、とても気さくでみんなに愛されているので、相当な尾ひれがつきそうです。それをまた笑い飛ばしちゃうからなあ・・・でもまあ、笑い話で終わってよかったですわ。
2006/01/23
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「ああ眠い」昨夜から、まあ大変でした。トゥルルルルル・・・電話が鳴った。「あのねえ、明日の朝急に四国のお婆さんのところに帰ることになって、1つ持って行くから・・・、今から行くから開けといてね」お客さんからの電話です。昼間お買い物に来られて、四国の田舎に郵送することになっていました。でも、突然帰る事になって、1つだけ取りに来るということです。閉店時間は過ぎ、従業員さんも帰られ、半分店を閉まっている状態で、そのお客さんが来られました。買い忘れたものの清算も終わり、おばあちゃんの話などしていると、外でガチャンという大きな音。「あれ、私の自転車、倒れちゃったかなあ」とお客さん。ちょっと足がお悪いので、私が自転車を立てに外に出ようと店を出たとたん、「こら、おまえ、なめんなよ~」っていきなり胸倉をつかまれ、前後にゆすられました。「え~、何~」片手を離して、胸をボカボカ叩かれるし・・・「こんなところに看板置くな、当ったやろ」って、何で怒ってるのか、事情がようやく飲み込めました。お客さんの自転車に八つ当たりして倒し、そこに出てきた私に組み付いたようです。酔ってるんですよね。酔って自転車に乗って帰るときに、うちの看板にぶつかったようです。でもうちの看板って植え込みの中に置いてあり、街路樹にくっつけてあるから、看板がなくても街路樹に当ってるよ・・・でも、酔った勢いとは恐ろしいもので・・・ぶつかった看板を振り回しはじめました。看板といっても、木で出来た軽いもので、高さがももくらいしかなく、片手でももてます。そしてなんと、店の中に放り込んできて、陳列台に当り、棚が落ち、商品が落ち、震災のような状態です。次に、看板を拾い振り回したから、他にもあたりました。ガチャン、ガチャン大変な騒ぎです。看板が手から離れたので、店の外に押し出しました。それでもヘッドロックはしてくるわ、胸を叩くわ、胸倉をつかむわ・・・次傘を私に向けて、「刺したろか」これには、道路に集まったギャラリーも驚いて、お兄さんたちが組み付いて、「こら、あほかおまえ、何しとんねん。店片付けて弁償せいや」今度はお兄さん方に、組み付いていきます。やがて警察が来て、御用になりました。さてそれからがまた大変です。今日の開店があるので、至急片付けないといけないのに、警察の現場検証があるので、手をつけられません。しかも、調書作成のために本署まで行かなければなりません。お客さんの家に警察官が行き、調書作成をするそうです。お客さんにまで迷惑を掛けてしまいました。店をそのままに警察に行き、刑事さんの検分のためにまた店に行って、暴行再現シーンを写真に収めます。アニメ程細かくないが、何枚も行動を再現しながら、刑事さんが犯人役で写真に収めていきます。いやあ、参りました。警察から解放されたのは、夜中1時を回っていました。それから、店に戻って、割れ物を片付け、とりあえず箱に散乱した商品を入れて、割れ物はビニールにって、ほんとに震災の再現でした。一旦家に帰り、食事して、再び店の片付けです。家内に連絡しようと思いましたが、いきなりの暴行というショッキングな内容だから、心配するといけないなあ・・・なんて思い、まだ言っていません。多分言わないと思います。11月に次男が車をぶつけてへこんだ時も言いませんでした。子供達も、お母さんには心配掛けまいと、そういう用件の時は、いつも私に連絡してくるんですよね。でも半分以上は後でばれて、文句言われちゃうんだけど。「いやあ、あんなのは大したことないから・・・まあ若い時はこういうのはつきもんだから・・・」なんて、のらりくらり言い分けすると、「だったら言ってよ」って反撃くらうんだけど・・・犯人は数日留置所に留め置かれるようです。今日警察からの連絡だと、酔いが覚めたらごく普通の人で、反省しきりだそうです。会社の宴会帰りだったようで、そこでなんかむしゃくしゃすることでもあったのかもしれません。警察官には、病院に行って診断書を書いてもらったら、暴行から傷害事件になり、犯人の罪がもっと重くなると勧めるのですが、お酒の上でのことでもあるし、そこまではいいですと断りました。今日犯人さんの奥さんが来られて、およその商品損害額を弁償してもらうことで、チャラにすることにしました。今まで暴力を働いた事がない旦那さんだったようで、奥さんも憔悴しておられました。ガラスなど店の造作の被害が軽微で、落下した棚も壊れなかったのが幸いでした。損害額は1桁万円なのに、月末の給料日まで待って欲しいと言われるのを聞くと、生活の厳しさが底辺にあっての爆発が想像されます。子供を3人抱えて・・・引越ししたばかりでまだ電話が引けていません・・・って・・・「景気が悪いので、こういう犯件が増えてるんですよねえ。景気が良くなれば、減るんですけどねえ」って、調書を作っていた担当の警察官が言ってた言葉が残りました。一時はやった能力給をやめる企業が増えているように、アメリカンスタンダードな改革は、どうも日本に合わないような気がします。大企業が利益を伸ばし、大多数の方の生活はドンドン苦しくなる。がんばりゃいい、がんばった者が報われるって、日本のような基本的な村社会では、そういうのあかんような気がするなあ。世界的発明などの本当のピカイチは別として、あまりに多く、個人成功報酬的になると、みんなで力を合わせてという日本の美徳から、仲間を出し抜く感じにならないかなあ・・・きっとこういうので、能力給が見直されていると思うのですが・・・あ、夜中ゴソゴソしてる旦那を家内は不審がらないだろうか?まあ、日頃の行いがいいから、大丈夫だと思いますが・・・「浮気なんてしてませんよ」こういうとき、クリスマスプレゼントが利いてきます。まあ家内には、「うちの旦那、心配するほど、モテもせず」って高をくくられているのでしょうが。
2006/01/21
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わが社、と言ってもしがない零細ではなく微細会社ですが、弥生会計ソフトを使っています。数社の会計ソフトを乗り換えて、随分前からこれを使っています。これが一番使いやすいです。よって、この会社の遍歴とも一緒に歩んできました。現在は、話題のライブドア傘下です。いつだったか、近鉄球団買収の折だったと思うのですが、ライブドア社の棚に、弥生会計のパッケージが並んでいて、あれっそうなの?と気づいた。「いつの間に?」というのが、その時の感想。でもそういうのは別にどうでもいいんです。使いやすいソフトを安価に提供してくれていれば、全く不満はありません。「ところがですよ、あなた」「本日、弥生さんから封筒が届きましたですよ、あなた」あれ~、何?って、封を切ったら、ソフトの2006年版への更新案内だけでした。「何じゃ~」あまりにタイミングがよすぎて、ちょっとあれっと思っちゃいましたよ。もっとも、よく考えれば、内容の印刷物の内容決定や印刷、封入、住所印刷、等など考えると、当然問題噴出以前からやってたものでしょうから、心配することもなかったのですが・・・今回の一連の報道の中で、主にこの業務をしていた役員さんが海外出張から帰ってきたとき、堀江さんと会って、ホ「何か大変なことになってるよ~」ヤ「ごめんね~」という会話があったそうな。学生の時に友達と作った会社の事を思い出しました。「こういう乗りだったよなあ」スキーバスやったろう、と友人と2人、喫茶店で意気投合して始めた。その晩一気に骨組みを練って、お客さんなんてとっくにいなくなった店で朝方まで粘った。といってもヤツの彼女の実家だからいいんだけど。友人の輪をドンドン広げて、スタッフからインストラクターまで一気に集め、旅行免許を持たないので、旅行社と交渉し、バス会社、ホテル・・・みんな自分らで交渉して、ほんまに楽しかったです。女の子に受けるパンフレットを作るために、デザイン学部の女の子をスタッフに引き入れ、彼女も学校へ提出するもんじゃないので、楽しんで一気に作ってきた。丸文字で実にかわいい。その分野に進出するためにノウハウが欲しかった旅行社とは、交渉がうまくいき会社にデスクを確保できたし、専用ではないけど担当女性事務社員まで張りつけてもらった。11月末から毎週末にバスを出して、冬休みに入ると毎日のように夕方のバス出発時間に集合場所に行って、遅れているお客さんの家に電話を掛けた。スタッフとして山に行く時は、アタッシュケース片手に乗り、夕食後のパーティーを終えると電卓片手に、翌日のスタッフルーチンを話し合っていた。昔はリクルートだったけど、楽天市場などの立ち上げの様子を映像で見ると、昔のことを思い出します。「へえ、そうなの?よしやろう、やろう」って、深く分かっていないのに、行動力は飛びぬけてあったあの頃の乗りを、そのままライブドアはやってる感じがする。翌年には新品レンタルスキーを始めて、家がスキーと靴でいっぱいになり、一気に数千万の売上になり、このままではすごいことになると思ったが、学生スタッフのボランティアと言うか遊びの延長のような連中を集めていたので、一抹の不安はあった。旅行会社の社長にいろいろ聞いて、きちんと人件費を計算すると、あまり儲かるとは思えず、2年で私は抜けた。毎年学生スタッフをリクルートするのが難しいと思ったし、お客さんの女の子と恋愛関係で問題を起こすいいかげんなヤツ・・・といっても、遊びの延長だから仕方ないけど・・・とゴチャゴチャ話すのがあほらしくなったから。どうなるのかなあ、ライブドア。
2006/01/20
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私の仕事場界隈に、ゴミ拾いのお兄さんが出没します。前の広い道路を小走りに渡って、向こうやこっち側で、ゴミを手際よく拾っていきます。多分20代だと思うのですが、片手にスーパーの大き目の袋を持ってる事が多い。空き缶、袋、ダンボールの切れっ端・・・、走りながら拾い、両手がいっぱいになったら、向かいの気のいい不動産屋さんのビルの横のゴミ置き場で、それらを捨てて、走って何処かへ行ってしまいます。あのお兄さんに、うちの守備範囲からゴミを拾われると、ちょっとかっこ悪いので、外に出たときゴミを拾って戻ります。何の仕事をしているのかわからないけど、夕方時々出没して、一心不乱にゴミを拾い、いつもの場所に捨てて、どっかに行ってしまいます。最初、何か変な人がいるなあと思ったのですが、時々不動産屋さんのゴミ捨て場で、そこの人と会えば、何やら話しているので、変な人ではなさそうです。ちょっと知能に障害を持っておられる方と思っています。多分、何処かのそういう施設で、軽作業をした帰りに、ゴミを見つけると、走ってゴミ拾いをしてると思うんです。そして、そのゴミ捨て場を前の不動産屋さんが提供していると思っています。そして、不動産屋さんが、「ごくろうさん」とか声をかけているのかなあと想像しています。いやいや負けていられないなあと思って、もう何年も前から、雨の日以外は、毎日うちの前の植え込みにゴミ箱を出しています。そのお兄さんは、不動産屋さんとの契約があるのか?うちのゴミ箱にはいれていかれませんが、うちのにもいろんな方が戦利品を入れていかれます。あのお兄さん1人で、周りの人が動きますね。あの人偉いです。それに引き換え・・・先日うちのゴミ箱の横の植え込みに、小型TVが置かれていて・・・果たしてどうしたものかと、今日もそのままにしている私は、今一です・・・
2006/01/19
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昨日は、1.17。あれから11年。わが町も大分変わりました。駅がつぶれてしまい新しい駅に代わり、その横のスーパーのビルも使い物にならなくなり、やがて取り壊され新しいビルが建っています。2つの大きなビルが壊れてしまった原因は、上に電車と水が満杯のプールがあったから。上に重い物を乗せていると、建物は弱いものだと知りました。あと揺れる場所というか、帯があるみたいです。ある道では、数棟のビルが横倒しになって道路がふさがれていた。神戸のようなひどい被害の所は、軒並みだからそれほど目立たないが、うちの地域は、それがよく分かる。どういう構造や地盤が弱いか、分かったような気がしました。昨年末から、建物構造をいかに安く上げるかの問題で騒がしいが、関東大震災でビクともせず、大勢の被災者のより所になった帝国ホテルのような建物を作ることや、そう行動した経営者を見習いたいものです。未だに大勢のファンをつかんで繁盛している。災害の度に、あれだけ無料で宣伝してもらっていたら、あの時の経営者の採算度外視した判断は、大正解だったようです。あの建物を建てた方の身内の方も、さぞ気持ちがいいでしょう。やはり、どっしりした仕事をしたいものです。ろうそくイベントなどなど・・・いつものようにありました。毎年手を合わせていきたいものです。
2006/01/18
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日曜日、母校の朝の受験風景を見て自宅に戻りました。家内に、学校に行ってきた旨伝え、当時の事をしばし2人で回想。家内の行ってた中学はカソリック系で、私はプロテスタント系。同じキリスト教系で、より戒律に厳しく、組織もしっかりしているカソリック系だから、毎日礼拝があったと思っていたら、週に1日くらいだったようです。これだけ長い間一緒に暮らしていて、初めて知りました。私の学校は、2時間目が終了すると、毎日20分くらいの礼拝の時間があったので、それがあるのが当たり前だと思っていました。私が担当で付き添った次男君の受験のこと。母校で受験生の誘導や館内放送をしていた在校生の話から、息子達が中3の時、そちらの手伝いに行ったこと。懐かしい思い出です。長男の時、本命校の前に奈良の学校を2校受験したこと。家内は、「奈良のことは、もう大分忘れちゃった。どんな学校だったっけ」なんて言ってました。子供達には、中学受験を薦めたことは一度もありませんでした。勉強は、好きな道に進む時にとても大事だと思って、長男には小1から学研の塾に行かせました。英語とピアノも習っていました。3年生にあがる時、関西No1の受験塾の入塾テストの折込が入っていました。試しに受けてみる?と子供に振ると、元来競争好きなので、即やる気満々。受けると、合格通知が届き、上から2番目のクラス。長男は、喜び勇んで塾を変わり、あとは塾の先生や友達の雰囲気で、中学受験するのが普通のようになり、志望校を言い出しました。最初の志望校は、私の母校でした。お父さんが行った所だから馴染みがあったのでしょう。6年の学校説明会に家内が行くと、校長の話があり、いたく感激して帰ってきました。「あなた、あの先生に教えてもらったの。素敵ねえ」あの校長は、私の中学時代、社会を教えてもらった先生で、サッカー部の顧問でもお世話になった方です。スポーツマンなのでかっこよく、高校で家が破産して、大学進学を諦めるが、当時の中学校長に残念がられ、校長の自腹で進学した。院を卒業して母校に戻ったという経歴を持っておられます。私立の校長なのに、市の教育委員会委員長もやってる名物先生。私でも、かっこいいと思うぐらいだから、あのしゃべり方で、自分がこの学校で受けた温かい教育を今の子にも・・・何て言うもんだから、お母さんなんて虜になってしまいます。すっかり、その気になっていたら、長男の成績がそこを突き抜けて、塾友との競争やらなんやかんやから、もっと難しい学校を受けたいと言い出し、そちらの志望校別特訓に変わってしまった。さらに成績が伸びて、そこも突き抜けようとしていたが、さすがにトップの灘中は別格の存在で、本人も不合格の不安から、さらに変更はしなかった。関西で一番大きな塾で、毎年各校の入学者数がある程度決まっています。つまり、塾での志望校別特訓の席次で、大体合否が読めます。奈良でも合格をもらい、本人も親も余裕で統一受験日を迎えました。でもまさかの敗戦。合格発表を見に行って、予想だにしなかった結果だったので、本人は荒れてしまいました。帰り道、勝手にお店に入って買い物をし、付き添った家内は、清算で後を追っかけるだけ。自宅に戻って、私の天体望遠鏡を投げつけて壊すに至って、最悪の結果を予想し、その時家内の力では止められないと思い、私に緊急電話がかかってきました。私は、店を頼んで、即自宅に戻り、家内と交代です。自室に閉じこもって、ほとんど音がしません。彼の部屋は2Fなので、窓が開く音に耳をすませていました。こんな時は、下手な声かけなど逆効果で、自分で気持ちの整理をするしかありません。親とて、何の役にもたちません。その晩、ずっと電気がついていました。私は、寝ずに隣の部屋にいました。でもこのとき、長男は天体望遠鏡に当って、それで気持ちの整理をつけたようで、猛然と勉強をしていたようです。それから、やがて母校となる学校の受験まで、猛烈に勉強していました。おろおろなどせず、何かをかなぐり捨てて、すごかったです。あの時、子供から大人に脱皮したことを知りました。背はまだ低いが、こいつは将来どんな状況になっても大丈夫と思いました。猛烈な勉強に耐える実力と、それをしようとする気持ちを、長い塾生活で身につけていたようです。ライバルでもある塾友の存在が大きいと思います。このことは、家内の辛い経験でもあり、話を出しませんでしたが、お互い心に秘めているでしょう。今思えば、あの時敗戦でよかったと思います。わが家のために用意されていたようにさえ思います。
2006/01/17
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日曜日に次男が帰国しました。関空まで、家内と迎えに行くつもりでしたが、家内に振られてしまって、私1人で行く事になりました。朝時間があるので、ふとある所に行こうと思い立ちました。1/14土曜日は、関西の統一受験日です。大阪・京都・兵庫の私立中学は、いつも同じ日に受験解禁しています。バラバラの受験日だと、たくさん受けることで、小学校に身が入らないということもあるのでしょうが、私立の本音は合格辞退者数が読みにくく、何人合格させていいかわからないから、ということでしょう。京阪神の子達は、ここ数年、その協定に入っていない奈良の学校を、前受け校にし、腕試ししてから、統一受験日に第1志望校を受けるパターンでした。ところが今年は、奈良もその協定に入ることになりました。子供達と関わることをしているので、自分の子がその時期を過ぎても、この時期になるとこういう話題が入ってきます。そこで、2日間受験の母校の2日目の様子を見に行ってみることにしました。道路の関係で、最寄の駅の次の駅につきました。川沿いを学校に向かって上がっていく親子がいます。こちらの駅は、下車する受験生が少ないので、親子で最後の静かな時間が持てます。最寄駅に行ってみました。こちらは、駅前のバス停に、バスが2台の3台も待っています。いつのも路面バスに加えて、臨時ピストンバスを増発しているようで、駅から吐き出される受験生親子を、バス社員が誘導して、ドンドン出発していきます。中学ではバス乗車禁止だったので、長年通った道を上がります。すると、歩いている親子も結構います。バスより、静かな時間を持とうと思っているのでしょう。母校が見えてきました。1年ぶりくらいかもしれません。先生達が、受験生を誘導し、バス社員さんが、ピストンで駅に戻るバスを交通整理しています。正門前に入試の看板がかかり、その前で、塾の先生と思われる方が、受験生と話をしています。その後にお母さんがいます。小規模塾なんだろうなあと思う。その横では、息子たちが通っていた大手塾の黄色い旗を持った先生がいます。塾のみんなが集まる場所に誘導するためでしょう。校舎の周りの木陰では、小グループの集まりが数箇所出来ています。同じ塾の集まりです。運動場の方に目をやると、一目で何処の塾かわかる目立つ大きなのぼりとともに、大きなグループが見えます。塾の先生が気合を入れ、リラックスさせ、他を圧倒する人数の迫力で他を威圧するようです。百人以上のグループもあります。やがて、「イザ行かん」ということになったのでしょう。受験生の後を囲んだ父母から一斉に拍手が起きて解散です。その集団が、受験会場に向かって一斉に移動し始めます。私が受験したころは、大手の塾が存在せず、静かなものだったけど、シュプレヒコールなどはないにしても、あの人数には圧倒されるものがあります。次男の受験に付き合った経験があります。学校の正門に着くと、塾の先生に呼ばれて、そこで子供とは離れ、塾先生の話を遠くで聞き、そのまま親の控え室で待ちました。正門に着くまでが2人の時間で、着くや否や、息子は塾の戦士になって行く感じでした。受験番号を持った在校生に引き寄せられるように受験生は進み、校舎に消えます。親御さんは、後ろから見ていますが、不安そうです。子供達が消えると、控え室で待つ方や、あの控え室の雰囲気を嫌って、何処かにいかれる方など、思い思いにバラバラになります。私が付き添った時は、ちょうど取引先の銀行員がおられ、しゃべりながら時間を潰せました。2校目は、誰も知り合いがいなかったのですが、まあ男だから、あまり気にならず本を読んで過ごしました。でも神経の繊細な女性は1人で待つのは、厳しいものがあるのかもしれません。家内も、長男の付き添いで疲れ果て、次男の時は私が担当になりました。試験場に入る変わらぬ受験生の姿がありました。親よりずっと不安そうな顔はなく、強敵に立ち向かうキリリとしたものが見えます。親を振り返るような子はおらず、前を見据えています。自分の今まで数年間鍛えた実力で突破しようとするチャレンジャーの感じです。合否の基準が単純に、この2日間の学力点数でしかなく、スポーツ選手のような誰でもわかる潔さが、こういうチャレンジャーを育てる気がします。1点に笑い1点に泣く単純なルールはいいです。内申や推薦という制度が段々多くなってきていますが、学生時代にこういう場面を一度でいいから経験するのは、人生の財産のような気がします。この経験から、わが子を身体は小さいが大人として見るようになった気がします。子供も、実力で通う学校を獲得してきたので、自分に大きな自信をつけたような気がします。自分で決めて行動して親には事後報告してくるスタイルに繋がっている感じがします。自分への自信のなせる業のような気がします。中学受験は、親が絡まないと成就せず、批判は多々ありますが、私はいいと思っています。でも、まだ関東・関西の大都市周辺だけで、その他の地域は公立高校がしっかりしているので、私立へのそういうニーズが少なく、それほど盛んではないでしょう。朝ここに来て、よかったなあと思いました。
2006/01/16
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昨日、ヨーロッパ旅行中の次男からメールが届きました。正月2日のメール以来連絡がなかったが、どうやら予定通り帰って来るようです。「今から飛行機に乗ります。到着は、日曜日昼。TPE-KIX便。アライバルホールでピックアップ頼みます」貧乏旅行なので、アムステルダムから40時間もかかります。地球の裏側、南米の田舎まで行けそうです。今日の昼過ぎには台北に着き、宿泊するようなので、またうろうろするのでしょう。それを家内に伝えると、明日検診があるので行けなくなったとのこと。え~、家内が関空に行ったことがないというので、空港見物がてら2人で迎えに行く予定にしていたのに・・・次男君もそれを期待していたと思うのに・・・親父1人じゃあ、今一だろうなあ。まあ、男と言うのは振られる動物ですから、仕方ありません。彼が高校2年の時、富山県で国体があった。その応援に行く予定だったけど、数日前に「やっぱり遠いしやめとくわ」と言われてしまい、1人で行くことになってしまった。「多分最後の国体になるから、応援に行ったら喜ぶよ」って、薦めたけど・・・当日、私を見つけて、「あれ、お母さんは・・・」「・・・」「ふ~ん」残念そうな顔でした。明日もそうなるのかなあ・・・まあ荷物を車に突っ込んで、食事でもして帰ってきますか・・・明日は、家内に振られてしまったので、随分昔に大きな喜びをもらった懐かしい場所に行き、それからKIXに向かうことにしよう。その懐かしい場所では、今少年達の数年の努力が結実されようとしています。
2006/01/14
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ベトナム戦争当時のソンミ村事件で、米軍の組織立った銃乱射に対抗して村民を助けた元米兵の方がガンで亡くなったそうだ。この事件は覚えている。圧倒的火力優勢にも関わらず、北ベトナムや中国からの森林に隠れた補給路を断つことが出来ず、結局ゲリラに負けてしまう。正規軍がゲリラとして、一般住民と同じような生活をしながら行動するので、見分けがつかず米軍は苦戦した。補給路はホーチミンルートなどと呼ばれていたように思う。森が邪魔でどうしようもないので、ナパーム弾で焼き尽くしたり、枯葉剤で樹を枯らしたりした。そこから、顔が2つあるベトちゃん・ドクちゃんに代表される奇形児が、たくさん生まれることになる。何処にいるかわからない、誰が兵士か分からない、という猜疑心と極端な恐怖から、ゲリラの村と思われたソンミ村住民を、女性や子供も含めて、大量虐殺する事件が起こった。この報道や、帰国米兵の精神異常などの問題から、反戦運動が高まっていった。当時はたくさんの報道写真家などが現地に入り、生を送っていた。ジャーナリズムの力や通信手段の高度化で、現在は米軍を中心に報道規制がかなりきつい。イラクでは、家庭用ビデオカメラで映していると、カメラどころか撮影者まで射殺している。決死の覚悟で撮った、テープや写真がヨルダンなどに持ち出され、様々なルートで流されている。国内に入ったそういうものを見たが、その出所は説明者が口にしなかった。「撮影者が危険にさらされるので」という理由だった。でも真実なんだ。ガンで亡くなったという、ソンミ村の元米軍兵士さんは、乱射する米軍兵士と住民の間に、操縦していたヘリを強制着陸させて、司令官と交渉したという。住民の逃げる時間を少し稼ぎ、怪我をした子供をヘリで搬送もしたという。ソンミ村事件は知っていたが、そういうアメリカの良心は知らなかった。すごい人だ。アメリカの良心であり、人であれば何処の国の人であれ持っているものだと思う。きっと多くのアメリカの良心が、今も行われていると思うが、自分の身を危険にさらさなければならない状況が改善されることを望みたい。ベトナムの時も、現在でも、銃を手にする戦闘現場では、理不尽なことが起こるのが自然だと思う。双方が、極度の緊張を長い間強いられ、冷静でなく、民間人にも疑心暗鬼になっているから。誰だってそうなると思う。戦場から離れても、ずっと尾を引く。正義の・・・何てのは、あるのだろうか?唯一正義と言えるのは、戦闘地域に武器を入れないこと。武器がなくなれば、戦闘は終焉すると思う。何か大国の利権争いや利益に踊らされている非先進国の構図が見える。それにしても、この亡くなられた米軍兵士は、すごい人だ。そして、その元兵士を、理不尽な処分にしないアメリカと言う国の懐の深さもすごい。
2006/01/13
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現在次男の携帯電話のおもりをしています。日本を出る前に、「これ預かっといて。メール来たら適当に返しといて」と言付けられたのですが、私の携帯電話は、無料のヤツで、メール機能などつけていません。だって、ほとんど出歩くことがなく、家にも仕事場にも固定電話があるので、必要がありません。それでも、たまに出かけるときに、仕事場からの連絡がつかないといけないなあと思って、10年くらい前に買いました。最初はちょっとうれしくて、持って出たのですが、まず連絡を取る事はありません。段々と、持って出ても電源を入れ忘れていたり、入れたら次ぎ使うまで数日間消し忘れて、いざ使おうと思ったら電源がありません、なんてなってました。もう最近は、カバンの奥に突っ込んであるだけです。かろうじて休みの日に電源を入れていたのですが、最近はそれも面倒になって、旧人類の生活に逆戻りです。でも全然不便じゃないんですよね。むしろ気にする必要がないだけ楽です。こういう私がお守りしているので頼りないものです。「バンバン、メールが来たらどうしよう」と思っていましたが、案外少なく、3日に1件くらいで楽にお守りできています。電話は一度もないし。生まれて初めて、携帯電話でメールというものをしました。最初は、どういう風になってるのかわからず、全部消えてしまったり、消そうと思ってもそこに移動できなかったり、お笑いでしたが、何とか返せるようになりました。最初なんて、全部ひらがなだったりしたので、漢字変換ができるようになっただけ上出来です。正月開けに、小学校の友達と中高の友達から同窓会のお誘いが届きました。私が行ってもよかったのですが・・・って冗談ですよ、そんな興ざめな。小学校の同窓会の連絡をくれたのは女の子で、最初女の子の名前で届いたメールを開けていいものだろうかと、ドキドキしました。でも、その名前はよく知っている懐かしい名前で、なんと保育園からの友達です。親御さんも知っています。同じ小学校に上がり、彼女も中学受験組で、同じ塾に通っていたはずです。私もそうですが、地元の公立中学に行かないと、どうも近所の同学年の友達と疎遠になってしまいます。長男は私と同じような感じですが、次男はそれ以降も地元の子と連絡が取れているようでした。どうやら彼女が、間に入って接着剤になってくれていたようです。ありがたいことです。中高の同窓会の方は、中高6年間、担任の先生も含めて、ずっと同じでした。彼の入ったコースは、1クラスしかなく、成績が落ちると下のコースの子と入れ替わるシステムになっていました。次男も一時やばい時がありましたが、火事場の馬鹿力で何とか踏みとどまったクラスです。結局、30数名は6年間同じで、とても仲がいいです。毎回担任先生も呼んで、楽しくやっているようです。大学で全国に散らばってしまったので、大抵地元に帰っているお正月が、みんなが集まれる機会なのでしょう。ちょこっと、彼の周辺が見えました。次の日曜日に帰国予定で、そのついでに家内と空港をうろうろするつもりですが、今何処にいるのかサッパリわかりません。もう10日間も音沙汰なしです。持って行ったPCで卒論と格闘していると思いますが、写真格納庫になっているのかもしれません。
2006/01/12
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ニコラス・スパークスのザ・ウェディングを読み終えました。これで、スパークスさんの本は、全部読んだことになります。全部読んだからって、別に何にもありませんが、1冊読むごとに、次が読みたくなって、とうとう在庫がなくなってしまった、というのが正直なところです。スパークスサンのデビュー作の続編なのですが、途中に何冊か出版されながら、ずっと続編のリクエストが多く届き、ついに書き上げたというものらしい。前作の主人公ノアの娘婿ウィルソンが今度は主人公になっている。その子達が結婚する年齢になり、どうも夫婦間がギクシャクしている。ケンカをするわけではないけど、会話は、朝の挨拶や事務的な事に終始し、空気のような存在になり、子供の騒々しさがなくなった家庭のよくある風景になっている。とうとう結婚記念日を忘れてしまって、雰囲気は益々暗い。これではいけないと、ノアに相談するようになる。相談といっても、特に何かアドバイスがあるわけではないが、奥さんを亡くした後も、相変わらず彼女への気持ちを大切にしているのを見て、段々自分で何が足らなかったのか気づいていく。そして行動を起こす。次の結婚記念日の1週間前、突然長女が1週間後に結婚をするという。ウェディングセレモニーはなく、ただ市役所で書類を提出するだけだという。それを聞いた主人公の奥さんジェーンは、きちんとした式を挙げるように反対する。何故かというと、自分がそのような結婚をして、ずっと後悔してきたからです。そして娘は折れる。ウィルソンは、真面目で、仕事熱心で浮気もしない。でも、仕事を優先するあまり、子供のことやその他のイベントに消極的だった。多分、そういうウィルソンへの不満が、子供がいなくなった家庭の雰囲気に影響しているのだろう。ウィルソンもそれはわかっている。でも、過ぎ去った日々は取り戻せないし、奥さんにかける言葉さえも、拒否されるのではないかと言う恐怖から、素直に言い出せないでいる。夫婦仲を今すぐ破局に向かわせるような大きな問題ではないけれども、確実に蝕む。お互いにそう思っている。それが娘の結婚で具体的に行動に現れる。ウィルソンは、今までと正反対に、休暇など取ったことがなかったのに、結婚式までの1週間の休暇をとる。女性陣のドレス以外の仕事を全て引き受けて、精力的に家族のために行動し始める。式場を、今はもう使われていないので荒れてしまっているノアの家に決めて、修理・洗浄・庭師を入れ手入れし、ケータリングから音楽まで用意する。そうする過程で、自分とジェーンとの出会いから結婚までのことをダブらせている。すばらしい配偶者を得た喜びを今更ながら思い出し、青年の頃の彼女への情熱も思い出す。それが、毎日の行動に出て、日一日とジェーンとの会話が増え、生き生きとした2人の仲に戻っていく。結婚式の日がやってきた。大勢の出席者が待つ1Fで待つジェーン、その横に寄りそうウィルソン。2Fの部屋から花嫁である長女が、2人で選んだ素敵なウェディングドレスを着て出てくるのを、大勢の出席者と共に待っている。2Fのドアが開き・・・現れた長女は・・・ウェディングドレスを着ていない・・・?駆け下りてきた長女は・・・ジェーンにブーケを渡す・・・列席者や家族の自然な反応で・・・ジェーンはどういうことか悟った・・・この本も期待を裏切らず、とてもよかった。でも1つだけ言っておきたいことがある。「女性に売らないで欲しい」ってこと。世の奥様方にあまりに素敵な旦那の物語を伝えることで、大きすぎる期待を抱かせないで欲しい、というのではなく・・・旦那の一発逆転の隠し玉は、そっと男性のみに伝えて欲しい、ってこと。
2006/01/11
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今日は成人式です。朝仕事場に着くと、既に着物のお嬢さんがいます。向こうでは、お父さんが写真を手に持っています。すぐに建物内から、着飾ったお嬢さんが出てきて、遠目に写真を写しています。お見合い写真のサブに、自然な姿を写しているのでしょうか?お父さんとしては、できるだけたくさん写しておいてあげたいのでしょう。別の方には、男の子の2人づれです。スーツ君と着物君です。最近は、着物の男の子も増えているようですね。2年前に次男が成人して、さらにその2年前に長男がこの日を迎えました。2人とも、自然にスーツを着て、市民会館に出かけていきました。次男なんて、わざわざ下宿からこの日のために帰ってきました。私の時は、ほとんど関心なく、バイトをしていたような・・・市が決めた式に行くなんてなんかかっこ悪いと思っていました。友人の間でも、出席者は少数派で、ジーンズで出席したりする者もいました。家内も式には行かなかったようです。お茶とお華を小さな頃からやって、着物も着慣れていた家内でさえ行かずに、家の手伝いをしていたそうです。お見合い写真は、別の機会に撮ったそうですが、結局使わずでした。あの頃より、日本が豊かになり、セレモニーに対する思いが違ってきているのだろうと思います。私は、人とは違うよというところにちょっとこだわっていたように思うのですが、用意されているものにしいて逆らわなくても、という風潮になってきているような気もするし、親も自分のセレモニーで楽しませてやろうと言うやさしさもあるのでしょう。今は、こういう一生に一度しかないセレモニーには、出ておいた方がいいなと思います。私が結婚する前、家内をスキー場に連れて行きました。宿泊したホテルの離れにあるチャペルで、うまく結婚式が行われ、それに出席しました。新郎新婦と親とほんの少数の友人、その他はそこに居合わせた宿泊客。今の海外結婚式と同じようですが、こういう結婚式をしたくて、そこに連れて行きました。フロントに、結婚式の予告が出されており、その時間になると、宿泊客にホテルから声がかかり、共の祝福することで、何となく共同体意識が出たりするのが良かったのだが、家内の両親から反対され出来なかった。家内の所は、お姉さんと彼女の2人姉妹で、お姉さんは既に学生結婚をしていて、披露宴もしなかった。だから妹には、普通の式を挙げて欲しかったのだろう。今日、着飾ったお嬢さんたちは、早起きし式や写真館、その後と、1日主役ですね。一番きれいな時かもしれません。
2006/01/09
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12月に、近所の方のご葬儀があった。家内が出席したのだが、国道沿いで家から車で5分。施設も新しく、いい感じだったらしい。その夜、「あそこがいいわ」としきりに私に薦める。でも、互助会の積み立てはかなり以前に満了しているし、数年前に出来たビルのような所がいいと、そこにも契約したし、これで3軒目でしょ・・・互助会とかが、どういう組織になっているのかよくわからないが、うちの両親は当然2人しかいない。3軒目って・・・ひょっとすると私のこと?私たち夫婦が結婚してすぐに、親があちらの世界の淵まで行きはりまして、互助会やらお墓の用意やら準備が進んだが、肝心の主役がおかげ様で何度も土俵際まで行きながら、しぶとく中央に寄り返してきて、準備に準備を重ね過ぎなんちゃうかなあと思うんやけど・・・お墓なんて、墓石が立ってもう四半世紀だよ。空っぽのまま、長男君の年齢とえろう変わらんです。「いつあっても大丈夫なように準備をしとかな」と言うのは分かってるけど・・・また数年後、「ここはいいわ」って話が出ると思うなあ・・・
2006/01/07
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正月に届いた次男君からのメールで、オランダ留学しているソウル大学の韓国人学生と一緒にイタリア旅行したことが書かれてありました。海外に友人が出来てよかったなあと思うことと、共通言語の英語をずっと使っていたとの事で、それも良かったなあと思いました。そのメールで1点考えさせられたところがありました。「首相の靖国参拝は、やっぱりよくないわ」と書いてあったからです。政治に関心があるとはあまり思えない次男が、こう書いてくるのだから、いろいろ話して、いろいろ思ったのでしょう。今の世の中、通信が発達し、特殊な国でない限り、いろんな国の情報が個人で手に入ります。だから、国のトップの発言や行動が、その国の国民の共通意見だとは、誰も思わないと思いますが、それでもやはり、それに幾分引っぱられるものがあります。他国が、国の公式声明として抗議するものを、無理して強行突破しても益はないと思います。こういうやり方は、大きな対立になりやすく、最も嫌な解決方法に行き着くことがあってはなりません。息子達は、一緒に旅行するくらいだから、個人と個人との関係とは一線を引いて、お互いの国の世論を聞いていたのだと思いますが、出来ればお互いの映画や文化の話がメールに書いてあった方が良かったなあと思いました。雑誌に載った外務省職員の反靖国参拝意見で、外務省と官邸がもめているようですが、以前なら自民党内で反対意見が出ていたと思います。何だかんだ言いながら、戦後ずっと政権を維持できたのは、反対意見を内包することで、党への安心感があったからだと思う。この夏の選挙での、自民党主流派のあのやり方で、どうも自由な発言が党内で出にくくなっている気がします。何か、BSE問題で、全頭検査なんて科学的根拠がないと、日本の要求を突っぱねたアメリカに似ている感じがして、気持ちの問題に配慮しないのは、どうかなあと思っています。
2006/01/06
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今日から仕事再開です。わが家の正月は、結婚して1年目の時は、長男がお腹にいたので家にいましたが、その後はずっとスキー場でした。次男の6年からは、中学受験と親と行動をしなくなった長男の関係で、行く年くる年でカウントダウンを聞いてから、初詣に家族で歩いて数分の近所の神社に出かけていました。それも、次男が大学生になり下宿してからは、家族揃って行くことはなくなりました。長男は友達と有名な神社を巡り、次男はその時期に組まれる同窓会の方がメインになってしまって。今年は、家内と長男、それに義理母、姉夫婦・甥というメンバーで、元旦午前中に家内実家のお墓参りに行きました。すぐ近くにある神社でおみくじを引くと、長男君が凶でした。大晦日に引いたおみくじも凶だったそうで、こうなりゃ明日も狙うぞと、次行くところでもおみくじを引くそうです。2連続凶は中々ないので、ラッキーな年になるのではないかと思っています。その神社で甘酒が振舞われており、甘酒を飲む長男と並んで座っている家内を写真に収めましたが、とても親子には見えません。私は頼りない父親に見えるのだけれど・・・女性はほんと年がわかりませんなあ。その後、11月に2人目を出産した姪の家に行き、何とかホテルの8万円の御節というのを食べました。8万円の御節って・・・ビックリしましたが、保存食の御節のイメージではなく、最近はうまいもの詰め合わせって感じなんですね。和・洋・中、3段になっており、小さな子供でも美味しく食べられます。姪の上の子は、2才前ですが、かわいくて、こういう小さい子が1人いると家庭に笑いが絶えませんね。明けて2日、家内に予定を聞くと、デパートに出陣だそうで、同行を遠慮させてもらいました。私はどうも都会があまり得意ではありません。家内も足手まといの私がいると気軽に行動できないので、暗黙の了解になっています。ということで、箱根駅伝の2区を見て、船に行くことにしました。年末いじくったバッテリーが気になり、エンジンもかけておこうと思いました。船でゴソゴソしていると、ジュニアの子達が沖から帰って来て、船をディンギー桟橋に付けて陸に上がって行きます。わが子が中学生までは、当然のように正月合宿をしていましたが、今見ると、「ようがんばってるなあ」の一言です。船を切り上げて、ディンギースロープに行くと、福岡や関東の子達も来ていて、お母さん方が作ってくれていた温かいぜんざいやうどんに、歓声を上げていました。私もご相伴に預かりました。寒い海から上がった時の温かいものは、身体を生き返らせます。そうなると、「それじゃあ」って帰るわけには行かず、午後はコーチボートに乗せてもらいました。我ながら好きですねえ。普通ならそのまま夜の宴会までなのですが、家内と映画「三丁目の夕日」を観る約束をしていたので、翌日また来ると約束して帰ってきました。翌日朝起きると、風が結構吹いています。う~む、朝一はやめにして、駅伝復路を2区だけ見て、浜に出発です。ハーバーに着き、合宿しているところに行くと、「あれ?遅刻じゃないの~」ってお母さん方にちょいと責められ気味です。まあ、差し入れのみかんを1ケース抱えていたので、勘弁してもらいましょう。だって、この時期風が上がると寒いもの・・・午後から海に出ると、10m/s以上の風が入っています。全面白波の状態です。午前中は、もっと強かったそうです。海上保安庁の見回りが寄ってきて、しばらく子供達の技量を見ていたそうです。ゴチャゴチャ言われて、練習中止にされたらいやだなあと思っていたら、レスキュー体制も見て安心したのか、速力を上げて沖に消えていったそうです。服装がよくなったとは言え、そんなコンディションの中、子供達は1人乗りヨットでジャブジャブ波を被りながらかっ飛んでいます。特に風下に向かっている時、風上からより強いブローが下りてくると、一気にセールが風を受けてスピードを増します。未熟な子はふらつき安定しませんが、上手な子は、「やった~」と言わんばかりに、パンピングして帆をあおりプレーニングさせ、波に乗せてサーフィングさせ始めます。サーフィングすると、あっという間に、先行艇に追いつき、エキサイティングなデッドヒートに見ているこっちも興奮します。時々ミスって、ひっくり返るのもいるし。この風になると、微風ではあまりつかなかった技量の差が目立ち、小さい子は置いていかれ、トップ艇とは数百メートルの差がついてしまいます。・・・ということで、私の正月は今年も海でした。どうやら、今年の1年を暗示しているようです。
2006/01/04
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